ノーベル賞の季節である。この賞の報道でいつも気になるのは、日本人の受章者は今年はいるのかとか、ほかのアジアの人と比べて日本人が多いとか、妙に国粋的になることである。
で、今年は今のところ物理学賞で2人の日本人受賞で、アベ首相は「日本人として誇らしい」と述べたそうだ。
昔々、湯川秀樹さんが受賞したときに大騒ぎだった記憶があるが、あのころは敗戦国日本としての劣等感を、これが癒してくれる事件だったからだ。
その後、ここまで国際化しても、今年は日本人受賞者はいるかと、いまだに毎年騒ぐのはまだ劣等感に悩んでいるんだろう。劣等感と国粋主義は表裏一体のようだ。
今年の物理学賞受賞者3人のうちのひとり、元日本国籍で今はUSA国籍の中村さんがいる。報道ではそれも日本人に勘定したがるようだ。
でも、この日本人をやめた人は、日本社会の研究風土を遠慮なく罵倒しているから、ノーベル国粋主義メディアは、ちょっと鼻白んでいることだろうなあ。
この3人についての報道ぶりがどう違うのか、あるいは違わないのかと、興味がある。
ところで、もしも、ノーベル平和賞を憲法第9条を守る日本国民が受賞したら、わたしもノーベル賞受賞者の一人になるのだよなあ、賞金の分け前があるかしら。身近な賞になったもんだ。
身近と言えば、大学時代に山岳部仲間のひとりで、一緒に勉強、じゃなくてトレーニングやアルプスで合宿をしていた同期生が、ノーベル化学賞を受賞したことがあるから、この賞はわたしにはずいぶん身近になっている。
ノーベル平和賞って、欧州連合とか、中国の民権運動家とか、ダライラマとか、アウンサースーチーとか、賞の出し方がなんとも平和への戦術的な感があるから、今の新憲法大嫌い政権のときだからこそ、平和賞でガツンとやってくれる可能性があるような気がする。
今だからこそ、受賞に期待する。明日が発表らしいから、今日、これを書いておくのだ。
そうだ、思い出したけど、日本では佐藤栄作さんが平和賞を受賞していたんだったなあ、でもなんだか忘れやすい受賞だなあ。
あの受賞の時は、みんなが、エ~ッ、ドーシテッ、マサカ?って思ったもんだったよなあ。
(追記20141010)ノーベル平和賞は、マララ・ユスフザイさんに決定、あの銃弾の惨劇の少女は、世界に認められる人権運動家として、立派に成長したのであるか、よかったよかった。
日本政府は、受賞回避ロビー活動を懸命にやったのだろうなあ、たぶん。
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