春浅い日、横浜山手をぶらぶら、定点観測の唐沢公園からの眺めは、あまりにたくさんのビルやら家で、もうどこが変わったのか、変わりつつあるのか、さっぱりわからない。 変化を見るには、過去の写真と並べて、新惑星の発見でもするごとくやらねばなるまい。
生きている人間の営みの空間の、なんとまあ密度が高いことよと見て、ぶらぶらと山手を向こうにくだると、谷底、また向こうに丘陵が横たわる。
その丘陵を埋め尽くして、死んだ人間のため空間が、これまた密度高く広がっているのであった。
人間は生きていても死んでいても、その身を寄せ合う密度はおなじように高いものであるようなあと、感慨を催すのであった。
その死したる人間の密度高い石塔群の向こうに、おや、生きた人間のための石塔群が肩を並べているであった。卒塔婆もあるぞ、鉄塔らしいが。
生きても死しても、人は石塔・卒塔婆が必要らしい。
墓場の境界に高い鉄製の網の垣根が出てきた。向こうはアメリカの将校たちが暮らす住宅地らしい。侵入者は訴えられるぞ、なんて札がかかっている。隣には墓場のゴミを捨てるなもって帰れなんて札もかかる。
垣根の向こうの米兵住宅地のあまりのゆったりさと、垣根のこちら側の墓場そして先ほど見た街の風景の密度、その差の大きさにちょっとたじろぐのであった。
垣根の向こうの米兵住宅地のあまりのゆったりさと、垣根のこちら側の墓場そして先ほど見た街の風景の密度、その差の大きさにちょっとたじろぐのであった。
墓場といえば寺院である。寺院群が谷底に並んで、丘陵を埋め尽くす墓場と対峙している。
その中のひとつのお寺、片持ち構造のモダンデザインの鐘楼門の向こうに、古式の本堂、その横には新式の高層住宅ビル、そのビルの一階に寺院の施設があるのであった。
生きた人間の不動産経営で、死したる人間を支えているのである、らしい。
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