2020/07/19

1477【横浜コロナ風景その2⑦】粋な下町横浜橋通り商店街はコロナはどこ吹く風で生き抜く

 1476【横浜コロナ風景その2⑥伊勢佐木モール】のつづき

 世界中が新型コロナウィルス感染大流行騒動の中、日本ではさすがに首都たる東京都内
に感染者がもっとも多く、毎日のように前日の感染者数を超える新規感染者が登場する。
 非常事態が解けて都道府県を超える移動自粛要請も解けたら、東京からの各地への感染が起きてきた。この調子だと、また非常事態になってあれこれ休止要請を言い出すかもしれない空気がある世の中、もしかして第2波が来てるのかな。

 そして東京都に隣接する神奈川県も、東京ほどではないが毎日多くの感染者がでて、今日は「神奈川警戒アラート」を知事が発令とか、よく知らないが、知事がそういうほどに感染が増えてきたという子なんだろう。
 その神奈川県の中では、県都たる横浜市が最も多いのも仕方がない。わたしはコロナでも平気で徘徊の日常をやっているのだが、その私でさえなんだか徘徊自粛圧力を感じる。

 その横浜都心部の関内・関外の繁華街をふらふらと回って、コロナの前、最中、一時たるみ状態のいま、そして明日からまたコロナの波がくるかもしれない街、その様子を観察して感想文を書くのだ。
 特に何かを考察したり、提案するなんてめんどくさいことはしない。わたしの人生の末路あたりで、この珍しい事件に遭遇したことを奇禍として、単に感想を書いておくだけである。

 さて、これまでコロナ感想報告した街は赤煉瓦パーク中華街元町馬車道伊勢佐木モールであったが、今回は「横浜橋通り商店街」である。これまでの場所は、それなりに横浜を代表するような歴史とか観光的な面を持っている名所でもあった。
 ところが今回の「横浜橋通り商店街」は、同じ横浜都心繁華街であっても、知る人ぞ知る、知らない人のほうがはるかに多いだろう。純粋に地域対応の市場的商店街である。

 コロナとこの商店街の関係を一言でいえば、コロナどこ吹く風の様子であった。
 コロナ緊急事態自粛要請だから休業すると店頭に書いて休業の店は、数えるほどしかなかった。ほとんど影響がなかったようだ。人出もあまり変わりがなかった。
コロナ前の横浜橋通り商店街の賑わい 2010/03/11
コロナ緊急事態真最中の横浜橋通り商店街の賑わい 2020/04/19
コロナ緊急解除後の横浜橋通り商店街風景 2020/06/29
 いや、もちろん見えないところで変化や苦労(街路や店舗の消毒や感染防止対策など)はあるのだろうが、わたしのような一介の徘徊者には見えない。コロナ真っ最中の日々も、コロナ前のいつもの賑わいが続いている。マスク姿ばかりになったのが、大いに違うけれど。
これまでここに書いてきた街とは、明らかに違うのである。周りは高層中層の共同住宅ビルや低層戸建て住宅地であり、伊勢佐木モールと同じ立地環境だから、それらのあいだでのこの違いが面白い。

 長さ約360mの一直線の道は、日中は歩行者専用路となり、その上空には半透明なオーニング、雨の日は閉め晴れた日は開ける。伊勢佐木モールや馬車道が取り払ったアーケードを、ここでは守りつづけている。
 端から端までびっちりとまさに密な状態にたくさんの小さな小売店舗が、数軒の飲食店とサービス店舗をまじえて軒を並べている。地元組合のサイトには130店舗とある。
 毎日一日中人出が多い。店からの物売りの声が景気がよく響く。そう、ここは市場の雰囲気なのである。ぜんぜん気取っていない。元町とは対極にある。

 ここは、この地域の住民たちを対象とする、最寄り品ばかりの商売の街である。コロナでも日々の生活をしなければならない地域の人たちは、コロナであろうといつものようにやってくる。
 遠くから遊びにくる物好きがいるだろうが、わざわざ来訪する普通の観光客が来ることは無い。だから日曜日に休む店が結構多い。
 横浜にはこのような下町市場的商店街があちこちにあるらしい。わたしが知っているのは洪福寺商店街、六角橋商店街、藤棚商店街などである。

 この街の売り文句を、地元商店街組合のパンフにこう書いてある。
 「粋な下町 よこはまばし 街を取り巻く変化に歩調を合わせる様にこの商店街も変貌してきました。これだけ外国人経営の八百屋、魚屋、スーパーがひしめく商店街も珍しく、買い物客も中国、韓国、フィリピン、タイ、ベトナム、インド等々で、今ではアジアの台所と変化した様相を示しています。(以下略)」

 関内や関外の街には、商人にも顧客にもアジア系外国人が多いが、ここ横浜橋あたりでは決してインバウンドと呼ばれる観光外来者ではなく、この地域に住みつく人たちである。店先から聞こえる会話が日本語でないことは珍しくない。
 多くは二世や三世であろうから外国人と分類することがおかしい。わたしも西日本生まれだから、要するに同じような移民一世である。
 横浜橋通り商店街は、横浜が歴史的にアジア国際都市であることを端的に示している。

 わたしは歩いている人たちの顔を見ても、どれが外国にルーツを持つのかほとんどわからないのは、日本人の出身地をわからないのと同様である。
 だが10数年も徘徊をしていると、横浜橋通りあたりはコリア系の人たちが多く住んでいる雰囲気がある。小公園で遊び子供の声が、日本語でないのも普通に聞こえる。
 中華街あたりがチャイナ系が多く、このあたりにコリア系が多いのだろうか。
横浜橋通り商店街のコリア系の店舗 2020/07/16
コリア系とチャイナ系店舗が多いように感じたので、表から見てそうとはっきりわかる店を数えてみたら合計14店舗だった。商店街の営業総店舗数を数えると118だったから、12%弱で数量的には少ないが、視覚的には意外に多く感じるものである。
 空き地空き家が24件もあるが、意外に目立たないのは、空き店舗前の路上に隣の店が張り出しているせいもある。空き家が増えつつあるのかどうか、これまで注意して見たことはないが、コロナ後にはどうなるのか興味ある。

 わたしは買い物をほとんどしないが、どこの街でも市場的な雰囲気を好きである。ここ横浜橋通り商店街を徘徊する目的は、たくさんある八百屋と鮮魚屋の見物である。
 四季に応じて替わる野菜果物が、華やかな色彩で並ぶのを眺めるのは実に楽しい。野菜の名前をはじめて知ることもも多い。

 同様に魚屋が面白いのは、なんだか知らない生き物が、不思議な姿で並んでいて、次々と店を見て歩くとまるで水族館にいるようで見飽きない。買わないで店前に立ちんぼするわたしは、商売の邪魔だろうなあ。
 同じ野菜果物魚を売っていても、パックされたり切り身だったりする食品量販店では、そんな気分には全くならない。



 そういえばチェーンストアは、2軒の百円均一店だけのようだ。それと2軒のパチンコ店もチェーン店かもしれない。
 パチンコ屋2軒のうちの1軒はコロナ緊急事態自粛要請でピタリ休業したが、もう1軒は踏ん切りが悪かった。あちこちで休業しないパチンコ屋が話題になっていたころ、この店も営業を続け、そのうち休業したかと思うとまた営業したりしていた。多分、当局から直接要請された店だろう。そのうちに休業してしたが、もちろん要請解除とともに素早く開店した。
 この商店街でコロナの影響が最も大きかったのは、このパチンコ屋かもしれない。

 アベノミクスをもじってアベノマスクと揶揄される政府支給のマスクが、わたしのところに来たのはずいぶん遅く6月になってからだった。わたしの顔にはかなり小さすぎるし、うちにはたくさんのマスクストックがある。
 どうしようかと考えていたのだが、ここ横浜橋商店街名の中ほどにある組合事務所の前に、必要な人に回すというマスク収集箱があることに気づいて、入れておいた。商店街のサイトを見ると約1000枚集まったとある。

箱の絵はこの街出身の噺家・桂歌丸(故人)
店は密集密着密接して並んでいるのだが、屋根のかかる商店街だから、雨の日も晴の日も店頭を開け広げて、路上にはみ出す商売は、昔ながらの街の姿だが、図らずもコロナ時代の新しい商売様式になっているのが、なんだかおかしい。
 行き交う人たちはいずれもマスク姿だし、しばらく遠慮していたらしい店からの大きな売り声も、いまはマスクをとおして響いている。
 大鷲神社が商店街と背中合わせにあり、毎年11月の酉の市で大いに賑わうが、さて、今年は開催できるのだろうか。コロナを熊手で掻きよせるかも、(こちらを参照)。
酉の市の夜の横浜橋商店街風景 2007/11/11
酉の市の大鷲神社風景 2008/11/06

2020/07/17

1476【横浜コロナ風景その2⑥】伊勢佐木モールはコロナ前も後も街並みはあまり変化しないが商売は変幻自在に生きていくだろう

 【横浜コロナ風景その2⑤:馬車道】からつづく
横濱都心徘徊ルート図
●新型コロナウィルスは今

 横浜都心繁華街のコロナ風景観察シリーズは、赤煉瓦パーク→中華街→元町→馬車道とやってきて、今回は横浜でもっとも有名な伊勢佐木モールである。
 そのまえに、今のコロナ感染状況を書いておこう。去年暮れに東アジア大陸の一角から始まった感染の波は、半年のうちに地球規模のパンデミックとなり、世界史的大事件のさなかにいる。

 何事もチャイナのシーチンピンに追い越されたくないアメリカのトランプは、コロナ騒ぎの出足こそチャイナやヨーロッパ諸国に遅れをとったが、いまや死者13万人(対世界24%)、感染者343万人(対世界26%)を誇る世界最悪の地位を獲得している。その増加の勢いは衰えないどころか、日々勢いを増している。アメリカって怖ろしいね。
 これに次ぐのがブラジル、インドだが、実は統計上では出にくいアフリカ諸国がどうなっているのか、世界の専門家たちから心配されているらしい。地球の近未来が見えない。

 そして日本では、4月に感染ピークがあって全国を緊急事態発令の緊張下に陥れてきたが、6月半ばに落ち着いた感じとなり緊急事態を解除した。
 それで緊張がゆるんで遊びに出歩き宴会をやるやつが多くなり、7月になるとまた感染者が増加しつつある。特に東京新宿あたりの夜の繁華街が最も問題発生地域らしい。
 わたしが住む横浜も、東京からのもらい感染があるのだろうか、徐々に増加している。さて、また緊急事態発令を検討するべきだとの声も専門家から出ている。


 そんなところに、政府は産業界から、特に壊滅状態の観光業界からの要望を受けて、観光旅行に税金で助成をする「GoToTravel」なる施策を開始するという。そりゃ早すぎるだろう「ゴッツイ、トラブル」と揶揄されたり、地方の知事も医師会も反対や慎重論を言いだし、では一番危険な東京トラベルを除いてやろうとか、今や世間はすったもんだ最中である。
 コロナに感染して苦しむか、商売あがったりで貧乏に苦しむか、悩みは深い日々である。

●横浜最大の商店街・伊勢佐木モールとコロナ
コロナのない頃の伊勢佐木モール風景 2010年11月13日
そんな日々でも、横浜都心隠居のわたしは、ご近所徘徊を躊躇なくやっている。昨日は久しぶりに友人と一杯やった。
 今回レポートするする「伊勢佐木モー」ルに、近頃なんだか飲み屋それも安居酒屋がずいぶん増えたような気がするが、コロナと関係あるのだろうか。この2,3年のうちに、飲み屋に限らず安物屋がずいぶん店を出してきているから、コロナとは関係ないかもしれない。でもコロナがそれを促進するかもしれない。
コロナ緊急事態下の伊勢佐木モール 2020/04/14
同上 2020/04/26
コロナによる緊急事態下の伊勢佐木モールは、見たところコロナ前のか5割くらいの人出になっていた。中華街や元町のような人影が珍しいということは無かったのは、食料品、日用雑貨、衣料品などの日常必需品を売る店が多くあるからだろう。
 緊急事態中は、大きな間口の店ほど、あるいは全国チェーン店ほど、休業が多かったが日常必需品店舗は営業を続けた。
コロナ緊急事態解除後の伊勢佐木モール 2020/07//12
同上 居酒屋が隆盛 2020/07/17
飲食店も多くは休業していたが、緊急事態解除で少しずつ営業開始してきて、比例するように人出がコロナ前に戻ってきた。
 たくさんの安居酒屋も休業していたが、これらの営業再開がなんだかモールの景気づけに役立っている気配だった。そう思えるほどに、モールには居酒屋がおおい。

 それもこの5年くらいに増えたような気がする。居酒屋に限らず、物販店も大小の安物屋が増えてきたようだ。
 大きい店は、地下から5階まである激安売り物の「ドン・キホーテ」、その次が安物衣料の「ユニクロ」となんでも百円の「ダイソー」(文具類を買いに行く)が入る5階建ての店舗ビルである。これらが伊勢佐木モールで最大級の店舗であるのを、どう考えようか。

 大型店と言えば、伊勢佐木モールからあの堂々たる建物の「松坂屋デパート」が撤退したのが2008年だった。2012年に3階建てに改築(当時の記事を参照)されて、今は食品量販店や安物衣料などなどテナントビルになっている。
 モールの中ほどにある3階建ての大型総合量販店「ピアゴ」が、先日から閉店セールを始めた。店の名はいろいろ変ったようだが、ずいぶん昔からあった大型店で、3年ほど前に改築したばかりなのに、どうしてだろう。コロナと関係あるのだろうか。

 モールの中でコロナで休業したまま、いまだに営業再開しない大きなビルがある。それは中央競馬会の場外馬券売り場である。この建物は、元は松坂屋デパートの新館だったが、その撤退後にそっくりおそのまま改装して馬券売り場となっている。
 これもわたしには無縁なのでよくわからないが、それなりに街の賑わいとなり、商売繁盛に役立っていたのだろう。建築だけは風格のある姿であることが、往時のこの街の風格を見せているのだが、コロナでこれも失われるのだろうか。
かつて百貨店だった場外馬券売り場ビル
安物店といえば、モールのあちこちに古物屋が増えつつある。10年くらい前までは古物と言えば古書だったが、古書店は少なくなるなり、いまは古着も古道具も中古電気用品も何でもかんでも売買する「●●リサイクルショップ」と銘打った古物店があちこちに増える。
 環境問題対応と考えると時代の差先端を行く店だろうが、骨董品屋ではないから、どうも貧乏くささを免れない。コロナ貧乏社会が蔓延すれば、ますます安物屋が増えるだろう。

 緊急事態中に店内に意外に人が多かったのは、有隣堂書店本店であった。コロナ逼塞中に自宅で読む本を買うのだろうか。
 わたしはもう本さえも買い物しないのだが、書店は徘徊中の立ち眺めに立ち寄る店で、他に3軒の古書店がある。そういえば、古書店は更に2、3軒あったのが、いつの間にか消えた。5年ほど前に「ブックオフ」が進出してきたからだろうか。

 コロナ以前もその変化はよく見られたがシャッター通りになることは無くて、さすがに横浜一の繁華街であると思っていた。
 近頃は特に変化が多い。上に書いたように、安物店へ安居酒屋への流れが見える。昔々のことは知らないが、老舗はもうほとんどいないような気がする。 
 
●防火建築帯の街並み

 私は買い物をめったにしないから、コロナ以前の店の具合は、大きく目立つ店のほかは、あまり観察をしていない。
 この近所に住むようになって19年、あちこち都心徘徊を続けてきたが、このモールに来ていることが最も多いような気がする。でも目的は買い物ではない。
 そもそもわたしがこのモールを歩く当初の目的は、この商店街の主要な建築群を構成する「防火建築帯」の観察であった。かつてわたしも大阪で携わったことがある、戦後都市復興期のの建築である。
伊勢佐木モールの防火建築帯共同ビル 2020/07/16

同上
全国の都市で防火建築帯事業があったが、横浜の都心部は全国でもまれにみるほどに、関内関外にそれが多く建てられ、今もそれが伊勢佐木モールの中にも、その外にも生きて使われている。
 近頃は次第に建て替えられて主として高層共同住宅になっていくのだが、その変化を観察すると、都市の変化が目に見えて面白いのだ。
 
 その建築防火帯の多くは、隣近所の店が共同してビルにしたので、一階の外向きには小店舗が連続して並んで営業している。
 一般に日本の繁華街の商業建築は建て替えが著しいのだが、共同建築駄るために一店舗だけでの建て替えが不可能であり、共同の権利者たちが一致して建て替えなければならない。その再建のための話し合いが困難で、防火建築帯共同ビルが今も多く使われているのだが、中の店舗は時代の要請に応じて変化する。

●じわじわとフーゾク化の気配

 安物移行はまあ貧乏な私にはありがたいことだが、なんだか気になるのは風俗系への移行が、じわじわとやってきている感がある。モールから言えば裏通りに当たる曙町や福富町方面からのやってくるのだ。

 伊勢佐木モールの裏あたりの曙町や福富町は風俗店が多い。緊急事態中に通ってみると、ほとんど人が通っていなかったが、それは私の観察が昼間だからだろう。
 ソープランドなる店はさすがに休業のようだが、ほかの何するのか知らないが女性(あるいは男性かも)従業員と遊ぶらしい店は、灯りがついて客引きのお兄さんが立っているから、ほそぼそでも営業を続けていたようだ。

 この商売こそ濃厚接触しないと成り立たないだろう、と思うのは素人考えか。今コロナ感染激増で有名になった新宿のホストクラブってのは、ここにもあるのかしら。いまにここも新宿に負けないようになるのかもしれない。
 気になるのは、風俗系かどうかわたしは知らないが、それっぽい看板が目立つ「タイ古式マッサージ」店が、モール内外のあちこちにやたらに増えてくる。肩こり治しなら日本式があるだろうに、そういう店は一向にない。ここで何するのだろうか。
古書店の2階にもタイ古式マッサージ 2020/07/16
モール内とその近くにパチンコ屋が6軒もある。緊急事態になって5軒がすぐに休業した。関内駅に最も遠い1軒だけが数日間頑張っていたが、これも休業した。もしかして名前出すぞと当局から言われたのかもしれない。もちろん今は営業しているが、盛衰のほどを知らない。
 「ナムコ」のゲームセンターも同様だったが、近頃いつ見ても以前のようには若者がいないのは何故だろうか。
 休業が続くギャンブルの場外馬券売り場も風俗営業のひとつだろうが、横浜ではIRとかいって、埠頭にギャンブル場を誘致する構想があるから、これからどうなるのだろうか。

●地元型アジアン混合エスニック

 元町と比べると店も通る人たちも、明らかに庶民の町であり、ほとんど観光的要素はない横浜の街である。そしてアジア諸国、特にチャイナ系とコーリア系のの度合いが高い。
 わたしは、このモールを歩いていて、横浜が開国以来の国際都市であるという感覚を、アジアの国際都市なんだと体験的に知った。
 ここのアジアンエスニックは、外来観光客からの借り物ではなくて、この町に暮らすアジア系外国人たちである。相対化すれば日本人もエスニック、そうここに住むわたしもそのひとりなのである。
 それは外来観光客に頼る街がコロナで壊滅状態になったのと比べて、この街の強みであろう。
 
 コロナ後のいま、ほとんどの店は営業しているが、注意しながら歩くと、コロナ以来閉店したままのところも結構多い。関内駅から遠くなるほどそれが目立つ感がある。この長すぎる商店街は、垣生となる大型店を次々と失って、いまや短縮する時期に来たかもしれない。コロナがそれを促進する。

 これまでの観察から思うのは、伊勢佐木モールの街並み(戦後復興の防火建築帯建築群)は徐々に変化するとしても遅いだろうが、商売は時代に合わせて変幻自在に移り変わって、力強く生きてゆきそうな感じがする。
横浜都心部で唯一(多分)の戦前モダンデザイン建築「不二家」
さて次は「横浜橋商店街に行こう。
(つづく)

◆参照:「コロナ大戦争おろおろ日録

2020/07/06

1475【横浜コロナ風景その2⑤】横浜馬車道商店街の変化はコロナにあまり関係無さそうだが、、

 横浜コロナ風景その2④横浜元町からのつづき

 コロナ緊急事態で不要不急外出自粛要請される日々、それなのに横浜都心の繁華街を3日にあげす不要不急のご近所徘徊をしている。これはコロナ前からの日常そのままを続けているにすぎないのだが、コロナで街がどう変わるか新しい興味が加わった。
 そしてコロナ出現でにわかに人出が見えなくなった街を見て、単なる好奇心からの感想を書くこのシリーズは、これまで赤レンガパーク、中華街、元町とやってきたが、今度は「馬車道商店街」である。

 馬車道商店街のコロナ緊急事態最中の状況は、人出はかなり少ないのはたしかだが、中華街や元町のようにほとんど無人の街ではない。それなりに人がいる様子である。どうも印象としては、コロナ前と極端な違いがないような気がする。
 人通りがわずかなのに何故そう思うのか、自分でも不思議である。関内ホール前広場のベンチに座り込んで眺めながら、ちょっと考えた。
 その変らなさの原因は、歩道に緑が多いので、元町のように人通りの見通しがきかないせいなのかもしれない。また、ここは歩行者専用道路ではなくて、自動車の行き来がけっこうあるので、コロナ最中の商店街にも動きがあることによるかもしれない。

 そもそもコロナ前の馬車道は、人通りが多かった記憶が、わたしにはない。でもさびしかった記憶もない。中華街の喧騒はもちろんないし、元町のウィンドショッピング型の人出もない。
 もっとも、わたしは買い物や食い物にあまり関心がないので商店街の店の客になることはかなり稀である。馬車道商店街には、博物館と関内ホールとギャラリーと古本屋くらいしか用がない。店や人通りにあまり興味がないから、商店街としての記憶が薄いかもしれない。
32年前の馬車道風景 1988年11月23日
29年前の馬車道風景 1991年2月8日

27年前の馬車道風景 1993年5月11日

16年前の馬車道風景 2004年10月2日
 わたしはここの街並みを好きである。中華街や元町のような風景が一律になっているよりも、ここは品の良い多様さがある。それぞれ多様な一般の商業建築にすぐれたものはないが、要所に県立博物館、関内ホール、日動ビル、旧富士銀行などの公共施設や歴史的建築物があり、防火建築帯の共同ビルもあって、全体として街並みが一種の風格を見せている。
道路空間と建築セットバック空間とが、外部デザインとして、快く作りこまれているのもよい。よそから来ただれかを商店街に案内するとしたら、ここにしたいと思う。
コロナ緊急事態下の馬車道 2020年4月14日

同上 2020年5月17日

コロナ緊急事態解除直後の馬車道風景 2020年7月2日
同上 2020年7月2日


 ところで、コロナ前の馬車道では、街並みに大きな変化が起きようとしていたことを思い出した。横浜都心では関内と関外の主な通り沿いに、戦後復興期に計画的に建設した「防火建築帯」が数多くあり、これらが都心街並み景観形成に大きな影響を持っている。
 防火建築帯には単独ビルもあるが、複数の隣り合い連続する地権者たちによる3-4階建ての共同ビルが多い。それらは一階に表向きに小規模な店舗が並んでおり、全体は間口も広くて特徴的である。

 馬車道通りにも早川ビル、馬車道会館、商栄ビルなどの防火建築帯共同ビルがあり、連続する街並みを特徴づけている。
 「商栄ビル」は、馬車道通りに面して間口が一街区分あり、3・4階は共同住宅、1・2階に6店舗があり、街並み景観の特徴となっていた。3年ほど前からこれを建て替えすることになり、ながらく空き地そして工事仮囲いとなっいて、商店街の連続を断ち切っていた。この商店街の街の中心部であるだけに、これが街を寂れさせていた観があった。
60年ほど昔の商栄ビル(『BA』12より引用)

16年前の商栄ビル 2004年10月2日
 商栄ビルがなくなって塀ばかりでくつまらなく思いながらも、新しいビルでどんな商店街としての街並みが再出現するのか楽しみだった。
それがコロナ禍の真っ最中の今年になって完工したようだが、なんと4つの高層ビルに分かれている。共同ビルを解消したらしい。
 馬車道沿いの2棟の一階には馬車道に面して外向きに、処方箋薬局、小さなファッションブチック、またも処方箋薬局と3店舗が並んだ。こんなに薬屋が必要なのかと思う。6店が3店に減って商店街としては寂しくなった。
 だが、高層となって上層階にたくさんの共同住宅が乗ったから、それなりに商店街の客が増えたのかもしれない。
商栄ビルは4つに分割して建て替え、馬車道側の2棟 2020年4月14日
同上の2棟の馬車道側にセットバック歩道が出現 2020年5月17日
 関内ホール前ベンチから、コロナ緊急事態が終わったこの街のこの新ビルの前の人通りを眺めても、人出が特に戻ってきた雰囲気を感じない。改めて街にある店を眺めてみると、飲食店が結構多いのに気が付いた。まったくグルメじゃないからわからないが、居酒屋もあるが、なんだか老舗のような癖のある飲食店も多いようだ。そこが元町とは違うし、この後で行く軽薄な伊勢佐木モールとも違うようだ。

どうも、コロナというショックの視点からこの街をとらえにくい。コロナ前、コロナ中、コロナ後もあまり変わりない感じ(あくまで個人的な感じ)で、それはこの商店街の何を意味するのだろうか。
 このさき、そう遠くないうちに、早川ビルも馬車道会館も、商栄ビルのように建て替えられるだろうが、さてそれでどうなるだろうか興味がある。そう、コロナがこの街の不動産的変化にどう影響するのか、しないのか、興味がある。
防火建築帯のひとつである馬車道会館 2020年7月2日

 あ、そうだ、昔々、馬車道で奇妙な女性を見かけた記憶を書いておこう。それは1980年代半ば頃だったろうか、何かで通りかかった馬車道、あるビル前の小広場の椅子に頭も顔も衣装も真っ白づくめで、異様の厚化粧女が座っている。いや、頭髪は紫色だったかな、若くはなかった。
 その後にも2回だったか同様に見かけて、横浜という都会には不思議な人がいるもんだと思った。ずっとのちに通称浜のメリーなる数奇にして奇矯なる娼婦であったと知ったのは、五大路子が彼女をモデルにした演劇で話題となった1993年だった。
 その場所は、りそな銀行(当時は協和銀行だった)があるビル前の、セットバック歩道だったような気がする。あるいはアートビル前だったか。そう、馬車道が演劇舞台であった。
浜のメリーさんがいた記憶がある場所 1988年11月23日
さて次は伊勢佐木モールへ。   (つづく

追記2020/07/19
 最近になって、伊勢佐木モールでちょくちょく出会う不思議な格好の女性がいる。これが、なんだか浜のメリーさんが生まれ変わって出てきたかと思わせる雰囲気なのだ。
 大柄な女性(だろう)で、派手な色彩ではないが、短い丈のひだが多くあるスカート、襟周りにもヒラヒラが付いているブラウス、頭にはリボンと帽子が載っている。
 どうも女性の服装をうまく言えないが、まあ、コスプレである。それはまるで小学生が着飾って誕生会にでも行くようだ。モールをしゃなりしゃなりと流していく。
 顔を見れば、その皺の様子はけっこうな年齢の様だ。わたしが昔々に浜のメリーさんを見かけたときも、顔を見てエッと思ったものだった。
 

2020/07/01

1474【フェイクバカ狐乱夢2020年6月号】ああ、今月もコロナコロナで明け暮れ、もう飽きたなあ

6月1日【今朝の新聞から】
 例のアベノマスクどさくさの話だが、なんと悪名高い「インパール作戦」にたとえられているって、そりゃインパール作戦に気の毒だよな、牟田口廉也指令官が聞いたら、俺はそんなドジ小者じゃないっ、いっしょにするなって、大いに怒るだろうな。
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上

6月2日【コロナ対策巨額予算】
 出たとこ勝負大盤振る舞いなんでもやるぞ、コロナ後に残る大借金1000兆円!? 後は誰か知らないが次の世代にお任せしますのでよろしくね
写真の説明はありません。

6月2日【アベノマスクがきたが子供用かも】
 郵便受けのダイレクトメールに交じる小さな透明封筒、宛て名が書いてないから、てっきりよくある懐中鼻紙(ポケットティッシュ)同封投げ込み広告類と思って捨てようとして、差出人が「厚労省医政局経済課マスク等物資対策班」と小さい字ながらものものしいのに気が付いた、あ、そうか、これがあの有名なアベノマスクかあ、とうとうわが家にもやってきたんだあ~。
 でも今わたしが着用の立体布マスクと比べてずいぶん小さいなあ、子供用を送ってきたんだな、開封しないで取り換えてもらうべきか、悩みつつつ街に出ると、商店街に「マスクポスト」なるものがあり、中を見ればいくつかの未開封アベノマスクが入っており、そうか、ここに持ってくればよかった。
 なお、横浜都心商店街では、どこもかしこも俄かマスク屋だらけ、マスクの値段は不織布50枚箱入りで4月半ばは3500円、いま6月初めには1600~1200円程度になっている。
 そこで一首。
  春過ぎて夏来にけらし白妙のアベノマスクも来にけらしたり
写真の説明はありません。

6月3日【解除ばやり】
 福島では除染しないで避難解除、東京でも除染しないで宴会解除、日本総不感症列島

6月4日【強盗キャンペン】https://www.facebook.com/dateyf/videos/2993932234016078/?t=4
 どなたが命名なさるのでしょうか、その語感がなんとも凄い!、コロナショックから復興のためには、「強盗もいとわずにやりぬくぞ」とのお覚悟のほどが知れて、まことに恐れ入ります。で、「商店街」って英語がないの?

6月4日【横浜都心徘徊:新市庁舎】
 横浜市新市庁舎ちょっと眺め、なんだか白々しい建物だねえ、隣のアイランドタワーと並んで、槙流白塗り金属棺桶かよ、旧庁舎の村野流煉瓦館に対抗したんだな。ソフトウェア面でも白々しいのは入館チェックゲート、ゲーテッド市役所になっちゃった。でも、近隣住民としての楽しみは、どうやら下駄ばきビルらしく、近いうちに1,2階が商店街になるらしいこと、そして大岡川沿いに広い緑地があること。
画像に含まれている可能性があるもの:高層ビル、空、木、屋外
新市庁舎
画像に含まれている可能性があるもの:木、空、植物、屋外
旧市庁舎
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上
3階から上はゲートの中に入った新市役所

6月8日【給付金受給申請書】
 本日の不要不急の外出予定は、こんなお手紙を出して、10万円給付申請することと、既に受領した現物給付の小さな布マスクを、街にある「マスクポスト」に寄付をしてくることです。どっちも元をただせば、わたしが納めた金を原資にしているのだから、給付じゃなくて還付だね。あ、この手紙も、あの「電通」に行くのかなあ、。アレっ、あて名が「給付金申請受付センター」じゃなくて、「給付金受付センター」だから、これは給付金の寄付を受付けるセンターらしい、さてどうしようか。
写真の説明はありません。

6月10日【徘徊途中で銭湯へ】
 横浜都心コロナ徘徊は、歩くのは暑いので、自転車徘徊に切り替え、銭湯に出くわして、ふと思いついて入る。たぶん20年ぶりくらいか、入浴料480円、風呂好きではないけど、暑いときにたまにはよいもの、いくつか銭湯の場所を知っているから、銭湯徘徊やってみるかなあ。今日はカメラ忘れたのでグーグルストリートから。

6月13日【荘直温伝という本】
 おお、生まれ故郷の町の地域史らしいな、「荘直温伝-忘却の町 高梁と松山庄家の九百年」書評、読んでみたいな。
画像に含まれている可能性があるもの:テキスト

6月14日【コロナ流行最先端】
 東京の新コロ流行最先端の店、「ホストクラブ」って、何するところなんですか?、行ってみたいな、「ホステスクラブ」ってのもあるんですか?

6月15日【流行のオンライン会議やってみたけど】
 いつもはメールの弟と、高齢者同士でZOOM談義を始めよう、何とかなるだろうと初挑戦、でも何にも見えず聞こえず、結局は電話で話して敗退、ZOOMのバカッ!
 その後に再挑戦して、あちらこちらいじっているうちに、突然つながって、音も顔も出たけど、なにがなにやら、とにかく操作方法の日本語(らしき言葉)がチンプンカンプンで、次回にも同じようにできると思えない、ズームのバカヤロ、日本語を勉強せい!

6月17日【陸上イージス取りやめ】
辺野古埋め立ても、イージスアショアも、同じ理由で停止できますね、河野さん!
画像に含まれている可能性があるもの:おおくま さとし

6月19日【緊急事態解除】
 「人間のほうは自粛要請解除で夜宴会や県外旅行らしいが、いっぽう、当然それに伴うはずの当方への自粛要請が来ないので、これまで以上に活動します」-新型コロナウィルスより

6月28日【新しい生活様式】
 夜11時ころから、窓の外で外国語の大きな話し声、延々と1時間以上たってもやまない。最近、これが1日おきぐらいにつづく。いつも同じ男の声だが、相手の声は聞こえない。道路か駐車場で電話しているらしい。昨夜は注意してやろうと窓から見下ろしたら、わかった。なんと隣に建つ共同住宅ビルが発生源だ。3階バルコニーに座り込んだ裸男が、PCにむかって話している。そうか、オンライン会議か、いや飲み会か。
「おーい、うるさいぞ、シーッ、シーッ」、イヤフォン着けているのか気が付いてくれない。何度もやるとこちらが近所迷惑マンになる。あきらめて引っ込んだ。多分、はじめは家の中でやっていたのを、家族から追い出され、バルコニースタジオになったのだな。名ばかり「マンション」なんんて気取っても、実は「うさぎ小屋」ビル、こんな「新しい生活様式」輩が増えてくるんだな。
 昨夜の新生活裸男は、以前よりは早くやめたから、気が付いてくれたのかもしれない。

6月28日【10万円給付が大幅遅れ】
 うちは最後でいいよ、だって、この元は税金で、納付が遅れると延滞税とるでしょ、だから当然、反対に給付が遅れると遅延加算金がつくんでしょ、給付金が増えて嬉しいな

6月29日【注文の多いコロナ社会】
 世間がコロナに感染してから、Take out(持って出ろ)、Pay pay(払え払え)、GO to(行ってしまえ)とかって、上から目線で命令する奴が多くなったなあ

6月29日【自転車徘徊不審尋問】
 いつものように自転車でご近所都心徘徊、もうすぐ帰宅の交差点で信号待ち、いつの間にやらひとりの警官が後ろから寄ってきて、
「恐縮ですが、ちょっとお邪魔します。自転車の防犯登録を見せてください」
「え、なんです?、そんなものどこかについてるかな、はて、登録したかなあ、どうぞご覧になって見つけてください」
 しげしげと自転車のあちこち見つつ、
「お名前を教えてください」
「え~っ、わたしは自転車盗の被疑者なんですかあ?」
「いや、そういうわけじゃないんですが、、」
「うーむ、そりゃちょっと、どうもねえ、いやだな」
もう一人警官がやってきた。なんだか面白くなってきた。通る人たちがジロジロ見る、マスクの効用が初めてあった。
「いつ頃お買いになったのですか」
「うーむ、もう10年も前だったような。あのね、なんで私に聞くの、何か自転車泥棒事件があったの、わたしが被疑者なの、ねえ、おしえて」
「いやいや、通常の防犯の仕事の一つです。では、ご協力ありがとうございました。お邪魔してすみませんでした」
「え、いいの、いやいや、まあ、ご苦労さん」
 つい先ほどパトカーとすれ違ったけど、指名手配犯人に似ていると見えたのかなあ、でも、つば広帽子に流行の白覆面で頭も顔も隠しているいるから、人相はわからいよなあ、じゃあ、いかにも自転車盗んで慌てて逃げる態度だったのかなあ、いやいや、年寄りだからできるだけゆっくり走ってるんだけどなあ、あ、若い男と思って捕まえたら意外にも超年寄りだったので、向こうが慌てたのかな。