殺人事件犯人として服役していたあるネパール人が、新証拠で無実かも知れないと分って、それはよかったが、ここからがわたしにはなんだかわからないが、釈放されて、故国に戻って大歓迎というニュースでもちきり。
わたしが驚いたのは、そのネパール人が帰宅したカトマンズの自宅が豪邸であることだ。
今朝の新聞を見ると、ギリシャ建築オーダーつき柱の立つ3階建ての家のバルコニーから、凱旋したその人が手を振っている写真が載っている。
http://goo.gl/ke1vo
それで思い出したことがある。
昨年、ネパールに遊びに行ってあちこち見てきたが、新開地の住宅地にいろいろな家が建っている。
その多くは1~2階建てで、細いコンクリ柱の間にレンガを積んだものだが、なかにまさに今朝の新聞のような豪邸がボツボツと建っている。
そのあれこれ洋風デザインのディテール引用が、いかにも成り上がり的なのが気になってガイド氏に聞いた。
彼が言うには、それら豪邸はイギリスの傭兵として働いてきたゴルカ兵が、引退帰国して建てたもので、かれらの給与や年金が故国とは大違いにハイレベルだからそうだ。
こちらはポカラの街の郊外にある山岳博物館の敷地から外を撮った。
金網は博物館の囲いだが、外に見える新住宅地の手前は低カースト階級の家で、その向こうに新築の家が建ちつつある。
その住宅地の中で撮った豪邸。
そこで今回の豪邸である。
そうなのか、日本への出稼ぎもこんなに立派な家を建てさせるほどの高収入になるのか。
わたしの住む家は、あのマイナリとかいうひとの豪邸の何分の一かの大きさである。
なんだか、ネパールに遊びに行ったのがはずかしくなった。
わたしも日本に出稼ぎに行きたい。
2012/06/17
2012/06/15
630赤レンガの東京駅が花魁頭の姿を見せてきた
東京丸の内にある東京駅丸の内駅舎が、ながらく工事用の囲いで覆われていたが、姿を見せてきた。2012年6月13日に丸ビルの5階から撮った写真。
復元工事前の2007年11月に同じく丸ビル5階から撮った写真。
両写真を比較してすぐ気がつくのは、3つのドームの大きさである。
1914年の辰野金吾のドームはちょこんと乗っている感じで、意外にも伊藤滋(1947年修復時の国鉄の建築家)のドームよりもかなり小さいのであった。
もうひとつは、辰野の設計はかなり装飾的であったということだ。こまかい窓割りとその周り、不思議な形の尖塔群などがうるさい。
もちろんこれはモダニズムの洗礼を受けたものの眼からの感想である。
●参照→
復元工事前の2007年11月に同じく丸ビル5階から撮った写真。
1914年の辰野金吾のドームはちょこんと乗っている感じで、意外にも伊藤滋(1947年修復時の国鉄の建築家)のドームよりもかなり小さいのであった。
もうひとつは、辰野の設計はかなり装飾的であったということだ。こまかい窓割りとその周り、不思議な形の尖塔群などがうるさい。
もちろんこれはモダニズムの洗礼を受けたものの眼からの感想である。
●参照→
2012/06/14
629東京見物ぶらぶら新橋から銀座へ信仰心もないのに神社めぐり
よくまあ、こんな都心部でこんな広い道を作るもんだ、えらい金がかかってるだろう、土地代に。
虎ノ門から新橋までの都心部を貫く、通称「マッカーサー道路」環状2号線の工事現場に出くわす。1946年に決めから66年、ようやくその姿が見えつつある。
その道端に真っ赤な鳥居が汐留超高層群を背景に見える。近づいてみると「日比谷神社」とあって、真新しい鳥居と社殿。
はて、今頃なんで新築かとみれば、石段の柱に「日比谷神社遷宮御造営」とある。そうか、環状2号線の道路用地に引っかかって、ここに移動して補償金で新築か。
人間はまったく別のところに移転できるが、神社は地霊を抱えているからそうは行かない。できるだけ近くに遷座するしかない。
社殿の前から鳥居を通して環2を見通すと、この道の上にどでんと建つ超高層建築が建築中であるのが、注連縄の向こうに見える。
どうしても立ち退かない地主たちに、このビルに移ってもらって、環2はその股の下をくぐらせてもらうらしい。世の中には神様よりもえらい人がいるものだ。
◆◆◆
新橋駅そばの「烏森神社」に来る。
参道の飲み屋横丁に「夏越大祓」と幟旗がある。「なごしおおばらえ」と読むのだろう。おお、道の真ん中に、茅の輪があって、くぐる。
懐かしや、わたしの生家の神社でも、夏祭りはこれをつくったものだ。縁起物として参拝者が一本づつ抜いていくので、祭りの終わりにはよれよれになっていた。東京あたりではどうするだろうか。
茅の輪をくぐるのは厄払いの意味だが、飲み屋街で厄払いとは、飲む前にやるのか、飲んだ後にやるのか、どっちが効果的なんだろう。
◆◆◆
銀座6丁目、上品に言うと低価格ファッション屋さんのユニクロが真新しいビルを構えている。
ほかにも洋服の青山なんて低価格スーツ屋さんが、高価格エルメス・ダンヒル・ブルガリなどと肩の並べるのが、面白い。もうすぐドンキホーテもやってくるそうな(うそ)。
で、はて、ここはユニクロじゃなくて小松ストアーがあったような気がする。
裏のすずらん通りからみると上空にガラスの橋がかかっている。さっそく店に入って商品はぜんぜん見ないでエレベーターに登る。橋からのすずらん通りの景色。
そのひとつに「豊岩稲荷神社」があって、まっすぐ向いて拝めないくらい狭い路地に、真っ赤な祠が威容を放っている。
よくまあこんな狭い牢獄のようなところに御鎮座を、と思うのだが、多分、ここには昔は広い屋敷があって、その庭にあったのだろう。地の霊が他に移動させなかったのか。
わたしは、どこの神社も祠も寺院でも、拝むことはない。信心なるものにまったく興味がないのだ。多分、生家が神社だったせいの反動だろう。
虎ノ門から新橋までの都心部を貫く、通称「マッカーサー道路」環状2号線の工事現場に出くわす。1946年に決めから66年、ようやくその姿が見えつつある。
その道端に真っ赤な鳥居が汐留超高層群を背景に見える。近づいてみると「日比谷神社」とあって、真新しい鳥居と社殿。
はて、今頃なんで新築かとみれば、石段の柱に「日比谷神社遷宮御造営」とある。そうか、環状2号線の道路用地に引っかかって、ここに移動して補償金で新築か。
人間はまったく別のところに移転できるが、神社は地霊を抱えているからそうは行かない。できるだけ近くに遷座するしかない。
社殿の前から鳥居を通して環2を見通すと、この道の上にどでんと建つ超高層建築が建築中であるのが、注連縄の向こうに見える。
どうしても立ち退かない地主たちに、このビルに移ってもらって、環2はその股の下をくぐらせてもらうらしい。世の中には神様よりもえらい人がいるものだ。
◆◆◆
新橋駅そばの「烏森神社」に来る。
参道の飲み屋横丁に「夏越大祓」と幟旗がある。「なごしおおばらえ」と読むのだろう。おお、道の真ん中に、茅の輪があって、くぐる。
懐かしや、わたしの生家の神社でも、夏祭りはこれをつくったものだ。縁起物として参拝者が一本づつ抜いていくので、祭りの終わりにはよれよれになっていた。東京あたりではどうするだろうか。
茅の輪をくぐるのは厄払いの意味だが、飲み屋街で厄払いとは、飲む前にやるのか、飲んだ後にやるのか、どっちが効果的なんだろう。
◆◆◆
銀座6丁目、上品に言うと低価格ファッション屋さんのユニクロが真新しいビルを構えている。
ほかにも洋服の青山なんて低価格スーツ屋さんが、高価格エルメス・ダンヒル・ブルガリなどと肩の並べるのが、面白い。もうすぐドンキホーテもやってくるそうな(うそ)。
で、はて、ここはユニクロじゃなくて小松ストアーがあったような気がする。
裏のすずらん通りからみると上空にガラスの橋がかかっている。さっそく店に入って商品はぜんぜん見ないでエレベーターに登る。橋からのすずらん通りの景色。
橋から階段があるので登って見たら屋上にでて、「三輪神社」とて、芝生の向こうに結界がある。昔の小松ストア屋上にあったのだろう。
結界のなかは黒い石がひとつ。なるほど、大和の大神神社(三輪明神)の三輪山の奥に鎮座する磐座(いわくら)のモディファイであるか。
それにしても大地から遠く浮かんだ磐座とは、それ自体がトートロジーであるような。
◆◆◆
そういえば、デパートの屋上には必ず神社があったものだと思い出して、銀座4丁目の三越の屋上に出てみた。
三原橋のそばまで裏のほうに増築して大きくなって、4丁目の角のビルの屋上が芝生の広場になっている。ありましたね、神社が。
三原橋のそばまで裏のほうに増築して大きくなって、4丁目の角のビルの屋上が芝生の広場になっている。ありましたね、神社が。
三囲神社(みめぐりじんじゃ)とある。隣に大きな石の地蔵さんが立っていて、「出世地蔵」とあるのが商売っ気がある。
この屋上は見たところは芝生が気持ちよさそうで、木のベンチがるので休むことにした。
ところが、左右の大きな機械室からドロンドロン、ビョンビョンと低周波の雑音がやかましく、とてもじゃないがいられない、早々に逃げ出した。この広場を提供する三越の人たちは何も感じないのだろうか。
◆◆◆
銀座には超狭い裏路地があちこちにある。人が1人ようやく通れるほど狭いのだが、昔は汲み取り道だったのだろうか。そのひとつに「豊岩稲荷神社」があって、まっすぐ向いて拝めないくらい狭い路地に、真っ赤な祠が威容を放っている。
よくまあこんな狭い牢獄のようなところに御鎮座を、と思うのだが、多分、ここには昔は広い屋敷があって、その庭にあったのだろう。地の霊が他に移動させなかったのか。
わたしは、どこの神社も祠も寺院でも、拝むことはない。信心なるものにまったく興味がないのだ。多分、生家が神社だったせいの反動だろう。
2012/06/12
628横浜港景観事件(7)現代の結婚式場は鉄柵の中の異教徒礼拝所なのか
横から見ると、なんだかいろいろな建物がごちゃごちゃくっついているようだ。
しかもまるでどこかの旅館みたいに、後から後から増築していったらしく、いろいろな色や格好をしている。
教会ってのはこれほど大きな建物が要るのかしら、修道院でもあるのかな。近くの歩道橋から見ると、なかなか巨大である。
向こうのショッピングピングセンターに引けをとらない、いや、ショッピングセンターの別棟かしら。
向こうのショッピングピングセンターに引けをとらない、いや、ショッピングセンターの別棟かしら。
正面にまわってみたら、おおキリスト教会である。これははなんと言う様式だろうか。ゴシックというか、曲線もあってバロックか、球形ドームも見える。
近づけば、まわりを鉄柵で厳重に囲ってある、しかも2重に。
あれ、キリスト教会は普通ならいつでも誰でもは入れるぞ、ここはやっぱり修道院なのか。妙に敷居が高い施設である。
案内板がある。なになに、
「ヨーロッパ文化を継承した聖なる祝祭の地、アニヴェルセルヒルズ横浜。丘の上のチャペルと3つの豪華な邸宅で行われるウェディングがテーマです」
「ヨーロッパ文化を継承した聖なる祝祭の地、アニヴェルセルヒルズ横浜。丘の上のチャペルと3つの豪華な邸宅で行われるウェディングがテーマです」
ウェディングがテーマってどういうことか、はて、アニヴェなんとかって聞いたような、って首を傾げていて、思い出した。
そう、ここは結婚式用の教会なのだ、しかも、いま、横浜みなとみらい21新港地区に進出しようとして、横浜市の審議会で問題になっている、あの事業者の結婚式場である。キリスト教会風建築はまさに儀式場であり、修道院風建築群は宴会場であった。
とたんにこの建築群がキッチュに見えてきた。うまいこと真似て作るものである。
ここは港北NTセンターの地下鉄駅のすぐそば。
まわりはいかにも高度成長時代の都市プランナーががんばった形の、広々とした広場とモールと現代的な建築群がある。
その建築群が現代風のタイルやガラスを多く使い、屋根はフラット、壁は四角と平面を基調とした、モダニズム系統のデザインである。そして多様多色な広告が建築を彩る。
良くも悪くも現代消費社会を、いかにも計画的に作りましたと、そういう風景である。
それに対してこの結婚式場建築は明らかに異形である。一見すると白亜の西洋様式建築群が整っていて広告物は一切ない。実はよく見るとなんともばらばらな建築群だが、それは多分、玄人のわたしの目が見たからだろう。
一般に異形であることをもって悪いといっているのではない。
異形は時にランドマーク性を持って地域に個性を与えるが、ここでは異形がどこか地域から浮き上がり、あるいは地域を排他する異教徒的な風貌を持つのが気になる。
人を寄せ付けない鉄柵、すくない開口部、さまざまな増築(のように見える)など、この日常の中の突然の非日常風景は、どこかうさんくさい雰囲気である。
現代の結婚式場とはそういうものになっているのか、わたしには不思議きわまるのであた。
一般の人たちはどう思うだのろうか。歩いている人に聞いてみる勇気はなかったが、多分、なんだかカッコウイイ、ちょっと素敵、なんて言いそうだ。
わたしが見た日は平日だから式はないのだろうが、何組かの客らしい人たちが、黒い服のここに係員らしい人に案内されて鉄柵の中を歩いているのが見えた。
この「ビジネスモデル」(事業者の言葉)は成功して繁盛しているのだろう。だから新港地区でもこれでやりたいのだろう。
こうして実物を見てから、またはじめに戻って新港地区での例の計画の絵を見る。
この遊園地というかテーマパークのような姿が、実は鉄柵の檻の中にできる異教徒の世界を思わせる空間になるのであるかと、なんとも不思議な思いにかられるのである。
まあ、いつもは信仰心もないのに、結婚式で一時的に異教徒になるのだから、そうなるのだろうか。
それで思い出したのは、松本市の北の郊外にある「信州ゴールデンキャッスル」である。もとは四賀村といったがのんびりした山里に、突然にベルサイユ宮殿風(自称)の建物が出現して、度肝を抜かれる風景がある。
これがまた鉄柵で囲まれた結婚式場建築である。ここは成功した居酒屋経営者の出身地で、その母親のために建てた御殿がその元だそうである。
この山間の異教徒的というよりもラブホテル風かレジャーランド風というか、そんな風景は、考えてみれば街の中にあるよりも過疎地にあるほうが違和感をかんじる人数が少ないから、まあ、いいか、、、これも不思議な風景である。
港北センターの結婚式場がここにあると、まさに修道院風風景である。ベルサイユ宮殿風よりもそのほうが似合っただろうになあ。
(まだまだ、つづく、次は赤レンガの風景を考えてみたい)
参照→横浜ご近所探検隊が行く(横浜景観事件の連続コラム全編はこちらからどうぞ)
2012/06/08
627いまや高齢者はアホアホ老軍団になりつつあるらしい
近頃は、ふらふらと考えを変えるのは若者じゃなくて、年寄りらしい。
今朝の朝日新聞の「私の視点」と言うコラム欄に、政治意識論を研究している松本正生さん(埼玉大)という人が、こんなことを書いている。
調査によると、90年代以降、選挙のたびに「そのつど支持者」になって、ころころと投票先を変える傾向が著しいのが60歳代以上。
その原因は、年取ると社会から縁が切れて、家の中でTVばかり見ている生活になって、世間のことはTVからしか知らないから。
おお、そうなのかあ、年寄りは保守となって頑固、若者は無党派でいい加減と言う通説は、いまは違うのか。
どうも小泉政権の頃から、選挙のたびにドドッと翼賛型になって票が一定方向に集まるのが、まったくもって気持ち悪かったのだが、それはアホTVを見ている年寄りどものせいだったのか。参照→またもや翼賛選挙
わたしも後期高齢突入1ヶ月目のれっきとした老人だが、TVは見ないし、選挙にも40年以上も行ったことないから、自分もそうなのか判断できない。
でも、自己判断すると頑固かつ柔軟な革新派のような気がする。ようするにいい加減なる革新派か。
それにしても、わたしが思っていたのは、こうだった。
近頃増えた年寄りは、金はそこそこあるし、時間はたっぷりだし、経験を積んでいるから、社会的にはよい方向にあるだろう。社会貢献活動が増えるだろう。
むしろ怖いのは、閑な不良老人が増えることで、その能力を生かした知的犯罪が増えるだろう。元銀行員と元IT屋が組めば、なんだかやれそうでしょ。
ところがなんと、まったく予想が外れた。実はアホアホ老軍団が形成されているのであった。近頃の衆愚の原因はここにあったか。
そういえば、万引き犯にいちばん多いのが老人だそうだから、知恵のないことである。
選挙では付和雷同するし、こそ泥的にしかなれないし、まったくしょうがないよなあ近頃の年よりは、、、と、わたしはそのひとりとして思うのである。
でもなあ、インタネット社会にどっぷりとつかって、TV離れした世代が老人になった時代が来たら、また違うことになりそうだ。
これってつまり、「早すぎたネット年寄り」の私のことだけどね。
今朝の朝日新聞の「私の視点」と言うコラム欄に、政治意識論を研究している松本正生さん(埼玉大)という人が、こんなことを書いている。
調査によると、90年代以降、選挙のたびに「そのつど支持者」になって、ころころと投票先を変える傾向が著しいのが60歳代以上。
その原因は、年取ると社会から縁が切れて、家の中でTVばかり見ている生活になって、世間のことはTVからしか知らないから。
おお、そうなのかあ、年寄りは保守となって頑固、若者は無党派でいい加減と言う通説は、いまは違うのか。
どうも小泉政権の頃から、選挙のたびにドドッと翼賛型になって票が一定方向に集まるのが、まったくもって気持ち悪かったのだが、それはアホTVを見ている年寄りどものせいだったのか。参照→またもや翼賛選挙
わたしも後期高齢突入1ヶ月目のれっきとした老人だが、TVは見ないし、選挙にも40年以上も行ったことないから、自分もそうなのか判断できない。
でも、自己判断すると頑固かつ柔軟な革新派のような気がする。ようするにいい加減なる革新派か。
それにしても、わたしが思っていたのは、こうだった。
近頃増えた年寄りは、金はそこそこあるし、時間はたっぷりだし、経験を積んでいるから、社会的にはよい方向にあるだろう。社会貢献活動が増えるだろう。
むしろ怖いのは、閑な不良老人が増えることで、その能力を生かした知的犯罪が増えるだろう。元銀行員と元IT屋が組めば、なんだかやれそうでしょ。
ところがなんと、まったく予想が外れた。実はアホアホ老軍団が形成されているのであった。近頃の衆愚の原因はここにあったか。
そういえば、万引き犯にいちばん多いのが老人だそうだから、知恵のないことである。
選挙では付和雷同するし、こそ泥的にしかなれないし、まったくしょうがないよなあ近頃の年よりは、、、と、わたしはそのひとりとして思うのである。
でもなあ、インタネット社会にどっぷりとつかって、TV離れした世代が老人になった時代が来たら、また違うことになりそうだ。
これってつまり、「早すぎたネット年寄り」の私のことだけどね。
2012/06/03
626横浜港景観事件(6)もっと楽しい風景にしてほしいと思わないでもない
前回と前々回では、横浜都心部にある既存の結婚式場建築とラブホテル建築の姿を見たのであった。
その結果は、それらのデザインには共通するものが明確にあって、どこか西欧古典風の建築デザインボキャブラリーが登場するのである。
どうして共通するのだろうか。
事業者のアニヴェルセルのサイトには、結婚式場は「愛に満ちあふれた幸福の時間」であるという。
つまりで縮めて言うと「幸の時間」、なるほど、ラブホテルが「愛の空間」(井上章一)だから、あわせて「愛と幸せの時空」なのか。分りやすい。
下世話に言えば、どちらも男女の性的な結びつきが基礎にあるのだ。
上野千鶴子に言わせると、結婚とは「たった1人の異性に排他的かつ独占的に自分の身体を性的に使用する権利を生涯にわたって譲渡すること」(「ザ・フェミニズム」)なのである。
つまり結婚式場「幸せの時間」では生涯契約であり、ラブホ「愛の空間」では短期期限付き契約である。
さてこれら二つの契約期間は、厳然として異なるものかと言えば、かなり怪しくなっているから、ラブホと結婚式場の境目にもその影響が及んでいるに違いない。
だから、その儀式の場として「愛の空間」と「幸せに時間」とに共通的なものがあるのは分るような気がする。
そして「愛の空間」が、当初は裏寂れた連れ込み旅館から進歩して、儀式性を表現するテーマパーク型に変身してきたが、いまは普通のホテルへと移行しつつあるのは、性的短期契約が珍しいことではなくなってきていることだろうか。
それに対して、「幸せの空間」は普通のホテルが先にあって、今はそこから脱皮して儀式性を求めるテーマパークへと移行しつつあるとすれば、その先にはラブホのように普通のホテルに戻っていくのだろうか。
それとも少子時代で結婚式が数少なくなると、ますます儀式性を増していくのだろうか。
まあ、なんにしても、ラブホも結婚式場も「見世物としての建築」であることは間違いない。見世物小屋なのである。
その中で見世物を演じるのは、観客たち自身である。これはカラオケにも似ている。そうか、いまにカラオケビルがテーマパーク性を帯びてくるに違いないぞ。
結婚式場では新郎新婦を主役にして参列者たちが共同で劇を演じる。出演料を出し合って互いに見物しあうのだ。
ラブホでは、主役の二人だけが出演料を支払って、互いに演技しあい見物しあう。
どちらにしてもその一期一会の場が非日常的な演劇空間、豪華な芝居小屋つまり見世物小屋であって欲しいと思うのは、まことにごもっともである。
さて、話を元に戻して、横浜みなとみらい21新港地区の結婚式場計画のことである。
そもそもここで景観問題が起きたのは、都市美審議会景観審査会委員である生真面目な建築家たちには、ラブホ建築が我慢ならないことなんだろう。
でも、ここにあの結婚式場事業者が登場するならば、こうなることは十分に分っていたはずである。ラブホ建築こそが「ビジネスモデル」なのであり、事業者はそのビジネスをここで展開するのだから。
そして、事業者は実に巧妙にも、この立地の持つ現状としてのテーマパーク景観に身を寄せたのであった。そう、あのゴタゴタした大観覧車とジェットコースター遊園地風景に、このラブホデザインは見事に調和したのである。
さて、横浜市はどうするのか。
このラブホ景観がいやならば、できることはたった一つ、予定敷地内にある市有地を貸さないことである。
貸さない理由はどうするか。結婚式場事業を拒否はしないが、地主としてラブホデザインはいやだと言えばよろしい。それは市民感覚的なひとつの見識である。
ただしこのとき横浜市は覚悟がいるのは、結婚式場に人質にされたあの遊園地を、二度と人質にされないように排除しなければならないことである。
ところで、もうひとつの市民感覚として、あの場所にあんな面白い建物ができるのもいいな、遊園地が広がって面白いな、あの場所であんな建物で結婚式をしてみたいなって、そんな世俗感覚も大いにありそうである。
ここで悪乗りするが、あの新港地区の現状は、必ずしも楽しいとはいえない風景である。あのショッピングセンターはまことに無様なデザインだし、温泉施設もなんだか事務所みたいである。
ラーメン博物館は建築家好みそのものである。全体に閉鎖的でもある。
もっと楽しい見世物小屋のたち並ぶ祝祭風景にしてほしいと、わたしも思わないでもない。
「島」は、かつては「遊郭」を意味したことを思い出した。新港地区は現代の彼岸公園(横浜最初の遊郭の地)に見える。
それに対して、生真面目な委員の先生たちが、ハリボテ建築とか模倣デザインとかテーマパークとかでいやだなんて非論理かつ感覚的な言葉ではなくて、もっと正面きって都市美とはこうあるべきと、なにかを説得性を持って毅然として標榜することができるのだろうか。
事業者や市民から、景観とは個人的な感覚だと言われてはミモフタモない。
(もうこの辺でやめようと思うのだが、、まだ横浜港景観事件(7)に続く)
その結果は、それらのデザインには共通するものが明確にあって、どこか西欧古典風の建築デザインボキャブラリーが登場するのである。
どうして共通するのだろうか。
事業者のアニヴェルセルのサイトには、結婚式場は「愛に満ちあふれた幸福の時間」であるという。
つまりで縮めて言うと「幸の時間」、なるほど、ラブホテルが「愛の空間」(井上章一)だから、あわせて「愛と幸せの時空」なのか。分りやすい。
下世話に言えば、どちらも男女の性的な結びつきが基礎にあるのだ。
上野千鶴子に言わせると、結婚とは「たった1人の異性に排他的かつ独占的に自分の身体を性的に使用する権利を生涯にわたって譲渡すること」(「ザ・フェミニズム」)なのである。
つまり結婚式場「幸せの時間」では生涯契約であり、ラブホ「愛の空間」では短期期限付き契約である。
さてこれら二つの契約期間は、厳然として異なるものかと言えば、かなり怪しくなっているから、ラブホと結婚式場の境目にもその影響が及んでいるに違いない。
だから、その儀式の場として「愛の空間」と「幸せに時間」とに共通的なものがあるのは分るような気がする。
そして「愛の空間」が、当初は裏寂れた連れ込み旅館から進歩して、儀式性を表現するテーマパーク型に変身してきたが、いまは普通のホテルへと移行しつつあるのは、性的短期契約が珍しいことではなくなってきていることだろうか。
それに対して、「幸せの空間」は普通のホテルが先にあって、今はそこから脱皮して儀式性を求めるテーマパークへと移行しつつあるとすれば、その先にはラブホのように普通のホテルに戻っていくのだろうか。
それとも少子時代で結婚式が数少なくなると、ますます儀式性を増していくのだろうか。
まあ、なんにしても、ラブホも結婚式場も「見世物としての建築」であることは間違いない。見世物小屋なのである。
その中で見世物を演じるのは、観客たち自身である。これはカラオケにも似ている。そうか、いまにカラオケビルがテーマパーク性を帯びてくるに違いないぞ。
結婚式場では新郎新婦を主役にして参列者たちが共同で劇を演じる。出演料を出し合って互いに見物しあうのだ。
ラブホでは、主役の二人だけが出演料を支払って、互いに演技しあい見物しあう。
どちらにしてもその一期一会の場が非日常的な演劇空間、豪華な芝居小屋つまり見世物小屋であって欲しいと思うのは、まことにごもっともである。
さて、話を元に戻して、横浜みなとみらい21新港地区の結婚式場計画のことである。
そもそもここで景観問題が起きたのは、都市美審議会景観審査会委員である生真面目な建築家たちには、ラブホ建築が我慢ならないことなんだろう。
でも、ここにあの結婚式場事業者が登場するならば、こうなることは十分に分っていたはずである。ラブホ建築こそが「ビジネスモデル」なのであり、事業者はそのビジネスをここで展開するのだから。
そして、事業者は実に巧妙にも、この立地の持つ現状としてのテーマパーク景観に身を寄せたのであった。そう、あのゴタゴタした大観覧車とジェットコースター遊園地風景に、このラブホデザインは見事に調和したのである。
さて、横浜市はどうするのか。
このラブホ景観がいやならば、できることはたった一つ、予定敷地内にある市有地を貸さないことである。
貸さない理由はどうするか。結婚式場事業を拒否はしないが、地主としてラブホデザインはいやだと言えばよろしい。それは市民感覚的なひとつの見識である。
ただしこのとき横浜市は覚悟がいるのは、結婚式場に人質にされたあの遊園地を、二度と人質にされないように排除しなければならないことである。
ところで、もうひとつの市民感覚として、あの場所にあんな面白い建物ができるのもいいな、遊園地が広がって面白いな、あの場所であんな建物で結婚式をしてみたいなって、そんな世俗感覚も大いにありそうである。
ここで悪乗りするが、あの新港地区の現状は、必ずしも楽しいとはいえない風景である。あのショッピングセンターはまことに無様なデザインだし、温泉施設もなんだか事務所みたいである。
ラーメン博物館は建築家好みそのものである。全体に閉鎖的でもある。
もっと楽しい見世物小屋のたち並ぶ祝祭風景にしてほしいと、わたしも思わないでもない。
「島」は、かつては「遊郭」を意味したことを思い出した。新港地区は現代の彼岸公園(横浜最初の遊郭の地)に見える。
それに対して、生真面目な委員の先生たちが、ハリボテ建築とか模倣デザインとかテーマパークとかでいやだなんて非論理かつ感覚的な言葉ではなくて、もっと正面きって都市美とはこうあるべきと、なにかを説得性を持って毅然として標榜することができるのだろうか。
事業者や市民から、景観とは個人的な感覚だと言われてはミモフタモない。
(もうこの辺でやめようと思うのだが、、まだ横浜港景観事件(7)に続く)
2012/06/02
625やっぱりマンションは危ないと分ったのに止まらない世の中がオカシイ
東日本大震災に関するニュースで、東北地方の津波や原発災害はよく伝えられるが、仙台などの都市部での被害はあったのかしらと思うほど、そのニュースはすくない。
でも、やっぱり深刻な被害があったのだ。今朝の朝日新聞に「マンション 傷そのまま」とて、被災共同分譲住宅問題が載っている。
仙台では被災から一年以上経ってもいまだに修理や建て替えができないまま、住めない共同住宅がたくさんあるのそうだ。
それは、分譲の所有者たちの合意ができないことに大きな原因があるという。
やっぱりねえ、「名ばかりマンション」とわたしが悪口を言っている日本の分譲型共同住宅建築は、地震がきたら倒れなくとも住めないよ、危ないよ、買わないほうがいいよと、まえまえからここに書いているでしょうに。
わたしの警告が不幸にして的中しているのだ。
そして、現実にこうして問題が出ているのに、いまだに名ばかりマンションがどんどんと建ち、それを買う人たちがどんどんといる。止まらない。
世の中がどうもヘンである。もう勝手にせい!
●借家か持家か
http://datey.blogspot.jp/2009/01/blog-post_20.html
●賃貸借都市の時代へ
https://sites.google.com/site/machimorig0/taikenteki-jutaku
●片思いの賃貸住宅政策
https://sites.google.com/site/machimorig0/kosya
●姉歯大震災が喚起すること
https://sites.google.com/site/machimorig0/anehajiken
でも、やっぱり深刻な被害があったのだ。今朝の朝日新聞に「マンション 傷そのまま」とて、被災共同分譲住宅問題が載っている。
仙台では被災から一年以上経ってもいまだに修理や建て替えができないまま、住めない共同住宅がたくさんあるのそうだ。
それは、分譲の所有者たちの合意ができないことに大きな原因があるという。
やっぱりねえ、「名ばかりマンション」とわたしが悪口を言っている日本の分譲型共同住宅建築は、地震がきたら倒れなくとも住めないよ、危ないよ、買わないほうがいいよと、まえまえからここに書いているでしょうに。
わたしの警告が不幸にして的中しているのだ。
そして、現実にこうして問題が出ているのに、いまだに名ばかりマンションがどんどんと建ち、それを買う人たちがどんどんといる。止まらない。
世の中がどうもヘンである。もう勝手にせい!
●借家か持家か
http://datey.blogspot.jp/2009/01/blog-post_20.html
●賃貸借都市の時代へ
https://sites.google.com/site/machimorig0/taikenteki-jutaku
●片思いの賃貸住宅政策
https://sites.google.com/site/machimorig0/kosya
●姉歯大震災が喚起すること
https://sites.google.com/site/machimorig0/anehajiken
2012/05/24
624横浜港景観事件(5)ラブホは愛の空間、結婚式場は愛に満ちあふれた幸福の時間
これから人口は全体に減るし、生まれてくる子もすくなくなるし、結婚産業市場は狭まるばかりだろう。
結婚式場事業者は、結婚式だけじゃなくて婚約式とか再婚式とか金婚式、そうだ離婚式もあるな、まあ、いろいろ頭をひねるだろう。
死ぬほうはもう増える一方だから、葬儀場兼用にして結婚式と葬式が隣り合わせにやる時代が来るかもしれない。なに、人生一続きだから、それでよいのである。
そんな世になるまえに、市場を寡占した事業者が勝ちである。そこで施設は巨大にして、目を見張るようなもので勝負に出たのが、多分、この結婚式場であろう。目を見張るといっても、しげしげと建築的な目で眺めないほうがよいと思う。
市場の先行きは見えているから、遅くとも30年先には消える施設として、土地建物は30年の定期借地方式によるらしい。
事業者はちゃんと先を見ている。結婚のほうも30年も続かない時代が来ると。
それにしても、その激戦地区を勝ち抜くための建築デザインが、どうしてキリスト教会風でギリシャローマ神殿風の欧風建築なのだろうか。
もっとも、この事業者のプレスリリースには「邸宅型結婚式場」と書いてある。
邸宅とは英語で言えばmancionなのだが、「マンション型」と書けないのは、日本のマンションは誤訳されてウサギ小屋のことであるからだ。
アメリカ合州国大統領のいるホワイトハウスが本来のマンションなのだから、多分、この事業者もそれを思い描いているかもしれない。
そう思えばそう見えなくもないが、でもやっぱり、ギリシャかローマかの神殿に南欧風キリスト教会建築がくっついたようにしか見えない(すくなくとも最初の透視図はこう見えるのだが、、)。
こういうあれこれ取り混ぜた建築は、珍しいことではない。江戸時代の遊郭建築がそうだったし、明治開国期に日本の大工がつくった擬洋風建築もそうである。
そこでラブホが登場してくるのである。この類のキッチュデザインで、しかも愛と言うか幸せの空間作りの先駆者は、ラブホテルあるいはファッションホテルあるいはレジャーホテル、あるいは「逆さくらげ」「連れ込み旅館」ってこりゃ古いか、まあそういうものである。
この話は井上章一「愛の空間」とか、それを下敷きにした金益見「ラブホテル進化論」とかにあれこれ書いているし、わたしは実態はよく知らないからこれ以上は書かない。
五十嵐太郎の「結婚式教会の誕生」にも、結婚式場とラブホ建築の似通っていることを指摘している。
まあ、ラブホテルが「愛の空間」(井上章一)ならば、「愛に満ちあふれた幸福の時間」(アニヴェルセルconceptより)だから、似ているのはあたりまえ。
横浜ご近所探検隊が探索した横浜都心関外にあるラブホテルの写真を掲げておく。このまえにあげた結婚式場建築と同じボキャブラリーが登場し、なんだかよく似ているような気もする。とくとご覧あれ。
なお、これらが風営法にいう店舗型性風俗特殊営業該当施設かどうか、わたしは知らない。表から見た感じだけである。
(つづく・・・なんだかいつまでもだらだらと書けそうだなあ)
結婚式場事業者は、結婚式だけじゃなくて婚約式とか再婚式とか金婚式、そうだ離婚式もあるな、まあ、いろいろ頭をひねるだろう。
死ぬほうはもう増える一方だから、葬儀場兼用にして結婚式と葬式が隣り合わせにやる時代が来るかもしれない。なに、人生一続きだから、それでよいのである。
そんな世になるまえに、市場を寡占した事業者が勝ちである。そこで施設は巨大にして、目を見張るようなもので勝負に出たのが、多分、この結婚式場であろう。目を見張るといっても、しげしげと建築的な目で眺めないほうがよいと思う。
市場の先行きは見えているから、遅くとも30年先には消える施設として、土地建物は30年の定期借地方式によるらしい。
事業者はちゃんと先を見ている。結婚のほうも30年も続かない時代が来ると。
それにしても、その激戦地区を勝ち抜くための建築デザインが、どうしてキリスト教会風でギリシャローマ神殿風の欧風建築なのだろうか。
もっとも、この事業者のプレスリリースには「邸宅型結婚式場」と書いてある。
邸宅とは英語で言えばmancionなのだが、「マンション型」と書けないのは、日本のマンションは誤訳されてウサギ小屋のことであるからだ。
アメリカ合州国大統領のいるホワイトハウスが本来のマンションなのだから、多分、この事業者もそれを思い描いているかもしれない。
そう思えばそう見えなくもないが、でもやっぱり、ギリシャかローマかの神殿に南欧風キリスト教会建築がくっついたようにしか見えない(すくなくとも最初の透視図はこう見えるのだが、、)。
こういうあれこれ取り混ぜた建築は、珍しいことではない。江戸時代の遊郭建築がそうだったし、明治開国期に日本の大工がつくった擬洋風建築もそうである。
そこでラブホが登場してくるのである。この類のキッチュデザインで、しかも愛と言うか幸せの空間作りの先駆者は、ラブホテルあるいはファッションホテルあるいはレジャーホテル、あるいは「逆さくらげ」「連れ込み旅館」ってこりゃ古いか、まあそういうものである。
この話は井上章一「愛の空間」とか、それを下敷きにした金益見「ラブホテル進化論」とかにあれこれ書いているし、わたしは実態はよく知らないからこれ以上は書かない。
五十嵐太郎の「結婚式教会の誕生」にも、結婚式場とラブホ建築の似通っていることを指摘している。
まあ、ラブホテルが「愛の空間」(井上章一)ならば、「愛に満ちあふれた幸福の時間」(アニヴェルセルconceptより)だから、似ているのはあたりまえ。
横浜ご近所探検隊が探索した横浜都心関外にあるラブホテルの写真を掲げておく。このまえにあげた結婚式場建築と同じボキャブラリーが登場し、なんだかよく似ているような気もする。とくとご覧あれ。
なお、これらが風営法にいう店舗型性風俗特殊営業該当施設かどうか、わたしは知らない。表から見た感じだけである。
(つづく・・・なんだかいつまでもだらだらと書けそうだなあ)
2012/05/22
623横浜港景観事件(4)幸せと愛の空間は教会と城郭と神殿にあるらしい
横浜みなとみらい21新港地区に計画中の結婚式場は、実は二つあると気がついた。
いまの話題の結婚式場計画はこの図の新港地区16街区である。その隣の15と運河対岸の23街区の一部が遊園地である。もうひとつの結婚式場計画は11-2街区である。
これら二つが同時に今年1月の都市美審議会にかかってきたが、11-2街区計画はほぼすんなりと通っている。
つまり、赤レンガを貼った四角い建物なので、両側に既に経っている赤レンガの箱と調和しているのだろう(これじゃあミモフタモナイ言い方か)。
ではと気になったのが、いまの結婚式場業界ではどんな建物が流行なんだろうか、と言うことである。
では論より証拠、ホテルや既存キリスト教会はさておき、横浜都心部だけについて、わたしのご近所探検に引っかかる結婚式場らしきもの眺めてきたので、ここに紹介する(上の地図に場所を赤丸で示した)。
みなとみらい21地区の北隣の似たような運河沿いの立地では、ポートサイド地区(金港町)に結婚式場がある。
超高層ビルを背景に、なんとなく南欧風とでも言うのだろうか。前に水があって良い立地だが、景観的には特にまわりとの周到な関係を持ってデザインされたのでもないらしい。だから目だってよろしい、というのが事業者の考えだろう。
ミナトみらい21の高島地区に、ギリシャ神殿風の結婚式場がある。こういうのは大きな庭の向こうに見え隠れしていればよさそうなものだが、車が行き交って騒々しい道端にいきなり建っている。
その真後ろに丸い高層ビルが見えていて、その取り合わせにななかの妙味がある。まさか意識して建てたわけではあるまい。
紅葉坂の上(宮崎町)に最近できた結婚式場は、ゴシック風教会とかロマネスク風とかいうのかよくわからないが、あれこれつきまぜ欧風デザインとでもいいましょうか。
建築的には遠めには石張りかと思うが、近寄ってしげしげと見上げると、ほとんどが吹付け塗装である。
吹き付け仕上げが安っぽいのは仕方ないが、それにしても夜目遠目傘の内のたぐいで、うまく作るものである。
こういう類の建築の専門的なことについては、「結婚式教会の誕生」(五十嵐太郎)という珍書があるから、そちらに譲ることにする。
その隣には結婚式場建築ではないが、伊勢山皇大神宮である。ここは神明造の拝殿と本殿があり、当然に神前結婚式を執り行っているだろう。
もしかしたら、ここで神前結婚式を挙げて、隣で披露宴を行うってこともあるのだろうか。
結婚式教会(五十嵐さんの命名で、キリスト教会ではなくて結婚式だけのための教会風デザインの建物)はあるとわかったが、日本の神様がいない結婚式だけの神社風建築もあるかもしれない。まあ、日本の神様はヨリシロさえあればどこでも降臨するがね。
本町4丁目のペンシルビルとビルの間に、これまたペンシルビルのような時計塔のような赤レンガ仕上げの建物が建ち上がっている。これも最近できた結婚式場である。
何様式というのか分らないが、天使の像がついていたり、ぺディメントがあり、胴にはコーニスが回っているように見せていたりしていて、あれこれつきまぜ欧風ではあるらしい。
本町通りを更に東に進んで大桟橋への角(山下町)のビル壁に「・・・幸せウェディング」と垂れ幕があって、その向こうに巨大なドリックオーダー柱が4本も立ち上がった、なにやらギリシャ神殿風の高層ビルが建っている。
あれ、ここにも結婚式場が建ったのかと見れば、幸せウェディングは垂れ幕のあるホテルの宣伝であって、神殿風は別のビルで幸福の科学という宗教団体であった。
ふ~む、結婚式場と新興宗教は同じデザインコンセプトにあるのか。もしかしたら、その信者の結婚式をやっているのだろうか。まあ、「幸せ」の隣が「幸福」なんて、それはそれでよろしいのでしょう。
そのすぐ隣ブロックに、大昔は「露亜銀行」だった建物が改装されて、いまは結婚式場となっている。
これは1921年創建の本格的な様式建築で、イオニアンオーダーの柱や三角ペディメントを持った古典主義の意匠である。ペンキ塗りの見せかけではなくて、ちゃんと石を使っている。
この建物は露亜銀行からドイツ領事館となり、法務省横浜入国管理事務所、更にまた県警の警友病院別館となり、県警の移転後は永らく空き家だった。
それが、この地区一帯の再開発事業に伴って保存修復されて、つい最近のことだが結婚式場になった。
これもやっぱり欧風建築だから結婚式場になったのか。面白いことに、この宣伝サイトには「90年の歴史を誇る」と建築の古さを詠っている。そんじょそこらに最近できた似非欧風建築の式場じゃないですよって、そういうことで差異をつけるのだろう。
これらのほかにもたくさんのホテル結婚式場やらレストラン式場とか邸宅式場などがある横浜都心地区は、ブライダルマーケット激戦地である。
そんなところに、ここで話題にしている新港地区の新結婚式場は乗り込んでくるのである。
少子高齢時代となって結婚式場需要は縮小するのは常識の中で、このビジネスモデルが新戦略なのだろうか。
80年代までのラブホテルがこういう戦略だったがいまは廃れたと、「愛の空間」(井上章一)なる珍書にある。
面白くなってきたぞ。 (つづく横浜港景観事件(5))
いまの話題の結婚式場計画はこの図の新港地区16街区である。その隣の15と運河対岸の23街区の一部が遊園地である。もうひとつの結婚式場計画は11-2街区である。
これら二つが同時に今年1月の都市美審議会にかかってきたが、11-2街区計画はほぼすんなりと通っている。
つまり、赤レンガを貼った四角い建物なので、両側に既に経っている赤レンガの箱と調和しているのだろう(これじゃあミモフタモナイ言い方か)。
ではと気になったのが、いまの結婚式場業界ではどんな建物が流行なんだろうか、と言うことである。
では論より証拠、ホテルや既存キリスト教会はさておき、横浜都心部だけについて、わたしのご近所探検に引っかかる結婚式場らしきもの眺めてきたので、ここに紹介する(上の地図に場所を赤丸で示した)。
みなとみらい21地区の北隣の似たような運河沿いの立地では、ポートサイド地区(金港町)に結婚式場がある。
超高層ビルを背景に、なんとなく南欧風とでも言うのだろうか。前に水があって良い立地だが、景観的には特にまわりとの周到な関係を持ってデザインされたのでもないらしい。だから目だってよろしい、というのが事業者の考えだろう。
ミナトみらい21の高島地区に、ギリシャ神殿風の結婚式場がある。こういうのは大きな庭の向こうに見え隠れしていればよさそうなものだが、車が行き交って騒々しい道端にいきなり建っている。
その真後ろに丸い高層ビルが見えていて、その取り合わせにななかの妙味がある。まさか意識して建てたわけではあるまい。
紅葉坂の上(宮崎町)に最近できた結婚式場は、ゴシック風教会とかロマネスク風とかいうのかよくわからないが、あれこれつきまぜ欧風デザインとでもいいましょうか。
建築的には遠めには石張りかと思うが、近寄ってしげしげと見上げると、ほとんどが吹付け塗装である。
吹き付け仕上げが安っぽいのは仕方ないが、それにしても夜目遠目傘の内のたぐいで、うまく作るものである。
こういう類の建築の専門的なことについては、「結婚式教会の誕生」(五十嵐太郎)という珍書があるから、そちらに譲ることにする。
その隣には結婚式場建築ではないが、伊勢山皇大神宮である。ここは神明造の拝殿と本殿があり、当然に神前結婚式を執り行っているだろう。
もしかしたら、ここで神前結婚式を挙げて、隣で披露宴を行うってこともあるのだろうか。
結婚式教会(五十嵐さんの命名で、キリスト教会ではなくて結婚式だけのための教会風デザインの建物)はあるとわかったが、日本の神様がいない結婚式だけの神社風建築もあるかもしれない。まあ、日本の神様はヨリシロさえあればどこでも降臨するがね。
本町4丁目のペンシルビルとビルの間に、これまたペンシルビルのような時計塔のような赤レンガ仕上げの建物が建ち上がっている。これも最近できた結婚式場である。
何様式というのか分らないが、天使の像がついていたり、ぺディメントがあり、胴にはコーニスが回っているように見せていたりしていて、あれこれつきまぜ欧風ではあるらしい。
本町通りを更に東に進んで大桟橋への角(山下町)のビル壁に「・・・幸せウェディング」と垂れ幕があって、その向こうに巨大なドリックオーダー柱が4本も立ち上がった、なにやらギリシャ神殿風の高層ビルが建っている。
あれ、ここにも結婚式場が建ったのかと見れば、幸せウェディングは垂れ幕のあるホテルの宣伝であって、神殿風は別のビルで幸福の科学という宗教団体であった。
ふ~む、結婚式場と新興宗教は同じデザインコンセプトにあるのか。もしかしたら、その信者の結婚式をやっているのだろうか。まあ、「幸せ」の隣が「幸福」なんて、それはそれでよろしいのでしょう。
そのすぐ隣ブロックに、大昔は「露亜銀行」だった建物が改装されて、いまは結婚式場となっている。
これは1921年創建の本格的な様式建築で、イオニアンオーダーの柱や三角ペディメントを持った古典主義の意匠である。ペンキ塗りの見せかけではなくて、ちゃんと石を使っている。
この建物は露亜銀行からドイツ領事館となり、法務省横浜入国管理事務所、更にまた県警の警友病院別館となり、県警の移転後は永らく空き家だった。
それが、この地区一帯の再開発事業に伴って保存修復されて、つい最近のことだが結婚式場になった。
これもやっぱり欧風建築だから結婚式場になったのか。面白いことに、この宣伝サイトには「90年の歴史を誇る」と建築の古さを詠っている。そんじょそこらに最近できた似非欧風建築の式場じゃないですよって、そういうことで差異をつけるのだろう。
これらのほかにもたくさんのホテル結婚式場やらレストラン式場とか邸宅式場などがある横浜都心地区は、ブライダルマーケット激戦地である。
そんなところに、ここで話題にしている新港地区の新結婚式場は乗り込んでくるのである。
少子高齢時代となって結婚式場需要は縮小するのは常識の中で、このビジネスモデルが新戦略なのだろうか。
80年代までのラブホテルがこういう戦略だったがいまは廃れたと、「愛の空間」(井上章一)なる珍書にある。
面白くなってきたぞ。 (つづく横浜港景観事件(5))
2012/05/21
622横浜港景観事件(3)隣の遊園地と景観的調和を図りました
「風格、品位が少し劣る・・・私から見るとテーマパークのように見えてしまう」(3月景観部会 加藤委員)
こういわれるとテーマパークの雄である東京デイズニーランド(1983年開業)が怒るだろう。
発言した委員の意図はともかくとして、テーマパークとは言いえて妙で、まことに的確な指摘であると、わたしは思う。
おりしもその東京デイズニーランドの新たな企画で、シンデレラ城での結婚式を売り出したそうだ。評判よいらしい。
委員からテーマパークだといわれて、多分、事業者は心の中で大喜びしたであろう。専門家がお墨付きをくれたって。これでわがビジネスモデルは成功間違いなし。
そうなのである、これは結婚という明確なテーマ性を持って演出される遊園、つまりテーマパークなのだ。
うまいことにちょうど隣には本物の遊園地があって、ふたつあわせるとミニディズニーランド、と言うと褒めすぎか。とにかく見事にテーマパークとなっている。もしかしたら大観覧車やジェットコースターでの挙式なんてのも、やるかもしれない。
都市美審議会議事録にはこういう発言もあるから、まことに興味深い。
「ここの特性、隣に観覧車がある特性も踏まえて、どうしていくかということを非常に考えさせられた案件でもあります」(横浜市都市づくり部長)
「非常に考えた」結果が、この共同テーマパークになっているというわけだろう。分りやすい。
「隣のコスモワールドさんとの調和を図りました」
事業者は隣の遊園地を景観デザインに見事に取り入れたである。わたしが事業者なら、こう言うにちがいない。
景観デザインとは、周囲の調和する風景を作ることだとする教科書的な定義からすれば、これはお手本どおりである。
また品のない言い方をするが、事業者は遊園地の景観を人質に取ったのである。もう一方の横浜市の抱える人質は「赤レンガ倉庫」である。
どちらの人質が高い身代金を取りやすいだろうか、なんて、ますます品が落ちてくる。
ところで、横浜市が決めているこの地区のデザイン指針に書いてるいろいろなことをしげしげと読んでみると、横浜市さえも実はテーマパークを意図しているらしいのだ。
デザインテーマは簡単に言えば“赤レンガ倉庫がある開港の歴史”であるらしい。
早く言えば、新港地区という島を“赤レンガテーマパーク”に作り上げることをめざしているのである。
島、ゾーン、敷地グループというように、赤レンガテーマパークを入れ子状に作り上げるらしい。
それはそれでなかなかに素晴らしいことである。
今回の問題は、その入れ子のひとつが赤レンガではないということである。達磨の入れ子人形を順にあけていったら、途中でバービーが出るのだ。せめて赤い靴の女の子ならよかったのに。
この問題の原因は、「よこはまコスモワールド」という赤レンガに何の関係もない風景が厳然と実在しており、これが人質になったことだ。
事業者の描いたどの絵を見ても、大観覧車が人質然と描いてあることからよくわかる。
コスモワールドは暫定利用と言いながら1990年4月オープンだから、すでに22年の歳月が経っている。
実態上は暫定ではない。
この間、まわりとは明らかに異なる景観を顕示してきて、その大観覧車はみなとみらい21地区のシンボルとなっている。
審議会の議事録の中に、この事業地にある横浜市の土地の賃貸借契約は30年とするとあるので、定期借地権方式であろう。ということはどんなに長くても30年でこの建物は消えることになる。遊園地の22年を暫定というなら、こちらもほぼ暫定である。
暫定だからいい加減でいいのだ、と言うことではないのはもちろんである。
あれがよくてこれがいけない理由はないでしょ、って、言ったかどうか知らないが、いわれる理由はありそうだ。そこで部長さんは「非常に考えた」のかもしれない。
隣の遊園地が先に消えるかもしれないが、そのあとにできる施設はこの結婚式場を人質にしたデザインになるかもしれない。
ラブホデザインに至る前に話が長くなった。あとはまた次回へ(つづく横浜港景観事件(4))
こういわれるとテーマパークの雄である東京デイズニーランド(1983年開業)が怒るだろう。
発言した委員の意図はともかくとして、テーマパークとは言いえて妙で、まことに的確な指摘であると、わたしは思う。
おりしもその東京デイズニーランドの新たな企画で、シンデレラ城での結婚式を売り出したそうだ。評判よいらしい。
委員からテーマパークだといわれて、多分、事業者は心の中で大喜びしたであろう。専門家がお墨付きをくれたって。これでわがビジネスモデルは成功間違いなし。
そうなのである、これは結婚という明確なテーマ性を持って演出される遊園、つまりテーマパークなのだ。
うまいことにちょうど隣には本物の遊園地があって、ふたつあわせるとミニディズニーランド、と言うと褒めすぎか。とにかく見事にテーマパークとなっている。もしかしたら大観覧車やジェットコースターでの挙式なんてのも、やるかもしれない。
都市美審議会議事録にはこういう発言もあるから、まことに興味深い。
「ここの特性、隣に観覧車がある特性も踏まえて、どうしていくかということを非常に考えさせられた案件でもあります」(横浜市都市づくり部長)
「非常に考えた」結果が、この共同テーマパークになっているというわけだろう。分りやすい。
「隣のコスモワールドさんとの調和を図りました」
事業者は隣の遊園地を景観デザインに見事に取り入れたである。わたしが事業者なら、こう言うにちがいない。
景観デザインとは、周囲の調和する風景を作ることだとする教科書的な定義からすれば、これはお手本どおりである。
また品のない言い方をするが、事業者は遊園地の景観を人質に取ったのである。もう一方の横浜市の抱える人質は「赤レンガ倉庫」である。
どちらの人質が高い身代金を取りやすいだろうか、なんて、ますます品が落ちてくる。
ところで、横浜市が決めているこの地区のデザイン指針に書いてるいろいろなことをしげしげと読んでみると、横浜市さえも実はテーマパークを意図しているらしいのだ。
デザインテーマは簡単に言えば“赤レンガ倉庫がある開港の歴史”であるらしい。
早く言えば、新港地区という島を“赤レンガテーマパーク”に作り上げることをめざしているのである。
島、ゾーン、敷地グループというように、赤レンガテーマパークを入れ子状に作り上げるらしい。
それはそれでなかなかに素晴らしいことである。
今回の問題は、その入れ子のひとつが赤レンガではないということである。達磨の入れ子人形を順にあけていったら、途中でバービーが出るのだ。せめて赤い靴の女の子ならよかったのに。
この問題の原因は、「よこはまコスモワールド」という赤レンガに何の関係もない風景が厳然と実在しており、これが人質になったことだ。
事業者の描いたどの絵を見ても、大観覧車が人質然と描いてあることからよくわかる。
コスモワールドは暫定利用と言いながら1990年4月オープンだから、すでに22年の歳月が経っている。
実態上は暫定ではない。
この間、まわりとは明らかに異なる景観を顕示してきて、その大観覧車はみなとみらい21地区のシンボルとなっている。
審議会の議事録の中に、この事業地にある横浜市の土地の賃貸借契約は30年とするとあるので、定期借地権方式であろう。ということはどんなに長くても30年でこの建物は消えることになる。遊園地の22年を暫定というなら、こちらもほぼ暫定である。
暫定だからいい加減でいいのだ、と言うことではないのはもちろんである。
あれがよくてこれがいけない理由はないでしょ、って、言ったかどうか知らないが、いわれる理由はありそうだ。そこで部長さんは「非常に考えた」のかもしれない。
隣の遊園地が先に消えるかもしれないが、そのあとにできる施設はこの結婚式場を人質にしたデザインになるかもしれない。
ラブホデザインに至る前に話が長くなった。あとはまた次回へ(つづく横浜港景観事件(4))
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