横浜一番の繁華街とされてきた伊勢佐木モールの商業的変化が著しい。これは多分衰退と言うべきだろうか。
わたしが鎌倉からこの近所に越してきてからはや21年、横浜都心部日常徘徊コースのひとつであるから、買い物はめったにしないけれども、かつて都市計画家であった名残でその都市的消長を眺め続けてきた。といってももう分析などしないのだ。変転を見て楽しむだけ。
コロナ後の現在は、かつての買い回り商店街から飲食店街への転換が、日に日に目に見える。それは街歩き趣味徘徊老人には、その変転を日々楽しむことができるから嬉しい。
あれ、ここは前にはなんの店だっったっけ?、ということがしょっちゅう起きる。こちらがボケてきたから以前を思い出さないのもあるが、頻度が高いから覚えきれないのだ。おお、ここも空き店舗か、次はどんな店かなあと思っていると、たいていは安い飲み屋になる。
今の伊勢佐木モールには、安売り屋と安飲み屋がどんどん増えている。コロナ後に著しい。貧乏年金暮らし老人には、これは歓迎すべきことである。そういう街ならば安物衣服でふらふらと安酒のみでかけられる。と言いつつも一方では、こんな安っぽい街に住んできたのだったかなあとも、この21年を思い返すのだ。
近ごろは古着屋やら家電雑貨のリサイクルショップやらが目立つ。ところが、伊勢佐木モールではかなり好立地のリサイクルショップが先日に閉店して、テナント募集看板が出ている。この店は2年くらい前にできたばかりだったのに、店舗自身がリサイクルになってしまったのか。南へ(正確には南西へ)下るほどに安売りが増える。
そして安売り王者のドンキホーテが、今や伊勢佐木モールで唯一の大型物販店になってしまった。この20年で大型店の百貨店松坂屋や量販店ユニーが消えた後がこうなのだ。
松坂屋があたころの伊勢佐木モール 2007年 |
さてその跡の大きなビルに、つぎはどんな安売り屋が入るかと期待していたが、秋が来ても空きビルのまま。それが昨日の徘徊で近づき見れば、一階の壁に小さな張り紙には「解体工事のお知らせ」とのこと。
えっ、この大きなビルを壊すのかあ、そう古いビルでもなさそうだが、もったいない、例えばホテルのような業態にリニューアルできないのだろうか、跡に入るテナントがみつからないのだろうなあ、伊勢佐木モールの商業的落ちぶれぶりを象徴する。
ユニクロダイソービルは取り壊しへ、もったいない |
このダイクロビルの斜め前のあたりには、あのレイモンド設計の戦前モダン建築の不二家ビルが、店を閉じて解体を待っている。その跡には不二家が戻ってくるのだろうが、さてどんなビルが建つのか、もはや元のような高いビルではないような気がする。
松坂屋跡が4階建てビルだから、もう伊勢佐木モールには高層店舗が成り立つ能力を失ったのかもしれない。
この夏から閉店して今や取り壊しに取り掛かる不二家ビル |
今や伊勢佐木モールの中のビルで、3階以上を物販店舗にしているものは、北から順にパチンコ屋、元松坂屋のカトレヤ、書店の有隣堂、元松坂屋の場外馬券売り場(これは物販ではないか)、中古本雑貨のブックオ、なんでも安売りドンキホーテ、これだけである。
百貨店はもちろん、大型量販店も閉店して、これらの中で有隣堂だけが老舗であるのが、なんともはや伊勢佐木モールの今を象徴する。今わたしが危惧するのは、有隣堂さえも閉店するときが来るかもしれぬことだ。だって、別館が消えてアパートビルになったのだから、本店だっていつのことやら。
でもわたしは伊勢佐木モールが買い回り型の商店街から、最寄り型で慰楽型の商店街になることを嘆いているのではない。
ドンキホーテ、ユニクロ、ダイソー、ブックオフそしてリサイクルショップに安居酒屋ときては、貧乏年寄りには過ごしやすい街になってきたものだ。いいことだよ。
そのような中でも、せめて有隣堂だけは、この街のかつての格式を維持して生き延びてほしいものだ。(20231021記)
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