今日で今年の2月は終わりである。如月が終わる。
願わくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃
もちろんこれは有名は西行法師の歌である。コロナの2020年以来、毎年この月になるとわたしはこれをもじって、本歌取りの狂歌をこう詠ってきた。一字加えただけの傑作だ。
願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のコロナ
西行はその願いが叶って、詠って3年ほどで如月のほぼ望月の16日に死んだそうだ(1190年、享年72歳)。しかし、わたしはもう6年も願いは叶うことなく生きている。しかも米寿を越えて、よろよろとしながら、、。
今日も作業の歌に煽られるように、梅園の中を杖を突きながら徘徊してきた。もう今年になって6回目の観梅だが、今年の花がわが人生の最後になる可能性は高い。だからこう詠い直すのである。如月を弥生に代えてもいいかな。
願ひ来し如月の花と望月の下で春死にもせず越ゆ米呪
わたしの毎年のこの観梅の地は、家からほど近い広大な公園内の梅林である。1月から梅が咲き香り、それが終わると桜が咲き出す。この公園をもう四半世紀の間に、四季を通じてふらふらと徘徊してきたものである。
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| 左山向うの谷間に梅林がある |
| 梅園の谷への入口あたり |
まずは今年の観梅をしよう。ああ、今年もよく咲いたなあ、今日は如月の晦日だからとて、今年の1月から6回も通った観梅の最後に行ってきた。梅は散り始めていた。
たぶん、歳から考えて、来年は見ることができなくなるだろう。
名残惜しいので、今年の花見をここに掲載しておくことにする。
| 梅園のシンボルともいうべきしだれ梅 |
| しだれ梅は1本しかないのだ |
公園の名前は「根岸森林公園」という。その規模は約19ヘクタール、約1キロほどの長辺直径の楕円状の土地は、起伏のある地形をそのままに、広大な芝生広場と疎林が広がる。ここは戦前は競馬場があった。
戦後はここも含む広大な地域を、占領軍USNAVYはその住宅地として接収した。この公園はその占領軍のゴルフ場であった。接収解除されて横浜市の公園となったのは、戦後も30年以上たった1977年のことだった。だが、今もまだこの周りにはUS-NAVY住宅地が広がる。
いつも広大な園内を一巡するのだが、歩くコースがほぼ決まっている。富士山を望む円形の広場があり、そこで持参の弁当を食うのが楽しみである。その弁当は、歩き出す前に近所の店で買うこともあるが、多くの場合はあまりものを集めた手製である。
コロナと老々介護で外出がままならなかったこの6年ほどは、ここへもご無沙汰気味だったが、コロナ後はまた頻繁に通うようになった。そして覚ったのは、わが身体の老いである。いつものコースを歩く時間がいつもよりも長くかかるようになった。
わたしの歩行は時速2キロという、かつて半分になった。さらにこの1年くらいの間に、歩行距離も縮んできている。かつては自宅からここまで歩いて往復していたのに、いまではバスを使う。そして公園内歩行距離も半分くらいになってきた。頑張れないこともないが、、。
かつてはどれほどの距離と時間を歩いても平気だったのが、2キロくらいで疲れを感じるようになった。ああ、さすがに米寿を越えると、俺も老いたものだ。そういえばこの公園で杖を突く老人に出会うことはなくもないが、かなり珍しい。
来年の春はもう、梅の花も桜の花も見に来ることさえできなくなる可能性が高い。今のうちにせっせと花見をしておこう。次は母校の大岡山で桜見物だな、生きていれば、、。
(2026/02/28記)
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伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
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2 件のコメント:
美しい梅の花ですね。ぜひ来年も観ていただきたいです。
矢崎さん ありがとう。毎年に花は同じように咲いても、人は毎年に同じように観に行けない、そんな漢詩がありましたねえ、それに直面しています。
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