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2021/03/19

1522【スマホ事始め譚その3】落転巣魔呆に加えてこんどは頭無ZOOM童貞も喪失

●参照:スマホ事始め譚その1その2その3その4その5

●宣伝の無料じゃなかった初料金

 2月1日から始めたスマートフォン(スマホと言うらしい)、電話屋(というのか)は楽天なるのんきな名の企業である。どうも落転とおちょくりたくなる。1年間は無料だと言うので吊られた。スマホの器械だって1円である。

 そしてその最初の月の料金請求がスマホに載っているのを見つけた。935円である。おや、1年間無料だろ、なのに有料とはその中身を知りたい。明細を開いた。

 935円の内訳は、楽天UN-LIMITV  2980円、マカフィーモバイルセキュリティ200円、スマホ交換保障償プラス650円、月額プラン料金1年間無料 -2980円、当月消費税額85円、以上合計935円

 う~む、2980円がマイナス2980円で無料はわかる。マカフィーナントカ200円と、交換補償650円についても、購入時の店員の話につい乗せられた記憶はある。
 だが、店員からこれは宣伝に言う無料の外であると一言の説明もなかった。1年無料と大々的宣伝とおりに、それらも含めて無料と思い込んでいた。こちらから見ると詐欺である。

 一杯食わされた気分なので、スマホ内で見つけた交換保障について契約解除した。1円の商品に毎月650円も保険掛ける馬鹿はいない。
 もうひとつのマカフィーナントカは、契約解除方法をまだ見つけていないが、そのうちに解除するぞ。

 スマホ童貞喪失から1カ月と20日だが、いまだにろくすっぽ使っていない。持ち歩いているが時計を見るだけ、ガラケーと変わりない
 電話履歴を見ると、弟、息子、知人3人、計5人だけである。なんとも使い道がないだが、それでよいいのだ。なにか緊急事態時(コロナばかりじゃない)のためだからね。

●スマホの次はZOOM童貞喪失

 そろそろスマホに飽きてきたこの頃だが、そこに次の初物が登場、こんどは「ZOOM」童貞喪失をしてしまった。
 コロナ以後の大普及したPCによる「リモート顔出し会議装置」とでもいうか、これを使って仕事じゃなくて、まったくの遊びの大学寮同期会をやろうとなったのである。

 その前に世の人に聞きたいのだが、あの「LINE」発音が“line”とか“社員”流のイントネーションではなくて、“社印”流であって「裸淫」と聞こえるのだが、「ZOOM」はどうなんだろうか。
 これも“zoom”とか“総務”流ではなくて、“痛風”流に発音するのかしら、「頭有無」かな。

 さてそのZOOM同期会である。三島に住むK氏がその企画立案して、同期仲間のメーリングリストに流したら、やろうやろう、やり方教えろ、試しにやってみるかと、たちまちにしてメールが行き交うこと、この8日ほどで130通余もになっており、久しぶり大賑わいメールである。もっとも、40数人のうちの10数人ほどだが。

 わたしは、大坂の弟とZOOMやろうとして2回も失敗、結局スマホの電話で話した。息子とはスマホの裸淫ビデオトークになった。だからZOOM童貞である。
 昨日、そのK氏の音頭ではじめた試験的同期ZOOMミーティングに招待してもらった。ちょっともたついたが、それでもこんどはなんとか入ることができた。
 他の4人の同期生と顔を見つつ久しぶりに会話、ZOOM童貞喪失した。次はZOOM花見宴会やりたい。

●ZOOMは老人ボケ進行遅延ツール

 それにしてもこれに限らないがIT製品の使い憎さと言ったら、1980年代と変わらない。ZOOMの画面になっても、どこをどうつつくとどうなるのか、実に分かりにくい。実に設計が悪い。

 わたしは適当にいじっていたら仲間たちの画面に入ることができたのだが、それがどこをいじった覚えていない。どうも老人には使い方を覚えさせない設計になっているらしい。とにかく設計が非常に良くない。ヒューマンインタフェイスなる言葉からほど遠い。

 同期仲間たちほとんどが円滑にZOOMに入ることできない。PCのOSによるのかバージョンによるのか、アプリの動き方も人によって違うらしい。
 だから、主催のK氏にたくさんの世話を焼かせている。それに細かく対応してくださるK氏のような方がいないと、八十路の年寄りばかりでリモート同期会はじめようなんてムリだな。

 コロナに弱い老人たちこそ、こういう形の楽しみが有効だろうに。いやいや、ボケの進行遅延策になるから、積極的に分かりにくくしているに違いない、ありがたいことで。
 あ、そうだ、若い人で「老人向けリモート会議・同期会などお世話します」って商売やったら流行るかも。

 実はスマホもそうである。買って1カ月半たっても、どこをつついたらそうなるのか、わけわからぬままに指でつつくばかり。要りもしない見もしない広告だらけの画面ばかり出てきて、眼にうるさいったらない。
 それでも壊れないからいいようなものだが、もしかしたら知らぬ間にヘンなものを買っているかもしれない。

 もうスマホオモチャに飽きてきた。PCのほうが面白い。(20210319記)

付記20210320)ネット情報交換屋の「LINE」が個人情報漏れをやったと今朝のNHKラジオニュースで放送、アナウンサーの発音は「LINE」を“line”イントネーションではなくて、何度もしっかり「裸淫」と日本語だった。やっぱり個人情報「裸印」のIT業者。

 ●参照:スマホ事始め譚その1その2その3その4その5

2020/10/25

1497【カメラとスマホ談義】スマホ無くてこの世に生きていられるか人体実験やってるつもり

 数日前のこと、10年間使ってきたデジタルカメラ「Canon ixy 900is」が動かなくなった。後継の新カメラを買うかどうか思案していた。わたしがカメラ持ち歩くのは、単に記録のためであるから、機材が高級な必要はないが、カメラなるものを半世紀くらいは持ち歩いていたから、無いとなんとなく手持無沙汰である。

 でも、もう記録することもあまりないよなあ、それにガラパゴス型携帯電話機が壊れそうなので、スマートフォンなるものに買い替えると、その付属のカメラでいいよなあ、なんて思っていた。
 ところが引き出しの奥に、2004年に買ったわたしの最初のデジカメ「RICOH Caplio R1」があったので、ちょっといじってみると、なんとまあまだ動くし撮影できるのである。
 こいつは14年前に壊れたと思っていたのだが、いつのまにか蘇生したらしい。もっとも、ときどき死んだふりをするが、たたくと生き返る。まあよろしい。

 そこでスマホまでの中継ぎにと、この数日はそれを持ち歩いていた。その徘徊中に、伊勢佐木モールにある古本屋「book off」に久しぶり立ち寄った。もう本を買わないと決めて、この10年は古本屋にはめったに行かないし、特にブックオフに用がなかった。
 ところが、なんとまあ、そのbook offは古本棚が少なくなり、古着や古電機類がずいぶん場所を占めて古道具屋になっている。中古カメラもある、お、先日壊れたのと同じ機種あるかなと探す。

 じつはその壊れたのも中古品で買った。その前に「Canon ixy 900is」新品で買ったのだが、うっかり便器で水死したので、それと同じこの機種を古物電機屋で見つけて買った。同機種なら使い方知ってるから簡単と思ったのだ。新品なら13000円くらいが、それは9800円だった。

 今回のブックオフには同型はなくて、近い機種「Canon ixy930is」があった。その値段がなんと2800円(税別)、こちらのほうが壊れた中古900isよりも上位機種だが値段は3分の1以下、で、つい買ってしまった。
 ウーム、デジカメ中古ってこんなに安くなったのか。そうか、だれもかれもスマホだもんなあ。今やデジコンは廃れてしまい、高級品こそがデジカメなんだね。

デジタルコンパクトカメラ四代勢ぞろいの図

 というわけで、カメラはスマホで間に合わせようと思っていたのが、スマホの必要がなくなった。もちろん、スマホはカメラ以上の機能があるのは承知だが、今や私にはなくても良いような気がしていきた。このままガラパゴス方携帯電話機で、特に不自由を感じない。

 もっとも、携帯電話機が本当に壊れたらどうするか。スマホにするか、いっそのことスマホを持たないか。でもスマホがないとネット関係の各種登録に困ることになる。しょうがないからそおのときはスマホにしよう。あ、そのまえに持ち主が壊れるとスマホ不要だな。

 スマホを嫌いではないが、こうも世間で上から下まで「スマホ、スマホ」というものだから、生来のアマノジャクが目を覚ましてしまった。このまま持たないでいるのも、なんだか世間に対してひねくれ感が痛快であるので、突っ走ってみたい。

  ガラケーでこの世に生きていられるか人体実験やってるつもり

 世間であまりに流行するものにそっぽ向きたくなる。例えば、東京ディズニーランドに表門から入ったことがない。そのくせアナハイムの本家に入ったけどね。東京スカイツリーだって、足元まで行ったけど登ってない。テレビを見るのをやめて10年以上だ。

 実を言えば、ああいう小物電気玩具類を、昔からからけっこう好きだった。携帯電話機もわりに早く買ったが、スマホだってもう10年若いと喜んで買ったと断言できる。
 あ、そうだ、昔々スパイカメラというものを買ったことがあった。それはデジタル録音機とカメラが一体化して、手のひらに入る小さな奴で、デジカメ出始め頃のオリンパス製品だった。でも画素が少なすぎた。その前にはマイクロカセットレコーダーも買ったなあ、あ、その前にはポケコンも買ったなあ、持ち歩きワープロ通信もやったぞ。。

 さて、買ってきた中古キャノンデジカメは、小さく薄くなり、性能が一段とよろしい。この買い物が成功と分かったなら、次はPCの中古品を買いに行こうかな。棚にはいろいろと安物中古品が並んでいた。
 このbook off店はいつの間にか古本屋から替わって、古本も売る電中古品そして古着屋になり、総合中古品販売業とでもいうのになっている。もっとも、ここではいわゆる古書を売っていなかったように、骨董品を扱う気はないらしい。

 そういえば、このブックオフのある横浜伊勢佐木モールとその周辺地区には、ちかごろ目立って中古品を扱う店が多くなってきた。格好つけて「リサイクルショップ」なんて看板を出している店が多い。扱う中古品に店により一定のジャンルがあるらしいが、電気製品、家具類、洋服和服、身の回り品、おもちゃとか、あらゆる中古品があちこちに並ぶ。

 その昔クズヤオハラーイ当今は環境保全リサイクル事業

 それはそれで面白いとは思うし、貧乏人にはありがたい。古本屋巡りの楽しさ同様に、中古品屋めぐりというか、リサイクルショップツアーというか、わたしの日常徘徊ルート上にあるのだから、今後はこれに焦点を当てて廻ろうか。
 いっそのこと伊勢佐木モールも、「リサイクルモール」として売り出してはどうでしょうか。なんでもかんでも環境がテーマになる時代の、最先端を行く商店街として売り出してはいかが。要するに安物商店街であるけどね。

 それにしてもこのところ居酒屋が増えたなあ、薬屋が増えたなあ、老舗が減ったなあ、ユニクロとかダイソーとかマツモトキヨシとかドンキホーテとかって安売り屋が目立つ。
 横浜一番の繁華街だったこの街は、どうなっていくのだろうか、見ている分には、元町より中華街より馬車道より、変化がはるかに面白い、興味深い。(20201025記)

参照:わたしのコンパクトカメラ遍歴話一覧

◆2020/09/20 https://datey.blogspot.com/2020/09/1490.html
1490【デジカメの死】身の回り品物が次々と壊れて今度はカメラその次は持ち主自身だな

◆2015/11/21 http://datey.blogspot.com/2015/11/1146.html
1146【終活ゴッコ:懐かしい品々処分:カメラ編】戦前から今日までの7個の古カメラをもう捨てようっと、、

◆2010/01/10 http://datey.blogspot.com/2010/01/227_10.html
227【怪しいハイテク】中古カメラを買った 

◆2012/01/20 http://datey.blogspot.com/2012/01/575_20.html
575コダックがつぶれるとか 

◆2010/10/30 http://datey.blogspot.com/2010/10/343.html
343【父の十五年戦争】続・父の遺品の蛇腹写真機の製作出自が判明した

◆2008/07/08 http://datey.blogspot.com/2008/07/blog-post_08.html
015【怪しいハイテク】便器のなかにボチャンと落して臨終まぎわから生き還ったカメラ

2020/02/04

1441【国立近美で戦争画鑑賞】あの明るく白い美人画の藤田嗣治が描く暗い汚い戦争画を観た

 
 これは反戦絵画だな!、と思った。藤田嗣治の戦争画を始めて観た。題名は「アッツ島玉砕」、1943年制作。
 国立近代美術館の常設展を久しぶりに見てきた。ここは格好興味ある絵があって好きだ。
 だが藤田のこの絵は初めて観た。同じ部屋にいかにも藤田らしい乳白色の女たちの絵があったから、この一面に暗いヘドロ色の絵が、藤田作品とは思いもよらなかった。
 あ、これが藤田が戦後に戦争協力者と糾弾された原因の絵なのか。

 わたしの藤田に関する知識は概略なもので、戦前にパリで成功した画家であったが、戦中に日本に戻って活躍、戦争画を描いた。しかし、戦後はその戦争画の成功がゆえに画壇から戦争責任を糾弾され、またパリに戻ってそちらで没した。乳白色の女性の絵が有名、この程度である。
 だから藤田が日本を捨てた原因となった戦争画も、あの白い女性の絵の延長ぐらいだろうと思い、ときに見る戦争賛美の絵をイメージしていたから、この汚い暗い絵が藤田作品とは意外だった。

 この抽象画のような暗い暗い色彩、西欧古典絵画のような人物群像、全体のバランスなどを離れて鑑賞して、さすが藤田だなと思った。
 近寄って詳細を観察した。ごちゃごちゃ組み合っている一人一人の人物の描き方を見ると、一応はアメリカ兵と日本兵を、刀と銃、モンゴロイドとコーカソイドの顔、鉄兜のデザインの違いで描き分けているとわかる。
 刀を振り回す日本兵へのほうが優位な状況にあると見えるのだが、実は日本軍は全滅だったから、これが、戦争画である特徴だろうか。

 この巨大な画面の端から端間まで見ていくと、醜悪陰惨きわまる人間殺戮に気分が悪くなってくる。これこそ反戦画ちうものだろう。そうとしか見えない。
 どうして1943年当時に、これが戦意高揚の絵として受け入れられたのか、アッツ島玉砕という悲劇は隠されてはいなかったから不思議である。

 会場でそう思ったのだが、今、ネットで調べると、この絵の展示をはじめは軍部もためらったという。ところが、展示したらこの前で手を合わせ、涙を流して賽銭を供える人たちもいて、にくい敵を倒せとの戦意高揚に役立ち、藤田も大得意であったそうだ。そして戦争協力画家たちのリーダともなったという。
 絵の表現と画家の行動が分離しているが、それが絵画というものだろう。アートは観る人の側にこそあるものだから、時代によって観る人の目も変わるというものだろうか。

 さらに観ていて思ったのは、当然のことに藤田は全滅し占領されたアッツ島に行っていないはずから、想像で描いたのだろう。しかし当時の日本軍とアメリカ軍では武装のレベルが段違いであり、まるで戦国時代のような敵味方が入り混じる白兵戦はあり得なかったろう。
 日本軍は刀を振り回して、やけくそで敵陣に突っ込むのだが、その前にたちまち火器で撃ち倒されてしまったはずだ。現にわたしは悪名高いインパール作戦で生き残った人から直接に、悲惨な戦場体験を聞いたことがある。
 でも、これを見る大衆はそのような現場を知らないから、藤田は大衆がこの絵をどう見るかを読んで創作した。そこが藤田の大衆に好まれる画家としての成功要因だろう。

 この絵は初めのほうの展示室にあったのだが、観ていたら別の展示室でまた藤田の戦争画が登場した。「○○部隊の死闘・ニューギニア戦線 1943年」とある。描き方はアッツ島とまったくと言ってよいほど同じ色彩と構成である。
 この近代美術館も写真OKになっていたから撮ってきたのがこれ、ニューギニアの一部分である。

 現物はもっと暗いのだが、デジタル写真のおかげでこのようにはっきりと観ることができる。もっとも、これが絵画鑑賞として正しいかどうかは別だが。
 この絵のある展示室は戦争画がテーマであり、8点の展示があり、そこには宮本三郎の作品もあった。でも、藤田ほどの迫力ある戦争画はなかった。
 今や戦争画も堂々と展示され、堂々と毀誉褒貶に耐える時代になったのだろうか。それともいまや戦意高揚絵画が免罪される時代なのか。

  1943年といえばわたしの父が、妻との三人の子たちを残して、三度目の戦場へ出かけた年である。その時の母の号泣を、幼児だった私ははっきりと記憶している。戦争画が示しているように、太平洋は奪われて、父が出ていく船がなくなり、敗戦と同時に帰宅した。戦意高揚絵画は庶民には役立たなかった。

 亀倉雄策デザインのポスター「原子エネルギーを平和産業に!」(1990)があった。今やこれも一種の戦争画みたいに見られる時代になった。さてどう見るか。

 国立近代美術館では、企画展のほうはチケット窓口は大行列であったが、常設展はガラガラでゆっくりとみることができた。会場内の座る椅子がさすがに近代美術の名にふさわしく、なにもクレジットはなかったがこれは清家清の「畳ユニット」と剣持勇の「ラタンスツール」である。
 じつは近くの別館である工芸館にも行ったのだが、そこの椅子類も柳宗理や剣持勇などの作品であったので、しっかりと座って休息しつつ作品鑑賞した。

2019/02/10

1385【能楽鑑賞】怖くも哀しい女ストーカー物語の琉球組踊「執心鐘入」と能「道成寺」の公演を合せて観て面白かった

 横浜能楽堂にて琉球組踊「執心鐘入」と能「道成寺」を観た。2019年2月9日午後。
めったに見られないこの組合せ公演、ところが前日から大雪になるとの天気予報、楽しみしてたのだから絶対に見に行くぞと思いつつも、年寄りは雪道ですってんころりが怖い。いくら昔は山岳部だったとて、もうダメだ。
 出かけるときは未だ曇空、でも、帰りには予報通りに大雪が積もってるんだろうなと、そこは昔山岳部だから、ヤッケ着てストック持って雪靴履いて、しかも万一に備えて易アイゼンも持参した。半分は心配だけど半分は期待している。
 能楽堂の中はもう別世界、外の世界のことなどまったく忘れて、3時間ほど酔っていた。終ってたちあがりハッと思い出して、期待と覚悟を秘めて外に出ると、な~んだ、ぜんぜん雪など積もってなくて小雪がホロホロ舞うばかり。
 
 琉球の組踊(くみおどり、クミゥドゥイ)を観るのは、何度目だろうか、これまでに「萬歳敵討」「執心鐘入」「花売りの縁」「女物狂」、ほかに題名を忘れたが沖縄の「国立組踊劇場おきなわ」でももうひとつ観ている。
 「執心鐘入」を観るのは今回が2度目で、このまえはもう20年ほども前に、国立劇場の小ホールで見て、大いに驚いた記憶がある。
「女物狂」http://datey.blogspot.com/2015/01/1049.html
「花売りの縁」http://datey.blogspot.jp/2011/06/434.html

 能が貴族や武士階級の芸能であったと同じように、組踊も琉球貴族のものだった。
 組踊「執心鐘入」は、琉球王朝の踊り奉行であった玉城朝薫が、17世紀初めに江戸で見た能「道成寺」から想を得て創作したとされる古典芸能である。
 当時は琉球は九州の薩摩藩と中国清朝の2重支配下にあり、組踊は清朝の冊封使を歓待するために作ったとされる。
 
 組踊「執心鐘入」と能「道成寺」とは、どちらも同じ中世仏教説話にある事件を題材にしているのだが、先にできた能のほうは、その事件がすでに昔のことになった後年に再発した事件であるのに対して、あとからできた組踊の方は元の事件を扱っている。二重の時間差があるのがおもしろい。
 今回の公演は、この二つの演劇を、組踊、能の順番で演じたので、それなりに筋が通っていることになる。だが、二つの演劇は、登場人物や場所の設定が違うし、一方では男が殺されるが、もう一方では男は無事に逃げると言うことで、筋書としては必ずしもつながらない。
 しかし、だからと言って関係ない演劇ではなく、むしろ合せて観ることで奥深い鑑賞をすることができた。
「執心鐘入」の女が男を口説く場面 (能舞台ではない資料映像)
  実は、釣鐘における鬼女の演出が、組踊と能とどう違うかが興味あるところだった。
 以前に国立劇場で「執心鐘入」を観た時に驚いたのは、釣鐘の中に入った女の再登場の場面だった。釣鐘が上ると、なんと舞台上には誰もいない、つまり鐘の中で女が消えていた。マジックショーかと思った。
 すると、上った釣鐘の下から鬼女の顔が逆さに登場し、やが上半身が逆さにぶら下がってでてきた。ケレンそのものである。
「執心鐘入」の鬼女が鐘からぶら下がる場面 (能舞台ではない資料映像)
http://www.ent-mabui.jp/news/4725
国立劇場の舞台は能舞台ではなくて、横に広がる歌舞伎形の舞台である。そこでの「執心鐘入」の鐘は、能の様に鐘の下から中に入るのではなく、鐘の後にある(らしい)穴から入るのであった。
 今回の横浜能楽堂の舞台では、「執心鐘入」を始める前から、いつもの能「道成寺」に使う鐘が吊り下げてあった。はて、この鐘の中から逆さまにぶら下がる仕掛けを施したのだろうか。

 鐘入り直前に女が笠で顔を隠して素早く紅で隈取り化粧をして鬼女に化けた。能の場合は鐘の中で鬼女になるのだが、こちらは鐘入り前に鬼女になった。
 女が鐘に入る場面は、能と同じように女は下から入って、鐘が上から落ちてきた。
 やがて鐘が上がると、般若面蛇鱗装束の女が立っていた。逆さ吊り演出ではなかった、残念。後は能とほぼ同じだ。
「執心鐘入」鬼女と僧との闘い場面 (能舞台ではない資料映像)
組踊が終っても鐘は舞台中央にぶら下がったままだった。それは次の道成寺のためには当然と思って休憩時間の舞台を観ていたら、狂言方らしい数人が出てきて鐘を下ろすのであった。
 おや、どうせこのあと使うのに、と思ったが、以前に観たある「道成寺」で、鐘を吊るところから能が始まったことがあったと思いだした。それはアイが山本東次郎とその弟だった。和泉流のアイの時の「道成寺」では、その演技はないから、山本家あるいは大倉流の演出なのだろう。
 つまり山本家のアイの時は、鐘を釣ることも演技なのである。出演者リストを見ると、今日のアイは山本家である。なるほど。

 そして「道成寺」の始まりは、やはり、つい先ほど下ろしたばかりの鐘を、またもや元の様に吊ることから始まった。
 だが、狂言方の鐘後見が黙々と吊りあげ作業ばかりである。前に見た記憶では、アイの掛け合いの会話などがあったような気がするのだが、、。
 これなら初めから吊ってあってもよさそうなものだ。終わる時も、狂言方鐘後見4人が黙々と吊り降ろして、鐘を吊った棒を前後で持ち上げて橋掛かりをでていった。

 「執心鐘入」は前半はあまりにもゆったり、琉球の空気が舞台に充満、そして後半の急さとの対比のバランスがよろしい。そう思ったのは、その後の「道成寺」前半の全く別のゆったりさ、というか、乱拍子の長さと比較してのことであった。
 道成寺をもう10回くらい観たが、こんなに乱拍子が長かっただろうか。これまで観世流ばかり見てきたので、宝生流はこうなのだろうか。それともわたしが歳とって、せっかちになったのか。
 道成寺はこの乱拍子の緊張感がよいのだが、今回はこうも長いと緊張を保つのに飽きるというか疲れてくるのだ。
 
 もうひとつのゆったりし過ぎは、アイの演技である。これは前に東次郎家のアイを観た時もそうだったが、いらない演技があり過ぎる。鐘の吊り上げ下ろしそうだが、カネが落ちた時の騒ぎが冗長で、これは和泉流もそうである。
 鐘の中のシテの装束替えの時間稼ぎは、ワキの語りプラスアルファで十分にあるように思うのだがどうだろう。
 
 二つの道成寺物を並べて観て思ったのは、「執心鐘入」の前半と「道成寺」の後半を合わせた演出の能を誰かやってくれないかなあということである。
 追いかける女から逃げてくる男を、道成寺の僧が鐘の中に隠してやるのだが、見つけて追いかける女のすきを狙って鐘から更に逃してやり、反対に女を鐘の中に閉じ込めるところまでが前場、鐘の中の女を祈り殺して鐘を上げると、鬼女が出てきて丁々発止が後場、こんな順当な筋書はどうですか。わたしが思うくらいだから、もうやってるかもなあ。

 女ストーカーが想いを容れてくれない惚れた男を追いかけまわすだけの、実に単純なストーリーだけど、現代風な解釈ではいろいろな演出の「道成寺物」ができるらしい。
   女の美しさと怖さと共に、鬼女となったその哀しさ、悲しみを表現するところに、この演劇の面白さをがある。今回の能ではそれを確かに観た。

(データ)
横浜能楽堂・伝統組踊保存会提携公演
主催:横浜能楽堂主催
「能の五番 朝薫の五番」第5回「道成寺」と「執心鐘入」
2019年2月9日 14:00~17:00

組踊「執心鐘入」
宿の女:佐辺良和  中城若松:新垣悟  座主:玉城盛義
小僧(一):石川直也  小僧(二):嘉手苅林一  小僧(三):宮里光也
歌三線:西江喜春 仲嶺伸吾 花城英樹
箏  :名嘉ヨシ子  笛:宮城英夫  胡弓:又吉真也  太鼓:比嘉聰
立方指導:宮城能鳳 眞境名正憲
 
能「道成寺」(宝生流)
シテ(白拍子・蛇体)宝生和英  ワキ(道成寺住僧)福王和幸
ワキツレ(従僧)村瀬提  ワキツレ(従僧)矢野昌平
アイ(能力)山本泰太郎  アイ(能力)山本則孝
笛:松田弘之  小鼓:大倉源次郎  大鼓:亀井広忠  太鼓:小寺真佐人
後見:朝倉俊樹 當山淳司
鐘後見:野月聡 水上優 和久荘太郎 東川尚史 川瀬隆士
地謡:武田孝史 金井 雄資 大友順 小倉伸二郎 内藤飛能 佐野弘宜

参照●趣味の能楽等舞台鑑賞(まちもり通信サイト)
https://sites.google.com/site/machimorig0/#nogaku

2018/09/23

1164【歌舞伎座で芝居見物】歌舞伎舞台は広く舞台装置も大きいが造りが余りにチャチ過ぎてオペラに負ける

 東京の歌舞伎座で芝居見物、建て直してから2度目の5年ぶり、旧知夫妻のご招待でありがたく参上。

●祇園祭礼信仰記 金閣寺
出し物はまずは「金閣寺」(梅玉、松緑、児太郎)、これはつまらない。
 話の筋がさっぱりわからないけど、それはちっとも構わない。歌舞伎も能もオペラも、話の筋は支離滅裂なものがほとんどで、目と耳に気持ちよければよいのだ。

 桜の花びらが積もるほど降り敷く舞台、そこでトンボをきる捕り手たちって、足が滑って大変だろうな、失敗するなよと、ヘンなことが気になって、舞台の演技の本筋を忘れる。それなりのトンボの切り方があるのだろうなあ。

 福助は重病で長期休業から復帰したばかりの出演とて、後遺症あるのか座ったままひとこと言うだけ、まあ、スター主義の歌舞伎だからファンはそれで感激なんだろうが、こちとらにはどうでもよい。

●鬼揃紅葉狩
 「鬼揃紅葉狩」(幸四郎、錦之助)は、能の「紅葉狩」を下敷きにした松羽目物で、わたしは能との違いを観察した。
 能のそぎ落とし演出、歌舞伎の付けたしだらけの演出、どちらもよろしい。能の「紅葉狩」は歌舞伎舞踊に翻案しやすい観世小次郎の作品である。

 歌舞伎舞台は横幅が広すぎて、鬼揃えが5人でも舞台が空きすぎる。10人くらい揃えればいいのに。5人でも髪振り回す連獅子になって、そこは歌舞伎らしく賑やかだった。
 どうせ能とは違うのだから、あの広い舞台全部に紅葉を配して、鬼女が10人も登場すればおおいに華やかになるのに、意外に能に忠実なのであった。

 前場と後場のあいだに、男山八幡の舞の後に間の抜けた空きがあったが、舞台は変わらないから、美女が鬼女に化粧直しする時間だったのだろうか。三階から見下ろす舞台に、ポカ~ンと黒い切穴がながいこと空いていた。

 能でのシテ鬼女は、ワキ武士に切られて、その直立姿勢のままばったり背後に仏倒しになる。歌舞伎もそうかと期待していたら、なんとみんなが揃って立ち並び、大見得をきったところで幕、はて、どっちが勝ったの?と、隣の席からの声。

●天衣紛上野初花 河内山
河内山」(吉右衛門、幸四郎)、これだけだと悪人河内山もあまり面白くないけど、吉衛門の硬軟両様の演技を見せる芝居。
 わたしは歌舞伎通では全然ないが、キリのあたりの河内山のセリフ、「とんだところに北村大膳」と「バ~カメエ~」は、どういうわけか聞き覚えがあり、あ、ここだったか。

 それにしても歌舞伎の舞台装置って、どうしてこうもチャチに作ってるのだろうか。文楽も同じだが、わざとチャチにしているとしか思えない。つまりこれが伝統なのかしら。
 外国人観光客が、日本のオペラだと聞いてやってきて、オペラ舞台とのあまりのギャップにビックリするだろうなあ。日本のものづくり能力を疑うだろうなあ。

「金閣寺」で、龍が瀧を昇るシーン、どう見ても龍に見えない、干物の魚を紐でぶら下げて上下させているのかと思った。 セリフで龍というから、しょうがないから龍の干物と見た。
 これも伝統なのかしら、もっと豪快な龍と瀧のプロジェクトマッピングをやればよいのになあ、。

 回り舞台による転換だって、もともと立体感のない造りの装置だから、プロジェクトマッピングにすれば、もっと豪華に見えて、もっと簡単に転換できるだろうに、そうしないのがデントーゲーノーなんだろうなあ。
 その点、能は舞台装置がないのだから、気楽である。能の舞台装置は、観る者の頭の中に描かれるのである。能舞台でプロジェクトマッピングは、やっぱり無いよなあ。

●芝居見物ってもっと気楽にやりたいよ
 客席は9割の入りで、女性が多いのは劇場どこでもそうだが、そのためか化粧の匂いが客席に満ちていて、それを嫌いなわたしは鼻つまんで芝居見るのも苦しくて、なんとも逃げようがない。良い対策はないものか、消臭薬(そんなものあるのか)を振りまくか、、。
 昼の部、11時から16時まで5時間、眼は面白かったが、鼻が面白くなかった。

 それにしても歌舞伎という芝居は、それが栄えた近世に於いては、こんなに狭っ苦しい席に座り込んで、静かに物も言わず、飲まず食わずで、じっと観るものじゃなかったろう。ストリップショーの様な猥雑なものだったはずだ。

 ところが今は、「芸術鑑賞」という教育の場のようになっているが、いつからそうなったのだろうか。
 そのくせ、役者への掛け声は許されているがオカシイ。うるさいのである。フン、なにが文句ある、歌舞伎知らずのシロートメッ、、そう言われるだろうなあ、いやだいやだ。

 歌舞伎に限らずオペラだって、今見ている舞台の面白さ、あるいはわからないことを訊くとか、あれこれと仲間と語り合いながら見たら、どんなにか楽しかろうと、いつも思う。
 芝居ばかりか、絵画等の展覧会でも同じように思う。作品を見つつ語り合ってると、監視人が忍者のように寄ってきてお静かにと諭される。いつだったか、挿し歯の調子がおかしくなって、口をもぐもぐさせていたら叱られた、チュインガム禁止です。

 その点、遊び仲間たちの絵や工芸の展覧会は、ガヤガヤと勝手に批評しながら見るので、はるかに楽しい。
 ゲージュツでもゲーノ―でもいいから、もっと気楽に見せてもらいものだ。
 芸術だ伝統だって気取ってないで、ゲージュツ・ゲーノー・カイガを庶民に開放せよ!!

参照:
●新歌舞伎座のタワーの頭に千鳥破風でも載せてちょっとはカブいてほしかった
 https://datey.blogspot.com/2013/10/839.html
●建て直し五代目歌舞伎座の姿に斬新さは全く無いのは歌舞伎はもう傾奇時代じゃないってことか
https://datey.blogspot.com/2013/04/750.html

2018/08/26

1159真夏に寒さに震えつつシネオペラ「アイーダ」見物ってシャレているような

 今日は暑い、しょうがないや、久しぶりに冷房するか。口では熱中症コロリ狙いと言っていても、暑いとすぐ冷房の意志薄弱。
 じつは昨日の真昼、寒さに震えていた。場所は県民ホールのなか、冷風が当らないように、半そでシャツから腕を引きぬいて中にいれ、前をしっかり締めても寒い。
 でも、もうすぐ終わるから我慢だと、がんばった。
 
 オペラ「アイーダ」のライブビュー上映を見ていたのだ。パルマ歌劇場での録画を、映画にしている。実はこの手の舞台映画を見たのは初めてだ。
 それは毎年見ている県民ホールプロデュースオペラの、今年の公演「アイーダ」を見たかったのだが、気がついたら、わたしの財布に見合う席が売り切れ、しょうがないのでこちらにしたのだ。
 でも、よかった、なかなかの『愛~だ』だったな。オペラを観たい貧乏人向きだ。でも、小ホール客席の入りは3分の2くらい、世にオペ見物貧乏人は少数らしい。

 実舞台のオペラを見ていると、いつも全体とその部分とを構造的に眺めているのだが、映画は全体と部分とが別々に切り替わりつつ登場するので、観はじめはなんだか違和感があった。映画作ったやつに観方を制限されている、おれの好きな様に見させてくれ。
 でも次第にそれに慣れてきて、本物舞台ではありえない出演者の大写しを楽しんだ。もっとも、ホールの遠くから見る本物の出演者はいつも美しいが、このような大写しになると、あれこれボディとかアラが気になって気が散る。

 イタリアから見ると、エジプトやエチオピアはどれほどの異国なんだろうか。日本ほどではないだろうが、見ているとやはり異国オリエンタリズム趣味にブラックアフリカ気分がないまぜになっているようだ。まあ、見世物だからそれでいいのかな。
 大写しになる出演者の肌を見ていると、実物のネグロイド系もいるようだが、多くのコーカソイド系も薄ネズミ色あるいは薄青い化粧をしているのは、異国趣味だろうか。
 その典型として大写しになるアムネリスが、ちょっと気の毒な感じだった。 

 とにかく、実物はどうか知らないが、古代エジプトらしい雰囲気の様式の装置と衣装を楽しむのも、ヨーロッパ的な異国情緒趣味だろう。
 オペラ「アイーダ」というと、有名な凱旋の場に象や馬が出てくると聞いているのだが、今回それを期待したが、動物は出なかった。野外でやる時に出るのだろうか。
 それにしても大勢が登場するものだ、300人もいそうな。まさにおおがかりな見世物である。

 お話は、戦争する二つの国の、敵と味方の関係にある男ひとりと女ふたり、つまり三角関係だが、これに権力がからむから面白いのだろう。
 敵味方関係の男女の恋物語は、ロメオとジュリエットにみるように、珍しいテーマではない。ロメオたちも最後は墓場で心中だが、このアイーダとラダメスも同じだなあ。ストーリーがよく似ているのは、ウェストサイドストーリーと同じで、シェークスピアはエライなあ。
 ストーリーや芝居の細部では、なんだかつじつまが合わないところもあるが、まあ、なにがなんでもと強引に愛を死に昇華させて、
愛~だっ!” 
(これを言いたかっただけ)

 本物オペラ見るのはこの数年はいつも天井桟敷、昨日のライブビューでは一番前かぶりつき席、料金は天井桟敷よりも安い。寒さを別にすれば、また観たいなと思った。
 でもホントのオペラ舞台なら中間に休憩があるのに、ライブビューでは2時間半休憩なし、寒さに震え、終りの方では尿意にも震えた

 ここで県民ホールの中ホールに苦言を呈しておく。
 まずは、上に述べた冷房問題である。わたしの周りの人たちも、ごそごそと羽織るものをとり出したりしていたから、わたしだけ寒かったのではない。 
 最後のカーテンコール場面は、実物がいないのに見ても意味がないので途中で立ち、寒さから脱出してロビーに出ることにしたのだが、ホールからロビーに降りる階段が真っ暗なのには大いに困った。足元灯を階段につけよ

 せっかく初めてのライブビューに思いがけなく感激しつつも、一方では難行苦行になったのであった。
 そして外に出ると真夏の焦熱、よろよろと山下公園の木陰に避難、先ほどの極寒のエジプトは夢だったにちがいない。

〇データ
アイーダ
スザンナ・ブランキーニ(S アイーダ)
ワルテル・フラッカーロ(T ラダメス)
マリアーナ・ペンチェヴァ(Ms アムネリス)、ほか
アントーニオ・フォリアーニ(指揮)パルマ王立歌劇場管弦楽団、合唱団
ジョゼフ・フランコーニ・リー(演出)
収録:2012年2月、パルマ王立歌劇場 (154分)

2018/04/15

1328【2018花見旅その1】関東の桜が散ったので甲州の桃源郷へ


 今春の花は、去年よりも10日くらい出足が早くて、慌てた。いや、慌てるほど重要なことでもないが、うっかりすると1年待つことになるから、どうも慌てたくなる。
 なにしろ来年があるかどうか怪しい歳になったのだから、できる能力あるうちにやっておくのだ、なんでもね。
 まずは3月25日、北鎌倉に宝庵開きに行き、ついでに明月院にも寄ったが、ちょっと早すぎた。谷戸の奥の春は遅い。 
宝庵春景色

 次は母校キャンパスで去年よりも1週間早い3月28日、これは満開だった。
母校キャンパスの静かなにぎわい

 その次が4月1日、隅田川の堤に行ったが、ほとんど散って葉桜だった、早すぎる。カメラにSDカードが入ってなかったドジ。
 そして4月3日、横浜三渓園に花吹雪を見ようと出かけたら、まさに散る花びらが美しく、でも枝垂れ桜はちょうど満開、なかなか良かった。
わたしが好きな三渓園ツインタワー風景、桜が池に吹雪に散る

 もう近場での桜の花見をあきらめて、4月10日に甲州の穴山に桃の花見に出かけた。ここらあたりは桃源郷である。見上げると視界は桃の花でピンクに染まり、足元は菜の花の黄色で染まる。更に梨の花が真っ白に咲き誇る。
塩山あたりの梨の花

 桃の花は花見のために咲かせるのではなくて、桃の実を栽培するために咲かせる。そのためには目いっぱい咲いた花を適当に間引きする。その摘花後は花の密度が下ってちょっと薄くなるが、それでも一面の桃源郷である。
桃の木を手入れ採取し易く横に広げ、摘花して粗い花密度にする

 毎年、昔仲間が集まって、花の下の菜の花の草原で、自前の天ぷらを揚げながら、山賊の花見宴会をするのだ。もう何年やっているだろうか。
 そうそう、初めのころは駅から1キロ余り歩き、更に高さ50mくらいの新府城址に登って、ピンクに広がる桃源郷を見下ろし、雪の八ヶ岳を遠く望みながら、天ぷら宴会をやっていたものだ。
元気に新府城跡に登っていた頃の宴会場からの桃源郷風景

 そのうちに城跡まで登るのが辛くなってきて、その麓の畑の中でやるようになった。
 それがいまでは、駅近くの畑の中でやっている有様だから、歳は争えないとはこのことである。
花見宴会場全景  菜の花の中に座り込む


実は毎年の穴山花見のホスト役をやってくれる森博士は、視覚障碍者道案内ロボット研究者だから、花見はその一年間の研究成果の発表会になっている。花見で遊ぶだけではないのだ。
 ロボット開発の始めはコンピューターつき自走式電動車椅子だったのが、研究が進むにつれてコンピュータつきは変わらないが、手押し式車椅子になり、手押し式3輪車になり、今は手押しババ車になり、次第に軽装簡易化する進化過程を経てきている。
森博士による路上走行実験と資料検討する花見男たち
毎年の花見をいつも同じところでやっていると、花は毎年同じでも、こちらは確実に変化していることを自覚する。動きが鈍いのだ。
 昔の人が言ってたなあ、「年々歳々花相似 歳々年々人不同」ってね。この漢詩の意味は、花見とは自分の老い具合を見に行くことだ、と覚った。
 実はこの後につづいて信州の花見に行くのだが、そこでもこれを感じたものだ。
つづく

2018/03/14

1323丹下健三勘違い設計の横須賀芸術劇場で観た宮本亜門演出「魔笛」は能と狂言の連続出し物と覚る

 ひさしぶりに横須賀訪問、京急汐入駅前にある横須賀芸術劇場で、オペラ「魔笛」を観てきた。宮本亜門演出である。
 去年も「魔笛」を県民ホールで観たが、それは勅使河原宏演出ミュージカル魔笛であった。宮本は演劇的に、勅使河原は舞踊的にと、それぞれ特徴があって面白い。


 今回の宮本演出の特徴は、舞台の上に立方体を斜めにおいて、客席から見える方の2面と天井を取り去った形をしていることだ。
 要するに、能舞台の目付柱の方から、つまり中正面を正面に持ってきたのである。能では目付柱が邪魔なので、中正面席が安いのだが、ここではそこが一等席である。
わたしの席はそれを右寄りから見たから、能で言えば正面席にあたっていて、よい席であった。ただし、5階(建築としては8階)から見下ろすので、正面上空席と言おうか。
 困るのは3階から上には、自力で登るしかないことだ。客席内にも階段があるから、登ってきたのにまた下りて、出るときは登ってまた下りると、年寄りには大変だ。
 いや、足腰の運動のためにオペラ劇場に行くと思えばよろしい。

 そんな天井桟敷から見下ろす舞台は、当然小さすぎるのだが、魔笛は細かい演技があるのではないし、モーツアルトのあの名曲群を聴くには、音響的にはまことに結構なホールので、一向にかまわない。
 そしてまた、その能舞台の2壁面と床面に、プロジェクション・マッピング(PM)で大柄な映像を投射するのだから、十分に見ることができた。

 役者が2面の壁に設けたいくつかの穴やドアから舞台に出入りするのは、能舞台の切戸口や橋掛かりから出入りするのと同じようなものである。
 これだったら、ほぼそのままに能楽堂で魔笛公演をできるだろう。地謡席のバックに幕を張って、そこと松羽目にPMをやればよい。

 演劇の宮本らしいというか、序曲からいきなり舞台は始まるのだが、それは現代の平凡な勤め人の家庭の居間風景である。三代家族6人がごちゃごちゃと諍いらしい様子が、突然に暗転してオペラ魔笛が始まる。
 その現代のままにオペラに突っ込むのかと心配していたら、ちゃんと(?)わけのわからない支離滅裂オペラになって、おなじみ大蛇(映像)が登場して、安心した。
 一番ヘンだなあと楽しんだのは、3人の侍女の衣装鬘であった、ヘンナノ~。

 最後にまたその現代家庭になってフィナーレになのだが、この始めと終わりの風景にどんな意味があるのだろうか。平凡な日常世界から、あの支離滅裂お伽話オペラ世界に、観客を引きずり込むための策なのだろうか。
 でもなあ、この劇場にやってくるときから非日常世界を期待しているし、このホール空間デザインはかなりレベルの高い非日常空間だから、開幕前に心はかなり非日常化しているのである。
 だから、開園と同時にこれを見せられると、もういいよお~、と、気分がしらけるのだった。フィナーレだって、せっかくの非日常感を劇場を去るまで持っていたいのに、直ぐに覚めさせられてしまった。あ、そうか、それが宮本の狙いか。

 オペラ魔笛は、モーツアルトの曲は素晴らしいが、シカネーダーの台本は支離滅裂、これをひとつのストーリーだと思わずに、モーツアルトの曲が変るごとに楽しむしかない。
 そうだ、これって能と狂言を交互に連続して見ていると思えばよいのだ。パミーノやザラストロのときは能であり、パパゲーノやモノスタトスのときは狂言である。

 支離滅裂だから、演出もさまざまにできるという、他のオペラにはない利点があるのだろう。YouTubeに多くの魔笛が登場するが、どれもこれも舞台デザインにそれぞれに工夫を凝らしているのが面白い。出だしの大蛇からして、珍妙ぞろいである。
 それにしても、なんと美しい曲ばかりのオペラであることよ。


 外に出ると、この建築が丹下健三設計であることを思い出した。たしかにホールのインテリアデザインは素晴らしいし、外観も石膏模型の様に白く冷たく端正である。
 だが、この街に対して全く閉鎖的であることは、どうだろう。
 わたしはこの街とこの建築の基本構想と基本計画を策定した。それまで何年もかかわってきた街だから、周辺の条件を見極めて、将来の街づくりに対応する配置を提案しておいたのだった。
 だが、丹下にスッカリ勘違いされて、独善的な配置に変更されてできあがった。

 完成時に「日経アーキテクチャ」に紹介されたのをみて、それって間違ってるよと、異議申し立て投稿をしたら載せてくれ、丹下側の反論も載って、面白いことがあった。
 今、この建築と周りの街の様子を見ると、わたしが異議を唱えて危惧したことが起きている。それはまた別に書こう。

2018/03/07

1322・オペラオケ合わせ見物の至福:幸田浩子、安田麻佑子、鈴木准、萩原潤など名歌手が名曲をすぐ横で繰り返し演奏してくれるなんて

オペラ魔笛の「オケ合わせ」なんてモノを見てきた。面白かったなあ。オペラファンてこともないけど、オペラをこれまであちこちで観たけど(ウィーンで「ドンジョバンニ」観たのがちょっと自慢)、makingってはじめて観た。ほ~お、こんなに丁寧につくるのかあ、やってる方もみんな楽しそうだなあ。

 指揮者、歌手、コンマス間のヤリトリが何度もあって、話は聞こえても内容は隠語みたいで門外漢には分らないが、なんだか面白い。
 なんせ平土間ホール全部が舞台兼オケピットで、わたしたち見学席も合唱の隣りで、指揮の川瀬健太郎がこちらを向いて振っているから、表情と身振りがなにを指揮しようとしているのか、門外漢にもなんとなくわかる。いつもピットの中の背中しか見えないけど、こうやって指示してるのかあ、。

 観てるすぐ横で、幸田浩子、安田麻佑子、鈴木准、萩原潤などの名歌手がいれかわりたちかわりして、オケとともに名曲を繰り返し演奏してくれるなんて、いいなあ。
 12時に始まって、見学者は2時間で追い出されたが、このあと4時頃に学校を終えた小学生が加わるそうだから、何時までやるんだろうか、けっこう長丁場だな。

 能にも「申し合わせ」って、オケ合わせみたいなのがあるけど、長い長い歴史的積み上げがあるし、公演が一回のみのいきなり本番勝負主義だから、観たことはないけどこんなに細かくやらない。
 でも考えてみると、能ほどじゃないけど魔笛だって長い長い歴史的積み上げがあるはずなのに、やっぱり能とオペラは演出の根本的な主義が違うんだろうなあ。

 実はこれって、11日の横須賀芸術劇場(昔々これの計画やった)公演の、天井桟敷みた
よこすか芸術劇場 舞台から客席を見る
いな最安値席を買ったのだが、チケット持ってる人にオケ合わせをタダで見せてくれるとのことで、ヒマだから出かけたのだ。ヒマだけど体調がよくないので、案じつつ行ったのだが、ご機嫌になって治っちまった。

 こんな平日の昼間に、こんなもの観に行くのは、若い声楽志望女性ばかりなんだろうな、ヒマ老爺が徘徊ついでに入ったら妙な目で見られるかもと、ちょっと案じてたけど、見学者14名の内、爺さんが6名もいて安心した。
 だが、会場をどう見まわしても、わたしが最高齢者のように見えた。最近はいつもこんなんだよ、いやンなるよ。

 次に何かオペラ公演をやるなら、またオケ合せを見せてくださいと、アンケート用紙に書いておいたから、こんどは本番よりもこれを目当てにチケットを買おうっと。県民ホールさん、よろしく。 

2017/03/18

1256【オペラ見物】モーツアルト「魔笛」を勅使河原三郎演出で観てきたがバレエ・ミュージカルだったなあ

 う~ん、川瀬賢太郎指揮のオーケストラの出来はわからないけど、勅使河原三郎の演出・装置・照明・衣装は、よいともわるいとも、なんとも言い難いなあ。
 今日、神奈川県民ホールでモーツアルトのオペラ「魔笛」を観てきた。忘れぬうちに感想を書いておこう。


勅使河原の演出については、全体にバレー・ミュージカル(というジャンルがあるのかどうか知らないが)だった。つまり舞踏と歌唱がメインで、歌手に演技というか芝居を求めないオペラだったのである。
 だから、歌手に台詞を一言もしゃべらせないで、ダンサーによる日本語ナレーション(佐東利穂子)で繋ぐのであった。
 佐東の語りの発声とダンスはよかったのだが、語り内容そのものがなんともつまらなかった。なんだか高校生に初めてオペラを見せて解説しているいるみたいな内容だった。この支離滅裂オペラには、支離滅裂ナレーションの方がよろしい。
 歌手にセリフを吐かせないから、シチュエーションごとの演技もほとんどなくて、歌うばかりなのであった。見るこちらも不満だったが、オペラ歌手のほうも不満だろう。

 分りやすくしようとてこうしたのなら、これってちょっと違うよなあ。トントンと歌とセリフが勢いよく進むのがモーツアルトオペラだろうに、このナレーションでたびたび一時停止するのが、いらいらする。
 もともとこの魔笛ってオペラは、はっきり言って支離滅裂、コミックもシリアスも、恋愛も憎悪も、宗教もニヒルも、もうなんでもありのパッチワークめちゃめちゃバラエティ番組だから、スジなんかどうでもいいのである。これは見世物つき音楽なのである。
 わたしもそのあたりをどう演出するか見たいとは思わなくて、とにかく魔笛の素晴らしい音楽を聴きたくて行ったのである。
 今回はそれにバレエダンスがついていたので、そこの見世物演出はなかなかよかった。もっともわたしはバレエダンスの上手いも下手も全然わからないので、単に視覚的な興味だけで言っている。

 勅使河原の舞台装置は、巨大な金属質のリングが、舞台の上に吊り下げられて登場する。直径が5m位のが9個、20m位のが1個、状況に応じて出たり入ったり、並んだり重なったり、垂直だったり傾いたり水平だったり、いろいろに変化して登場する。
 舞台に不思議な奥行きを与えて面白く観たが、はじめから終いまでこれだから、そのうちに飽きてきた。
 そのほかは照明によって舞台上に格子や道の形を映し出すだけで、魔笛によくあるおどろおどろしい装置は何もなかった。紗幕への映像投影もなかった。

 おどろおどろしいと言えば、最初に登場してオドロオドロ芝居だぞって見せる大蛇は、灰色のバレエダンサーたちが列になって舞う演出なので、全くオドロしくない出だしであった。まあ、いいでしょう。
 衣装でオドロオドロシかったのは、モノスタトスと神官で、珍妙な着ぐるみで苦笑してしまった。これと3童子が、モーツアルト好みのオドロだった。これらの着ぐるみはどういう意味なんだろうかと、首をかしげつつ苦笑した。
 特にモノスタトスのあの珍妙さは、魔笛芝居のユルキャラ狙いかよ~。
 だのに、タミーノとパミーナは、まったく普通の街着のような衣装、もうちょっとなんとかしたらどうだ~。

 パパゲーノの衣装が、定番のあのモジャモジャバサバサ鳥の羽じゃなくて、なにやらえらく格好のよい真っ白な毛皮のようだった。
 パパゲーナの衣装もそれに対応していたが、それよりも彼女の歌の出番が、パ、パ、パ、パの歌のたったの1回だけ、セリフがないから例の老婆から美女に変身する面白い場面がなくて、つまらん。
 狂言回し役のパパゲーナとモノスタトスからはセリフを奪わないで、しっかり芝居させてほしかった。
 まあ、ゴチャゴチャイチャモン付けているが、全体的には音楽は素晴らしくて、オペラを楽しんだひと時だった。
◆◆◆
神奈川県民ホール3階席から舞台を見る
 今回、はじめて県民ホールの天井桟敷とも言うべき3階の最上部どんつまりの席だったが、音も視野もけっこうよかった。
 舞台装置のリングの変化と人物の動きとが重なって見えるのは、なかなか楽しかった。これからも3000円の最安席に限るなあ。
この前にここに来たのはいつだったかなあ、あそうだ、2年前の「オテロ」だった。

 これまでに劇場で見たモーツアルトの歌劇は「ドンジョバンニ」だけである。魔笛について知ったかぶりして書いているが、実は劇場じゃなくて、TVとyoutubeによるものである。なにしろ西洋オペラは、見物料金が高くて貧乏人にはとても無理だ。
 わたしのオペラ見物は、もっぱら日本伝統オペラ、つまり能楽ばかりで、こちらはこれまで100回以上見ている。もっとも、近ごろは能楽も高価だなあ、いや、こっちが貧乏になって相対的に高価になったか。
  
 これまで観た西洋オペラを思い出してみる。
 ドンジョバンニ(ウィーン・フォルクス・オパー、これは2階の真ん中あたりで3000円ほどだった)、ローエングリン(新国立劇場)、マダムバタフライ(横須賀芸術劇場)、オテロ(神奈川県民ホール)、オルフェーオ(神奈川県立音楽堂、東京北とぴあ)、カーリューリバー(神奈川芸術劇場)、こうもり(2回見てるけど、どこでだったかなあ)、椿姫(神奈川県民ホール)、他にあったかなあ、、少ないなあ。
ウィーン・フォルクス・オパー ドンジョバンニ公演の夜景 1994年 
ついでにミュージカルとバレエも思い出してみるか。
 キャッツ(新橋?キャッツシアター、ニューヨークのどこか忘れた劇場)、ヘア(ニューヨークオフブロードウェイ)、レミゼラブル(帝劇)、42nd Street(帝劇)、、、白鳥の湖(よこすか)、くるみ割り人形(よこすか)、、、、他にあったかなあ、、。
 でもまあ、現代ではありがたいことに、youtubeにほとんどのオペラでもミュージカルでも登場するので、貧乏人には嬉しい時代に人生が間に合ったものである。

2017/02/14

1253映画「MERU」を観たがヒマラヤ超難関絶壁登攀をテーマにしつつ、なかかよくできた人生ドキュメンタリー映画だった

 映画「MERU]を観た。インド北部のヒマラヤ山脈にあるMERU(メルー)中央峰にそびえる“シャークスフィン”となづける岸壁を直登するドキュメンタリー映画である。
 街を徘徊していたら映画館の前にでて、ものすごい岩壁にクライマーがいる写真ポスターを発見、ちょうど上映開始時刻、昔山岳部員だった記憶に背中を押されて、フラフラと入った。映画館なんて3年ぶりか。

 映画「MERU]は、なかなか良いできだった。
 製作・監督ジミー・チンが、クライマー、スキーヤー、写真家そして映像作家であり、メルー登攀チームのメンバーだから、長い歳月をかけて多くの撮影をしてきたらしく、入念に編集してある。
 3人の登攀者の葛藤を、単に山岳登攀劇としてではなく、人生の目的追及とその転機を見事に撚り合わせるドキュメンタリー映画だった。

 何も予備知識ないままに観はじめた。
 初めのうちは、登攀者たちやその関係者たちが、幕間の解説みたいに何度も登場してきて、うるさいなあ、はやく登攀の現場を見せろと思ったものだ。
 そのうちに、この映画は登攀を見せるには、そこに至るまでの登攀者やその関係者の人生と、登攀に関連して起きたいくつかの事件を見せるのだと気が付いた。

 普通の山岳映画のように、登攀の技術的苦労を見せようとする映画ではないらしい。
 コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズタークという、3人のクライマーたちの過去の人生と山での事件を克明に描く。
 巨大雪崩に巻き込まれて友を失いつつも生き残って長く悩みぬくジミー、親友だった山仲間を遭難で失ってその家族を支えるコンラッド、頭がい骨が露出する瀕死の重傷から驚異的なリハビリで復帰するレナン、それぞれの映像が劇的である。

 もちろんMERU登攀場面はすごいのだが、劇映画のような俗っぽい悲劇やら失敗が起るのではないから、山岳登攀の手法を知っているとそのテクニックなどが実に面白いが、そうでないと映像は美しいと思っても登攀の苦労はそれほどでもないと思うかもしれない。
 それにしても現代の登攀用具は、岩場に吊りさげるテントといい、各種道具類と言いすごいものである。ただ、生身の人間だけは変わりようがない。

 登攀者本人が持つカメラ撮影だから、当然のことに劇映画のように、トップをいくクライマーが登ってくるところを待ち構えて撮った映像は無い。あるいは岸壁に取り付くクライマーをヘリコプターで撮ることもない。
 しかし、プロの映像作家が登攀者本人であり、そのプロによる撮影だから、ドキュメンタリーとして劇映画にはない現実的迫力がある。変りゆくMERUの姿の長時間露出映像が美しい。

これは山岳映画というテーマで3人のクライマーの人生を浮き彫りにしたドクメンタリーである。彼らの人生とクライマーとしての数々の事件が面白く、時間をかけて多くの場所で撮影し、巧みに編集して、できのよい映画となった。
 
 それにしても映画館はなんてさびしいのだろ。まあ、平日の昼間だからなあ、年寄りの男ばかり、、でも若い女性がちらほらいたのは、山好きなんだろうか。

●参照
http://meru-movie.jp/
http://eiga.com/official/meru/

2016/11/28

1235【能「六浦」】名芸能者野村四郎が舞う称名寺の楓の精がつくりだす能の音と姿の構図のあまりの美しい舞台に陶然として魅せられた

横浜能楽堂

●夢か現か無限の夢幻能

 ほんの短い前場がおわり、つづくアイ語りが前場のシテと同じことを繰り返すので、飽きてきて眠くなってしまった。
後場のシテの出からワキとの問答あたりまでは、半分眠ってぼんやり舞台をながめていた。

シテ「更け行く月の 夜遊をなし  
地謡「色なき袖をや 返さまし
 
 ここから序の舞の笛がゆるやかに流れてくる。シテがゆったりと舞いだす。
 普通ならここですっかり気分よくなって寝てしまうのに、ややっ、緑の楓の精が舞台を浮かんで空中を舞っているような、、、ああ、緑に金を刷いたゆるやかに長絹がなびく、、、銀色の扇がきらめく、、、おお、なんと美しいことか、。
 夢に落ち込むのではなくて、美しさに揺り動かされていっぺんに目が覚めた。
 特別な舞ではないのに、この自然の美しさを愛でる序の舞に、今日は惹きいれられ魅せられ、なんだか陶然となってしまった。
公演パンフよりコピー

 能「六浦」を観るのは2回目だ。舞うのは野村四郎、今月で80歳を迎えた。つい先ごろ、遅きに過ぎる人間国宝認定となった。
 若い女の姿を借りて楓の木の精が登場、その装束は緑に金が散る長絹の鮮烈さ。
 その装束そのものが美しく、それをつける能役者の舞姿がさらに美しく、どの場面を切り取っても絵になる。
 囃子と舞姿と地謡が混然とあいまって、舞台に音響と形態との見事な構図を、次から次へと絶え間なく繰り出し続けている。

 秋の楓の木の精であるながら、紅葉の色の装束ではなくて、緑色であるところにこの能の面白さがある。この楓の精の木だけが紅葉しないことが、この能のテーマであるからだ。
 今日のシテ装束は、萌黄と萌葱の中間あたりの緑色の長絹に、刷毛で横にササッと刷いたように金色が流れている。

 その緑の衣のなかから舞い扇が開き出て、その持つ手がわずかに震えて、扇面の銀色が折り目ごとにキラキラと跳ねる。
 それは月光を反射しているのか、それとも今を盛りに燃えるもみじ葉が、ハラハラと散る様を映しているのか。
 四郎の舞扇は細かく震える癖があり、時には気になるのだが、今日はそれが美しいきらめきに見えるのだった。

シテ「秋の夜の 千夜を一夜に 重ねても 
地謡「言葉残りて 鳥や鳴かましき
シテ「八声の鳥も 数々に
地謡「八声の鳥も 数々に 鐘も聞ゆる 
シテ「明方の空の  
地謡「所は六浦の浦風山風 吹きしをり吹きしをり 散るもみぢ葉の 月に照り添ひてからくれなゐの庭の面 明けなば恥かし 暇申して 帰る山路に行くかと思へば木の間の月の 行くかと思へば木の間の月の かげろふ姿となりにけり

 舞い終わってようやく橋掛かりを去りゆく楓の精を見送り、それまで詰めていた息をホッとついたのだった。いつまでもいつまでも舞っていてほしかった。夢幻能ならぬ無限能か。
 いま思えば、、わたしはずっと夢の中にいたのかもしれない。美しい夢だった。そのまま醒めねばよかったのに、、。

●前後の面と装束の変化

 この能では、面を公募によって選び、その新作の面をつける企画であった。野村四郎が選んだのは、前場は「深井」、後場は「若女」であった。
 普通は前後とも同じ面をつけるらしいが、後を若女とした野村四郎の解説にはこうある。
 「紅葉しなくなった楓の精の心の変化を表現するには、表情が表側に現れた面ではなく、内に秘めたような隠れた表情を持っている面が相応しい
 もっとも、見所のわたしの席からはその二つの面の違いを明確に判別するほど近くもなく、視力も及ばなかったのだが。
 

 そしてまた、わたしが魅せられた楓の精の明るい緑の装束だが、どうやらこれは日本の古典的な色名では萌黄に近いのだろう、そして前場の装束は萌よりも濃い萌とわかった。これは姉弟子に教えてもらった。
 四郎はそうやって面と装束の色をシンクロさせているのであったか。
 舞台写真の代わりに色見本を載せるが、実際はこの萌葱よりも若干濃い色だったような気がする。
 なお、この能は、前場と間狂言を省略して、半能にするほうがよいような気がする。

●能「六浦」(観世流) (2016年11月26日 横浜能楽堂)
 

シテ(里の女・楓の精)野村 四郎
ワキ(旅僧)殿田 謙吉
ワキツレ(従僧)大日方 寛
ワキツレ(従僧)梅村 昌功
アイ(里人)野村太一郎
笛 :杉  市和
小鼓:曽和 正博
大鼓:國川 純
太鼓:小寺 佐七
後見:武田 尚浩   野村 昌司
地謡:浅見 真州   浅井 文義
   藤波 重彦   下平 克宏
   坂井 音雅   青木 健一
   武田 祥照   田口 亮二
                     
●現代の六浦の楓に逢いに行く

 能の本筋の話はこれでおしまいだが、若干の余談がある。
 その夜に美しい序の舞を頭の中で反芻していたら、そうだ、称名寺に行ってこようとおもいついた。能「六浦」の楓の木があったとされる寺院である。
 まえから行ってみたいと思っていたのだが、能とからめて考えたことはなかった。今は紅葉の盛りであるし、思い立ったらすぐに実行するべき年頃(後まわしにする時間がない)だし、次の日に行ってきた。
 中世の浄土景観だろうか、伽藍配置はのびのびとして、広い池に赤い橋が架かり、紅葉の秋景色がなかなか良かった。

 能蹟としての興味はなかったが、金堂の前にこれがそうだと掲示板がある楓の木を発見した。でも、能とは異なって紅葉をしていた。
 能「六浦」にあるこの楓が、やってきた冷泉為相に「早く紅葉しすぎているよ」と歌に詠まれて、それ以後は秋が来ても青葉のままでいることにしたのは、西暦で1300年前後の頃のようだ。
 今やそれから700年余、この楓の木も何十代目かだろうから、紅葉しないで常緑のままでいる、つまり紅葉という栄を後進に譲るという(なんだか妙な)自主規制を、いつのころからか解いたのであろうか、それとも気が緩んだか。

称名寺金堂前にあるこの楓の木が能「六浦」にある
能にあるように紅葉しない楓であると
掲示があるが、実際は紅葉している


2015/01/01

1044本づくり趣味が嵩じてきて自分の本ばかりか他人の本まで作った

 わたしの「本づくり趣味」が、だんだんと嵩じてきた感がある。このデジタル時代に、わざわざ紙の本をつくるのは、それなりに面白い。ブックデザインの面白さに、はまっている。
 原稿は、この「伊達の眼鏡」ブログや「まちもり通信」サイトに載せてきた、わたしのゴタク類である。それをテーマ別に編集して、本にする。ただ今、それが21巻になった。
 
 原稿・編集・装幀・印刷・製本そして配布まで、本づくりの一連の作業を、自分一人でやるのだ。
 道具は、PC,プリンター、カッター、ステップラー針、千枚通し、紙ばさみなどである。
 材料は、A4版裏表印刷用紙、A4版見返し用色紙、B4版表紙用紙、プリンターインクである。
 特別なものはなにもない。そのへんの文房具店や百円均一店で調達できるものばかり。
 製作のノウハウもない。PCでMSワードを使って原稿をつくり、プリンターで冊子印刷、まんなか2か所を綴じて、二つに折る。だれにでもできる手作業である。
 
 自著の本は「まちもり叢書」シリーズとして、これまで21巻を製作してきたが、昨年は「地震津波核毒日録2014 核毒の荒野へ」の1巻をつくったのみだった。
 ところが、その本づくり趣味が高じて、自分の著述だけではなくて、他人様の原稿にまで手を出して、本にするようになってきた。

 昨年は、急逝した知人都市計画家のブログ記事をまとめた追悼集「神戸見・聞・考」(20冊)」、幼馴染2人による短歌と写真を編集した歌集「ぽかりぽかり」(100冊)、大学同窓生の趣味記録「風三郎 日舞を習う」(110冊)、鎌倉の仲間によるまちづくり論考集「鎌倉の新しいグランドデザインを描く」(上巻と下巻各7冊)の、4種の本をつくった。
 いずれも半分押し付け、半分自主製作である。なかには喜ばれたものもあるようなので、嬉しい。

 本は商業出版でもなかなか売れない時代なのに、最近は、自分史などを自費出版するのが、流行らしい。どうせ売れない自分史など、自費出版で100部も作って、知り合いに配れば、それで目的は達するというものだろう。
 出版社を使って自費出版すると、100万円を超える結構な費用を要求される。それでも、世の中に年寄りが増えてきたから、売れもしない自分史を出したい人が増えて、自費出版となる傾向が進むのだろう。格安自費出版屋もあるようだ。
 
 まあ、出版社から出すと、いろいろと経費が掛かるのは分かるが、それにしても高いものである。
 でも、わたしの様に自家製自費出版(出版と言ってよいのかしら)をやってみると分るが、その費用は、出版社による自費出版と比べると、極端に安くできあがるものである。
 印刷部数は1冊からでもできるし、増刷も同じく1冊でもできる。出版社に頼むとそうはいかない。
 
 本の体裁が、雑誌のようなソフトカバーの二つ折り製本で、A5版に限るのが、ちょっと安っぽくて難点だが、ハンディだから寝ころんで読むとか、持ち歩きもできるのが利点である。
 実は、ハードカバーの本づくりも、わたしはできるのだ。作ってみると、自分ながらなかなかに立派な本をつくったなと思うものができる。
 しかし、糸カガリして固い表紙を付ける作業が面倒なので、保存しておきたいもの1冊だけしか作る気にならない。
 
 ということで、絵をかくとか、歌を歌うとか、ゴルフをやるとかの趣味の代わりに、本づくりという趣味をやっているのである。作った本を売ろうという気はさらさらない。他人に押し付けるばかりだ。もっとも買おうという奇特な人が居るわけもない。
 もともと本好きであるが、本を買うのをやめて、本をつくる方に替わったということである。

 本を買うのをやめたのは、2年ほど前のこと、もうこれ以上買っても、積ン読本が増えるばかりと気が付いて、それからは所蔵する積ン読本を片端から読んでは捨てていって、読破したら生涯を終えることに決めたからだ。だが、生涯を終える方が、読破よりも先になりそうだ。
 どうしても読みたい新刊本や所蔵していない本は、図書館に行けばよいのである。実際、県立も市立も中央図書館が歩いていくところにあるから、不自由はしない。

 さて、今年は、もう友人の病体験記の本づくりが始まっている。

参照「まちもり叢書 自家製ブックレットシリーズ
http://datey.blogspot.jp/p/dateyggmail.html

2013/11/21

860国立能楽堂で能「盛久」(シテ野村四郎)の英語字幕を見てお経の意味がわかった

久しぶりの国立能楽堂、今日は野村四郎と宝生閑という、今の能楽界では大ベテランによる能「盛久」である。

1年ほど前に来た時はなかったような気がするが、各椅子の背に字幕が出てくる装置がついている。出てくるのは日本語と英語。日本語は謡の古語のままだから、耳で聞いて分からないところは読んだとて分らない。

英語は読めばわかるが、日本語のニュアンスは伝わらないのは仕方ない。だから耳では日本語、目では英語と言うのは、古語の解説つきで能を見ていることになり、これをやってみた。

文楽や沖縄の能である組踊、外国語の演劇やオペラなどでは、舞台の横に字幕が出てくる。この場合は、舞台の動きと字幕を同時に見ることができる。
しかし、国立能楽堂の前の席の背にある字幕と、舞台と同時に見ることは不可能だから、ちょっと都合が悪い。字幕を読んでいては舞台の動きを見逃してしまう。
なにしろ能はちょっとした足の動きで数百キロを動いてしまうし、ちょっとした首の動きで感情を表現する。だから、動きない場面でのみ字幕を読んだが、実はそれが役に立った。お経の意味が分かったのだ。

「盛久」ははじめて見る能なので、事前に岩波の謡曲集の中の逐語解説を読んできたので、筋書きや謡は分かっている。
だが、謡にお経の文句が入っていると、世にお経のようなものと言うごとく、どうせ分らないのだからとて、そこは読む気がしないのだ。
舞台で盛久が経を読むところは動きがないので、字幕の英語を読んでいたら、お経の意味が書いてあった。ああ、お経にも意味があるんだと知り、その経文(実は「偈文}というらしいが)の意味が、実はこの能の重要な役割なんだと知ったのである。

歌舞伎にはイアフォンガイドなる器械の貸し出しがあり、無線放送で耳に解説を送る。能楽でもこれをやろうとしないのはなぜだろうか。
能の舞台がわかりにくいのは、歌舞伎のように舞台装置やら舞台転換やらが、まったく無いことと、上演言語が古語のままであることだ。
その上、削ぎに削いだ筋書きと演技だから、観客の頭の中で演劇として組み立てることを要求する。そこに能の真髄とされる面白さがある(らしい)。
それを解説するイアホンガイドがあってよいだろうと思うが、ないところを見ると、日本オペラなんだから、耳でしっかり舞台の音を聞け、ということだろう、たぶん。

それもわかるが、わたしの隣にドイツ語を話す西洋人の風貌の3人の男たちが座って「盛久」を見ていたが、わたしでさえも眠くなったのに、字幕も見ず眠りもせずにいたのが不思議だった。
終ってから、そっと小さい声で笑い合っていたのは、なんだかさっぱり分らなかったなあ、と言っている感じだった。イアホンガイドがあれば良かったろうに。

さて「盛久」である。
作者は『歌占』『隅田川』『弱法師』などの名作者の観世十郎元雅、父の世阿弥が「子ながらも類なき達人」と期待したほどだが、惜しくも若くして死んだ。
でも、わたしには他の作品と比べてまったく面白くなかった。はじめからしまいまで清水寺の宣伝演劇である。弱法師が天王寺を舞台にしても、別に天王寺の宣伝にはなっていないのに、これは何かスポンサーとかの事情があったのだろうか。

開演と同時に、揚幕を出てきた囚人護送されている途中の盛久が、護送する側の責任者らしい土屋某に話しかけるのだ。
まだ橋掛かりの上を舞台に向かって登場の途中である。こういう演出ははじめて見た。面白い。
たいていの能は、ワキとかシテが自分はなんのなにがしであると、名乗ることから始まる。能に慣れれればそれが当たり前だけど、舞台の初めに自己紹介するなんてのは、演劇台本としては出来が悪い。

この能は、場面が何度も替わるのだが、もちろん能では観たところは全く変わらないから、観る方の頭の中でそのたびに舞台装置を造るしかない。これがつくれないと能を見る面白さが分らない。
舞台場面は、まずは京の街の中、つづいて桜の咲く清水寺、そして京から鎌倉への東海道下りの道中、鎌倉での屋敷内、由比ヶ浜、最後は頼朝館と変わっていくのだが、謡や動作をもとにした頭の中でやっている舞台転換を、視覚的に補完してくれるのが、囚人護送の輿(こし)の駕籠である。

盛久は、源氏に敗れて逮捕された平家方の武将であり、罪人として処刑されるべく鎌倉に護送用の駕籠に閉じ込められて東海道を東へと送られるのである。
その移動中は駕籠の中にいるので、舞台ではワキの駕籠かき二人が盛久の頭上に、駕籠にみたてた屋根のようなものを掲げる。
この駕籠かきと屋根とが登場したり引っ込んだりすることで、場面転換がわかる仕掛けである。東くだりの道行き場面では、駕籠かき役2人は屋根を掲げる片手を長時間あげっぱなしで、さぞ疲れて大変だろうと、見ていて気になった。

盛久は、清水寺の観音信仰に凝っていて、鎌倉について次の日に斬首されると言われて、その経文を読んで、観音の慈悲にすがるのである。
じつはここで上に述べた字幕を読んでいて、その経文がなんともすごい意味なのである。お経だから聞いてもさぱりわからないが、英語で意味を知って驚いた。ちょっとアレンジして日本語訳するとこうである。

「あのね観音様よ、わたしはあなたをこれほどにも信じているのだから、生きているうちにご利益をくださいよ。死んでからご利益あるなんてのでは、あんたは人を救う能力がないよ。むかしある人が王様の怒りにふれて、刀で処刑されようとしたときに、観音さまの力を信じて祈ったら、刀がいくつかに折ればらばらに壊れたそうだよ、どうだね」

ちょっとどうも、観音さまを脅迫している。そしてその晩に、誰かが替わってくれて命が助かるなんて、都合の良い夢さえ見るのである。
さてその次の日、処刑場の由比ヶ浜で、観音を脅迫して祈った通りのことが起きる。不思議に思った頼朝は盛久の処刑をやめさせるというのが、この能の話である。
清水寺の観音様のご利益はすごいもんだと宣伝しているのではあるが、へそ曲がりのわたしは、なんだかどうも素直にはそう読めないのである。

史実の盛久がどうやって死んだか知らないが、これは現在能ではなくて、様式の異なる夢幻能であろうと思うのだ。
世阿弥が発明した夢幻能形式は、後場で過去の出来事をワキが夢で見るのだが、この「盛久」では、シテ盛久が霊夢を見たと言った後は全部、彼が見た夢であろうと、わたしは思う。
これならば、古拙な信仰劇よりも現代的な演劇としての見方ができる。

後場での、盛久が頼朝の面前に出る重要な場面なのに、頼朝が舞台に登場しないのも、盛久は頼朝を見たことがないのだから夢にも登場させようがなかった、ということでは、どうだろうか。
そして延命して喜びの男舞から妙にあっけなく終幕となるのは、夢から覚めたのであると解釈するのだ。現実の盛久は無惨に斬首されるのだ。
こうやって勝手に頭の中で作り上げて観ることができるのが、能の面白さである。

謡いも語りも多い長い長い能で、上演1時間半もかかった。後半は調子が上がったが、前半はかなり冗長で、演劇と言うよりも謡を鑑賞するのであろう。退屈である。
ある場面での野村四郎の語りに、地頭浅井文義(の声のような気がしたが後見の浅見真州だろうか)のプロンプトが入った。空耳でなければ、わたしが観た四郎の舞台では初めてのことである。
野村四郎、77歳、次は12月の「関寺小町」、円熟した大家の大曲である。

国立能楽堂定例公演 2013年11月20日
能【観世流】盛久
シテ/盛久     野村四郎
ワキ/土屋某    宝生 閑
ワキツレ/太刀取 宝生欣哉
笛                      一噌隆之
小鼓                    飯田清一
大鼓                    安福健雄
地頭                    浅井文義

●参照→「能楽師・野村四郎

2013/06/09

791【金継ぎ】琉球の焼き物のマグカップが割れて伝統技法の金継ぎ修理してわが家宝になったのだが…

  「筒井筒とよばれる茶碗があるそうだ。朝鮮李朝期の焼き物で、重要文化財となっている名器だが、それがなんと割れたのを修理している代物だ。
 元は筒井順慶がもっていたが、豊臣秀吉の不興を買ったときに詫びに献上したもの。

 あるとき、秀吉の小姓がそれを割って、手打ちにされかけたのを、細川幽斎が能「井筒」にある和歌をもじってとりなし、事なきを得て金継ぎ修理したという物語がある。
 筒井筒 五つにわれし井戸茶碗 咎をば我に負ひにけらしな
 元歌は伊勢物語にある
筒井筒 井筒にかけしまろがたけ 生いにけらしな 妹見ざる間に
 だから重文になったというのでもないだろうが、面白い。

 話の出だしが格調高いが、わたしもそうなるかもしれない物語を持つ茶碗、というよりも湯呑、いやマグカップを持っているのだ(実は、正確には持っていた、だが)。
 物語の始まりは、いつか忘れたが沖縄に行ったときに、どこか忘れたが、幾らだったか忘れたが、この物語の主人公たる陶製マグカップを買ってきた。
 どうもこれでは出だしからして物語性に欠けるなあ。そこは庶民だから、しかたがない。物語を続ける。

 で、なんとなく日々の酒飲みに使っていた。この3月末のこと、洗っていたらポクッと欠けた。
 捨てようとして、かけらはひとつで簡単にはめ込むことができるので、ふと畏友のFが接着剤の専門家であることを思い出し、どんな接着剤を買ってくればよいか、教えてもらおうと考えた。

 翌日さっそく現物をもってFに会ったのだが、エライことになってしまった。
 日本古来の「金継」なる陶磁器修復方法の講義を聞かされてしまった。金継なる手法があるということくらいは知っていたが、Fがやっているとは思わなかった。
 そのFが物の状況を診断しつつ、1時間半ほどの金継方法を実におもしろく教えてくれて、すっかりその伝統手法でやる気にさせられた。

 ということで、金継師匠のFに弟子入りしたのである。Fにはこれに限らず、化学一般や白内障やらで弟子入りしている。白内障手術は、師匠は片目だけだが、わたしは両目やったから、師匠を越えた。

 さて、金継を始めた。といっても、道具も材料もF師匠に頼りっぱなしである。
 何段階もの工程があり、工程のほとんどはウルシの乾燥待ちである。なんと2カ月はかかるというのだが、急ぐことではさらさらない。
 もしかしたら入門した弟子にだけ教えるF師匠の秘伝の術かもしれないので、ここに細かいことは書かない。

 汚れを入念に落す作業が1週間、欠けたところのほかにある細かいひび割れの接着に2週間かかり、ようやくにして肝心の欠けた破片を元の位置に復して、継ぎ目に塗った漆に金粉を蒔いて最後の作業が終われば、いつしか春は過ぎて初夏になっていた。
 ここから3週間置いたままで乾燥して、仕上げはついている余計な金粉やらウルシやらを丁寧に真綿で磨いてとりされば、おお、金線輝くマグカップが再登場した。
 

 さて、わが宝物になった物語の込められたその琉球マグを、何はともあれ師匠に一番に使ってもらいたいと、これはやはり沖縄料理店で、沖縄ビールを飲むに限ると思って、共に店を訪ねると、昼日中でまだ準備中。
 しょうがないので安居酒屋にて、まずは師匠にできぶりを褒めていただき、黒ビールを飲んでいただいたのであった。
 めでたし、めでたし、、、と、、。
  ・
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  ・
 さて、次の深夜のこと、読書しつつ、寝酒を金継ぎ家宝で飲む至福の時が過ぎていく。
 時計が零時を回った、もう寝ようかと立ち上がったら、ガチャンと足元の床で破壊音が、、、。みればわが宝物は、7つに分かれて転がっている、、、トホホ、、。
 

 ここで細川幽斎のように、なにか古歌を引いてしゃれたこと言いたが、、う~ん、と、
 割れても末に 買わんとぞ思う
 これは落語の崇徳院である、格調が低い。

 袖にからみ床に落ちたる金継碗 割れてももはや継がぬとぞ思う
 ま、このくらいか。

 というわけで、金継物語はあえなくこれでおしまいである。
 まあ、金継師匠にお褒めをいただき、お使いいただいた後であったことをもって、この物語はハッピーエンドとしよう。
  ◆
 東京駅の復原にいちゃもんつけ、高田の奇跡の一本松復元にその意味を問う、なんてことやってて、自分の茶碗の復元と破壊にはどう評価しようか、なんて思う。
 金継ぎ(金繕いともいう)という手法が面白いのは、元の割れる前の姿に復元をするものではないことである。
 割れて継いだその姿を、新たな創造とみてしまうのである。
 割れ目を縫うように蒔かれた金粉の線状を眺めて、それを「景色」とさえいうのだから、風流なものである。景色を作るためには、割れなかったところにさえ金線をほどこしてしまう。
 これが進んでくると、製作時の釜の中で割れた陶磁器は普通は捨てるのだが、それを金繕いして創作にしてしまう。嵩じると、割れるように焼いて、金繕いする。そのような名器があるらしい。
 建築の保存修復についても、その視点で見ると、面白いことがありそうだ。