そうか、あの事件は10月12日だったのか、1960年のことであったか。
大学生だったわたしはその日、大学近くの商店街の床屋で順番が来るのを待っていた。なんだかTVが騒がしいと見ると、この浅沼稲次郎暗殺現場の映像を流している。この演説会の実況中継放送していたのだろうか、何度もこの場面が繰り返された。
もちろん次の日の新聞にも大きく写真は載った。どの新聞社も演説会場の最前列で取材していたから、沢山の現場寫眞が撮影された。それでピュリッツアー賞を得た人もいた。
わたしのこの事件に関する記憶は、床屋で驚いたことのほかには、その後の新聞への読者投稿で、「その時に新聞記者たちは何していたのか、写真撮るよりも襲撃男にカメラを投げつけるべきだったろう、けしからん」、というような投書がいくつも載った。それに対するジャーナリスからの反応があったような記憶があるが、おぼえていない。
あれから63年後の2023年10月14日の東京新聞の記事に、その寫眞で特ダネ賞を撮った記者が、「他人の不幸で特ダネをとったということが心苦しく、それ以来ずっと心の負担になって」というメモを残していたことが書いてある。読者の投稿にも悩んだことだろう。
その頃の私は、卒論に忙しかった頃、6月を頂点とした安保闘争の余波余熱があった。個人的にもその余波で、就職内定先の大企業担当者とトラブルになっていた。
そして時代は高度成長期へと移っていく。そんな時期だった。
2022年の安倍晋三暗殺事件の時も、その現場映像や写真が、多くのマスメディアに流れたが、その多様にして多量であったことは、浅沼暗殺事件の時の比ではなかった。
二つの事件に共通なの有名政治家が被害者であったことだけのようだ。暗殺犯の動機にずいぶん差があるものだ。どちらが良いとか悪いとかに比較になるものではないが、犯人の動機のあまりの差、そして被害人物の立場のあまりの違いに、隔世の感が強い。
思えば私の年齢のせいもあるが、浅沼事件のあの頃は先が開けて明るい時代だったが、安倍事件の現今の時代はあらゆる閉塞感に満ちている。(20231015記)
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