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廃棄書類の一部の記念写真、重いからぎっくり腰にならぬように捨てに行く |
これまでもオフィスや自宅を引っ越したり閉じたりした機会に、何回も整理して捨てるべきものを捨ててきた。そのなかで、これはまだ置いておこうと所蔵していた書類が書棚にある。だが、それらを使って昔のことを書く需要もなくなった。
世の中には人生を終了する活動なるものがあり、それを「終活」というらしい。わたしも終活をやってみたくなったので、まずは、それらの仕事関係の代物をやり玉にあげて廃棄することにした。
書棚の奥からほこりを払いつつ引っ張り出して並べると、その仕事をした頃のことを思い出すが、腹の立つことも思い出すから、捨てるのが惜しいなんてことはない。中身を見ないでどんどん捨てることにする。
もっとも古いヤツは、1964年度「名古屋港地区再開発基礎調査」なんてのが出てきて、B4版、ガリ版印刷の本編と手書き青焼きの資料編であった。これがわたしの初めての都市計画仕事であったかと、感慨深い。
当時の日本住宅公団からの委託研究だったが、その研究会のメンバーを見ると、石原舜介、服部千之、植田一豊、長峰晴夫、玉置伸俉など、だれも生きていないよ、う~む。
あ、いかん、読んでたら捨てられなくなるよ。
建築家の仕事ならば、建物の形でその場に残っているが(もちろん失敗もそのまま残る)、プランナーのやった仕事は、多くの場合はその場に行っても、それをやった当人しか仕事の形は分からない。
計画したことが建築となっているとしても、プランナーの名前が表に出ることは、ほとんどない。
手もとにある報告書やらパンフレットだけが、その仕事にわたしが携わった証拠品だが、そんなものを持ち続けてもしょうがないと思う歳になったことが、まさに「終活」の時期を迎えたことである。
ということで、第1次終活プロジェクト・作成報告書類廃棄をやったので、次は第2次の収集資料類廃棄にとりかかろう。
自分がつくった資料や報告書類はさっぱりと捨てても、あちこちから蒐集した関連資料の中には、けっこう高価なものや、貴重な古本的価値もありそうなものもあり、うまく捨てられるかなあ。
更に第3次は、スライド用にマウントした35mフィルムである。1970年代からのもので、何千枚あるだろうか。デジタル化もボチボチやってきたが面倒で進まない。これはセンチメンタルにならざる得ないだろうから、見ないでエイヤッと捨てるしかないだろうなあ。
第4次は、書棚全部の本の廃棄である。これまで何度も廃棄し、それでも何千冊だろうか、う~む。
終活初心者はまだまだ迷うのである。
迷う終活プロジェクトは面白い暇つぶしにはなるが、適当なところで終活の極意を会得したいものである。
終活免許皆伝になれば、自分自身をエイヤッと廃棄可能になるのだろうか。
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