●なんとまあ卆壽になったよ!
わたしはこの5月初めに89回目の生誕記念日を迎えた。つまり数え年で90歳、すなわち卒寿(卆壽/卆呪)になった。わらながら思う、これはなんともはや凄い、不可思議、奇々怪々、わたしは妖怪か、仙人か。生きる策を何もやっていないのに、なぜだろう?。
白い顎鬚こそないが、本当に仙人になった気もする。もしかして雲に乗って空を飛ぶことができるかもしれない。地上30めの空中陋屋住み家のバルコニーから水平に飛び出せるかもしれない。試す勇気はないが。
もちろん、だいぶ前から、この日が来るらしい様子には気が付いていたから、今さらどうこう言うのでもないが、それでも人生初めてのこと(毎日そうなのだが)だから、不案内な場所に踏み込んで居心地が悪い。90年目と89年目と80年目とどこが違うのか?
●痛くも痒くもないのに偶然から医者通いの身に
身体内部はどこといって悪いところはないと思うのだが、かかりつけ医(去年からこれが存在する)が言うには、血圧が高い、心臓脈がヘンだ、甲状腺がオカシイ(ほかにもなにかいわれたような気がするが忘れた)とて、朝夕合わせて薬を4粒呑めと処方する。こちらは痛くも痒くもない、何が変なのか?。
確かにわかるのは身体運動は次第に不自由になりつつあることだけ。歩行速度の低下だけが自覚する唯一の身体不具合だ。その他は何もない(らしい)から、医師の言を理解できない。朝夕の薬をしょっちゅう忘れる。医師は毎月来いと言う。薬がなくなると行くのだが、いつも2カ月に1回ぐらいとなる。
そもそも医者通いの身になった理由は、一昨年の暮れごろ、ヒマだなあ、そうだ健康診断に行ってみようかな、もう10年以上もやっていないなあ、年一回は市の負担で診てくれるらしい、タダならヒマツブシに健康診断に近所の総合病院へ。
あれこれ検査やって、最後に医師の問診、「血圧が200と異常に高いが、具合はいかが?」「何ともありませんが、なにか?」「ではすぐに専門医に診てもらいなさい」「え、は、はい」てなことで、こんな偶然でわたしにもかかりつけ内科医ができた。
それまで怪我や白内障や皮膚病でそれぞれ専門医にかかったことはあるが、内臓関係の医師にかかった記憶がない。めったに医師であったことが無いのだ。たまたま高血圧の妻につきそってクリニックに行ってはいたが、自分は無関係と思っていた。
そんなきっかけだし、何も自覚症状がないから、真剣に医者の話を聞かない。医師から見るとわたしは不良患者だろう。あるとき頻尿がおきたので、聞けば呑むある薬が原因だという。それを呑むことで95歳になること人工透析する身になることを防ぐのだそうだ。
薬苦痛を誘発しては医療の意味がない。「夜間頻尿で寝不足になり不機嫌な日々が続いて95ませ生きるよりも、機嫌よく生きてその前に死ぬから、その薬をやめたい」という。医師は渋っていたが処方から除外してくれた。
●人間の医療と老いと死について考えはじめる
めったに罹らなかった医師に毎月診てもらう身になって、そして気になってきた超超高齢になってみて、ここらへんで、人間の医療と老いと死について真面目に考えてみようかという気になってきた。めったに医師にかからなかった頃は考えようもなかった。
実は3年前の夏に、2年間もの無無我夢中でやっていた妻の老々看病介護を終えた。その間に多くの医療関係者が出入りした。そして今、偶然にかかりつけ医を持ったこと、そして90歳の身になったこと、これらが医療と老いと死を考える最適の条件にあるらしいのだ。
そのために他に資料を求める必要が無い。なにしろ身近過ぎるわが身と心を対象に考えればよいのだから、便利だ。世にある老いや医療や死をテーマの出版物は数多いが、そんなものを読む気はさらさらない。わが身を読み取ればよろしい。
もう20年も前だったか、大学同期の友人が癌で死んだ。彼はその病の初めから死までを、同時進行でネットに書いて教えてくれた。息を詰めるようにして毎日読んだ記憶がある。わたしも自己の死に到る同時進行ドキュメンタリーを自分の手でここに書いてみたい。
ついに来た卆呪わが身をネタにして医療と老いと死を衝き書かむ
(2026/06/12記)
米呪を越えて老いに酔い痴れる日々の記録
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伊達美徳=まちもり散人
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