どうもこの原発事故は、太平洋戦争末期と似ているようなのだ。
こんなことはもう誰か言ってるだろうが、いちおう書いておく。
原発から発した放射能物質が広く天から降ってくるのは、太平洋戦争末期に米軍機から受けた無差別空爆(空襲といった)と同じである。
人口が集中しているから殺傷が効果的な都市を狙って、焼夷弾を雨のごとく降らした。おびえた人々は、都市から田舎へと避難(疎開といった)していった。
米軍機は遠く南方の基地から飛び立ってやってきたが、放射性物質は近くの原発基地から飛び立って風に乗ってやってくる。おびえる人々は、風のとどかない遠くに疎開(今は避難という)している。
太平洋戦争の空爆基地は、はじめは日本列島から遠くの島からだったから空爆機の航続距離の都合で少なかったが、そのうちに近くに占領した基地が増えて、空爆は毎日のようになった。
放射能空爆原発基地は、いまのところ一ヶ所だが、その候補地は日本列島にまだまだ50ヶ所以上もあるらしいから、どうなるのだろうか。疎開先は原発のない沖縄だけになるのだろうか。
米軍空爆はこちらの無条件降伏で止んだが、原発空爆はとっくに無条件降伏しているのにいまだに続く。やむをえず、本土決戦の肉弾戦がつづいている。
原発空爆の殺傷効果はその後も何十年も後を引く。後を引く殺傷効果は、太平洋戦争でも広島と長崎で強烈に経験済みである。
日本軍の大本営は、絶対に勝つといい、空爆機は撃墜したといい、本土上陸では国民皆兵で撃退するといい、どうもそれを、だれもが信じたらしい。反戦論者は抹殺された。
原発推進者たちは、絶対に安全だといたし、事故はないといい、今はそれくらいの放射能を浴びても大丈夫という。反原発論者は異端とされてきた。
そして敗戦、とたんに一億総懺悔と言って、責任は国民みんなにあったとする。
そして原発事故、とたんに一億総節電といって、電気を使いすぎた国民みんなに責任があるとする。
で、戦争放棄の憲法を作ったが、まだまだ敗戦の記憶のあるうちに、また軍隊を持ってしまった。
で、原発敗戦の生々しい記憶を積み重ねている今でも、原発廃止が世論の大勢にならない。わたしたちはまた原発を作るのだろう、自衛隊設置の論理をなぞって。
歴史は繰り返すとは、本当のことであるらしい。
新聞に川柳が載っていた。
このたびは三国同盟なりたたず
第2次大戦では手を組んだドイツとイタリアに、反原発については日本は置いてけぼりにされたのである。この件では歴史は繰り返していない。
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