2013/05/11

767東北被災地徘徊譚9【野蒜3】防災集団移転コーポラティヴニュータウンは震災復興都市に新展望をもたらすか

765東北被災地徘徊譚8【野蒜2】からつづく

●図13:野蒜地区防災集団移転高台の造成工事
   図4で見える丘陵地に行ってみた。山林を伐採し、土地を削って、大工事中である。
 この高台の新しい街に、平地部に暮らしていて津波で何もかもなくした被災者たちが、防災集団移転事業によって移転してくるのだ。JR仙石線も駅を二つ抱えて引っ越してくる。

 その工事の風景は、ちょっと懐かしかった。日本の高度成長期の人口増加時代に、各地の大都市近郊で山を削ってニュータウンをつくったが、その時代の大規模造成による開発風景を思い出したがのだ。
 この前に、このような大規模な造成工事を見たのは、2004年の中越震災による山古志村での棚田復旧造成事業以来で、それを見た2006年にも懐かしく思ったものである。災害が土木造成工事技術を継承しているようだ。


●図14:野蒜地区北部丘陵移転先の土地利用計画図(野蒜復興新聞2013/04)

●図15:野蒜北部丘陵移転先の新しい街の模型(野蒜の復興事業事務所にて撮影)
 この新しい大規模ニュータウンづくりは、東松島市がUR都市機構に委託して事業しており、「野蒜北部丘陵土地区画整理事業」だそうである。約91.2 haにもなる大掛かりな新市街地造成事業である。
JR仙石線もこれに見るような線形にして、平地から陸に上がってくるように路線変更する。

 昔のニュータウンは、どこからともなくやってきて増加する都市人口を吸収するためであったから、あらかじめ特定の入居者たちが予定されていたのではない。だから事業者もプランナーも時代の要求を展望しつつ、かなり自由に計画することができた。
 しかし、この野蒜北部丘陵にかぎらず被災地での、防災集団移転の新しいまちづくりは、特定の大勢の被災者がそこに暮らすことがあらかじめ決まっているので、その人たちの意見を計画に反映しなければならない。

 それはたとえれば、分譲共同住宅ビル(いわゆるマンション)を不動産業者が建設して売り出すのが昔のニュータウンであり、特定の人たちが共同出資して自分たちのためにつくる分譲共同住宅(いわゆるコーポラティブハウス)が今回の防災集団移転事業である。
 防災集団移転のまちづくりは、いわばコーポラティブタウンである。
 このコーポラティブタウン計画への参加者たちは、みんなが同じ近隣社会に暮らしていて、みんなが同時に津波被災したという、空間的にも時間的にも物質的にも精神的にも、あまりにも緊密なるつながりの中にあることが特徴的である。

 もう一つの特徴は、彼らの多くが高齢者を抱える家族ということである。
 その街が丘陵地であることから、造成工事にそれなりに時間がかかる。
 今の仮設住宅から新たな街に移るまでには、野蒜の例で見るとはやくても2017年から18年らしいし、たいていの事業は遅れるからまだ5年以上も先のことになる。
 若者の5年と高齢者の5年は大違いである。

 高齢者たちがそれまで仮設住宅で生活に耐えるだろうか、という問題がある。高齢者を抱える家族は、防災移転を待ちきれなくて、他に家を求めるかもしれない。それまでのコミュニティがいかに緊密であっても、その時間がもたらす生物的限界によるひずみは避けられない。
 そのような家族が多くなると、せっかくの事業地に空地空き家がたくさん出るかもしれない。そうでなくても人口減少の時代である。
 このことは、わたしの勝手な推測ではなく、先般、いくつかの現地復興事業関係者に聞いたことである。

 ただし、野蒜地区のような、大都市仙台通勤圏にあり、海と緑のリゾート環境に恵まれた中での新たな宅地開発は、若い都市住民を呼び込む可能性もある。
 東北での防災移転事業による新しい街が、新たな住民を呼び込む仕掛けになるとすれば、それはそれで地域の再生のためにはむしろ良いことである。もっとも、事業の本旨には悖るだろうが。
 被災した人たちに限ってしまうと、閉鎖圏として人口減少が進むだけになるが、これを契機にあらたな世代の積極的導入をできると、展望のある被災地復興となる。

 そのあたりについては防災集団移転事業をどう進めているのだろうか。単に平地から高台への住み替えのためのまちづくりとしてつくったなら、縮小再生産になるだろうと気がかりである。
 防災移転事業は各自治体が行う事業であるが、これだけ多くの事業が各地で同時進行であるとなると、いろいろと多難なことだろう。
 事業資金は国庫補助で何とかなるのだろうが、おおぜいの避難所暮らしの被災者たちへの対応とともに、彼らの多様な意見をとり入れつつ進めるこの事業は、都市計画や建設計画の人材もノウハウも足りないだろうし、そのうち工事の資材も高騰するだろう。

 特に計画段階の現在は、どのように地域の人々が参加し、将来を見据えた事業にするか、かなり重要である。自治体も地域住民も、そしてプランナーもそれぞれの能力を問われている。
 これまで丘陵地開発と言えば、どちらかと言えばハードウェアづくりの土木技術が優先していたが、今度ばかりはソフトウェアとしてのコミュニティー再編成というまちづくりの基本が問われている。都市計画からいえばこちらの方が本道である。

 1995年の神戸大震災の復興は、市街地再開発という旧来の手法であった。しかし今回は、旧来のニュータウンづくりも市街地再開発事業とも異なる様相である。
 新たな都市計画人材が生れるだろうと期待もしている。  (つづく)

参照⇒東北に大津波被災地を訪ねて【東松島市野蒜地区】

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