2015/10/22

1136【横浜名ばかりマンション傾き事件】基礎杭インチキ事件の真の責任者は孫請けか元請けか工事監理者か設計者か謎ばかりニュース

●傾いた横浜都筑区の「名ばかりマンション」
熊五郎:ご隠居、その後は腰の具合はいかかですか。
ご隠居:おお、熊さん、いらっしゃい、ありがと、まあまあ何とか動いてるよ。
:あのですね、横浜のどこやらのマンションが傾いたって、大騒ぎのニュースですね。このあっしたちが住んでるボロ長屋は大丈夫なんですかね。
:ボロは余計だけど、ここは木造2階建てだからね、多少は傾いてるだろうよ、でもね、あのニュースのビルみたいにコンクリで重いってわけじゃなし、大丈夫だろうよ。
:ビルじゃなくてマンションですよ。
:お前さんねえ、マンションと言ったら、例えばアメリカ大統領が住むホワイトハウスみたいな豪邸のことだよ、日本でマンションて言ってるのは、不動産屋の営業用誇大広告宣伝用語だよ。日本では「名ばかり」マンションだよ。
:じゃあ、なんて言えばいいんですか。
:正しく言えばだな、区分所有型中高層共同住宅ビルだな。
:フ~ン、長たらしいね、で、あの傾いたヤツもそのクブンショなんとかかんとか、めんどくさい名ばかりマンションですかね。
:うんそうらしいねえ。しかも、700戸も入っているらしいよ。

●建て直しって実は超大変だろうなあ
:でも、それは4棟に分れていて、そのうちの西棟だけが傾いたらしいですよ。それなのに、売り主の三井不動産ナントカカントカ企業の社長は、その棟だけじゃなくて、責任とって全部建てなおすって言ってますよ、さすが大企業は偉いもんですねえ。
:う~ん、ホントに偉いのかねえ、わかってるのかなあ。写真で見ると、そのうちの南棟を除く3棟がつながってるからこれらは建築基準法でも区分所有法でも、法律上は1棟らしいよ。
:でも、その中の傾いた部分だけを建てなおせばいいでしょ。なんで全部建て直すって言ったのかなあ。
:その傾いた西棟だけ直すのは、技術上は可能だろうけど、法的に1棟になってると持ち主全部の内の8割がOKしないとできないね。それに他の棟も完全とは言えなくなったからね。
:仮に500戸あるとすれば、400戸の持ち主の同意を取るって言っても、400通りの事情があるだろうから、そりゃもう大変ですよね。
:そうだよなあ、それに地震で壊れたって天災じゃなくて、欠陥商品を売りつけたってことだから、なおさらナンダカンダと揉めるに決まってる。
:じゃあ、事実上は8割賛成じゃだめで10割でしょうね。
:それに、今は傾いてなくても、こうやっていったん不信となったら、そのうちに傾くって思うよなあ、だから全部を建てなおすしかないってことになる。離れている南棟の人もそう思うだろうなあ。
:そうなりゃ700戸には700通りの事情があるから、社長がカッコよく全部建て直しますって言っても、こりゃ簡単じゃあないですねえ。事実上はできないかもねえ。大変なジレンマですねえ。

●大地震が来たらこの騒ぎの比じゃない数になる
:あのね、いつか近いうちに巨大地震が起きるって言われてるだろ、そうなったらたいへんだよ、あちこちの巨大な名ばかりマンション超高層ビルには、1000戸もある奴のあるらしいからね。
:そんなのがあちこちで傾いたら、難民だらけになりますね。
:そんな大勢の巨大ビルを建てなおそうたって、そうは簡単に皆が同意できっこないね。日本列島は立ち腐れ廃墟名ばかりマンションビルだらけになるな。
:あ、そうだ、この長屋はどうなりますかね、すぐに倒れそうだけど。
隠:うん、そうだね、大地震で簡単に倒れちまうだろうねえ、店子の難民はいっとき出るのはしょうがないけど、ここは1棟全部貸家で持ち主は大家さんひとりだから、建て直しは簡単だよ、すぐに戻ってこられるよ。
:あ、なーるほど、そりゃいいや、安心しました。その名ばかりマンションも、棟の全部を貸家にすればいいのねえ、なんでそうしないんでしょうねえ。
:そりゃね、日本政府の住宅政策が間違ってきたからだよ、持ち家ばかりを優遇する政策ばかりで、賃貸住宅を冷遇してきたからだよ。
:なんでそうなんでしょ
:日本では住宅政策が、景気対策の経済政策に使われて、住宅って基本的人権を保障する社会政策じゃなかったってことなんだよ。経済ばっかりに目を向けるって、政策の基本が貧困なんだよ。
:そうやって、名ばかりマンションばかりか、郊外住宅もどんどん建てさせたあげくが、いまじゃあ空き家問題にぶつかってるんですね。
:郊外には空き家、街なかには空き名ばかりマンションだよ、困ったもんだよ、もうすぐ起きる東南海大震災の直後に、住宅を経済政策にしたツケがドド~ンとまわってくるだろうねえ。わたしはその頃はこの世にいないだろうからいいけどね、熊さん気の毒だね。

●真の責任者は元請け企業と工事監理者なのに
:それにしても、あのインチキ基礎杭事件は、マスメディアの格好の餌食ですね。杭打ちした旭化成建材ってところの親会社の旭化成社長がでてきて謝ってますね。
:あのねえ、それがなんだかおかしいねえ、だってこの事件の一番の責任者はそこじゃないよ。
:え、なぜ旭化成じゃないんですか。
:あのねえ、インチキ杭打ちした旭化成建材が悪いのもちろんだけけどね、そこはこのビルの建設を請け負った三井住友建設の下請けのそのまた下請の企業、つまり孫請けなんだよ。
:ということは、下っ端企業が泣いて謝ってるだけなのかあ。
:その孫請けの親が出てきて謝るのは勝手だけど、その上の日立ナントカって下請け企業の社長や、大元の三井住友建設の社長はどうしてるんだろうかねえ。
:あ、そうか、そこが泣いて謝るのがスジでしょうにねえ。
:元請けの建設現場で三井住友建設が、下請けの工事をきちんと管理監督してなかったのがいちばんの責任取ることだよ。それにね、工事監理者も責任が重いはずなのに出てこないね。
:なんです、その工事監理者ってのは。
:工事屋さんの現場監督とは別にね、設計どおりにきちんと工事をしているかって、工事を見張る役割の一級建築士がいるんだよ。いなきゃならんと法律に決めてあって、それが工事監理者だよ。
:じゃあ、三井住友建設の現場監督の外に、工事管理者がいるのですね、そりゃ誰なんでしょうかね。
:それがニュースには全く登場しないから名前が分らない。マスメディアも世間一般も、そういう責任者がいるってことを知らないらしいね。
・あ、もしかして、その工事監理者の一級建築士と三井住友建設が、グルになって監督をサボってたのかもしれませんね。

●設計者も出てこないのは何故か
:うん、多くの場合は設計者が工事監理者になるんだけど、その設計者の名前もニュースには全くでてこないね。
:あっ、もしかして、実は設計で基礎杭の長さが短くしてあった、かもしれないのにね。
:もしそうだったら、杭打ち工事は設計図の通りにやったことになるな。
:それだったら、設計者と共に、設計図の間違いを指摘しなかった工事監理者の大罪ですね。なんだか、マスメディアは末端ばかりおっかけて、大元の方の原因者の仕業を忘れてるかもしれませんね。
:それよりもいちばんの大問題は、空き家だらけと言うのに、これから大地震が来るというのに、名ばかりマンションを建て続けさせ、買い続けさせる日本の住宅政策の大間違いにあるんだよ。
:そうか、阪神淡路大震災で名ばかりマンションの建て直しが大変でしたよね、それから耐震偽装って事件でも大変、それなのにもう忘れて同じバカをやってるんですねえ。
名ばかりマンションを買う奴が一番のバカだね。だからね、ボロでもこの借家長屋に住んでることを、ありがたく思わなくちゃいけないよ。
:え~~、そうなんですかあ、まあ、買う金もないけどねえ、、ヤレヤレ。

1995年3月神戸三ノ宮、勝手な向きに傾く街並み

1995年阪神淡路大地震における神戸被災地
(追記20151112)今朝に新聞に、三井住友建設が初めて謝罪したとの記事が出ている、いまごのになってかよ~。

参照:くたばれマンション
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tosikyoju

2015/10/20

1135【終活ゴッコ】建築家山口文象と初期RIAに関する資料コレクションをRIA山口文象資料庫に納めた

●蔵書を箱づめ送り出す

 蔵書をどんどん手放している。他に手放すべき財産らしいものがないので、これが重要なる終活(終末活動)である。
 箱詰めして送り出すのだが、箱詰め作業がけっこうな労働になるので、ただいま腰椎圧迫骨折治療中の身としては、リハビリテーションを兼ねてボチボチユルユルと進めている。

 あちらこちらの知人たちに、こんな本があるけど要りませんかと、本棚の写真を添えて頼みこんで、受け取ってもらうのである。
 今年の初めに、知人の若い研究者に、本棚の写真を送って、この中で要る本があるなら、喜んで差し上げると言ったら、100冊くらいを引き取ってくれた。
 これに味を占めて、この分野の本ならあの人が、この分野の本ならこの研究会メンバーが、などと、あちこちに声をかけて、良い返事をいただいたところに箱詰めして送る。もしかして押し付けになっているかもしれない。

 もちろん、近くの古本屋に売るとか、震災復興支援で古書寄付なんて方法もあるのだが、それは最後にして、やはり読みたいお方に受け入れていただきたいのである。特定のテーマによる資料収集は、そのテーマに関係の深い方に受け取ってもらいたいとも思う。 
 ある友人が、全部を受け入れようと、超ありがたいことを言ってくださったので、それに甘えてボチボチ送り付けている。ただし、何でもかんでも片端から詰め込んで送るのも申し訳ないので、ジャンルごとに整理して箱詰めして送る。
 
 そうやって蔵書を棚卸していると、同じ本が2冊も出てくることがたびたび出現する。ボケたので同じものを次々に買った、のではない。
 この現象の原因は、買ったけど読まないままに忘れてしまい、また買ったに違いないのである。自分の興味ある本はいつまでも変らないってことか。

 稀覯本を集める趣味はないが、なかには珍しいような本もある。調べもののために古本屋めぐりしていて発見した戦前の本など、調べものが終ってからは本棚に入りっぱなしだった本を、懐かしく再発見している。それを読んだりするから、箱詰めは遅々として進まない。

●未読本の読破で余生を送る

 前から自覚していはいたが、買うばかりで読んでいない本、つまり未読本が非常に多いのが、なんとも悔しい。興味ある本を見つけると、絶版になると困るからとにかく買っておく、という行為を重ねてきた結果が、未読本の山になったのだ。
 未読のままに人さまにさしあげるのは残念な気もするが、一方では、もらってくださった方から、キレイな本ばかりと感謝されて、良かったようで、こそばゆい。
 
 4年ほど前に、本の処分をしないと死んだ後の処分が大変だなあ、息子に申し訳ないことになるなあと気がついて、もうこれからは本を買わないと決めた。
 これからは未読本を読破することをもって、わが余生の過ごし方とすることにして、ウチにない本は近くの市立や県立の図書館に行くことにした。図書館は宝庫である。
 そしてほぼそれを守ってきたのだが、じつのところは未読本読破余生は遅々としてはかどらない。その最大の原因は、インタネットウェブ徘徊である。読書時間がWEB時間に食い込まれてしまった。どうやら読破前にわが身が終末になるだろう。

 未読本読破はもういいや、ってことにして、箱詰め外部送り出しとなったのである。自分ではできないので、未読本読破作業の外注である。
 今年になってから送りだし始めたのだが、これまでに段ボール箱22個、でも、まだまだ半分もはけていないから、本の終末よりわが身の終末が先になりそうだ。
 まあ、そのときはテキトーに息子がやってくればよい。そのときは持ち主は不在で、なにも文句を言わないからね。

●建築家山口文象関係資料をRIAへ

 そのような中で昨日のこと、大物コレクション発送して、ちょっと息をついたところだ。
 それは建築家・山口文象に関する資料である。RIA在籍時代の1982年に、「建築家山口文象 人と作品』(相模書房)を発刊したが、これの編集に6年間ほど携わった。
 50歳でRIAを離れてからも山口文象研究を続け、2003年には『新編 山口文象 人と作品』(アール・アイ・エー)を発刊、山口文象に関する資料を収集し続けてきた。その間に新発見もあった。

 完全に集めるほどのマニアではないが、初期RIA分の資料も入れて、ついつい増えて書棚の一角を占拠し続けてきた。だが、もうこの山口文象ストーカー行為も終活にすることにした。あとはベルリンに行って調べるしか残っていないが、そこまでの文象マニアではない。
 ということで、終活発送箱にこれら資料も加えることにしたのである。幸いにしてこの受入れ先は以前から明確になっており、山口文象が主宰したRIA(㈱アール・アイ・エー)である。
 RIAには、山口文象関係資料庫があり、戦前の山口文象建築事務所じだからの図面、書籍、書類を保存しているので、その中にわたしのコレクションも入れてもらうことにしたのである。
 送り出すとなって整理して、リストを作り、箱詰めしたら4個になったのであった。

 これまで10人くらいの学生や院生たちが、山口文象やら戦後復興期の都市づくりに関して論文を書くとて、わたしに問合せが来たり、インタビューされたことがある。
 その資料が、ボケが来つつあるわたしのところにあるよりも、RIAにあるほうが世の中に役立つ時が来たということである。

 なお、わたしの『山口文象+初期RIA資料まちもりコレクションリスト』を載せておいた。完全なリストではないが、ある程度は役に立つだろう。
 これまでのRIA所蔵の資料は、まだリスト化されていないので、検索が難しい。その内容をもっともよく知っているのは、わたしだろう。でも、わたしはもうボケてきたから、これを機会にわたしのコレクションと一緒に整理、リスト化をしてもらいたいものである。

参照:山口文象+初期RIAアーカイブス(伊達美徳編)
https://bunzo-ria.blogspot.com/p/buzo-0.html




2015/10/18

1134『いまなお原爆と向き合ってー原爆を落とせし国でー』大竹幾久子著

 本棚がいっぱいだし、もう読んでいる人生の時間がないし、カネもないので、これからは本を買わない、本棚にある未読本を読む、そこにない読みたい本は近くの図書館で読む、と決めて4年目だが、ついつい買ってしまった。

いまなお原爆と向き合って
―原爆を落とせし国でー
 大竹幾久子著 本の泉社 
          2015年8月発行

 戦争が終わって70年、終わるために大きな犠牲を払ったのが、アメリカが日本で爆発させた核爆弾であった。当時5歳の大竹幾久子さんは、爆心から1.7kmの自宅で、母子4人もろとも重症瀕死の被爆をした。
 医療もほとんどない中で、試練を超えてようやくに生を取り戻したら、10月になっていた。爆心近くで兵役の父は帰らないまま、残された母の戦後は更に壮烈だった。

 その大竹幾久子さんが、この夏に原爆を糾弾する本を出した。今はカリフォルニアに住むアメリカ人となっているのだが、その地で訴えているからこそ、迫力がある。
 一緒に被爆した母の証言の叙事詩のような言葉を、そのままに書き取ったオーラルヒストリ―が、じわじわとした迫力で胸に迫ってくる。
 これは英語版も添えてあるから、アメリカ人も読むだろう。その地獄絵の描写の一部を掲げる。


 Some were completely red, with raw flesh burns.

 The scorched skin slipped from their bodies,
 And hung in loose strips, like paper streamers.
 And their faces!
 Eyes,noses,mouths,ears had all melted down.
 And the hair...the hair...
 Had burned away from the scalps.

 A man's arms and legs...were almost torn away...

 We saw his bones protruding like bloody skewers.

 And One...

 Had a gaping hole in his chest...his ribs were exposed

 And One...

 His belly was split open,
 And oh,he was holding his bowels in place!

 And one...

 His skull was smashed open...
 One eye dangled down on his cheek,

 And Another...

 His head was split so badly...
 l couldn't tell which side his face was on.

 All were streaked with blood and dirt.

 The lucky ones still wore shreds of pants、
 Scorched and tattered though they were.
 But most wore no clothes at all.
 Their garments were shorn away
 Or burned off by the bomb's searing blast.

 l saw masses of naked, bloodied,burned flesh,gasping faces so disfigured

 That l could not tell the men from the women.
 This one...that one...
 l had never seen such horror!
 Were they truly human beings?

 l once saw a painting of hell.

 But l swear this sight was more nightmarish than that



 アメリカで歌詠みとなった著者は、原爆のことから原発のことへと、切ない思いをくり広げて詠う。


 被爆後に小二で我は主婦となり作りし夕餉は毎日目玉焼き

 爆心地で死にたる父はアメリカに帰化せし我を許し給うや

 体内に残留放射能もつ不安 押し込めて生きしこの七〇年


 戦後70年とは、原爆被害70年であるのだが、それは戦争という大きな渦巻で見るだけではなく、その渦の中の一人一人の人間がいることを忘れてはならないと、これを読んでおもいなおしたのであった。
 核毒問題がフクシマであらためて襲ってきながらも、この実に身近な核毒恐怖さえも、もう忘れて核発電の再開をする日本という国家、そして核爆弾の恐怖は、いまも更に地球を覆い尽くしつつあって、大竹幾久子さんの静かな怒りは続く。
 わが身に潜む70年の恐怖を、こう裏返して見せるのである。


  おめでたい話

 あれから70年以上も生き延びて
 めでたく もう古希も過ぎた

 近ごろ ときどき こんなことを考える

 放射線は細胞に突然変異を起こさせるという
 ひょっとして わたしの細胞は放射線の好影響を受けて
 老化せず

 わたしは世界一の長寿者になるのではないかと


なお、著者の夫も兄も、わたしの大学時代からの親友である。

関連ページ
500・カリフォルニア歌人
https://datey.blogspot.jp/2011/09/500.html
879・カリフォルニア閨秀歌人の歌が朝日歌壇に入選した
https://datey.blogspot.jp/2013/12/879.html
648・日本人は5度目の大被曝体験をしても原発を動かす
https://datey.blogspot.jp/2012/07/648.html



2015/10/11

1133【越後の棚田米】中越震災復興支援が縁で都市計画家から村興し篤農家に転向して棲みついた山村で作る美味い棚田米

 有楽町駅前で屋台を出しているのは、越後の山奥の限界集落からやってきた農民。
 今日は、自分で育てた採れたて新米を、2合づつ美麗な包装で(300円)、まるでお菓子のように見せて売っている。
 同じく畑で作ったカボチャやナスもあれば、自家製の餡団子やおやきもある。
 親子でそろって、ここでの販売に出かけて来たらしい。

実はその農民は、わたしの旧知の宮田裕介氏である。
 彼は2004年中越大震災の復興支援で、東京からその山村(長岡市小国町法末)に通っていたのだが、そのうちに集落に居続けになり、ついには「帰化」してしまったのだ。
 都市計画家から篤農家に転向したのである。

 住民60人ほどの限界集落で、次第に増える耕作放棄になる棚田を頼まれて次々に引き受け、本格的百姓になりきって、米つくりに精を出している。
 いくつかの大きな古民家に手を入れて、古民家民宿も始めている。村興しである。
 豪雪の高原の棚田でできる米は、実に美味い飯になる。暖かい飯がうまいのは当たり前だが、冷めても美味いのが不思議である。わたしはもう10年もその村でとれた米を食い続けている。

 ここにその美味い棚田米の宣伝をしておくので、買ってあげてください。
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 越後の天日干し棚田米と地元産野菜のお得なセットです
 小国町の山間地にある法末集落は棚田に囲まれた村です。
 雪解けの湧き水と標高300mの高地が美味しいお米を育てます。
 そのコシヒカリを自然の太陽の恵みの天日で干して、香りと甘味のあるお米に仕上げました。
 黒姫山と米山を望む棚田で育てられたコシヒカリを、季節ののご挨拶にいかがですか。

[セット1] 5,000円(送料込)
 プレミアム棚田米(天日干し)5kg+地元産野菜(1,000円相当) 
[セット2] 3,000円(送料込)
 プレミアム棚田米(天日干し)3kg+地元産野菜(500円相当) 
[セット3] 3,000円(送料込)
 美味棚田米(機械乾燥)5kg+地元産野菜(500円相当) 

●お問合せ・ご注文は下記まで
株式会社 法末天神囃子  販売担当 宮田裕介
電話:0258-95-3125 メールアドレス:miyata@h-tenjin.com
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●参照:法末集落へようこそ
https://sites.google.com/site/hossuey/



2015/10/10

1132【東京風景】銀座おのぼりさん徘徊して外国人買い物客の多さと松坂屋の巨大再開発に感慨を催す

 横浜から東京へ「上京」して、銀ブラ徘徊をしてきた。2年ぶりくらいだろうか、もちろん用事は何もないから、単なる徘徊である。
 聞きしに勝るたくさんの外国人買い物客たちである。どうもアジア系、特にチャイニーズ系らしい。爆買いって、この人たちのことかなあ。
 かつては銀座にはなかったような店もある。大きな安売り電器屋があるし、おおきな安売り衣料屋もできている。もちろん私がよりつけないフェラガモとかナントカカントカって高売り店もある。

 おもえば、1970~80年頃、ジャパニーズ観光客が、パリやミラノやロンドンの有名繁華街の高売り店で、爆買いしていたよなあ。
 モンテナポレオーネ通りを、若いジャパニーズネエちゃんたちが、ブランドショップの名を書いた大きな袋を膨らませて行進していたなあ、懐かしい時代だよなあ。
 それが今は、銀座でチャイニーズネエチャンオバサンオジサンたちが、それをやってるんだ、ふ~ん、そういう時代になったんだと、徘徊お上りさんは感慨を催す。
 あ、もしかして、チャイニーズネエチャンたちもやっぱり、ヨーロッパに行ってるかな。

 銀座通りの建物群が、昔よりもずいぶん高く建て替えられて、なんだか空が狭くなった。ただ、一軒一軒の幅はそのままで、のっぽビルになるばかりである。
 ところがその一角で、妙に空が広いところがある。クレーンが建っている。再開発中であるか。
 はて、ここに何が建っていたっけ、あ、そうだ松坂屋デパートだったよなあ。
 ドレドレと工事看板を見ると、もとの松坂屋よりも広い範囲、しかも裏通りの向うのブロックまで広げての、共同ビルに建て替えらしい。



 よくまあこんな地価の高すぎるところで、よくまあこんなに広く、よくまあこんなに大勢の権利者たちを纏めたもんだなあ、いったい、だれの仕業なんだろうか。
 表示看板のひとつに、設計プロジェクトマネージャーとして、森ビル・アール・アイ・エー共同企業体と表示してある。
 なーるほど、この両者なら日本の市街地再開発事業の雄であるから、纏めることができたのだろうし、これからの難しい進行マネージもできるのだろうと、納得したのである。

 そう、あの新国立競技場が不様なことになったのも、プロジェクトマネージャーが不在だったからと、第三者検証委員会レポートにもあったように、大きく複雑な事業にはその役割が重要である。
 それにしても、プロジェクトマネージャー名を工事現場に表示してあるのも珍しいが、森ビルもRIAも銀座通りに名を出すのは、多分、初めてであろう。
 これもそういう時代になったんだ(どういう時代かうまく言えないが)、感慨を催すのであった。
 それで思い出したが、1953年に建って今なもうない第1森ビルの設計が、RIAであった。この2社の組み合わせはそれ以来だろう。

2015/10/08

1131【尻餅老人起臥戯録9】第4腰椎圧迫骨折で病院通い6回目、X線写真見てこれって治ってるのかなあ

 5月初めに繁華街の真ん中で、自転車から墜ちて尻餅搗いて、第4腰椎圧迫骨折の大怪我、全治3カ月と医者から言われてもう5か月、いまだに全治にしていない。
 若ければ3カ月って、条件付きであったのかなあ。 

 寝たきり老人を半月やってから、姿勢よくなら立ったきり老人もできるが座ったきり老人はできないとわかって、机の上にスツールを置いてPCを乗せ、立ったままでキーボードを打つ日々をやっていた。立ったきり食事もやっていた。
 結果的には、それが寝たきり脚弱り老人じゃなくて、脚力維持になっていたらしく、腰は痛いが脚はなんともない状態になって、歩くのは問題がない。

 そして今は5か月たったが、上向きや横倒しに寝る、真直ぐ立つ、姿勢よく座る、歩きまわる、この4つは普通にできる。だが、これらの中間の折れたり畳んだりの動作を、どうも円滑にできない。
 洗面器の前で腰を曲げて顔をお洗うことができるようになったのは、やっと4か月目であった。

 なんともはや、全治3か月の宣告は延期、延期で、いまだに腰に違和感を抱きつづけている。
 これが老人がよく言っている「腰が痛い」という現象なのだろうか、もう死ぬまで治らないのだろうなあと、老人になってみて分かってきた。
 コルセットで腰を締めているが、気休めのような感もある。ヤレヤレ、フー、。

 今日はその医者通いの6回目であった。
 X線撮影の映像を見れば、圧迫して凹んだ第4腰椎の治り具合は、はかばかしくないように見える。骨が回復するって効能書きの、高い薬を飲んでいるのになあ。
 だが、医者は「ほれ、このあたり、骨が白くなってきて固まってきてますよ」と、励ましてくれるのであった。
 「はあ、そうですかあ、、」、医者がいうのだから、たぶん、治ってきているのだろう。
第4腰椎圧迫骨折の最初のMRI画像 
見事な潰れ様であるなあ、椎間板の顔出しが可愛らしい
5月から10月までの第4腰椎圧迫骨折X線画像
これって治っているのかなあ??
まあ、身体のあちこちがチカチカ痛む現象は消えたし、机に向かって座ることもできるようになったし、洗面器で顔を洗えるようになったし、遠ざかっていた尿意便意も戻ってきたし、などなど、治りつつあることは確かだろう。

しかしなあ、第4腰椎あたりの違和感の無くなり具合は、なんとも遅々として、身体が円滑に動かないなあ。歳のせいもあるだろうけど、ブツブツ、、、。
 まあ、歩くのも寝るのも支障はないし、懐具合を別にすれば酒飲むのも問題ないから、この調子で良しとしようか。
 

・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~

2015/10/05

1130【地震津波核毒騒動】東北地方の津波被災地復興に取り組むアドボカシーな都市計画家たちの重くて軽い存在

 新国立競技場の計画に関して、都市計画家という職能の専門家が関わっていることを、このブログの記事に書いたら、それまでに書いた多くの新国立競技場関連記事の20倍以上の読者数になり、これを「炎上」というのであろうか。
 都市計画家って、それほど人気があるものなんだ、え、ほんとかよって、面くらっている。
 では、都市計画家が関わる別の話を書こう。これも「炎上」すれば、都市計画家の人気度合いが本物かどうかわかる。
(追記:この記事を掲載3日後のアクセス記録は、この前の新国立競技場の都市計画家の記事の10分の1にも及ばない。残念)

●東北の復興に関わる都市計画家たち
 東日本大震災から4年半、各地の復興の動きに、都市計画家たちも当然にかかわってきている。
 だが、いろいろなメディアに復興の動きと諸問題が報じられるが、それを支援している都市計画家たちのことは、ほとんど出てこない。いったい何をしているのだろうか。
 昨日(2015年10月4日)、NPO日本都市計画家協会(以下「家協会」と言う)が主催する「全国まちづくり会議」において、その家協会が会員の都市計画家を現地に派遣して支援する復興計画について、復興の現状、問題、展望などについて報告とシンポがあった。

 巨大津波で壊れ失われた街への都市計画家の復興支援とは、行政が作る大きな網かけの復興基本計画づくりへの仕事から、その網目から漏れた小さな集落住民が自力で取り組む復興へのボランティア的支援まで、大小いろいろな段階がある。
 聞いてみると、家協会が現地からの要請によって派遣している先は10地区ほど、いずれも上に述べた後者の、小のほうにあたる地区ばかりらしい。派遣専門家は20人足らずのようである。
 
 だから、大の復興計画づくりのような大きな金が行政からでるものではないから、家協会も専門家たちもカネの苦労をしている。
 とにかく地域の住民たちとひざを交えて、これからどうしたいのか、話し込んで聞くことから始める。初めは手弁当で通うしかないが、そのうちに行政から地元への支援金がでると、そこから家協会にいくばくかはまわしてくれることもある。
 あるいは家協会が諸財団や企業の公益支援事業に応募して、いくばくかは自前調達する。

 しかし、いずれにしても交通費程度の費用にしかならないから、専門家としての人件費は持ちだしボランティアである。「金持ちでないと専門家としての支援継続は難しい」と、報告者の専門家から述懐があった。もっとなことである、泣けてくる、シクシク。
 都市計画家たちは、いずれも小さな都市計画事務所を構えているが、家協会は個人会員制だから、個人のボランティア仕事に所員を使うわけにはいかないし、そのようなカネはでないが、とにかく忙しい。大学の研究者である都市計画家たちもいるが、同じようなものだろう。
 しかも、地元密着型であるから、時には行政計画に対する批判も含む地元型復興計画づくりになるから、これを行政が支援する筈もない。

●大きな行政復興と小さな地元復興
 家協会が派遣している専門家たちは、いずれも都市計画家の職能から言えば「建築・まちづくり系」である。
 都市計画家に一般分類があるのではないが、大別して「土木・都市基盤整備系」(仮に「土系」という)と「建築・まちづくり系」(仮に「建系」という)があると言えよう。もちろん、この境界は明確ではないが、その人の大学での専攻が土木系か建築系かで分れる。
 家協会会員にはそのいずれもがいるが、派遣しているのは家系のようだ。

 聞いてみると、各被災自治体が国政府の支援を得てつくる大きな復興計画は、土系の都市計画家が受注したらしい。
 これに建系がはじかれたのは、国が支援にあたって起用する都市計画コンサルタントを、土地区画整理事業の実績のある土系にせよと指示したからだそうだ。どうやら土系の大学教授が国を指導したかららしい。
 その大復興計画は、巨大防潮堤、広範囲盛土市街地、丘上住宅地となって、今、現れつつある。

 だから建系都市計画家は、その巨大計画から漏れた小集落の復興支援とか、あるいは行政と対立する住民たちの相談相手とか、大復興計画の中の一部のまちづくりとか、小さな復興へと取り組んだのだ。しかもどこかからカネを調達してくるしかない。
 派遣専門家がその大きな復興計画の携わっていれば、それとあわせて小さな復興計画にも動くことができるのだが、そうはうまくいかないものだ。

 もっとも、そのことは支援する都市計画家にとっては、誰に雇われているのでもない個人だから、柔軟にして自由に発送し行動できる専門家として、復興への思いを地域の人々と一緒に計画へと積み上げて行き、行政の計画に反映させることもできるのだそうだ。
 家協会の考える復興のあり方は、自立と持続をテーマに、住民が自ら考え、住民が自ら行動することを支援することで、地域の自立的復興を促し、そこから持続するコミュニティーを組み立てることにあるという。
NPO日本都市計画家協会の考える復興のあり方

●アドボカシープランナーとしての都市計画家
 これが全部でもないだろうが、小さな地元からの復興計画は、そのような専門家たちの支援状況で動いているらしい。
 これはまさにアドボカシープランナー(advovacy planner)である。だが、それで食える道は、今の日本にはなさそうだ。
 これまでのそのような努力に、心から敬意をはらうのである。2004年中越震災での経験を、わたしから言えば次世代の都市計画家たちが、立派に継承していることに感激したのだ。
 家協会による2005年からの中越復興支援は、限界集落のある山村に集中的にかかわり、古民家を手に入れて、どっぷりとはまり込んだ。あちこちから支援資金を受けながら、似たようなもんだったなあと、回顧と反省をしたのであった。
 中越支援は今は日本都市計画家協会の手を離れた。その時の支援仲間たちが出資して地元組織として会社を設立し、集落住民に「帰化」してしまった仲間のひとりが社長となり、棚田で米つくりをしつつ、村起しに取り組んでいる。

(追記;10月4日の全国まちづくり会議の震災復興フォーラムで報告したプランナーの名前を列記しておく。小泉秀樹、江田隆三、神谷秀美、高鍋剛、渡会清治、加藤孝明、内山征)

●参照:法末集落へようこそ 
https://sites.google.com/site/hossuey/
 
●参照:地震津波核毒オロオロ日録 
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html
 

2015/09/29

1129【新国立競技場騒動】神宮外苑地区に十数年も前から関わり国際コンペの企画や技術支援やら都市計画の変更など本質的なことを担当してきた都市計画家の重い存在

●新国立競技場の建築家たち
 新国立競技場騒動は、佳境に入って来たようだ。この次の騒ぎは、今の公開プロポーザル提出の締め切り後、応募ゼネコン2組の内のどちらが当選するかって時だろう。どちらのゼネコン組にも、有名プロフェッサーアーキテクトが名を連ねている。
 この新国立競技場騒ぎの功績のひとつは、建築家という職業があることが世間に知れ渡ったということだろう。建築士や設計士とどう違うのかしら。

 日本では建築家というものがいるらしいくらいは世間で知っているだろうが、ゼネコンの下請けで仕事してるんだろう、とか、TVのビフォアフタ住宅修理番組に出てくるような大工仕事やってる人なんだろうか、とか、せいぜいそれくらいだろう。
 それが安藤忠雄とか、イギリスのザハ・ハディドとか、槙文彦とその仲間たちとか、けっこう有名建築家たちの名がマスメディアにも、ネットスズメたちの書き込みにも登場した。

 もっとも、スズメやメディアの勘違いも含めて、あんな奇妙な形を選んでとか、あんなデカ過ぎ建物とか、あんな高額な工事費とか、隣まではみ出ているとか、あれこれとボロクソに言われて、気の毒でもあった。
 ここで勘違いとか、気の毒とか言ったのは、デカすぎとか髙すぎとかは、もともとのコンペの条件がそう要求していたから、そうなっているのであって、実のところは応募建築家のせいではないからだ。
 まあ、奇妙な形というか、“生ガキみたいな”のは、コンペの条件ではないが、。

●実は問題の元は都市計画家に
 では、そのデカい高いコンペ条件をつくったのは誰か。もちろんコンペ主催者のJSCだが、JSCには専門家はいないらしく、外部の専門家に委託して作っている。
 その専門家は、建築家ではなくて「都市計画家」である。この件の委託を受けたのは、都市計画設計研究所(以下「都市研」という)、その社長は関口太一である。
 だから、新国立競技場の建築家はザハ・ハディドがなり損ねたが、その都市計画家は既に関口太一が担当している。

 この騒動で建築家はたびたび名が出てきたが、その建築家がああだこうだと計画設計した元を糺せば、実は都市計画家のやった仕事の上に立っていたのだ。
 先般、白紙撤回事件後にできた第三者検証委員会の(カネメだけ)検証レポートが出たが、そこに都市研の役割が書いてある。新国立競技場をどのように作るかについては、この都市研がその機能や規模、配置などについて企画立案し、それをもとに国際コンペ応募要項をつくったのだ。
 だから当初カネメの1300億円は、関口太一による試算であった。

 JSCのウェブサイトに、新国立競技場にかんするいろいろな発注一覧表があり、そこに都市研の名もあるから、ここがあの外苑地区計画をやったのだとは思っていたが、都市計画ばかりかコンペの原案までもやっていたことが分かった。そう、都市計画家は、建築企画もやるのだ。
 その企画した新国立競技場の建築がデカすぎて、旧国立競技場の敷地にハマりきらない、では隣の明治公園と日本青年館を取りこんで敷地を拡大しよう、更に髙さも法的制限をオーバーする、公園が減少してしまう、さてどうしようか、となったのだろう。
 これを解決するには建築設計だけでは処理できないから、都市計画によるしかない。その手法を熟知した都市計画家の出番になったのだろう。

●国際コンペの準備も都市計画家の仕事
 建築家は今度のコンペになってから登場してきたが、都市計画家はそのずっと前から登場していたのであった。だが、世間には見えないままだった。
 すでに2003年には(財)日本地域開発センターにおいて、都市計画学者の伊藤滋を座長とする「明治神宮外苑再整備構想調査委員会」が報告書をまとめているから、このときに都市研が実務作業をしたのであろう。
 この計画策定の費用を負担したスポンサーは、あの辺りの地主たち(JSC,東京都、明治神宮、伊藤忠など)だったのだろうか。
 (後日訂正付記:地域開発センターのWEBサイトによると、「明治神宮外苑再整備構想調査」の実務作業は、都市設計研究所の今井孝之であり、発注者は明治神宮とある。ここにお詫びして訂正する。2015/11/20)
 
 だから国際コンペの10年以上も前から、都市計画家はこれに関わっていたのであった。しかも神宮外苑構想の一部として、新国立競技場を検討していたのだから、風呂敷は大きい。
 それが「神宮外苑地区地区計画」となって実現し、そのうちの新国立競技場関係の部分が、さらに詳細な「再開発等促進区地区整備計画」として、高さや大きさの緩和をもたらしているのだ。
 それ(地区計画は当時は素案だったろうが)にしたがって、コンペ応募の建築家たちはあの多様な案を出してきたのだから、デカくて高くなっているのは当たり前である。
 デカくて高くした元凶(?)の専門家は、建築家ではなくて都市計画家の関口太一なのだ。
 
 わざわざ都市計画という藪をつついて都市計画家という蛇を呼び出すこともないのだが(いや、実はわざと突っついているのだが)、第三者検証委員会報告に都市研の名が出てくるし、国際コンペ審査のための技術調査メンバーには都市研関口太一とも書いてある。
 このへんで都市計画家を縁の下の力持ちから抜け出させて、表舞台に登場する名優へと転換させてもよいだろう。
 考えようによっては、いや考えなくても、実はかなり重要なことを都市計画家はやっているのだから、世の中にきちんと知られ、好評も悪評も含めてきちんと評価されるべき職能であるはずだ。

●都市研・都市計画家の凄腕に吃驚  
都市計画before
 都市研のサイトを見ていたら、ここは新国立モノの御用達都市計画家の感があることに気が付いた。この新国立競技場だけではなく、新国立劇場、国立新美術館、九州国立博物館等の計画に携わっている。新国立劇場は、都市研創立の都市計画・大村虔一(故人)が担当だったことを思い出した。

 東京駅赤レンガ駅舎に関しても、あの低層建築での復元ができたキモとなった新設の特例容積率地区制度に関して、都市研が携わっているのであった。あの保存を決めたのが1988年だったが、それに関してわたしが1985年から5年間ほど携わったことを思い出した。

 さて、この新国立競技場率と神宮外苑の都市計画については、都市計画家・関口太一の凄腕にわたしは吃驚したのである。
 地区計画をもってくるのはこういう時の常套手段だろうが、再開発等促進区型の地区計画を持ち込むととは、思いもよらなかった。それは、再開発等促進区は元は再開発地区計画であり、わたしの理解ではその地区の土地利用を転換し、規模を高度利用のへと大きく変転すべき地区に使うものとばかり思い込んでいたからだ。

 ところが、新国立競技場関連地区の再開発等促進区の地区整備計画では、競技場があったところに競技場が建つのであり、基本的には現在の土地利用の変化はないのである。ただデカくなるので、建築の高さと容積率と街区編成が変る。
 その街区再編成のために、都営住宅と日本青年館を都市公園(新・霞丘広場)に転換するという、いわば逆再開発促進とでもいう再開発に使っているのである。再開発等促進区の「等」にはそれもあるのであったか?
都市計画after

 日本青年館は地区計画内の代替地に移すからまだしも、都営住宅は消滅するのだからまさに住宅を再開発して都市公園にするのである。そういう手もあるのか?
 もちろん、都営住宅を公園用地とするのは余りにも荒業に過ぎて、さすがにこれは都市計画家が発案したのではなくて東京都だろうが、これも都市計画の中に納めたのであった。

 更に大荒業は、都市公園への殴り込みである。
 「明治公園・四季の庭」を敷地の取り込むにあたって立体公園制度を適用して、建物の2階や道路の上空に移してしまうのである。
 四季の庭は、渋谷川の源流部の地中の湧水からの流れがその立地の基本にあるのだが、それが空中に移ったらどうするのだろうか。

 もっとすごいのは、風致地区による建築の高さ制限の突破である。もともと旧国立競技場は高度地区と風致地区指定(1975年)以前に建っていたから、高さ制限を逃れていたのだが、建てなおすとなると高さ制限がかかる。旧競技場よりも低くなるようでは、8万人収容オリンピックススタジアムは納まらない。
 そこでなんと風致地区内建築物の例外的な許可基準を、この地区のために新しく作ったのであった。これは東京都の都市計画技術官僚の仕業かもしれないが、関口が原案を提案したのだろう。なかなかの凄腕である。高度地区制限は地区整備計画で突破した。

 これで、競技場に引き続いて建て替えるらしい神宮球場や第2球場や秩父宮ラグビー場等も、同じように救われるのである。まあ、既存不適格建築であるけれども、あの高さで長年にわたって建っていたから、既得権を法的に追認したってことだろうか。
 
●これからの凄腕は明治神宮外苑公園の開園
 地区計画区域の取り方が、どこかゲリマンダー的なのが気になる。
 どうみても都市計画としては再整備が必要な外苑前駅あたりの中小ビルが建て混む三角地区を地区計画からきれいに外しながら、一方で青山通り沿道部の実体的には整備されている大企業用地を取り込むとか、都営住宅裏の盲腸か出べそのような外苑ハウスの取り込みとか、区域設定がかなり奇妙である。
 地元地主提案型の都市計画であるだけに、なんとなくキナ臭い。

 さて、外苑地区地区計画のなかの次に指定する地区整備計画(神宮外苑全部と秩父宮ラグビー場及び青山通り沿道部等のエリア)が、これからどんな意表を突く内容で出てくるか、関口太一の腕前が楽しみである。(追記を参照)
 ここでの最大の腕の見せ所は、東京都心部でこれだけ広大な未開園の都市公園指定地区を、どうやって全面的に開園に持ち込むかである。これができたら実に凄腕だと思う。例えば特許公園だろうか。

 実情としては、地区計画区域に青山通り沿いの大企業用地を取りこんでいるから、神宮外苑用地が都市公園指定のために使いきれない容積率を、そちらに移転する再開発を企画中に違いない。浜離宮庭園のように、超高層建築群に眺め下ろされる公園になるのだろうか。
 でもそれは余りに常套手段だから、都市公園指定の全部または一部を解除してしまうという、大荒業に行くのだろうか。それはあんまりだよなあ、いや、ありうるかもなあ、例のあの制度をつかえば、、、なんて、妄想を楽しませてくれるのである。

●都市計画家に都市計画批評を
 東京都心部ではいろいろな大規模都市再開発が動きつつあるが、それらが建築家の手によって形を見せる前には、都市計画家の手によってその企画と手法が整えられているってことを、もっと世に知らしめるべきである。
 建築家と共に都市計画家が都市の姿をつくりだしていることに責任を果たすには、社会にその職能を積極的に発信するべきである。
 巨大都市開発への社会的批判が多く聞かれる時代に、建築には建築批評があるごとくに、都市計画にも批評が必要であろう。都市計画ジャーナリズムよ出でよ、である。

 行政や開発事業者の側の都市計画家としてばかりではなく、市民の側の都市計画家のありかたをどう展開するべきか。
 じつはこの新国立競技場騒動は、それを考えるよい機会だから、論争に建築家だけではなくて関係した都市計画家が参戦するのかと思っていたが、そうはならなかった。
 国際コンペの審査員には、都市計画家の岸井隆幸もいたし、その技術調査委員には関口太一もいたのだが、この間の都市計画批判に対して、なんの発言も聞かない。

 最後に卑俗なカネメの話になるが、第三者検証委員会報告によれば、JSCがこれまで発注した金額は、建築家(ザハ・ハディド、日建、梓、日本、アラップ)に対して合わせて45億5千4百万円、都市計画家(都市研)に対しては7千3百万円だそうだ。う~む、2桁も違うなあ。
 とりあえずの2千億円規模の開発でソフトウェア仕事に出された金はこうだから、このあとはどうなるのだろうか。

 (付記) 
・念の為に書いておくが、この記事は目新しい内々情報は何もなくて、すべてネット検索すればわかる公開情報だけをもとにして書いたものである。
・ここでは新国立競技場をテーマにしたので、都市計画家の関口太一をとりあげた書いたが、日本の都市計画家を調べるなら、都市計画コンサルタント協会あるいは日本都市計画家協会に問合せされたい。
・競技場と神宮外苑に関しての当ブログ記事は、立体公園は868、区域どりは869再開発等促進区は870都営住宅消滅は871、特許公園は873、風致地区は877971、容積移転は881、景観は884などを、それぞれ参照されたい。

(追記2015/11/21)
 新国立競技場関連の都市計画家は関口太一であるが、神宮外苑関連の都市計画家は、今井孝之(都市設計研究所)であるらしい。というのは、2003年に都市計画学者の伊藤滋を長とする委員会が明治神宮の依頼で(財)地域開発センターにおいて、「明治神宮外苑再整備構想調査」報告書をまとめており、その委員に今井がいるからである(参照:地域開発センター2003年度事業報告)。現在も今井が継続しているかどうか、わたしは知らない。
 
参照
◆【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発瓢論集

2015/09/27

1128【新国立競技場騒ぎ】第三者検証委員会はカネメだけ検証の手抜きの報告、白紙撤回事件や都市計画など今からでも遅くないぞやってくれ

【カネメだけ検証の手抜き報告】
 新国立競技場の第三者検討委員会レポートを讀んだ。フン、要するにこれまでの公共事業のお役所流のやり方を普通にやってきただけで、なんの珍しくもないように思うよ。

 文科省の役人だけではできないので、技術的にはその筋の敏腕の専門家たちを集めて企画から設計を進める。
 一方で世のお偉ら方たちを集めて有識者会議をつくって、そこで承認してもらうという権威ある様に見える形式を整える、そうやって大勢に責任を分散するんだよ、ごく普通の役所流である。
 
 そうやって8万人、2500億円だかの結論について、有識者会議の承認を得て決めてきたんだから、おれたちなんの遺漏もないよ、今ごろなんで怒られなきゃならないの?、ってことだろうなあ、文科省もJSCもホンとにお気の毒なことよ、、。

 カネメのことも、読んでみれば要するに、企画から設計のある段階ごとに、いろいろな条件で各種の検討している中で、あれこれ値段が違うのはあたりまえのこと、同じものが乱高下したのではない。それは建築プロジェクトではあたりまえのことだ。

 だから、上限1500億円にしたいなら、それを文科大臣が言えないなら、総理大臣がそうせよ言えばよかっただけのことだ、それも白紙撤回じゃなくて設計変更でね。
 これなら既に投じた税金の70億円や、多くの人たちの時間や労力を無駄にせずに済んだはずだ。

 まってくもって素人判断のバカバカしい白紙撤回だが、第3者検証委員会では、肝心のその白紙撤回の経緯については何も検証をしていない。
 もしかしたら、この非常識な白紙撤回劇には、大きな政治的な裏があるので、検証拒否されたのかもしれないなあ、それが証拠には五輪組のモリ大親分にはヒアリングしてないそうだ、おお怖い。

 そしてまた、このプロジェクトがなぜこうも世の批判を浴びるものになったのか、国際コンペに至る経緯、都市計画の変更など、最初の企画段階からの検証も、まったくしていない。
 そりゃ手抜かりというか手抜きと言うもんでショ、今からでもやりなさいよ、遅くないよ。
 あ、そうだ、オリンピック招致も検証してよ。

 カネメのことばかり検証しているものだから、結局は1300億円から2500億円だかになった責任者は誰かなんて、まったくもって本質的でない検証になっちまったぞ。
 カネメなら、鶴の一声で70億円と2年間をパアにした人の責任を問いなさいよ、え、。

 出だしは建築家たちによる歴史的景観とか都市計画とかの高踏的問題指摘だったが、そのうちに工事費が髙いって世俗的問題指摘にネットスズメがチュンチュン鳴き叫び、それにマスコミが押されて、歴史も都市もどこかに吹っ飛んだ。
 そして第3者検証委員会も、このカネメのドブにはまりこんでしまった。

 まあ、文科省のドジは、当たり前と思ってやってことなのに、ゴミ情報でも早くまわり過ぎるネット社会になっていること、そしてたまたま安保法制問題で何やらゴタゴタ揉めていたこと、このふたつに鈍感だったために、こんな不様なことになったってことだな。(2015/09/27)

2015/09/25

1127【新国立競技場騒動】カネメしか検証しなかった第三者検証委員会、カネメつりあげ犯人は不在のプロジェクトマネージャー、真犯人は有識者会議

●何を検証したか第3者検証委員会
熊五郎:やあ、ご隠居、今日もヒマつぶしに、なにやら読んでいますね。
ご隠居:おお、熊さん、いらっしゃい、うん、新国立競技場の第三者検証委員会の報告書だよ。
第三者検証委員会報告の一部(赤線は引用者記入)
:あ、あの白紙撤回になった大事件ですね。どれどれ、なんだか長たらしいダラダラ報告書だな、あっしにはとても読む気になれない。で、どういうわけで白紙にしたのか分りましたか。
:いや、そういうことは全然検証してないな、カネメのことばっかりだよ。まあ、カネメがかかるので白紙にしたってことだろうけどね。
:じゃあ、それまでかかった70億円もを、突然にパアにした手続きとか意思決定の経過とかは一切検証なしですか。オカシイよなあ。
:ああ、オカシイよなあ、設計変更するってのが通常ルートなのに、白紙見直しにしてしまって、無駄な時間とカネをまたかけるって、ヘンなことを決めたのは、どうも神様らしいよ。
:へえ~、今どき神様が税金の行方を決めるんですかい、卑弥呼の時代だね。
:あの狭いところに無理して建てるように決めた当初からの経緯とか、それを無理に建てられるようにした都市計画変更の検証もないよ。

●カネメつりあげ真犯人は有識者会議
:で、結局だれがなんでカネメをつり上げたって、犯人が分かったんですか。
:それがねえ、みんな真面目に取り組んで、いろいろな案を並べてそれらのカネメ計算をしたらしんだな。ところがマスコミが一番高いカネメ案ばかりとりあげて、3千億円、3千億円と騒いだもんで、世間のミイチャンハアチャンもそれ乗せられて、タカイタカイの合唱、神様までもそれに乗せられたってことらしいよ。
:じゃあ、犯人はいないんですか。
:いないらしいね、いなくて当たり前だけどね。だからね、カネメ犯人はね、存在しなかったプロジェクトマネージャー、つまり決める人がいなかったってことだってよ。
:いないものに責任を押し付けてどうするんです?
:だからさ、しょうがないから、そういう決める役割の人を決めないで仕事をさせたトップが悪いってことなんだな。
:トップってだれです?
:JSC理事長と文科大臣だろうねえ、その上の総理大臣もかなあ。
:じゃあその3人に、これまでかかったムダ金となった税金、70億円ほどを払っていただきましょうかね。株式会社並みに株主訴訟してみるか、納税者は株主みたいなもんだから。
:ただね、はっきりとは書いてはないけど読んでて分かるのは、カネメつりあげ真犯人は有識者会議だね。各業界のお偉方が雁首並べて、あれもやりたいこれも欲しいって言いたい放題、しかもここが事実上の決定機関、これに反対できる人はいなかったってから、これが元凶って読めるね。

●建築家に責任はないのか
:政権党を支える業界人を犯人とできないし、白紙撤回宣言首相を犯人とも指させないし、だれも白紙撤回事件の責任を取らないんでしょうね。
:けっきょくはそうなるんだろうねえ。
:あ、そうだ、建築家には責任ないんですかね。
:わたしは建築家にも大いに責任あると思うけどなあ、だって、プロジェクトが抱える問題を一番よく知っていたのは建築家のはずだからね、でもなあ、日本じゃあ建築家の地位が低いからなあ、そこを建築家にプロジェクトをマネージさせようってことにはならないんだな。
:思い出しましたが、この前の東京オリピックの時に造った、代々木の国立体育館がありますよね、あれはどうだったでしょうね。
:あれも工事費が予算額を大オーバーして大変だったらしいが、建築家の丹下健三が大蔵大臣の田中角栄と直接折衝して増額したって話があるな。たぶん、あれはプロジェクトマネージャーを丹下健三がやったんだな。
:なるほど、その頃は建築家が権威があったんですかね。
:いや建築家としての権威じゃなくて、国立大学教員って権威だな、昔は大学の先生は偉かった、というか、偉いと思われてたんだよ。
:なんにしても、投じた設計料など税金70億円と文科省やJSCの人件費・諸経費、国際コンペ参加した建築家たちの労力、2年もかけた計画設計の労力と成果など、どうしてくれるんですかね。

●元の木阿弥になるかも
:今やっている白紙見直し後の公募プロポーザルがあるだろ、あれの応募者2組がみんなこれまでかかわったことのある出戻り連中だよ、どっちが当選しても元のカネメ騒動の当事者だよ、これにJSCと文科省の連中もそのままなら、な~んにも変わらず、余計なカネと時間だけかかったってことになるな。
:そうですよねえ、第三者検証委員会報告を受けないで、次の公募やるからヘンなことになる。この報告を見ると、出戻り組は応募禁止にするべきでしたね。
:この競技場建設の事業主体をJSCから他に移すべきだ、と書いてあるように読めるね。これは今からでもできるな、やる気になればね。
:あ、そうだ、いっそのこと、この建設事業を全部民間委託しちまったらどうですかね。1000億円ぽっきりでやってくれ、赤字でも知らないよ、余ったら儲けにしろ、なんてね。
:う~ん、そうか、どうせオリンピックはイベント屋にやらせるんだから、競技場もついでにやってくれってか。どうせならついでに建設事業費全部を広告で賄ってくれて、その後の運営もやってくれってことにして、この先の投入税金ゼロにしてしまうってのはどうだい。
:じゃあ、せめて土地の賃貸料はタダにするってね。どうせ運動会やらポピュラー音楽会やらって民間イベント屋が使う施設で、ここで国営運動会や国営音楽会やるんじゃないですからね。国設国営の必要はないですよね。

参照
◆【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発瓢論集