2023/10/30

1724 【新聞広告ご馳走】どれ食っても同じ味にちがいないと見えるご馳走極彩色写真に辟易

 新聞が来ても全く見ないページがかなりある。とにかく全面広告ページは全く見ない。スポーツページも99%見ない。ごくたまにスポーツ界キャンダルが載ると読むだけだ。

 ところで、こんな料理の極彩色の全面広告ページに、つい目が行った。派手な総天然色写真の「おせち料理」が、もう予約の季節なのか全面広告に登場している。しかし、全体を見てもどれかを見ても食欲がわかない。同じ味に見えてくる。

 むかし、この外注型お節料理を何度か購入したことがある。夫婦二人には食べきれないし、そもそも味がどれも同じようなもので飽きてしまう。正月3日目には食卓に残飯の散らかる様相を呈してきて、見るのも嫌になる。


 また別のページの全面カラー広告には、毎食事用のおかずであり、家庭にどさっと冷凍で送り付けてくるのを、毎食時にレンジで温めるらしい。
 フム、歳とって老人一人か二人で食べるのに便利であるような気がする。和洋中なんでも日替わりで食べられて、便利そうだ。

 だが便利には見えても、美味にはちっとも見えない。見たところ食材は異なるようだが、どれもこれも同じような色で、皿に同じようにレイアウトされているから、どれを食べても同じ味に違いないと思えてくる。まあ、実物は魅力的な味と姿だが、この広告写真の出来が悪いのであろう、たぶん。

 それで思い出した。昔々のこと、東京駅前の大きなオフィスビル内に仕事場があった頃、昼前になると弁当屋がオフィス内にまで売りに来たものだ。外の店に行くと混雑するのでよく利用した。毎日異なるメニューであった。

 初めのうちは毎日違う料理の弁当を食って楽しんでいたが、毎日その同じ弁当屋から違うものを買っていても、いつも何を食っても同じ味になってきて、嫌になってしまった。弁当が変わったのではなくて、こちらの口が変わったのだ。
 多分、大きな厨房で大量の弁当を作るのだろうが、同じ厨房でいつも同じ作業員や同じ機械が量産体制で作れば、材料に関係なく同じ味になるものだろう、と思った。

 この広告写真の同じ様に並ぶおかずを見ていて、そのことを思い出した。わたしは食い物には恬淡としているのだが、これは願い下げである。朝昼晩と異なるおかずで毎日の飯を食うのはいいことだと思うが、毎度またこの味かあ、なんて思いたくない。

 まだ飽食の時代が続いているようだ。だが、国際情勢が不安定なコロナ後世界が来ると、食糧難の時代が来るだろう。その頃はどのような生活をしているのだろうか。1940年から10年間ほどのあの酷い生活がまた来そうだ。その頃はわたしはこの世に居ないから、知ったことではない。

(20231030記)

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伊達美徳=まちもり散人
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