コロナに重ねて老々介護で5年間もの逼塞から解放されて、少しづつふらふらと都市遠足徘徊をやり始めている。この前は品川駅東の港南地区、先週は戸塚駅あたり徘徊、今回は新宿の駅東西徘徊である。予想していたけれど、東京の都市変化は著しい。浦島太郎気分を楽しむには、じつに楽しいところだ。
新宿の街に降りたったのは、この前はいつだったろうか。PCに保存する写真の日付で最も新しいのは2007年だから、もう17年も前のことであったか、東京の姿ががらりと変わるには十分すぎる長さだ。構造的な骨格は変わらないが、景観の変化が著しいから都市徘徊を楽しむのだ。なお、2008年に新宿を訪れて、こんなことを書いている。
地下鉄で新宿3丁目駅に降りた。この前はまだなかったはずの副都心線であるから、駅の中でも外に出てからも、しばらくは方向感覚が戻らなかった。昔と風景がまるで違う感じだ。地上の街並み風景の基本は、道路がつけかわらなければ変わらないはずだ。だが、昔よりは小ぎれいな建築に建て替わっている感があって、頭の中の新宿イメージが異なる。
こうなると浦島太郎気分になってくる。そして浦島太郎として街を楽しむには、昔と同じ風景を探しつつあるくのだ。新宿3丁目交差点でしばらく立ち止まって方向感覚を取り戻そうとした。そのよすがは伊勢丹という建物のであった。これは昔通りの姿で立っていた。
赤の丸に伊のマークは伊勢丹だ、昔のままの位置に昔の建物だ |
伊勢丹がここならば、次に知っている建物は紀伊国屋書店であるが、果たしてまだあるだろうか。あったあった、昔の姿で立っているぞ。うん、わたしはこれが建つ前の、木造だった建物に入った記憶もある。
紀伊国屋書店は昔のまま |
こうしているうちにようやくオリエンテーションの勘が戻ってきて、新宿駅方面へと歩き始めたのであった。沿道の建物がこぎれいな感じだが、昔よりも幅も高さも増えているようだ。昔よりもずいぶん幅を利かせているのが、ビックカメラだ。2007年にはまだなかったユニクロなんてのが、ビックカメラと肩を組んで、赤い字をきらめかせているのが、新宿の近頃の大型店なのかしら。
ではこのあたりで北に曲がって、歌舞伎町を覗いて来よう。まあ、ごちゃごちゃぶりは変わらない。あれ、あの空色の高層ビルは記憶にあるぞ、なんてたっけか、そうそう都立大久保病院だ。検査か何かで入ったことがあったなあ、浦島太郎の記憶のひとつである。
歌舞伎町の飲み屋街で正面に見えるビルは都立大久保病院 |
では、歌舞伎町の神髄であるコマ劇場あたりに行ってみよう。噴水のある広場があったよな気がする。あったあった、広場だけはあったが、噴水はなくて殺風景なタイル張り、しかも四周に柵がめぐらせたあって入れない。つまらない。道と広場の境目あたりに、女が一人、男が一人、別々に床に寝転んでぐっすりと眠っているのが、新宿歌舞伎町らしい風景だ。
昔の噴水広場は殺風景なことになっている |
ついでに2008年の上と同じ角度の写真(下図)を見よう。この時もすでに噴水は消えている。向こうのビルが上の写真とは違うから、こののちに建て直されたらしい。
2008年の噴水のない噴水広場風景 |
この広場の写真の背中の側には、新宿コマ劇場があった。ついでにその2008年の写真を見よう(下図)。
広場に面して新宿コマ劇場があった2008年 |
これとおなじアングルの今回2024年の写真は下図のようである。白湯のビルは今も変わらないようだが、コマ劇場があったところには超高層ビルが建っている。下層は商業施設、上層に共同住宅のように見える。ネットで調べたら「新宿東宝ビル」といい、1000室近い巨大ホテルであるらしい。
コマ劇場の跡のビルにはTOHO CINEMAS IMAXと書いてあった |
広場が今もあったから、浦島の記憶のよすがにはなったが、意外につまらない風景だ。この広場を種に大きな都市再開発があったかと期待したが、2面は超高層ビルに建て替えしただけで、その他の2面は昔のままだ。そういえばここには歌舞伎座を誘致するつもりで、町名もそうつけて戦後復興の大事業をやったのだが、歌舞伎座は未だにやってきていない。
若者たちが群れ遊ぶ飲み屋街を抜けて、JR新宿駅の東口に行く。ここに建つ東口駅ビル「ルミネ」は、昔の姿と変わらずに今も建っている。駅前広場もごちゃごちゃ狭いままだ。ところが何となくすかすかして見える。あ、そうだ、右の方の背景に壁になって見えていた西口駅前の小田急デパートが消えて、その向こうが見えているらしい。
JR新宿駅東口駅前風景 西口駅ビルの小田急デパートが消えている |
ではここから駅西口へ行こうと、昔あった狭いトンネル通路を抜けようとさがした。あの暗い狭い道が今もあるかと危惧したが、健在だったので浦島太郎は安心した。なんと「旧青梅街道」という標識もたち、その歴史をの説明版さえもあるのだった。
暗い地下道は明るく蘇っていた |
この道を始めて通ったのは1950年代の末だったと思うが、そのころは戦後新宿の暗さがある感じだった。この日はひっきりなしに人が通っているのだが、座りこんでオモライさんをやっている中年男がいたのは、さすが新宿地下道であった。ここでは60年以上も前の記憶の浦島太郎であった。ふと、傷痍軍人がいたかもしれないと思った。
おもらいさんが座っている地下道 |
地下道を抜ければ、そこは思い出横丁、ここはほぼ昔と変わらぬ姿であった。久しぶり通り抜けたのだが、昔と変わったのは外国人らしい客が多いことだ。日本そばのカウンターで箸で啜りあげているのが、アフリカ系の顔の観光客たちであるのが奇妙だし、その後ろに立って並んで記念撮影などしているのは、どうも大陸系あるは半島系の人たちらしいのである。こんあところの何が面白いのかしら、ガイドブックに名所と書いてあるのかしら。
思い出横丁 |
ここはハード面はほぼ変化がないのに、利用者というソフト面での大きな変化に、浦島太郎気分であった。この印旛饂飩、いやインバウンドだらけは新宿ばかりではないが、こんなところが観光になるとは変われば変わったものだ。浦島気分が高まる。
西口駅前広場から東方面を見る 左端は小田急ハルク、小田急百貨店が消えて空が広い 駅東地区のビルが見える、右に京王デパートは健在 |
これまでの重厚な百貨店ビルが軒をそろえて建ち並ぶ20世紀型駅前風景から、たぶん超高層ビルが立ち並ぶ21世紀の都市風景になるのだろうなあ。
京王デパート前の風景 この傾き具合と仮囲いが廃墟感満載 |
西口商店街から見える記憶の風景は工学院大学、京王プラザホテル、都庁 |