2022/05/30

1622 【横浜寿地区観察徘徊】簡易宿泊所ドヤ街に登場した新築分譲共同住宅マンションのコンセプトは

 横浜の古い都心部にもう20年も住んでいる。
 年寄りの健康維持のために行く先の宛てもなく近所を徘徊する日常である。経路になる場所はある程度一定しており、それらの順番は日によって気分で異なる。
 繁華街、観光街、エスニック街、ドヤ街、元赤線街、元青線街、裏路地街、急坂町、墓街などなど、単に歩くだけではつまらぬので、キョロキョロと横浜都心風景の変化を追う。
 住宅街は静かだが、何年も同じところを見ていると、じわじわと変わるが実に興味深い。今日はドヤ街の観察徘徊記録である。
横浜都心部の寿町から松蔭町を中心に「寿簡易宿泊所街」がある











 





●寿簡易宿所街は繁盛らしい

 その徘徊住宅街のひとつに、大勢の貧困階層が高密度に集まって、林立する簡易宿泊所(通称「ドヤ」)という低級ホテルで暮らしている街で、通称「寿地区」あるいは「寿ドヤ街」である。
 正確に言えば住宅ではないが、実態は簡宿の泊り客たちのほとんどが住み着いているから住宅街である。実際にその街の風景は、知らない人が街を通ってみると、ワンルームの共同住宅ビルが多い街だなあと思うだけだろう。

横浜寿地区簡宿街メインストリート風景


寿地区簡易宿泊所分布状況


  横浜都心に住みだしてからもう20年、その間に寿町あたりも徘徊観察を続けて、このブログにも折に触れて観察記録を載せている。観察するだけで研究とか活動を一切しないのは、そんな気力がない老人だからだ。寿徘徊はその名称からおめでたい気分になる。

 それにしてもこの20年間、寿町の簡易宿泊所は増えこそすれ、減るようには見えない。ということは普通の住宅に住めない貧困階層は減らないということらしい。古くなった4~5階の簡宿が、次第に10階程度の高層ビル簡宿に建替えがじわじわと進んでいるようだ。
 新築簡宿ビルの入り口あたりに、エレベータ、インタネット、車いす対応等が完備と、時代に対応する設備を宣伝している。特に増える傾向にある老人対応が今の最先端らしい。

2020年1月 5階建て簡宿ビルが取り壊されて空き地に

2021年1月 その空き地に新築高層簡宿ビルが建った

看板アレコレ

●建替えられて高層化する簡宿

 今月(2022年5月)の寿徘徊で見つけた新しい動きのひとつは、周囲を簡宿ビルに囲まれた大きな空き地に、建設工事のお知らせ看板が登場したことである。読めばこれも簡宿である。その規模は10階建て、延べ床面積は2400㎡余とあり、部屋数とか宿泊定員を書いてない。例えば1室をグロス15㎡としても160室、160人くらい寿町の収容力が増えるようだ。

この空き地に新築お知らせ看板が立った

そのお知らせ看板を読むと高層簡宿ビル

 この寿町地区で去年に建て替えた簡宿が、観察徘徊では5棟あり、いずれも4~5階建てだったのが8~10階建ての高層ビルに替った。元に比べてかなり収容数が増えただろう。
 そして今年になって取り壊して空き地になった簡宿ビルが2棟ある。これらもいずれ新たな高層簡宿ビルになるだろう。この貧困ビジネス事業は景気が良いらしい。

 いずれにしても簡宿は簡宿であり、一室が3畳間から6畳間程度便所とシャワー室共用の構成には変わりはないらしい。何しろ泊まる客(実は暮らす客)の大半が生活保護費受給者だから、その収入から逆算して一泊1700円から2000円程度が支払い可能額だから、オーナーの投資もそれに対応するレベルで、できるだけ高密度に建てることになる。

新旧たち並ぶ簡宿ビル群

簡宿の典型的な部屋と基準階平面図

 その証拠には、どの簡宿ビルも同じような建築の姿になっている。中廊下を挟んで両側に3畳か4畳半の部屋がずらりの並ぶプランが標準らしい。
 住宅なら隣との建築の距離が採光通風のために法的に必要だが、宿泊施設はそんな考慮は不要で、隣との隙間もなく建てるから、窓と窓が真正面に向き合う。もっとも、近頃はファサードだけ妙に建築的デザインしている簡宿ビルが登場しているが、その中身はこれまでと同じらしい。
 思うに、その辺のドヤ建築と経営ノウハウは、これまでの長い歴史からしっかりと構築されているだろう。その運営受託を専門にする業者もいるらしい。

モダンぽいファサードデザインの簡宿

 近年はコロナ禍による観光低迷で普通のホテルなら経営難だろうが、ここは毎日を生活している宿泊者ばかりだから、宿泊客はコロナに何の関係もない。むしろコロナによる生活困難者の増加は、簡宿へと吹き寄せられて、宿泊客は増えているのかもしれない。
 ということで、この伝統ある貧困ビジネス街は、どうやら盛況らしい。
 その簡易宿泊所街の中に、この春になんと高層分譲マンションが登場した。

●マンションじゃなくて共同住宅という

 ここでちょっとマンション談議をする。マンションmansionとはアメリカ人に聞いたたら英語の意味は、大統領のホワイトハウスのような広大な庭もある邸宅、つまり日本語ならば御屋敷のことだそうだ。
 ところが日本語のマンションときたら、兎小屋のような狭い住居もあれば、オクションなる超広い住居もある共同住宅ビルのことであり、どっちにしても庭園なんてものはない。このようなビルを英語ではアパートメントハウスapartment houseというそうだから、要するにアパートである。

 ところが日本語のアパートときたら、2階建て程度の兎小屋が並ぶ共同住宅のことだから困ったものだ。もっとも、戦前は中層以上のコンクリ造共同住宅をアパートメントと言っていた。ちょっと高級感があった。
 それが戦後になって中高層共同住宅ビルが登場し、不動産業者がそれまでのアパートメンハウスと差別するために誇大広告としてマンションと言って売り出した。そのうちに世間ではアパートメントは取り残されてアパートとなり、共同住宅ビルはマンションと言うようになった。更に奇妙だが「マンション建て替え円滑化法」なんて行政用語にもなった。

 マンションという日本語には、外国人に話すときにこんがらかるし、業者の誇大広告にのせられるのも癪にさわるし、わたしにはどうも違和感が大きい。建築基準法が言うように「共同住宅」ということにしている。丁寧になら「区分所有型共同住宅ビル」とでも言うか。

●簡宿街の中に一般分譲の共同住宅ビルが建った

 話を寿町に戻して、簡宿街の中に1棟の10階建ての共同住宅ビルが立ち上り、この春から入居が始まっている。ということは、この街の中で普通に暮らしたい家族が大勢住み始めつつあることだ。

周りは簡宿ビル街の中の登場した分譲共同住宅ビル 2022年5月

 もちろんこの街は簡宿専用ではなくて、普通の街として店も事務所も診療所もある。事務所ビルの上層階が共同住宅のビルもいくつかあるし、市営住宅もあるから普通の住宅も少ないが存在する。
 この新登場共同住宅ビルも、じつはその土地には以前に1,2階が民間事務所で3~5階が都市再生機構(UR)賃貸住宅であった。UR前身の日本住宅公団が市街地住宅を幾つも建てているが、そのひとつが建替えられたのだ。

上の写真の共同住宅ビルが建つ前にはこんなビルが建っていた 2018年11月

 寿地区(正確にはこのビルは松陰町にあるのだが)ではかなり大きな敷地の建築であり、それが取り壊された2018年から跡地に何が建つのか興味を持って徘徊観察していた。
 その工事看板に分譲式の共同住宅が高さが2倍くらいなになって登場すると知った。この立地で普通に売れるものだろうかと興味があった。
 先にその結果を書くと、当該共同住宅ビルの公式サイトによると、既に「完売御礼」とあった。どんな販売作戦だったのか気になる。

●外人専用かとカン違いした

 まずはその共同住宅ビルのネーミングであるが、竣工間近らしい2月中頃に、看板など付いただろうかと見に行った。入り口上の壁に「DEUXFLE YOKOHAMA ISHIKAWCHO」とある。また一階壁面の照明器具に「THE LIGHT HOUSE」ともある。元かドアの横に小さな字で内部の施設案内らしいこと掲示があるが、これも全部英語らしいローマ字である。ほかに日本語の掲示を探したが全くない。

どれがこの共同住宅の名前なのだろうか

 おおそうか、外国人専用のAPARTMENT HOUSEにするのだな、なるほどそれなら地域的偏見がない市場開拓でなかなか良い作戦だ。5月初めに行ったら、引っ越し荷物トラックが来て入居者たちらしい姿もあるが、どうも外国人には見えない。

 そのローマ字名でネット検索したらあった。「THE LIGHTHOUSE(デュフレ横浜石川町)」というらしい。各項目のタイトルは英語だが、説明文などは日本語であり英訳はない。内容を読めども外国人専用ではないらしい。
 周りにある簡宿群の名は〇〇荘とか〇〇館とかが多く、なかには〇〇ホテルもあるから、ローマ字だけでしかも読めないDEUXFLEとは、簡宿との差別化の意図があるのだろう。

●販売宣伝文の中の寿地区表現

 デュフレ横浜石川町の住戸構成は、129戸の1LDK~3LDKの専有面積は34.80㎡~75.47㎡で、普通の世帯向けの分譲区分所有型共同住宅、つまり世間でいうマンションである。
 デュフレビルの姿かたちも簡宿とは大きく異なるかと言えばそうでもない。また、いかにも共同住宅に見えるようでもなく、街並み景観を乱すほどの差異化デザインでもない。

簡宿とデュフレがつくる街並み景観

 デュフレ横浜石川町のウエブサイトに、寿町地区(松蔭町も含む)の環境についてどう書かれているか、そもそも書かれているだろうか。いわゆるマンションポエム流の説明が、英語の項目で日本語で書かれている。

 寿町に触れているのはTOWN LIFEの中のAREAページにあった。寿町地区でホステルヴィレッジという地域活動を続けている岡部友彦さんへの取材形式で地域の歴史を語っている。寿町地区ではなくて松蔭町エリアとして、その多様性とコミュニティの存在に触れるが、寿町地区の実像には遠い。

 LIFE INFORMATIONに近隣の公園や公共施設がリストアップされてるが、そのなかに最も近い「寿公園」はない。寿公園では休日に、ボランティアによる貧窮者たちへ炊き出しで食事提供がなされる。

寿公園で炊き出しを待つ人々 2020年元旦
 また、この地区の最も重要な公共施設である「横浜市寿町健康福祉交流センター」も載っていない。そこは市民に日常的に開かれ、広いラウンジには図書室もあって住民たちが静かに昼間を過ごしている。
横浜市寿町健康福祉交流センター
 これらがデュフレ公式サイトに載ってないということで、この共同住宅販売の意図的な寿簡宿街無視の方向を察することができるが、現に住めばすぐわかることだ。

●共同住宅は簡宿を駆逐するか

 わたしの興味は、簡易宿泊所街の中に登場した新たな普通の共同住宅が、これから街に変化をもたらすきっかけになるのか、あるいは何の影響もないのか、である。もちろんこのあたりにこれまでも共同住宅ビルがあるのだが、それらはいずれも寿地区の外郭の幹線道路沿いに面している。四週を簡宿ビルの囲まれてこれほど大きな共同住宅ははじめてである。

 実は今年になってこのデュフレ共同住宅のある通り沿いの2軒の簡宿ビルが取り壊されて空き地が発生している。これらの跡地利用が簡宿の再建か、それとも普通の共同ビルが出現するのか気になっている。
 このデュフレを契機にして、ゼントリフィケーションが始まるかもしれないとも思う。だが一方では初めに述べたように簡宿需要は盛んな様子もある。

デュフレ近くで6階建て簡宿が取り壊されて空き地になった
(追補2022/06/11)この跡地に8階建て簡易宿泊所建設工事が始まった

 






   デュフレの価格を知らないが、ネットスズメ情報に8階75㎡5,930万円(坪単価260万円)とあるが、市場でどの位置かわからない。ネットには投資目的の購入者だろうか、すでに賃貸住宅として市場に出ている。2階、賃料(管理費等)13.8万円(10,000円)、39.63㎡とあるから、㎡あたり約3500円/月である。

 周りの簡宿の宿泊料は、一室6㎡くらいで一泊2000円くらいだから約330円/日、9900円/月である。これはデュフレの賃貸住宅の3倍近い稼ぎになる。荒っぽく見ても不動産運営事業としては簡宿の方が断然に利益が高い。

 ということは現在の簡宿経営者が一般賃貸住宅事業に乗り換えることは、現状では予想しがたい。むしろ分譲共同住宅を簡宿に改造する事業者が登場するかもしれない。
 つまり簡宿駆逐のゼントリフィケーションは起こりにくいことになる。う~む、これって、正しい見方だろうか?

●木造飲み屋街を再開発して

 松蔭町も含めて寿地区の現在の簡宿群は、時代の要請に対応すように内容を変えて建替えられていく。だが気になる街区が一つある。
 そこは細い路地を挟んで、零細な木造2階建て飲み屋が密集して立ち並んでいる。簡宿でさえ堂々たる不燃中高層建築が立ち並ぶのに、この一角だけが取り残されている。見ようによればこここそは横浜戦後混乱期プータローの街の雰囲気を今に伝えている。

飲み屋街 2015年

懐かしいような街並みの飲み屋街 2016年



 



ちょっと怖い雰囲気の飲み屋街路地

 この街区はかつては日ノ出川であり、1956年に埋め立てて街になった。わたしは実情を知らないが、その埋め立ててできた公有地の不法占拠があり、その状況が今も継続しているのだろうと推測する。それならば戦後混乱期の建物が今に続くことになる。

 この街区がその内にどう変わるか、簡易宿泊所が林立するか、それとも共同住宅ビルが林立するか、あるいは公共施設が登場するか、楽しみである。もしもこの飲み屋街の土地が公的所有地ならば、再開発をしてこの地域にふさわしい都心型老人福祉施設を創ると良いのになあと夢想している。

寿地区当たり空撮2018年 google map

(2022/05/30記)

●もっと寿地区を知りたいお方はどうぞ
◎【コロナ正月】寿町・中華街・元町・伊勢佐木へ旧横浜パッチワーク都心新春徘徊2022
◎【コロナ横浜徘徊】コロナどこ吹く風の繁華街とコロナ景気が来たか貧困街2020

2022/05/20

1621【東京お登り見物】11年ぶり東京六本木あたりから見下ろし風景は変わり映えしない

東京お登り風景 六本木―青山―新宿

●4年ぶりの六本木は亡き人に別れる会

 久し振りに東京の六本木に行った。日記を見たら2018年5月以来4年ぶり、そう言えば東京の都心方面に行ったのは2020年の2月以来2年ぶり、コロナだからとて避けて行かなかったのではなくて、行くべき用事や遊びの機会が次々と消滅する日々だったのだ。コロナのほうがわたしを避けていたらしい。

 そして2022年4月21日になり、六本木の国際文化会館にようやく行くべき会合が発生、恩人の建築家近藤正一さんの1周忌にお別れ会が開かれたのだ。さすがのコロナの奴も、わたしを避けなくなったらしい。コロナ流行が幾分か収まる気配ということ。

 多くの人が集まり、超久しぶりの知人たちにも出会ったが、マスクをしたままだから、わずかの人だけを誰であるか判別できたが、先方から挨拶されても誰だかわからない。それでも30年ぶりの人でも名乗られると途端にマスク下の顔もわかるのがおかしい。こちらも挨拶しないで失礼してしまった人も多いだろう。マスク風習が人々を疎遠にした。

 コロナ禍中だから飲食一切なしで時間限定、会場を出ても昼の日は高い。主催者側の昔仲間と話していたら、一緒に飲みたい人たちがもういなくなっている。おいて行かれたらしい、ちょっと僻む。

●東京お登り見物
 しょうがないので、せっかく久しぶりだから東京おのぼりさんをやった。文字通りのお登りで、高いところに登って来たのだ。とは書いたが、実は初めからここの近くにある森美術館に行くつもりではあった。

 近くに建つ超高層ビル「六本木森タワー」52階に登って地上の風景を眺めて来た。90年代から六本木には仕事でよく来ていたものだが、ここまで高く登るのは2011年以来11年ぶり、その間に見下ろす東京がどう変わっているか興味あった。
 だが、久し振りの東京眺めおろし印象は、なんだ、たいして変わっていないな、超高層ビルがばらばらと増えたようだが、総体としては変わらないものだなあ、ということだった。

 六本木ヒルズという巨大再開発事業で六本木森タワーは2003年に完成した。わたしはここの展望台に2006年と2011年に来ていることがPCにある写真で分った。それはなにかこのビルで会合があったついでだったような記憶がある。

 もちろん詳細に見比べるとめだつ建物が沢山出来ていて変化の激しい東京だが、高いところから眺める分には、ゴチャゴチャに多少凸凹が多くなった程度だ。
 東京と言えども眺望風景は20年たつもほとんど変わらないのだった。

1997年の六本木界隈空中写真 中央上に六本木交差点 google earth

2021年の六本木界隈空中写真 左下三角地帯に六本木ヒルズ巨大再開発 google earth

  16年前の2006年に撮った写真があるので、2022年同アングル写真と比べてみる。

六本木ヒルズ森タワー52階からの眺め 2006年
中央の高層群は開発途中の東京ミッドタウン

上とほぼ同じ方向の2022年の眺め 右に東京ミッドタウン

六本木ヒルズ森タワー52階から新宿方面の眺め 2006年
広い緑地は青山墓地、上の超高層群は新宿あたり

上とほぼ同じアングルの眺め 2022年

 数多くの超高層建築が出現してきて、東京のゴチャゴチャさは地表から上空へと広がってきた。

六本木森タワー52階から北西方パノラマ 2022年
右端の工事中超高層ビルは麻布台あたりの巨大再開発の一部

六本木森タワー52階から西方パノラマ 2022年

六本木森タワー52階からの足元近く麻布や広尾あたりの住宅街の眺め 2022年

ミッドタウンの足元あたりの市街地 2022年

●六本木あたり回顧譚
 
 わたしはスッカリ年取ったから関連する回顧譚を書いておくことにする。もちろん他人にはどうでもよいことだが、どんどん記憶が薄れる自覚があるので、それに対抗して覚えているうちに書き留めておく、それが年寄りだと分る歳になったらしい。

 思い出すとわたしは六本木の街ににはけっこう縁があった。六本木駅近くで森ビルが初めて市街地再開発事業として手掛けた「アークヒルズ」がある。計画中は赤坂六本木開発(略してARK)と言っていた。その中に建った「アーク森ビル」に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の大学院サテライト教室があり、非常勤講師(都市計画論)として数年間通っていたこともある。またそのビルには森ビル主催「ARK都市塾」なる企業の都市開発担当者を塾生とする社会人学校があり、それにも関係していて毎週通っていた。

 更にまた、地下鉄六本木駅の六本木交差点入り口があるあたりで、岐阜県の土地と民間店舗との共同開発ビル計画があり、県の依頼でコンサルタントをしていた。これは石原俊介先生からの話だった。都市局長から転身した梶原知事が東京に県の拠点を作りたいとのことだった。先生は県の顧問をされていたらしい。その官民共同ビルは完成して、今回の訪問で建っていることを確認した。文化の六本木にカブレて劇場なんか作ったけど、岐阜県はどうしているのかしら。

 それやこれやで六本木にはよく来ていたから、このあたりの開発を同時代的に見ていたので懐かしい。もっとも、夜遊びは知らない。
 総体的には森ビルがどんどんと街を蚕食、口の悪いものは森蛭の繁殖という。だが、なんでもない住宅地だった六本木を、東京のある種の文化都心として興したのは明らかに森ビルの連続再開発である。ついでながら森トラストを森虎と口さがないものは言う。そういえばわたしは故・森泰吉郎氏、故・森稔氏、森章氏たちに、もう忘れたがそれぞれ別に会って話したことがある。 

●超高建築の風景

 六本木交差点から四方を見ると、建て替わったビルも多いようだが、街のゴチャゴチャ感は変わらないままだった。麻布方面に建設中の胴太で巨大なビルが空を覆っているのが気になった。
 それは森ビルがやっている麻布台あたりでの巨大再開発のビルらしい。あんな広い市街地再開発事業は日本で一番の規模だろうが、よくまあ事業化したものだ。あのあたりは我善坊谷という谷底ゴチャゴチャ路地だったのが懐かしい。

 六本木駅近くの山下和正設計のピラミデビルも健在だったが、記憶の風景に六本木ヒルズの巨大な森タワーが重なっているのをはじめてみた。さすが力量ある二人の建築家作品の予期せぬ出会いが、都市の混迷と秩序のせめぎ合い風景となり、なかなかよろしい。

山下和正設計ピラミデと六本木森タワーの予期せぬ出会い風景 2022年

 かつては超高層ビルがその街のランドマークだったが、こうも増えて来ると街なかの雑多なペンシルビル群と変わりがなくなる。その中で六本木森タワーは六本木のランドマークとしての地位を築いているようだ。それにしてもそのでっぷりと太った形態はどうだ、外装デザインが浴衣をきているようで、まるで腹つきだした相撲取りに見える。

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●(参照)六本木や麻布あたりについてこれまでこんなことを書いている

2010/09/28 321【東京風景】六本木から神谷町へ徘徊https://datey.blogspot.com/2010/09/321.html

2013/07/08 805【東京路地徘徊】愛宕下路地は今や空き地だらけもうすぐ超高層ビルでも建つのか https://datey.blogspot.com/2013/07/805.html

2013/07/12 806【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・1】谷底に緑に覆われた家々がひっそりと立ち並ぶ東京の秘境か https://datey.blogspot.com/2013/07/806.html

2013/07/16 807【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・2】谷底の落合坂を行く(その1)https://datey.blogspot.com/2013/07/807.html

2013/07/19 809【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・3】谷底の落合坂を行く(その2)崖の上下の極端な出会いの風景 https://datey.blogspot.com/2013/07/809.html

2013/07/21 810【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・4】谷底の落合坂を行く(その3)南の路地とその上に見えるレトロ建築 https://datey.blogspot.com/2013/07/810.html

2013/07/25 812【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・5】谷底と丘上の交わらない二つの街の歴史 https://datey.blogspot.com/2013/07/812.html

2013/07/26 813【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・6】我善坊谷の住人たちー永井荷風をだました女 https://datey.blogspot.com/2013/07/813.html

2013/07/28 814【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・7】我善坊谷の未来を勝手に想像するhttps://datey.blogspot.com/2013/07/814.html

2013/09/07 832【東京路地徘徊】元麻布谷底街の路地上に狸の大入道が真昼に出てる https://datey.blogspot.com/2013/09/832.html

          (20220520記)    



2022/05/15

1620【同時進行世界2大戦状況】少年の日々は戦のさ中にて ウ~昏いナ~晩年の日々も

 

ネットに登場するウクライナ戦場実録動画

 2022年も5月半ば、このあたりで毎月恒例の世界2大戦同時進行模様を記録しておく。

●コロナ大戦はだらだらと続き朝鮮半島大変が怖い

 まずはコロナ大戦模様、いつものごとく繁華街を徘徊すれば、「もうコロナどこか行ったらしい」って感じの人出、人々の覆面姿にまだコロナ世であったかと思い出す程度だが、本当にその程度なのかしら。

日本では防疫先進県は四国で頑張る徳島が2万人を超えて、
鳥取と島根の山陰勢が1万人台で当初からトップを走る。

 日本コロナ事情は、感染者総数累計は835万人で昨日も4万人増えたのだから、まだまだ流行は盛んだが、それが一向に減る傾向ではなくて減るか見ればまたぶり返しの有様。
 死者累計3万人、その日々の動きは横ばいだから、やはり流行中だろう。まだまだ油断ならないはずだ。

 それとも、「もうこの程度が政策として行う防疫の限度で、あとは成り行き任せでいいのだ、集団めえ駅を待つしかない」、ということかもなア、専門家も先が見えないのは、なんだか日本経済と同じだな。



 世界のコロナ事情は、感染者数累計5億2千万人、トップはUSAで感染8200万人、死亡100万人で、収まる気配はない。



 意外なのは隣の朝鮮半島である。南コリアでは、どんどん急上昇してきて今や世界worstエイトの位置で17775万人と日本の2倍にもなった。

 そしてこれまでコロナゼロとか言っていた北コリアが、突然に感染と死亡ありと発表、13日だけで17万人発熱とて、4月から累計52万人とて、キムさんまでもマスク顔出してきて、ミサイル発射並みの大騒動らしい。
 医療体制が脆弱なのでこれからどんどん増えるらしい。コロナが国家体制に影響するかももなあ、そうなると東アジアの安定にも、、。


 とにかく隣の朝鮮半島は南北共に大変らしい。ウクライナ問題とは別の性質の国家危機が東アジアにも起き、アジアも面倒なことになる心配がある。

●プーチン戦争もだらだら続き影響は広がるばかり

 さて次は2番目の大戦であるプーチン戦争の状況である。


 そのウクライナでは、次第に戦局が南西部にまとまりつつあるらしい。ウクライナ全部に広げようとした作戦は失敗したとロシアが分ったようで、南東部ドンパス地方の占領に力点を置いたとかである。
 納豆(NATO)嫌いプーチンには、更に納豆増加問題が起きて頭が痛いことになってきた。ロシア隣国でNATOに加盟せず中立を守ってきたフィンランドが、今回の事件で方針を替えて、NATOに加盟することにしたと発表し、スェーデンもノルウェイも同様らしい。

 ウクライナがNATOに近づくのがけしからんとて、今回の侵略戦争で東欧諸国を脅かしたのに、状況はロシアに逆に動いてきた。プーチンをますます怒らせる状況になった。
 これがどう次へ動くのかと心配していたら、ロシアがフィンランドに売っていた電力をストップしたとのこと、戦局が北欧へと拡散模様である。次はドイツへのガスエネルギーストップかしら。

 アメリカを中心とする西側諸国のウクライナへ武器援助が進み、ロシアは苦戦らしい。
 ネットに登場する戦場模様を眺めても、どちらが勝っているのかさっぱりわらない。しょっちゅう眺めていると、ゲームをしている感覚になるのが怖い

 ネットの戦争実録動画をっ見ていた確実にわかったことがある。この戦争で儲けているのは兵器産業だと。あの無駄だらけの仕事が戦争、勝つためには滞らない供給が必須だ。
 たぶんUSAにそれが多くあるのだろうし、ロシアににも当然あるだろう。いまウハウハにちがいない。戦争が続くことを願っているだろうか。
 日本の兵器産業で有名なのは三菱重工だが、こちらはどうなのだろうか。あそうだ、コロナパンデミックで儲けているのはワクチン開発した、これもUSAの薬屋だ。

 実のところは、多様な駆け引きの国際政治情勢については、なにがなんだかわからない。
 コロナパンデミックという世界戦争と、世界戦争になりつつあるプーチン戦争とが、どう絡み合って今後動くのか、いや絡み合わないのか、さっぱりわからない

 いずれにしても、身に迫り来る気配が濃厚な二つの大戦という不幸に、わが老後が出くわすとは何とも運の悪い人生であった。嘆きを狂歌にしておこう。 

少年の日々も戦のさ中にて ウ~昏いナ~晩年の日々も

(20220515記)

2022/05/01

1619【ダブルパンデミック】コロナ止まずプーチン戦争長引きて越える八十路の峠は闇夜

●コロナプーチンダブルパンデミック

熊五郎:ご隠居、まだ生きてますよね、一杯やりましょ。

ご隠居:おお熊さん、まあお上がりよ、花見は終わって萌える緑を眺めて酒飲もう。

:そういや、今月はご隠居の誕生日が来ますよ、よくぞここまで生きましたね。

:そう、八十路峠越えだよ、親の歳を超えるほども生きてもう十分、こんな物騒な世の中におさらばしたい。

:物騒すぎますよ、コロナ禍だけで十分すぎるのに、プーチン戦争で泣き面に蜂のダブルパンデミック。

:コロナ愚痴に飽きてたところにプーチン愚痴、年寄りはひまつぶし種ができたよ。

:戦争と言えば、ご隠居は太平洋戦争を身近に記憶する最後の世代ですね。

:日本は1931年から45年まで15年に亘って戦争したんだよ、わたしはその中間で生まれて物心ついたら周りは戦争の世の中、戦争が終わっても食糧危機で腹ペコ少年は辛かった。

:今度のプーチン戦争でも、もしかしたら日本に腹ペコ時代再来かもしれませんよ。ロシアもウクライナも食糧輸出国なのに、この戦争でそれが止まるでしょ。

:日本は食糧輸入国だからね、いやだいやだ、あの腹ペコを今の少年たちに体験させるのかなあ。

●日本は今もファシズム国家か

:プーチン戦争はウクライナなんて遠い地の事件、軍事大国ロシアが直ぐ勝って終わると思っていたら、2月24日からいまだに終わりませんねえ。

:終わらないどころか、戦場でない国も含めて地球全部がプーチン戦争の巻き込まれてる有様だよ、もちろん日本もドローンとか防弾チョッキとかヘルメットとか自衛隊が戦争道具を送ってるんだもの、立派に参戦だよ。ロシアから見ると敵国になったね。

:その巻き込まれ事件というか、先日、ウクライナ政府アカウントのツイッターに、裕仁天皇の顔が登場して、ネットで問題にした人たちがいましたよ。

:そうだった、ヒトラー、ムソリーニと並んヒロヒトの顔、そして「FASCSM AND NAZISM WERE DEFEATED IN 1945」とある場面のある動画だよ。これだけだと1945年には事実その通りでしたと言うしかないよ、何が問題かねえ。

:ネットウヨばかりか保守派国会議員が政府に言って、ウクライナ政府にいちゃもんつけさて、ヒロヒト写真を削除させましたね。

ツイッターに転載された当該動画の切り抜き

:じゃあ誰の写真なら良かったのか、東条かい近衛かい、でもね、ウクライナも1945年にはソ連だったから連合国側だよ、そちらから見ればこの3人が並ぶのは1945年の事実だから当たりまえ、日本政府はウクライナにどんな理由で文句つけたのかねえ、聞いてみたい。

:ウクライナもよく削除しましたねえ、どう考えたのかしら、ヘンだと思ったけど、今はいろいろ援助してもらってるから、ここは言うことを聞いておこうってところかな。

:ムソリーニとヒトラーの顔は残っているからイタリアとドイツは抗議しなかったのだね、これで怖いのは日本だけは1945年にファシズムを終わらせなくて今も続けていると思われることだね。

:あそうか、たしかにヒロヒトだけは1945年の後も生き残って、しかもその地位をずっと保ったのですからね。

●プーチン作戦失敗で東部に転戦

:ウクライナを挟んで東西冷戦時代がまた来た感があるな。日本もUSAに追随するべく陰に陽にウクライナ援助をしてるから、ロシアの敵国になってしまったよ。面倒だね。

:プーチンは、当初はウクライナ首都陥落へと政権転覆作戦をメインに据えていたけれども、ウクライナの案外強硬抵抗でうまくゆかないので、南部と東部に戦線集中するべく作戦変更のようですね。

プーチンのウクライナ侵略状況(朝日新聞朝刊20220501)

:2014年に無理矢理併合したクリミア半島からアゾフ海に沿い東に領土を広げているようだが、西側に行ってしまったウクライナと自国の間に、帯状に干渉国家を設立するのだろうな、満州国だね。

:そう、プーチンのやってることは、かつて満州国を作ろうとした頃の日本と似ていると識者の話もありますね。

:これからそうなるんだろうねえ、プーチンは勝っても負けても、いや勝負がつかないままでも、世界中からこうも嫌われては、ロシアのこれからを思いやられるよ。
 狂歌<プーチン付け合い>

柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺それにつけてもけしからぬプーチン
古池や蛙飛び込む水の音それにつけてもけしからぬプーチン

この先の不仲国家がいがみ合う地球を思いやられますね。いやだなあ。USAも次の大統領にトランプが返り咲くおそれがあり、東西冷戦か東西核兵器熱戦か、、。

:わたしはもうすぐ死ぬし、死ななくてもボケて何もわからなくなるから知ったことじゃないけど、熊さんたち大変だねえ、まあ、しっかりおやりよ。

:また無責任なことを言う、まったく年寄りはあの世とボケという、戻らなくてよい避難所があるからいいですねえ。

●日本にまたも戦争疎開者が

:避難と言えば、ウクライナから疎開者が日本にもやってきてるらしいね、昔1945年に日本でも疎開したのもだよ。

:ああ戦争疎開ね、今の世では難民とか避難民と言ってますがね、ウクライナから450万人もが国外脱出したそうですね。

:その昔の日本の疎開者は苦労したけど、ウクライナから日本に来た疎開者への対応はどうなってるのかしら。

:ウクライナから400人以上の避難民を日本は受け入れたとかですが、とりあえずは厚遇をするみたいですよ。数が多くなり期間が長くなると課題があるでしょうが。

:で、これまで世界各地で戦争があったけど、例えばアフガンとかイランとかソマリアとか、それらの難民は日本に来たのかしら、どう対応したのかねえ。

:そう言えばヨーロッパ各国で中東からの難民が押し寄せて大きな問題になっていましたよね、あれは解決したのかなあ、今回のウクライナ難民でさらに増えて、ヨーロッパではどうしてるのかなあ、あの時みたいには騒がないみたいですがねえ。

:どうも今回は判官びいきのようで、気になるな。西側にも日本にもコーカソイドとその他の民族とのあいだに差別気配がするなあ。もうちょっと観察してみたいね。

●一向に下がらぬ第6波の尻

:さて、コロナですけど、あの第6波で猛威を振るったオミクロン君は一体どうしてるんでしょうね。感染・死亡統計グラフを見ると、波は下がるように見えるけれども、いつまでも横にダラダラと実に優柔不断ですね。

日本全体の初めから今日までのコロナ感染者数推移


日本全体のこの1カ月間のコロナ感染者推移





日本全体のコロナ死者数の推移



:そうだねえ、行政の防疫政策もなんだかよく分らんねえ、危なそうだけど大丈夫そうでもあるから、十分気を付けて連休も過しなさいよって、妙に開放的ですね。

:これでゴールデンウィークで混雑地に遊びに行き、コロナに大歓迎されて、梅雨が来る頃は第7波が一気に急上昇ってことかもなア。今年もコロナの夏か。

:政府筋も専門家筋もコロナのこの先が読めなくて、対策決定を押しつあってズルズルゴールデンウィークうってところらしい。

:死亡率が低くなってきたので、風邪並みってことですかねえ。

:なるようになるしかないね、でもチャイナの上海では例のゼロコロナ作戦市民閉じ込め政策が続いてるらしいね。

全世界の当初からのコロナ感染者数推移

全世界におけるコロナ死者数の当初からの推移


:日本流のいい加減さも怖いけど、シーチンピン流は別の恐怖ですね。

:プーチン戦争で景気は下がるし、食糧危機が来るし、エネルギー危機も来るし、もしかしたらミサイルが飛び来るかもしれないし、恐怖の時代が待ってる感じがするなあ、年寄りはどうせ先が短いから、積極的にコロナ感染して先に逝くよね。

:あたしにだけは感染させないでくださいよ。あ、今日のこの飲み会が危ないか。

:ダブルパンデミックで大きく変わる世の中の行方を見たい好奇心で生きる気力はあるがねえ、その前に暗闇が待ち受けている予感もある。さて今日の打ち上げの狂歌だ。

コロナ止まずプーチン戦争長引けば越える八十路の峠は闇夜

2022/04/27

1618【新刊都市再開発本紹介】『RIAが建築で街をつくりはじめて』近藤正一オマージュ

 大げさに言えば日本戦後都市再開発実録とでもいうか、普通に言えば街づくりドキュメンタリーの本が出た。
 そのタイトルは『RIAが建築で街をつくりはじめて』(著:近藤正一ほか、発売:建築技術、2022年、税込2400円)と言う。


    



  




 タイトルにRIAとあるように、これは近藤正一が率いてきた都市・建築計画設計専門家集団の(株)アール・アイ・エー(通称RIA)が日本各地でおこなってきた都市再開発事業のうちから12都市のプロジェクトを軸にして、それに関わった各事業についてのRIA担当者、各自治体や中央官庁の行政マン、学者研究者たち17人の専門家が、事業の経緯や論考そして広く再開発論を語る。
 実はわたしも若いころに担当した事業について執筆したので書評を控え、感想を書いて宣伝することにする。

 著者17名の連名になっているが、実はこれらの中で中心的に書き語る著者は一人であり、それはRIAを率いて来た近藤正一(人物紹介は本文末尾参照)である。これはむしろ近藤正一都市再開発作品・論考集というべきでかもしれない。

 それにしてもRIAが携わった再開発事業の数は100を超えるだろうに、よくぞここまで絞り込んだものだ。それを各事業解説だけのオムニバスに陥らずに、そこからまた日本の戦後都市再開発の手法と思想の歴史的変遷の全体像を組み立ててみせる。

 日本古典芸能の能に例えると、シテ役は近藤正一であり、各プロジェクトごとにシテツレが登場するが、全体を俯瞰して進行するワキ役は有賀正晃である。近藤と有賀はそれぞれの事業の数多くの物語を削りに削って絞り込んで、ひとつの能に仕立てた作者でもある。これは近藤が遺した「街伝書」というべきだろう。

 表題にRIAが登場する既刊単行本がもう一つある。
 『疾風のごとく駆け抜けたRIAの住宅づくり』(2013年、彰国社)である。これはまさに近藤正一住宅作品・論考集である。そう、これは近藤が遺した「家伝書」である。

 つまり近藤正一作品・論考集の住宅編に次いで、今回は都市編が上梓されたのだ。次は建築編がいつの日か登場するかもしれない。
 なおネット空間に、近藤がその仕事を語る動画を見ることができる(早稲田アーカイブス建築学会「建築討論」)。

 住宅編・都市編どちらの本にもはじめに植田一豊が登場する。植田は山口文象と三輪正弘とともに1952年にRIAグループを結成して、その後にRIAが歩む住宅から都市への展開を創り上げた人である。二つの本の実質は近藤の仕事集としても、まずは先達としての植田への敬意を払う。そこから1952年出発の建築家集団RIAが社会の変化に対応し、植田をリーダーとして建築家から都市計画家へと広がる職能的展開を見ることができる。

 更に植田と近藤の前を歩いた山口文象の本『建築家 山口文象 人と作品(1982年)があり、これも山口文象の評伝をもって日本近代建築史を語らせた。
 これらを合わせてRIA3部作としよう。


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 近藤正一さんは2021年4月21日に他界、コロナ渦が若干落ち着いたその1周忌に開催のお別れ会にて、この本『RIAが建築で街をつくりはじめて』が上梓配布された。近藤正一さんへのオマージュである。
 瀟洒な都会人であった。アーティスト、建築家、都市計画家、教育者、経営者で、その人生最高の作品がRIAであるとわたしは思う。近藤さんはわたしの最高の師匠であった。
近藤さんの主要作品写真・経歴はお別れ会配布資料から引用


(20220427記)

2022/04/17

1617【コロナ第7波突入?】感染第6波が降下途中で引き返して上昇とは第7波の大蔓延の現われか

 ●チャイナコロナ<ゼロコロナの行方>

 隣国チャイナはコロナ発生国として2018年末の初動機には、強権的な手法でコロナ撲滅政策を実行して目覚ましい抑え込みに成功した。リーダーのシイチンピンだからこそのゼロコロナ政策だ。
 ところが今になって上海を中心に大流行再開、当然に徹底的市民生活規制ロックダウン実施中だが、あまりの厳重な閉じ込め規制に市民たちから苦情が出ているらしい。

上海でコロナ感染者隔離施設のために集合住宅接収に対し抗議活動する住民と警官の争い


大陸チャイナのコロナ感染者数半年の推移、右の上昇はほぼ上海の数値らしい

  それで思い出したのは、マオツウトン時代にあったスズメ撲滅運動で、今も似たようなことやるもんだなあと。
 1950年代だたか食糧増産のために、稲穂を食う害鳥のスズメ退治を政策として全国規模でやった。それは農民たち総出でバケツをたたいてスズメを飛び続けさせ、疲れて地上に落ちたところを一網打尽に捕まえ殺したという。

 ほぼ絶滅に至るほどスズメ撲滅に成功、これで豊作と思ったら、逆に大凶作になり餓死者が大量に出た。それはスズメを天敵としていた昆虫類が大発生繁殖して、稲を食い荒らしたからだった。慌てて政策変更してソ連から大量のスズメを輸入して、元に戻した。

 さて上海のゼロコロナ作戦に成功して、大陸チャイナからコロナが消え去ったら、どうなるのだろうか。よく知らないがウィルスなるものはあれやこれやと、人間に住み着いていてなにか役割を果たしているとかだから、コロナと一緒にウィルスみな殺しにしたら、スズメ退治みたいな事件が起きるのかもしれない。
 もっとも、上海では人間の抵抗で、無抵抗スズメのようには行かないようだ。

●ウクライナコロナ<戦争パンデミック>

 ウクライナではロシヤ来襲による戦乱でコロナ対策はどうなっているのだろうか。それどころじゃないのが実情のかもしれない。
 ウクライナのコロナ感染状況をネットで見たら、なんと2月末頃から感染者も死者もゼロである。まさにゼロコロナが起きているが、とうぜんにそうではあるまい。統計をとるような状況に無いのが実情だろうが、いっぽうでコロナ対策は戦争で置きざりなのかと思う。

ウクライナでは戦乱以来の感染者統計はないようだ

 ウクライナで戦火を逃れて脱出した人たちは400万人を超えて、戦前人口4200万人の1割に相当する。これは日々増加するだろう。これらの中には当然のことにコロナ感染者が多くいるに違いないが、どのように受け入れ側の地で対策しているのだろうか。
 混乱の中で適切な予防や治療ができるとは思えないが、そのために感染と死亡の拡大になる恐れは十分にあるだろう。戦争は疫病を蔓延させるに違いない。プーチンはそれを狙ったか。

●ニッポンコロナ<第7波突入の気配濃厚>

 ネットのコロナ感染者数変化のグラフを見ると、日本ではどうやら第7波への気配が濃厚である。日本全体の傾向は、第6波からじょじょに下がっては来たが。下がり切らないまま途中から登り方向へ引き返しつつある。蔓延がまた始まっているが、これでよいのか。

 引き返し波の勾配は、地域によっては明らかに第7波に見えるから、そのうちに全体の波も急になって来るに違いない。とすれば蔓延防止重点措置区域の適用を、すべて解除した政策は大間違いであったことになる。だって明らかに蔓延が拡大しているのだから。
 これが間違いでないと言うなら、もうコロナに罹っても一向にかまわないという方向に政策転換したことになるが、そうなのか?
 

日本全体のコロナ感染者数、徐々に確実に増加へ

例えば岡山では明確に第7波へと上昇中に見える

 では、それで第7波になっても、今のなし崩しダラダラ対策のままでよいのだろうか。マスクしてればよいのかしら、ワクチン4回目をまた打つのかしら。
 これまでの波は、一度は底まで落ちてから上昇してきたのに、今の波の上昇はかなり高い位置から登りだしているから、頂上はこれまでよりはるかに高くなるような気がする、コワイ。

 狂歌<日本第7波の気配>
   こりゃコロナこちらはゆっくり後にして
        急ぎ攻め込めクレムリンへ

朝日新聞4月17日朝刊の旅行全面広告

 それにしても新聞には旅行の広告がどんどん復活しているが、もう遊びに行っても良いのですね。旅行中に第7波でマンボウ適用だ、緊急事態措置適用だ、なんてことになるんじゃないでしょうね。(20220417記)

参照:『プーチン大戦おろおろ日録
   『コロナ大戦おろおろ日録
   『
戦争の記憶
   伊達の眼鏡ブログ
   『まちもりブログ