2010/07/21

294【法末の四季】地中から湧き出る赤い水で染める「法末赤渋染め」を開発したぞ

 中越震災復興支援中の山村の法末集落に、田圃の草取りに行ってきた。稲は青々と育っている。
 5月末の田植えの最中に、白い帽子を泥田に落として汚してしまった。そのとき思いついて、これを泥染めにすることにした。昨年の田圃仕事で着衣にはねてついた泥が、その形のままに泥土色に染まっているからだ。
 ならばこの愛用のアメリカ製のホワイトハットを、泥で染めてみよう。積極的に染めるならばこの田圃の泥土色の泥ではない、もっと良い色にしたい。

 ちょうど、わたしたちのいる家の近くの崖地から、朱色の泥を含む水が湧き出ているのだ。
 多分、鉄分を含んでいるのだろうが、朱色とクロームオレンジの中間ぐらいの鮮やかな色である。このままの色に染まると実に美しいに違いないと思いついた。

 さっそくに朱泥を採集してきて、バケツに入れて水で掻き混ぜる。その朱色の溶液に白い帽子をもみながら漬け込む。
 しばらく置いておいて、もうよいかなと引き揚げて洗うと、朱は流れていって、あとはまだら薄黄色汚れみたいで、どうも調子が悪い。
 泥水につけて真っ赤になったと喜んでも、洗うとただのまだら黄色汚れになるというくり返しばかり。
    

 その日は横浜に帰宅するので、帽子は泥をしっかりつけたままに室内に干してきた。乾燥させてるうちに染まるだろう、ってなもんである。
 じつは泥染めという言葉は知っていたが、やったことはない。単に思いつきだから、赤い泥をつければ赤く染まるだろうくらいのいい加減さであった。
 簡単には染まらないもんだとわかって、そこは工業大学の卒業だから化学や繊維学の専門の知人がいる。かれらにいろいろメールで聞いてみたら、染料とか顔料とかいろいろ教えてくれた。

 こちらは染料も顔料も区別がつかないのだが、わかったことは、朱泥の粒を1ミクロン以下にすれば、繊維の間に入って定着するらしいことであった。
 粒子には大小があっても、泥水の上澄みにはそれくらい微細な粒子が入っているので、それで何回も染めればよいらしい。
 さて、その超微粒子をどうやってつくるのか。そういう精密機械はあるらしいが、高価なものらしい。

 これに米作り仲間の1人がおおいに興味を示してくれて、磁器性の乳鉢を買ってきた。採取した赤泥をこの乳鉢で乳棒で細かに摺りつぶすと、1ミクロン以下になるというのである。
 そんなこんなで2ヶ月がたち、今回の草取りでの法末行きである。このまえ室内に干しておいた赤泥つき帽子は、仲間が一度洗って干してくれていた。

 原料の朱泥のようにはいかないが、それなりに渋い赤と黄色の中間ぐらいに染まっていて、それはそれでけっこう良い仕上がりである。
 手染めのようなムラもあって好ましい。洗濯機にかけてみたが、色落ちもしない。よしよし。
    
 見れば囲炉裏のほとりには、例の乳鉢と採取した泥の塊がおいてある。今日は来ていない仲間が用意しているようだ。
 それではと、赤泥を乳鉢に入れ、ゴリゴリと陶磁器のスリコギで練っていく。ねっとりとした粘土状の赤泥になる。
 これをポリバケツの中で水で溶いて濃い赤泥液ができた。

こんどはティーシャツ作りである。ザブンと漬けて揉んで揚げて、また漬けて揉んでを繰り返す。いつだったかどこかで見た藍染めの仕事を思い浮かべる。
 適当なところで物干しに吊り下げると、おお、いい色である。だが乾燥すると粉が吹いたようになり、水をかけるとまだら黄色になってしまう。

 そうか、藍染めのように何回も繰り返すしかないのだなと、漬ける干すを繰り返していると、指が朱色に染まってくる。おお、これでは朱屋高尾だなって、次第に職人気分になってくる。
 この染がうまく行くなら、法末土産に赤染ティーシャツをつくりたいねと、仲間と話している。
 ネーミングはさしずめ「法末赤渋染」か。
    
 この法末にくることになったきっかけの2004年に中越地震があり、そのあと2007年の中越沖地震もあって、それら2度の揺れで、わたしたちの拠点としている民家の内壁も一部が剥落している。
 米作り仲間たちが、その剥落した塗り壁の修理をする壁塗りプロジェクを始めたのである。それは集落の人たちにも公開して、左官仕事のプロの指導も受けつつ、進めていった。

 その床の間の壁の仕上げの漆喰に、帽子を染めた朱泥を混合したところ、なんともいえず趣味の良い黄色味を帯びた良い色となったのである。もとはあまり品のよくない緑色の模造ジュラク壁であったのが、実に品よくなった。
 問題があるとすれば、今の住人の仲間達が、この床の間を床の間として使っていないことであろう。ついつい物置のようにしてしまうのである。
 2階の床の間も剥落があるのだが、一箇所くらいは震災記念に剥落のままにしておくこともよいと、わたしは思っている。

(追記)化学を専門とする友人が、朱泥を微細粒にする方法を教えてくれた。
 「ボールミル」なる器具があるそうで、それは乳鉢に代えて磁器製の蓋付容器を、乳棒に代えてゴルフボール大の磁器製塊状物数個を用いるものである。普通は電力でまわすのだが、水路でごろごろ回す水車式芋皮剥装置にボールミルを仕込んで、法末の水路に据えるのだという。
 なるほどそれは面白い、やってみたい。実は足湯のそばで水車がまわっているのだから、それにボールミルを取り付けさえすればよいのだ。
 次の問題は、そのボールミルをどこからタダで仕入れてくるかである。


参照→中越山村・法末集落の四季

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