2012/02/22

586横浜山手墓場散歩

 春浅い日、横浜山手をぶらぶら、定点観測の唐沢公園からの眺めは、あまりにたくさんのビルやら家で、もうどこが変わったのか、変わりつつあるのか、さっぱりわからない。 変化を見るには、過去の写真と並べて、新惑星の発見でもするごとくやらねばなるまい。

 生きている人間の営みの空間の、なんとまあ密度が高いことよと見て、ぶらぶらと山手を向こうにくだると、谷底、また向こうに丘陵が横たわる。
 その丘陵を埋め尽くして、死んだ人間のため空間が、これまた密度高く広がっているのであった。
 人間は生きていても死んでいても、その身を寄せ合う密度はおなじように高いものであるようなあと、感慨を催すのであった。

 その死したる人間の密度高い石塔群の向こうに、おや、生きた人間のための石塔群が肩を並べているであった。卒塔婆もあるぞ、鉄塔らしいが。
 生きても死しても、人は石塔・卒塔婆が必要らしい。
 墓場の境界に高い鉄製の網の垣根が出てきた。向こうはアメリカの将校たちが暮らす住宅地らしい。侵入者は訴えられるぞ、なんて札がかかっている。隣には墓場のゴミを捨てるなもって帰れなんて札もかかる。
 垣根の向こうの米兵住宅地のあまりのゆったりさと、垣根のこちら側の墓場そして先ほど見た街の風景の密度、その差の大きさにちょっとたじろぐのであった。

 墓場といえば寺院である。寺院群が谷底に並んで、丘陵を埋め尽くす墓場と対峙している。
 その中のひとつのお寺、片持ち構造のモダンデザインの鐘楼門の向こうに、古式の本堂、その横には新式の高層住宅ビル、そのビルの一階に寺院の施設があるのであった。
 生きた人間の不動産経営で、死したる人間を支えているのである、らしい。

2012/02/19

585出戻りお目見え近い東京駅姐さんと紙ヒコーキビル

今朝の新聞に一面広告、「2012年10月3日東京ステーションホテル開業」とある。この3年前だったか、お化粧のためにしばらく休業だった。
 1914年開業だから98年目のお化粧直しのお目見えである。丸髷結って、カンザシいっぱいさして、赤いドーランの厚化粧、大年増姐さんの風情である。
 悲惨な戦争から戦後復興の象徴であった古典とモダンの融合した、伊藤滋(都市計画家じゃなくて別人の建築家)の名作の姿は消え去った。

で、本物は今はどうなってるんだろうと見れば、おお、化粧前掛けの後ろの上に、丸髷が見えるよ。
南のほうにゆけばほぼ被り物も肌着もなくなって、おお、片肌脱ぎだよ。
 中ほどはまだ被り物があって、ちょっとしたクリスト風のパーフォーマンス。

 あ~あ、とうとう復原という破壊が成立したらしいよ、まあ、この20年ほど復原反対論を唱えているだけで、運動は全然する気はなかったから、しょうがないや。
 これが出来上がるこの夏ごろの、世間と建築界とがどう評判とか評価するか、それが楽しみである。
 これは歴史評価の踏絵となるはず。

 わたしも2007年から書きかけのままの「東京駅復興(その3)」(東京駅の保存は八十島委員会でどう検討されたか)を、そろそろ書き上げねばなるまい。


 隣では、対照的に真っ白な東京中央郵便局、じゃなかったJPタワーの根元が、こちらもそろそろ被り物を脱いで顔見世が始まりつつある。
 その真っ白な箱に真っ青な紙ヒコーキが天から舞い落ちてズブリと突き刺さっているのであった。9.11のパロディ。


東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)

2012/02/18

584イオンの津波(続き)

閣僚となった政治家は、自分の資産を公表しなければならないらしい。今朝の新聞に一覧表が載っている。
 そんな他人の財布覗き込む失礼なことはしないのだが、一番上に岡田副総理のが書いてあって、つい目がいった。
 え、イオンの株12万株だってさ、おお、やっぱりそうか。

  民主党が高速道路を無料にするのは、岡田さんの兄が社長のイオンという小売量販店のためだろうというのである。
 だって、イオンは各地の郊外のインターチェンジ近くに店を出しているんだから、遠くからも買い物に来る客にとっては、高速道路が無料なのが一番ありがたいのである。イオンは高速道路無料化で、いながらにして税金でもって販売促進してもらえるのだ。
 前にもここに嫌味を書いたことがある。http://datey.blogspot.com/2009/08/165.html
 
 わたしは高速道路の無料化に反対なので、そんな嫌味を書いたのだが、12万株ももっているなら、こりゃあ株主としてはやっぱりイオンが栄える(つまり中心市街地が衰える)政策を民主党はやりそうだ。イオンの津波をさらに多くするのだろう。
 これがわかっただけでも閣僚の資産公開の意義があるとわかった。

 株主といえば、オリンパス事件でとうとう司直の手が入ったが、クビになった外人社長が、大株主を自分の味方につけて損失事件を告発しようと画策したが、ぜんぜんついてこなかったとがっかりしているとか。

 どうもよくわからないのは、あの損失事件は、いったい誰が損をしたのだろうか。会社の失敗をうまいこと処理して、会社の業績もちゃんとしている。株主もそれでよいといっている。
 誰かぼろ儲けしたやつはいるだろうが、投機は失敗もあるからやるもんであって、あたりまえでしょ。
 隠してたのがいけないという形式的な犯罪で、被害者がいない、なら、ほっときゃよいように思う。

 ところが司直の手が入ったということは、税金を使ってほっときゃいいいいことをほじくりかえすってことなんだろう。
 お家騒動をほじくり返すのは、お家の中で互いにやってもらって、こんなことで大切な税金を使わないでほしいものである。
 会社経営とかの素人には、なんのことだかまったく理解できない事件である。大王製紙みたいにドラ息子の使い込み、なんてのは素人でもよくわかる。

2012/02/12

583津波に耐えたイオンの森と津波を起こすイオンの店

グーグルアースで、東日本大震災の津波で、仙台若林区の海岸の防風林として作った松林が、大木なのにまるで草のようにきれいにひれ伏しているのを見て、どうして松なんて根の浅い木を植えたのだろうと不思議に思っていた。
 それは多分、砂丘だから土に養分がないので、最初は松しか育たないから松を植え、そのまま松林を維持してきたのだろう。
できるだけ早く根の深い常緑広葉樹林に移行させる考えはなかったのだろうか。

 そんな疑問を抱いていて、知人からこんな動画がネットにあるよと教えてくれた。
http://www.youtube.com/watch?v=gDOEs2_ONGM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=M3BENrrhJJM&feature=related
 どちらも、宮脇昭さんが登場して、震災復興のための森づくりを語る。
 宮脇さんは高名な植物生態学者で、わたしと同郷で個人的に旧知の間柄である。

 その土地本来の自然の樹種による「ふるさとの森」を作れ、土地に合わない偽物の木を植えるなと唱え、実際に実行もしている。
 彼が作った有名な森は、横浜国大である。ゴルフ場だったハゲ地を、深い森のキャンパスにつくりあげた。
 今では、森の中に大学を作ったのだろうと、誰もが思っているくらいだ。
http://datey.blogspot.com/2008/05/httpwww.html

 動画の中の宮脇さんは、松林がもろくも津波になぎ倒されたのは、根が浅いからだ、復興の森作りは、根の深いシイ、タブ、シラカシ、マテバシイなどの常緑広葉樹で作れと言っている。
 その森の基盤は、津波や地震出てた瓦礫や廃材を砕いて土と混ぜつつ、穴に埋めて、さらに盛りあげて小山をつくるのである。だから小山の森となるのだ。
 これは、わたしが言ってきた「核毒の森」づくりそのものである。
 http://datey.blogspot.com/2011/08/47921.html

 その動画に、現地の森を見る宮脇さんが登場して、この津波でも倒れなかった常緑樹の森は、イオンの森だという。イオンとは小売量販店のことである。
 イオンは自分の店の周りや、中国の長城あたりでも木を植えて森を造る事業をやっていて、それを宮脇さんは指導しているのだ。
 たしかに常緑樹の森(林か)は、松林のように倒れなかったが、店舗は無茶苦茶になったから、宮脇さんご自慢のイオンの森も津波除けにはならなかったらしい。

 宮脇さんがしきりにイオンの森イオンの森というのを聞いていて、なんだか違和感が沸いてきた。
 いや、宮脇流森づくりはわたしも大賛成だし、実際に自分のやった仕事で宮脇流森づくりをしたこともある。
http://homepage2.nifty.com/datey/kawada05-09.htm

 だが、イオンと津波は、よく似ているよなあと思ったのである。
 大型店を郊外につくって、その影響がドド~ンと街の中心に押し寄せて、街中がたちまち空店だらけになるのは、津波そのものである。
 いや、津波よりも原発の放射性物質ばらまき拡散のほうが近いか。何年にもわたってじわじわと生活圏を壊していくのだ。
 イオンの自然の森づくりは、その街壊し放射線加害の補償のつもりでやっているんだろうか。

 なんにしても、高田の松原をつくった菅野杢之助の功績はほんとうにえらいと思うけれども、センチメンタルにまた松林復旧ではなくて、宮脇さんの唱える潜在自然植生の樹種で森の復興をするべきであろう。

2012/02/11

582映画で見る故郷

故郷の高梁で、まちづくりの話を一般の人たち相手にしてきた。
 その事前準備のときに思いついて、高梁がでてくる5つの映画のDVDを、ディスク貸屋さんから借りてきて観た。
 映画のスタジオ外撮影場所(業界用語ではロケーションというらしい)として、各地が映画屋(っていうのかしら)に売込みしているのは、その映画の評判で観光客を呼び込もうという算段なのだろう。
 それとも、映画屋が高額な撮影料を払うのだろうか。

「男はつらいよ」シリーズの2つで高梁が登場する。第8作(1971年寅次郎恋歌)と第32作(1983年口笛を吹く寅次郎)である。
 寅次郎の義弟が高梁の石火矢町の旧家の出という設定になっているからだ。
 わたしが少年時代を過ごした町だから、記憶にある風景が出てきて懐かしい。背景となるそれぞれ40年前、30年前の街の風景がどう変わったか、それを見たかったのだ。

 たとえば第8作では蒸気機関車が走るのに、第32作では電化されているとか、現在の街並みでは消えた寅次郎騒動の家などをみる、というような面白さがある。
 映画はフィクションだから、風景をうまく編集していかにもそれらしく使うことはあたりまえだろう。
 だが現地を知っているこちらとしては、その場面のつづきはそういう風景にはならないはずだよと、突っ込みたくなることもある。

 第32作で、寅次郎が住み込んだ寺の跡取り息子の青年が、写真家になりたくて東京へ列車に乗って出奔する。その列車を青年の恋人が、踏切で見送る場面がある。
 ところが東京に行くなら上り列車のはずが、やってきたのは下り列車で、それに青年は乗っているのだ。鳥取県経由で東京行きとは、米子空港から飛んだのかしら。
 このほうが絵になると撮影したのだろうが、見ているこちらはそりゃ違うよって、興がそがれるというか、たぶん映画監督が意図しない哄笑をしたのであった。

 映画「バッテリー」では、岡山県内の高梁や津山などいくつかの街の風景をつきまぜているものだから、もっとわけがわからない。
 高梁のあそこだなあと観ていて、続く場面で、はて高梁であんなところあったしらという風景が、しょっちゅう登場してきて、頭がこんがらかってくる。
 まあ、それを楽しむという見方も、あるにはあるだろう。

 映画「県庁の星」では、高梁の街の中にある小売量販店舗が撮影場所であった。
 しかし、高梁である必然性はまったくない内容で、たまたま撮影に使ったということらしい。
 外の風景といえば、だだっ広い殺風景な駐車場が出るくらいなものである。

 せんだってその駐車場に行ってみたのだが、ここに限らないが、ああいう場所はどうして木を一本も植えないのだろうかと、不思議でならない。
 そのあまりの殺風景さについて、先日の講演の中で写真を映して、ここを森で囲みなさいと言ってしまったくらいである。

2012/02/08

581死に甲斐のある故郷へ

2月5日に故郷の高梁で、高梁盆地へのオマージュ「美しい故郷へ」と題して講演をしてきた。
 少年時代をすごしてよく知っている町だが、その後の半世紀を越える時間をブランクにしている。
個人的な印象きわまる少年時代の想い出の町を、都市計画を職能とする冷徹な目で眺めて話すという、ここでしかできない、今しかできない、そんな稀有な機会であった。
  ◆
 都市計画の仕事で訪ねた町で、いろいろ調査してその街の人に話すのは、客観的であるが他人事に終始する。聞いているほうも醒めているだろう。
 ところが故郷を話すのは、主観と客観の入り混じり具合を、自分でどうコントロールして話すか、これがなかなか難しいが、それだけに実に面白い経験であった。
 故郷にいる友人たちも、わざわざ帰郷してきて聞いてくれた旧友たちも、昔話のような、でも故郷の先々を語っているような、そんな気持ちで聞いてくれたようだ。
  ◆
 あらためて故郷の町を都市計画の目で調べて、新発見、再発見したことがあった。
 盆地の北半分が藩政時代に築いた市街地で、南半分は田んぼであったところを太平洋戦争後に市街化したのである。
 つまり北半分は19世紀前半までにでき、南半分は20世紀後半以降にできたのである。この二つが合わさって高梁盆地の生活圏を構成している。
 ところが、その戦後市街地のあまりに都市計画のないこと、その反対に藩政時代の市街地の都市計画のあまりにありすぎること、その対照に驚いたのであった。
 それでもすごいことは、高梁盆地は、今まちづくりの最先端を行く見事なコンパクトタウンなのである。そう、一周遅れのトップランナーである。
  ◆
 もうひとつ驚いたのは、その盆地人口が藩政時代から現代まで約1万人ほどで、ほぼ変わらないで来ていることである。これをどう考えるか。
 もっとも、人口の数は変わらなくても、人口の年齢構成は大きく異なっている。いわゆるピラミッド型(若いほど人口が多い)であったのが、今は大きく肩幅を広げて下がすぼまった高齢者が多くて若くなるほど少ない形になっている。
 ところが、まるでバレリーナのスカートか腰のフラフープ(昔流行した)のごとくに、18歳から25歳のあたりだけが突出して人口が多いのである。大学生がいるからだ。
 さて、そのスカート層が、これからもいてくれる町を維持することができるか、勝負の時が来ているだろう。
  ◆ 
 人口の推移も面白い現象がある。
 行政区域人口は減少の一方である。今の高梁市の行政区域は、盆地の外の高原地域の町村と大合併して、とんでもない広い範囲となっているのだが、その高原区域の人口が減少するばかりだから当たりまえである。
 その一方で、都市計画区域人口は18000人強でほぼ変わらないできている。2005年には増加している。
 都市計画区域は、市域の中の3つの盆地を対象としているが、要するにそこが昔からの町村のそれぞれの中心なのである。高原地域から盆地へと移動をしているのだろう。
 これからも盆地が受け皿になるか、そこが勝負だろう。
  ◆
 故郷にはもう血のつながりは一人もいなくなった。だが、故郷を愛する幼ななじみの友人たちがいる。その一人が今回の講演の仕掛け人である。
 そして、なんと東京で知り合った岡山にいる都市計画の専門家が、この故郷で仕事をしているのに出会ったのだった。
 縁はつながる。故郷に感謝!。
 講演時間が足りなくていい足りないことばかり残った。
 話の最後は、川端五兵衛さんの言の受け売りで納めた。
「死に甲斐のあるまちに!」

講演会資料
講演会広報リーフレット(pdf 282 KB)
講演会当日配布レジュメ(pdf 872 KB)
講演全文ブックレット「美しい故郷に」 (後日補綴あり)(pdf 4114 KB)
同上ブックレット表紙(pdf 107 KB)
●参照→ふるさと高梁の風景

2012/01/31

580迷惑認識はあるけど、

 普通は、迷惑をかけると、ごめんなさいって、謝るものである。
 ここでは「ご迷惑をおかけします」とか、「公園再整備工事を行っております」とか、見れば分かる事実の報告だけで、ちっとも謝っていないのである。

 謝らないのは、市民のための公園整備は当たり前、迷惑かけてることは分かっている、工事で迷惑かけるのは当たり前だ、謝ることはないって、そういうことなんだろうなあ、と、近くに住む市民は思ったのであった。

2012/01/30

579日本の人口の行く末

今の日本の人口は12800万人くらい、それが50年後には8670万人になるという推計が、国立社会保障・人口問題研究所から発表されたそうだ。
 グラフで見ると今頃がピークで、このあとは急なようなそうでもないような坂を下っていく。

 こういう人口の棒グラフは、棒の下のほうが若くて、上に行くほど年寄りのというイメージで書くものだが、ちょっといたずらして逆にしてみた。
 それで気がついたのは、65歳以上の老齢人口はこれから特に増えもせず減りもせずの定常状態になっていることである。これって、どういうわけなんだろうか。

 毎年、上のほうから若い空色層と白色層がガタンと色層のところに降りてきて、押された水色層はガタンとゼロラインの下に落ち込む。つまり死ぬのである。
 でも水色層の長さは変わらない。変わるのその上の層ばかりで減っていく。
 これはつまり生まれる赤ん坊が、死者の数に追いつくほどの補充が利かなくなっているってことなんだろうなあ、。

 人口の量よりも、この3色の構成比率が問題なんだろう。
 これを是正する人口政策は、たとえば、水色を減らすのである。つまり長寿から長害へってね。そういえば、水色を減らす政策って今までなかったなあ、増やす方向ばかりだった、、、うむ、。
 戦争直後のベビーブームのときは、なんとかして空色層を減らそうとする産児制限なる政策があったけどなあ。

 もうひとつは、空色を増やすってこと、これはたとえばフリーセックス奨励策なんだろうかしら。婚姻と出生とを切り離すしかないのだろうなあ。
 できちゃっても婚しないでも平気な政策って、、なにかなあ、。

 この棒グラフを見てもう一つ思うのは、昔と今とは水色と青色が逆転している。
 つまり、昔は子沢山で白色層が空色層を養うのが大変なのであった。
 それが今とこれからは水色層の老沢山で、これを白色層が養うのが大変と見えるのだ。
 だが、考えてみると空色層はほとんど稼ぐことはないが、水色層はけっこう稼ぎ能力を持っている。
 その違いがあるのを棒グラフでは表してくれないから、青色がお荷物に見えてしまう。

 人口問題くらい将来が良く見える予測はないが、人口政策くらいやりにくいものはないってことだろう。
 まあ、何もしないでいて目に見える問題が生じるころは、わたしは水色の棒の下に消え去っているのである。

2012/01/26

578鎌倉世界遺産正式推薦へ

文化庁の報道発表として、鎌倉富士山の世界遺産推薦のことが、文化庁ウェブサイトに載っている。

「本日、外務省において世界遺産条約関係省庁連絡会議(構成:外務省、文化庁、環境省、林野庁、水産庁、国土交通省、宮内庁)が開催され、「武家の古都・鎌倉」(文化庁・国土交通省の共同推薦)及び「富士山」(文化庁、環境省・林野庁の共同推薦)の世界文化遺産への推薦について検討が行われました。その結果、両資産の推薦書(正式版)をユネスコ世界遺産センターへ2月1日にまでに提出を行うことが決定されましたので、お知らせします」

 で、その後は現地調査やらいろいろあって、2013年夏にユネスコが審議して決めるそうだ。
 暫定で雌伏10年の鎌倉は、果たしてどうなるか。

 鎌倉と富士山とが推薦省庁が違うところは、街と山の違いなんだろうか。
 たとえば鎌倉には都市計画があるから国土交通省、富士山にはないから環境省なのか。あ、そうか、国立公園だからだな。
 鎌倉も広い山林領域が登録構成資産なのに林野庁が推薦しないのは、あの山は木が生えていても管轄が違うんだろうなあ。

 「武家の古都鎌倉」は英語で“Kamakura,Home of the SAMURAI”だそうである。
 ふ~ん、マイホームってホームと同じかなあ、サムラ~イって発音すんだろうなあ、なんだかジャパネスクっぽいなあ、なんて、ネイティヴ英語のわからない人は思うのであった。

 そんなことより、文章を読んでいて、気になったことがある。
「開催され」、「行われました」、「決定されました」と、受身の表現が続いていて、この発表した文化庁とは関係ないところでのことみたいなのである。
 でも、どれもこれも文化庁が主導していることだから、ここは「開催」、「行ました」、「決定ました」って書くべきだろう。
 なんだか他人ごとみたいな書き方は、お役所文書形式なんだろうか。責任回避してるみたいで、不思議である。

●関連ブロ愚
102世界よりも宇宙遺産
http://datey.blogspot.com/2009/03/102.html
210鎌倉の世界遺産
http://datey.blogspot.com/2009/12/210.html
486世界遺産帝国主義論!?!
http://datey.blogspot.com/2011/08/486.html

2012/01/25

577能「船弁慶」を見た

横浜能楽堂で「船弁慶」を見てきた。観世小次郎信光の能は、見ていて面白い。世阿弥元清の幽玄なんてクソクラエである。
 義経が静御前と別れる愁嘆場が前場の見せ所だが、史実は一緒に舟に乗って逃避行だから、それを知っていて面白がるのだ。
 自由自在に動き回って暴れる幽霊を相手に、船の中で身動きならない義経一行の対比も、狭い舞台をうまく活かしている。

 小書きが「重キ前後の替」「名所教え」「舟歌」と3つもあって、シテ玄祥さんとアイ東次郎さんの大活躍である。
 でも、玄祥さんの前場の「盤渉序の舞」は良かったが、後の知盛はキレない。
 東次郎さんは咳が出て声がとおらなくなって、ちょっと大変そうに見えてしまった。10年ほど前に見た東次郎さんは良かったなあ、あの口ぶりだけで舞台は大嵐になった。

 どちらもお歳のせいだろうか。このようなスペクタクル見せ物能は、やっぱり若い演者のを見たいものである。
 といっても、8年ほど前にみたアイ和泉元哉のようなヘタクソでは困るが。
 惜しくも亡くなった関根祥人による、キレの良い船弁慶を見たかったなあ。

 義経が子方であるが、能のこのような子方の使い方はちょくちょくあるが、いつ見ても違和感がある。愛人の静御前との取り合いが悪すぎる。

 TV放送は3月3日1500からNHK教育。

横浜能楽堂 平成24年1月24日
「船弁慶 重キ前後之替」~観世流
シテ・静御前と平知盛の怨霊:梅若玄祥
子方・源義経:梅若秀成
ワキ・弁慶:殿田謙吉
アイ・船頭:山本東次郎
笛:一噌隆之
小鼓:観世新九郎
大鼓:柿原弘和
太鼓:助川治
後見:梅若長左衛門 梅若紀彰 小田切康陽
地謡:観世喜正 山崎正道 梅若猶義 松山隆之 
   角当直隆 坂真太郎 土田英貴 内藤幸雄

●関連
501杉本博司演出の三番叟
http://datey.blogspot.com/2011/09/501.html
434横浜で琉球のゆったりとした時間
http://datey.blogspot.com/2011/06/434.html
459義経千本桜を能の目で見る
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217野村四郎の能「鵺」を観る
http://datey.blogspot.com/2009/12/217.html
134三代の能楽
http://datey.blogspot.com/2009/05/134.html
050能「摂待」と「安宅」
http://datey.blogspot.com/2008/10/noh.html