検索キーワード「寿町」に一致する投稿を日付順に表示しています。 関連性の高い順 すべての投稿を表示
検索キーワード「寿町」に一致する投稿を日付順に表示しています。 関連性の高い順 すべての投稿を表示

2025/01/31

1866【横浜徘徊】内外観光客で賑わう春節中華街の隣には寒空の公園での炊き出しに行列する貧困風景

  今年になって初めて久しぶ横浜都心徘徊、いつものコースの半分しか歩けなかった。それだけ足が弱ってきたということだ。街を歩くのを大好きだが歳が歳だから仕方ない、と、思うことにする。なんでも不都合なことは齢のせいにすればよいのだ。便利なものだ。

 今はチャイナ当たりでは春節という旧正月であり、横浜もチャイナタウンの中華街あたりは春節を祝う雰囲気で、内外からの観光客も多く、にぎわっている。
 その一方で、そこから100mほど離れた線路を隔てた南には、貧困者が密度高く多く住み着くドヤ街の寿町地区がある。その中央にある寿公園で炊き出しがあり、大勢の人たちが行列を作って今日の昼飯の配給を待っていた。中華街の人出とは全く対照的な風景である。

 寿町で毎年恒例の正月の炊き出しに出くわした。寿町地区の中央にある小さな寿町公園から長い行列が出てきて、街区を取り巻いていて、ざっと見たところ300人くらいいる。弁当か雑炊か知らないが、今日の炊き出しを待つ人々である。毎年のことであるが、その人数が減ることが無いのは、やはり世の中は不況なのである。

寿公園に並ぶ炊き出しを待つ人々の行列は300人くらいか

 この20年ほどの間、この街に時々徘徊に来て観察しているのだ。街は徐々に変化している。かつての港湾労働者の街で活気ががあり、汚かった。今はきれいにあったが、貧困高齢者たちが小さな安宿に身を寄せあって暮らす街になって、活気は全くなくなった。

 街の風景は大都市のビル街であるが、それらのほとんどはドヤと呼ばれる簡易宿所である。一泊1700円が相場で、多くの宿泊人が実は住宅として使っている。格好つけて言えばホテル住まいであるが、一室は5~8㎡、便所やシャワー室は共同である。1700円という金額は、生活保護費の算定による金額であり、市場価格とは異なるようだ。

 そんな部屋が5階建てや10階建てのビルに積み重なっているから、人口密度はかなり高く、たぶん1000人/haくらいだ。高齢者がほとんどだから介護を必要とする人の比率も高いに違いない。この10年ほどでそれらのビルの1階には、福祉看護関係事業者が軒を並べるようになった。

 古いドヤビルは建て替えが進む。それらは近代的な高層ドヤビルに建て替わるものが多い。4階建てドヤが12階建てドヤになったとしても、ドヤという営業形態に変わりはないから、ますます高密度になってくるのだ。

5階建てドヤビルが8階建て建て替わった

 ところが最近のドヤ建て替えは、徐々に傾向が変わりつつある気配が見えてきた。ドヤビルから建て替えると、共同住宅になる事例がちらほら出てきた。街の中央の寿公園斜め前の街区が工事に入ったと思って見ていたら、出現したのはどうやら賃貸借型共同住宅であるらしいのだ。

 寿町の最も寿町らしいあたりから典型的なビジネスモデル簡宿所が変わろうとしているのは興味深い。この立地に入居するのはどのような人であろうか。地区に無関係な生活をする若い人たちあろうか。この新ビルから寿町公園の炊き出し風景を眺め下すことができる。

寿公園の隣にドヤビルが建て替わって出現した賃貸借型共同住宅ビル

 それらしい建て替えはここだけはなく、寿町地区内とその周囲にいくつか発生しつつある。

5階建てドヤビルを10階建て賃貸借型共同住宅に建て替えた事例


寿町フリンジの長者町通りで戦後復興防火建築帯の4階建て店舗付き共同住宅を
賃貸借型共同住宅に建て替えた事例

寿町地区内でドヤビルを共同住宅に建て替えた事例

寿町地区内でかつての「下駄ばき公団住宅」を一般分譲住宅に建て替えた事例

 長らく空き地であったところが最近工事を始めた。その「建築工事のお知らせ」掲示板を見れば、「ホテル・旅館」と書いてある。実はドヤもホテルと称して営業しているところがあるがそれらは法的には簡易宿所と言わねばならない。工事の掲示は法的な定めの表示だから、ドヤすなわち「簡易宿所」ではなくて、必要な規模と設備を備えた「ホテル・旅館」であるらしい。

新しく建つホテル旅館の周りはドヤビルばかり

 それではドヤが減少しているのだろうか。既存ドヤビルが賃貸借型の高層共同住宅ビル、あるいはホテル旅館、あるいは一般分譲型共同住宅等に建て替えられるとドヤが減るが、その一方で建て替えでは高層化すれば室数が増えるはずだからドヤは増加するだろう。

 ということは、さしひきドヤは減っていはいないのかもしれない。増えてもいないのかもしれない。ということはドヤ需要は増えてはいないということだろうか。
 しかし、あの炊き出しに並ぶ大勢の人々の行列を毎年の正月に見ると、この世にドヤ需要階層が減っているとは思えないが、どうなのだろうか。じわじわと街が変わるのを定点観測するのは面白い。日本流のゼントリフィケイションというものがあるのだろうか。
空から見る寿町地区 見えるビルのほとんどが簡易宿所(ドヤビル)

 寿町地区のそんな風景を眺めてから、そこから100mほど隣と言ってよいほど近くにある横浜の観光名所「横浜中華街」に移って徘徊しようと、電車線路高架下通路を通り抜けようとしたら、ここにたくさんの財産を段ボールに抱えた自由人が独り住んでいるのに出会った。たぶん、一泊1700円を払えぬのであろう。先ほどの炊き出し行列に並んでいないとは、自由人となって間がないお方で炊き出し情報を知らないだろうか。教えてあげるべきだったかしら。

 さてチャイナタウンへ来てみれば、寿町と大違いの賑わいであり、派手な街である。外国からも日本中からも若い人も年寄りもやってきている。寿町とは大違いの街である。観光客が寿町を訪れることはあるまい。

内外の観光客たちで大賑わいの春節の横浜中華街

 またその隣には「元町商店街」という高級さを売り物する街があり、ここの賑わいは中華街とはまったく別種のものであるのが面白い。横浜の都心部は、「横浜港」あたりの観光名所、そして「伊勢佐木モール」あたりの中心商店街、あるいは「野毛飲み屋街」、あるいは「横浜橋商店街」という下町市場そのものの庶民的な賑わい、これらピンからキリまでの都市を一つの盆地状の狭い土地の中に収めて共存しているところが実に面白い。

 ここに住まうようになって23年、これらの街を歩いて一巡すると10キロくらいになる。それが日常の身近の楽しみだったが、今では足が弱ってもう半分も歩けなくなった。歩き残した町は次の日に歩いたり、バスを使うのだ。歳とっての街歩きは健康維持のためでもあるが、実は都市計画を専門としていたわたしには、脳力維持のオベンキョウであるのだ。

(20250131記)

このブログの寿町に関する瓢論記事はこちらをクリック

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2024/04/04

1808【三島・湧水の街と観光と】富士の白雪が解けて流れて湧き出る街に生活と湧水の景観を見に

●ノーエ節の街へ

♩富士の白雪ゃノーエ~、富士の白雪ゃノーエ~、富士のサイサイ、白雪ゃ朝日でとける~、ソリャとけて流れてノーエ~、とけて流れてノーエ~、とけてサイサイ、流れて三島にそそぐ♩

 これは民謡の「三島ノーエ節」の出だしであり、幕末の野毛節の元歌であるらしい。この続きに三島女郎衆が出てくるのだが、まあ、鉄砲が出てくる野毛節よりは平和でよろしい。
 コロナ明けの春の初旅は、駿河の三島に行ってきた。あいにくの天候で富士は見えなかったが、その白雪が解けて地中を流れ下って湧き出す水の流れる街を見てきた。

●源兵衛川を歩く

 源兵衛川がその代表的景観であるらしい。そして観光の目玉であるらしい。わたしは観光的な場所には興味はないが、いくつかの生活と川のとりあい景観をのせる。

源兵衛川はの駅前の楽寿園の湧水を水源とする自然景観の流れ
川の中の遊歩道へ導入部 幽谷景観だが背景に高層建築があるように実は街の中


源兵衛川の修景された景観 暮らしと水の接点の井戸手押しポンプ

生活と水と接する仕掛けの橋、階段、石垣、かつての洗濯場等の修景的景観

源兵衛川下流部の水と生活とが背を向けあう原風景的景観 
無理矢理に通す
水路内を観光遊歩道が川を汚す行為を防ぐか

●蓮沼川を歩く

 三島の街の中には湧水の流れがいくつかあるので、少し見てきた。蓮沼川はいかにも街中の川らしい表情である。かつては家々に水を引き込んでいたかもしれない。あるいは家々の前に洗濯場があったかもしれないと、偲ばせる。観光の景観ではない。
生活景としての蓮沼川 源兵衛川と同水源で並行する流れだが全く異なる景観


蓮沼川には私設の橋が多く架かる 金沢の鞍月用水を思い出させる
 
蓮沼川の堰

●御殿川を歩く
 
 さらに、源兵衛川とは湧水源を異にする御殿川の上流部も見てきた。まさに街の中を流れる川で、生活景観の川であるようだ。

御殿川の水流、このビルは湧水の流れに囲まれる

白滝公園の御殿川の中の建物

御殿川と街並み景観 このありふれた修景が好もしい

●水の街の都市再開発

 もう一つ三島の街の水環境に関して重要な場所も通りすがりに見た。それは三島駅南口東街区再開発事業地区である。これが三島の湧水の水脈を断ち切るおそれがあると、市民の再開発反対運動に直面したことは、かなり前に聞いていた。いかにも水環境の街三島らしい再開発反対運動である。

 地元の知人の話では、富士からの水はポーラスな地下溶岩を透過して流れ下るのである。かつて駅の北側に大工場が建ったころに、あるいは新幹線ができたころ、三島の街の湧水が枯れたことがあったそうだ。それらの地下構造物を地中の溶岩を掘って作ったために、水流を遮断したのであった。再開発ビルも同じ恐れがあるということで反対運動になった。

 経緯は知らないが、ネット資料によると昨年2023年末に事業認可から権利変換認可までも進んだそうから、再開発工事にGOサインが出たことになる。その水流対策は再開発建築が地下水脈を切断しないように、地下の溶岩に建築基礎をのせるという。それよりも下の地中には建設をしないから溶岩内を流れる水を遮断しないということらしい。現地で外まわりから見きた現場の様子は、既存建築群を撤去中だったから工事に着手していた。これからは現地と周辺の湧水モニターが常に監視するのだろう。

●水の街とノーエ節と

 実はもう30年も前になるだろうか、三島の街を訪れて富士の湧水の様子を見たことがある。あまりに昔で記憶が薄れているが、三島グラウンドワークなる活動団体の案内であった。かつてどこの街でもそうであったように、三島でも湧水豊かに流れる水路はドブ川だったが、この団体が三島の水環境の再生活動を始めたころであった。

 その後はどうなっているか見たかった。グラウンドワークの活動は成功しているようで、美しい水環境の街として三島は有名になっている。そこで久しぶりに見たかったのは、特に水環境再生と都市生活そして街なか観光がどのように折り合っているのかであった。結果的には、眼で見ただけではよくわからなかった。

 なるほど三島は川の街として環境再生してるようであったが、そもそも水の姿は千差万別で空中、地表、地中を動き回り、動植物の体内を通り抜けて、産業や生活にあらゆる場面に登場し、眼で見てすべてがわかるようなものではない。富士山から三島に流れて駿河湾にそそぎ、また蒸発して富士の高嶺に戻り、また解けて流れ下り、、、。

 そうだ、これは冒頭に書いたノーエ節である。「♪富士の白雪やノーエ・・・娘島田は情けで解ける・・・解けて流れてノーエ・・・♩」というように、これがエンドレスの歌であるのは、水循環を意味していたのであったか、そんな意義深さをひそめる歌であったとは、、、さすがに水の街三島である。

 わたしが訪れた川の水と生活が融和する景観の街は、内外に多くあった。日本での印象的な街は、滋賀県高島市の新旭町飛騨古川町、福岡県柳川市などがある。外国ではベネチアは別格だが、印象に残っているのはアムステルダムトレヴィゾである。
 
トレヴィーゾ 街の風景 1995年

トレヴィーゾ 橋の広場 1995年

 三島の街なかを歩いているときに「農兵節資料室」と看板を掲げる店舗に出くわした。のうへいせつ?、アッ、そうか、おお、富士の白雪の~えのあのノーエ節は、実は農兵節と書くのであったか。店を覗きこんだら、なんとまあゴミ屋敷だった。あの有名なノーエ節の資料をたぶん私的に蒐集公開していらした川口洋服店の店主氏は、どこにどうされたのだろうか。
 ということで、エンドレス民謡ノーエ節に倣って、冒頭のその歌の話に戻った。(20240404記)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2024/03/16

1803【横浜寿町の変化】ドヤビル建て替え進化と一般共同住宅ビルの進入でドヤ街は変わるか

●横浜寿町ドヤ街のこと

 簡易宿泊所が多く集まる街「横浜寿町地区」は、横浜市中区寿町や松陰町などの都心部の一角を占める。ちょっと見ると安ホテルのような高層ビルが立ち並んでいて、普通の街に見える。

 だが、いわゆるドヤ街と隠語で言われるように、ホテルとは段違いに格が下がる超安価な宿屋ビルばかり立ち並ぶ地区である。その安宿に事実上は住み暮らす人々は約6千人、その約8割は生活保護対象の単身高齢男性たちである。その宿賃は標準的には1泊1700円だが、普通の宿屋と違うのは水光熱費は別支払いだ。

 この街がここに生まれたのは、いかにも横浜らしい戦後史を背負っている。かつては横浜港での働き手の若者たちの街であったが、そのまま老いて今は福祉対象の高齢者の街になっている。中層の古いドヤビルは次第に建て替えられて高層ドヤビルになりつつある。それは単に老朽化への対応ではなくて、居住者が高齢者に変化したことでの機能的変化への対応でもある。

 それにつれて街も次第に変化してきている。街路に面しては飲み屋も多いのだが、近年にになって特に増えたのは高齢者福祉関係施設である。これだけ多くの高齢者たちが集中的に住めば、介護関係施設が軒並みに登場するのは当然である。まさに高齢者しかも貧困層の街になっている。

 街の変化はドヤビルの高層建築への更新が顕著な一方で、別の方向も見られるようになってきた。それは一般住民対応とでもいおうか、いわゆる一般共同住宅ビルも登場するのが顕著にもなってきていることだ(参照ードヤ街のマンション)。それは区分所有型分譲共同住宅ビル(いわゆるマンションだが、わたしはこの誤用和製英語を使わない)、あるいは賃貸借共同住宅ビル(1棟の各住戸すべて賃貸借型住宅)である。ドヤばかりでない街に徐々に変わりつつある気配がある。

●ドヤ街に一般共同住宅ビル登場

 立地が横浜都心の一角であり交通も生活も便利だから、一般住宅需要があるということだろう。ドヤビルを立て直すにあたって、一般共同住宅に変化する傾向も見えてきた。寿町のまさに中心部である寿公園の斜め前の街区にあった3棟のドヤビルが、1棟の一般共同住宅に建て替えが進行中である。10階建て61戸とてたぶん分譲だろうがついにここまできたか。

左向こうが寿公園、手前右がドヤビル跡に建設中の一般共同住宅

 そしてつい最近、新しい賃貸借一般共同住宅が、寿町地区の南入り口の長者町通りに竣工した。その近くには新しい高層ドヤビルもあるのだが、明らかに姿が異なり、それがドヤ街地区の外観イメージを一般の街イメージへと変えていくことになるだろう。

長者町に防火建築帯ビル建て替え新築賃貸借共同住宅ビル 背後は首都高高架道路


 それが建つ以前のそこには、戦後横浜復興期の市街地建築である防火建築帯ビルが建っていた。3階建てで1階は店舗で上階は共同住宅であった。長者町通りにはこの種の防火建築帯ビルが軒並みに立ち並んでいたものだが、さすがに70年もたつと、ほとんどが建て替えられて、残るはもう10指にならぬくらいだ。

戦後復興期の防火建築帯ビルとして建っていた従前建築

 この新築賃貸借共同住宅ビルの敷地は、南側を底辺として北東と北西を2辺とする三角形である。そして出来上がった住戸のほとんどが北東と北西向きで、日当たりが実に悪いことだ。なぜ常識的な南向き住戸を避ける配置にしたのか。

左下赤枠が新賃貸借共同住宅ビルの敷地の位置 (上が北)

 それは敷地の南側には首都高速の上下2段2階建ての高架道路があるからだ。南面だから陰になるし、高架道路から騒音と排ガスが昼夜とも押し寄せて、相当にひどい環境である。もしもこの高架道路がなけば、そこには中村川が流れているから、こちらにこそ住戸が向くべきであったはずが、道路に乗っ取られてしまっているのだ。

 この環境では分譲住宅にしても売れないので、賃貸借住宅ビルにしたのであろう。この高架道路は寿街地区の南側を覆うように横たわるのだが、ドヤという底辺居住悪環境にはそれでも耐えうるものであったのかもしれない。いや、それだからこそドヤ街が成立しえたのかもしれない。

 ところが今や、都心部の住宅需要が伸長してして、このような悪環境でも需要と供給が成り立つ関係になってきたということだろうか。たしかに、ここより西部の高架道路沿いにいくつか新しい共同住宅ビルが建ってきている。さぞや、住みにくい住まいだろう。

 ところで、東京の日本橋のあたりの首都高速道路の高架を、地下に入れてしまう工事が進んでいるそうだ。それならば、その次は横浜のここ中村川上空の高架道路を、地下道路に改造するに違いない。そうすれば横浜都心部の居住環境は格段に回復する。おおいに期待をしている。(参照:横浜首都高地下化

(20240316記)

参 照
1690【横浜寿町の変化・1】横浜都心部の関外にある貧困ビジネス街はどう変わりつつあるか2023/06/10 https://datey.blogspot.com/2023/06/1690.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

2024/01/01

1773【コロナ明け寿正月】今年も無料弁当配布に並ぶ長い長い行列が取り巻くドヤ街風景に凍える

  今日は1月1日、年の初めである。それがどうした、なにも変わりないでしょ、単に365日前から見ると地球が太陽を一周したんでしょ、人間ごとき微小なるものがそれに何の関係もないでしょ、そう、わたしは生まれから80数回も経験していると、すっかりすれっからしになって、正月なんて面白くもない。

 と、人間が思っていたら、地震の方はこの日を特別に扱ってくれたらしく、われらが列島があるあたりの地球の一部を揺すって、人間どもを大いに驚かし脅してくれたのだ。これはすれっからしでいられない。なんでも能登半島のあたりで大揺れ震災がおきて、正月どころではない事件になっているらしい。能登半島西岸の志賀町にある核発電所でなにか故障が起きたらしい。怖い

 わたしの住み家はそこから遠く離れた横浜、そこの地上20mの空中陋屋だからユラ~リユラ~リと長周期に長時間揺れているのだ。その間にTVがヒステリックに「津波が来ます~っ、すぐ逃げて~っ」てな感じで叫んでいる画面をついつい見ていた。ずいぶん久しぶりにTVなるものを1時間ぐらいも続けて眺めた。この前に見たTVも東北の津波だったなあ。

 TVを飽きてPCに変えてSNSを見ていると、助けて!と言う投稿がいっぱい出てくる、被災動画も次々と出現してくる。現実のもたらす迫力がありすぎる情報の襲来に、なにもできずにオロオロ見るしかない自分を嫌になってしまい、それも切り、これを書いている。

戦争で明けくれる年を逃れ出で迎える年は震災で明ける

SNS投稿の能登震災実況動画のひとつ

 そんな物騒な正月突入ちょっと前の昼過ぎに、ふらふら出て行った先は、神社初詣でもなければ繁華街初売りの買い物でもなければ観光街で雑踏見物でもなくて、その名も正月らしく?おめでたい「寿町」徘徊であった。

 もちろん普通の人出がある街ではないが、実は正月だけに発生するこの街特有の行列となる大勢の人出があるのだ。今年もあるかしらと確かめに行ったのだ。場所はこの地区の真ん中あたりにある小公園である。

中高層ドヤビルに囲まれた寿公園(赤丸内)

 その公園に近づくと、おお、今年も人が大勢いる、いる。この晴れた寒空の下に黒々と立ち並ぶ。あの行列の後端はどこかと、そちらに回れば、この公園のあるブロックを一回り近くもの長さ約250mもある。およその勘定で500人くらいだろうか、でも今や行列は進んでいるから、始めはもっといたのだろう。

行列最先端

行列最後尾

街区を一周する長い長い行列 左向こうが公園
 
ようやく公園へ 左端が最先端

 ほとんどが男ばかり、女は10人もいただろうか、若い人はいないようだ。モクモクボチボチと列は進み、寿公園にしつらえられた正月特別仕立ての弁当配給所へと行列は吸い込まれていく。2段重ねプラケースに飯とおかず、プラカップの味噌汁、ミカンが袋に入れて配られている。これは去年もその前もその前もあった正月風景だ。

公園に掲げられたスローガン?

センター庇下にたたずむ野宿者

 ここから500mも離れていない先には、有名な観光街の横浜中華街がある。そこは今や一年中の四六時中も人が多いから、コロナ明けの今年の今日は特別多くの観光客が内外から集まって、華やいで騒いでいることだろう。それと比べて、寿町のこの人出の特別さはどうだろう、全く世の中どうなっているのかと思う。今年は中華街に回る気力が湧かない。
2023年正月中華街雑踏賑わい風景 今年はもっとすごいだろう

 実は毎年の正月におめでたい寿詣でをしているのだが、変わってよくなってきているのかしら、貧困の風景は相変わらずのようだ。
(20240101記)

これまでこのブログに載せた寿町の正月風景

・2023/01/05【横浜ご近所正月徘徊】港あたりにタワー群、貧困街で炊き出し、中華街は大混雑 https://datey.blogspot.com/2023/01/1665.html

・2022/01/04【コロナ正月】寿町・中華街・元町・伊勢佐木へ旧横浜パッチワーク都心新春徘徊 https://datey.blogspot.com/2022/01/1604.html

・2019/01/05【初徘徊は寿町に】B級横浜ガイド・寿町・松影町あたり:デラシネ日雇労務者が高齢化定住した貧困ドヤ街 https://datey.blogspot.com/2019/01/1180b.html

・2018/12/19【寿町の繁栄】貧困で超高齢化する日本の縮図のようなこのドヤ街は縮図どころが拡大しているような https://datey.blogspot.com/2018/12/1173.html

・2015/01/05横浜寿町ドヤ街は新築高層ドヤ建築が林立して周辺へも拡大中にて貧困ビジネス繁盛 https://datey.blogspot.com/2015/01/1046.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2023/11/26

1750【横浜ご近所探検隊が行く】もしかして家を追い出された時のため安宿住いを考えておく

  街を徘徊していると、こんな安宿に出くわす。どうしてこれらに注目しているかと言えば、年寄りになると、年寄りには賃借アパート入居が簡単ではないらしいからだ。
 もしも今の住処をなにかの都合で追い出されることになったら、直ぐに泊まることができるホテルを平素から考えておく必要があるのだ。そこでこれらのホテルに目が行く。

 ひとつは伊勢佐木町界隈に何棟かある「ウィークリーマンション」と称するが実質はホテルである。最も安くて1泊4900円(水道光熱費込み)、シングルルームでバストイレ付、約20㎡とある。通常のビジネスホテル並みだろう。
 一泊2650円の安い部屋もあるらしいのは、新築らしい建物もあれば、戦後復興期の防火建築帯の改装ビルもあるからだろう。


 ただし一週間以上連泊が条件であるようで、長期になるほど安くなるらしい。独り暮らし老人にはちょっと魅力的である。わたしがまだ足腰立つうちにならば、ここに住んでもよいように思う。ほかにもあるか探してみるか。

 もうひとつは寿町あたりに多く集まる「簡易宿所」(俗称ドヤ)で、一泊1700円(水道光熱費別)であり、室内にバストイレはなくて、共同便所とコインシャワーがある。これは多分7㎡くらいの広さだろう。
 寿町で下記画像の表示がある「ベイサイド横浜」なる簡易宿所は、一番最近にオープンしたもので、ドヤでは最も新しい設備と言ってよいのだろうっと思う。

 こちらは通常のホテル並みの設備ではないが、何しろ安い。この値段には理由があるらしく、生活保護受給者が住宅に支払うことができる上限という。どの簡易宿所も同じ様な宿泊室と設備でこの値段だから、古いそれよりもこの新築に泊まる方がはるかに良い。

 わたしは十数年前に寿町の簡易宿所に泊ったことがある。友人たちと寿町見学会をやり、ホステルヴィレッジ運営で1泊3000円のドヤだった。その時のドヤ建物は清潔だったが古いので、人間の垢のような臭気がこびりついていて愉快ではなかった。

 新しいならば値段にひかれて泊まりたいが、年とると小便が近くなり、室外の共同便所通いを嫌だから、いまや敬遠したい。もっとも、最近のドヤ建築はもしかしてバストイレ付になっているのかしら。でもそうなると一泊1700円ではあるまいが。

(20231126記)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2023/10/28

1722 【横浜ドヤ街は変わるか】産業労働者の街から貧困高齢福祉の街へ、その次は都心共同住宅街か

 横浜都心名所の寿町地区はドヤ街といわれてきたが、なんだかジンワリと共同住宅ビル(日本型マンション)の街に変化していくようである。
 かつては産業労働者の街だったのが、この30年くらいで貧困高齢者福祉の街にすっかり変わったのだ。その人たちは簡易宿所なる安宿に住宅同様に寝泊まりするのだ。

 そしてこのところ、その高齢福祉の街に都市型共同住宅ビル(名ばかりマンションのこと)が入り混じろうとする動きが見えている。もしかしてこの横浜都心の一等地ともいうべき寿地区が、都市型住宅地に変わるのだろうか。日本型ゼントリフィケーションとでもいうことが起きるのだろうか。

 寿町地区を徘徊して、コロナ明けの建設風景を拾ってきたので、ここに記録しておく。
 寿町地区俯瞰写真に、最近の建設の動きを記してみた。


 この俯瞰写真の左方(正確には南西方向)の①には今年の初めに共同住宅(いわゆるマンション)が建った(下図)。寿町地区に周辺から攻めてくる共同住宅群の一つである。

寿町入り口から振り返り見る⓵の共同住宅ビル

 ⓵の隣の街区には、②の賃貸住宅の建設がたけなわである。これは簡易宿所(いわゆるドヤ)ではないらしい。この敷地の南西側には首都高の高架があり、24時間騒音と排ガスを出しているから、たぶん、分譲型共同住宅では売れないという判断だろう。なお、ここには下駄ばき住宅型の戦後復興期の防火建築帯が建っていた。

寿町フリンジの長者町1丁目の賃貸共同住宅ビル

 この賃貸共同住宅ビルの向いには、片方を高層ドヤビルに、もう一方を共同住宅ビルに挟まれて、高層共同住宅ビルが建設中である。ここも首都高高架に近いし、幹線道路沿いだからかなり騒音が激しいはずだ。
長者町1丁目に建設中の住宅ビル

 寿地区に入り込み、⓸に空き地が長らく放置されていたが、ようやく工事を始める気配である。ここは簡易宿所の建て直しであるが、斜め前に昨年できた高層ドヤビルと同じ経営者であるらしい名称が書いてある。高齢者対応を積極的に行っているらしい。

寿町4丁目の⓸簡易宿所建設現場

 寿町の真ん中あたりには寿公園があり、炊き出しなどを行っている小公園である。その斜め前にあった3棟の中層ドヤビルを取り壊して、新たに大きな敷地として新ビルの建設が始まった。ドヤ街の真ん中だからドヤの建て直しだろうと見れば、なんと共同住宅と表示が出ている。
 おお、ここの様にまわりがドヤと福祉施設ばかりの場所、寿地区でも最も寿らしい立地にも、共同住宅ビルが登場してきたのか。はて、どのような住民が住むだろうか、興味が湧いてくる。
寿地区の中心の松陰町3丁目に登場する⓹共同住宅ビル

 この共同住宅ビル工事現場の近くには、今年の夏に建て直してオープンした高層簡易宿所ビルがある。元は5階建てのドヤビルを建て直して、名前も松影会館なる寿地区らしい風格から、漢字もカタカナも全くないBayside Yokohamaとなったのに驚く。
松陰町3丁目のドヤビル建て替えの⑥BaysideYokohana

 この新ドヤビルの並びには、昨年に売り出した分譲型共同住宅ビルが建っている。このビルは多分寿地区では最大規模であろう。ここには以前には、下が企業オフィスで上階にはUR賃貸住宅があった。いわゆる下駄ばき住宅である。ドヤビルではなくて、ここがドヤ街となる以前からの企業立地であったのだろう。
 周りはドヤに取り囲まれていたから、建て直しが始まった時にはどのようなものが建つのか興味があった。結局は一般的な分譲型共同住宅ビルになった。面白いことにここも全く漢字もカタカナもない、ローマ字だけのネーミングである。前述⑥の高層ドヤビルももしかしたらこれを真似たのかもしれない。
 この大規模な強度住宅の出現が、その後にこの街の共同住宅化をもたらすかもしれないと思っていて、例えば⑤の出現はその故かも知れないと思うのだが、自信はない。
 なお、この共同住宅ビルについてはここに詳しく書いた
寿町地区内で最大の⑦新築共同住宅ビル

 寿町地区の右(正確には北東)のフリンジ松陰町1丁目にも、大型の高層共同住宅ビルの建設中である。
松陰町1丁目にも新築の⑧分譲型共同住宅ビル

 寿町地区の南東のフリンジ地区は、首都高の高架道路があるために、最も環境が良くないので、ほぼ共同住宅はないのだが、それでも一昨年に竣工した共同住宅ビルが2棟並んでいる。全く同一の姿だから、同一デベロッパーによるものらしいが、名称は異なる。ただ面白いことに、これら2棟とも全く漢字カタカナを使わず、ローマ字だけのネーミングである。
南東部フリンジの高速道路高架沿いの⑨共同住宅ビル

 寿町地区は横浜都心の一角の約6ヘクタールの広さである、いわゆる「ドヤ街」である。この街には、旅館業の中高層ビルが片寄せてびっしりと立ち並ぶ。素の宿泊室は約8000室、日常的にその宿泊室に宿泊して暮らす人たちが約6000人とされる。その宿泊室は5~10㎡でバスユニッはなくて、共同便所、コインシャワーである。

 主たる宿泊者は、高齢の単身男たちであり、多くは低所得で生活保護対象である。つまりそのような人たちが高密度(ヘクタールたり焼く1000人!)に暮らしている、住宅街である。そのような街になったのは、それなりに横浜らしい歴史がある。

 この街ももちろん歴史的には都心部の街として産業的な用途との対応で、普通の住民たちが住む中高層共同住宅も少数ながら存在してきたが、一方で厳然として低所得者のためのドヤ街としての歩みが続く。

 コロナ明けの横浜都心には、あちこちに共同住宅(日本語でしか通じないマンション)が建ちだしてきた。ある種の聖域的なイメージがある寿町地区にも、ビル建設の動きがあり、その中にはドヤ建設もあるのだが、ドヤビルを共同住宅に建て替える動きも起きつつある。

 近ごろのドヤ建設は、30年以上前に木造からビルに建て替えたころのドヤビルが、今や老朽化してきたことと、宿泊入居者の高齢化に対応する機能更新が必要になってきたことにあるらしい。
 その中には積極的に超高齢宿泊者対応に特に力点を置く例もあるようだ。かつては設けないことが普通だったエレベーターは当然のことに必須だし、中には介護はもちろんのこと、看取りさえも可能な宿泊室を設ける者もあるとのこと。詳しくは知らないが、一種の介護老人ホーム的になっているだろうか。

 これほどの高齢者が集住するとなると、街なかにはいろいろな福祉関係の自動車が行き交うし、メインストリートのドヤビルの軒並みに一階には、福祉介護関係施設が並ぶ風景が見られる様になったのは、この10年くらいのことである。この20年ほどで、労働者の街から、高齢者福祉の街へと変転した。


 その高齢者福祉の街が、じわじわと共同住宅の街へと変転していく気配があるのだ。寿地区の周辺あたりから強度住宅ビルが押し寄せるのはこれまでもあるし、今も見られるが、さらに最近になってドヤ街の真ん中あたりで共同住宅ビルの出現がみられるのだ。

 それらはたがいに排除するのか、どちらから優先するものか、うまく共存するものか、実はよく見えないのだが、興味のあることだ。
 次に起こりうる大型共同住宅の建設は、やはり高速道路沿い以外の3方のフリンジの地区からだろう。今のところ注目しているのは、南西部入り口あたり(長者町1丁目)にある向かい合った2軒のパチンコ屋閉店後の土地利用転換である。共同住宅建設が近いような気がする。

この左右の元パチンコ店がどのように建て替わるのだろうか

(20231028記)

●このブログの最近の寿町地区活計記事
・1690【横浜寿町の変化・1】横浜都心部の関外にある貧困ビジネス街はどう変わりつつあるか2023/06/10
・1687【横浜寿町・地域活動の社会史】(2)横浜市の都市政策における寿町の位置づけは? 2023/05/21
・1686【横浜寿町・地域活動の社会史】都市下層集住社会の課題解決に活動する人々に敬服するばかり 2023/05/19
・1622 【横浜寿地区観察徘徊】簡易宿泊所ドヤ街に登場した新築分譲共同住宅マンションのコンセプトは2022/05/30
・1380【2019初徘徊は寿町に】B級横浜ガイド・寿町・松影町あたり:デラシネ日雇労務者が高齢化定住した貧困ドヤ街2019/01/05

https://datey.blogspot.com/2019/01/1180b.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━