今年も田植えに行ってきた。中越山村の法末集落の棚田での米つくりは、これで6年目である。
福島原発の放射線が降る地域では、田植えができないという。思い出せば、こちらでも2007年の中越沖地震で柏崎原発に事故があった。そのときに法末には来ていたのだが、原発事故については他所事と思っていた。法末集落と柏崎原発とは20キロ離れているからだ。
だが今回の福島の事故で、あのときも場合によっては20キロ離れていたとて、田植えなんてできないことになっていたのだと知った。
どうも、なにか身に沁みる大事故が起きないと、自分のこととして自覚しないものだと、つくづく思った。
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日本では何か世の中が変わるのは、外圧と人柱によるしかないのだと、これまでの長い人生経験でずっと前から思っていた。
今回は太平洋からやって来た地震と津波という外圧、そして2万人を超える人柱という外圧と人柱の両方にぶちあたったから、日本も大きく変わるに違いないと思うのだが、どうだろうか。
原発事故によって放射線が降り注ぐのも、自然という人間の制御できない外の世界からのゆり戻しだとしたら、これも外圧かもしれない。
願わくばその福島原発で人柱が建ちませんように。
というわけで、原発廃止の方向に世論が大きく傾くと思ったら、新聞の世論調査ではそれほどでもないのが、どうも不思議である。
遠くのドイツでは廃止の方向にグルッとまわって政策転換したのに、火元の日本ではそうならないのは、どういうわけなのだろうか。
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話は戻って田植えのことである。5月の半ば2日間で、天候に恵まれて3段の棚田の手作業による田植えができた。6回目となるとさすがに上手になって能率が上がる。
もちろんその前に、代掻きやら肥料や除草剤散布などの準備が、田の持ち主がやってくださっているからだ。
田植えの前の日に、六角なる道具を田に転がして、苗を植える位置の印をつけておく。いい加減な位置に適当に植えても稲は育つのだが、不ぞろいだと刈るときにバインダーという半手動手刈り機の能率が上がらないのだ。
いまや機械で植えて機械で刈り取るのがあたりまえなのに、わざわざ手で田植えするし、手で刈り取るのだのだ。6年もやっていると、これは趣味としか言いようがない。
ここに来ると自分たちが作った米を食うのだが、自宅には法末の営農組合から毎月10キログラムを送ってもらう。精米1キロが600円の棚田米は美味い、特に冷めても美味いので、知人たちにも勧めている。
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田植えの頃は山菜の季節でもある。わたし達の拠点の家の庭でもウドやフキノトウが生えてくる。フキノトウはもう遅い。
ちょっと歩けば、山ウドはもちろん、ミツバアケビの新芽、サンショウの葉、ヒメタケノコ、タラの芽、ワラビ、ゼンマイが、棚田の法面、耕作放棄田、林の中で待っている。
毎日の自炊料理が、山菜の天ぷらやら和え物である。1週間つづけたら、さすがに嫌になってきた。
山ウドが売るほど採れるので、秋にでも食べることにして、塩漬けにした。葉を落として茎だけを適当の長さに切って、樽に塩と交互にいれ入れつつ重ね、落し蓋をして錘を載せる。
2日目に水が上がってきたので捨て、茎をビニル袋にまた塩と共に入れて樽にいれ、また重石をしておいた。食べるときは塩抜きをする。
この豪雪でなだれで崩れた崖面もある。山菜取りは、見つけると採らずにいられなくなって夢中になり、崖から落ちることもあるそうだが、わたしもその資格は十分にあると気をつけたのであった。
●自然環境に還る人文空間
追記
田植えから20日、苗は順調に育っていると、M田さんからの現地情報。
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