2025/04/22

1882【白石加代子も八十路半ば】白石の妖気だけを鑑賞した児童漫画原作による朗読劇

 白石加代子が出演すると言うだけで、昨日は久しぶりに演劇鑑賞に行った。特に演劇好きでもないし白石ファンでもないのだが、なんだか気になる俳優である。
 これまでに何回か演劇で彼女を見たが、不思議な妖気というか雰囲気にひきつけられる。このまえ見たのは2019年の「常陸坊海尊」であった。面白かった。

 今回は「ふしぎ駄菓子屋銭天堂」とのタイトルだが、どうやら原作は子供向け漫画らしいから、もちろん読んだこともないし、その存在さえ知らない。その店主役が白石で、共演は大原櫻子という知らない人だ。

 白石出演とのことだけでチケットを買ったが、なんだか知らない演劇だ。なまじっか事前に調べるよりも、全く白紙で芝居見物ってのも面白そうだ。白石加代子がどんな妖気を漂わせるか、それだけでもいいや、なんて思って何も知らずに、近くの県立の劇場に行った。

 その白石は、おどろおどろしさを身にそっくり背負って出てきたのだった。それでよしと思うしかないのだが、朗読劇という形式であるから、白石はいつも台本を両手に持ってそれに目を落としながら演技するのが詰まらない。
 けっこう舞台を動き回るので、単に朗読しているのではない。だが、動きはワンパターンであるし、言葉も朗読を基調とする。

 実は朗読だけの公演はこれまで何度か見ているが、朗読劇なるものを見るのは初めてである。たとえれば演奏会形式のオペラのようなものか。なんだか白石加代子の使い方がもったいない気がした。もっと演技を見せてほしい。

 ド派手な紫の和服は面白いが、白無垢打掛衣装の姿はなんだろうか、どうにでも染まる、つまり彼女も髪飾りや帽子で象徴的にあれこれと化ける場面があるから、という意味だろうか。ド派手着物で通す方がよかったのになあ。

 白石は何歳だろうかとパンフを見たら1941年生まれとある。わたしよりも4年若いが、世の中一般から言えば、役者としてはかなりの歳だ。もしかしたらセリフ記憶力が衰えたのか、それで台本を持っても舞台に立つことができる朗読劇にしたのだろうか。演劇のことを知らないから、これはずぶ素人の推理遊びである。

 さて朗読劇というのだが、ダンサーの舞踏あり、大原の歌ありで、ミニミュージカルの感があるのだが、あくまで演劇らしく舞台は固定だし暗い。見た目はともかくとして、演劇としては、はっきり言ってあまり面白くなかったので、時に居眠りがやってきた。

 子供の漫画が元だからだろうが、少年少女の姿もちらほら見たが、舞台を見て笑うには難しかったようでその笑い声は聞こえなかった。いや、大人の笑い声もなかった。わたしは2~3回含み笑いしたが、わはっはにはなりようがなかった。終わってから、ホワイエで原作漫画を売っていたが、買う気にはならなかった。

 この劇場は前川国男設計だが、若いころの作品だからか、年寄り相手にはまったく向かない。何しろホワイエから階段を何十段も(2階分くらいか)降りなければ座席に座ることができなかった。座席は舞台近くのほぼ真ん中の一等席と言ってよい位置だった。わたしがチケット予約の時にそこを指定した。

 ここは初めてではないのだが、それほども階段を下るとは思わなかった。ということはこれまでここに来た時はそれが気にならなかったのだ。コロナ前のことである。わたしが齢とったせいだが、困ることだ。

 このことは先般音楽堂でオペラを見たときは、階段を何十段も登らざるを得なかったのと同じである(その件はこちら参照)。その時も今回も思ったのだが、ホールの両サイドの壁沿いの上下方向通路の壁に、手すりを付けてくれると足の不自由になった年寄りも都合よくなるということだ。

(20250421記)

ーこのブログの白石加代子関係記事ー
・2019/12/23【演劇:秋元松代「常陸坊海尊」】https://datey.blogspot.com/2019/12/1432.html

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2025/04/21

1881【口に出せないカタカナ語】ケアマネ、カスハラ、マイナー、スーパー、マンション、ライン、

 今日の新聞に「ケアマネ3割カスハラ経験」の大きな見出しがある。その記事内容は年寄りには結構深刻なのに、わたしはなんだか変な気がしたのは、その見出しの言葉の軽さである。

 ケアマネもカスハラも、英語期限の外来語(らしき言葉)を、更に短く縮めたカタカナ言葉だが、音感がなんとも軽々しい。

●ケアマネ

 ケアマネージャーがケアマネとは何だよ。介護のケアの真似してるだけってことかよ、そんな気持ちでやってるのじゃあるまい。
 介護をケアというのも軽々しいが、ワザとそう言うのもあるかもしれない。わたしは昨年夏まで数年間、深刻な日々の介護を夢中でやらざるを得なかったが、介護の日常を語るとき、それをケアと軽く言うことで、その深刻度に引き込まれないようにしていたかもしれない。

 だが、その介護の専門家を、ケアマネなんて軽々しく呼ぶのは、感情としていかにも抵抗があったので、いつもケアマネージャーと呼んでいた。正式には「介護支援専門員」というそうだが、それなら「専門員さん」と呼ぶべきだろう。「ケア真似さん」なんて、軽すぎるよ、バカにしているみたいだよ。だからでもあるまいが、ケアマネをいじめてカスハラ対象にするバカな奴が出てくるのかもしれない。

●カスハラ

 そしてまた「カスハラ」とはなんという軽い語感だろうか、カスハラやっても大したことないって、そんな語感だ。そもそもカスタマーハラスメントなんて、日本語で「乱暴来客」とか「店員いじめ客」とかって言う方がはるかに分かりやすいのに、この軽々しい四つ文字カタカナ語をなぜ使いたいのだろうか。

 もしかして、ワザと分かりにくい言葉にしているのか、わかりやすくすると都合悪い何かがあるのか。そもそもカスタマーがハラスメントをする側なのか、される側なのかもわからない。近ごろは買い物に行くと、例えばコメのように、ものすごい値上げになって、これは店によるカスタマーいじめのハラスメント、いや、これは政府と農協が結託して国民というカスタマーへのハラスメントである(詳しくはこちら

●マイナー

 さらにカタカナ四つ文字言葉をあげつらうと、「マイナーカード」である。政府があんなにも重要なカードだと莫大な税金を使って強制しているのに、言うにことかいてそれがマイナとは、どんな頭の構造をしているのか、ここはメジャーカードであるべきでしょ。いや、そう言えと言うのではなくて、正式な「国民個人番号カード」というべきでしょ。略語にしたいなら「個番カード」と言いなさいよ。

 いやいや、ちがうぞ、カードの番号に意味があるではないのに、個人番号カードとかナンバーカードというのはおかしいぞ。ここは「国民情報管理カード」というべきでしょ。略称を言いたいなら「国菅カード」だね、カードの本来の意図に忠実に、国民を管理するって意味もよく分るでしょ、なにがマイナーカードだよ、よく言うよ。

●マンション

 マンションとは何だよ、どこがmansion(大邸宅)だよ、ただのアパートメントハウスだよ、世間は不動産業界のほら吹き宣伝誇大用語にに乗せられてるよ(詳しくはこちら
 ところが今朝の新聞を見ると、なんとまあ、その値段だけはmansion(大邸宅)並みになってるよ、東京23区では一戸の価格が1億円超えたそうだ。
 この際ちょうどよい機会だから、マンションをオクションと言い換えを大々的に正式に法的にやってはどうか、変な言葉が解消するぞ。

●スーパー

 スーパーも、わたしは日常語で使えない、不便だけど、量販店と言っている。だってさ、スーパーとはなんだよ、どこがsuper(極上の・素晴らしい、特大の・巨大な)だよ、何でもかんでもセルフサービスをさせる小売り量販店の、どこが素晴らしいんだよ、バカにするな。
 思い出すのは、1960年代だったか、日本にセルフサービスの小売店が登場したころ、それをSSDS(selfservice discount store)と言っていた記憶がある。これがいわゆる今のスーパーの発祥だが、どこでsuperが入ったのかしら。これもマンションと同じく、業界の誇大宣伝用語であったのだろう。

●ライン

 ラインは一般に発音しているイントネーションが[裸淫]としか聞こえない。世間は裸で淫らことを大好きで公然と口に出しても、わたしは恥ずかしい。(詳しくはこちら
 だから、語源のLINE[láin]と発音して、日常的に使っている。

(20250421記、20250422一部補綴)

ーこのブログの関連記事ー

・2018/08/05・1155【言葉の酔時記:裸淫】https://datey.blogspot.com/2018/08/1155.html

・2023/10/24・1718【言葉の酔時期:マンション】https://datey.blogspot.com/2023/10/1718.html

・2025/04/14・1879【粕腹面倒】
https://datey.blogspot.com/2025/04/1879.html

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2025/04/17

1880【平和な日本も】路上で蜜柑たわわに実る木を写真撮ったら警官に質問されるなんて怖い

●ロシア大使館に鈴なり夏蜜柑の平和

 久し振りに東京徘徊に行った。麻布台あたりを徘徊してきた(以前の徘徊記録はこちら)。
 我善坊谷の谷底道から三年坂を登って、外苑東通りに出たところで、道路を隔てた正面の大きな屋敷の門のそばに、一本の大きな夏ミカンの木があり、緑の葉張りに金色の実がたくさんちりばめられて美しい。 

 ほほう、どなたのお屋敷だろうと看板を遠目に読んだら、「在日ロシア連邦大使館」とある。あ、そうか、ここは狸穴(まみあな)であったか、ずいぶん前に「ソ連大使館」があったことを思い出した。

 今のロシアのイメージと金色の球がたくさん光って平和な蜜柑の木とのギャップを感じて、これは面白いなと写真を撮った。それだけのことだった。

 そして次の興味のかつての郵政省の歴史的建築が、再開発でどうなったのか、ちょっと歩いて今日の見物目的の前に来た。そこへ警察官が二人やってきて呼び止められた。

●警官からご注意うけた

 「先ほど、あそこで写真を撮られましたね」
 「ハイ取りましたよ、蜜柑の木が美しいねえ」 
「いえね、その時にあなたは車道に出てお撮りになりましたね」 
「え、いや、歩道ですよ」 
「いや、車道でしたよ」 
「そんなはずないけど、まあどうでもいいや、警官がそうおっしゃるのならそうだったのなかな」
 「いや車道でしたよ、車道から写真をお取りになるのは非常に危険ですので、おやめください」
 「え~っ、そういうご注意なのかい、どうもありがとう。わたしが撮った被写体のミカンの木のことじゃないのかあ、ハイハイ、ご注意をありがとう」

  そんなことを二人もの警官がわざわざ言ってくれるほど警視庁は親切というか、暇なのかなと思って、数歩歩いたら、また別の警官が声をかけてきた。

●蜜柑の木の写真を削除せよと言われた
 
「警視庁機動隊のセキといいます。先ほどのお撮りなった写真は、できればおやめいただきたいのですが、」 
「え、さっきご注意いただいて感謝したけど、まだあるの、車道で写真撮影禁止なの?」
 「いえ、何を写されましたか」
 「ほほう、こんどは被写体が問題かい、まあ、いいや、ほら、あそこにミカンの木があるでしょ、金色の実がいっぱい成って平和な感じだよね、あれがロシア大使館の門のそばにあるのが面白いなあと思って撮ったよ、それが何か?」 
「すみませんが見せて下さいますか」 
「なんか変だけど、ここで見せないと君が個人的に懲戒を受けるのなら気の毒だから、お見せしましょう」 
「いや、そうではありませんが、ハイ分かりました。確かにミカンの木ですね。できれば消去していただけませんか」
 「え~っ、路から門のうちに見えるミカンの木を撮ってはいけないの、それってどんな法令による制約があるの、教えてよ」
 「いや、そうではないのですが、ほほう、よく取れていますね」
「あ、これは昨日の写真だな、ハイこちら、ホラミカンの木でしょ」
「あ、ハイハイ、よく写っていますね、できればこれを削除してください」
「え~っ、なんで?、あのね、これを消さないと君が個人的に困るのかい、上司から叱られるとかで、それなら気の毒だから消してもいいけどね、どうだい」 
「いえいえ、そんなことはありません。はいはい、もう結構です。あの、私は機動隊のセキと申しますが、よければお名前を教えてください」 
「ああいいよ、君が名乗ったからね、ダテといいます。まあ、なんだね、今日は君たち3人がかりで、暇なわたしのヒマツブシの相手をしてくれてありがとうよ、わたしは今日ここに来た目的はね、この大きなビルが建つ前には、ここには郵政省だった歴史的な建築がったんだよ、しってるかい」
「そうですか、知りません」
「ま、いいや、では警戒しっかりやりなさいね」 
「いやいや、どうも失礼しました」 

●わたしはスパイかもなあ

 ということで無罪放免になったが、どうして最初の警官と2度目の警官の言うことが別々なのだろうか?、最初の警官とわたしとの間の、車道に出た出ない(どうでもいいけど私は出ていない)論議は、実は本命の担当警官を呼ぶための時間稼ぎの質問だったのだろうなあ。

 それにしても警視庁機動隊とはねえ、昔々1960年6月半ばころ、国会議事堂あたりで大勢の機動隊に囲まれてその姿を近くに見たものだ。その後も何度か出会った(その詳細はこちら)。
 だが、こんなに近くしかも個人的に出会ったのは初めててで、瘦せ型の優しい言葉遣いの若い男だった。そうか、大使館警備にあたっているのか、さっきの初めの警官は交通警察だったのだな。

 これって察するに、スパイ行為にあたるのだろうか。そんな法律が日本にあるのだろうか。ここがチャイナ(ロシアもか)だったら、即拘留起訴有罪にされるのだろうなあ、日本も戦中はこんなことがよくあったらしいが、近いうちにまたもやそうなる予行演習だったのだろうか、さすがに「オイコラ」ではなかったが、怖いなあ。 

 でもなあ、こんなよろよろ杖付き白髪老人が、真昼間に道端で堂々と写真撮るなんてスパイ行為をやるもんだろうか。いやいや、それは変装であって、杖には銃を仕込んであるものかもしれないぞ、マスクは覆面だな、ウン、警視庁はしっかりと警備しているようだな、ウンウン。そう、こうしてブログに書くヒマツブシ種を作ってくださったし、ありがたいことだ。

 あ、そうだ、セキさんに削除しろと言われた写真をここに載せたから、警視庁からまた何か言って来るかなあ、でもセキさんはSNSに載せてはいけないと言わなかったよ、もちろんこっちも何も聞かなかったけどね。飛沫節延長戦歓迎。

 そういえば1月末にも、警視庁の警官と話をしたことを思いだした。あれは捜査一課のタケモトさんだったなあ(その詳細はこちら)、電話がかかってきたが用が済まないうちに切られてしまったけど、今日のセキさんに聞いて、調べてもらえばよかったなあ。

 それにしても、こんな妙なことに出会っても、若い時のように腹を立てて喧嘩することもなく、じっくりじんわりと平静に面白がって若者警官に対応できるとは、わたしも年取ったものだと、つくづく思うのであった。とにかくこれからは、ミカンの木を写すときは、周りを見て警官がいないことを確かめよう、これが今回の教訓だな。

 なお、今日の目的の一つ、元郵政省歴史的建築は、こんな姿に変貌していた。なんだよ、つまらん。
かつてここにあった麻布郵便局舎(2011年撮影)

麻布郵便局の再開発事業で登場した新ビル(2025年撮影)

(2025/04/17記)

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2025/04/14

1879【粕腹面倒】値上げ攻勢で商店に虐められたカスタマーが恨みを”晴らす面倒”を起こすらしい

 近ごろ、カスタマーハラスメントなるカタカナ言葉によく出くわす。カスタマー(customer)とは顧客のことらしく、ハラスメント(harassment)とは嫌がらせのことらしい。下のようなポスターがどこかの店に貼ってあったのを見たことがある。

(これはネットで拾った)

 この絵は店の人と買い物客のようだが、どちらがどちらか分からない(顧客を脅しているのかしら)。でも、わたしが顧客として、近ごろ店からハラスメントをしょっちゅう受けている被害者であることは確かだ。

 そう、買い物に行くたびに値上げばかり、こちらは音を上げているのだが、ちっとも値下げしてくれない、特にコメがひどい。これって、れっきとしたカスタマーハラスメントである。
 あるいはまた、店の一方的都合で売り方や支払い方を変えるものだから、客としては、どうやって品物を買うことができるのか迷う。これもカスタマーハラスメントだ。

 先日も久しぶりに回転すしの店に入ったら、カウンターにタブレットがおいてあり、これで注文せよという。あちこちタップしても目的画面に至らず注文できない。設計が実に悪い。画面デザインが汚い。これでは特に年寄りには注文できないよ、しかも高価すぎて、お客をいじめてるぞ、粕腹寿司だ、もうやめて回わらない寿司屋に行くぞと店を出た。

 近くの食料品店でも、セルフレジ導入とか言って、客に自分で勘定をさせるから、面倒くさくてたまらない。これも客をいじめているぞ、カスタマーハラスメント(払わす面倒)だぞ。ああ、昔のような現金手渡しの店を懐かしい。

 コンビニ店で買い物したら、目の前にいる女店員がカネを受け取らず、「そこの機械に入れてください」という。入れたがお釣りが出ないままに、「OKボタンを押せ」とのサインが機械の画面に出た。店員に「おい、釣りが出ないよ」といえば、「OKを押してください」、「だって釣りが出ないからOKじゃないよ」と答えても、執拗に「OKを押してください」という。こっちも意地になって、「釣りが出たら押す」というと、女店員が自分で押して釣りが出てきた。「これは設計がオカシイ、すぐ治しなさい」と言っておいた。


 ヒマだから、カスタマーハラスメントごっこをやりに、買物にでも行ってこようかな。

(2025/04/14記)

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2025/04/13

1878【野次馬根性湧かぬ万博】日本での万国博覧会が20年ぶり開催らしいが昔から興味湧かない

弟からの写真
●大阪万博が始まったらしい

  昨日のこと、大阪に住む弟からメールで、大阪万博会場に老人割引きで乗車賃50円の地下鉄に乗って行ってみたが、厳重に囲われていて近づけなかったとのこと。地元住民を不審者扱いするとはけしからんと、文句をつけてきたそうだ。

 今朝の新聞を見て気が付いたが、昨日から大阪万博が開場したそうだ。そうか、それで出かけて行ったのか、はは、入場する気もない単なる野次馬老人まで近づけていたら混雑してたまらないだろうな。

 で、わたしは万博をこれまで見ただろうかと思いだしてみた。もっとも遠い思い出は、1986年バンクーバEXPOである。カナダ視察旅行で偶然にでくわして入場して、なんだかずいぶん広々とした会場風景の記憶はあるが、どんな展示だったか全く記憶がない。
 日本では有名な大阪万博1970があったと知っているが、行っていない。カネも時間も興味もなかった。

●愛知EXPO2005の記憶

 2005年愛知EXPOには行った記憶がある。そのころ仕事で関係していたある団体から入場券をいただいたから行った。その団体の展示(各地の地場産業関係)だけを見てから、どうしようかと案内図を見ていたら、森を歩くガイドツアーがあるというので、それに参加した。あれは会場の中ではなくて外だったような記憶があるから、結局は万博会場のほんの一部を訪ねただけだった。 

2005年愛知EXPO「海上の森エコツアー」
 その森は、会場設営のために伐採しようとしていた山林を、市民たちの開発反対運動にあって残したのだが、それはありふれた雑木林である。それはそれで面白かったが、わざわざ愛知県まででかけてみるほどものではない。日本列島のどこにでもある二次林の里山である。

 万博とは世界の珍しいものを集めて見せるという趣旨で始まったはずだが、この時から変わったらしい。それはそれで結構なことだ。
 さて、近いうちに今生の見納めとの理由をつけて、西方面への旅に出かけようと思っているのだが、その行程に今回の大阪EXPOを入れるほどの野次馬根性が、やっぱり湧かない。

(2025/04/13記)

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2025/04/10

1877【戦間期終わるか】昔の防空壕をシェルターと言い換えてすでに用意を始めたらしい日本

 

そろそろ防空頭巾を用意するかな

●あれから80年余またもや防空壕か

 どうやら戦争が迫っているらしい。ひたひたと足元に来ているようだ。今朝(20250410)の新聞で、小さな記事を読んで、そう確信した。こんなべた記事だが、こんなことを政府が調査していることに驚いた。いや、知らないのはわたしだけで、驚くのが遅すぎるのかもしれない。あれから80年、またもや防空壕が必要らしい。


 これって、昔々わたしもよく見たことがある防空壕でしょ。ほら、80年ちょっと前の頃、空から飛行機で爆弾落としに来る時代を迎えてしまって、家の裏山の崖に横穴を掘って、避難する場所を作った。都会では、家の地下に穴を掘って、そこに避難する場所をを確保した。

 空襲でそこに逃げ込み避難して助かった者もあれば、火の海となってそのまま蒸し焼きになった者もいた。
 そんなことを思いつつこの記事を読んだら、同じ新聞の別のページに右のような記事が載っている。あの戦中の防空壕政策でむしろ被害が大きくなったというのだ。

 今ではビルが立ち並ぶ都会では、地下室のあるビルも多いから、上の調査のようになるだろう。しかし戸建て住宅地では、やはり地下を掘るしかないだろう。

 だが、思うにあの頃の戦争と、今の戦争はどう違うのだろうか。名をシェルターと替えた防空壕は、いまでも有効なのだろうか。

●バカトラ世界関税戦争が引き金か

 このところUSAのトランプのバカが暴れており、世界経済戦争が始まった。関税という経済ミサイルを世界の国々に見境なく、或は狙いを定めて、次々と発射している。発してみて突然やめたり、2重に発射したり、出たとこ勝負を好き勝手にやっている。いやまったく面白いだろうなあ、世界を手玉に取っている気分だろうなあ。

 だが、これが本物のミサイルになる日が、もうすぐやってくるに違いない。かつて日本が戦争に乗り出したのは、ABCD包囲網とか言って、経済封鎖を国際的にやられたことが、直接的な原因と言われている。

 とにかく今はロシア、ウクライナ、イスラエル、ガザ、中東、ミャンマー、アフリカ諸国などなど紛争があちことであり、いつ戦争になってもおかしくない。
 そんな不安全な地球に、平和なはずのUSAから経済紛争をこんな生っぽい形で仕掛けてよいことがあるはずがない。今のトランプ関税攻撃が、どこかに戦争の引き金を引かせるかもしれない。
 それにしても思うのは、あの国の大統領選挙民の目を覆わんばかりのバカさかげんに、先達だったUSA民主主義の余りの凋落ぶりである。よくもこんな人を選ぶものだ、バカUSA国民どもよ!

 そうか、だから今から防空壕なのかい、おっと、今はシェルターと言うそうだ、戦争シェルターというのかしら、そういえば、ちょっと前には「核シェルター」が話題になったことがあった。
 そうだ、あの福島原発爆発の時は、本当にシェルターが必要だったんだな。いや、これからも日本全国にこんなにたくさんの核発電所があるのだし、もっと増やそうとしているようだから、多数の核シェルターが必要だろう。

 日本はどこかから飛んできたミサイルが、どこの核発電所にぶつかれば、それでもう核戦争になってしまう環境にある。福島原発爆発で、その恐怖を実体験したのに、核発電所をやめようとしない。何故だろうか。

 そういえば防空頭巾というものもあったな、用意しとくかなあ。飛散核物質除けに役立つかどうか知らないが、ないよりはよいかもしれない。それよりもなによりも、できるだけ早いうちに、事前避難しておく方がよいとの思いがますます強くなる。
 その点、わたしには身近に絶好の避難シェルターがある。そこに今のうち避難しておけば、それからは2度と避難の必要がない絶対的シェルター、それはあの世である。

(2025/04/10記)

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2025/04/05

1876【新聞読み散らし】テレビを全く見ないが新聞の見出しだけでも世界中がヘンだとよく分る

 近ごろの新聞を読み散らしての感想いくつかです。
なんだか変な世の中になってますねえ。

●コメ米
 
そりゃまあ高くはなったけど、コロナほどに人類全部の命に係わるほどじゃないような、いや、食い物だから命にかかわるか、


●伊大統領
 エーッ?!、イタリアでも問題大統領なのかあ、EUも危ないなあ、でも罷免するとは偉いなあ、大統領という直接選挙制度自体に問題あるのかなあ、日本でも西の方の府県知事にヘンな人がいたし、今もいるもんなあ、。


●バカテレビ
 こういうのを政府が叱りつけるもんかねえ、要するにアホ馬鹿会社ってことでしょ、馬鹿をオカミがお叱りになるって、いまどきあるものかい、それならば、そんな番組を見て喜んで、事件になって更にテレビ見ている大衆をも、同時にお叱りつけになさってはいかがかな、そんな奴に放送免許を出した政府自身を叱るべきでしょ、今の世の中なんだか怖いよなあ、そう言うわたしはテレビ持ってないし、もちろん観てないから、なんだかよく知らんけどね。


●トラ環境政策
 おお、海の向こうのあの大国では、自動車の増加を抑えようと、環境政策に前向きなんだなあ、いいねえ、騒音、振動、エネルギー浪費、歩かない人間の不健康蔓延、そんな自動車の氾濫による社会環境問題増大に、これで歯止めをかけようってんだね、あのトラさんにも、なかなかに良い政策があるんだなあ、がんばれ~。


●マイナーメジャー
 おお、そうかい、そうかい、もらいに行かなくても、頼まなくても、そっちから送ってくるんだね、わたしは「マイナーなカード」を持っているし、「マイナーなカード」で保険証代用できる様にしているが、じつは一度も「マイナー保険証」として使ったことがない、それどころか「マイナーなカード」さえも、税金の確定申告のほかに使ったことがない。それほどにもマイナーな位置づけにあるカードって、いったい何だろうか?、「メジャーカード」と言ってくれると、ちょっとは分かる気がするんだけどねえ。


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2025/03/31

1875【大岡山恒例花見これが最後】願わくは花のもとにと来てみればあはれ花こそ先にゆきけれ


●毎年恒例の母校へ花見に

 花見に大岡山に登ってきた。満開ではなく八分咲きというところであろうか、まあ、よろしい、毎年恒例の大岡山花見登山も、これでおしまいだな、わが年から言っても、今やそんなころ合いだな。

 そもそも母校の名前が変わったし、何よりも学んだ建築意匠系(歴史)の学科が、田町キャンパスに移転して出て行ったそうだから、もう余所だよなあ。さすがに卒業後66年も経つと、ソフト面もハード面も大きく変わってしまい、ほぼ縁がない場所になった。

 そんなことで桜の花見も、これが最後と思って見れば、もうヨレヨレ真っ黒デブデブコブコブの老木が、わが身に似て見えるのもつらいものだ。ついつい花よりも老幹を見る。そしてとうとう次世代の若木に交代する現実も見た。では、最後の花見報告を書いておこう。

 大岡山駅を出て見回すと、左に百年記念館(篠原一男設計)という大岡山のランドマーク、右に蔵前会館(坂本一成設計)の風景は変わらない。あのワニ口のような半円筒の突出は、まさにこちらの駅に向かっており、招いているらしい。


正門前からキャンパスを眺める。百年館のキャンチレバー飛び出しがすごすぎるが、これはカメラのせいだな。

 正門から振り返って駅前方面を眺める。左の草に覆われたビルが大岡山駅舎だが、上に病院が乗っている複合建築(安田幸一設計)だ。昔はこういうビルを下駄ばき建築といったが、要するに下駄の歯が駅である。いまは死後になったようだ。

 正門を入ろうとするとこんなキャンパス図がある。オヤ、去年の花見の時とは違うぞ、東京工業大学から変わって東京科学大学とある。
 もちろん知ってはいたがこうやって見ると、よその大学に見える。工業よりも科学の方が格が上だな、だって科学を基礎にして工業があるんだもんね、ちょっと大学の格が上がったかも、なんて考える。

 Institute of SCIENCE TOKYOとあるから、略称はIOSTだろうか、それともISTかしら。改称前の東工大はTOKYO INSTITUTE of TECHNOLOGYであり、わたしが在学していたころは略称をTIT としていた。所属していた山岳部はTITーACといった。
 なお、英語のスラングでtitとは女性のおっぱいのことである。それかあらぬか、いつのころからか略称をTokyo Techというようになっていた。
 
 さて今年もキャンパスを通り抜けて帰ろう。結果としては大岡山から緑が丘を経て、裏門からキャンパスの外へ出て(赤い線は実際に通ったところ)、更に九品仏川緑道を自由が丘まで歩いてしまった。マイペースでノロノロだが、昔よく歩いた道を今も歩くことができたのが、われながらエライもんだ。これでもう終わりにする。

 正門を入ったところから構内を見る。
 右に図書館(安田幸一設計)、左に滝プラザ(隈研吾設計)。滝プラザまだ屋根の上の緑が育たないらしく不細工な姿のままである。早く森に埋もれてほしい。これはもしかして、周りにある百年館や図書館や七十年館の引き立て役としてのデザインをしたのかもしれない、なんて思う。

●老木は断末魔のごとく必死に今年も花を

 では本館前広場の定番写真である。まだ枝の先の方まで咲きそろってはいないが、あのよろよろ桜が今年も咲いた。その齢は70年にもなるはずだが、偉いものだ。ヨレヨレと曲がる枝がすごい。

 左正門から右の図書館まで、本館前のパノラマも定番。滝プラザが緑の中に隠れるのはいつになるのだろうか。

 では桜の花の下に入ろう。上を見上げればいつもの用の本館の時計台が見える。あの時計のあたりに山岳部の部室があった。そこまで平気でスタスタ昇り降りしたし、それどころか塔の屋上に出て、外壁をアップザイレンの中吊りで降りたこともある。

 花は咲いているが、それを支える幹を見れば、その超老木のあまりのヨレヨレさに、かえって興味をそそられるほどだ。
 昔々、わたしがここを卒業するころに、ようやくちらほらと花を咲かせだして、片手で握れるほどの細い幹だった若木が(参照→1960年のキャンパス風景)、今やこんなに老い木になってしまった。それはもう、わたし自身の身体そっくりであると、感慨と嫌悪とを交互に催すのであった。 

 もう立てなくなって横になったまま花を咲かせる木もある。無理やり花を咲かせているらしい。

●ついに世代交代が始まってしまった

 この断末魔のごとく悶えつつも、無理やり花を咲かせる老い木どもが、いつ死んでもよいように、この桜並木の背後には若木の列立ち並んで、それらは既に花を咲かせつつ交代を待っているのである。交代がいつ起きるか楽しみであるが、、。


 老い木と若木の花との饗宴であるが、明らかに老い木の劣勢がみえている。

 ややっ、ここの老い木はついに世代交代しているぞ、う~ん、既に若木に植え替えられてしまった。たしか去年はここにあった老い木がまだ花を咲かせていたが、あれは断末魔の姿であったか。
 
 眺め渡すと交代したのはまだこれ一本だけらしいが、来年はさらに増えるだろう。いや、どれも断末魔模様だから、全部植え替えられているかもしれない。これはまさにわたしたち年代のことである。そうかそうか、悲しむことではない、後継がいることをむしろ喜ぶべきだが、さてさて。

 では世代交代桜への感慨を書いておこう。それには歌を詠むのが格好よろしい。ここはやはり桜の花を大好きだった先人の西行法師についていこう。
  
 願はくは花のもとにと来てみればあはれ花こそ先にゆきけれ

●花のキャンパスをゆく

 右に七十年講堂(谷口吉郎設計)を眺めつつスロープを下っていく。この季節は花とともにこの名作を眺めるのを大好きだ。
 昔々山岳部の訓練で、このスロープにあった洗濯板状の坂道をうさぎ跳びで登ったものだったが、あれはひどかった。今も足だけは丈夫なのは、そのお陰でもあるまいが。

 スロープ下の花越しに眺める本部の建物は清家清の設計である。こちらにも敬意を表しておこう。

 ちょっと戻って、東急線路上の橋から眺める景色。手前の空き地は昔々水力実験室(谷口吉郎設計)があったところで、水銀汚染で建物撤去したのちも、土地も汚染で使えないらしく空き地のまま。(参照:かつての水力実験室の姿
 その向こうに見える丸屋根の建物が新築で、ここに建築系学科が緑が丘の上から移ってきたそうだ。ただし、建築意匠系は田町キャンパスに出て行ったそうだ。ということは、わたしは意匠系の建築史の研究室だったから、もうここには縁がなくなった。

 よく知らないが、科学大学と銘打った限りは、文理融合の教育と研究の場とするためだろうに、建築意匠系といういわば人文科学系だけを追い出してよいのかしら。まさかと思うが、工業大学の中では建築意匠系という人文科学系が邪魔だったのだろうか。さらに思うのは、リベラルアーツ系も田町に移ったのかしら、まさかねえ、そうなら文理融合どころか文理分離であるよなあ、まあ、何も知らないのだけど、。

 このあたりが新築された建築で、緑が丘から移ってきた土木・建築系の入る棟らしい。スカイラインが円弧を描いているのは、近くの七十年講堂に倣った景観デザインだろうか。

 東急線のガードをくぐる前にグラウンドに行ってみた。地面が見えなくて緑の人工芝であるようだ。向こうに見える白い低層建築は体育館であり、東急設計コンサルタント設計(実は建築同期の後藤宜夫と笠原弘至の設計)である。
 わたしが在学の頃は体育館は大岡山駅前にあり、どこかの飛行場の格納庫を映して持ってきたと聞いたことがある。わたしは入試をそこで受けた記憶がある。東急が駅改良のためにその土地が必要となって移転してここに来た。だからこれは東急の寄付によるもので、設計も東急設計コンであり、その社員だった笠原が担当し、親しい後藤を外注の相棒に選んだと、これは笠原から直接に聞いたことだ。

 大岡山地区から緑が丘方面への線路トンネルは、歩行者専用となっているが健在である。去年もこうだったが作り直すのであろうか。

 心字池のあるあたりは、キャンパス内では珍しく建築が入りこんでいなくて、公園のように緑が濃い。実を言えばそれもそのはずで、このあたりは都市計画で公園に指定されているのだ。いずれ公共公園整備がされて、公開されるだろう。

 心字池は無粋にも金網で囲われている。もったいない。

 森の中にはワグネル先生の碑がある。ここにはしょっちゅう来たことがあるが、実はワグネル先生とはどんなお方か全く知らないし、知ろうともしないできたが、この碑文を読んでみればわかるだろう。

●昔々住んでいたあたりの今は

 池のほとりを歩いてゆけば、昔々に2年間を暮らした如月寮があったところだ。キャンパス内だから教室にちかくて便利だった。今は自動車部の部室が建っている。

 中学校グラウンドとの間を抜けると向こうに、呑川を渡る木橋が見えてきた。昔々は橋はなくて、流れの上に板をかけて向こう岸にわたり、崖を昇ったものだ。

 橋の上から呑川沿いの桜を眺める。

 橋を渡れば、昔々はこの丘の上の全部が向岳寮で、わたしは1年間住んだ。どこかから移築してきたという古い木造平屋の寮室群が2棟、ほかに食堂とホール棟が建っていた。全国からやってきた大勢の学生たちが住んだ。けっこう住みよかった。

 火が出ると全滅だなと思っていたが、わたしが出てから何年か後に燃えてしまった。寮は再建されることなく、跡地には建築、社会工学、土木系の教室研究室が建った。それらも今、建て直されている。

 ここには田町にある付属科学技術高校が移転してくるそうだ。建築・土木棟、社会工学棟が建っていた敷地はきれいさっぱり空き地になり、ただいま高校校舎工事中である。
 掲示を見れば、その設計は石本建築事務所である。たぶんプロフェッサーアーキテクトのどなたかが監修しているのだろう。


 もう見るべきほどの桜もつきたし、懐かしい場所の風景もがらりと変わったので、裏門から緑が丘の街に出た。昔々出入りしていた裏門は粗末なものであったが、今はそれなりに堂々としている。

 緑が丘の街にある例の市場風店舗の緑が丘百貨店は健在だったが、今日は日曜日で休店日だったようだ。すぐ隣は空き地になっているしその隣は建築中だし、この記念的百貨店も来年もあるかどうか怪しいものだ。

●さらに自由が丘までよろよろ歩く

 さてここでもう電車で帰宅しようかとも思ったが、日はまだ高いし、そうだ、昔々よく通ったみを自由が丘まで歩こうと思いついた。学生の頃に家庭教師アルバイトで、自由が丘の駅近くにあった商家の家庭に通った。そのころどぶ川沿いに歩いて往復した道が、川が暗渠となって桜並木の遊歩道になっている。これまで大岡山花見に来て何度か通っているが、そこも懐かしい路だ。問題は脚力が耐えるかどうかだ。
 
 その桜並木の道(九品仏川緑道)は健在だったが、桜の木がここもかなりの老化で、よれよれであった。道路上に張り出さないように強剪定されて可哀そうだ。どうやら椿の花の道にとって替わりつつあるようだ。ここでもわが身と比較するのであった。


 自由が丘の街は相変わらずにぎわっている。昔と比べるとおしゃれな店ばかりのようだ。昔よく来た飲み屋街のあのうまい魚を食わせる店はまだあるかなと探せば、今日は日曜日でお休みだが健在であった。

 自由が丘駅前広場に出て驚いたのは、ここでも巨大再開発事業が始まっていることであった。広い板囲いの中に工事用タワークレーンが建っている。
 写真の右側に東横線駅があり、その線路沿いに自由が丘デパートだが、その向かいの道を挟んだ大きな街区全部が再開発とはねえ、自由が丘の一番の場所だ。でもここには何があったったけか、そうだモンブランというケーキ屋があったなあ。飲み屋街の裏路地もあった。


 自由が丘デパートとその向こうのひかり街という、懐かしい二つの共同店舗ビルは、再開発から外れている。何となくほっとするのは齢のせいか。
 あの昭和時代感覚に満ちた共同店舗ビルが今も営業を続けているのは、それなりに理由があるのだろうが、こここそ自由が丘で最初に再開発事業になりそうな気がしていたので、ちょっと意外だ。

 というわけで、久しぶりの自由が丘は、変わっているようで変わっていないが、駅前再開発が出来上がると大変化が来るはずだが、それをわたしが見に来ることはもうないだろう。
 そして、ほぼ縁が切れた感じの大岡山母校花見にも、もう来ることもないだろう。
 2025年けっこうな最後の母校花見徘徊であった。
(2025/03/31記)
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伊達美徳=まちもり散人
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