青森県知事選挙で、県民の民意は原発容認と出された。
国政レベルでも原発廃止にはなりそうにない。
原発がこれほどの問題になっている現実の中でも、明確な原発廃止の方向にはならない。
ところが、ドイツで日本の原発事故を正面から受け止めて、原発廃止の政策に転換した。
日本とは大違いである。どうしてこうも違うのだろうか。
もしも事故があると、地域住民は命に関わるほどの迷惑施設であることが、福島第一原発で証明された。
これまでも東海村やチェルノブイリで、十分に証明された事件があったのに、どういうわけか忘れてしまう。
いや、忘れてはいないが、日本の貧しさが当面のお金に目をくらませて、忘れることにしているのだろう。
原発のある地域の人たちが原発容認する考えなどが、最近の新聞などに載っている。
それを読むと、どうも基本は地域の貧しさにあるとしか思えない。
原発容認の意見は簡単に言えば、まずは、原発がなくなると原発関連の雇用が失われるから家計が困る。
そして、原発がなくなると電源立地交付金がなくなるから地方財政が困る。
この2つである。どちらも金である。
かつては貧しい地域の人たちは、都会へ出稼ぎという形で3K仕事についていた。
原発は、本当は電力需要の大きな都会にあるほうが効率的である。だが、迷惑施設で都会では嫌われるし、住民が多いから反対運動が大きくなりやすい。
そこであまり住民がいなくて貧しい地域に、3K仕事と持参金をもってくるからとて押し付けるのである。逆出稼ぎである。
あの日本の貧しかった時代の出稼ぎ構造は、実はいまだに変わっていなかったのだった。それが原発事故で分った。
住民が少ないからまあいいや、と思っていたら、事故がおきたら超広域に被災の影響が及んだ。
実は地元住民が大勢いたことに、住民さえも愕然とするばかりである。
で、愕然としつつも、民意は原発廃止が大勢にならない。
やっぱり明日の命より今日の金に目がくらむ、貧しい日本なのである。
次はどういうことが起こるだろうか。
いまや出稼ぎ構造はグローバル時代になり、途上国から出稼ぎがやってくる。
そのうちに、3K仕事と迷惑施設を持参金つきで、貧しい国に持って行って引き受けさせる時代が来るだろう。
となれば、原発輸出である。
電気は海を渡ってやってこないが、電気で作った製品は海でも空でも渡る。
そして事故があると、放射性物質も海と空を渡ってやってくる。
わたしの世代は、1944年から45年にかけて、空爆を避けて都会から田舎に学童疎開をした。
わたしの次の世代その次の世代は、いったいどこに疎開すればよいのだろうか。
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