2020/11/27

1503【コロナは桜に敗けるか】まかせとけ学術会議もGOTOも問題じゃない桜の出番

 今週もコロナで開けてコロナで暮れる日々だなと思ってたら、それに学術会議任命拒否問題が絡んで暇つぶし、そこへなんとまあ、桜を見る会問題が再登場して、三つ巴の賑わいであった。

◆アッと驚く「桜」再登場

 安倍前首相のショウモない桜を見る会の会計処理問題は、国会での答弁が大ウソであったらしいと、検察特捜部捜査過程で分かったというのだ。
 その内容はどうでもいいけど、安倍事務所の秘書が言うままに国会質疑に答弁したら、秘書が嘘ついていたので答弁が嘘だったと、今になってバレたという。首相の秘書のせいで、あれほど時間かけての国会は、フェイク国会になってしまった。なんともばかばかしい。


 内閣総理大臣の身でありながら、あれほど堂々と、しかも何度も嘘ついたのだから、法的には知らないが、道義的に無事ではあるはずがないだろう。
 なんともおバカな人であると、今更ながら誰もが思うから、政治的生命は消えるのだろう。いやいや、こうなっても堂々と表舞台に居られるのが、政治の世界だろうか。このような新旧首相でも、選挙になると投票する人がいるだろうなあ。菅選挙区民だから恥かしい。

 8月末だったか、安倍さんは突然に内閣総理大臣の辞任を切り出した。コロナは大変な局面なのに投げ出すとは怪しからんとおもえども、持病が悪化してコロナ対策能力が無くなったというのだから、これはどうも非難できない。

 そこで狂歌<ゲスの勘繰り>
   アッそうかあの時突然辞めたのはこれがほんとの理由だったか
 ところが、今、こんなドジ事件発覚である。当然にゲスの勘繰りだが、安倍さんは8月に内々でこれを知ったのだろう、ずいぶん顔色が悪かったものだ。そこで、嘘がバレて辞任ではあまりに無様過ぎるとて、幸いに前にも使った持病による辞任を、またまた使おうとなった、のだろうかねえ。

 狂歌<真打ち登場>
  まかせとけ学術会議もGOTOも問題じゃない桜の出番
 いやいや、じつはこうかもしれない。新首相が学術会議の会員任命問題や、GOTOキャンペーン問題で苦労しているようだから、ちょっと話題をこちらに振り向けてやって、負担を軽くしてやろう、なんて安倍さんが親分気取りで桜問題を投げかけた。思惑通り世間はわーーっと飛びついた、ってなことかなあ。

 狂歌<東西政権交代珍劇>
  日本でもようやくこれで政権が表も裏も移行するのか
 いやいや、実はこれは新首相側からの大仕掛けであり、どうも院政をしたがる安倍前首相を、これで一気に蹴落とす検察リーク戦術だったのだ、てなことかもなあ。まあ、コロナコロナの長丁場芝居に幕間のピエロにはなっているようだ。

◆学術会議でバレた新首相のデキ

 もう一つの話題の学術会議会員指名拒否問題である。その法的とか学問の自由とかの問題はさておく。わたしはTVを全く見ないが、新首相登場からちょいちょいと、国会の委員会ネット同時中継動画をPCで見物しているが、なんだかへんである。国会ってそんなものなのかしらと思う。

 先日の予算委員会で学術会議問題につき、野党委員と首相との一問一答形式質疑応答をしている。なにやら首相答弁がおかしいらしく、途中で「時を停めてください」ということが、しょっちゅう起きる。すると動画の音声が消えて、何やら協議している様子が写っている。

 しばらくして再開して続きをやる。すると「時を停め」た以前の、既に聞いたことがある首相の答弁が、またまた繰り返されるのであった。あれ、これは同時中継であり、録画ではないのに、同じメモを読む首相が写るのだ。こんなことが度々ある。
 おお、すごい、国会には時間を停止遡行させる機能があるんだあ、時間旅行なんて、SF世界のことと思ってたけど、、と、言いたくなる面白さである。

 もちろん、「時を」停めるのではなくて、「時計を」停めるのである。質疑に対する答弁がほとんどかみ合わなくても、以前と同じ答弁をする首相はバカに見えるが、もちろん当人は承知しているのである。その証拠には、しょっちゅう「以前にもお答えしましたが」と、そのたびに言うのである。

 知っていながらそうとしか答えられないのは、大人としては辛いだろうなあと、しげしげを菅さんの顔を見つめるのである。なんだか教室で、できない子をイジメてるみたい。
 あっ、もしかして半年ほど後になり、あの答弁は秘書の官僚のウソをそのまま言ってました、なんてことに、なる?
 いやいや、そうじゃない、あの暗愚ぶりは政治的演技なんだよって、どこからか聞こえてくる気もする。 

◆コロナ禍という日常と非日常

 さて、その間にもコロナはドンドンと発展している。毎日のように感染者数更新、あるいは入院者数が増えていく。医療現場は恐怖であろう。
 だが一方では、コロナよりもカネとてGOTOキャンペインは続行らしい。全面ストップするには経済界が許さないのだろう、なんだかオロオロしながらもやるしかないらしい。
 狂歌<コロナの旅>
  ウィルスを貰いにGoToNOだけど バラ撒きにGoToOKとはねえ

 わたしは相変わらず、寝たきり防止のために、昨日(11月26日)も、フラフラと横浜繁華街徘徊に出る。コロナ盛況のニュースのさなかだが、街は普通の人出である。
 コロナに強い横浜橋商店街を行けば、空き店舗のひとつでキンキラ熊手を売っている。あっ、きょうは三の酉の日だと気がついた。酉の市の日は横浜橋の大鷲神社周辺の道には、多数の露店が立ち並んで大賑わいになるのに、今日はいつもとおなじだ。

 そうか、さすがにコロナ禍の中では、酉の市も休止するしかないのか。去年までは、この商店街の裏通りの住宅街が、突然にこの夜だけ変身して繁華街に化ける。福をかき集める縁起物のキンキラ熊手の店も立ち並ぶ。
 でも今日は熊手屋は商店街の空き店舗にたった1軒だけ、夜店屋台は一店も無い。


今年の大鷲神社の様子

いつもならこんなに賑やかな大鷲神社あたり

今年は熊手売りは空き店舗に1店だけ

いつもならこんなに多くの熊手売りが出る

 酉の市の祭のご利益を知らないが、神社だから神様の威力を頼んで、厄病コロナを追い払い、幸福を呼び寄せるためだろう。これが厄除け行事ならば断然実行すべきだろう。だが、神様もコロナには勝てないらしい。あの熊手が福ならぬコロナをかき集めるおそれはないのか、なんて思う。

 コロナが今や日常となってしまい、祭と言う街にハレの日をもたらす非日常を奪ってしまった。このあたりの鎮守社ともいうべきお三の宮日枝神社の祭礼は、今年はあったのだろうか。たくさんの神輿が繁華街に繰り出していたあの祭りはどこに行ったのか。
 さて、コロナ禍の日常の中での非日常は、いったい何だろうか。それはコロナに感染することだ。そう、ほとんどの人にとってコロナ禍の日常とは、コロナに感染する恐れの日々という日常であり、コロナ感染そのものではない。いったん感染したら巨大な非日常が出現する。もっとも、それはハレと言うよりも巨大なと言うべきか。

 コロナ日常化が国際化すると、ヘンな風習というか風俗が生まれる。握手の代わりに、肘と肘を撃ち合うという挨拶ができたらしい。抱擁、接吻、握手という非日本的な接触型挨拶風習はコロナ伝搬手段そのものとて、代わりに拳とか肘とかを互いに接触するそうだ。

 でもねえ、日本でそれやると喧嘩になるよ。知ってるのかなあ、それはケンツクとかヒジデッポーといって、相手を拒否するときにやるものだよ、誤解が起きそうな気がする。ここは日本流に、お辞儀にしなさいよ。こういうのがこれからどんどん増えるのか。


 新聞などのコロナ関係の注意書きに、体調不良なら「まずはかかりつけ医に行け」とある。かかりつけ医とは、その名の通りしょっちゅうかかりつけているのだろう。しかし、わたしはめったに医者に行かない。
 最近では3年半前に腰椎骨折で3か月通った外科医だが、これをかかりつけというのかしら。内科の医者に行ったのはいつだったろうか、10年以上になるなあ。近くの内科診療所の玄関扉には、「風邪気味なら進入禁止」の張り紙がある。
 今やコロナどころか、カゼさえひけない身となった。(20201127)


2020/11/24

1502 【コロナ大盛況】GOTOにスガりつくのはもうよスカ さスガにスガも思いなおスカ

 

昨日の新聞トップに、「GOTO一時停止 首相表明」とある。鳴り物入りの経済復興策は、強敵コロナの前にあえなくひっこむらしい、一時的だろうが。

 どうやらコロナ感染の勢いは、春の緊急事態のころを超える勢いになっている。それでも再度の金食う事態宣言を出すことなく、人の移動を促すGOTOキャンペインをストップすることなく、11月の3連休の日々は観光地は大繁盛。
 その様子を例の横浜中華街と赤レンガ倉庫に観察してきた。コロナ緊急事態の時は閑古鳥がないていたが、昨日23日休日ははどっちも若い人たちで大繁盛、コロナどこ吹く風。

11月23日休日の横浜赤レンガ倉庫の繁盛ぶり


11月23日休日の横浜中華街の混雑ぶり

 もう一首狂歌を。

   強盗とコロナで自粛を比らぶれば恥かしながら強盗が先

 ヤボを承知で解説しておく。この強盗とは、もちろん、政府のやっているGOTOキャンペーンのこと、つまり、税金を原資とする金で補助するから、旅に行け、宴会しろ、買い物に行け、つまりコロナを恐れるなというのである。あちこちの観光地は繁盛はGOTO強盗で繁盛しているのだろう。
 なお、ヤボを重ねると、この歌は昔からあるこんな狂歌のもじりである。

   ひもじさと寒さと恋と比ぶれば恥ずかしながらひもじさが先

 コロナ感染者数が、いったんは2度目のピークを越えたと思って、その強盗GOTOキャンペーンを中央政府がやりだしたら、旅行客が増える一方では、息を吹き返したコロナがみるみる増える一方、この数日は毎日毎日感染記録更新中となってしまった。

感染者は13万人、死者は2千人

 GOTOキャンペーンに乗って動いた人たちは、旅行が延べ4千万人超になり、そのうち感染判明は176人だそうで、動く人がそれだけいて、感染がたったそれだけって、なんか不思議だ。どうしてなんだろう。飲食のGOTO利用が延べ1千万人超だそうだ。ただし、これらの利用実人数はどうなんだろうか、ひとりで何回やってるのかしら。
 事実としてコロナ復活現象と強盗キャンペーンとが、どう連動しているのかしていないのか分からないが、時期的に符合していることは確かだ。

 わたしはまったくGOTOには関係ないから、堂々といちゃもんつけるが、医学界の警戒にもかかわらず始めたGOTOキャンペーンこそが、人々の心にコロナ警戒心を薄れさせたに違いないと思う。
 わたしだって、政府がイケイケと言うのだから、コロナを克服したのかと勘違いしそうになったものだ。それが今回の第3波と言われる状況を招いているに違いないと思う。

 さすがにこうなれば政府もやむを得ないと思ったのか、一昨日(2020/11/21)になって、専門家会議も政府当局者もGOTO政策の足踏みを言い出した。
 でも何となく踏ん切りが悪い。すぐには同行するとは言わないで、しばらく検討するという。その間にコロナは大盛況を繰り広げるだろうが、いいのかしら。

 中央政府はGOTOの用意をしたが、実施は地方政府の都道府県が担当だ、GOTO使ってる人たちはそれぞれの自己責任でやってるのだ、中央政府は感染増加と直接には関係ない、こんな姿勢がありありと見えている。なるほど、民意尊重の民主主義である。
 一方の地方政府の都道府県は、中央政府の言うことに従うだけだみたいな、どうも互いに責任を押し付けあっているように見える言動が多い。

 どちらもコロナのことは分からないことだらけだから、責任を押し付けあうのも仕方ないだろうが、分らぬ当局者たちが右往左往すると、もっと分からない市民たちは、猫にでも犬にでも責任を押し付けるしかないとて、GOTO強盗に出かける有様、ナサケナイ。

  その昔欲しがりません勝つまでは 今では敗けているのにGOTO

 そういえば思い出したが、春の緊急事態になった頃に、パチンコ屋が大いにやり玉に挙がったが、今はまったく話題にならないのはどうしてなのか。その後いろいろコロナ現象がわかってきて、パチンコ屋での感染はないと証明されたのであろう。パチンコ台相互の間に透明仕切りをつけたのかしら。

 市民としては、うちに引っ込んでネット購買の「自粛派」か、この際だからGOTO補助金使って安く遊ぼうって「強盗派」か、引っ込みもせずGOTOも使わず近所をウロチョロするだけの「貧乏派」か、これらのいずれかになっているような気がする。

 わたしはもちろん貧乏派である。ネット購買するにも税金使って遊ぶにも、どちらも家計から支出するべき元となる資金が必要だからだ。その日を暮らすための資金だけしか家計にはないのだ。不公平感が著しい。

 GOTOキャンペーンは補助型だから、こちらに元となる金がないと使えない。半額とか3割とかの補助らしいから、その残り7割とか5割分を負担する必要があるが、それを負担できない。金の無い者にとってはまったく不公平である。
 だから遊びのGOTOを使う奴らを、オレの納めた税金を合法的にGOTO、つまり強盗する奴らと言いたくなる。強盗と呼ぶのは品がないが、そもそものネーミングが悪いのだから仕方ない。

 品が無いついでに言えば、近いうちに「デジタル庁」なんてのが政府に新設されるらしい。たぶん略称は「デジ庁」、「出痔庁」だな、トップは「出痔長官」か。
 でもなによりもデジタルとつけるのがおかしい。辞書には「連続的な量を、段階的に区切って数字で表すこと」とある。組織名としておかしいだろ。それならばアナログ庁がありうるのか。
 例えば「情報公開庁」としてはどうか、そのためには作業のデジタル化が必要になるし、現今の課題への対応にぴったりだろう。

 話をコロナGOTOに戻す。コロナで生活に困る人たちへの公平な支援政策は、減税しかないだろう。そして目に見える効果が出るのは消費税の一時的全額免除であろう。
 なぜそれをしないのか。手続きが面倒だからなんて言うかもしれないが、GOTOだって相当に面倒なのに、どこかに委託してもやってるのだから免税できなはずはないだろう。強盗される税金をそちらに回すことがなぜできないのか。
 まあ、こんな素人考えなんて、どこかの政党とか経済学者とかが、すでに言っているのであろう。

 それにしても菅さんという新首相は、一国のリーダーってのは、こんな人でもなることができる時代なんだと思わせる。USA大統領のトランプもそうだが、菅さんとは別の意味である。
 菅さんてリーダーに就任しても、ビジョンを語ることがない。語るべきビジョンなどないか、いらない人なんだろう。まあ、大ぶろしきを広げるとか、美辞麗句だけ言うよりも、言わないほうがましかもしれない。

 わたしはテレビをぜんぜん見ないが、国会のネット中継を見ていると、同時的に菅さんのバカさ加減が見えるのだから、失礼ながらそう言うのは仕方がない。新任早々でいきなり学術会議問題になり、あのヨロヨロ答弁ぶりですっかり人物をわかってしまった。なんだか器を間違えたようで、お気の毒にさえ思っている。
 だからそんな人の言うコロナ政策に素直に乗れないのである。

 世界のコロナ状況を見てみよう。

 やっぱり自国第一主義のトランプが独走中、ジャパンはチャイナを追い越した。

 国の人口が多いから感染者が多いのかと思えば、人口100万人あたりコロナ感染者数でさえトップを行くUSA。それにしても東アジアとその他との違いの原因は何だろうか。


人口100万人あたりの死者数、上位7か国とそれ以下との死者数の大きな段差は、なにが原因だろうか。

 コロナでオロオロの日々はさらに続くのか、いやになってくる。これから逃れる方法は二つある、第1はワクチン開発して接種、そして第2はあの世行き。(2020/11/24)

2020/11/22

1501【コロナ下の能見物】シテ櫻間金記の「木賊」はコロナのせいか聞こえ難くて理解できなかった

 横浜能楽堂で能「木賊」(櫻間金記)を観てきた(2020/11/22午後)。コロナ過で2度目の能見物である。この前は先月の10日で、野村四郎「善知鳥」であった。
 コロナはこんなだし、自分も年とったから、能なんていつ見ること不可能になるかもしれないと思い、横浜能楽堂での企画公演「馬場あき子と行く歌枕の旅」5回分を買っておいたのだ。来年2月まで毎月の公演があるが、コロナでどうなるか。

 さて今日の能「木賊」だが、ぜんぜん面白くなかった。いや、わたしでは理解能力がなかったと言うのが正しいだろう。
 これまではこういう時の感想文は書いてここに載せなかったが、もう人生先行き少ないし、近頃はコロナのほかに書くことがないので、理解不能だった感想を書いておく。

 実は能「木賊」を以前に見た記憶はあるが、内容を忘れていた。能を観る前はたいていは予習していくのだが、今回は思い立ってなにも事前に調べないことにした。
 まあ50歳ころから150曲くらいは観ているから、何とかなるだろうし、どうせ会場では馬場あき子さんの公演で解説があるだろうから、初めて見る気持ちで行くのも悪くない。

 結論は前述のように、ほとんど理解できなかった。もちろんあらすじや見どころを、馬場さんの講演で教えてもらったから、それなりに注意した。だが、理解がむつかしかった。理解とは、ストーリーではなく、演者の言葉であり謡であり演技の理解のことである。でも、「木賊」はいわゆる老女者に次ぐ難曲とされる演目だそうだから、わたしには基本的に理解を無理なのであろう。

 それにしても、シテと地謡の声が聞こえないのには困った。シテは76歳、音声は意外に高いのだが、小さくて聞き取りにくい。
 地謡は5人で横一列並びはコロナ特別仕様であろうが、驚いたのは顔の下半分に首の下まで耳にかけた紐で布を垂らしていることだ。そのせいだろうか、地謡音声が小さいのである。理解できなかったのはこの地謡小声の故が大きい。
 この前の「善知鳥」の時はよく聞こえたのは、布がなかったせいだろうか。それとも今回から、シテも地謡もコロナ対策で声を落としているのだろうか。シテツレとワキの声はよく聞こえた。

 老人の切ない心境を狂乱的に表現するというシテの序の舞がみどころと聞いたが、どうもぴんと来なかった。もちろん、こちらの能を観る能力の問題だろうが、一般に序の舞のもつ華麗さや寂しさなど、もちろん狂乱も観ることができなかった。ひいき目に見て、老人が舞うのだから、このようにとつとつと踏むのだろうか。

 息子を失った哀しみから、再会した喜びへと移る表現も、この程度なのは老人物だからだろうか。こちたもけっこうな老人だから、老人物の能を観れば、それなりに理解できるはずと思うのは、思いあがりだろうか。これまでにも老女物をいくつか見たが、どうも面白いものではなかった。このような老爺物もあるのかと思った。

 なお、木賊という草については、植物を扱う特別な人でなければ、今では現物を知っている人はほとんどいないだろう。わたしは少年時代の思い出として、現物を知っている。家の周りの草むらに生えていて、太い菜箸のような形と大きさで、節のあるる緑の草で、群生していた。その草の表面は、サンドペーパーのようにザラザラしていた。十数年以前に鎌倉のどこかの寺の庭で見たことがあった。

 馬場あき子さんの話は、歌枕入門編のようで、それなりに面白かったが、やはり時間が足りなくて、源氏物語の歌の帚木の話が面白そうだが、お預けになった。
 歌の話もよいのだけれども、もうちょっと能の話を突っ込んでくれてもいいと思う。馬場さんはマイクロフォンとスピーカを使ったから良く聞こえた。

 能楽公演がコロナ仕様の小声の謡いではなくなってほしい。狂言からあの大声を取ったら、面白くないだろうなあ、どうしてるのだろうか、マスク付きとか、顔面透明板をつけて狂言をやっているのだろうか。(2020/11/22)


●横浜能楽堂企画公演「馬場あき子と行く 歌枕の旅」第2回 信濃国・園原
 2020年11月22日 1400-1630

講演:馬場あき子(歌人)

能「木賊」(金春流)
 シテ(老翁)櫻間金記 子方(松若)水上嘉 ツレ(里人)柴山暁
 ワキ(旅僧)宝生欣哉 ワキツレ 則久英志 ワキツレ 御厨誠吾
笛 :一噌庸二  小鼓:観世新九郎  大鼓:國川純
後見:金春安明 横山紳一 山中一馬
地謡:本田光洋 髙橋忍 金春憲和 辻井八郎 山井綱雄  


 

 

2020/11/12

1500 【コロナ右往左往長屋談義】それ行けやれ行けGOTOと政府の指図に従ってるよおいらコロナも

(コロナ大戦おろおろ日録のうち)

熊五郎:こんちわ、ご隠居、生きてますね。

ご隠居:おお、熊さんようこそ、しばらく見えなかったが、どこかにGOTOナントカやってたかい。

:いや、ちゃんと家に籠ったり仕事に行ってましたよ。一向にコロナが収まらないのでご隠居とコロナ談義で一杯やりたくて来ました。ほらこれがコロナ銘柄のビールです。


:おお、うれしいね、コロナを肴にコロナを飲み干してやるぞ。地球上の人類は、新型コロナウィルスという共通の強敵が現れて猛威を振るっていても、それぞれに理由で仲間割れして、いがみ合い殺し合いをしているねえ。

:そうですねえ、今朝の新聞から拾うと、アメリカでは累計1000万人を超えるのに、依然として毎日2万人もの感染者を新規に発生、国民は真っ二つに割れていがみ合っている。エチオピアとかアルメニアとかアゼルバイジャンとかでは戦乱だし、香港もなんだかきな臭い。そして宗教テロはどこで起きるか予測がつかない。

:さすがのコロナも呆れているだろうね。こうやって時々はコロナの地球状況を話して書いておくと、ずっと後から見て何かの参考になるだろうと思うから、大いに話そう。

:日本での感染状況は、専門家が今や第3波到来であると言ったそうですよ。なぜそうなったのか理由は簡単なこと、いったんは自粛していた人々の外出や旅行が、再開したからだという。あまりに当たり前すぎる理由で、わたしにもわかりますよ。

:感染防御の先進県として当初から競争?してきた2県でさえも、今や岩手41人、鳥取51人となっているありさまだ。ワーストの方は、東京3万人超、大坂1.5万人弱、わたしの住む神奈川1万人弱、以下愛知、埼玉、福岡とつづく。そして日々増えるばかりだ。

:じゃあ、なぜ人々は出歩くようになったのか、出歩く人たちは、身近にいたコロナ患者が減ったと実感したからでしょうか。実際は、ほとんどの人は身近にコロナを実感していないはずですよ。

:それでも自粛をやめたのは、世間がそうしているからだ。では世間が何故そうしたか、それは政府の政策で緊急事態を解除した上に、GOTOナントカニンジンをぶら下げる出歩き奨励政策をやったからだ。

:実際にGOTOナントカを利用し得感染する人は少ないのだろうか。そうであっても、その出歩き推奨政策がなされていることで、コロナはもう落ち着いた、いまや一部の現象だと、世間は思い込んだにちがいない。

:逆の言い方をすれば、GOTOナントカはコロナ感染拡大政策になっているに違いない。それが証拠には、観光旅行先に多い沖縄と北海道の感染者数増大だ。だれか数字的に証明してくれることを期待している。では狂歌をひとつ。

 政府からそれ行けやれ行けGOTOとてがんばっておりますおいらコロナも

:イベントだって復活中、そう、わたしは先月末から今月にかけて、すでに3回のイベントに出かけましたよ。その前にはイベントに行きたくても、イベントがないのだから仕方なかったから、嬉しい。だが、もちろんこれには感染リスクを伴います。

:一人一人が感染リスクを背負い防御絶縁の姿勢をとりながらも、人々の交流で経済的損失から少しでも立ち直ろうという、その両者の行動配分がどのあたりが適切なのだろうか。
 それをだれも分からないで生きているなんて、手探りで行く暗闇の時代である。芝居の「だんまり」をやっている毎日だね。

:面白いと言うと語弊があるが、これだけ長期にわたると、人間社会にもコロナへの対応に党派性が生まれるらしいですね。アメリカの大統領選挙で分かったのは、共和党トランプ支持派は、コロナ対応無視とて大規模集会にも多くがマスクをしない。マスクをしないことでトランプ支持を表現する。一方の民主党バイデン支持派はその逆だな。コロナの方は全く党派性に無頓着に感染を広げているはずだから、そんなアメリカ人を理解できない。アメリカの州ごとのコロナ感染者数と政治的支持の相関を示す地図を観たいものだ。

:そういうわたしは身近にコロナ感染者がいないものだから、深刻さが一向に分からないままに、平気で横浜都心の繁華街をコロナの街観察徘徊を日々やっている。
 でも、外で密着して他人と話すような機会が全然ない。それは実に寂しいのだが、相手がいないから仕方ない。
 それでも先日、東京でのシンポジウムに行ったときに、知人たちに出会って密着とはいいがたいが立ち話をしたのが、久しぶりの他人との会話だった。
 年相応に人名を急に思い出せないのは仕方ないとしても、話し言葉さえも忘れているような気がして、オレはちゃんと話しただろうかと、後から気になったものだ。コロナは老人のボケを進行させる。

:街に出てもマスクが人々の顔にあるほかは、見たところは変化を感じないですね。店舗に入るときに体温を測られたり、手指消毒を促されて、コロナ禍にあることをハッと思い出すけれど。
 わたしも外ではマスクを着けるますが、面倒でたまらない。外出するときに必ず忘れて、玄関を出て数歩歩いて気が付いて取りに戻るありさま。

:マスクをしていないと、まるで非国民として排除される雰囲気が怖い。電車の中に1車両に1人か2人くらいはマスク無しの人がいる。信条に忠実なのか、単に忘れたのか。
 わたしは忘れたまま外出した時のために、カバンには3枚の予備マスクを忍ばせている。まあ、ハンカチにもなるからいいですよ。
 それにしてもマスクはまだまだ衛生用具であり、ファッションというレベルには至っていないと思う。ファッションに定着すると、人間はコロナに負けたと思うでしょうかね。

:アメリカの製薬企業がコロナのワクチン開発に成功しそうだというニュースがあります。たとえ成功してもいきなりコロナ退治ではなくて、消滅には1年以上かかるらしい。
 そのワクチンを人間に接種するには、量的にも時間的にも順番待ちが必要となるでしょうね。政策的には身体的弱者から、つまり幼児や高齢者優先でしょうかねえ。

:大量の救護者のための投薬の順位を決めるのは、選良という差別問題との撞着を避けられない。わたしは高齢者として、高齢者だからこそ、あえて言えば、十分に生きてきた高齢者をあとまわしにして、若者から接種優先にしてほしいと思う。無限の未来のあるものたちにこそまず生きてもらいたい。

:おお、ありがたい仰せだなあ、これも一種のトリアージュですよね。パンデミックにおけるトリアージュ論はあるのでしょうか、知りたい。ではわたしも狂歌をひとつ。

 天災か人災なるか病む天体いつものごとく淡々と冬

                           (2020/11/12)

参照コロナ大戦おろおろ日録

2020/11/07

1499【困惑する政治の季節】アメリカでも日本でも政治的騒ぎ中だが、これは次元が低いのか高いのかどっちだろう?

 日本とアメリカで政治的な騒ぎが起きて、解決がどうなるのか興味津々。
 アメリカは大統領選挙投票の開票が大詰めの時にあり、共和党トランプと民主党バイデンが肉薄する最中だが、敗色が濃いトランプが、なんだか汚い作戦に出ている。そんなことして良いのかしら?

 日本での騒ぎは、菅首相が学者連中に喧嘩を売ってしまって、国会論戦が大賑わいだし、学者たちも各種学会も抗議する騒ぎになっていること。
 今日の「伊達の眼鏡狐乱夢」は、「学問と政治」の在り方について真摯に憂える同年の友人からメールに対して、わたしの返信メールの形で、この政治的騒ぎの感想を書いておく。


●●さん  20201107 伊逹美徳より
 おはようございます。あえて政治的な話をします。

 今朝もまだアメリカ大統領選挙は結論が出ないようですが、驚くのはトランプの傲慢な態度であり、そのせいで両派の対立を深める大騒ぎとなり、しかも次元がどんどん低くなって来ていることです。
 アメリカはコワイですねえ、これじゃあ、銃を使っての騒ぎが今に起きるでしょうね。トランプなる人物を国のリーダーに選んでしまう、アメリカの人々を恐れます。
 かつて戦争が終わった時に、幼かったわたしたちが学び始めたころ、そのごの日本を導いた民主主義を教えてくれたあの国は、いったいどうなってしまったのでしょうか。

 いや、もしかして、国を2分するようなことでも、平気で声高に罵り合うのは、それこそが民主主義なのかもしれません。そう、上院と下院の多数派がねじれているのは、まさに多様な意見を容認する民主主義の表れでしょう。その点で、絶対多数派が衆参両院とも占めている日本では、民主主義が未熟なのかもしれません。改めて思うことです。

 さて別の意味で次元が低い(いや、むしろ高いというべきか)日本の学術会議問題の件、貴兄の真摯なご意見に、心から敬意と賛意を表明します。

 それにしてもアメリカ同様に、こちらの政治リーダーも利口でないようです。
 会議側の推薦会員の一部任命拒否をした首相が言うように、本当に学術会議の改革を目指しての今回の処置であったとするなら、あまりにもへたくそな政治的方法であることに、政権の中のだれも事前に気が付かなかったのでしょうか。
 多様な意見を排除する反民主主義的思想が丸見えです。

 推薦通りに任命しておいても、必要とする学会の改革に取り組むことをできたでしょうに、奇妙な作戦だと思います。
 学者相手に喧嘩しても、学術研究費の配分権を持つ政府には従順に従って問題にならないと思っていたとしたら、たとえそれが成功したとしてもしても、なんともゲスな政治と思わざるを得ません。

 しかも、首相の国会答弁が重なるにつれてわかるのは、首相は実質的なところは何も知らなくて、手続きだけやっているとしか思えないことです。だから、人事に関することだから答えないと、わけわからぬことをいいって逃げるしかないのでしょう。ほころびるたびに、そこら辺にあったぼろきれを拾って繕っているのです。
 いまや官邸官僚が肥大しすぎて、力量の無い首相は官僚任せでもやっていけるのでしょう。

 わたしはTVを見ないので、国会の委員会中継を時々刻々とネットで見ていますが、あの首相の言葉を聞き態度を見ていると、実に人間として情けなくなり、それで腹が立つよりも、次第に気の毒になってくるのです。「やはり野におけレンゲ草」です。

 そして実は、わたしはそのような人物を選出した選挙区内の街に住んでいるのです。
 そしてまた、わたしがそれを知ったのは、新首相就任直後に近所の商店街にお祝いの意を表す大きな掲示が出たのを見たからです。
 そうです、その方の選出には、わたしも棄権という方法で一役買っていたかもしれません。反省するしかありません。

 それにしても、東西で騒ぎが起きて、ボケが進みつつある老いの日々に刺激を与えてくれ、ちょっとだけでもその進行を止めてくれるかもしれない政治、これは高齢者福祉政策かもしれません。

 ではお元気で。草々

2020/11/01

1498【2020年10月フェイスバカ狐乱夢まとめ】 学者相手に新首相大喧嘩その間にコロナ10万人感染

 わたしのフェイスブック(フェイスバカとも言う)とブログへの2020年10月分の掲載記事です。
 今月もコロナの話も多いのですが、それよりも新首相が日本学術会議の会員改選につき、会議からの推薦名簿の一部を任命拒否したことが発覚して、会議からの抗議に対する新首相の大真面目な超ドジ発言が嗤いものになっており、わたしの狂歌もはかどりました。

10月1日 <東西リーダー選出狂歌>
 アメリカのコロナは脳に来るらしい高齢候補よ気の毒にねえ
 日本ではどうやって決めたのだっけアメリカ流の激論したっけ

10月5日 <新首相政策狂歌>
 
電話代下げて役所はデジタル化なんて分りやすい政策だこと
 近いうちスマホを国民全員に支給して一元管理をします
 スマホなくPCは壊れ庶民にはアナログ隠居の日々こそよけれ

10月6日 <新首相学術会議人事狂歌>
  
おおそうか99人は総合的俯瞰的に見て御用学者か
  見おろせば無用学者が6人と御用学者が99人

10月7日 ブログ 【横浜都心の秋】
 
8年ぶり川俣正登場、地下に動物園、川べりに緑の広場、超久しぶり外飲み会


10月9日 <ショミンの味方スカ首相狂歌>
 科学者を懲らしめた次はぼろもうけケータイ業者をいじめてやろう
 学問もスマホもGOTOも縁がないこのわたしには何してくれるの

<核毒ゴミ埋設文献調査だけで20億円狂歌>
 ぜひお願いわが家の地中に核のゴミ埋めてもいいか調査だけして
 美しい北の国よ気がつけば皿まで食らって北核道とは
 最果ての地の底深き核のゴミその解毒を祝う十万年の後

10月10日 <拒否6人の名簿を知らぬという首相狂歌>
  
八年で官邸宦官肥大して首相の役目は捺印と朗読

10月12日 ブログ【伊達の眼鏡ブログ新記事:能「善知鳥」】
 
コロナで閉じていた横浜能楽堂が開き、野村四郎演ずる能「善知鳥」(うとう)を観てきた。折しも台風14号、直撃はなかったがザンザン降り、今日の能の凄絶に似合う天候だ。もちろん能楽堂内は快適だったが、昔に見た野外能舞台でのこと、友枝昭世の善知鳥だったが、見所のこちらが舞台の演技さながらの責め苦に遭った能見物の思い出を記しておこう。能を観始めて30年、能楽師でも老いるのだなあ。


10月16日 ブログ【コロナ愚痴】
スマホなくネット社会に見捨てられコロナも見放すアナログ隠居  https://datey.blogspot.com/2020/10/1495.html

10月17日 <コロナの街狂歌>
    夜目遠目傘の内でなくっても美人ばかりのコロナマスク

10月21日 【通じぬ日本語】
 安うどん屋に入る、一番安い「かけうどん並」を注文、店員「並でいいのですね」、「いや、わたしは並がいいのです」、「はあ?、並でいいのですね」、「いや、オレは並を好きなんだよ、バカにするなよ」「はあ?」、意味が通じない、会話にならない、店員に日本語教育をちゃんとしろ。

10月22日 【コロナ日本感染者10万人突破】
 ほら、よくあるじゃん、何かイベントとか遊園地とかって、入場10万人目豪華記念品贈呈ってね、わたしも人生最後にせめてそれを狙おう、ただいま日本コロナ感染累計9万5000人余。

10月23日 ブログ【中越大震災記念日】
 
今日は16年前、中越大震災発災の日であった。あの豪雪山村に通った日々を思い出した。新幹線に乗って通った棚田のコメ作り、あのコシヒカリは一粒いくらについただろうか。この後でも東日本とか熊本とかあちこち災害は起きたが、なんたってすごい災害は新型コロナウイルスパンデミック。長く生きているとろくでもないことに出会うが、貴重な体験をしていろいろ考える種が尽きない、これって自然が与えるボケ防止対策かも。

10月25日 ブログ【カメラとスマホ談義】
 
壊れたカメラの跡継ぎの新しいカメラ買ったけど今回も中古品、ブックオフにて税込み3080円、CanonIXY930is、ちょっとだけ性能が上の機種。スマホ無くてこの世に生きていられるか人体実験やってるつもり。


10月27日 <国会新首相演説自助共助公助絆狂歌>
  孫自慢 じすけ・きょうすけ・こうすけ君・きづなちゃんもいる所信表明

10月28日 【今朝の新聞から:人体ナマ実験】
 
いやまあすごいなあ、野球場に3万人集めてゲーム観せて、コロナ感染人体実験なんてねえ、これじゃあコロナを馬鹿にするトランプを笑えないね、実はわたしもバカにしている、いや、コロナじゃなくてトランプをね、わたしも行ってみたいけど、野球には全く興味がない、入場料無料にしてくれないかなあ、人体実験参加する集団って、どんな人たちでどんな振る舞いするのか、そこに興味がある、行ってみたいなあ、これからコロナがなくなるまで、あちこちで人体実験イベントやるんだろうなあ、劇場でもやってくれえ。
 アーッ、わかったぞ、これってオリンピックへの布石なんだな、そう、オリパラも人体実験なら許されるんだな、うーん、見かけだけでもコロナに打ち勝つ大陰謀かあ、、。

10月29日 <新首相学者相手に喧嘩売る狂歌>
  そのむかし曲学阿世の徒と嘲りし学者嫌いの首相なつかし
  六人は曲学阿世の徒なればと応えあらぬは史記を知らずや

10月30日 <新首相いろいろ言い訳け>
 
たたき上げ学者がいない、秋田出身学者がいない、法政出身学者がいない、10代学者がいない、LBGT学者がいない、、うむ、タシカニ、、

<日本国内コロナ感染者ついに累計10万人突破>
 
記念に各世帯10万円再度支給ってあるといいなと思えど、これでは感染促進効果になるだろうなあ、それじゃあ10万人越えるごとに10%消費増税するっていかが、これなら感染抑止予防効果がありそうだ。

2020/10/25

1497【カメラとスマホ談義】スマホ無くてこの世に生きていられるか人体実験やってるつもり

 数日前のこと、10年間使ってきたデジタルカメラ「Canon ixy 900is」が動かなくなった。後継の新カメラを買うかどうか思案していた。わたしがカメラ持ち歩くのは、単に記録のためであるから、機材が高級な必要はないが、カメラなるものを半世紀くらいは持ち歩いていたから、無いとなんとなく手持無沙汰である。

 でも、もう記録することもあまりないよなあ、それにガラパゴス型携帯電話機が壊れそうなので、スマートフォンなるものに買い替えると、その付属のカメラでいいよなあ、なんて思っていた。
 ところが引き出しの奥に、2004年に買ったわたしの最初のデジカメ「RICOH Caplio R1」があったので、ちょっといじってみると、なんとまあまだ動くし撮影できるのである。
 こいつは14年前に壊れたと思っていたのだが、いつのまにか蘇生したらしい。もっとも、ときどき死んだふりをするが、たたくと生き返る。まあよろしい。

 そこでスマホまでの中継ぎにと、この数日はそれを持ち歩いていた。その徘徊中に、伊勢佐木モールにある古本屋「book off」に久しぶり立ち寄った。もう本を買わないと決めて、この10年は古本屋にはめったに行かないし、特にブックオフに用がなかった。
 ところが、なんとまあ、そのbook offは古本棚が少なくなり、古着や古電機類がずいぶん場所を占めて古道具屋になっている。中古カメラもある、お、先日壊れたのと同じ機種あるかなと探す。

 じつはその壊れたのも中古品で買った。その前に「Canon ixy 900is」新品で買ったのだが、うっかり便器で水死したので、それと同じこの機種を古物電機屋で見つけて買った。同機種なら使い方知ってるから簡単と思ったのだ。新品なら13000円くらいが、それは9800円だった。

 今回のブックオフには同型はなくて、近い機種「Canon ixy930is」があった。その値段がなんと2800円(税別)、こちらのほうが壊れた中古900isよりも上位機種だが値段は3分の1以下、で、つい買ってしまった。
 ウーム、デジカメ中古ってこんなに安くなったのか。そうか、だれもかれもスマホだもんなあ。今やデジコンは廃れてしまい、高級品こそがデジカメなんだね。

デジタルコンパクトカメラ四代勢ぞろいの図

 というわけで、カメラはスマホで間に合わせようと思っていたのが、スマホの必要がなくなった。もちろん、スマホはカメラ以上の機能があるのは承知だが、今や私にはなくても良いような気がしていきた。このままガラパゴス方携帯電話機で、特に不自由を感じない。

 もっとも、携帯電話機が本当に壊れたらどうするか。スマホにするか、いっそのことスマホを持たないか。でもスマホがないとネット関係の各種登録に困ることになる。しょうがないからそおのときはスマホにしよう。あ、そのまえに持ち主が壊れるとスマホ不要だな。

 スマホを嫌いではないが、こうも世間で上から下まで「スマホ、スマホ」というものだから、生来のアマノジャクが目を覚ましてしまった。このまま持たないでいるのも、なんだか世間に対してひねくれ感が痛快であるので、突っ走ってみたい。

  ガラケーでこの世に生きていられるか人体実験やってるつもり

 世間であまりに流行するものにそっぽ向きたくなる。例えば、東京ディズニーランドに表門から入ったことがない。そのくせアナハイムの本家に入ったけどね。東京スカイツリーだって、足元まで行ったけど登ってない。テレビを見るのをやめて10年以上だ。

 実を言えば、ああいう小物電気玩具類を、昔からからけっこう好きだった。携帯電話機もわりに早く買ったが、スマホだってもう10年若いと喜んで買ったと断言できる。
 あ、そうだ、昔々スパイカメラというものを買ったことがあった。それはデジタル録音機とカメラが一体化して、手のひらに入る小さな奴で、デジカメ出始め頃のオリンパス製品だった。でも画素が少なすぎた。その前にはマイクロカセットレコーダーも買ったなあ、あ、その前にはポケコンも買ったなあ、持ち歩きワープロ通信もやったぞ。。

 さて、買ってきた中古キャノンデジカメは、小さく薄くなり、性能が一段とよろしい。この買い物が成功と分かったなら、次はPCの中古品を買いに行こうかな。棚にはいろいろと安物中古品が並んでいた。
 このbook off店はいつの間にか古本屋から替わって、古本も売る電中古品そして古着屋になり、総合中古品販売業とでもいうのになっている。もっとも、ここではいわゆる古書を売っていなかったように、骨董品を扱う気はないらしい。

 そういえば、このブックオフのある横浜伊勢佐木モールとその周辺地区には、ちかごろ目立って中古品を扱う店が多くなってきた。格好つけて「リサイクルショップ」なんて看板を出している店が多い。扱う中古品に店により一定のジャンルがあるらしいが、電気製品、家具類、洋服和服、身の回り品、おもちゃとか、あらゆる中古品があちこちに並ぶ。

 その昔クズヤオハラーイ当今は環境保全リサイクル事業

 それはそれで面白いとは思うし、貧乏人にはありがたい。古本屋巡りの楽しさ同様に、中古品屋めぐりというか、リサイクルショップツアーというか、わたしの日常徘徊ルート上にあるのだから、今後はこれに焦点を当てて廻ろうか。
 いっそのこと伊勢佐木モールも、「リサイクルモール」として売り出してはどうでしょうか。なんでもかんでも環境がテーマになる時代の、最先端を行く商店街として売り出してはいかが。要するに安物商店街であるけどね。

 それにしてもこのところ居酒屋が増えたなあ、薬屋が増えたなあ、老舗が減ったなあ、ユニクロとかダイソーとかマツモトキヨシとかドンキホーテとかって安売り屋が目立つ。
 横浜一番の繁華街だったこの街は、どうなっていくのだろうか、見ている分には、元町より中華街より馬車道より、変化がはるかに面白い、興味深い。(20201025記)

参照:わたしのコンパクトカメラ遍歴話一覧

◆2020/09/20 https://datey.blogspot.com/2020/09/1490.html
1490【デジカメの死】身の回り品物が次々と壊れて今度はカメラその次は持ち主自身だな

◆2015/11/21 http://datey.blogspot.com/2015/11/1146.html
1146【終活ゴッコ:懐かしい品々処分:カメラ編】戦前から今日までの7個の古カメラをもう捨てようっと、、

◆2010/01/10 http://datey.blogspot.com/2010/01/227_10.html
227【怪しいハイテク】中古カメラを買った 

◆2012/01/20 http://datey.blogspot.com/2012/01/575_20.html
575コダックがつぶれるとか 

◆2010/10/30 http://datey.blogspot.com/2010/10/343.html
343【父の十五年戦争】続・父の遺品の蛇腹写真機の製作出自が判明した

◆2008/07/08 http://datey.blogspot.com/2008/07/blog-post_08.html
015【怪しいハイテク】便器のなかにボチャンと落して臨終まぎわから生き還ったカメラ

2020/10/23

1496【中越大地震発災16年目】震災復興支援と言いつつ豪雪棚田過疎山村体験学習の日々

 今日(2020年10月23日)ツイッターに、「SAWADA Masahiro:澤田雅浩:新潟県中越地震から16年が経ちました。」なる書き込み発見、そうであった、あの豪雪山村の日々を思い出した。


棚田の山村に豪雪 2005年12月

 わたしはその地震の日に現地にいたのではないが、まちづくりNPOの一員として、被災山村集落「法末」に、復興支援の手伝いにはいったのは、その1年後の2005年秋からだった。集落は全戸避難していた。

 毎週末の訪問と宿泊からはじまり、年ごとに次第に間隔があき、訪ねるNPOメンバーも当初の20人ほどから次第に減ってゆき、10年目ころに支援活動は自然消滅した。もちろん集落は被災から立ち直った。なお、この間、2007年に中越沖地震に見舞われて、2度目の被災という事件もあった。

 この間、わたしたちが地域のためにできることは、物質的にも体力的にも資金的にも能力としては限られていたが、とにかく村の人々と密に交流することで、地域を持続するなにほどかの力になりたいの一心で通ったものだ。
 建築家たちは被災家屋調査して復興アドバイスした。都市プランナーたちはまちづくりならぬ山村づくりを、集落の人たちに学んだものだ。わたしは集落最長老から戦争体験の悲惨な話を個人的に聞いて記録した。

 震災前の村には100世帯ほどいたが、震災で全戸避難後に戻ってきたのは60世帯ほど、それを持続するのはかなりむつかしいことであったが、世帯減少しながらもいまも集落は存続している。
 支援仲間の一人が、集落に住み着いて農業者になったのが、わたしたちの置き土産かもしれない。彼のつくった農業会社に仲間たちで出資した。

 北国の農山村の四季景観の美しさと、その内包する人間の生活環境の厳しさ、その定常的な四季の移り変わりが、大地の大震動で破壊する大変化、実に貴重な体験をしたのだった。風土と人間について多くのことを考えた。

 わたしはアクティブな活動をしなかったのだが、思い出深い活動は、コシヒカリ米作りと茅葺小屋作り、そして集落人との交流だった。その集落を「法末集落へようこそ」に紹介している。https://sites.google.com/site/hossuey/

 そのころわたしが現地でやったことや考えたことを記している。
<ブログ連載中>◆中越山村の暮らし
中越震災から10年、復興した山里のこれから2015/0623
法末集落ののどかな初秋風景も人の営みには大きな変化が(2012.10)
自然環境に還る人文空間(2011.05)
豪雪の山村の風景を見て考えこんだ(2011.02)
山村の四季を愉しむ(2010.11)
中越山村の四季に驚き愉しむ
中越山村で茅葺屋根の小屋をつくる2008
    (田んぼの中の足湯休憩所は集落最後の茅葺屋根)
中越震災復興の地で棚田米を作る2006-2007
中越山村・法末集落の四季(ブログ書込進行中)
法末の四季の動画(gifアニメ)
中越震災の山古志を訪ねた(2007)
   (法末集落の野信濃川対岸の山古志村の被災と不幸のこと)
小国と祖谷-自然と生活を二つの山村に見る(2005)
集落最長老が悲惨な戦場を語ったオーラルヒストリ-(2011)
   (集落最長老に聞いたインパール作戦の悲惨な戦場のこと)

 この後も東日本地震とかいろいろと震災は起きている。さらにすごい災害は新型コロナパンデミックである。長く生きているとろくなことに出会わないが、貴重な体験をしていろいろと考える種は尽きない。   (20201223記)

2020/10/16

1495【コロナ愚痴】スマホなくネット社会に見捨てられコロナも見放すアナログ隠居

 コロナの話を記録しておく。ときどき記録しておかないと、後からわからなくなる。
 正しくは去年の暮れから中国で開始した大事件だが、覚えやすく今年からとしておこう。あれから10か月半、コロナのなんたって凄いのは、たったの半年ほどで地球上をほぼ制覇したことだ。パンデミックとはこのことなんだな、わが人生で出くわすとはねえ。

 しかもそのすごさは、先進国であるほど深刻な状況にあることだ。先進国なら大抵のことは科学的対応可能となっている筈だったが、ぜんぜんそうでないと分かったのだ。
 だが、どうやら人間の行為としての国家統治策に、コロナ感染具合が反映するらしいのが実に興味深い。台湾の天才的な行政官の腕であれほどに少ない感染者であったこと、大統領トランプのせいで世界で一番の感染記録を更新し続けるUSAなどなど、国家政策の裏が見えてきたコロナは、必ずしも天災ではないらしい。

 日本ではどうなのか。先進国の中では比較的に感染者が少ないのは、日本の政策が成功しているからだろうか、どうなんだろうか。そうとも言えないらしい。
 だって東アジア諸国は欧米などに比べて一様に感染が少ないのだから、何か異なる要因がある様だと言われる。例えばBCG接種である。

 そんなさいちゅうの8月の末、安倍晋三さんは前回と同じく持病を悪化させて突然に首相退任。要するに胃を痛くするようなコロナ対策の政治仕事がいけないのであり、コロナが辞職させたようなもの。
 アベノマスクとか全国一律休校とか、思いつき施策と評判悪かったからねえ、気の毒になあ。

  今こそは犬を抱いてコーヒー飲むネット画像を見せてもいいのに

 そして跡を継いで9月に登場したのが菅義偉(カンギイ?)さん、この人は内閣官房長官としてジャーナリズムに評判の悪い受け答えの人だった。首相になってもあのままの姿勢でやるのか心配だが、ひと月経ってさえ隠れ懇談しかしない有様、大丈夫ですか、首相をやれるのかしら。言っちゃ悪いけど、人相からしてどこか裏方の策士の感がある。

  電話代下げて役所はデジタル化なんて分りやすい政策だこと

 と思ってたら、なんと、いきなりやったのが日本の学者全部を相手の大喧嘩、学術会議会員人選に口をだして大騒ぎ、あの陰気な菅さんがやりたいことはこれだったのかなあ、なんだか調子が違うよなあ、あのひとって学者と関係なさそうな、排除6人の名を見ていないというんだもんなあ、なんかヘンだね。

 思うに、安倍政権下で官邸官僚が肥大した結果、清朝のように宦官政治をやりだした感がある。宦官は学者嫌いなんだな。
 この人の親分さえわけのわからんコロナから逃げ出したのに、その後継ぎリーダーになって、表の人として対応できるのかなあ、今やなんでも宦官がやるからいいのかしら。

  俯瞰すりゃ無用学者が6人と御用学者が99人
  8年で官邸宦官肥大して首相の役目は押印と朗読

 さてコロナの話である。日本の感染状況のグラフで、現今は2回目の山が来ていることだ。1回目の山のときに慌てて緊急事態の戒厳令を出して、経済の超沈滞に懲りて、現今は山の第2回はGOTOだってさ。
 1回目の経験で防疫体制ができたとして、GOTOナントカって巨額の補助金をだして、旅やら買物やらイベント見物やらに行かせる施策の開始。
 なんだかあれこれとコロナを恐れない奴らを煽って、税金を使わせる動きである。



(2020年10月16日朝日新聞朝刊)

 今ではコロナが人間と人間の間で感染するってわかった。だからソーシャルディスタンシングってなんて長たらしいカタカナ言葉を使う。日本語には、その意味を的確に表す「疎開」って便利な言葉があるのになア。
 GOTOナントカは当然にコロナ感染を促進するだろう。その感染の健康リスクと、経済沈滞による貧乏リスクを天秤にかければ、とりあえず貧乏リスクのほうが予想しやすい。カネの出入りは眼に見えるが、コロナの出入りは見えないからね。

 さてさて、東京圏4都県が感染ワーストのトップ、次いで大阪圏3府県、そして福岡、沖縄、北海道と感染多数上位ランキングである。
 大都市圏がこれに入るのはわかるが、北海道と沖縄という南北の両端地域が入るのはどうしてだろうか、観光客が原因なのか、意外に東京圏との交流が多いのか。 

 では感染少数ランキングは、岩手、青森、秋田、山形の東北4県と、山陰の鳥取が二桁だが、じわじわと増えるのは仕方ないか。岩手と鳥取はながらく感染ゼロ競争していたのだがなア。他との交流が少ない県というか、元来が人口が少ないところである。
 なんにしても、コロナ騒ぎが終わったら、これらベストランキング県に移住を促すほうがよいだろうが、私のような都市隠居老人は、生活様式が違うだろうから、そうはいかない。 

 さて、他の国ではどうなのか。でたらめトランプのUSAと比較したってしょうがないけど、あそこは大変だね、あんな討論会を平気でやるなんてねえ、コロナのせいだな。

  アメリカじゃあ頭にコロナが感染か高齢候補者お気の毒さま

 でもフランスが大変らしい。第2波に襲われているとて、パリなどの主要都市ではいったん解除した夜間外出禁止を再開するそうだ。
 先進国なら科学の力で何とかする、なんてことはコロナにはないのだ。日本と比較して量的にはけた違いだが、感染カーブはフランスとよく似ている。日本GOTO大丈夫か。




(2020年10月16日朝日新聞朝刊)

 イギリスでもイタリアでもドイツでも、もちろんUSAでも感染者はどんどん増えるばかりなのに、日本の政策担当者はどこか楽観する雰囲気だけど、ほんとに大丈夫かねえ、誰も責任取れないな。

(2020年10月16日朝日新聞朝刊)

 わたしは楽観とか悲観とかじゃなくて、ちょっと冷徹に観察している。その根本には、ここまで生きたから、ここでコロナごときで死んでも、どうってことない、残念なことは何も無い、そんな生死感がある。
 これって結構多いような気がするのだが、どうだろうか。そう考えてはいても、これを大きな声で言うと、他人に感染させてもよいのか、家族を困らせてよいのかと、おおいに叱られそうだから、誰もいわないのだろう。

 だから冗談にして言うほかない。先日、半年ぶりで同年の友人と飲んだが、この話をして、更にコロナで高齢者がどんどん死ぬなら、それは結果としては高齢社会問題解決への前進になるよなア、おれたちが社会貢献するにはこれがいちばんだよ、率先してやろうぜ、なんてクダをまいたのである。まあ、率先することはたしかだ、何年先かわからないが。

 それにしても外を徘徊すれば、どいうつもこいつもマスクで覆面をしている。あ、わたしもしているんだが、これをしないと世の中が相手をしてくれないから仕方ない。
 このあとも長期にわたって覆面社会が継続すると、これが通常になる日が来る。素顔は素裸同然、うっかりマスク忘れて鼻と口を露出すると猥褻物陳列罪になるに違いない。
 服装における欠くべからざるマスクはどう進化するだろうか。そうだ、ビキニマスクとて超小さなマスクが出てくるだろうなア、はたしてそれでお色気でるのか。

 夜目遠目傘の内でもないけれどコロナマスクの眼だけに惹かれて

 香港では昨年だったかマスク禁止の法令が出たと聞いたが、コロナ下の現今ではどうしているのだろうか。西欧社会のどこかでは、イスラム教徒の覆面のような被り物の禁止をしていると聞いたが、そこではどうしているのだろうか。
 いっぽうで喜んでいるのは、泥棒というか犯罪者だろう、覆面を怪しいとされない世の中になったのだから。防犯カメラに映るのはは覆面ばかりで、警察は弱ってるだろうなア。いや、IT技術はマスクの下の人相さえも、だれどれと判別できる技術になっているかもしれない。

 閑居して不全をなすほどの度胸もカネもないので、役立たぬことばかり考えている。
 閑ならばせっかく税金を返してくれるんだから、例の強盗じゃなくてGOTOナントカをやればいいのにと、親切におっしゃる方がいても、それをやるに先立つ物が無い。それにね、予約なんてスマホやPCでネットを使うんだから、年寄りにゃ不便極まる。

 スマホ無くネット社会に見捨てられコロナも見放すアナログ隠居

 だってね、GOTOトラベルって旅費全部を呉れるのじゃなくて、半分しかくれないのだから、残りの半分を用意しなけりゃどこのGOTOだって行きようがない。不公平だぞ。
 そんなことするより、日本どこでも運賃宿泊飲食お土産代を半額にすればいいのにねえ、同じことだろうに、どうしてそうしないのかしら。よその国のどこかはそうしたって、新聞で読んだぞ。

 GOTO商店街とかって、地場の小商店で買い物するならば、あらかじめGOTOクーポン券とかを1万円買えば、13000円分の買い物できるよっていうのだが、その1万円が無いんだよなあ。これだって、商店の品物をなんでも3割引にして売ってくれればいいだろうに、なんでそうしないのかな。不公平だぞ。
 GOTOってのは、ようするにカネと閑のある奴のやることだね。

  半分を出してやるからGoToといわれてもあと半分がない
  カネとヒマ体力気力ある奴がわが納税を強盗GoTo

 それで商店や観光業者が潤えば、それなりにコロナからの復興になるだろうけど、貧乏人にはなんの潤いもなでしょ。
 誰にも潤うのは、あの10万円給付金方式だよな、あれなら平等だ。観光業者の従事者、商店の経営者も従業員も誰もが潤うでしょ、なんでそうしないのかしら。GOTOに投入する税金を、こちらにいれてくれよ。少ないながらおれだって所得税を払ってるんだから、あの10万円で終わりってことはないでしょ。

 ああ、だらだら愚痴を書いたなア、おろおろ日録だからソレデイイのだ。(20201016)

参照「コロナ大戦おろおろ日録https://datey.blogspot.com/p/corona.html

2020/10/11

1494【能楽見物】野村四郎の能「善知鳥」を、四半世紀前の友枝昭世のそれを思い出しつつ観てきた

 
 コロナはまだ許してくれないらしいけど、人間のほうの都合でリスク承知でイベントをやることになったらしい。遠くに行くのはもう面倒だけど、近くで野村四郎が舞うなら何が何でも行くぞ。

 再開の横浜能楽堂で能「善知鳥」(うとう)を観てきた。折しも台風14号がやってきて、直撃はなかったが外はザンザン降り、善知鳥のような陰気な能に似合う天候だが、能楽堂の中は快適だった。それで思い出した、昔見た善知鳥のことから書いていこう。

●友枝昭世の善知鳥

 あれはもう4半世紀も昔になるだろうか。そのころわたしは能見物に凝っていて、週に一度以上は渋谷・松濤の観世能楽堂に行ったものだ。
 それは靖国神社境内の野外能楽堂でのことだった。境内は桜が満開、夜桜の演能の会に善知鳥を演じたのは、友枝昭世だった。あの陰気な善知鳥を、桜花の下で演じるとは、、。


靖国神社野外能楽堂

 ところがその夜はしんしんと花冷えであったのだ。それを予期せずに観に行ったので、震えあがった。あわてて買い求めた熱いコーヒー缶を抱きしめながら、それでも震えあがっていた。
 この能の面白いのは後半からだが、そこに至るまでの退屈なる寒さに弱りきった。

 ようやく後半の見どころカケリに至ってから、友枝の演ずる両氏の苦しみに見入って寒さを忘れる。だがハッとしてまた震える。ふと見上げると夜桜が満開、氷の山に思える。
 また舞台に目を転じて寒さを忘れる、また震えが来る、それを繰り返していた。まるで舞台上に舞う亡者の責め苦と符合しているようだった。

 亡者となった漁師が、善知鳥の化鳥に襲われて狂気の舞を続けている外の浜は、北国の極寒の地とすれば、あるいは高山の冬の立山地獄とすれば、これがそうかもしれぬ。見物のこちらもその極寒地獄の気分であった。いつでも逃げ出す自由はあるのに観続けた。
 友枝昭世のキレのよい責め苦の舞は、咲き誇る花の極寒地獄の夜に凄絶に広がり、やがて橋掛かりの闇に溶けていった。

 これまで善知鳥を3回見ているが、その友枝の善知鳥の極寒記憶が強烈で、他の記憶がない。今日の善知鳥は台風のさなか、花冷え能のように見所に嵐が吹きこむはずもないだろう。だが、心としては風雨の責め苦のなかの善知鳥を期待していたかもしれない。
 今日のシテはは、20年も稽古してもらっていた名芸能者の野村四郎師である。

●野村四郎の善知鳥

 ここから今回の能の話。横浜能楽堂の入り口でチケットもぎりをセルフサービス、手指を消毒、検温してもらい(34.6度とは低温だ)、見所に入れば椅子は一人おきに座るという、コロナ対策万全、もちろんマスク無しでは入れてくれない。ほぼ満員のようだ。


横浜能楽堂

 歌人・馬場あき子の善知鳥にまつわる歌枕の話から始まる。いつものように、自筆プリント配ってくれる。歌人だからとて達筆ではない。
 ここで彼女の話を聞くのは何回目だろうか、元気で素敵な老女だ。その話は興味深いのだが、もう少し時間をあげて話を奔放に広げてほしい。

馬場あき子講演テキストの一部(20201010横浜能楽堂)

 能・善知鳥が始まる。ずいぶん久しぶりのような気がした。後で日記を調べると能見物は2018年11月以来だった。その間に劇場に行かないことはないのだが、オペラ、歌舞伎、文楽、演劇、映画などあれこれ浮気している。

 コロナ対策だろうが、地謡が5人で横一列に並ぶ変則である。地頭は浅井文義、この人の謡は昔はヘンに震えていたものだが、今回はそうでもなかったのは、年取ったせいか。野村昌司も中年になったが、人相が悪くなったみたい、四郎似ではないなあ。

 笛は一噌隆之が体調悪くて代演は一噌幸弘、このひとは上手いのに能で聞く機会がめったになかったので代演を歓迎。あちこちで能楽の外で活躍するので、能の世界から疎んじられるのだろうか、惜しい。
 ワキは工藤和哉、久しぶりにみるとずいぶん年取った。身体が微妙になよなよする癖はいまだにある。

 後見についたのが寺井栄、この人も久しぶりに見て、はて誰だっけとプログラムを見て、昔よく見た記憶にある顔からずいぶん老けているのに驚く。もう20年も前だったか、この人がシテの「紅葉狩」を見た記憶がある。

 シテ野村四郎のほかで記憶にある人は、大鼓の国川純だけで、わたしが見ていた能界の人々は次世代に移っている。
 わたしが能楽をだ観だしたのは、野村四郎氏師に謡の稽古をしてもらうようになった1991年からだから、自分も能楽師も年取るのは当然だが、舞台芸能者はわたしとは違う人種と思っているから、その老人ぶり容貌に驚く。

 シテの老爺が登場してきたが、野村四郎も声が老いた。謡を教わっていた頃のほれぼれする美声は求めるべくもない。
 では芸はどうなのか、これは素人にはよくわからない。それを評する能力はないが、あの夜桜の下で震えながら見た友枝昭世のキレ良い動きを思い出しつつ見るのだが、。

 ところが、後場の常座で絶句、後見が背後に近づきプロンプター、そんなこと野村四郎で初めて観た。こちらがうろたえ、またあるかもと気が落ち着かないが、幸いにそれだけだった。昔、何度も絶句の超高齢プロの能に困惑したことがあった。

 善知鳥の漁師は、能でよくある最後に仏に救われるのではなくて、救いを求めつつも苦悩のままに消えてゆく。
 終って外に出ると、シテの責め苦の続きのように、一段と激しい雨が降っていた。

(20201011記)