●正月から徘徊に
コロナのこの3年も、コロナ逼塞もあるが、個人的にはうちに引っ込むことなく、ほぼ毎日大なり小なり徘徊を続けている。
だが歳のせいによる老化と共に次第に足が弱ってきており、徘徊の距離と時間とが短縮気味である。歩行速度もどんどん遅くなる。徘徊の距離も時間も縮むのだ。
速度だけでなく、ヨロヨロもするようになった。昨年11月にはまっ平らな横断歩道で転倒するという初事故があった。
だが、だからといって徘徊をやめては、足腰が弱る一方なので、できれば毎日でも距離や時間は少なくなろうとも、徘徊実行するようにしている。まあ速度や距離は縮んだが、徘徊時間はそれなりに継続することはできる。つまりダラダラ持続力はあるらしい。
●新港あたりの風景を見に
2023年の正月は元旦から寒いがよく晴れている。今年の徘徊初めは2日からである。
桜木町近くの日本丸メモリアルパークに行ってみた。その芝生広場から日本丸を背にして、横浜新港地区と北仲地区の開発状況のパノラマを眺めてきた。ときどきここにやってきて、そのパノラマを眺め写真を撮って、変化を見て楽しむのだ。
ここに掲げるそのパノラマは、今年正月と13年前の比較である。画像の中央あたりから左が横浜港の新港地区であり、右方が北仲再開発地区である。13年を隔てる2つの写真を比較して一見してわかるのは、右方に建った超高層ビル3本である。
2023年1月のパノラマ |
2010年1月のパノラマ |
●真っ白ホテルビル
2010年の写真になくて、2023年写真に出現しているビルを解説しておく。
中央部の右寄り白くて比較的細い超高層ビルは、35階、高さ135m、2300室もある都市型ホテル、新井千秋デザインである。
2019年9月に開業したが、間もなく2020年4月年から22年11月まで休業に入ったのは、コロナ感染者の宿泊療養施設として、神奈川県に一括賃貸したからだ。徘徊の通りすがりにそれを見ていて、なんとも今どきの事件だなあ、わたしも感染したらここに泊まってみたいと思ったものだ。
でもコロナ療養施設になるとは、ホテルイメージが下るだろうに、いや社会貢献とて評判が上がるのかしら、などとおもったのだが、どうなんだろうか。
アパが経営するのだが、あのアパがこんなに大きなホテル屋になったのかと驚く。そして横浜都心にホテルの乱立がものすごいことにも驚く。そういえば去年はハイアットが横浜都心にオープンしたし、この後に解説する北仲超高層ビルにもオークウッドなる高級ホテルがオープンした。なんにしても住民のわたしは縁がない。
●真っ黒アパートビル
その右に超目立つ姿の真っ黒太め超高層ビルの下駄ばき共同住宅が建った。58階建て、高さ200mほど、住宅が1100戸以上もあるとか、ちょっとでかすぎる。デザインは誰か知らない。
足元には、横浜港絹貿易時代の2階建て歴史建築の煉瓦造倉庫があったのを、コピーデザインして店舗や展示場などにしているのが特徴的だ。もっとも真っ黒超高層アパートビルがでかすぎて、レンガ倉庫が踏みつけられているようだ。
これはいわゆる億ションばかりの下駄ばき共同住宅ビル……こんな用語は最近は消えたようでマンションというらしい。でもねえ、mansionってのはUSA大統領のwhite houseのような大庭園付き大邸宅のことだよ、ウサギ小屋(これも古語になった)のようなアパートメントハウスじゃないんだけどなあ。
この真っ黒ビルの最上階に、公開展望台のフロアがあるらしい。ある日、徘徊途中に思いついて登ろうとしたが、どこから入るのわからなくて退散したことがある。まあ、共同住宅ビルだから、あまり自由に入りやすいプラニングは防犯上困るので、わざとわかりにくくしているのだろう。
この真っ黒アパート計画段階の都市計画変更に関して、わたしがブログにいちゃもんを書いている。【北仲再開発2014年横浜都計審へのいちゃもん】北仲通北再開発の地区計画変更の基本的問題はなぜ審議されないのか。
この隣にまた同じかどうか知らないが、またもう一本の下駄ばき共同住宅ビルが建ちだしている。
まさかまた真っ黒ド太いタワーが並ぶのじゃああるまいなあ、かなり品がないと思うよ、今の真っ黒ビルが壊した真っ白海辺風景を、新しい美しいタワーで景観手直ししてほしいものだ。
●真っ白役場ビル
その右の方の太い白ビルは横浜市庁舎で、関内駅前からここに移転してきた。
デザインは槇文彦だが、コンペ当選は竹中工務店だった。事情を知らないが当選後に槇を市が送り込んだのだろうか。槇はその左隣の2020年もすでに建っているオフィスビル(アイランドタワー)の設計者である。
槇は都市デザナーとしての役割を求められたのだろうが、その役割を果たしたらしいデザインである。これら2棟は実は一つの市街地再開発事業であるが、事業開始から30年ぶりくらいだろうか、市庁舎が建ってようやく事業完了した。
新市庁舎は、珍しく下駄ばき事務所ビルであり、1,2階に店舗が入っている。大岡川沿いに広いオープンスペースがあり、わたしは徘徊跡中にここに立ち寄り、店で買ったビールを飲んで休憩する。市民としてはなかなかよろしいしつらえである。
だが市民としては肝心のところがよろしくない。移転前の庁舎では、各階に普通に入っていけたのに、新庁舎では3階に駅のような改札口ができて、切符を買わないと入れてくれないので、敷居が高くなった。
だから、わたしは未だ一度も市役所執務室に入ったことがないが、それはもう2階以下にしか用がない身になったからだ。
●横浜中華街正月見物
横浜随一の観光街である中華街を観に行く。
そこはもうお祭りのような人がいて、メーンストリートの大通は肩をすり合わせるほど、足を踏みつけあうほどの混雑する雑踏であった。
派手派手の正月飾りが頭の上に極彩色で道の上をおおい、その下を若者たちが派手派手風俗で、何やら食いながら話しながらのろのろと歩き回る。びっしりと並ぶ中華料理店やら近頃増えてきた占い店からの、客引きの声もやかましい。
この街ではだれもかれもがお行儀悪く、道を歩きながら何やら飲み食いしている。店の中ばかりか、外も飲食の場である。店の前で立ち止まって飲み食いするから、雑踏はますます滞留する。
コロナ前には雑踏から外国語が聞こえるのが普通だったが、さすがにそれが聞こえない。歩き飲食にはマスクは邪魔だからつけていないし、大声でしゃべりあっているから、コロナは喜んでいることだろう。
参照→2020年コロナショック中華街
●寿町の静かなる賑わいー炊き出し
正月の徘徊に寿町を欠かさないのは、めでたいその名前にちなんでいるのではない。世の中が休日の日々の年末か年始にかけて、仕事にあぶれて食事に事欠く人もあるから、この間にいわゆる炊き出しをしている。その様子を野次馬的に観たくて寿公園に行く。
今年も長い長い行列が、寿公園のある街区を取り巻いている。長さ約220m、人数約400人、みたところ中年以上の男が多い様子である。去年も同じくらいであった。寿町の住人だけでなく、近くん野宿者たちも来るに違いない。
炊き出しをするのは「寿越冬実行委員会」としていくつかのボランティアグループから校正されているようだ。「第49次越冬闘争」とあるから、単純に考えてもう半世紀もやっているのだろうか。炊き出しだけではなくて、各種の相談にも乗っているとある。そんなにも長い間の対貧困活動に頭が下がる。そしてこうも長くこの活動が続くほどに、日本は貧しい、と毎年の正月に思うのだ。
●寿町ドヤ街は変わったか
徘徊でしょっちゅう見ている街だが、去年の大きな変化は、簡易宿泊所に囲まれて大きな高層共同住宅ビルができたことだ。いわゆる(日本流)マンションである。
これまで寿町等のドヤ街の外郭一皮分には、いくつかの一般共同住宅ビル(いわゆるマンション)が寿町の背を向けて立っているが、ドヤビルの連続の中に建ったのは初めてである。
今後、これを契機にして、横浜寿町がドヤ街からマンション街に移行を始めるのか、つまりマンションがドヤを駆逐する動きが出るのだろうか。
あるいは逆にマンションが撤退してドヤになるのか、つまりマンション排除が始まるのか、これは社会現象として興味深いことである。これがわたしの寿町徘徊の視点である。
ドヤビル街の間に出現した一般分譲共同住宅ビル(日本式マンション) |
その昨年できた共同住宅ビルの並びに、大きな空き地ができた。もともとは簡易宿泊所だったのだが、何が建つか興味を持っていたら、これはまた簡易宿泊所として再登場した。 また別のところのドヤビル街の中に、長らく大きな空き地があるのだ、昨年半ばに建築のお知らせ看板が立った。また簡宿かとみれば、ホテル旅館とある。業態を変えるらしいが、未だに空き地のままで着工していないのは、なぜだろう。
去年はそのほかにドヤ街のまんなかあたりに、建て替えドヤビルが2棟、小規模な共同住宅ビルが1棟建った。
全体にそれなりに動きがあるが、コロナのせいか建設活動はあまり活発で無かった。コロナのせいで仕事失い、寿町も人々が増えていることだろう。
こうしてわが徘徊は正月から始まり、港近くのリッチな億ションタワー見物から、寿町貧乏街の貧乏正月風景、そして大量の若者がもの食い歩くささやかリッチ中華街、などなど見て回ったのであった。 (20230105記)
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