サイタ サイタ サクラガ サイタ
アカイ アカイ アサヒ アサヒ
赤瀬川原平さんが逝った。わたしには憧れのような妬ましいような才の人であった。
もちろん一面識もないが、いつ頃からこの人の名を知っただろうか、同じ時代の空気を吸っていた人である。
ハイレッドセンター東京ミキサー計画か、千円札訴訟か、朝日ジャーナル事件か、きっかけは忘れてしまった。たぶん零円札事件が最初だろう。妙に気になる人になってしまった。
上に引用したのは、「朝日ジャーナルの時代1953…1992」(朝日新聞社1993年発行)の639ページの、ゲンペイさんのイラストのなかの言葉である。イラストはこれである。
そしてこのイラストに添えて、こう注意書きがある。
【回収号】朝日新聞社は「朝日ジャーナル」1971年3月19日号(イラスト特集)を発売後、回収した。ヌードをあしらった表紙、一部のマンガも問題とされたが、赤瀬川原平作・画の「櫻画報」、その中の「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」のコピーがとくに問題視された。(「朝日ジャーナルの時代1953…1992」朝日新聞社1993年発行638ページ)
で、「表紙と一部のマンガ」はこれである。(いずれも上記の本から引用)
この朝日ジャーナルは、わたしの学生時代からの愛読誌だったから、ゲンペイさんのイラスト連載を面白がっていたし、それが「アカイアサヒ」事件となったのも、同時代の出来事で興味深いことだった。
朝日新聞社は、このところ二つの吉田証言誤報と池上寄稿不掲載のお詫び事件で騒がしいが、この43年前のアカイアサヒ回収事件でも、編集長更迭、大人事異動、一時休刊となった騒ぎであった。
だが、時代の空気がどうも違いすぎる感がある。なんなんだろう?
路上観察学会で仲間をつれての登場には、喝さいを送ってしまい、以後その著作が出ると読もうとしたが、あまりに多作で変幻自在・玉石混交・古今東西・上下逆転・神社仏閣?の出版物を、どれもこれも追いかけるのは到底できるものではなかった。
あの持って回っていながら持って回っていなくて、意表をつきながら意表をつかず、するりと逃げ去るようで逃げない、オトナの手法を何とかして盗もうと憧れたものだ。
ゲンペイさんのもとにはヘンな人たちが集まり、育っていたようだが、その人たちが出した(と思われる)「頓智」という雑誌があった。1995年10月から96年7月まで、10冊出して突然休刊した。
ヘンな雑誌だったが、わたしの趣味に合って毎号楽しみだったので、がっかりした。わたしの本棚にそれが今もおいてある。
昨年、丸の内の東大博物館で、零円札に初めてお目にかかって感激したものだ。そういえば、あれはどこだったか、昨年、ハイレッドセンター活動の回顧展のようなものも観に行った。
それなのに、わたしの意表をついていなくなってしまった。ゲンペイさんらしいのだろうか。羨ましい死に方で、やっぱり妬ましい。
実は死んでみてのあの世の路上観察記を書いて(シンボーかテルボがゴーストライターで)いずれ出版するに違いないと、期待している。
書棚から「芸術言論」を見つけたので、今夜はこれを読もう。
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