2011/11/25

537【くたばれ乗用車】人を撥ね飛ばす車BMW広告

この広告を出した企業BMWは、こんな賞賛を受けることを期待しているに違いないから、ご期待に沿うことにする。(朝日新聞2011年11月25日 13版 10ページ)
「山あり谷ありを愉しくする…」って文句で、スキー場にはいり込んだBMWが、スキーヤーを撥ね飛ばした写真が載っている。
 すごいねえ、山や川、スキー場だって平気だ、どんどん車で入り込んで、人を撥ねて愉しむんだってさ。
 
 普通は、こうはなかなか言えるものではない。自動車屋の本音を吐露した貴重な広告として、保存に値する。

 今日の朝日朝刊には、自動車広告が多い。ついでにあげつらう。
 Mercedes-Bebzの広告の文句は、ナントカカントカ波で「…あなたを守ります」って、新興宗教みたいだが、これって当然、歩いている人を守るってことですよね。

 VOLVOの広告の文句には「…常に人を第1に考える製品哲学…」とあるから、これも当然に歩く人を第1に考えるってことでしょう。

 SUBARUの広告の文句は「こいつとなら、とべる」とある。なるほど、歩行者を轢き殺しそうになったら、パッと飛び上がるんですね、エライっ。

 Golfの広告文句は、「1.4本分 1495本分」とあって、クイズである。読んでもなんのことかわからないまま。

2011/11/21

536ラーメンと歩道橋

東京のあるラーメン屋が、日本来訪中のブータン国王のご要望で、ラーメンを献上にいくので午後は休業というBLOG記事を発したところ、本気にして問い合わせした人、そんな不敬なる冗談はけしからんと怒る人で、サイト炎上したとか、そんなネット情報が流れている。
http://www.j-cast.com/2011/11/20113703.html?p=all
 このネット情報そのものが、もしかしたらタイアップ宣伝かもしれないが、冗談を真に受ける人が多いのは、ネット言語社会が未成熟なる証拠である。

 この店は、ちょくちょくこういう冗談口を流しているのだそうだ。おもしろい。
http://jirora.blogspot.com/2011/11/blog-post_1911.html
「さてさて毎度急で申し訳ありませんが、臨時休業のお知らせです。本日19日土曜日昼の部、目黒店はお休みさせて頂きます。国民総幸福(GNH)が高い指標を誇るブータンの国王夫妻が来日中で、ラーメン二郎を食してみたいとのご要望があり、赤坂迎賓館まで出向いて参ります。美男美女の国王夫妻に幸せのとどめを刺して参ります。夜は真面目に営業いたします。何卒よろしくお願い致します。」

 未成熟なるネット社会で、わたしも「横断歩道橋は素晴らしい」という冗談記事を、わたしのサイトに乗せたら、まじめにお問い合わせがいくつかきて、弱ったことがある。
http://homepage2.nifty.com/datey/m3hodokyo.htm
 しょうがないから、文章の後に「これは冗談です」と追加記入したものである。
 まったくもってネット社会は、用語も言葉遣いも間違いだらけの日本語だし、パロディや皮肉、冗談が通じない、つまらないところかもなあ。

ーーーーーーーーーーーーー990610ーーーーーーー
横断歩道橋は素晴らしい   伊達美徳

●横断歩道橋は安全安心社会を実現する
 昇り降りが大変な歩道橋ですが、見方を変えるとこれは足腰を鍛えるために、自動車社会から人間へのありがたい贈りものですね。
 健康のために一日一万歩は歩きましょうなんて時代に、毎日これを昇り降りして買い物やら通勤通学していると、老後への健康が保証されるのです。アスレティッククラブで走らない自転車こいだり、ベルトコンベアーの上を走ってるより、はるかに経済的です。
 われらが税金の投資効果はここにも現れます。健康な老人が増えると、高齢者介護や保健の問題も解決します。
 もちろん、横断歩道無視の車に轢かれなくてよくなるので、交通事故がなくなります。
 大災害があって、道は燃える自動車にふさがれたとしても、横断歩道橋をわたって避難することもできます。
 安全安心社会は横断歩道橋から、ということになりそうです。 

●横断歩道橋は都市景観に個性をもたらす
 何でもないストリートの風景を、横断歩道橋はひきしめています。単調な人どおりのない田んぼの中の道にかかっていると、特にいいですね。
 街の入り口に建っていると、ゲート役割をします。橋桁に街の名前や案内が書いてあり、ここがどこかよくわかります。
 でかい横断幕がかかっていて、上手な字で「呑んだら乗るな、、」なんて、ありがたい交通安全標語が書いてあったりして、その歩道橋も横断幕も風雨にさらされて、さびやらほころびやらでエイジングがゆきとどいたりしていると、そのまちの風格がよく見えてきます。
 歩道橋の上に登ると、ちょっと違った風景が見えて、あらたな都市を眺める視点場を提供します。鎌倉の若宮大路の八幡宮の「一の鳥居」と「二の鳥居」との間にある横断歩道橋の上から眺めまわすと、この都市の歴史的な風土の構成ををひとめで理解することができます。
 これも鎌倉のもっとも重要な歴史軸である若宮大路の上にかかっているからこそ、それがよくわかるのです。他の場所じゃだめで、うまいところを選んだものだと、道路事業者の眼のつけどころに敬服します。
  ところでその位置からして、この橋にこそ「二の鳥居」の名前をあげて、今の「二の鳥居」と「三の鳥居」は、順送りに三、四と変えるべきでしょう。、
 道路でお祭りやら暴走族のイベントがあると、横断歩道橋は格好の高見の見物席になります。街の活性化の重要な仕掛けです。
 横断歩道橋は、その街の都会度・田舎度をはかるバロメーターになります。もちろん橋の数がおおいほど都会であり、横断歩道橋がうちの街の田んぼ道にもついて、都会度が1ポイントあがった、なんて喜ぶようになるのです。
 こうして横断歩道橋は、都市と田舎論をめぐる都市民俗学の研究にも今や影響をもたらしつつあります。

●横断歩道橋は日本経済に活力をもたらす
 交差点という交差点には、すべて横断歩道橋をかけましょう。いや交差点ばかりか、とにかく車道を横断するところはすべて横断歩道橋をかけるように、道路法を改正を提案します。
 こうすれば公共投資が全国に波及します。用地買収しなくてもよいし、するとしてもそれほど大規模な用地が要るわけじゃないので、やりやすい。しかも地方の中小建設業でもできますね。
 今、横断歩道のあるところだって、設置すればよいのです。現にそういうところがあちこちにあります。誰も渡らないけど厳然とかかる橋、これを純粋歩道橋(赤瀬川原平さん流に)といいます。でも、公共投資でうるおっている人々もいるのです。
 また、車椅子のために新しいエレベーターやらアプト式エスカレータとか、技術革新をもたらします。
 車椅子ばかりじゃなく、自転車、乳母車、老人手押し車、子供三輪車、リヤカー、大八車など、どんどん横断歩道橋システムを開発しましょう。
 外国にもそのうちに横断歩道橋を輸出する時代がくるでしょうから、世界に追随をゆるさない横断歩道橋先進国日本は、たとえばタイ向けには象の渡るシステムを今から開発しておくとよいでしょう。
 この不況下の日本で、建設業にもメーカーにも活気をもたらすのが横断歩道橋、まことにけっこうなしろものです。
 いっぽうで、横断歩道橋の大普及につれて横断歩道がなくなっていけば、道路の自動車渋滞がなくなって、経済への波及効果は大きいでしょう。
 歩行者だって、どこでも横断歩道橋を渡ることができるようになれば、信号待ち時間がなくなるので、約束に遅れて商談に失敗することだってなくなり、まことにありがたいことです。
 こうして横断歩道橋の及ぼす経済波及効果は、某M菱N村総研シンクタンクの計算によると800兆円とか。(完 990610 まち2ネット投稿)
*参考文献「横断歩道橋の文化経済学」(未来出版)ほか
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 小論は、横断歩道橋への皮肉のつもりであるが、時に、真正面からお読みいただく方があって、投資効果(うそ800兆円)や参考文献の照会をされることがある。当方の文才の至らなさを、お許しいただきたい。(020616追記)

2011/11/19

535◆千ページ英語小説一気読み

年寄りのヒマ人になると、こういうこともできるという見本のような行為。
 本文985ページの分厚いハードカバーの小説本「Fall of Giants」(Ken Follett 2010)を、20日間もかけて一気に読んだ。
 こんな分厚い本を一気に読むなんて、これまでにないことである。それでも毎日寝る前の4時間、20日もかかったってことは、英語だからである。暇だからこそ、面白いからこそできたことだ。
 ただし、ハードカバーでこれだけ分厚いと、重くて寝転んで読めないのが難であった。いすに座り続けて尻が痛くなった。

 日本語のようにななめ読み飛ばしでもわかるほどの英語読解力は、わたしにはない。一応全文に眼を通さざるを得ないから、まどろっこしい。
 さらにまどろっこしいのは、知らない単語や言い回しがしょっちゅう出てくることだ。
 いちいち辞書を引いていたのでは、この稀代のストーリーテラーの物語を読むという、本読みの醍醐味の興をそがれてしまう。辞書から本に眼を戻すと、はて、どこを読んでたんだっけ?

 だから判らなくても、まあこういうことだろうと前後から類推して、どんどん進む。
 ケン・フォレットは、くどくどと状況説明をしてくれる大衆小説だから、それでもなんとかなる。
 よくわからなくて類推に頭を働かせていると、大衆小説がブンガクになるような気がするところが、よろしい。
 そうやっても1000ページを毎日毎日読ませるだけのストーリーだってことがすごい。

 それにしても1000ページの本である。
 しかも、表紙に「BOOK ONE OF THE CENTURY TRILOGY」と書いてあるから、まだこれから2冊の続編が出るらしい。3000ページかあ、すごいなあ。
 フォレットの小説はペーパバックで全部読んだはずだ。歴史物は面白いが、現代ものは愚作もある。
 前作の「WORLD WHITHOUT END」は中世の都市物語で、面白かった。
 今回は20世紀の物語で、第1次大戦を英独仏露米と地球ひとまわりが舞台で、これも面白かった。次作は第2次世界大戦だろうか。

 ケンフォレットのインタネットサイトを見たら、こう書いてあった。
More information on Fall of Giants
Winter of the World
Winter of the World, the second book in the 'Century' series, will feature the children of the characters in Fall of Giants as they live through the Depression and the Second World War. It is due to be published in the second half of 2012.
The third book, due out in 2014, will be about the next generation during the Cold War.
 そうか、これで来年と再々来年の暇つぶしは決まった。

●関連→japaniese-knotweed
http://datey.blogspot.com/2009/09/182japaniese-knotweed.html

2011/11/18

534間違っているぞ原発事故用語

福島第1原発の事故以来、なんだかよく分からない言葉がマスメディアに登場するのだが、どうも間違って使っているような気がするので、ここであげつらうことにする。

●「放射ナントカ」がわからん
 放射線、放射能、放射性物質など、どう違うの? 新聞に書いてある解説をたまには読むが、すぐに忘れる。
 専門的な用語はおいといて、要するに問題は「核毒」のことでしょ。「核毒」とはわたしの造語である。
 放射ナントカが人体に毒があることに要点があるのだから、そこのところをわかるような言葉遣いにしてもらいたいので、「核毒」といってしまってはどうだというのが、わたしの提案である。
「人体に直ちには影響がない放射ナントカ…」といわれてもピンとこない。「直ちには影響がない核毒…」といってもらいたい。そのうちに毒が回ってくるってわかるからね。
 ついでに、原子力発電は核分裂によって出る熱でお湯を沸かし、その水蒸気で発電機を回すんですってね。意外に原始的な原子力である。
 で、なんでも核融合ってのもあるらしいが、分裂で熱が出るならその反対の融合は冷却するんでしょうね。核融合で瞬間冷凍原子爆弾ができるのだろうか

●「除染」じゃなくて「汚除」でしょ?
 この事件ではじめて「除染」なる言葉を知った。長い人生ではじめてであったので、手元の広辞苑をひいたが、載っていない。もしかしてこれは造語なのだろうか。
 造語なら仕方ないにしても、読んだだけでは意味が分からないどころか、間違っている。
 汚染は「汚く染まる」のだから、その汚れをとり除くのなら「汚除」(漢文風に「汚を除す」ならば「除汚」か)であるはずだ。誰かが「汚染」から類推して「除染」と言い出したのだろうと、わたしは類推する。
 さらに問題なのは、核毒の汚れはとり除くことが不可能ということである。何かに着いた核毒を雑巾で拭いてそこからとり除いても、毒は雑巾に映っただけ、その雑巾を水洗いすると水に毒が映る、水を流すと下水道に映る、そして処理場にどんどんと蓄積されて、毒はどんどんと毒性を増してくる。
 汚除して汚除しても、汚移するだけで、ますます汚増、汚貯する始末である。
 除染なんていい加減な言葉は、誤解を招くだけのような気がする。明快に「除毒」といってほしい。

●「電源喪失」って「童貞喪失」みたいなものなの?
 福島第1原発が事故を起こしたのは「電源喪失」によるのだそうだ。要するに事故を防ぐ電力がこなくなったってことらしい。
 わたしがひっかるのは、まず「電源」である。電源とは「電源開発」というように、発電所のことだろう。福島原発は確かに電源だが、電源喪失の電源は他の発電所から来る電力のことを言っているようだ。
 それなら他の発電所が地震で消え去ったのかと読んでみたら、それは無事で、要するに電力が来る電線が切れたってことらしい。
 じゃあ、電源喪失じゃなくて電線喪失でしょ。
 さらに「喪失」がおかしい、ヘンである。
 普通は喪失ってのは、処女(童貞)喪失とか記憶喪失とか権威喪失とか気力喪失とかって、どんと心に響く属人的な状況に使うのである。
 電気なんて物理的なことには使わないもので、金銭喪失で貧乏とか、食料喪失で腹ペコとか、あなた、言いますか?
 ここは「電力遮断」なんでしょ。
 なお、本当の電源喪失とは、発電能力を失った福島第1原発がまさにそうである。いまや「強力核毒大型ゴミ」であるが。

2011/11/17

533毎度おなじみ横浜都計審批評

本日は横浜市都市計画審議が開催されたので、恒例の傍聴に行ってきた。
 そして、わたしがかつて委員になる前も、委員になってからも、委員を辞めてからもここに掲載してきた恒例の批評を書く。

●いい加減な制度の生産緑地
前回は8月だったが、そのときは市街地再開発事業の都市計画案件が議題だったので、これをどう審議するのだろうかと興味があった。
 その結果はこちらを参照→大丈夫か横浜都計審 
 今回は、あのいい加減すぎる都市計画制度「生産緑地」が案件だったので、これをどう審議するか興味があった。
 結論を先に言えば、なんの審議もせずに原案とおりに可決した。委員の発言がなかったのではないが、要するに制度の解説を事務局の役人に教えてもらっただけであった。
 議案の中身の当該地へいって現状を見たきたものは、ひとりもいないようだ。
 そもそも生産緑地の都市計画ほど、都市計画を馬鹿にした都市計画はない。都市計画というごとくに計画的に指定したり解除したりしているのではなく、地主農民の申し出の成り行きまかせで、それをたんに手続的に追認するだけのことであるようだ。
 わたしが委員だったときの一番のイライラはそのことであり、毎回の審議会の前に現地を見てきては問題点を指摘して改善を訴えた。
 そこに審議会はなぜ切り込んで審議をしないのか。
 2番目の議題の、鶴見区馬場4丁目特別緑地保全地区の案件についても、委員の発言は制度の解説を求めるものばかりで、とても審議とは言えない。

●地元商店街発案の地区計画
 3番目の地区計画は、神奈川区の大口商店街の地元から要望があって定めるという、珍しいものであった。
 既存の商店街がその振興のために、自ら街づくりに地区計画を持ち込もうとする、その意気込みを高く評価する。
 その内容はいろいろと地元参加の調整のうえのことだろうから、わたしがあれこれ言うことはない。委員の発言もそのあたりを心得ていたようで、商店街振興への提案的な内容もあった。
 わたしが気になったのは審議内容よりも、今回の傍聴者はわたし一人だけであったことだ。
 この議題のような地元からの発意で作られた地区計画ならば、これを都市計画審議会がどう評価するだろうかと、地元の人は気にならないのだろうか。わたしなら気になる。
 商店街の人が誰も傍聴に来ないということは、都計審のことを知らないか、知っていてもどうせ原案通り可決だからとバカにしてるのか、どうなのだろうか。
 ところでこの地区計画に至る経緯は、会議資料には大口まちづくり委員会が「横浜市長あてに要望書提出」と書いてある。
 これは都市計画法第16条第3項の地区計画等の申出制度によるものだろうか。それとも単なる要望だろうか、そのあたりを委員は聞いてほしかった。

●せっかく本質的な発言なのに
 第4の議題は、泉区の泉新橋榎橋地区の地区計画である。これは大口とちがって、郊外の新開発住宅地である。
 ここはただいま土地区画整理事業による開発が進行しており、これに地区計画をかけて、詳細な土地利用や建物の制限をする。
 わたしとしては、土地区画整理事業が先にあるのだから、その経緯や内容、事業者などについて聞き、それを踏まえて審議してほしかった。
 この議題で、本日はじめてといってもよい内容にかかわる意見が、市民委員から出された。
 それは、建物の隣地境界線から離す距離を60センチとしているが、自宅での経験的にもそれは狭すぎる、せめて80センチ以上にするべき、との意見である。
 わたしはこの数字のよしあしをここでは論じないが、地区計画の内容にかかわる審議すべき事柄である。
 原案についての事務局の考えは、民法の寸法によっているとして、という趣旨であった。(民法では50センチだよなあ)
 ところが、この市民委員の発言のしかたが、「本質にかかわることでないので恐縮ですが…」という、実に遠慮深いものいいであった。
 せっかく地区計画の内容の本質にかかわることで、これこそ委員らしい意見であるのに、これでは何か勘違いをされているようである。
 結局、それ以上に押して発言されることなく、審議会もこの意見について何の審議もしないで、無視されてしまったかたちで、原案通りに可決した。
 わたしなら、原案に反対の手を上げただろう。

●相変わらずだんまり市議委員
 今回の出席委員は16、欠席は9名で内学識者は4、市議が4、市民ひとり。
 市議員は、ひとりが特別緑地保全の議案でこの制度を批判するちょっとピントはずれに聞こえた発言をされたほかは、いつものとおり全員だんまり並び大名。
 なんにしても、都市計画勉強会とか都市計画質疑会じゃなくて、都市計画審議会として実質的な審議をしてほしいものである。
 なお、前回の議事録は、3ヶ月も後の本日になって、ようやく横浜市都市計画サイトに公開された。情報公開がおそいよ~。
●関連→あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている

2011/11/16

532横浜ご近所再開発6題

横浜のご近所のあちこちで、町の姿が変わってくる。それを追いつつ徘徊するのだ。
●参照→347ご近所再開発 http://datey.blogspot.com/2010/11/347.html

 横浜の伊勢佐木モールにあった、ちょっとクラシックなビルの松坂屋百貨店が取り壊されたのは208年のことだった。
 閉店の前にそのアールヌーボー的な内部意匠を見学した。
 それから工事弁の中でトンカチ工事が進んでいた。今日みると、工事囲いの上に新ビルが顔を出している。
 おや、なんだか昔見たような姿だ。どうやら元の建物の表の姿の一部をコピーして再現したらしい。
 でも、ちょっと縮んだかな、なんだか物足りないような。
 写真を撮って以前おと比べたら、やっぱりかなり省略してコピーしているのであった。まあ、その努力だけは認めましょう。
 といいつつも、馬車道の日動火災ほどの断固たるデザイン意図を持ったハイブリッドデザインでもないのが、ものたりない。


 伊勢崎町2丁目の角に先月末に巨大なパチンコ屋が開店した。ここには3階建ての防火建築帯であったと思しいビルがあった。ながらく空き地のままだったが、2年ほど前に工事が始まった。
●参照→365横浜ご近所再開発2011正月 http://datey.blogspot.com/2011/01/3652011.html
 1年足らずで3階建てくらいの建物がほとんどできた頃、どういうわけか取り壊しが始まった。その囲いのままにまた工事をしていて、ビルとしてはたいしたことない規模なのに、ずいぶん時間がかかった。
 伊勢佐木モールもだんだんと高級老舗店舗はなくなっていって、チェーン店がはびこり、そしてパチンコやゲーム屋などの風俗営業店舗が多くなりつつある。街の雰囲気がだんだんと落ち着きがなくなって、ハデハデになってきてる。


 これだけ地震騒ぎで分譲共同住宅はあぶないものなに、その建設はとまらない。山吹町に共同住宅がまたひとつできた。


 長者町2丁目角にガソリンスタンドがあったのが壊されて、ここにも分譲共同住宅が建つに違いないと見ていたら、なんと高齢者専用の施設ができあがった。
 介護センターとか、介護老人ホームとか、わたしが今後の用がある施設である。
 なるほど、こういう時代に対応する再開発が成り立つ時代である。分譲共同住宅でないのが、なかなかよろしい。
 
 富士見町で4年ほど前から建設していた共同住宅ビルが、地上2階床までコンクリートをうったところで、デベロッパーが倒産だとかで工事がとまったままになっていた。
 1年ほどブランクの後に、新たなディベロッパーが買ったらしく工事が再会した。
 つい先月に一応出来上がったようだ。販売パンフレットを見ると、ほとんどが1寝室、少し2寝室がある程度だ。投資屋向けかもしれない。
 これはわたしの家のある貸借共同住宅ビルの道を隔てたすぐ北側にあるから、日当たりはあまりよくない。

 山田町に小さな敷地に精一杯建てたペンシルビルができた。これは1寝室の単身者用の賃貸住宅らしい。完成から3ヶ月くらいたつが、見たところ入っているのは2、3戸程度か。これも、わたしの家のあるビルが邪魔で日陰だもんなあ。
●参照→297共同住宅ペンシルビルhttp://datey.blogspot.com/2010/07/297_29.html

2011/11/15

531地下便所の境界線

 地下鉄の便所で小便をしようとして気がついた。
 律儀にも道路と民地の境界線をタイルの壁に表示してある。
 この線の左だと道路で立小便、右でやるとどこかのお宅の庭で立小便。
 なぜここだけ表示してあるのだろうか。別々に管理しているのかしら。
 まあ、どうでもよろしいですが、書いてあると気になる。

 小便ついでに、もうひとつ。
 スイスのゴルナーグラードというマッタホルンが見える高原にある便所。
 小便しようと便器を見ると、蝿がとまっている。
 こんな高山でも蝿がいるのか、こいつをめがけて放水するのは、男の本能だ。でも一向に蝿のやつは気にしない。
 よく見れば絵である。
 ふむ、ひっかかったか、いや小便じゃなくて、わたしが。

2011/11/14

530酉の市とB級グルメクラシック

 横浜南区の真金町にある大鷲神社で、今日は今年の二の酉の市。
 この屋台がずらりと並ぶ祭りに風景を大好きである。これまでは夜に訪ねたが、今回は写真を撮りやすい昼に訪ねた。

 平日なのにもう混雑している。縁起物の熊手を売る露店では、手拍子の音が景気よく聞こえる。熊手が売れたらその場でシャンシャンと打つ。
 熊手は、小さなものはストラップの飾り物から、大きいのは両手を広げるくらいのものまである。値段が書いてないが、何十万円もするのだろう。縁起物だから、買う人は買う。

 熊での飾りをしげしげと見る。お多福の面、小判、米俵、鯛、宝船、末広がり扇、鶴亀などなど、日本の古典的な富の姿をモロに飾りつけているのが、欲望丸出しで面白い。
 サイケデリックデザインというかキッチュという他はない。現代アートかもしれないとさえ見えてくる。

 露店が並ぶ中を歩く。見ているだけだが楽しい、そのサイケデリックなようで、統一感がるようで、ばらばらなような露店デザインが面白い。これも現代アート並みに不思議な光景である。

 露店で売っているものは、縁起物のダルマや招き猫もあるし、射的、スマートボール、金魚すくいなどの古典的ゲーム、お子様向けのお面は時代のヒーローを現し、そして元祖B級グルメとでも言うべきさまざまな食べ物飲み物がならぶ。

 クラシックないか焼き、焼き鳥はもちろんだが、トルコ発祥のシュシカバブが露店の地位を占めたのが面白い。
 露店で売る食い物の時代的変化を追うと、なかなか面白そうだ。
 最近。B-1グランプリなんていうB級グルメの全国大会があるそうだが、この露店の繁盛の様子こそB級クラシックレースとでも言うべきか。ただしこれは全国区のB級グルメであるところがB-1とは違う。
 富士宮焼きそばとか白コロホルモンの露店が出ているのだが、これってB-1グランプリでまさにグランプリをとったB級グルメだったから、こうやって全国区になったのだろうか。

●関連→060横浜ご近所探検・酉の市

2011/11/13

529除染、滅染、移染

昨日と一昨日に「福島会議」が福島大学で開催、わたしは行けないがネット中継を少し見た。
 放射能に関して専門家がチェルノブイリの現状に関して調査したことを語っったあとで、質問や意見があったなかでの会場の女性からの発言。

 その人は地元の方らしいが、放射性物質の除去に熱心に取り組んで活動しているそうだ。
 その除染の方法は、汚染地にEM菌を撒くのだそうだ。
 そうすると放射能がぐんと下がるので、あちこちでやっているが、公的機関でも積極的にやれ、みたいなことをおっしゃった。

 え、そうなの、初めて聞いた。EM菌てのは多様な微生物によって土壌とか水質の浄化をするのに使うとかって、聞いたことはある。
 だが、微生物が放射線を浄化するというか、半減期を短縮するって、そういうことが本当にあるのかしら。
 ネットで調べると、賛否両論があてなんだか分からない。
 わたしは放射線物質のことはなんにも知らないが、なんだか信じがたい。
 
 現地のその会議に出席している知人に、FACEBOOK経由で聞いてみた。
「EM菌で除染できるって、真剣に発言したおばさんがおられましたが、本当ですか? 核の毒を菌が食うんですか?不思議」

 知人の返事。
「その方、私の斜め前に座っていた女性ですね。真剣そうでしたよ。でも現場の住民はわらをつかむ思いなので、その後もみんなで話を聴いてあげました。
 本日(昨日)の高畑さんの放射能分科会の最大の話題でしたが、EMにせよなんにせよ放射性物質の「無害化」ではなく「移動」にしかすぎない、ということをなかなか理解してもらえず苦労していました。
 でも、各分野の専門家とよばれるような人たちでもわからないことだらけなので、ましてや被災した一般市民が、不正確な情報による俗説に振り回されるのは、やむをえないことと思います。
 正しい知識・情報を共有することは最重要課題なのですが、同時に現場(追い詰められた現地住民)の感情に配慮した情報の「伝え方」にも、もっと工夫が必要だと感じました」

 なるほど、現地に入った人だからこそ、実体験として現地の人たちの感情が身に染みて分かるからこそう、そう言えることですね
 おぼれるものの藁かもしれないが、つかむ藁がそこにあることで、次に流れてくる浮き輪をつかむ手だてになるってことを、支援なさる現場の人たちは知っているのですね。

 それにしても、除染は単に移染に過ぎなくて、決して減染でもまっしてや滅染でもないってことが、実に重要なポイントである。
 これまでは除染とは、物理的な汚染は水に流すし、生物的あるいは化学的な汚染は煮沸や薬によって完了するものだった。
 水俣病や四日市公害の除染も、時間はかかっても、基本的にはそうであった。
 ところが核毒はまったく次元が異なるものだから、なんとも理解するのが困難である。
 人間に「三尺流れて水清し」の時代があったことが、いまや夢みたいである。

2011/11/11

528わからんオリンポス事件

ギリシャ発祥の経済問題が日本のカメラ会社にも飛び火した(らしい)。だって会社名がオリンポスなんだから。
 損失隠しとか飛ばしとか投資家に迷惑かけるとか、その世界のことはぜんぜん、なにを言ってるのかサッパリ分からん。
 ひそか処理して、誰も損してなかったか、あるいは損しても誰も知らなかったとすれば、20年もナントカやってきたんだし、会社そのものは今も経営がうまく行ってるんだから、これはもう損はなかったことになるはずでしょ。
 それを今頃になってなに言ってんのよ!

 だって、その昔も損失を隠してたから配当があって、投資屋(なんで投資ってえらそうにいうんだろう)たちは、大もうけしたんでしょ。
 今になって、当時の損失をひそかに処理したってのがバレて、株価が下落して損したって騒ぐなら、その昔に損失がありながら配当を受けたお金を返すのかしら。
 もらうものはもらった、損失は損失ってけしからんて、それはリスクを負ってやる投資屋の言うべき言葉じゃないような気がする。

 ガイジン社長が暴露しなきゃ、そのままで平和だったんでしょ。
 と、株はしかしらないわたしは思うのである。

 オリンポスの株価は、ばれる前の5分の1になったそうだ。
 唯一知ってる株価がある。T&DHDという保険屋である。
 20年以上前だったかに、相互会社から株式会社に変更して、加入者だったわたしの会社が自動的に株券を受け取ったことがある。200株だったか。
 その頃のこの株価は8000円くらいだった。
 それが今はナンと今日見ると700円である。10分の1以下!
 なんでこんなになっているかサッパリ分からない。オリンポスよりもひどいが、似たような事件があったのかしら。