2012/07/12

640横浜港景観事件(番外2)

横浜みなとみらい21新港地区における結婚式場計画について、これまであれこれと思い付きを9回も書いてきた。きりがよい10回目であるが、そのまえにまた番外を書く。
 建築家がいろいろ言っているらしいが、世の庶民がどういっているのか、どうも聞こえない。
 7月10日に日本建築家協会の主催でこれについてのシンポジウムがあると聞いたので、建築家の会の主催だからと期待しないで参加してきた。建築家、景観研究者、法学者の3人の出演であった。

 結論から言えば、いちばん聞きたいことを聞けなかった。
 それは、あの結婚式場のデザインはなぜ悪いのか、ということである。あれは悪いものだ、そういう前提での話ばかりであった。
 そもそもわたしのような庶民には、あれのどこの何が悪いのかを話してくれないと、議論そのものにはいれないのだ。

 どうも、都市美観審議会が悪いといったから悪いんだ、という感じである。それでは学識のある委員の偉い人の権威にたよるだけで、まったくもって説得力はない。
 では審議会では、説得力ある言い方でこれが悪いと審議されたかといえば、議事録を見る限りでは分りにくい。
 西洋物真似が悪いと言われも、どこが物まねで物まねのなにが悪いのか。テーマパークみたいで悪いといわれても、そばの遊園地はどうしてよいのか、庶民はテーマパーク大好きである。
 せめて、あのデザインは下手クソだから悪い、といってくれると庶民にもちょっとは分りやすいのに。

 建築家協会の主催なら、審議会委員の建築家と結婚式場の設計をする清水建設の建築家を議論に入れるべきであった。
 当事者の話を聞かずにそれを非難しても、庶民には不可解でなんのことやらである。

 大衆があのポピュリズムデザインを欲しているからこそ、事業者がそれを供給し、そのデザインをする建築家がいるのである。
 それに建築家が反対の陣を敷くなら、なぜ紅葉坂にあるアレ、みなとみらい21高島地区にあるアレ、馬車道駅そばにあるアレとかについて、反対の論陣をはらないのか。 
 いつもながら建築家の言うことは高踏的で分りにくい。法学者の言うことのほうがよくわかったのが、おかしい。
●横浜港景観事件(1)~(9)はこちら

2012/07/06

639趣味の卓上出版「まちもり叢書」に書評が登場

谷口碩氏は、わたしと同年代・同業の都市計画家である。
 この春、東京から神戸に居を移されるとて、餞別として無理やり「まちもり叢書」(わたしの趣味の卓上出版)の内の3冊をわたした。
 そして神戸からの都市通信を待っていたら、病気になって入院という知らせに驚いたが、もっと驚いたのは入院中にわたしの3冊を読んで書評までくださったことである。

 この趣味を2010年の半ば頃から始めて、いまでは14冊になった。続刊も進行中である。
 これまで多くの人に無理やり渡してきたが、こうやってきちんと書評してくださったのは、これが最初である。
 おおいに感謝してここに掲載を許してもらった。

●谷口碩氏書評全文→「街なかで暮らす」「文化の風景」「風景批評の旅」
http://homepage2.nifty.com/datey/matimori-sosyo.htm#syohyo

●「まちもり叢書」:趣味の自著卓上自作出版の一覧
http://homepage2.nifty.com/datey/matimori-sosyo.htm

―――既刊(2012.05時点)――
・父の十五年戦争/神主通信兵の手記を読み解く
http://sites.google.com/site/dateyg/15senso
・横浜B級観光ガイドブック・関外/戦後復興の残照
http://sites.google.com/site/matimorig2x/yokohama-bkyuu-kankou-gaidobukku
・あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている
http://sites.google.com/site/matimorig2x/tokeisin
・波羅波乱歳時記/日々の小言僻言繰言寝言
http://sites.google.com/site/dateyg/haratachi-saijiki100412
・街なかで暮らす/あぶないマンション・いらないバイパス
・丸の内貼り混ぜ屏風/見世物としての建築
・かまくら冬夏/鎌倉元住人が内と外から描く古都の風景
・建築家 山口文象の世界/作品と評伝
・文化としての緑の環境/人口の緑しかない日本の自然
・ネパール風土逍遥/カトマンヅ・ポカラ・ルンビニ
http://sites.google.com/site/matimorig2x/nepal2011
・文化の風景/都市の伝統と鄙の民俗の風景を伝える
・風景批評の旅/斜めから裏から眺める風景
・美しい故郷に/高梁盆地の昨日と今日そして明日へ
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/utukusiikokyo
・福島原発を世界遺産に/地震津波原発おろおろ日記

―――続刊(見込み)―――
・東京駅復興/20世紀の歴史を消した21世紀の復原
・中越山村の四季/棚田の米つくりから見てくること
・山口文象/時代の先端を駆け抜けた建築家
・高梁川/鎮守の森から
・都市の文化景観
・中越山村の四季

2012/07/05

638日本一安全な故郷で生家の大木が切り倒されて老人ホームで第2のお勤めをしている

昨日のこと、故郷にいる同級の友からのメールに、こう書いてある。
「先日、高梁初の有料老人ホーム「さくらの苑」が開所されました。今朝の新聞に記事が載っていて、『各階の大黒柱には御前神社の境内で伐採したメタセコイアを使っている・・・』とありました。」

 わたしの故郷は高梁盆地、そこの御前神社が生家である。鎮守の森にはたくさんの大木がある。大木になりすぎて危険になって切り倒されることもある。
 そんなことをこのブログにも書いた。
 一昨年3月の「大銀杏の死」では、わたしの少年のときに切り倒されたイチョウの木のことを書いた。http://datey.blogspot.com/2010/03/250.html
 昨年10月の「ふるさとの鎮守の森」では、最近に切り倒されたメタセコイヤについて書いた。http://datey.blogspot.jp/2011/10/510.html

 そう、このメタセコイヤのことに違いない。

 「ふるさとの鎮守の森」から一部を引用する。
 高校生だった1955年の夏、少し遠くに住む同級の友人が遊びにきた。
 持ってきたてメタセコイヤの苗木を、境内の石垣の小段に植えた。すくすくと育って30mくらいの大木になっていた。
 青春の記念樹であったが、これも伐られて大きな切り株だけになっていた。大木が風でゆすられて、石垣が危うくなったのだろう。

 そのことを友への返事に書いたら、さっそくそのホームに伝えてくれて、そこからメールが来た。
「『さくらの苑』は、樋口満理事長により開所しました老人ホームで、このたび、御前神社のメタセコイヤをいただき、老人ホーム玄関に設置いたしましたので、別添のとおり写真を送らせていただきます。」

 そうであるか、わが青春のあの記念樹は、わたしが生家を去ってから育ったが、わたしよりも先に真新しい老人ホームに入り、ホールの真ん中にでんと構えて第2のお勤めをしている。うらやましいヤツである。
 そのように生かしてくださった樋口満理事長に、心からお礼を申し上げる。
   ◆◆◆◆
 実は故郷の友からのメタセコイヤメールのきっかけは、わたしが高梁関係の知人たちに送った「高梁は日本一安全な街であるらしい」というこんなメールであった。要約する。

 地震、津波、原発事故、その上に消費税も上がるとて、うっとうしい梅雨ですが、ちょっと故郷のよいところを新発見しました。
 まずこれを見てください。高梁のあたりは地震がないのです。
 日本全国広域 最新30日間の震央分布図 (独立行政法人防災科学技術研究所)
http://www.hinet.bosai.go.jp/hypomap/

 そして今の一番怖い四国沖での南海大地震が起きても、何とか大丈夫のようです。
 中央防災会議資料
http://www.jjjnet.com/image/shindo_nankai.gif

 上の地図だと島根県あたりのほうが安全に見えますが、そこには島根原発があります。島根原発は高梁に一番近い原発ですがそれでもかなり遠い。下記のサイトで島根原発のところの図を見てください。
 全国の原子力発電所の周辺人口(2005年)埼玉大学谷謙二研究室
http://ktgis.net/tohoku_data/genpatsu/

 南海やら東海やら大地震が起きてもなんとかなるだろうし、津波が起きても瀬戸内海から高梁川をさかのぼるには遠すぎるし、島根原発が放射能出してもここまでは来ないだろう、富士山が爆発するらしいけど高梁まで灰が降ってくることはなかろう。
 というわけで、故郷はよいところと分ってはいたけど、こういう意味でよいところと今頃になって知りました。
 これを日本全国に宣伝すると人口が増えるでしょうね。でも相対的によその町を危険と言うのが、ちょっとつらい。

●参照→ふるさと高梁の風景
https://sites.google.com/site/machimorig0/#chusikoku

637長く飼っているとPCも持ち主に似てきてノロノロに

10日ほど前からPC(XP)がノロノロになった。こいつも飼い主に似たか。
 もう買ってから10年、4年目ぐらいに故障したのでハードディスク交換したが、もうだめかなあ。

 本やネットで調べて、薬を飲ませたり、宥めたり、外付けHDにゲロ吐かせたりしても治らない。
 夜寝てるうちに治ってるかもしれないと、明日の朝になってオンしても、やっぱり治っていない。風邪引きとは違うのか。
 中身をまっさらにしてしまうって大手術もあるらしいが、怖くてできない。

 たいして高等な作業をするのではないが、重いソフトやファイルが動きにくい。WEBサーフィンもノロノロノロノロ。
 印刷も超ノロノロで、「まちもり叢書」を発行できない。
 歳とって衰え行く自分を見るようで、まったくもって腹が立つ。

 健康によくないから、中古PCでも買ってくるかなあ、この際WIN7新品を買うか、それとも思い切って最初にPC買ったときに戻ってMACにするか。
 買ってくるとあれこれと設定が面倒だよなあ、まあ、ボケ防止にいいか、とも思う。
 なんにしても11日締め切り原稿までは、だましだまし働かせるしかないなあ。

2012/07/03

636新潟のお屋敷町で擬洋風建築に出くわした

5月末、新潟市内をぶらぶら、古町のほかはまったく不案内なので、適当に歩いていたら、西大畑町というあたりで面白い建築に出会った。
 このあたりは昔はお屋敷町であったらしく、お偉い官吏の官舎跡とか大地主の別宅とか公開している家がいくつかあり、大きな料亭もある。
 それらには特に興味はわかず、なんとなくあたりをぶらぶら歩いていたら、不思議な4つの建築に出会った。
 まずその位置を航空写真でどうぞ。

 航空写真の①マークのところには、なんだかフランク・ロイド・ライト設計住宅の亜流のような家が建っている。

 同じく②のところには、ピンク色の木造で、どうやらキリスト教会の付属幼稚園舎らしい。かなり古そうだ。

 同じ敷地の中に③の、これはまあびっくりするほど立派なキリスト教の教会建築である。木造でつくってある。なかなか本格的である。

 そこからまたぶらぶらしていたら、真っ赤に光る建物④にでくわした。上のほうに「金井写真館本店」と書いてある。
 今は事務所のようだったが昔は写真館だったのだろう。それにしても擬洋風木造建築の典型のようである。真っ赤に塗ってあるのは、昔からそうなのだろうか。

 これらは道ばたに案内もないから、なんだかよく分らないままに道から面白く眺めてきたのだった。
 後でウェブ検索したら①と②のほかは出てきたから、ここには解説しない。②は教会の付属だろうが、①が気にかかる。
 それにしても、まったく不案内なところをうろうろしていて、こんなのに出会うとは、わたしの街歩き術もどうやら極意に達したようだ。

2012/07/01

635再録「20世紀末の気まぐれコラム」を再読して未だに問題はそのままと思う

「週刊まちづくり」というメールマガジンがある。各地のまちづくり活動のお知らせ、まちづくり関係書籍紹介、まちづくり関連コラムなどが載っている。http://w-machi.net/
 2人の若者が1999年4月に創刊して、毎週配信しているが、近頃は月に1回か2回になっている。情報が少なくなったとは思えないから、当初は学生だったのがいまは社会人となて、まちづくり活動に忙しくて、さすがに息が切れているのか。
 それとも始めたころと比べると飛躍的に多様になった電子情報システムによって、まちづくり情報がそれぞれの発信源から直接に届くのが当たり前になってきて、毎週発信の意味が薄れたのか。
 でも、いまや13年半、500号、1100人を越える発信先となっていて、まさに「継続は力なり」と思わせる。新たな展開を期待している。
 わたしはその初めのころの99年6月から2001年7月まで断続的に、「気まぐれコラム」と称して、あれこれゴタクを載せてもらっていた。
 思いついて、それらを一連のコラムとして、ここに収録した。読み返してみて、20世紀末あたりの時代の空気が現れていて面白い。あれから12年たってもそのときの問題は顕著になるばかりで、解決はしていない。
  ●以下全文は「20世紀末の気まぐれコラム」
https://sites.google.com/site/dandysworldg/k-column

2012/06/24

634横浜港景観事件(番外編)神戸の港でもコスプレ建築の結婚式場が

神戸の港あたりも、横浜と同じく結婚式場戦争らしい。
 最近、神戸に居を移した知人から、こんな妙な形の結婚式場が、神戸港の水際で工事中だよと、教えてくれた。
http://notredame-kobe.com/

 これが神戸でどういう評判なのかは、その友人もわたしも知らないが、ちょっとネットで検索したら、こんなサイトがあった。
http://koberun.blog56.fc2.com/blog-entry-185.html
 この結婚式場の格好について、こう書いてある。

 この建物のデザインですが、個人的にどうしてもアニメ「機動戦士ガンダム」に登場するモビルアーマー「ビグザム」とZガンダムに出てくる同じくモビルアーマーの「サイコガンダム(変形する前)」に見えてしまいます(歳がばれてしまいますね・・・)。

 ふ~ん、わたしにはもちろんそのカタカナがなんだか分らないので、またしても貧者の百科事典ウェブサイト検索してみた。
 あ、そう、アニメなのね、へえ~。
 ということは、この結婚式場もまたコスプレ建築なのである。

 さて、神戸の建築家はどう思っているんだろうか?
 そして、横浜の建築家はどう思いますか、これを?

参照 横浜港景観事件(9)http://datey.blogspot.jp/2012/06/633.html
   横浜港景観事件(1)http://datey.blogspot.jp/2012/05/620.html

2012/06/23

633横浜港景観事件(9)横浜新港登場「新擬洋風」建築は閉塞時代を拓くランドマークとなるか

横浜ご近所探検隊(隊員兼隊長1名)は、みなとみらい地区あたりへもちょくちょく徘徊に行く。5,6年前から、西洋お嬢様か、漫画の中から抜け出たような、奇妙な服装の若者が目に付くようになった。
近頃はいつも臨港パークあたりでは、そこここに仮装グループがいて、写真の撮りっこをしている。仮装行列でもなくて、ピクニック気分のようだ。

はは~ん、これが評判のコスプレってやつかと気がついて、じろじろと見て回る。
どうもアニメとか漫画とかの登場人物の真似らしいが、それぞれが勝手なものに扮してばらばらと歩き回っている。
知ってるものが見れば、それぞれがなに扮しているか分るだろうが、知らないこちらには、大勢がひとつのコンセプトにはないので、仮装行列からの流れ解散みたいに見える。

そうだよなあ、いまはなんでも参加の時代らしい。受身ではないのだ。
演奏会だって静かに聴くのじゃなくてポップ系コンサートでは客も立ってゆらゆらひらひらわーわー、レコード(CDか)だって聞くだけじゃなくてカラオケで歌うんだから、漫画だってアニメだって見るだけじゃなくてコスプレで参加するってことだろう。
先日、住宅展示場にいったら、コスプレ住宅さえあって驚いたものだ。

そうだ、結婚式こそ元祖コスプレだ、って思いついたら、新港地区に登場しようとしている例の結婚式場、あれはコスプレ建築なんだよなあ。
結婚式というコスプレイベントの会場としての建物は、当然のことながらコスプレ意匠をまとうのであろう。
ネットでコスプレの会を行う会場を見たら、横浜ではパシフィコでやっているとあるから臨港パークに出てくるのだろう。赤レンガの開港記念館でもやっているし、新港の赤レンガ倉庫でもやっている。どうもレトロな雰囲気が仮装撮影に気持ちがよいらしい。

やはりネットで結婚式場を検索すると、出てくる写真がどれもこれもコスプレ大会である。人物もそうだが、背景の建物やら庭園がどう見てもシンデレラの夢の中で、こちらもコスプレである。。
ならば、こういう結婚式場でコスプレ大会をやれば、建物だってコスプレしているのだから、これこそお似合いだろう。でも、会場費が高すぎで若い子たちには無理かなあ。

さて、いまコスプレ建築と書いた。これって悪意を持って書いているのではないので、ネンノタメ。
これから見世物建築とか、ハリボテ建築とかって用語も使うつもりだけど、同様に悪意はないので、ネンノタメ。もしかしたら褒め言葉かもしれない。

結婚式という儀式そのものが私的な集団の内側の儀式である。だからそのデザインはその私的な集団の意識を徹底して刺激する、ただそれだけを目的にしたデザインでしかない。だから張りぼてになってしまうのである
これは建築家の山本理顕さんが「景観の私物化」と題して、日刊建設工業新聞6月15日版に書いたコラムの一節である。
原因が私的な施設だから、結果が張りぼて建築になる、という因果関係は、間になにか説明を入れていただかないと、わたしには分らない。
でもとにかく、専門家が見て「張りぼて」なのだそうである。

張りぼてとは、なんだろうか。辞書を引くと、張り子とおなじで「木型に紙を重ね貼り、乾いてから型を抜き取って作ったもの」だそうだ。小さなものは縁起物のダルマ、大きなものは青森県のねぷた(ねぶた)である。
江戸時代は籠細工で巨大な仏像とか歴史上の人物像を作って、見世物にして大流行したこともあったそうだ。
それが転じて見かけだけで中身がない「見掛け倒し」という意味を持つようになった。

さて、建築の張りぼて、つまり見掛け倒しとは、どういうことだろうか。まさか竹籠細工に紙張りお絵かき御殿ではあるまい。
ここでこの結婚式場が問題になっているのは、その景観つまり外から見える姿なのである。専門家は見るだけで張りぼてと分るのだろうか。
鉄の骨組の上に石を貼ると、張りぼてか、そうするとそこらにある建物全部張りぼてだな、ということは、いまや張りぼては悪い意味ではないのであろう。

逆に、張りぼてでない建築はなにか、エジプトの王様のピラミッドだろう。石やレンガだけを積み上げて造るヨーロッパやアラブの中世教会もそうだろうか。日本の古典的木造建築もそうかもしれない。
現代建築はどうだろう、鉄やコンクリートの上に、になやかやと貼り付けているのが普通だから、どれもこれも張りぼて建築だろうか。
金がなくて内装も外装もしないコンクリート打ちはなしのままの家が、もしかしたら張りぼてでない建築か(うん、青山にあるな)。
三菱一号館美術館が純粋なレンガ造として最近建ったが、これは昔の建物のコピーだから、正確には現代建築ではない。
そうなると現代では張りぼて建築のほうが当たり前だろう。あ、公園や橋の下のダンボールのおうちは、意外に張りぼてじゃないかもね。

もしかして、この結婚式場建築は、あの中世西洋建築のように、本物の石やレンガを積みあげ、アーチやボールトを作り、鋳物の金物を作り、アルミサッシなんか使わないでつくるつもりかもしれないぞ。
え、これでも張りぼてか、って、事業者は怒ってるかもしれませんよ。
うん、たぶんそうに違いない、だって、これから続く永遠の誓いの幸せな時間を、フェイクの空間で過ごさせるようなことは、しませんよ、ね?
では、見掛け倒し建築の意味は、外見と中身が違うってことなのかしら。
ならば、結婚式場にはなにか決まった様式があるのだろうか。それはもう西欧キリスト教会こそがその様式だと、事業者は思い込んでいるようだが、建築家はそうは思わないのだろうか。

この結婚式場だって、それを設計する建築家がいるはずである。
横浜市都市美対策審議会景観審査部会議事録(2012年1月10日)の出席者名簿に、事業者の役員とともに小野公義(清水建設(株)設計本部グループ長)の名があるので、この人が当の建築家であろう。

おお、清水建設か、横浜開国時代にここで一発大儲けしようと内外からやってきた有象無象のなかに、清水喜助(2代目)とブリジェンス(アメリカ人)がいた。この二人は組んで土木建築工事で大活躍して大儲けした勝ち組である。
この清水喜助が、いまの清水建設の近代への礎を築いた人である。この結婚式場の設計者は横浜に深い縁がある人の流れを汲んでいるのだ。

そうか、清水喜助、横浜開港時代、ブリジェンス、そして彼らの作った建築のイギリス仮公使館、横浜町会所(横浜開港記念館の前身)、築地ホテル館、国立第一銀行へと連想が飛んでいく。どれも開国時代の日本の、あまりにも有名な建築である。


これらの奇抜な姿は、錦絵に描かれて横浜や東京の名所みやげであった。横浜町会所の時計塔は、さしづめ横浜スカイツリーであった。
そして驚くことに、これらはみな木造建築であったのだ。鉄骨ならぬ木骨瓦張り、木骨石造という、これぞまさに「張りぼて」建築であり、その和洋混交シッチャカメッチャカに見える格好はコスプレ建築である。

このコスプレ建築こそが、日本の夜明け時代を象徴するランドマークとして世に大きく迎えられていたのであった。そしてそのころ、あの鹿鳴館では、本当にコスプレ宰相とコスプレ芸者たちが、外国人たちと踊っていた。
そういう時代を拓いた一人が清水喜助であることを思うと、いま、横浜港にコスプレ建物が登場することは、なにか因縁があるだろう、、、え、何の関係もない?、そんなことないでしょ、だって清水建設設計だよ。

まあ、よろしい、開国時代の張りぼてコスプレ建築のことを、建築史の専門家は擬洋風建築といっている。
それは決してゲテモノ建築ではなく、ひとつの時代が終わって次に時代へとうつるときに、日本の技術者技能者たちが西欧型建築家へのステップを刻んでいた懸命の努力の賜物であり、だからこそ時代のランドマークたりえたのであった。

さて、清水喜助の衣鉢を継ぐ建築家のデザインする、横浜新港新登場「新擬洋風」建築は、いまの閉塞する時代を拓くランドマークとなるであろうか。
他の建築家から批判があるのだから、当事者の建築家として堂々と言葉とデザインで応えてほしい、ガンバレ。
(せっかくだからきりのよい10回目まで続けようかなあ)

●参照⇒横浜港景観事件(10)

2012/06/20

632横浜港景観事件(8)赤レンガ建築群が建ち並ぶ出島だったと思っていたら実は

赤レンガの建物は全国でいくつあるか知らないが、関東地方にあったもののほとんどは、1923年の関東大震災で姿を消した。  以後、日本全国でレンガ造で構造物を建てることはなくなった。
 だからこそ、現代日本でも生き残っているレンガ造の建物や土木構築物が珍しがられて、観光資源になる。
 最近、現代レンガ造建築を新築してしまった「三菱一号館美術館」なんてのもできた。東京駅も3階部分などの格好をコピー再現した。
 免震構造の発明によってレンガ造も息を吹き返す感もある。

 さて、横浜の赤レンガ造建築である。この連続“イチャモン”シリーズでとりあげているのは、横浜みなとみらい21の新港地区に計画中の結婚式場建築である
 デザインがナットラン、顔を洗って出直してこいって、横浜市美観審議会からお叱りを受けても、なんとかの顔になんとかで洗わないままに、ナットランデザインが進行中らしい。
 生真面目なアーキテクトやプランナーが怒りくるっている(らしい)。
 彼らが出した、横浜市は何とかせい、という市議会への請願は不採択となった。
 専門家はあれこれ言うが、市民を代表する議員がこうだとすると、一般市民はどう思っているんだろうか。

 審議会がなにをナットランと言ってるか、かいつまんで言えば、横浜市としてはこの島にある歴史的建築の赤レンガ倉庫をモチーフにしたモダンデザインによる風景を誘導してつくろうとしているのに、事業者が提案してきた結婚式場は、昔風西洋物真似寄せ集めハリボテへたくそデザインである、と。
 
 へたくそかどうかはさておいて、では、この新港地区という島は、かつては赤レンガ建築、赤レンガ防波堤、赤レンガ埠頭で埋め尽くされていたのだろうか、という疑問がとりあえずわいてきた。
 新港ができたのは19世紀末から20世紀初頭にかけてだから、当時の現代建築最先端技術である赤レンガがたくさん使われていたのだろうなあ、今ある2棟の赤レンガはほんの一部だろうなあ。
 そう思って、新港を造った大蔵大臣官房臨時建築課がだした「横浜税関新港施設概要」(1915年)と「横浜税関新設備写真帖」(1917年)なる本を見た。

 それによると、レンガ造建築は、3階建て倉庫が1号と2号の2棟(現存する赤レンガ倉庫)、3階建て事務所が2棟、発電所が1棟であり、そのほかは鉄骨あるいは木造の上屋が14棟であった。
 新港地区の創建時の建物をご覧あれ。



あれ、そうなのか、赤れんが建築で埋め尽くされていると思ったのは間違いだった。全部で19棟のうち、赤レンガはこの図の赤く塗ってある5棟だけだった(黄が木造、青が鉄造)。

 そして1923年に横浜をめちゃくちゃにした関東大震災で、新港も壊滅した。
現在見る赤レンガ倉庫2棟(正確には1棟半)だけが、倒壊、火災をかろうじて逃れて修復されて今に至っているのだった。
 震災から復興した後の新港地区の絵葉書をご覧あれ。

 と言うわけで、この新港地区は歴史的に赤レンガによる風景だった、というわけではない。
 赤レンガイメージが優先したのは、いつごろからなのだろうか。もしかして現存2棟を保全再生することになってから作り出されたイメージだろうか。
 それは大震災を生き残った記念物として、おおいに意義のある存在であることは確かだから、新港地区のリーディングイメージに祭り上げるのは的を射ていると思う。

 わたしは30歳からいままでの通算20年間を横浜市民であるが(勘定が合わないのは間の25年が鎌倉市民だったから)、港のイメージは実に薄い。
 仕事でちょくちょく行った県庁舎の食堂から見えるでかくて薄汚い屋根の倉庫群、ギャング映画でピストル持って追いかけっこする背景の汚れたレンガ倉庫とか貨物船の危険な荷役現場で争う荒くれ人足たち、ニュース映画の華やかな外国航路出航の賑い風景。
 わたしの横浜港イメージはこれくらいのもので、万国橋の向こうは近寄りがたい異界の出島であった。これは庶民の一般的な港イメージであったろう。
 だから赤レンガは違うよ、と、わたしは言っているのではない。横浜の新たな地域ブランド売り出し戦略として、見事に成功していることを賞賛しているのである。

 赤レンガ倉庫群ならば、舞鶴の方がよほど立派である。函館にもある。
 横浜赤レンガ倉庫は、かの日本近代化時代の大建築家の妻木頼黄の設計であるからすばらしいと、妙にマニアックなことをいわないと価値が分らないのが、なんだかおかしい。
 妻木頼黄なんて、建築マニアのほかに誰が知ってますか。
 わたしは思うのだが、あの県立博物館や日本橋をデザインした妻木が、このたかが倉庫のデザインをしたわけがあるまい。下っ端に任せたに決まっている。
 彼の設計による赤レンガ建築で有名なものに、カブトビール工場(知多半田市)と旧門司港税関庁舎があるが、これらと比べれても分るだろう。ましてや県立博物館と比べると、だれでも一目瞭然である。
 
 それでも赤レンガ倉庫に頼るしかないのが、横浜なのである。つねに新しいものを開いていった歴史、それが横浜なのだから。
 幸いにしてモダニズムの洗礼を受けた日本の建築は、あの倉庫のデザインの直截さに美を見出したのであった。あの横浜唯一の赤レンガ重要文化財・開港記念館の、ごてごてした様式コラージュよりも、まあ、美しい、と言える。

 ということで、もしもこの結婚式場屋さんが、先生方の仰せのとおりに横浜の赤レンガの歴史を踏まえましたといって、開港記念館そっくり建築を提案してきたら、はたして審議会はどういうだろうか。
 これまでの先生方の論の根底から言えばNOであろうが、これって一般には分りづらいだろうなあ。

 横浜の関内地区には、関東大震災で消えた華麗なるレンガ造建築が山ほどあった(横浜税関、横浜郵便局、ロイヤルホテル、横浜中央電話局、ドッドウェル協会など)。その種本を教えると「横浜・開港の舞台 関内街並絵図」。
 どうです、そのいくつかをコピー再現して並べて、新たな邸宅型結婚式場のビジネスモデルにするってのは、、。
 東京に最近現れたふたつの赤レンガ建築(東京駅三菱一号館美術館)の向こうを張って、港の歴史を伝える横浜の再興はこれだ!、、ああ、やっぱりラブホと間違えられるかなあ?!
まだつづくなあ、次はハリボテ建築論でもやろうかなあ)

2012/06/17

631わたしも日本に出稼ぎに行きたくなったあの人の豪邸

殺人事件犯人として服役していたあるネパール人が、新証拠で無実かも知れないと分って、それはよかったが、ここからがわたしにはなんだかわからないが、釈放されて、故国に戻って大歓迎というニュースでもちきり。

 わたしが驚いたのは、そのネパール人が帰宅したカトマンズの自宅が豪邸であることだ。
 今朝の新聞を見ると、ギリシャ建築オーダーつき柱の立つ3階建ての家のバルコニーから、凱旋したその人が手を振っている写真が載っている。
http://goo.gl/ke1vo
 
 それで思い出したことがある。
 昨年、ネパールに遊びに行ってあちこち見てきたが、新開地の住宅地にいろいろな家が建っている。
 その多くは1~2階建てで、細いコンクリ柱の間にレンガを積んだものだが、なかにまさに今朝の新聞のような豪邸がボツボツと建っている。

 そのあれこれ洋風デザインのディテール引用が、いかにも成り上がり的なのが気になってガイド氏に聞いた。
 彼が言うには、それら豪邸はイギリスの傭兵として働いてきたゴルカ兵が、引退帰国して建てたもので、かれらの給与や年金が故国とは大違いにハイレベルだからそうだ。

 こちらはポカラの街の郊外にある山岳博物館の敷地から外を撮った。
 金網は博物館の囲いだが、外に見える新住宅地の手前は低カースト階級の家で、その向こうに新築の家が建ちつつある。

 その住宅地の中で撮った豪邸。

 そこで今回の豪邸である。
 そうなのか、日本への出稼ぎもこんなに立派な家を建てさせるほどの高収入になるのか。
 わたしの住む家は、あのマイナリとかいうひとの豪邸の何分の一かの大きさである。
 なんだか、ネパールに遊びに行ったのがはずかしくなった。
 わたしも日本に出稼ぎに行きたい。