2020/10/23

1496【中越大地震発災16年目】震災復興支援と言いつつ豪雪棚田過疎山村体験学習の日々

 今日(2020年10月23日)ツイッターに、「SAWADA Masahiro:澤田雅浩:新潟県中越地震から16年が経ちました。」なる書き込み発見、そうであった、あの豪雪山村の日々を思い出した。


棚田の山村に豪雪 2005年12月

 わたしはその地震の日に現地にいたのではないが、まちづくりNPOの一員として、被災山村集落「法末」に、復興支援の手伝いにはいったのは、その1年後の2005年秋からだった。集落は全戸避難していた。

 毎週末の訪問と宿泊からはじまり、年ごとに次第に間隔があき、訪ねるNPOメンバーも当初の20人ほどから次第に減ってゆき、10年目ころに支援活動は自然消滅した。もちろん集落は被災から立ち直った。なお、この間、2007年に中越沖地震に見舞われて、2度目の被災という事件もあった。

 この間、わたしたちが地域のためにできることは、物質的にも体力的にも資金的にも能力としては限られていたが、とにかく村の人々と密に交流することで、地域を持続するなにほどかの力になりたいの一心で通ったものだ。
 建築家たちは被災家屋調査して復興アドバイスした。都市プランナーたちはまちづくりならぬ山村づくりを、集落の人たちに学んだものだ。わたしは集落最長老から戦争体験の悲惨な話を個人的に聞いて記録した。

 震災前の村には100世帯ほどいたが、震災で全戸避難後に戻ってきたのは60世帯ほど、それを持続するのはかなりむつかしいことであったが、世帯減少しながらもいまも集落は存続している。
 支援仲間の一人が、集落に住み着いて農業者になったのが、わたしたちの置き土産かもしれない。彼のつくった農業会社に仲間たちで出資した。

 北国の農山村の四季景観の美しさと、その内包する人間の生活環境の厳しさ、その定常的な四季の移り変わりが、大地の大震動で破壊する大変化、実に貴重な体験をしたのだった。風土と人間について多くのことを考えた。

 わたしはアクティブな活動をしなかったのだが、思い出深い活動は、コシヒカリ米作りと茅葺小屋作り、そして集落人との交流だった。その集落を「法末集落へようこそ」に紹介している。https://sites.google.com/site/hossuey/

 そのころわたしが現地でやったことや考えたことを記している。
<ブログ連載中>◆中越山村の暮らし
中越震災から10年、復興した山里のこれから2015/0623
法末集落ののどかな初秋風景も人の営みには大きな変化が(2012.10)
自然環境に還る人文空間(2011.05)
豪雪の山村の風景を見て考えこんだ(2011.02)
山村の四季を愉しむ(2010.11)
中越山村の四季に驚き愉しむ
中越山村で茅葺屋根の小屋をつくる2008
    (田んぼの中の足湯休憩所は集落最後の茅葺屋根)
中越震災復興の地で棚田米を作る2006-2007
中越山村・法末集落の四季(ブログ書込進行中)
法末の四季の動画(gifアニメ)
中越震災の山古志を訪ねた(2007)
   (法末集落の野信濃川対岸の山古志村の被災と不幸のこと)
小国と祖谷-自然と生活を二つの山村に見る(2005)
集落最長老が悲惨な戦場を語ったオーラルヒストリ-(2011)
   (集落最長老に聞いたインパール作戦の悲惨な戦場のこと)

 この後も東日本地震とかいろいろと震災は起きている。さらにすごい災害は新型コロナパンデミックである。長く生きているとろくなことに出会わないが、貴重な体験をしていろいろと考える種は尽きない。   (20201223記)

2020/10/16

1495【コロナ愚痴】スマホなくネット社会に見捨てられコロナも見放すアナログ隠居

 コロナの話を記録しておく。ときどき記録しておかないと、後からわからなくなる。
 正しくは去年の暮れから中国で開始した大事件だが、覚えやすく今年からとしておこう。あれから10か月半、コロナのなんたって凄いのは、たったの半年ほどで地球上をほぼ制覇したことだ。パンデミックとはこのことなんだな、わが人生で出くわすとはねえ。

 しかもそのすごさは、先進国であるほど深刻な状況にあることだ。先進国なら大抵のことは科学的対応可能となっている筈だったが、ぜんぜんそうでないと分かったのだ。
 だが、どうやら人間の行為としての国家統治策に、コロナ感染具合が反映するらしいのが実に興味深い。台湾の天才的な行政官の腕であれほどに少ない感染者であったこと、大統領トランプのせいで世界で一番の感染記録を更新し続けるUSAなどなど、国家政策の裏が見えてきたコロナは、必ずしも天災ではないらしい。

 日本ではどうなのか。先進国の中では比較的に感染者が少ないのは、日本の政策が成功しているからだろうか、どうなんだろうか。そうとも言えないらしい。
 だって東アジア諸国は欧米などに比べて一様に感染が少ないのだから、何か異なる要因がある様だと言われる。例えばBCG接種である。

 そんなさいちゅうの8月の末、安倍晋三さんは前回と同じく持病を悪化させて突然に首相退任。要するに胃を痛くするようなコロナ対策の政治仕事がいけないのであり、コロナが辞職させたようなもの。
 アベノマスクとか全国一律休校とか、思いつき施策と評判悪かったからねえ、気の毒になあ。

  今こそは犬を抱いてコーヒー飲むネット画像を見せてもいいのに

 そして跡を継いで9月に登場したのが菅義偉(カンギイ?)さん、この人は内閣官房長官としてジャーナリズムに評判の悪い受け答えの人だった。首相になってもあのままの姿勢でやるのか心配だが、ひと月経ってさえ隠れ懇談しかしない有様、大丈夫ですか、首相をやれるのかしら。言っちゃ悪いけど、人相からしてどこか裏方の策士の感がある。

  電話代下げて役所はデジタル化なんて分りやすい政策だこと

 と思ってたら、なんと、いきなりやったのが日本の学者全部を相手の大喧嘩、学術会議会員人選に口をだして大騒ぎ、あの陰気な菅さんがやりたいことはこれだったのかなあ、なんだか調子が違うよなあ、あのひとって学者と関係なさそうな、排除6人の名を見ていないというんだもんなあ、なんかヘンだね。

 思うに、安倍政権下で官邸官僚が肥大した結果、清朝のように宦官政治をやりだした感がある。宦官は学者嫌いなんだな。
 この人の親分さえわけのわからんコロナから逃げ出したのに、その後継ぎリーダーになって、表の人として対応できるのかなあ、今やなんでも宦官がやるからいいのかしら。

  俯瞰すりゃ無用学者が6人と御用学者が99人
  8年で官邸宦官肥大して首相の役目は押印と朗読

 さてコロナの話である。日本の感染状況のグラフで、現今は2回目の山が来ていることだ。1回目の山のときに慌てて緊急事態の戒厳令を出して、経済の超沈滞に懲りて、現今は山の第2回はGOTOだってさ。
 1回目の経験で防疫体制ができたとして、GOTOナントカって巨額の補助金をだして、旅やら買物やらイベント見物やらに行かせる施策の開始。
 なんだかあれこれとコロナを恐れない奴らを煽って、税金を使わせる動きである。



(2020年10月16日朝日新聞朝刊)

 今ではコロナが人間と人間の間で感染するってわかった。だからソーシャルディスタンシングってなんて長たらしいカタカナ言葉を使う。日本語には、その意味を的確に表す「疎開」って便利な言葉があるのになア。
 GOTOナントカは当然にコロナ感染を促進するだろう。その感染の健康リスクと、経済沈滞による貧乏リスクを天秤にかければ、とりあえず貧乏リスクのほうが予想しやすい。カネの出入りは眼に見えるが、コロナの出入りは見えないからね。

 さてさて、東京圏4都県が感染ワーストのトップ、次いで大阪圏3府県、そして福岡、沖縄、北海道と感染多数上位ランキングである。
 大都市圏がこれに入るのはわかるが、北海道と沖縄という南北の両端地域が入るのはどうしてだろうか、観光客が原因なのか、意外に東京圏との交流が多いのか。 

 では感染少数ランキングは、岩手、青森、秋田、山形の東北4県と、山陰の鳥取が二桁だが、じわじわと増えるのは仕方ないか。岩手と鳥取はながらく感染ゼロ競争していたのだがなア。他との交流が少ない県というか、元来が人口が少ないところである。
 なんにしても、コロナ騒ぎが終わったら、これらベストランキング県に移住を促すほうがよいだろうが、私のような都市隠居老人は、生活様式が違うだろうから、そうはいかない。 

 さて、他の国ではどうなのか。でたらめトランプのUSAと比較したってしょうがないけど、あそこは大変だね、あんな討論会を平気でやるなんてねえ、コロナのせいだな。

  アメリカじゃあ頭にコロナが感染か高齢候補者お気の毒さま

 でもフランスが大変らしい。第2波に襲われているとて、パリなどの主要都市ではいったん解除した夜間外出禁止を再開するそうだ。
 先進国なら科学の力で何とかする、なんてことはコロナにはないのだ。日本と比較して量的にはけた違いだが、感染カーブはフランスとよく似ている。日本GOTO大丈夫か。




(2020年10月16日朝日新聞朝刊)

 イギリスでもイタリアでもドイツでも、もちろんUSAでも感染者はどんどん増えるばかりなのに、日本の政策担当者はどこか楽観する雰囲気だけど、ほんとに大丈夫かねえ、誰も責任取れないな。

(2020年10月16日朝日新聞朝刊)

 わたしは楽観とか悲観とかじゃなくて、ちょっと冷徹に観察している。その根本には、ここまで生きたから、ここでコロナごときで死んでも、どうってことない、残念なことは何も無い、そんな生死感がある。
 これって結構多いような気がするのだが、どうだろうか。そう考えてはいても、これを大きな声で言うと、他人に感染させてもよいのか、家族を困らせてよいのかと、おおいに叱られそうだから、誰もいわないのだろう。

 だから冗談にして言うほかない。先日、半年ぶりで同年の友人と飲んだが、この話をして、更にコロナで高齢者がどんどん死ぬなら、それは結果としては高齢社会問題解決への前進になるよなア、おれたちが社会貢献するにはこれがいちばんだよ、率先してやろうぜ、なんてクダをまいたのである。まあ、率先することはたしかだ、何年先かわからないが。

 それにしても外を徘徊すれば、どいうつもこいつもマスクで覆面をしている。あ、わたしもしているんだが、これをしないと世の中が相手をしてくれないから仕方ない。
 このあとも長期にわたって覆面社会が継続すると、これが通常になる日が来る。素顔は素裸同然、うっかりマスク忘れて鼻と口を露出すると猥褻物陳列罪になるに違いない。
 服装における欠くべからざるマスクはどう進化するだろうか。そうだ、ビキニマスクとて超小さなマスクが出てくるだろうなア、はたしてそれでお色気でるのか。

 夜目遠目傘の内でもないけれどコロナマスクの眼だけに惹かれて

 香港では昨年だったかマスク禁止の法令が出たと聞いたが、コロナ下の現今ではどうしているのだろうか。西欧社会のどこかでは、イスラム教徒の覆面のような被り物の禁止をしていると聞いたが、そこではどうしているのだろうか。
 いっぽうで喜んでいるのは、泥棒というか犯罪者だろう、覆面を怪しいとされない世の中になったのだから。防犯カメラに映るのはは覆面ばかりで、警察は弱ってるだろうなア。いや、IT技術はマスクの下の人相さえも、だれどれと判別できる技術になっているかもしれない。

 閑居して不全をなすほどの度胸もカネもないので、役立たぬことばかり考えている。
 閑ならばせっかく税金を返してくれるんだから、例の強盗じゃなくてGOTOナントカをやればいいのにと、親切におっしゃる方がいても、それをやるに先立つ物が無い。それにね、予約なんてスマホやPCでネットを使うんだから、年寄りにゃ不便極まる。

 スマホ無くネット社会に見捨てられコロナも見放すアナログ隠居

 だってね、GOTOトラベルって旅費全部を呉れるのじゃなくて、半分しかくれないのだから、残りの半分を用意しなけりゃどこのGOTOだって行きようがない。不公平だぞ。
 そんなことするより、日本どこでも運賃宿泊飲食お土産代を半額にすればいいのにねえ、同じことだろうに、どうしてそうしないのかしら。よその国のどこかはそうしたって、新聞で読んだぞ。

 GOTO商店街とかって、地場の小商店で買い物するならば、あらかじめGOTOクーポン券とかを1万円買えば、13000円分の買い物できるよっていうのだが、その1万円が無いんだよなあ。これだって、商店の品物をなんでも3割引にして売ってくれればいいだろうに、なんでそうしないのかな。不公平だぞ。
 GOTOってのは、ようするにカネと閑のある奴のやることだね。

  半分を出してやるからGoToといわれてもあと半分がない
  カネとヒマ体力気力ある奴がわが納税を強盗GoTo

 それで商店や観光業者が潤えば、それなりにコロナからの復興になるだろうけど、貧乏人にはなんの潤いもなでしょ。
 誰にも潤うのは、あの10万円給付金方式だよな、あれなら平等だ。観光業者の従事者、商店の経営者も従業員も誰もが潤うでしょ、なんでそうしないのかしら。GOTOに投入する税金を、こちらにいれてくれよ。少ないながらおれだって所得税を払ってるんだから、あの10万円で終わりってことはないでしょ。

 ああ、だらだら愚痴を書いたなア、おろおろ日録だからソレデイイのだ。(20201016)

参照「コロナ大戦おろおろ日録https://datey.blogspot.com/p/corona.html

2020/10/11

1494【能楽見物】野村四郎の能「善知鳥」を、四半世紀前の友枝昭世のそれを思い出しつつ観てきた

 
 コロナはまだ許してくれないらしいけど、人間のほうの都合でリスク承知でイベントをやることになったらしい。遠くに行くのはもう面倒だけど、近くで野村四郎が舞うなら何が何でも行くぞ。

 再開の横浜能楽堂で能「善知鳥」(うとう)を観てきた。折しも台風14号がやってきて、直撃はなかったが外はザンザン降り、善知鳥のような陰気な能に似合う天候だが、能楽堂の中は快適だった。それで思い出した、昔見た善知鳥のことから書いていこう。

●友枝昭世の善知鳥

 あれはもう4半世紀も昔になるだろうか。そのころわたしは能見物に凝っていて、週に一度以上は渋谷・松濤の観世能楽堂に行ったものだ。
 それは靖国神社境内の野外能楽堂でのことだった。境内は桜が満開、夜桜の演能の会に善知鳥を演じたのは、友枝昭世だった。あの陰気な善知鳥を、桜花の下で演じるとは、、。


靖国神社野外能楽堂

 ところがその夜はしんしんと花冷えであったのだ。それを予期せずに観に行ったので、震えあがった。あわてて買い求めた熱いコーヒー缶を抱きしめながら、それでも震えあがっていた。
 この能の面白いのは後半からだが、そこに至るまでの退屈なる寒さに弱りきった。

 ようやく後半の見どころカケリに至ってから、友枝の演ずる両氏の苦しみに見入って寒さを忘れる。だがハッとしてまた震える。ふと見上げると夜桜が満開、氷の山に思える。
 また舞台に目を転じて寒さを忘れる、また震えが来る、それを繰り返していた。まるで舞台上に舞う亡者の責め苦と符合しているようだった。

 亡者となった漁師が、善知鳥の化鳥に襲われて狂気の舞を続けている外の浜は、北国の極寒の地とすれば、あるいは高山の冬の立山地獄とすれば、これがそうかもしれぬ。見物のこちらもその極寒地獄の気分であった。いつでも逃げ出す自由はあるのに観続けた。
 友枝昭世のキレのよい責め苦の舞は、咲き誇る花の極寒地獄の夜に凄絶に広がり、やがて橋掛かりの闇に溶けていった。

 これまで善知鳥を3回見ているが、その友枝の善知鳥の極寒記憶が強烈で、他の記憶がない。今日の善知鳥は台風のさなか、花冷え能のように見所に嵐が吹きこむはずもないだろう。だが、心としては風雨の責め苦のなかの善知鳥を期待していたかもしれない。
 今日のシテはは、20年も稽古してもらっていた名芸能者の野村四郎師である。

●野村四郎の善知鳥

 ここから今回の能の話。横浜能楽堂の入り口でチケットもぎりをセルフサービス、手指を消毒、検温してもらい(34.6度とは低温だ)、見所に入れば椅子は一人おきに座るという、コロナ対策万全、もちろんマスク無しでは入れてくれない。ほぼ満員のようだ。


横浜能楽堂

 歌人・馬場あき子の善知鳥にまつわる歌枕の話から始まる。いつものように、自筆プリント配ってくれる。歌人だからとて達筆ではない。
 ここで彼女の話を聞くのは何回目だろうか、元気で素敵な老女だ。その話は興味深いのだが、もう少し時間をあげて話を奔放に広げてほしい。

馬場あき子講演テキストの一部(20201010横浜能楽堂)

 能・善知鳥が始まる。ずいぶん久しぶりのような気がした。後で日記を調べると能見物は2018年11月以来だった。その間に劇場に行かないことはないのだが、オペラ、歌舞伎、文楽、演劇、映画などあれこれ浮気している。

 コロナ対策だろうが、地謡が5人で横一列に並ぶ変則である。地頭は浅井文義、この人の謡は昔はヘンに震えていたものだが、今回はそうでもなかったのは、年取ったせいか。野村昌司も中年になったが、人相が悪くなったみたい、四郎似ではないなあ。

 笛は一噌隆之が体調悪くて代演は一噌幸弘、このひとは上手いのに能で聞く機会がめったになかったので代演を歓迎。あちこちで能楽の外で活躍するので、能の世界から疎んじられるのだろうか、惜しい。
 ワキは工藤和哉、久しぶりにみるとずいぶん年取った。身体が微妙になよなよする癖はいまだにある。

 後見についたのが寺井栄、この人も久しぶりに見て、はて誰だっけとプログラムを見て、昔よく見た記憶にある顔からずいぶん老けているのに驚く。もう20年も前だったか、この人がシテの「紅葉狩」を見た記憶がある。

 シテ野村四郎のほかで記憶にある人は、大鼓の国川純だけで、わたしが見ていた能界の人々は次世代に移っている。
 わたしが能楽をだ観だしたのは、野村四郎氏師に謡の稽古をしてもらうようになった1991年からだから、自分も能楽師も年取るのは当然だが、舞台芸能者はわたしとは違う人種と思っているから、その老人ぶり容貌に驚く。

 シテの老爺が登場してきたが、野村四郎も声が老いた。謡を教わっていた頃のほれぼれする美声は求めるべくもない。
 では芸はどうなのか、これは素人にはよくわからない。それを評する能力はないが、あの夜桜の下で震えながら見た友枝昭世のキレ良い動きを思い出しつつ見るのだが、。

 ところが、後場の常座で絶句、後見が背後に近づきプロンプター、そんなこと野村四郎で初めて観た。こちらがうろたえ、またあるかもと気が落ち着かないが、幸いにそれだけだった。昔、何度も絶句の超高齢プロの能に困惑したことがあった。

 善知鳥の漁師は、能でよくある最後に仏に救われるのではなくて、救いを求めつつも苦悩のままに消えてゆく。
 終って外に出ると、シテの責め苦の続きのように、一段と激しい雨が降っていた。

(20201011記)  

2020/10/07

1493 【横浜都心の秋】8年ぶり川俣正登場、地下に動物園、川べりに緑の広場、超久しぶり外飲み会

 横浜にアートの秋が来て、近くの展覧会場に親友FJの絵を観に見に行った。ようやくイベントも開催できるのはよいのだが、肝心のその絵を描いた親友は持病があるので会場に来ることができないという。1年ぶりにその顔を見る代わりにその絵だけを見てきた。 

 そして近くで開催中の「CREATIVE RAILWAY 駅ART」なる現代美術展会場を覗いてきた。久しぶり(この前は2012年だった)に川俣正インスタレーションである。
 「都市への挿入」とて、完成した建築空間に、工事中を装った仮囲いを仕掛けるというのである。8年前には大きな倉庫建築の外にいくつもの木枠のようなものを取り付けていた。そう、思い出すと建築家の隈研吾が、本物建築に簀の子をべたべた張り付けるのに、姿だけは似ていなくもない。



 今回の川俣のインスタレーションは、BankART Temporary(YCC横浜創造都市センター)では、外壁の一部に仮設用の足場を組んで、鉄板囲いを取り付けている。鉄板が鎧のようにまとわりついて見える。数年前にBankART NYKで木枠を使ってやった方法の延長上だが、今回のほうがおとなしい。
 川俣の構想段階らしいスケッチをみると、その範囲がかなり縮小したのはどうしてなのだろうか。ちょっときれいに収まり過ぎている。


「都市への挿入」passportより引用
(これと比べると実際にできた作品は妙におとなしい)

 そしてこの様式建築の丸い先端部だけに工事用足場と鉄板を被せたのを見て、ひょいと思い出した。この昔の旧第一銀行横浜支店の建築(1929年)は、今は道路になっている近くの場所からここに曳家してきて復元保存したのであった。

 だが実は全部を曳家したのではなくて、今回の鉄板囲いのあるところだけを曳いてきた。その他のホールのところはコピー再現建築で、東京駅に3階部分と同様である。
 わたしはその昔、この曳家している現場を見たことがある。蒲鉾を立てた姿の石の建築を、鉄骨で補強してそろそろと引っ張って、何日かかけて持ってきた。

 そして人々にその曳家の記憶を引っ張り出させる仕掛けだったのだろうか。まあ、そんなこともないだろうが、わたしはインスタレーションの一つの力に気が付いたことだった。

 ホール内部の天井に同じ鉄板囲いを吊っているのだが、これもどこか整っていて、インスタレーションの持つ破壊感に乏しい。
 この吊り天井を観つつ思ったのは、今ちょっとした地震が来ると、鉄板と鉄板が大いに揺れぶつかりこすりあって火花出しつつ、ガチャガチャキイキイギシギシ大音響がこのホール満ちる、という怖いこと。インスタレーション見物冥加に尽きるだろうなあ。

 隣のビルから地下電車の馬車道駅コンコースに下ると、そこもインスタレーション会場。川俣の鉄板アートもあるが、「えきなか動物園」とて、いろいろな作家の動物造形が、たくさん放し飼いにしてある。一つ一つ面白い作品だ。

 川俣の搭状の鉄板インスタレーションは動物園のシンボルタワーか、妙に小ぢんまりとまとまって窮屈そうな造形だ。そうか、この鉄板塔が地上に飛び出して建物にまとわりついて、先ほど見たYCCの鎧となったのか、そしてそれがまた姿を変えてホール内の天井を飛ぶ鉄板絨毯になっていたのか。いや、ヘンに論理的に考えてると、川俣作品がはつまらなくなるな。




 なかには寝そべるホームレスタイプの動物がいて、その顔が人間の映像で妙にリアルすぎるのがおかしい。
 同時にまた、本物らしいホームレス人間が、動物たちと共に片隅に座っている。二つの傘広げて並べて、その陰で中年男が弁当を食っているのだ。
 あ、そうか、リアルっぽいけど、これも動物園の展示作品だな。あるいは作家自身による肉体インスタレーションかもしれぬと、近づいてみる。あ、生身でリアル過ぎる。

 後で会場案内係らしい若い男に訊いてみた。
「あの動物と一緒にいる傘の陰の男の人も、川俣さんか誰か作家の展示作品ですよね」
「ちッ、ちがいます、全然関係ありませんッ」、そうムキにならなくてもいいのに。
 どうせなら、いつも居るあのホームレス男に出演料を払って、展示作品になってもらえばいいだろうに。

 アート見物の後は、地下からエスカレーターを登ると、新市庁舎のアトリウムにいきなり飛び出すのだ。こんな広い高い天井の下の市民用フリースペースは凄い。適当に離れた椅子テーブルで、だれもかれもがくつろぎ、幼児もいる。PCで仕事をしている奴もいる。

 市役所本体は3階から上で、入るには入り口で申請してカードをもらい、それの自動改札機がいくつも並んでいて、なんだか極端に垣根も敷居も高いところだよなあ。
 それにひきかえ、1,2階は自由に入ることができるのがよろしい。市民情報施設、郵便局、銀行、横浜土産物屋、本屋、薬屋、喫茶店、レストラン、飯屋、飲み屋、フードコート、コンビニストア、スーパーマーケットなどなどあって、ここは商店街か。

 何よりわたしが好きなところは、大岡川沿いに大きく広く開いた水辺の段々広場である。このあたりは河川運河の水辺なのだが、それを生かした民間開発はひとつもない。横浜市がお手本を見せたのだろう。さすがである。
 樹木が大きく育って、春は花見、秋は紅葉との定番遊びの地になるといいなあ。

 ここには徘徊にしょっちゅう来るのだが、1階のユニオンで缶ビールとつまみを買って水辺の椅子でゆっくりの休憩だけ。でも今日は、友人ISと来たので、2階の居酒屋でビールと刺身で乾杯、ちょっと高くついた。まあ、1年もコロナにさえぎられていた友人との再会だからいいだろう。

 あ、そうだ、もう一つ思い出した。この新市庁舎は都市再開発法による市街地再開発事業
(1990年都市計画決定)の一部であるはずだ。隣のアイランドタワー(その一部である先ほどの川俣インスタのあったホール部分も)も含めて、住宅・都市整備公団(今のUR都市機構)施行の北仲通り南地区第2種市街地再開発事業となっていた記憶がある。調べたら1990年に事業の都市計画決定していた。

 ただし、この新市庁舎の敷地部分の建築は長い間決まらなくて、アイランドタワーとは工区を分けて事業することになったようだ。市庁舎移転がやっと決まったことで、第2工区のこちらの事業が再開、横浜市を特定建築者とするUR施行の再開発事業となり、今回の市庁舎完成でようやく再開発事業の完了公告を出したのだろう。
 最初の都市計画決定から数えると、なんと30年間という長期事業、いやまあ、どうでもよいのことだが、ちょいと昔を思い出した。そうだ、第1工区分のアイランドタワーは再開発事業としては珍しい保存型開発で、ちょっと評判になったなあ。(20201007、1009追記)

2020/10/02

1492【街杜散人9月FB日録狐乱夢集】今月は首相交代劇とコロナ禍劇が競合して面白くて狂歌づくりが捗ったなあ

9月1日【自民党親分交代劇狂歌】
 アベ退任二度ある政権三度ある三度目の正直カイケン怖い
 「第3次安倍内閣まで待ってます」新型コロナウィルス敬白

9月3日ブログ【伊達の眼鏡ブログ新記事:映画「はりぼて」】コロナ鬱を晴らそうと可笑しな映画を見てきた。頭も腹も尻尾も腐りつつある市議会議員たち、その喜劇的振る舞いの逐一を映像にされて、見ているこちらが恥ずかしくなるが、ご当人たちは恥と思うかどうかさっぱり分らないこの映画、作ったのは地元テレビ局の報道部門、さてこの状態が今後も続くのかしら、選挙民はどうするのかしら、テレビ局は大丈夫かしら、なんだか国会議員たちにもある感じ、あやしいなあ、。https://datey.blogspot.com/2020/09/1487.html

【2連続台風来襲狂歌】
 夏冬に台風と寒波のお下がりを贈り贈られ列島と半島
 列島をはげしき野分すぎゆきぬそのゆくさきに思ひはせなむ

【自民党総裁候補者紙芝居】じすけ、きょうすけ、こうすけ、3人の孫の名前ですか。去年自慢してたのは「れいわ」ちゃんだったよなあ。

9月6日【都道府県対抗コロナレース状況】当初の「ゼロ人レース」は、岩手と鳥取が最後まで競って岩手県が優勝、その後の「最少レース」は鳥取23、岩手22で、やはり両県がトップ争いを続けている。えらいもんだねえ。

9月8日【自民党親分交代劇狂歌2首】
 見渡せば花も紅葉もなかりけり自民総裁候補の顔ぶれ(低家)
 心なき身にもあまりと知られけり 菅立つ際の飽きの夕暮れ(東行)」

9月10日【首相交代狂歌】 
 たはむれにアヘを背負ひてそのあまり
        軽き言動ゆえにぞ八年も保ちたる
 多派群れてスカを背負ひてそのあまり
        軽き理念ゆえにぞ八年も保つかも         

9月13日【コロナ禍対策GOTO狂歌】
 半分を出してやるからGoToといわれてもあと半分がない
 カネとヒマ体力気力ある奴がわが納税を強盗GoTo
 GoToに行けぬ貧者が行く富者を税で支る弱肉強食

9月15日【野党再編異聞】新型立憲民主党、新型国民民主党、新型コロナウィルス、在来型自由民主党、ふ―ん

9月18日【菅首相登場狂歌】
 菅政権2011年は核の毒2020年にはコロナの毒降る
 これがかの半島の国ならばそろそろ司直の手が入る頃か
 今こそは犬を抱いてコーヒー飲むネット画像を見せてもいいよ

9月19日【新首相は「絆」好き】絆の本来の意味は、馬や犬や鷹などを逃がさぬよう括り付けて繋ぎ留める綱のこと(広辞苑)。菅さんは人間を動物なみに拘束する政策をやる気、不気味だな

9月20日ブログ【コロナの秋】世界感染3千万死者95万人、日本感染8万死者1500人、コロナますます繁盛http://datey.blogspot.com/2020/09/1489.html

9月24日【世界で影響力ある100人】USAのタイム誌の今年の世界で影響力ある人物100人選定に大坂なおみと伊藤詩織が入ったと、日本ジャーナリズムはまるで表彰された様に書いているが、タイムのサイトを見ると、DONALD TRUMPとかXI JINPINGとかもいるよ、「世界で悪影響力」も含む100人リストアップしたってことなんだね

9月25日【行政改革先駆省狂歌】
 押印の廃止とっくにやってるよ法務省では口頭決済 

9月27日【ブログ覆面社会到来】遠い昔の幼児の頃のわたしの記憶に、黒いマスクをつけた父の姿がある。黒いソフト帽をかぶり、黒いインバネスコートである。黒マスクは、顔から突き出した立体的形態で黒いビロードに包まれていた。幼児のわたしが触っても型崩れしなかったから、金属あるいはセルロイド製の網で形状を作り、その上にビロード布を張っていたのだろう。コロナ禍の未来、覆面社会を妄想するhttps://datey.blogspot.com/2020/09/1491.htm」

【わたしのGOTOにも半分補助して】これ(旅行新聞広告)があの有名なGOTOトラブルかい?、旅費と飲食・お土産代(地域共通クーポン券)合計の半分を税金からくれるんだね、税金が戻ってきて嬉しいな、ところで、わたしは近いうちに勝手気ままな旅に行くけど、帰ってきてから旅費と旅先での飲食や買い物の領収書を持ってどこに申請すれば、その半分を税金から呉れるのでしょうか?、また東京での展覧会の見物に行くつもりなんだけど、これもGOTO居弁当とかで、入場料とか電車やタクシー代とか昼飯代とか、総額の半分を補助してくれるんでしょうね、どこに領収書を持っていけば呉れるの?、

 まさか旅行屋に頼まないと呉れないってことはないよね?、そんな面倒なことしなくて、その予算使い尽くすまで、その場で半額払いにすればいいのにねえ、もとが税金なんだからだれのGOTOにも公平分配するべきだよね、どうなんですか?、

2020/09/27

1491【コロナ禍の未来】覆面社会の到来を妄想する

 地球上で一向に収まらないコロナ禍、2020年9月末で地球全体で感染者累計約3300万人、死者約100万人、日本では感染者約9万人、死者約1600人。
 ヨーロッパでは再び上昇気味とか、アメリは勢いが衰えつつもまだ上昇中、南アメリカ諸国もなかなかすごい、そしてアフリカの状況がわかりにくいとか、ワクチン開発はまだらしいとか。

覆面・MASK・マスク・おもて・仮面

●マスク群衆社会の出現

 さすがパンデミックはすごいもんだ。わたしは今、世界の歴史的大事件に立ち会っているらしいが、長生きはするものである。いや、その逆か。
 とはいっても、実のところはわたしの身辺には、マスコミニュースはあれども具体的にそれらしいことは何もない。それはそれで結構なことだが、コロナの実感がわかなくて当惑する日々だ。
 とにかく目に見える何かが社会の起きてるだろうと、野次馬でちょくちょく都心風景見物に行き、一時の人出激減風景には驚いたが、今やコロナ禍前と大差ない風景である。でもコロナ禍最中であることは間違いないのに、、。

 これほどの大事件なのに世の動きが見えない。もちろんいろいろと企業経営は大変らしいが、目には見えない。かといって夜の街に探検に行くほどの、冒険心ももの好きでもない。
 しかし、そういうわたしにも見えるコロナによる大変化がある。それは、街行く人々のだれもかれもが、布マスク着けていることである。こんなにもマスク群衆社会は生まれて初めて出くわしている。
 これしか目に見えないから、とにかく目に見えるマスク群衆風景について、妄想を働かせているのである。マスクの歴史と将来について考える。と言っても一般的調査はしない。

 まずは自分の記憶だけの歴史として、昔はマスクはどうだったか思い出してみる。
 遠い昔の幼児の頃のわたしの記憶に、黒いマスクをつけた父の姿がある。黒いソフト帽をかぶり、黒いインバネスコートである。それが記憶にあるのは、子供心にもマスク姿が印象的だったのだろう。

 その父の黒マスクは、鼻から突き出した感じの立体的形態であり、黒いビロードに包まれていた。幼児のわたしが触っても型崩れしなかったから、金属あるいはセルロイド製の網で形状を作り、その上にビロード布を張っていたのだろう。着用時に顔面に当たる内側に布を沿えていた。それがそのころの一般のマスクであった。こんなことは、こんな事件がないと思い出すことはなかっただろう。

 もう一つの印象的なマスク姿は、1970年代の東京では、道行く人たちの多くが白い布マスクだった。そのころ主に自動車排気ガスを原因とするスモッグ公害があちこちで起きて、マスク姿が多かった。
 今のようにだれもがマスク姿ではなかったが、それでもそのころの東京でのマスク姿の多さを、外国の新聞が不思議で異常な風景として紹介する記事がでたと、日本の新聞が報じたことがあった。

●マスクの変容

 さて、日本では時にはマスク姿が出現したものだが、これほどにも長期にわたり、世界中に流行したことがあるのだろうか。100年前のスペイン風邪の時はどうだったのか。
 人間が身に着ける衣類は、気候風土や文化によって地域別の違いがあるだろう。それが半年ほどの間に、一気に同じ姿になったのは、さすが国際化時代である。
 しかも顔という人間の姿の核心ともいうべき位置を、ほとんど同形の衣料で覆い、世界中の人間が同じマスク姿になったのであるから、これは歴史的事件である。

 今はとにかくマスクをつけてないと、まるで異端者扱いで、店にも図書館にも入れてくれない。スカスカの布切れでも、とにかくマスクをつければ、世の中に通用するのである。
 これをマスク社会の到来と言いたいのだが、透明プラスチック板を顔の前に着けて覆う方式もあり,これは明らかに日本の伝統的なマスクではない。

 しかし、今の段階では透明板覆いよりも布マスクのほうが、はるかに優勢である。それは顔面を覆うのだが、プラスチック板で隙間なく覆うことがむつかしく、コロナ病原体防御がむつかしいらしい。特別な状況でないと有効でないらしいこと、コストが高いことから、布製(不織布性も)が優位らしい。ということで透明布製品が出るまでは、視覚的に隠蔽機能をマスクは持たざるを得ない状況にあるらしい。

 しかし、マスクがアベノマスクのように口と鼻さえ覆えばよい形から変って、鼻や口からの呼気や飛沫が出入りしないように大きく密着するように改良が進んできた。英語でmaskとはいわゆる覆面のことであり、マスカレイドの仮面とか神楽や能の面のように顔面を覆うものである。
 コロナ対策のマスクも多様な形態になりつつあり、口鼻覆いマスクというよりも覆面というほうが正確になってきた。ここでは覆面社会の到来ということにしよう。

●覆面文化の到来

 こうして覆面社会は着々と普及して、その地位を高めつつある。あらためて覆面の目的を考えてみる。その第1は、防寒や防塵のように気候に対する衣料としての役割である。
 その第2は、覆面者の行為を他から見られてもそれが誰であるかを判別しがたくするためであり、犯罪者がそうである。あるいは遊びの仮面舞踏会もそうである。
 その第3は、口や鼻からの呼吸や飛沫による病原体感染防止のためで、今回のコロナ禍マスクはこれである。その第4は、宗教的なしきたりで、キリスト教信者の教会でのベールとか、イスラム信者のへジャブがある。
 その第5は、顔の何らかの障害等の医療のために覆うことである。時には全面を覆い、一部を覆う眼帯や絆創膏もこれにあたる。これは特殊な状況といえよう。

 この覆面時代がいつまで続くのか。あと1年くらいのうちにコロナが急激に収まると、一気に日常の覆面も姿を消して、コロナ前のように上記第1と第2が主となるだろう。
 しかしもしも、コロナがさらに延々と長期に続くと、覆面姿日常として定着してしまい、素顔は非日常となる。
 そうなると、マスクは多様な形態を持って発展し、覆面姿は地域によりその発展形は異なるものになるだろう。こうして覆面文化は人間の21世紀から始まった文明文化として、地球上に定着することであろう。

 顔の口と鼻を隠す文化が行き渡ると、人々の心に変化が出てくるにちがいない。
 覆面の下に隠されている肉体は、元のコロナ防疫のための部分という意味を脱却して、そこは秘すべき隠すべき部位に昇格するだろう。
 現在の腰回り陰部とともに、鼻と口は陰部秘所になるのだ。したがて口髭花髭は陰毛である。うっかり鼻や口を露出して公衆の面前に出ると、猥褻物陳列罪に問われることになる。

 覆面用具のマスクは、本来のマスクを超えてファッションショーにおける服装アイテムとなる。マスクは覆う領域を広げて、その姿を次々と展開してゆくだろう。美しい覆面ファッションが時代の流行柄で登場するだろう。
 あの簡単な耳掛けの布切れからもっと大きく複雑な形に、例えば帽子や衣服と一体となった衣服一体マスクファッションも登場するだろう。
 一方で、逆に小さく縮める方向も出るだろう。あのビキニ水着のように、鼻孔と口唇だけを覆うお色気ビキニマスクも登場するだろう。
 この両極端の間に、数々の覆面ファッションが生まれる。

 そして覆面には文化的表現が付与されるだろう。その例がすでにあり、プロテニスプレーヤーの大阪なおみが、BLM運動の自家製マスクをつけて覆面で競技場に登場した。
 多様な模様のある覆面用具(マスク)ばかりでなく、覆面の姿が人々の意見主張し、立場を表現するのである。これは文化である。

 ところで、ここまで書いたような覆面放任主義とは全く反対の方向として、覆面規制主義が起きるだろう。のほうづに覆面がはびこると、防疫にもならないし、犯罪も容易になるとして、顔面を覆う姿を厳密に法令で定める国家が出てくるだろう。
 マスク全体主義というか、マスク階級主義というか、マスキズムMaskismというか、そういう思想が台頭するだろう。この話は面白そうなのでまた別に考えたい。

●覆面技術の進歩

 当然のことにマスクにもデジタル技術がもたらされるだろう。マスク型スマートフォンが登場して、会話を肉声でなくてネットでやるようになる。マスクの表面が表示画面となって、言語に替わる会話の手段に使われる時が来る。

 マスクを外さなくても飲み食いできる機能が付くだろう。覆面であってもAIカメラ技術で素顔を作成できる技術が出るだろうし、逆にそれを防ぐ技術も出るだろう。
 いろいろと技術的覆面術が進歩するに違いない。そのたびに生物としての人間の肉体が後退する。いや、もしかしてそれがコロナによる人間の突然変異出現を促すものかもしれない。突然の進化の時が来る。

 いま最も気になっていることは、覆面文化到来を容認するかどうかという、覆面派人類とアンチ覆面派人類の戦争になるかもしれないとの思いである。
 現に、国や地域によっては、コロナ感染防止のために覆面義務付けが法的に強制されるところもある一方で、治安に不安がある地域や国では覆面禁止法令が出されている。広く見れば両派の戦いはすでに起きている。

 コロナは、政治と文化と技術の三つ巴の中で21世紀文化を作り上げるのだろう。これからどうなるのか、コロナがもたらす身近な風俗文化闘争が始まりつつある。
 さてこの話はどこまでもだらだらと尽きないし、自分でもこれが底が浅いお遊びの俗論と分っているから、この辺でやめたいのだが、くだらない面白さがあるので、そのうちにまた続きを書きたい。

20200927)

参照:コロナ大戦おろおろ日録2020/01/24~ 継続中http://datey.blogspot.com/p/corona.html

2020/09/20

1490【デジカメの死】身の回りの持ち物が次々と壊れて今度はカメラ、この次は持ち主自身だな

 年取ると身の回りの持ち物も年を取り、携帯電話機、PC、プリンター、炊飯器、エアコン機器、掃除機などなど、短期間のうちに次々と壊れていく。
 10年間使ったコンパクトデジカメキャノンIXY900isがついにくたばった。長く働いてくれたものだ。



 

 デジタルカメラを使うようになって既に20年にもなる。この間にデジカメを5台買い替えた記憶がある。
 わたしの写真撮影は趣味でも記念用でもなくて、都市風景の記録用であるからワイド日付入り視認ファインダー付単3電池併用のカメラが原則であるが、これに対応するカメラは意外に少ない。今の壊れた奴の前もキャノンの同じ型、その前はRICOHCaplioR1だった。

 家庭電器類が壊れると、なんでも分解してみる趣味がある。修理能力は全くないが、単なる好奇心である。PCと電気炊飯器の分解が意外に面白い。
 しかし、デジタル以前から何台もカメラを壊してきたが、カメラというものは箱とレンズがあればできるものだと、少年のころから知っていたから、分解する好奇心が涌かなかった。

 今回、初めてその好奇心がわいてデジタルカメラを分解してみた。さすがにデジタルという名にふさわしく、箱の中は空っぽではなくて、ぎっしりと精密部品類が詰まっている。へえ~、さすがだなあと眺めて、その精密部品の量の多さと、そのコンパクトな収納ぶりに敬意を表した。これ以上はお手上げである。


 さて次のコンパクトカメラの選定をどうしようか。小さくて持ち歩き手軽に使えて、上記4原則対応のものが、はたしてあるだろうか。
 このブログにカメラを話題にしている記事がいくつかあり、わが父からのカメラ史もわかるので、リンクを載せておく。

◆2015/11/21 http://datey.blogspot.com/2015/11/1146.html
1146【終活ゴッコ:懐かしい品々処分:カメラ編】戦前から今日までの7個の古カメラをもう捨てようっと、、
◆2010/01/10 http://datey.blogspot.com/2010/01/227_10.html
227【怪しいハイテク】中古カメラを買った 
◆2012/01/20 http://datey.blogspot.com/2012/01/575_20.html
575コダックがつぶれるとか 
◆2010/10/30 http://datey.blogspot.com/2010/10/343.html
343【父の十五年戦争】続・父の遺品の蛇腹写真機の製作出自が判明した
◆2008/07/08 http://datey.blogspot.com/2008/07/blog-post_08.html
015【怪しいハイテク】便器のなかにボチャンと落して臨終まぎわから生き還ったカメラ


2020/09/19

1489【コロナの秋】世界感染3千万死者95万人、日本感染8万死者1500人、コロナますます繁盛

●コロナの今
 猛暑過ぎ秋来たりたり安倍政権さえ終わりたるに一人勝ちコロナ 

 やれやれ、秋であるがこうも長く居座られると、さすがにちょっと秋ならぬ飽きてきた感もある。
 隠居して暇つぶしに困っていたら、今年から新型コロナパンデミックなる世界史上の事件に出くわし、おお、けっこう面白い人生になるなと、喜んでいる。
 いや、これは語弊があるな、まあ喜んではいないにしても、いろいろと新たな社会変化が日々起きていて、しかもそれが地球レベルでありながら、自分自身の命にかかわるなんて、ワクワク好奇心を止めようがない。

 でも、このところ、なんだかだれ気味である。今年になってこの事件でもう9か月近く、状況が劇的変化するときは過ぎて、何やら慢性的に展開の模様である。もちろん劇的な悲劇発生よりはよいのだが、好奇心を保つのに努力がいるようになった感がある。それはもちろん、わたしが隠居していて、日常がコロナ禍に直接巻き込まれる状況にないからだ。

 今やコロナは9か月の間に、大きな襲撃の波を超えていったん沈静化を見せたが、世の予言通りというか、パンデミックのセオリー通りと言うか、それを第1波としてやっぱり第2波がやってきた。
 それがどうも第1波よりも波が高いように思えるのだが、日本ではコロナ感染よりも経済沈下を怖れて、GOTOナントカなどの経済政策を優先する方途に転換しつつある。ここで巨大津波がやってこない保証があるのだろうか。

●世界のコロナ状況

 一応、昨日までのコロナ状況を記録しておく。地球上でコロナ感染者が3千万人だそうだ。これが過去のパンデミックと比較してどうなのか知らない。地球の人口増加も医療技術進歩も著しいから、昔と比較する法がむつかしそうだ。

 時間軸の比較よりも、空間的な比較のほうがわかりやすい。地球上3千万人のうち、国別カウントすると、一番のアメリカが670万人で、2割以上を占めるとは、さすがに世界の先進国である。トランプ大統領の自国第一政策の成果である。

 感染第3番目の国はインドの530万人、1日に8万人もの感染者が出ているとて、さすがに人口大国である。つづくのがブラジルそしてロシアである。この順序は何を意味するのだろうか。
 中米の国々も続くが、アフリカ大陸は全部で140万人だが、どうなっているのだろうか。ヨーロッパでも、いったん沈静に向かっていたスペインやフランスで再び感染者が増えつつあるそうだ。

 国別だとその核国人口との関係が気になる。国人口100万にあたりの感染者数統計があったが、アメリカ、ブラジルはいずれも飛びぬけて高い数字である。アメリカって医療後進国なのか、それともトランプがバカなのか。

 これを世界の大陸別にみると、興味深い。アジアではインドの状況を見ると、まだまだ山が巨大に高くなるのだろうか。
 ヨーロッパでは明らかに第2波が上昇中だが、どこまで高く長くいくのだろうか。
 北アメリカは巨大な第2波が下降気味のようだが、このまま低下するのか。
 中東では第2波が高まりつつあるらしい。
 中南米では、巨大な山を築きつつあり、これから加工した第2波に向かうとするなら、先が長そうだ。

 アフリカは、山が下降気味で次の山に向かっているようだが、これは実態を表しているのか。あれほども多くの人口が不全な医療環境の中にいて、他と比べてこんなに低い感染なら、実のところは統計が正しいのかと言われている。不気味な大陸である。


●日本のコロナ状況

 日本の状況は昨日で累計8万人であり、感染具合は見事に第2波が襲ってきており、第1波よりも高い感染者の波である。

 都府県別ランキングは、ベスト3は①岩手県23、②鳥取県36、②青森県36となって、最初から相変わらず岩手と鳥取がトップ争いである。人口の多少に比例している。

 ワースト3は①東京都24000人、②大阪府1万人、③神奈川県6300人とて、要するにこれも人口が多いところが感染者も多い。人から人に感染するのだから、当然のことである。世界の国の感染者も、人口が多い巨大都市を抱える国が感染者も多いのだろうか。
 
 こういう状況でも、「GOTOTravel」政策とて、遊び旅行に旅行者で予約すればその旅費や土産代の半額を、税金を原資にして助成してくれるそうだ。
 感染者の多い大都市から日本各地の観光地に、お金を運ばせようという経済政策だが、コロナも運ぶに違いないから、両方で覚悟するしかないのだろう。

 それはその両方が覚悟すればよろしいのだが、問題は、遊び旅行に行けない事情にあるものは、その納税を一方的に遊ぶ奴らに使われるということで、これはGOTO強盗なのである。不公平そのものである。ナントカしろ。

 そこで狂歌である。

半分を出してやるからGoToといわれてもあと半分がない
カネとヒマ体力気力ある奴がわが納税を強盗GoTo
GoToに行けぬ貧者が行く富者を税で支える福祉社会


 ちょうど政権担当の首相が変わったので狂歌。

たはむれにアヘを背負ひてそのあまり軽き言動ゆえに八年も保ちたり
多派群れてスカを背負ひてそのあまり軽き理念ゆえに八年も保つかも
菅政権この前は核の毒が降り今度は新型コロナの毒降る
これがかの半島の国なら今頃はそろそろ司直の手が入るかも
今こそは犬を抱いてコーヒー飲むネット画像を見せる時でしょ

                   (20200919)

参照:コロナ大戦おろおろ日録2020/01/24~ 継続中http://datey.blogspot.com/p/corona.html

2020/09/03

1488【まちもり散人8月日録】ヤレヤレ今月もコロナで終わるか、月末突然コロナじゃなくて首相退任

2020年8月1日 ブログ「1480【コロナの現在】世界パンデミックリーダーはアメリカ、第2波到来日本リーダーはやはり東京、ああ生き過ぎたttps://datey.blogspot.com/2020/08/1480.html


8月3日 ブログ【コロナ横浜徘徊】コロナどこ吹く風の繁華街とコロナ景気が来たか貧困街https://datey.blogspot.com/2020/08/1481.html

8月4日【GoTo】西村康稔ってお方は、経済再生担当GoTo大臣かつ新型コロナ対策担当StayHome大臣なんだね 毎日どっちにするかと迷うばかりの股裂き大臣泣き、Go to stay home!
【アベノマスク】「アリャ、トランプ親分は嫌だと言ってたので、子分のオイラは遠慮して小さなマスクにしてたのに、親分があんな大きなマスク着けることにしたとはねえ、じゃあ子分のオイラも大きなマスクに取り換えようっと、」

8月6日【コロナ狂歌】新型の新幹線でGoToTravelみやげは新型コロナ新感染
  旅に行くカネがないのでやってるよGo To Stay Homeなんての
  イソジンで生兵法を説く人ありせめて聞こうかレノンのイマジン
  イソジンでうがいしながら暇人はレノンが歌うイマジンを聞く

8月10日【祝日ばやり】えーと、今日は休日?、え、山の日?、そんな祝日あったっけ?、ふーん、そうか、今日でコロナ感染者の数も、ヤマを迎えるんだね。


【首相記者会見】ありゃ、カンニングペーパー見せてるよ、自分が述べる回答ばかりか、記者から受ける質問も書いてあるよ、こうも堂々と見せるのは、実はカンペじゃなくて、「記者会見」という芝居の台本なんだね、へたくそ役者ばかりで面白くないけど、これなら失言という事故が起きようもない安全運転総理大臣で、選んだこちらも安心して乗客になっていて、、よいのかなあ、、?

8月11日ブログ【コロナ禍の日々】今日の新聞のトップ記事は少年の野球大会とてこの平和をよろこぶべきかhttp://datey.blogspot.com/2020/08/1482.html

8月12日【香港騒然】かつて日本の治安維持法では共産党が検挙される側、香港国家安全維持法では共産党が検挙する側、人間は矛盾してるね。


8月15日 ブログ【望郷と忘却:『荘直温伝』読後感想文:1】故郷生家の神社を探した歴史地図の忘却 http://datey.blogspot.com/2020/08/1483.html  

8月15日 ブログ【コロナの街徘徊】酷暑コロナ禍敗戦記念日の東京九段靖国神社風景にいつもと変わりなしが何だか怖い http://datey.blogspot.com/2020/08/1484.html

8月17日、ブログ【コロナ文化時代来るか】人間の顔部に新たな陰部を作り出したコロナがもたらす新文化の行方は、http://datey.blogspot.com/2020/08/1485.html
【コロナ風俗】超久しぶりに中華料理屋に入ると、一人なのでカウンターに案内され、見れば座席ごとに衝立で仕切り、これってなんだか見たような記憶、おおそうだ昔の公衆便所の小便所だ、ならば大便所式の個室もあるかな、食い物屋の客扱いは個別化して、公衆便所形式に近づいているな、出すと入れるの差だけで、やってることは似てるな、新たな生活様式が新たなコロナ文化を生みつつある。

8月18日【疎開】social distancingなんて長たらしく言わずに、昔からの日本語に「疎開」なる言葉あり、疎も開も物や人の間を相互に離し空けること、これ使ってはどお?

8月22日ブログ【望郷と忘却:『荘直温伝』読後感想文:2】高梁盆地を縦断した山陽山陰連絡鉄道を当時の町長は街としてどう受け止め、後世はどう生かしたかhttp://datey.blogspot.com/2020/08/1486.html

8月24日【今朝の新聞から:強盗キャンペン】えっ、遊びにいくのに、こんなに金を呉れるのかい、旅費10万円が6.5万円になり、更にクーポン券もくれると事実上は半額になるんだって、すごいねえ、だってその呉れるカネの元は税金でしょ、遊びに行くカネなし体力なしの年寄りが、年金から天引きされて納税したカネを、カネある体力あるどなたかが、こういう方法で強奪するんですね、だから強盗キャンペーンなのね、あまりなことに嗤います。

8月28日【記者会見】おお、ついにコロナが撤退を表明だって?、ああ、よかったよかった、うれしいなあ、え?、違う?
【コロナ狂歌】灼熱の光降りくる夏の日にしづ心なくコロナ散るらん
   コロナ来て後の心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり
   あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々しコロナよGO TO Hell!
   あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々しコロナも安倍晋三も

8月29日【コロナ撤退】「あの方が撤退しても、当方はまだまだ1年以上は、撤退する予定はないので、今後とも三密・夜遊び・GoToに、ご協力をよろしくお願い致します」<新型コロナウイルスより>」

8月30日【コロナの勝ち】「私が2020年から短期間に多くの国家的危機課題を投げかけたので貴方の肉体と頭脳の能力では対応不能に陥り、事実上は私が貴方を退任に追い込み、お気の毒に存じます。<コロナより>

2020/09/02

1487 【コロナ映画館】笑っていて空しくなるドキュ映画「はりぼて」は地方議会だけじゃなくて国会あたりも

 久し振りに映画館へ、「はりぼて」(監督:五百旗頭幸男、砂沢智史)を観て笑って空しくなった。
 映画の宣伝文句は『保守王国、富山県の小さなテレビ局の追及で市議14人がドミノ辞職。今の政治を抉るドキュメンタリー映画!』。

 いい年齢の大の大人の男ばかりの市会議員何人もが、次々と税金着服汚職の疑惑に、それを地元TV局が次々と暴く、その過程のドタバタ喜劇実写映画である。
 議員たちの超恥ずかしい言いわけ、陳謝・辞職・返還・居直り・裁判が続く。張り切って議会改革を唱える若手新人議員が破廉恥行為なんてドタバタ。

 市長は議会のことだから知らぬ存ぜぬ、ところが市役所職員が議員汚職に絡んで違法事件発生、次から次へと謝罪や言いわけ画面が登場して、それが全部男、可笑しいけど空しくなる。

 このドタバタ人間喜劇は、フィクションじゃない、ニュース取材を編集したのだろうが、現実は小説の上を行く。
 地元に根を下ろすテレビ局が、これほど突っ込んで取材できるんだと感服した。
 そしてネタバレになるから内容を書かないが、最後には「楽屋落ち」(落ちの意味に映画館を出てから気付く)さえ用意してあり、実によくできてる。

 単純にしてお笑い的事件の連続だが、もっともっとカリカチュアライズして、爆笑つづきにさせてくれる方法があっただろうに、意外に抑制的に編集している。タイトルの「はりぼて」こそが、強烈なカリカチュアライズ表現であろう。
 こんな人たちに票を入れる有権者たちがいるのは厳然たる事実で、国政だって似たようなものか。

 富山市庁舎建築の特徴あるデザインがよく登場するが、あの大きな吹き抜けが「はりぼて」の中の空洞に見えてきたし、大きなガラス壁面の斜きが議会崩壊を象徴するように見えてきた。雪の北アルプス連峰が美しい。

 ◆「はりぼて」予告編 https://youtu.be/sibI4JIlwnI

 コロナ禍の中の映画館(横浜・ジャックアンドベティ)の座席は定員半分の指定制、平日昼間なのに座席はほぼいっぱいだった。
 席移動禁止、覆面してろ、話すな、笑うな、食うな、飲むな、袋ガサガサさせるな、などなど、コロナ流映画見物お行儀がいろいろとウルサイのは仕方ないが、その口調がどこか押しつけがましい。

 ビール片手に大声で笑いつつ、隣の友人とあれこれ批評しあいながら観る映画って、今後は出会うこと不可能なんだろうか。いよいよPCで観るネット映画ばかりなるなア。
 ついでに言えば、見ること少ないが映画館で最近観た映画の記憶は、ジェインジェイコブス、主戦場、バウハウス100年映画祭などのドキュメンタリーばかりだ。
 うちでネットに登場する動画をよく観るが、ここでもフィクションよりドキュメンタリー映画をはるかに面白がっている。ここまで築いた映画文化をコロナが崩壊させるのだろうか。(20200902)