2023/10/26

1720【中越震災19年目のコメ】豪雪山村の棚田から毎秋にやってくる新米コシヒカリの美味いことよ

  新聞記事に、今年は異常に暑かったので、米の名産地新潟でも、品質の等級が下がっているとある。そのようなところに、越後の山村から、今年もうまいコメがやってきた。



 ここのコシヒカリの飯は実に旨い、冷めてもうまいのだ。その証拠にはこのコメを収穫す棚田は、有名なブランド米の南魚沼コシヒカリ産地に隣接するのだから、事実上は同じところである。

 その棚田のある集落の名は「法末」(新潟県長岡市)と言う。今から19年前の2004年10月23日の夕刻、大地が大きく揺れて、山地は崩れ、集落は崩壊した。中越大震災である。

中越地震による法末集落の大崩落

 その集落からこのコメはやってきたのだ。そう、法末集落も1年もの間、集落民みんなが避難していたが、いまや復興してまた米作りをやっているのだ。

 わたしは震災翌年からNPO仲間たちと一緒に、この住民100人ほどの集落の復興支援を手伝うようになり、次第に後退しながらも10年も通った。わたしたち仲間でできることは、その集落の生活仲間となって、一時避難で消えようとする集落の生活を、また元の様に戻そうとする人々を応援することであった。一軒の大きな茅葺屋根の家を手に入れて拠点とした。

 中でも耕作放棄されていた棚田を復活して、米作りをさせてもらったのは貴重な体験であった。NPO仲間の誰も知らない米作り術を、集落の人たちに手とり足とりで教わると、美味いコメができて嬉しかった。
 一方の教える集落民にも楽しいことであり、初めての収穫のときは集落の人たちを集会所に集めて宴会をして食べてもらったものだ。
 年中行事の復活など、多くの交流がここから生まれ、10年ほど素人米作りを伴う集落維持支援活動が続いた。

 その仲間のひとりが集落に居ついてしまい、米作りで生計を立てることなり、仲間で出資して営農会社を立ち上げた。その会社は今もつづいており、毎年秋に新米ができると出資への配当として5kgがやってくる。
 今年は異常に言暑い夏だったが、どうやら平年並みのできを保つとのことである。そして味は、やはりうまいのであった。でも、今年から3㎏に減配となったのが残念。

法末集落展望

 わたしは雪国育ちではないので、この集落が豪雪の地であり、毎冬2~3mの積雪が普通で、時には4mを超える雪に出くわす冬も体験して驚きつつ、雪国の暮らしに大いに興味を覚えたが、さすがに住みつく気は起らなかった。
 その真っ白な景観に魅了されたが、冬のほかの緑の景観はもっと素晴らしかった。春から夏そして秋へと移り変わる田畑や野山の日々の景観を、まるでわが身にまとっている日々は、実に楽しいものだった。冬にあまりに深い季節の底へと誘われたから、反動的に春夏秋が浮きたつ日々であった。

法末集落棚田の四季

 さてあの大震災から20年にもなろうとしている今、集落はまた静かに老いてゆき、耕作放棄の田畑も増えているらしい。農業会社はその棚田の耕作を引き受けることで、米を作り続け、東京で直接販売も手掛け、それが豪雪山村を維持しているようである。

 美味いコメを食いつつ、それを産むあの巧みな水利技術が支える美しい棚田に、新幹線で米作りに通っていたころを思い出し、集落人同様に老いたわたしはもう行くことはないであろうと考えている。あそこはもしかしたら、いったん出るともう二度とは入れない別天地はたまた桃源郷であったかと思うのだ。

(20231026記)

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伊達美徳=まちもり散人
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