2026/09/07

1973【老酔録㊾大往生】大学山岳部同期仲間の白川秀樹君(ノーベル化学賞)がピンピンコロリ

 2000年ノーベル化学賞を受けた白川英樹君が、8月24日に永眠した。合掌
 彼とわたしとは大学山岳部の同期仲間であり、1950年代末の学生時代は一緒にあちこちの山に登った。しかし専攻が全く違うので、彼の栄誉の専門的なことは何も知らない。

東京工業大学山岳部白馬岳合宿 1958年5月1日撮影
前列左から5人目が白川英樹君、後列右から3番目が伊達

●白川君の緊急入院の朝のこと

 実はこの8月17日朝に、白川君とカリフォルニア在住の友人とわたしの三人でZOOMをやっていた。そこに夫人と一緒に顔を見せていた白川君は、「今から入院するので、さようなら」と言って、すたすたと歩いて画面から立ち去って行った。

白川英樹君入院の朝のZOOM画面(下段) 2026年8月17日

 白川君はこの日のZOOM予定を約束後に、健康診断で重篤な病が見つかり、この日の朝の急遽入院に決まったが、ZOOMには参加してくれたのだった。その律義さに頭が下がった。
 「行っていらっしゃい、退院を待っているよ、戻ってきたらすぐ続きのZOOMやろうよ」と送り出した。

 その後に院内または退院のメールが来るかと待っていたが、来ないままに気をもんでいた。8月31日になって白川君の子息からメールが来て、24日に永眠との訃報であった。ズーム画面から歩いて出て行って、わずか一週間後だったか。合掌

 そのズーム前の日程決めのためのいくつかのメールやり取りから察すると、白川君も自分が入院するほどの重篤であると気が付かないままであったらしい。なにしろ8月10日前後には、かれが力を入れていた科学教育のイベントに、遠くに出かけていたとあったからだ。
 そう、彼の死こそがわれらが理想とするピンピンコロリだ。

●大学山岳部同期「Q人会」のこと

 わたしは白川君とは、1961年大学卒業後はまったく違う道だったので会うこともなかったが、2000年のノーベル賞受賞を新聞トップで知った。新聞の顔写真を見て、あれ、この人知ってるよ、同期の白川君だよ、と家族に叫んだものだ。急いで記事を読んだ。

 それからの彼は超忙しい状況にまきこまれたようで、わたしたち山岳部同期仲間による祝賀会は控えていた。そのほとぼりが冷めた7年のちになり、1961年卒業の山岳部同期仲間の当時の生き残り9人で集まり、ようやく白川君祝賀会を開いたのだった。日比谷の松本楼だった。それを機に「Q人会」なる山岳部同期会をつくり、ときに集まり飲み会をやってきた。

Q人会メンバー勢ぞろい 左から4人目が白川君 2019年5月

 その仲間のひとりが、USA市民権を持っていてカリフォルニアに住んでいる。年一回の日本訪問旅行の機会を、Q人会全員の集まる日としていた。そして、わたしは「本作り趣味」を生かして、「Q人会誌」なる年刊の冊子を作って、仲間に配布してきた。(参照:Q人会誌目次)

 しかし、コロナパンデミックで集まることが難しくなり、PC画面でZOOMによる隔月に画面集会を開くことにした。このシステムは、カリフォルニアからも気軽に顔を出すし、高齢で移動困難になっても集まることができる。コロナのおかげだ。時々は全員ではなく、必要なものだけでZOOMを使うこともある。上記の白川入院の日がそれだ。

 最初9人であったから9人会ならぬ「Q人会」と名付けたが、これで2人が消えた。7人会だが誰も改名しようとは言わない。ただし、もう卒寿前後ともなると、PCの扱いが不調になるものあってZOOMは事実上は6人会、そのうちに5~4人会になるのは仕方ない。

 わたしも山岳部だった由縁か、脚は丈夫で歩くだけが得意だったが、近頃は衰えて時速1キロ程度に落ち込んでしまった。もう何があって驚かない卆呪という歳だが、白川君のピンピンコロリ大往生には、驚くよりも大いにうらやましく、わが憧れの逝き方である。

●白川君の人となりを知るには

 白川君は生真面目ないかにも研究者らしい風貌と物言いであった。大学山岳部で一緒に日本アルプスの山々に春夏秋の合宿に一緒に行った。真面目に黙々と歩き登り、写真をたくさん撮ってくれた。

 白川君の人となりについて、最近の彼についての新聞記事にあれこれと載っているようだ。白川君自身が語る彼自身に関することを書いた文章が、わたしが編集した東工大山岳部同期会「Q人会誌」に彼のいくつかの寄稿がある。

 学生時代にはまだ少なかったカメラを持っていた彼が、山岳部合宿で撮った仲間とのたくさんの写真は「Q人会誌2018」に寄稿している。1960年3月には剱岳に春山合宿に行った。積雪が深く長い早月尾根を、キャンプを順々に進めて行くポーラーメソッド登山を行い、最後にアタック隊が登頂に成功した。その合宿中の素晴らしい一枚をここに掲載する。

「劔岳三ノ窓の月」 1960年3月 白川秀樹撮影

 また「Q人会誌2018」に寄稿した単独行冒険譚「北海道無銭旅行ー知床半島一人旅」が面白い。「Q人会誌2019」掲載の「アメリカ留学雑記」は、この留学がノーベル賞への大きな役割だったようで、共同受賞者も登場する。

 そして白川君のノーベル賞までの生き方や未来への思いを書いた「思索のノート」(「Q人会誌2018」掲載)は、実に興味深い。それを白川英樹 著『思索のノート 』をエッセイ集の私家版の本として制作した。 

 (2026/09/07記)

ーーこのブログ内の関連記述ーー

【Q人会誌総目次】(2017~2023)

ーーー老 酔 録ーーー
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録
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伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
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