2014/10/11

1011ノーベル平和賞が消滅する本当に平和な時代が地球上にいつの日か来るのだろうか

 ノーベル平和賞を、パキスタンとインドの人権活動家が受賞することになった。
 特に17歳の少女であるマララ・ユスフザイさんの受賞を、素直に喜びたいのだが、複雑な思いを禁じ得ない。これからこの人はどのような人生を歩むのだろうか。

 ほとんどのノーベル賞の受賞者たちが、成熟年齢に達し、一定の功成り名遂げているのに対して、マララさんの場合は、これまでの活動を評価されたとしても、あまりに若い。
 この賞が課した重荷を背負って生きていくことになる長い長い人生に幸多かれと、このわたしが期待することさえも重荷かもしれないと、不安になる。
 彼女が生きるイスラム社会が、そして国際社会が、これからどのように彼女を抱擁していくか、見守りたいものである。

 考えてみると、ノーベル平和賞なるものがこの地球上あり、その受賞を望む者があり、その受賞を讃えるということ自体が、実に歪んだものである。
 平和賞がなくなることこそが、望むべき平和であろう。いつになればこの賞がこの世から消えるのだろうか。

 日本の憲法第9条の戦争放棄条項をもって、日本国民をノーベル平和賞に応募するという行為が話題になるのも、考えてみれば不幸なことである。
 戦争放棄なんて当たり前になるべきだろうが、現実の地球上の世界は全く反対である。
 この賞に応募した人々がいて、受賞に期待する人々がいる日本という国は、この戦争放棄条項に大いに異議を唱える政党が、選挙によって大量な票を獲得して政権を握っているのである。日本列島が世界の縮図に見えてくる。

 1945年にあの戦争が終わって、わたしは平和な時代の最先端を生きてきて、幸せな人生だと思ってきたのだが、どうやら人生晩期に危ない時代に入りかけているらしい。半世紀以上も平和な時代が続くのは、実は異常であったのか。
 大地震が来るのも怖いし、戦争になるもはもっと嫌だし、そいつらがやってくる前に、そろそろこのへんで人生を逃げ出したいものだ。まあ、逃げても卑怯と言われない歳になってはいるよなあ。

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