この6年ほど、コロナパンデミック後の世界はどうなるのだろうかと、その好奇心いっぱいで生きてきた。だって、あれほども地球上の人々が同じように苦難に出会い、それなりに協力し合って、それから抜け出したあとの、地球上の人間は、ずいぶん変わるに違いない。
そう、すくなくとも人間同士が助け合って生きようと、新たな平和世界が来るに違いない、そう思い信じていたのだ。わたしの年齢はコロナ開始の頃は80歳代の初めころだったから、コロナ後の世界を見ることができそうだ。せっかくだからぜひ見てから死にたいと思っていた。
実は私には2021年に三重苦ともいうべき状況がやって来た。コロナ禍が来るとともに老いが来て、これらに加えてさらに老妻への老々看護がやってきたのだ。この三重苦の中での勇逸の生き甲斐は、コロナパンデミック後の新世界を見ることだった。
きっと地球は新平和期を迎えるに違いないと思い込んでいた。そして2024年にはコロナ禍からは明け、わたしの老々看護の日々も解消した。老いだけがやむなく残る世にようやく至った。そう、待ち望んでいたいた日々だ。
ここでコロナから今年までの世界略年表を見よう(GeminiAI出力一部修正)
わたしはその新世界をギリギリ見てから世を去る年齢だろう。それを見て喜ぶ自分を感じてから死にたいものだと、そう思いつつ生きてきた。そして今、コロナパンデミックは終わった。わたしは89歳つまり数え年でいうところの卒寿になってしまった。
そして今、周りを見れば、これがわたしが見たいと生きがいにしてあこがれてきた、その世界なのだろうか?、え、そんなはずはないだろう。トラネタプーシーがはびこるこれがそうか?
これほども人間同士が争う世界が、コロナ後の新世界なのか、え、そんなはずはないだろう。これはまだコロナパンデミック世界の延長なのだろうか。いや、そうでもなさそうだ。これこそが待ち望んでいた新世界なのか、そうかこれは卒寿ならぬ卒呪というべきだろう。百呪に至る前にこの世におさらばしなければならぬ。
ここでわたしは大いにがっくり来ているのだが、それでどうなるものでもない。ここまで生きてしまったからには、しょうがない、どうせなら、この混迷暗黒地球を冷徹に眺めつつ「老いの急坂」をゼイゼイと息吐きつつ突き進むしかないと、自分に言い聞かせたのだ。
そして今は卒寿ならぬ「卒呪」ということにした。呑気に寿ぐよりも、呪を乗り越えるしかない。わたしの世代は、生まれて物心ついたら、親世代が始めた戦争災禍に巻き込まれた。そして死ぬ今ごろになると、こんどは次世代が巻き起こしつつある戦争災禍に巻き込まれるとは、全くもってついてない世代である。
どうせもう長くは生きていないのだし、老いの身で何もできないから、ここは何が起きようとも座して眺めておけばよい。内外共にこんなリーダーを選ぶ人々の地球に明確に落胆してしまった。何が起きても知ったことではない。次とその次の世代に一切をお任せして、後は野となれ山となれ。そう、落胆九十路の居直りである。
卒寿とて寿ぐべきや今の世は卒呪なるべし百呪もありや
(2026/11・14記)

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