2011/07/16

450困った時代に人生を得たもんだ

 菅さんが「脱原発」といったと報道があったら、次の日には「あれは菅個人の考え」って報道である。
 なんだよ、たちまち矮小化されちまった。印籠は木の葉だったか、。
 こうまで菅をいじめると、ますます判官贔屓するぞ
褒菅びいきだあ!
 なにが本当だか分らんが、どうも朝日・毎日軍は脱原発方面へ、日経・読売・産経軍は反脱原発方面へと展開しているようだ。
 脱原発だの卒原発だの縮原発だの、いろいろと造語がお好きな政界・メディア界・産業界のようである。
どこが違うんじゃイ!
 
 それにしても、変な時代に人生を得たものである。
 わたしの人生の初期は十五年戦争時代であり、晩期は東日本大震災・福島原発放射能大汚染時代である。
 これで騒乱に始まり騒乱に終る人生ってことになりそうだ。
 中間には平和な時代もあったのが儲けものだが、自分自身で生まれるときは選べないからしかたがない。
 だが、死ぬときは選ぶことが可能ではあるとしても、この騒乱のときを超えたところで人生を終えるのはどうも無理そうである。
  なんにしても、騒乱の中で人生を終えるのであろう。

 それにしても、と、またいうのだが、原発難民の人生はどうなるのだろうか。 
 騒乱の真っ只中で生を得た世代が、わたしとおなじようにその後に一時的でも良い時代を得ることができるのだろうか。
 もしも原発をやめなかったら、その原発難民世代は人生の晩期にまた原発難民になるかもなあ、。
 なんだろうか、このなにもかもが不安定なままで、ずるずるといきそうな不安な世の中は、、。
 もしかしてこれって、十五年戦争の初期に、日本の庶民たちが感じた空気のような気がする。
 そう、原発十五年戦争のはじまりである。

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