2024/11/09

1849【分断の地球】ベルリンの壁崩壊35年目にトランプ再登場また分断地球新冷戦時代か

もしかして「棚からトランプ」かもしれぬ
いや「泣き面にトランプ」かもしれぬ

●ベルリンの壁とトランプの壁

 今日は11月9日、35年前の1989年の今日、ベルリンの壁が崩壊した。第2次大戦後に東西冷戦による地球分断が続いていたが、ついにその分断の象徴であった壁に穴が開いた。どうなるのだろうかとハラハラドキドキしながらの日々を送っていたことを思い出す。あれは世界史における大きな転換点だった。

 それで思い出すのは、この前にトランプ登場して起きたメキシコ国境の壁構築のことである。あの時の壁は今はどうなっているのだろうか。バイデン政権に変わってから、あの壁はストップしたのか、壊したのか、相変わらず構築が進んでいるのか。ネットニュースを読むと、バイデン政権はいったんは壁構築を取りやめたが、やはり国境門田は根深く継続せざるを得なかったらしい。どうやら建設は遅くなったが停止はしなかったらしい。

 不法侵入移民問題はUSAでもヨーロッパでも続いているようだ。ベルリンの壁は東西問題の象徴であったが、いまや移民問題は地球的な規模の南北問題となっている。そこにトランプ再登場、当然のことにメキシコの壁はまた勢いよく構築が進むに違いない。壁は止まることなく、争いも止まることなく続く、地球的規模で南北問題として分断策も進む。

 ベルリンの壁崩壊の頃は、東西冷戦が次第に溶けて分断の壁が壊れる過程を、ある種の地球的な規模での融和感が満ちてくる心で見ていた。ところが、今回のトランプ再登場は、またメキシコの壁を構築をはじめとして、前回のトランプ政権でできなかったUSA第一主義を進めるだろうから、地球文壇の壁が多く立ち上がるに違いない。未遂の前科がたまっている。89年とは逆のハラハラドキドキである。

 ベルリンの壁は現物を見に行ったことがあるが、メキシコのトランプ壁を見たことがないので、ネットでいくつか拾った。





 この十字架があるUSAメキシコ国境の壁と同様な悲劇の壁を、51年前の東西境界ベルリンの壁で見たことがある。


●この目で見たベルリンの壁

 ベルリンには1973年に行ったことがある。それ以後は知らない。73年はもちろん冷戦の最中であり、壁で西と東に分断されたベルリンを見て、国境とはこういうものなのだと、そのハードさに驚いたのであった。

 1973年10月に写したベルリン風景を載せておく。東西世界の分断と言うものが視覚的によく分る。まずは上にあると同様の国境の悲劇の写真である。

 東西ベルリンの壁の一部に、十字架がいくつか飾られている、これらはいずれも東から西へとこの場所で脱出しようとした人々が、背後から銃で撃たれて命を落としたことを追悼するものであった。ほかにも同様な風景を何か所も見た。この現実は国境を知らない私にはショックであった。たぶん、メキシコ国境でも同様なことであろう。

 壁はいろいろな形であった。既存の塀、家屋そのものが塀、バリケードなど、多様な姿であった。トランプの壁のように整然としてはいなかった。

 
西側の見物タワーから東側を覗く 塀と2列のバリケードによる3重の壁

YOU ARE LEAVING  THE AMERICAN  SECTOR

YOU ARE LEAVING  THE AMERICAN  SECTOR

空き家街並みがそのまま壁になっている

建物の外壁の一部を残して壁にしているらしい

 上に見るように多様な壁であったが、これを乗り越えようとすると背後から銃撃に襲われたのだ。日本では地上に国境はないから、ここの厳しさに驚いたものだ。わたしたちは専用のバスで、先方が派遣するガイドの言うままに西の街を見学した。
 
 まず驚いたのは、西側から東へとこの壁を抜けていくチェックポイントチャーリーという名称の検問所の警戒の厳しいことであった。検問中はバスに閉じ込められたまま待たされ、その間に外を見てはいけない、写真を撮るなとて、違反行為が見つかると撃たれると、ガイドが言う。東から西に戻るとき、検問担当の兵士らしき男たちが、車両の真下に鏡を突っ込んでみていたが、バスの底の裏に潜む脱出者を探すのだそうだ。

 東ベルリンでバスから降りてゆっくりと見せてくれたのは、ソ連軍の戦勝記念ゾーンだった。広大な土地に巨大な記念彫刻やら戦死者の慰霊施設やらで、まるで王様の宮殿を見せられるようだった。要するにソ連のプロパガンダ施設である。なお、東側から壁を見せてくれるチャンスはなかったのは、東にとって自慢の種ではないからだろう。
東ベルリンのソ連軍戦勝記念施設

東ベルリンのソ連軍死者慰霊所 1973

 東ベルリンの街にはたくさんの高層共同住宅群が、壁に近くに立っている。それは西の街からよく見えるような位置に建設してある。東側の宣伝塔としているのだそうだ。
 同様に西側でも壁の近くに大きな文化施設をいくつも建てて、東への誇示をしている。有名なカラヤンサーカスと言われた音楽ホールもその一つである。これも有名なミース・ファン・デル・ローエ設計の美術館もそのひとつである。
 西も東もその政治体制の宣伝の場が、冷戦下のベルリンであった。

西側のコングレスホールとその向こうの壁の東に建つ東側の高層住宅群 1973

ベルリン・ナショナルギャラリー 1973年10月の姿

ベルリンフィルコンサートホール「カラヤンサーカス」 1973年10月の姿

東の街のにぎやかさと、西の街の寒々しさ、対照的な印象が残っている。

 西の中心街クーダム Kurfuerstendamm 1973年

東の中心街 Uter der Lnden 1973年

 
 さて現今これからはどうなるのか。トランプ、プーチン、シーチンピンの強権トリオが地球の東西を大きく揺さぶるリーダーとして登場してきた。いずれも地球の分断をものともしない性格らしい。物理的な壁、関税障壁、人種宗教の壁などなど、壁だらけの地球だ。
 壁に伴い新冷戦時代が地球を覆うのだろうが、それはいったいどんな地球になるのか、見当がつかない。お手柔らかにである。
 もっとも、わたしのような超年寄りには、安心なる行く末への手立てが待っている、つまり困ったらあの世に逃げ出すのだ、どうともなれ~。
(20241110記)
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