2026/10/25

1978【卆呪録③狂言見物】生誕日を共にする人間国宝役者の舞台にも老いを見る

 7ヵ月ぶりに山本東二郎の芸を見に行った。2026年10月25日、川崎能楽堂である。東二郎一家出演で能三番を見た。これまでに30年ほど能を見に行って、併せて狂言を見たからかなりの数を見ているが、狂言にはあまり興味はない。

 だから狂言だけ三番も立て続けに見たのは初めてだ。どの演目も語りばかりだったから、何やらやかましかった。静かな能と合わせて演じてもらう方が、やっぱりよろしい。最後に東二郎のお話を、「鐘の音」の小舞で締めてくださって、ほっとした。

川崎能楽堂入り口外観


川崎能楽堂能舞台 柱が切ってある、屋根もない

 山本東二郎は人間国宝で、わたしと同じ卒呪いや卒寿である。しかも同じ日に生まれているのである。だが、こちらは足がヨレヨレになっているが、東二郎は芸として身体を鍛えているから、小舞だって可能なのだ。そんな東二郎を観察するのが目的だった。

 でも、発見した、東二郎さんが安坐から立ち上がるときに、ちょっとよろけるのを、しかも毎回、、、。能舞台で見る役者たちがすっくと立ちあがる美しさを見てきたものには、う~む、やっぱりなあ、東二郎さんでもそうなのか・・・。

 それは、ほっとしたような、そしてまた、がっかりしたような、切ない感が私の身体をよぎるのだった。それだけで、今日の東二郎狂言を見に来た甲斐があった。いや、同年の男の老いぶりを、わざわざ確かめに来る自分をちょっと嫌にもなった。


 3番の演目のうち、「箕被(みかづき)」にちょっと興味あった。狂言には夫婦喧嘩とその和解の話は多くあるが、たいていの妻女は「わわしい女」であり、男を口やかましくやり込める。しかし、この箕被の妻女は才女ぶりを歌で見せて、男との和解を引き出すのだ。

 その和解の「連歌」が面白い。箕を被って出ていく妻を見て男の発句「いまだ見ぬ二十日の宵の三日月(みかづき)は」に、女の脇句「今宵ぞ出る身(箕)こそ辛けれ」と、出ていく女が被った箕を掛けて歌うのである。

 私はこのところ「狂歌」に嵌っていて、あれこれ詠うのだが、連歌は相手がいないからできないでいる。狂歌さえも一人読んでいて投稿先も無いから、つい先日「八十路今日歌抄」なる自作歌集を作り、数人に押し付けた。そんなことで狂言の連歌に興味持った。

 それにしても思うのだが、大蔵流山本東二郎家の狂言の芸の剛直さよ、この堅物で人を笑わせるからこそ、東二郎家の狂言は面白いのだ。能楽の見はじめの頃は、この剛直さが理解できなくて、和泉流野村万蔵家や大蔵流茂山千五郎家の柔らかな芸が好きだった。

 だが何度も見るうちに(といっても能を見るついでに見ていたのだが)、東二郎の剛直さがもたらす笑いを好きになった。笑わせようとはしないのについ笑わせられてしまうのが、おかしいのだ。それが芸というものだろう。

(2026/10/25記)

ーーーこのブログで関連する話ーーー
●趣味の能楽等鑑賞記録

ーーー老 酔 録ーーー
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡/老酔録 https://datey.blogspot.com/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


0 件のコメント: