2023/10/28

1722 【横浜ドヤ街は変わるか】産業労働者の街から貧困高齢福祉の街へ、その次は都心共同住宅街か

 横浜都心名所の寿町地区はドヤ街といわれてきたが、なんだかジンワリと共同住宅ビル(日本型マンション)の街に変化していくようである。
 かつては産業労働者の街だったのが、この30年くらいで貧困高齢者福祉の街にすっかり変わったのだ。その人たちは簡易宿所なる安宿に住宅同様に寝泊まりするのだ。

 そしてこのところ、その高齢福祉の街に都市型共同住宅ビル(名ばかりマンションのこと)が入り混じろうとする動きが見えている。もしかしてこの横浜都心の一等地ともいうべき寿地区が、都市型住宅地に変わるのだろうか。日本型ゼントリフィケーションとでもいうことが起きるのだろうか。

 寿町地区を徘徊して、コロナ明けの建設風景を拾ってきたので、ここに記録しておく。
 寿町地区俯瞰写真に、最近の建設の動きを記してみた。


 この俯瞰写真の左方(正確には南西方向)の①には今年の初めに共同住宅(いわゆるマンション)が建った(下図)。寿町地区に周辺から攻めてくる共同住宅群の一つである。

寿町入り口から振り返り見る⓵の共同住宅ビル

 ⓵の隣の街区には、②の賃貸住宅の建設がたけなわである。これは簡易宿所(いわゆるドヤ)ではないらしい。この敷地の南西側には首都高の高架があり、24時間騒音と排ガスを出しているから、たぶん、分譲型共同住宅では売れないという判断だろう。なお、ここには下駄ばき住宅型の戦後復興期の防火建築帯が建っていた。

寿町フリンジの長者町1丁目の賃貸共同住宅ビル

 この賃貸共同住宅ビルの向いには、片方を高層ドヤビルに、もう一方を共同住宅ビルに挟まれて、高層共同住宅ビルが建設中である。ここも首都高高架に近いし、幹線道路沿いだからかなり騒音が激しいはずだ。
長者町1丁目に建設中の住宅ビル

 寿地区に入り込み、⓸に空き地が長らく放置されていたが、ようやく工事を始める気配である。ここは簡易宿所の建て直しであるが、斜め前に昨年できた高層ドヤビルと同じ経営者であるらしい名称が書いてある。高齢者対応を積極的に行っているらしい。

寿町4丁目の⓸簡易宿所建設現場

 寿町の真ん中あたりには寿公園があり、炊き出しなどを行っている小公園である。その斜め前にあった3棟の中層ドヤビルを取り壊して、新たに大きな敷地として新ビルの建設が始まった。ドヤ街の真ん中だからドヤの建て直しだろうと見れば、なんと共同住宅と表示が出ている。
 おお、ここの様にまわりがドヤと福祉施設ばかりの場所、寿地区でも最も寿らしい立地にも、共同住宅ビルが登場してきたのか。はて、どのような住民が住むだろうか、興味が湧いてくる。
寿地区の中心の松陰町3丁目に登場する⓹共同住宅ビル

 この共同住宅ビル工事現場の近くには、今年の夏に建て直してオープンした高層簡易宿所ビルがある。元は5階建てのドヤビルを建て直して、名前も松影会館なる寿地区らしい風格から、漢字もカタカナも全くないBayside Yokohamaとなったのに驚く。
松陰町3丁目のドヤビル建て替えの⑥BaysideYokohana

 この新ドヤビルの並びには、昨年に売り出した分譲型共同住宅ビルが建っている。このビルは多分寿地区では最大規模であろう。ここには以前には、下が企業オフィスで上階にはUR賃貸住宅があった。いわゆる下駄ばき住宅である。ドヤビルではなくて、ここがドヤ街となる以前からの企業立地であったのだろう。
 周りはドヤに取り囲まれていたから、建て直しが始まった時にはどのようなものが建つのか興味があった。結局は一般的な分譲型共同住宅ビルになった。面白いことにここも全く漢字もカタカナもない、ローマ字だけのネーミングである。前述⑥の高層ドヤビルももしかしたらこれを真似たのかもしれない。
 この大規模な強度住宅の出現が、その後にこの街の共同住宅化をもたらすかもしれないと思っていて、例えば⑤の出現はその故かも知れないと思うのだが、自信はない。
 なお、この共同住宅ビルについてはここに詳しく書いた
寿町地区内で最大の⑦新築共同住宅ビル

 寿町地区の右(正確には北東)のフリンジ松陰町1丁目にも、大型の高層共同住宅ビルの建設中である。
松陰町1丁目にも新築の⑧分譲型共同住宅ビル

 寿町地区の南東のフリンジ地区は、首都高の高架道路があるために、最も環境が良くないので、ほぼ共同住宅はないのだが、それでも一昨年に竣工した共同住宅ビルが2棟並んでいる。全く同一の姿だから、同一デベロッパーによるものらしいが、名称は異なる。ただ面白いことに、これら2棟とも全く漢字カタカナを使わず、ローマ字だけのネーミングである。
南東部フリンジの高速道路高架沿いの⑨共同住宅ビル

 寿町地区は横浜都心の一角の約6ヘクタールの広さである、いわゆる「ドヤ街」である。この街には、旅館業の中高層ビルが片寄せてびっしりと立ち並ぶ。素の宿泊室は約8000室、日常的にその宿泊室に宿泊して暮らす人たちが約6000人とされる。その宿泊室は5~10㎡でバスユニッはなくて、共同便所、コインシャワーである。

 主たる宿泊者は、高齢の単身男たちであり、多くは低所得で生活保護対象である。つまりそのような人たちが高密度(ヘクタールたり焼く1000人!)に暮らしている、住宅街である。そのような街になったのは、それなりに横浜らしい歴史がある。

 この街ももちろん歴史的には都心部の街として産業的な用途との対応で、普通の住民たちが住む中高層共同住宅も少数ながら存在してきたが、一方で厳然として低所得者のためのドヤ街としての歩みが続く。

 コロナ明けの横浜都心には、あちこちに共同住宅(日本語でしか通じないマンション)が建ちだしてきた。ある種の聖域的なイメージがある寿町地区にも、ビル建設の動きがあり、その中にはドヤ建設もあるのだが、ドヤビルを共同住宅に建て替える動きも起きつつある。

 近ごろのドヤ建設は、30年以上前に木造からビルに建て替えたころのドヤビルが、今や老朽化してきたことと、宿泊入居者の高齢化に対応する機能更新が必要になってきたことにあるらしい。
 その中には積極的に超高齢宿泊者対応に特に力点を置く例もあるようだ。かつては設けないことが普通だったエレベーターは当然のことに必須だし、中には介護はもちろんのこと、看取りさえも可能な宿泊室を設ける者もあるとのこと。詳しくは知らないが、一種の介護老人ホーム的になっているだろうか。

 これほどの高齢者が集住するとなると、街なかにはいろいろな福祉関係の自動車が行き交うし、メインストリートのドヤビルの軒並みに一階には、福祉介護関係施設が並ぶ風景が見られる様になったのは、この10年くらいのことである。この20年ほどで、労働者の街から、高齢者福祉の街へと変転した。


 その高齢者福祉の街が、じわじわと共同住宅の街へと変転していく気配があるのだ。寿地区の周辺あたりから強度住宅ビルが押し寄せるのはこれまでもあるし、今も見られるが、さらに最近になってドヤ街の真ん中あたりで共同住宅ビルの出現がみられるのだ。

 それらはたがいに排除するのか、どちらから優先するものか、うまく共存するものか、実はよく見えないのだが、興味のあることだ。
 次に起こりうる大型共同住宅の建設は、やはり高速道路沿い以外の3方のフリンジの地区からだろう。今のところ注目しているのは、南西部入り口あたり(長者町1丁目)にある向かい合った2軒のパチンコ屋閉店後の土地利用転換である。共同住宅建設が近いような気がする。

この左右の元パチンコ店がどのように建て替わるのだろうか

(20231028記)

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