2011/09/04

489核毒の森と海

 1986年4月26日にウクライナ共和国のチェルノブイリ原発4号炉が爆発して大量の放射線物質つまり核毒をまき散らした。
原発から30km圏や300kmも遠くのホットスポット地域が永久に居住禁止、消えた村や町は500にもおよび、40万人もが故郷を追われたそうだ。
 goole earthでその今の様子を空から見た。プリピャチ市に原発のためのニュータウンがあったのだが、もちろん今はゴーストタウンである。
 住棟の間は森となっている。まさに「核毒の森」である。
 もしもこれが雨量も多い温暖な日本なら、もっと緑の生い茂る深い森になっているはずである。
●参照
・プリピャチ・ゴーストタウン
http://static.panoramio.com/photos/original/42440870.jpg
・チェルノブイリ原発石棺
http://static.panoramio.com/photos/original/41850379.jpg
・プリピャチ・ゴーストタウンとチェルノブイリ原発石棺
http://static.panoramio.com/photos/original/13702819.jpg

 同じように福島第1原発のあたりも空からのぞいてみた。
 福島第1原発事故の今後はどうなるのだろうか。 福島第1原発事故の今後はどうなるのだろうか。
 都市や地域の計画をやっていたわたしには、原発から発した核毒汚染地域の今後である。多分、永久に居住禁止になるだろう。
 この写真の範囲は、多分、ゴーストタウンとなり、20年後は深い森になっているのだろう。


●続きの全文はこちら
http://sites.google.com/site/dandysworldg/kakudoku-woods

2011/09/02

488対日戦勝記念日の新聞広告

 今朝の朝日新聞の全面広告に、当時の極東指令官マッカーサーの姿が載っている。コーンパイプをくわえて、厚木飛行場に着陸した飛行機から降りようとする。
 これは1945年8月30日であった。

 日本では8月15日を終戦記念日というが、太平洋の向こうのUSAではこれに対応する日は9月2日で、対日戦勝記念日(Victory over Japan Day)というそうだ。
 つまり日本がミズーリ号の甲板で公式に降伏文書に調印した1945年のその日なのだ。
 そう、今日である。対米敗戦記念日である。

 この広告はなにを言おうとしているのか。
「いい国つくろう、何度でも」
 下の端っこに「宝島社」とあり、文字はこれだけである。宝島社とは出版社のことだろう。
 多分、震災復興への期待を込めて、あの悲惨な戦争から復興したのだから、今度もがんばろう、なんて言ってるつもりなんだろう。

 極東軍司令官だったマッカーサーは、1942年3月にフィリピンから日本軍に追われて、「I shall return」と悔しさを込めて言ってオーストラリアに逃げ出した。
 それから3年半の戦いの後、自分を追った敵地日本に勝利軍としてリターンしたときの、得意の姿が今日の広告である。

 この後、すぐに横浜に行き、都心のホテルニューグランドに居を構える。
 極東軍司令官として彼は横浜都心を無差別爆撃により破壊していたが、こんどは連合国軍最高司令官として横浜都心部などを広く接収して、占領軍の基地とした。
 横浜は戦災の上に占領が重なったが、さらに1950年から始まった朝鮮戦争の連合軍基地ともなり、マッカーサーのおかげでその復興は他の戦災都市と比べて著しく遅れざるを得なかったのであった。
 
 あの頃を知る横浜市民にとっては、この写真に復興をかけるのは複雑な思いであろう。同じ思いは沖縄県民もだろうか。

2011/08/31

487大丈夫か横浜都計審

 横浜市都市計画審議会の傍聴に行った(2011年8月31日)。
 今回の議事には市街地再開発事業の都市計画という、じつに高度にして複雑な案件があったので、委員がどうこれに対応するか興味があったのだ。
 もう少し意地悪に言えば、はたして実質的な審議ができる能力が、今の委員にあるのだろうか、議案の内容よりも委員の議事への態度を傍聴に行ったのであった。
 結論から言えば、再開発事業の都市計画に関しては、どなたも何にもご存じないらしかった。素人談義でさえもなかった、といってよいだろう。

 再開発事業の都市計画に関する議案を審議するには、都市計画審議会は次のような視点を持たねかればならない。
 まず、事業権利者や事業地区周辺住民等への対応で計画策定過程で適正な手続きをしてきているか、都市環境を大きく改変するこの再開発事業が都市計画として適正であるか、そして事業の早期実現性から見てこの都市計画は適正であるかの、3点である。

 この案件での発言は、21人中4人が7件、しかし実質的な内容にかかわる発言は、たったの一件であった。肝心の事業の実現性にかかる発言はまったくなし。
 計画内容に特に大問題があるとは思えないが、内容が複雑多岐にわたっているし、反対の意見書提出や公述が多くあったのに、審議会がこの程度の審議でよいのだろうか、と、つくづく思った。
●この全文はこちら
 http://sites.google.com/site/matimorig2x/110831yokohama-tokeisin

●関連→あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている
http://sites.google.com/site/matimorig2x/tokeisin

2011/08/30

486世界遺産帝国主義論!?!

 文化庁は近いうちに、鎌倉は富士山と一緒に世界文化遺産登録の推薦書をユネスコに出して、審査を受ける段取りに入るそうだ。
 鎌倉は日本の世界遺産登録の最初の推薦暫定リストに入ったのだが、いまだに本推薦に入れない状態にある。それはどうしてかはここでは書かない。
 
 世界文化遺産はコアとなる施設やエリアが登録対象資産となるが、その周辺地区を登録資産と調和する景観域(バッファーゾーン)として設定することが求められる。
 分かりやすく言えばバッファゾーンには超高層ビルとか真っ赤な看板とかは禁止である。
 鎌倉市のいわゆる旧鎌倉と呼ばれるエリア内に登録候補資産はあり、バッファゾーンは旧鎌倉エリアのほとんどとなる。

 さて、そのバッファーゾーンに「元治苑」という邸宅がある。そこには立派な庭園があり、移築してきた江戸時代の茅葺屋根民家がある。
 そしてお決まりのように、ここを住宅開発事業者が買って、分譲共同住宅(いわゆるマンション)を建てることになった。
 そしてまたお決まりのように、近隣住民たちから反対運動がおきた。

 わたしは詳しいことは分からないが、反対運動の理由はこうらしい。
 まず、世界遺産登録候補資産のバッファーゾーンに共同住宅に建てることは、世界遺産登録を目指すまちづくりにはふさわしくない。
 そして、歴史的建築物と庭園を調査をきちんとして評価し、歴史的な施設として保存するべきである。
 そしてまた、地中には鎌倉幕府の遺跡がある可能性が高いので、その調査をして遺跡保存するべきである。
 
 鎌倉にお住まいのジャーナリストの知人から、この件についてアンケートで回答を求められたので、回答した。
 その方のブログにわたしの回答が載せられている。
  http://blog.livedoor.jp/kikurotakagi/archives/3503280.html
 そしてほんの少しだが反論があった。
  http://blog.livedoor.jp/kikurotakagi/archives/3506583.html

「世界遺産帝国主義」なる刺激的にも読める言葉をあえて使ったので、反論がものすごくあると期待したのだが、それほどでもなくて、期待はずれだった。
 世界遺産帝国主義でなにが悪いって、そんな反論をわたしが書きたい。

 わたしはレーニンも秋水も読んだことはないのだが、「**帝国主義」なる言葉は、社会学者の上野千鶴子が建築家の山本理顕のことを「空間帝国主義者」と言ったのを読んで、なるほどこれは面白いと、適当に応用しているのだ。**原理主義も使える。
 そういえば、世界遺産登録ってのは、どこか西欧による文化帝国主義の臭いがする。

●参照→景観帝国主義
  http://datey.blogspot.com/2009/01/blog-post_30.html
 鎌倉の世界遺産
  http://datey.blogspot.com/2009/12/210.html
 世界遺産談義
  http://homepage2.nifty.com/datey/kamakura-sekaiisan2010.htm

2011/08/28

485言いにくいことを言って辞める菅さん

 政治家も、行政マンも、そして多分もっとも痛切に住民さえもが、そう、だれかれもがそう思っている、そう思うしかないのだが、どうにも言いにくいことがある。
 それは福島第1原発の周辺地域は、もう人間の場ではなくなったことである。
 しっかりと核毒が降り積もっていて、これを解毒もできないし、どこかに持っていくこともできないのだから、当然のことである。

 そしてまたもうひとつの言いにくいことだが、原発周辺地域を越えて広く薄く降り積もった核毒まじりの土砂や瓦礫などを持って行って置いておくのは、この人間の場でなくなったところしかない。核毒を振りまいた東電が引き取るのである。
 そう、これをわたしは「核毒の森」と言うのである。http://datey.blogspot.com/2011/08/47921.html

 ところが、ついにそれを公言してしまったのが、首相の菅さんである。
 昨日(201年8月27日)、管首相は福島県知事と会談して、原発周辺では長期間住めない地域が生じること、県内に放射能汚染の土壌や瓦礫を中間貯蔵する場所を作りたいと、伝えたと新聞の報道である。そして怒る福島県に謝ったそうだ。

 これは実は誰もがわかっていて、実に言いにくいことだが、誰かがいつか言わねばならないことだ。それもできるだけ早期に。
 菅さんの次の首相に言わせて、彼は逃げてもよさそうだが、あえて言ったのであろうか。
 もしかして次の候補者たちが原発にはあいまいな態度なので、ここで言っておかなければなるまいと奮起したのか。辞任の置き土産だろう。

 菅さんの言葉は、長期間住めないとか、中間貯蔵とか、時間と空間をあいまいにして言っているが、はっきり言って人間の場ではなくなるのは明白だろう。
 そんな汚れきったところで誰が働き、だれが暮らしたいと思うのだろうか。フクシマ「核毒の森」にならざるを得ないと、だれもが思っているに違いない。

 そもそも東京電力が発した毒物であるから、原因者の東電が回収するのが当然のことだろう。
 こういうときに首相の菅さんが登場して謝り、どうして東電の社長が出てきて謝罪と核毒回収を言わないのか不思議である。政府は東電の手先か。
 そりゃ東電だけでは解決できない政治的な問題となっていることは確かだが、それにしても不思議きわまることである。モラルハザードの典型のような気がする。

 受益圏と受苦圏という考え方が、環境社会学の世界であるそうだ。
 事故以前の福島は、原発受益権だったのか、それとも受苦圏だったのか?
 今まさに福島が受苦圏になったことの社会的な意味はどうなんだろうか?
 一般に原発の受益圏、受苦圏はどう考えるのだろうか?
 この受益圏と受苦圏について、もう少し考えてみたい。

2011/08/27

484女性マラソンの風景

 KOREAのテグで開催されている国際大会らしい、TV中継の女性マラソン競技を見た。
 スポーツ競技をTVで見ることはないが、マラソンだけが例外である。
 といっても競技には興味がなくて、その背景に映る町並みを見たのである。
 うるさい音を消して見ていると面白いのだが、突然に変な画面になる。邪魔な広告である。
 ふん、こちとらは邪魔が入ると、TV画面から新聞に目を移して読むのだ。
 はじめのうちは邪魔広告が多かったが、終わりのあたりから少なくなったのは、ちょっとは広告の入れ方を考えているらしい。
 邪魔といえば、しばしばあられもないアマゾネス群が画面を占めるのだが、まあ、これは仕方ない。
 
 テグの街は、メインストリートらしいから、並木が整い、広い歩道で、高層ビルが諸所に見える。
 見慣れた普通の現代風の姿で、はっきり言って、つまらない風景だった。建築デザインも普通だった。
 どの店舗にも壁面に大きな文字広告があるのが、目に付いたくらいのものであるが、読めないから分からない。
 ところどころに横に入る道が見えて、そちらの方が面白そうだが、もちろんカメラは曲がらない。
 
 テープを切ったアスリートは、アフリカ系のようだった。
 マラソン女性たちを見ていて、一様に乳房が小さいのに気がついた。これって、走るのに必要のない筋肉が、過酷なトレーニングでそぎ落とされていったのだろうか。
 参照→170はるかなるベルリンhttp://datey.blogspot.com/2009/08/170.html

2011/08/26

483言葉の酔時記よろしいですか

 え、強盗大国?、、よく読んだら強大国だった、北朝鮮人民共和国のスローガンである。う~む、最近目が悪くなったなあ。
 でも、耳はよいのだ。気になる言葉が多くて、困る。

 すし屋で昼飯メニューの特寿司、上寿司、並寿司の中から、並を注文をした。
「はい、並寿司でよろしいですか」
「あのなあ、安物の並でいいのかよって、客に失礼でしょ。確認したいなら、『並寿司でございますね』って言いなさいよ」

 本屋で1050円の本に5千円札を出した。
「はい、5000円でよろしいですか」
「あ、いや、よろしくありません、3950円お釣りをください」

 劇場公演チケット予約で聞かれた。
「では、お名前を伺ってもよろしいですか」
「あ、いや、よろしいかよろしくないかって聞かれてもわかりません。よろしくありませんって答えの選択もあるんでしょうか。あのね、単に名前を聞きたいだけなら質問形式じゃなくて、『お名前をお教えください』って言いなさいよ」

 ホテルのフロントで予約の確認をされた。
「お名前とお電話番号を頂戴してもよろしいですか」
「あ、いや、よろしくありません。名前も電話番号もあなたに差し上げるわけにはいきませんので、それだけは勘弁して泊めてくださいよ」

2011/08/25

482震災を食いものにする人たち

 震災に関しての悪稼ぎは、避難後の空き巣盗、放置被災自動車盗などがあるらしいが、それはコソコソとやるだろう。
 ところが、トラック野郎たちは昼も夜も堂々と盗人たけだけしいのだから、なんともいやはや、いくら犯罪にならないといってもなあ…。

 震災復興の支援策として、東北方面の高速道路利用のトラック通行料金を無料にしたら、これを悪用して関係ない方面にも無料通行するヤカラが続出、無料制度を取りやめにするそうだ。
 まあ、復興支援を急ぐためにチェックシステムがないままに、トラック屋のありもしない良心を信じたのが間違いのモトであった。
 悪貨が良貨を駆逐した、、か。

 今わたしが心配しているのは、被災地のどこかを公有地化する必要が必ず出てくるが、そこを国や自治体より先駆けて買い占めるヤカラがいるだろうことである。
 かつて、「ダム屋」といわれる人たちがいた(今もいるか)。河川のダムによる水没予定地の土地を買って小屋を建てて暮らしているように見せて、ダム事業者が買収にくるとなんだかんだとゴネて値を吊り上げて不当利得をせしめるのである。
 こんどは「震災屋」とでも言おうか。

 特に、福島第1原発の周辺地域は、核毒汚染で使えなくなったのだから、東電の金で公有化して、人間の場所でなくしてしまうしかない。
 ここの土地にダム屋のようなヤカラが目をつけないはずがない。
 いますぐにでも地価凍結、権利凍結の手を打つべきだが、政治のごたごたでモタモタしてると、利に敏い「震災屋」さんたちに食いものにされるぞ。
●参照→「核毒の森

2011/08/24

481あの品のない顔と口のアンチャンか

 島田紳助なる芸人がいて、暴力団の人と付き合いがあるのがばれて、引退するというニューズ。
 TV番組をめったに見ないから知らなかったが、新聞の写真を見て、いつだったか骨董品の鑑定の番組に出ていた人だと気がついた。
 そのときは、なんとまあ品のない口ぶり、ついでにお顔のほうもお品のない方、何者だろうって思ったものだ。

 新聞によれば、そんな人がいくつものTV番組を司会する人気芸人だそうである。
 まあ、どうでもよろしいが、全国紙の読売新聞は第1面の記事なんですね、しかも「さん」付けですよ。
 朝日新聞も社会面の半分も占めているんだからなあ、よくわからん。

 記事の中身が奇妙だと思ったのは、ひとつは、暴力団がいけないのではなくて島田なにがしが付き合ったのがいけないというニュアンスであることだ。片一方にずれているような気がする。
 もうひとつは、芸人当人は悪いこととの自覚はまったくないらしいことだ。上から言われたので悪いことらしいと気がついたので、いさぎよく引退するって、なんだか粋がっているらしい。

 引退といえば菅さんを連想するが、彼はなんで首相引退するのだろうか。
 暴力団と付き合ったのかしら、なにか失言でもしたのだろうか、それとも大失政でもあったのだろうか、相撲取りみたいに八百長したのかしら、内や外からの政治屋・新聞屋にたたかれて、もういやになったのだろうか。どうもよくわからん。
 あ、そうか、日本の首相は1年で引退ってルールがあるんだっけな。

 で、次は誰なんだろうか。
 芸人島田の引退した後の番組の司会業を引き継ぐ人は、今度は顔と口に品のあるゴ清潔なお方なんでしょうね。
 でもなあ、芸人が清潔でイケメンじゃあ人気でないよなあ、昔から無頼と芸人とは紙一重でしょ。
 首相のほうの後継も、なにとぞ品のある口とお顔の方になっていただきたいものである。
 アンチャン顔のお方では困るのである。こちらは芸人じゃないんだからね。
 ま、どうでもいいけど、どうぞご勝手に。

引退の話の追加(110826)
 アップル社のスティーブ・ジョブズが、病気療養のためにCEOを退くのだそうだ。天才経営者と言われる人も、病には勝てない。その年齢が56歳、まだ若い。
 で、あの島田某の年齢が55歳である。まだ若い。
 お粗末引退芸人と比較しては、ジョブズが怒るだろうが、たまたま同時期に起きたので、ついその顔つきとか言動とか評判とか比較してしまった。

2011/08/23

480ネパールからモティさんがやってきた

 ネパールからモティ・マハジャンさんがやってきた。
 モティさんは、カトマンヅ日本語学院の教員である。今年3月末から4月にかけてわたしが遊び仲間とネパール旅行に行ったときに、通訳兼ガイドをしてくださった。
 国際交流基金による日本語研修を受けるために来た。埼玉県に研修宿泊施設があり、50カ国程度から90人ほどの研修生が、遠くは南米コロンビアからもいるそうだ。

 モティさんはもう4回目の来日、横浜はまだというので、研修が休みの土・日曜日に、関東南部から行ったF、Y、Dの3人が横浜の港の街を案内、Fが自宅に宿泊招待した。
 元町を歩いていて、モティさんが突然立ち止まって店の看板を見ながら、このパン屋さんのご夫婦をネパールで案内したことがあるといい出した。
 閉店直前の店に入り、確かめたらまさにそうであった。そこを訪ねる予定はなくて適当に歩いていたのだから、まったくもって国際的偶然であった。
 数日前の休みには、研修生仲間の数人で富士山にも登ったという。モティさんはヒマラヤのある地の人だから、富士山の登りははたいしたことはなかったが、下りの須走りには困ったそうだ。

 翌日の弘明寺観音で、ネパールから来たと聞いた僧侶が、近くにネパール料理店があると教えてくれて、早速にたずねたら店中をあげて大いに盛り上がる。
「ゴルカキッチン」の名のごとく、カトマンヅからきたゴルカ出身者の経営である。
 経営者の弟の若者が給仕をしてくれて、横浜国大のドクターコースでバイオテクノロジーの研究をしているとのこと。さすがに日本語がうまい。
 久しぶりにネパールの味に再会した。評判の品はなんですかと聞くと、それはナンです、と答えるので、食ってみたがたしかに美味かった。ただし年寄りには1枚でも多すぎるのが、ナンである。

 つい先日、ネパールでは肝心の憲法はいまだにできないままに、首相が3ヶ月でまたもや辞任するというニュースがあった。
 その裏をちょっと聞いてみたが、南北にインドと中国という大国にはさまれた多民族国家の深い悩みは、政治素人外国人にはよくわからない。
 ネパールで案内してもらっているときは、忙しくてじっくりと話が聞けなかったが、こちらでは飯を食いながらあれこれと日本とネパールの違いやら同じところやらを聞いて、実に面白かった。
 長い昼飯となったその店を出て、「今度はヒマラヤでまた会いたいね」と、わたしはそこで別れた。東京に用事あるFが、銀座に案内して行った。

参照→●ネパールの旅      ●ネパール逍遥  ●草の根校舎の会