東京駅の丸の内駅舎、いわゆる赤レンガの東京駅が戦災前の姿になって、今日から正式に出戻りのお目見えだそうである。
これからしばらくこの「事件」について、世の人々があれこれ言うだろうから、わたしはそれらの世間のウワサをとりあげて、あれこれと戯瓢を連載することにした。
わたしのこの事件についてのスタンスは簡単である。要するに「もったいないことをしたもんだよなあ」ってことである。
その理由は「東京駅復原反対論」に書いているので、そちらを参照されたい。
さて、今朝(2012年10月1日)の朝日新聞東京版には、2面見開きで東京駅の出戻り姿の広告が載っている。
曰く「東京駅丸の内駅舎保存復原 誕生からまもなく百年。赤レンガ駅舎として親しまれてきた東京駅が百年の時を越え、創建時の姿に。これまでの百年を、これからの百年へ。」
あのねえ、これって「保存」って言ってよいのかしら。何を保存したのかしら。
だって「創建時の姿」って言っても、1945年月20日に丸焼けになっって、残ったのはレンガ壁と鉄骨だけだったのだから、それを「保存」したのだとしたら、まあ、その通りではあるが…。
だから「創建時」の「保存」はその程度であり、実はそのほとんどは「復原」と称するコピーレプリカである。
わたしはコピーレプリカが悪いと言っているのではない。
保全、保存、保護、復原、復元、コピー、レプリカなどなど、いろいろの言い方があるが、「保存復原」とはどういう意味だろうかと聞いているのである。
ま、現物を見てくださいよ、これがそうなんだよ、ってことなんだろうが。
でも、1947年にそのレンガ壁を再利用して修復した「復興東京駅」は、戦後復興にシンボルともいうべき存在だった。
わたしはそれを「保存」してほしかったのだが、残念ながら「消滅」させてしまった。
同じく今朝の朝日新聞の1面「天声人語」は、東京駅をテーマとしているのだが、このような一文があって、ちょっと引っかかる。
「建造物の復元は、そこにまつわる無数の、そして無名の記憶を守ることである」
これは文脈からいって、東京駅の復元を賛美しているらしいが、ちょっと待ってくれよ。
JRがいうところの「保存復原」という「復元」(ややこしい)によって、あの戦災の悲劇とそこからの復興という「そこにまつわる無数の、そして無名の記憶を」継承してきた記念的な姿を「守ること」なく、消し去ってしまった、わたしはこう思うのである。
うっかりすると美名に聞こえる「復元」という言葉に、うっかりひきずられてはならない。
とはいいつつも、今こうやって東京駅は創建時の厚化粧姿で出戻りして、歴代4つ目の姿で次の歴史を歩みだしたのである。
それなりの歴史の記憶をひきずりながら。
おめでたいことである。
参照→◆東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
◆まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)
2012/10/01
2012/09/30
673赤レンガ東京駅が戦災前の姿に厚化粧して出戻りしてきたのはどうして?
それからず~っと、わたしが提唱してきたことは、保全継続使用にあたっては1947年からの姿を本旨とすべし、戦災前の姿に復元するな、ということでした。
なぜなら、復元すれば、悲惨な戦火による焼失とそこからの復興という、日本のもっとも重要な時代の記念碑が失われる、わたしたちが生きてきた戦後の歴史の証人が消えるからです。
それが今、継続保全せずに、なぜ戦前の姿のほうを選んで復原(復元)したのか、問題提起したいのです。
1947年からの姿の歴史的意義を、きちんと評価したうえでの復古再現コピーの選択だったのでしょうか。
あれは一時しのぎの仮の姿としてつくったから、ようやく本来の形に戻したのだという世間のウワサがあります。
本当に一時しのぎの工事ならば、それがどうして60年も保ったのか不思議に思い、これを修復した人たちの苦労話を読んでみました。
それは、あの戦争直後のまったく物資のない時代に、もう頭の下がる実に頑張りすぎるほどの大変な仕事ぶりでした。
ご参考までにそのことを書いた「東京駅復興(その1)」(伊達美徳)をぜひ読んでください。
参照
2012/09/27
672男も女も電車でお化粧大道芸の時代が来たか
地下鉄で座っていたら、前に立つ人が窓を見つめてしきりに、手を振っている様子である。
外は暗闇なのになにしてるんだろうと見上げたら、若い男が手を振ってるのじゃなくて、窓ガラスを鏡にして、しきりに前髪をかきあげかきおろしして、いつまでも恰好を整えているのであった。
おやおや、男も電車の中で化粧する時代が来たか。
そういえば、そういう男を何回も見ている。カバンからやおら櫛と鏡を持ち出して、何やら遣り出した男の高校生らしいやつも見たことがある。
それにしても、女が電車の中で化粧しているのを見るのは、楽しい。
すっぴんのオカチメンコが、なんだかいろいろな道具や器械をカバンから取り出して、自分の顔に仕上げ工事をほどこしていくうちに、みるみるそれなりに見られる別の顔に変わっていく。
これって、大道芸そのものである。
こうなると男も電車の中で、オシロイをなでつけたり、つけまつげをいじったり(ペンチをつかっている)、口紅を塗りたくる日が来るのは近いな。
毎朝、男女で競ってやっていただいて、電車の中を楽しませてほしい。芸の内容によっては、投げ銭をしてもよろしいですよ。
そう、世は男女均等化粧時代なのである。
実は白状すると、白内障の手術をして、視覚が明瞭になったら、鏡の中の自分の顔の老醜がはっきりと見えて、これは化粧するしかないかなあと、思ったのがつい最近のこと。
そうだ、化粧品屋は男の老人を市場として開拓するといいですよ。
そう、老醜の男も電車の中で化粧をするのである、、キモチワルイカ、。
外は暗闇なのになにしてるんだろうと見上げたら、若い男が手を振ってるのじゃなくて、窓ガラスを鏡にして、しきりに前髪をかきあげかきおろしして、いつまでも恰好を整えているのであった。
おやおや、男も電車の中で化粧する時代が来たか。
そういえば、そういう男を何回も見ている。カバンからやおら櫛と鏡を持ち出して、何やら遣り出した男の高校生らしいやつも見たことがある。
それにしても、女が電車の中で化粧しているのを見るのは、楽しい。
すっぴんのオカチメンコが、なんだかいろいろな道具や器械をカバンから取り出して、自分の顔に仕上げ工事をほどこしていくうちに、みるみるそれなりに見られる別の顔に変わっていく。
これって、大道芸そのものである。
こうなると男も電車の中で、オシロイをなでつけたり、つけまつげをいじったり(ペンチをつかっている)、口紅を塗りたくる日が来るのは近いな。
毎朝、男女で競ってやっていただいて、電車の中を楽しませてほしい。芸の内容によっては、投げ銭をしてもよろしいですよ。
そう、世は男女均等化粧時代なのである。
実は白状すると、白内障の手術をして、視覚が明瞭になったら、鏡の中の自分の顔の老醜がはっきりと見えて、これは化粧するしかないかなあと、思ったのがつい最近のこと。
そうだ、化粧品屋は男の老人を市場として開拓するといいですよ。
そう、老醜の男も電車の中で化粧をするのである、、キモチワルイカ、。
2012/09/25
671やっぱり名ばかりマンションは地震被災の根源のような気がする
「被災マンション解体滞る」との見出しが、2012年9月24日の朝日新聞東京版社会面にでている。
東日本大震災で被災した区分所有型共同住宅ビル(いわゆるマンション)を、建て替えるために取り壊さなければなない(解体という言葉はおかしい)のだが、所有者の全員同意ができなくて、多くのその類の建物が立ち往生しているというのである。
「東北6県の分譲マンションの6割が集中する仙台市では約210棟が全壊・大規模半壊となったが、解体が決まったのは5棟」とある。
そんなことが起きるのは、とっくに阪神大震災でも姉歯事件でも経験して、だれもがわかりきっていたことである。
所得、年齢、資産、加速構成、生活感など千差万別の、もともと知らないどうしの大勢の人間が、ひとつの運命共同体に無理やりに乗っているのだから、こういうことになれば一致するほうがおかしい。
それなのにいまだに「分譲マンション」(正確には区分所有型共同住宅ビル)なるものをつくって売るやつ、ほいほい買うやつ、どちらもいけない。
そんな「名ばかりマンション」(マンションとはもともと大邸宅のこと)を容認するどころか、容積緩和とか優遇税制などで支援する政策があるのが間違っている。
日本の住宅政策はまったくなっとらん。即刻、「名ばかりマンション禁止法」をつくるべきである。
だって、今度やってくる南海トラフとかいうやつの大揺れでは、これまでとは比べ物にならないほどの区分所有型共同住宅が被災するに違いないからだ。
大量の「マンション難民」が発生する前に、即刻、禁止の手を打て!。
で、解体できないのは全員同意の法律のせいだから、これを全員でなくても取り壊せるように法整備しようという動きがあるそうだ。
でもねえ、全員同意しなくても取り壊すことができる様に法律的にはなったとしても、実際の現場はやっぱり調整は大変だし、それなりの買い取り補償金が必要だろうから、法を替えたって容易ではないはずですよ。そんな小手先技で解決する問題ではないだよ。
そもそも、広い敷地をわざわざ猫に額ほどの持ち分に分割して所有する制度にするから、こういうことが起きる。
そしてまた、賃貸借住宅に対して政策が冷たいからこういうことになるのだ。
区分所有型共同住宅ビルは、区分所有を解除して組合による一体所有に転換して、管理所有一体型の賃貸借住宅に転換するする政策を推進するべきであると思う。それまでの区分所有者は組合員として持ち分相当の債権を持つのである。
ここから先は私にはわからないから、これの実務的なことは専門家に考えてもらいたい。
とにかく区分所有型共同住宅ビルは地震被災の社会的諸悪の根源である。
言いすぎかな、だんだんと過激になってくるなあ、ほんとはね、ほれ見ろ、だから俺が言ってきたとおりじゃんかよ、っていいたいのだ。
●参照「くたばれマンション」 http://homepage2.nifty.com/datey/kyodojutaku-kiken.htm
東日本大震災で被災した区分所有型共同住宅ビル(いわゆるマンション)を、建て替えるために取り壊さなければなない(解体という言葉はおかしい)のだが、所有者の全員同意ができなくて、多くのその類の建物が立ち往生しているというのである。
「東北6県の分譲マンションの6割が集中する仙台市では約210棟が全壊・大規模半壊となったが、解体が決まったのは5棟」とある。
そんなことが起きるのは、とっくに阪神大震災でも姉歯事件でも経験して、だれもがわかりきっていたことである。
所得、年齢、資産、加速構成、生活感など千差万別の、もともと知らないどうしの大勢の人間が、ひとつの運命共同体に無理やりに乗っているのだから、こういうことになれば一致するほうがおかしい。
それなのにいまだに「分譲マンション」(正確には区分所有型共同住宅ビル)なるものをつくって売るやつ、ほいほい買うやつ、どちらもいけない。
そんな「名ばかりマンション」(マンションとはもともと大邸宅のこと)を容認するどころか、容積緩和とか優遇税制などで支援する政策があるのが間違っている。
日本の住宅政策はまったくなっとらん。即刻、「名ばかりマンション禁止法」をつくるべきである。
だって、今度やってくる南海トラフとかいうやつの大揺れでは、これまでとは比べ物にならないほどの区分所有型共同住宅が被災するに違いないからだ。
大量の「マンション難民」が発生する前に、即刻、禁止の手を打て!。
で、解体できないのは全員同意の法律のせいだから、これを全員でなくても取り壊せるように法整備しようという動きがあるそうだ。
でもねえ、全員同意しなくても取り壊すことができる様に法律的にはなったとしても、実際の現場はやっぱり調整は大変だし、それなりの買い取り補償金が必要だろうから、法を替えたって容易ではないはずですよ。そんな小手先技で解決する問題ではないだよ。
そもそも、広い敷地をわざわざ猫に額ほどの持ち分に分割して所有する制度にするから、こういうことが起きる。
そしてまた、賃貸借住宅に対して政策が冷たいからこういうことになるのだ。
区分所有型共同住宅ビルは、区分所有を解除して組合による一体所有に転換して、管理所有一体型の賃貸借住宅に転換するする政策を推進するべきであると思う。それまでの区分所有者は組合員として持ち分相当の債権を持つのである。
ここから先は私にはわからないから、これの実務的なことは専門家に考えてもらいたい。
とにかく区分所有型共同住宅ビルは地震被災の社会的諸悪の根源である。
言いすぎかな、だんだんと過激になってくるなあ、ほんとはね、ほれ見ろ、だから俺が言ってきたとおりじゃんかよ、っていいたいのだ。
●参照「くたばれマンション」 http://homepage2.nifty.com/datey/kyodojutaku-kiken.htm
(写真は本文とは直接には関係ありません、いや、あるかもなあ)
2012/09/24
670半世紀ぶりの名古屋大学でキレイすぎる豊田講堂に再会
先日(2012年9月13日)のこと、ほぼ半世紀ぶりに名古屋大学を訪れた。1963年の1年あまり、この近くのアパート暮らしをしたことがあり、散歩にちょくちょく訪れた。
1960年に日本の建築界で話題となった名古屋大学豊田講堂ができて、建築家・槇文彦の日本での出世作となった。
建築学生だったわたしも、そののびやかなスケールと、どこかル・コルビュジェを思わせるボキャブラリーにイカレタのであった。
その現物が住まいの近くにあったのだから、訪れて感銘を受けたような気がするのだが、忘れていた。
半世紀ぶりに訪れて思い出しつつ見る豊田講堂は、この間の歳月を忘れているような、あまりにキレイな建築であった。つい最近建てたかのように新しく、まるで原寸模型のようにシャキッと建っているのである。
聞けば、最近のことだが大修繕したのだそうだ。荒れていた打ちはなしコンクリートの肌を、新技術で打ち直したのだそうだ。それが最も目につくのであった。
そしてその再生打ちはなしのコンクリートの肌が、どうみても木目模様をプリントした壁紙を貼りつけたとしか見えないのだ。あまりにキレイすぎる。
そもそもコンクリートの打ちはなし表現というものは、コンクリートという力強い素材をもって力学を視覚として表現するための手法だろうと思うのだが、こうもキレイでよいのだろうか。
これを設計した槇文彦はどう思っているのだろうか。わたしは違和感をもって見たのであった。
そのコンクリート肌の修復の技術そのものは評価するとしても、歴史的建築を修復するときの適用は、どう考えればよいのだろうか。豊田講堂ができたばかりの当時の姿を私は見ていることになるのだが、こんなにキレイであったかどうか記憶にない。
だが、キモチが悪いほどのキレイすぎる修復はどんなもんだろうかと、見ながら思ったのであった。
全体ののびやかな姿は、立地条件に恵まれて今も美しい。
その遠目の構成はよいのだが、近くのよってみると、大仰な柱梁架構の表現が、大時代的な記念物の表現に見えて、わたしは好きになれない。
柱と梁のナマな取り合いが、どうもこなれていない感がある。今の槇文彦なら、もっとうまく処理するだろう。
機能的に新たなものが必要になったのか、裏側にガラスの建築がくっついている。講堂とはまったく異なる表現で、講堂への敬意をもっていることが宜しい。
昔にわたしが散歩したころは、こんなに建物はたっていなかった。周りは雑草地に灌木がたくさん生えていて、野山の風景だったような気がする。
いまはいかにも新しい建物もたち、大学らしいキャンパスになっている。でもわたしが参加したパネルディスカッションの教室は、かなり古そうであったから、半世紀昔に散歩したころにもあったのかもしれない。
思い出せば、半世紀前に住んだその木造アパートは、東山動物園が近かったから、なにやら吠える声が時々聞こえる静かな住宅地だった。 2階の6畳間と3畳間のつつましい二人だけの生活は、やがて男の子が生まれて3人となった。
申し込んでいた公団住宅の抽選に当たって郊外の新しい団地の2DKに移ったのは、アパート住まいが1年ほどたった後であった。
そのアパートあたりの半世紀後を見ようかと思ったが、時間がなかった。あのアパートが今もあるはずはないが、そばにあった千代保稲荷神社は健在であろう。
1960年に日本の建築界で話題となった名古屋大学豊田講堂ができて、建築家・槇文彦の日本での出世作となった。
建築学生だったわたしも、そののびやかなスケールと、どこかル・コルビュジェを思わせるボキャブラリーにイカレタのであった。
その現物が住まいの近くにあったのだから、訪れて感銘を受けたような気がするのだが、忘れていた。
半世紀ぶりに訪れて思い出しつつ見る豊田講堂は、この間の歳月を忘れているような、あまりにキレイな建築であった。つい最近建てたかのように新しく、まるで原寸模型のようにシャキッと建っているのである。
聞けば、最近のことだが大修繕したのだそうだ。荒れていた打ちはなしコンクリートの肌を、新技術で打ち直したのだそうだ。それが最も目につくのであった。
そしてその再生打ちはなしのコンクリートの肌が、どうみても木目模様をプリントした壁紙を貼りつけたとしか見えないのだ。あまりにキレイすぎる。
そもそもコンクリートの打ちはなし表現というものは、コンクリートという力強い素材をもって力学を視覚として表現するための手法だろうと思うのだが、こうもキレイでよいのだろうか。
これを設計した槇文彦はどう思っているのだろうか。わたしは違和感をもって見たのであった。
そのコンクリート肌の修復の技術そのものは評価するとしても、歴史的建築を修復するときの適用は、どう考えればよいのだろうか。豊田講堂ができたばかりの当時の姿を私は見ていることになるのだが、こんなにキレイであったかどうか記憶にない。
だが、キモチが悪いほどのキレイすぎる修復はどんなもんだろうかと、見ながら思ったのであった。
全体ののびやかな姿は、立地条件に恵まれて今も美しい。
その遠目の構成はよいのだが、近くのよってみると、大仰な柱梁架構の表現が、大時代的な記念物の表現に見えて、わたしは好きになれない。
柱と梁のナマな取り合いが、どうもこなれていない感がある。今の槇文彦なら、もっとうまく処理するだろう。
機能的に新たなものが必要になったのか、裏側にガラスの建築がくっついている。講堂とはまったく異なる表現で、講堂への敬意をもっていることが宜しい。
昔にわたしが散歩したころは、こんなに建物はたっていなかった。周りは雑草地に灌木がたくさん生えていて、野山の風景だったような気がする。
いまはいかにも新しい建物もたち、大学らしいキャンパスになっている。でもわたしが参加したパネルディスカッションの教室は、かなり古そうであったから、半世紀昔に散歩したころにもあったのかもしれない。
思い出せば、半世紀前に住んだその木造アパートは、東山動物園が近かったから、なにやら吠える声が時々聞こえる静かな住宅地だった。 2階の6畳間と3畳間のつつましい二人だけの生活は、やがて男の子が生まれて3人となった。
申し込んでいた公団住宅の抽選に当たって郊外の新しい団地の2DKに移ったのは、アパート住まいが1年ほどたった後であった。
そのアパートあたりの半世紀後を見ようかと思ったが、時間がなかった。あのアパートが今もあるはずはないが、そばにあった千代保稲荷神社は健在であろう。
2012/09/23
669東京のビルの谷間の由緒ある神社の夏祭りは再開発でどう引き継ぐのだろうか
東京は文京区、後楽園ちかくの街の中、道端でピーヒャラドンドンとにぎやか、神輿が出ていて、獅子舞が踊る。江戸の伝統の太神楽もやっている。
超高層住宅ビルもあれば、木造の店や中小のビルが混在する街、大勢の大人は缶ビールと焼き鳥を握り、母親と子供はアイスやたこ焼きを抱えて、細い道やまちかど広場をうろうろしている。わたしもその一人となった
聞けば白山神社という伝統ある神社の祭りだそうである。氏子中は広いのでどこにその神社があるかわからないが、あちこちの氏子町内で祭をやっているらしい。
ここにも神輿は大小幾つも出ているし、各町内にそれぞれあるのだろうから、神様は身をいくつかに分けてお出ましとあって、忙しいことである。
この街も実は市街地再開発事業が計画中とて、いずれ超高層ビルの街になるらしい。その時にこの祭りを空間としても新コミュニティとしても、どう引き継いでいくのか、興味深い。
聞けば白山神社という伝統ある神社の祭りだそうである。氏子中は広いのでどこにその神社があるかわからないが、あちこちの氏子町内で祭をやっているらしい。
ここにも神輿は大小幾つも出ているし、各町内にそれぞれあるのだろうから、神様は身をいくつかに分けてお出ましとあって、忙しいことである。
この街も実は市街地再開発事業が計画中とて、いずれ超高層ビルの街になるらしい。その時にこの祭りを空間としても新コミュニティとしても、どう引き継いでいくのか、興味深い。
668横濱地下鐡の驛名は旧字體表示だが駅長さんは嫌いらしい
横浜市営地下鉄の戸塚駅でぼんやりと駅名表示を見ていて、あれ、一本多いぞと気が付いた。
塚ではなくて塚なのである。
それではと、別の掲示を探したら、駅長さんは戸塚駅長なのであった。 どうでもよろしいが、面白い。
辞書を引いてみたら、旧字体であるらしい。
横浜市営地下鉄の他の駅名まで調べるほどの気力はないが、旧字で統一しているのだろうか。
記憶にある市営地下鉄の横浜駅は「横濱駅」とはなっていないような気がする。
それとも戸塚の地名は旧字であるべきとの、横浜市の方針なのかしら。
それではと、戸塚区役所の公式ウエブサイトを開いてみたら、そのホームページには「戸塚区」と書いてある。
JR東海道線戸塚駅はどうなっているか知らない。
戸塚駅ついでに、その地下鉄の便所で小便をしようとして気がついた。律儀にも道路と民地の境界線をタイルの壁に表示してある。
この線の左だと道路で立小便、右でやるとどこかのお宅の庭で立小便。なぜここだけ表示してあるのだろうか。別々に管理しているのかしら。まあ、どうでもよろしいですが、書いてあるとどちらでしようかと気になる。
それではと、別の掲示を探したら、駅長さんは戸塚駅長なのであった。 どうでもよろしいが、面白い。
辞書を引いてみたら、旧字体であるらしい。
横浜市営地下鉄の他の駅名まで調べるほどの気力はないが、旧字で統一しているのだろうか。
記憶にある市営地下鉄の横浜駅は「横濱駅」とはなっていないような気がする。
それとも戸塚の地名は旧字であるべきとの、横浜市の方針なのかしら。
それではと、戸塚区役所の公式ウエブサイトを開いてみたら、そのホームページには「戸塚区」と書いてある。
JR東海道線戸塚駅はどうなっているか知らない。
戸塚駅ついでに、その地下鉄の便所で小便をしようとして気がついた。律儀にも道路と民地の境界線をタイルの壁に表示してある。
この線の左だと道路で立小便、右でやるとどこかのお宅の庭で立小便。なぜここだけ表示してあるのだろうか。別々に管理しているのかしら。まあ、どうでもよろしいですが、書いてあるとどちらでしようかと気になる。
2012/09/19
667白内障手術決行譚(その5)病院に手術入院するって面白くも奇妙な体験であった
●入院治療は契約書は結ばないらしい
白内障治療で、右目と左目を間に5日おいて、2泊3日の入院を2度やった。
これまでの入院経験は1度だけ、鎌倉で30年ほども前(1週間ほど足を引っ張ってただ寝ているだけ)だった。だからこれで3度の入院経験となる。
このたびの入院にあたって、「入院誓約書」なるものを出させられた。
入院するに当たっては病院の規則を守り、身元引受人はきちんと責任を果たしますので、入院治療をお願いします、てなものである。30年前の入院では、こんなものを出した覚えがない。
この誓約書は、なんだか一方的な感じがするのである。
病院だろうと商店だろうと、民法上の契約行為だから、これほど高額でありしかも身体にメスを入れる重要な取引なのだから、患者と病院の双方がハンコを押した契約書を作るのが当たり前のような気がする。
それが、患者側だけが誓約書をだすというのは、片務契約である。それなら病院側も、患者に対して、責任もって治療いたしますという誓約書を出してもらいたいものである。
これっておかしい考えなのだろうか。
もう一つの書類は「手術または検査説明書・同意書」である。一枚の紙の上半分に治療方法等の説明書と医師と看護師のサイン、下半分がその説明を受けて納得したので手術をしてほしいという同意書で患者と家族のサインである。
まあ、これは医師と患者の両方がサインしているから、それなりに納得できる。
●アメニティセットなるタオル等リース
もう一つサインして出した書類は「アメニティセット申込書兼同意書」である。これは病院宛ではなくて、入院中につかうパジャマ・タオル・歯磨きセットなどのリース会社に出すのである。
これらを患者が各自持ち込んではいけない、リース会社から借りなければならないというのである。外部からの黴菌の入ってくるのを防ぐためらしい。でもねえ、かばんも靴も肌着も上着、ノート、デジタル録音機など持ち込んでるんですがねえ。
同意書と書いてあるが、何も同意するべき文章は書いてなくて、要するにリースの申込書である。
こちらから申し込んでいるのに、リース会社側の請書がないのである。この書類は不備である。
病室にはこのリースらしいタオルが2本、バスタオル2本、歯磨きセットがおいてあった。2回とも使ったのはタオル1本と歯磨きセットだけだった。これは別請求なので保険対象ではないらしい。
手術の日は750円、そのほかの日は480円、6日間の合計で3420円。リース料としてはけっこう高い。
手術の日が高いのは、手術用のパジャマと紙パンツを使ったからだろうが、請求書には明細がない。
同意書といい請求書といい、病院並みの一方的な感じである。
どうも解せないのは、パジャマや手術着は入院の必需品なのに、保険がきかないことである。だったら布団は枕はどうなってるんだろうか、ベッドはどうなんだよ。
食事だって保険がきかないってのもわからない。不味いから要らないといったのに、無理に食べさせられたのだぞ、どうしてくれる。
●実はマニュアル的でない看護
左右の目が違うだけでまったく同じ治療の入院を、2週連続して行ったが、入院した部屋は別の階であった。
ひとつビルの中だから棟はわかれていないのだが、右目が2階病棟、左目が4階病棟と名付けられているのは、昔の病院の習慣がそのままなのであろう。
ところが、どうやらその病棟ごとに看護の仕方が違うらしいのである。
2回目の左目入院の最初には看護師からいろいろと聞かれて、4ページものアンケート記入をさせられたが、最初の右目のときはそんなものはなかった。
手術室に入る前に、右目の時はパジャマもパンツも病院のものに着替えさせられたが、左目の時は上だけ着替えて下半身はそのままままでよいとのことだった。
手術室前の氏名と手術場所の点呼も、右目では2回、左目では1回だった。
ほかにも血圧を測りに来る回数とか、薬の服用や点眼の指導とか、いろいろ異なることがあって、困るほどのことではないが、それが面白かった。
病院というところは完全にマニュアル化しているのかと思ったら、意外にそうではなくて、病棟ごとに看護方法に差があるのだった。同じ病院で書類まで違いがあるのが面白い。
●相部屋の病室はプライバシーゼロ
入院の部屋は部屋代がいらない6人部屋に入った。カーテン一枚で仕切る2m角ほどのの仕切りである。
当然のことながら音は筒抜け、看護師がいるときはカーテン半分あけているから視覚的にも見え見えであるが、それを承知で入ったから仕方がない。
ここに1か月もいるとなると我慢できにくいが、たかが2泊3日だからかまわない。実は30年ほど前の入院も6人部屋であった。このときの経験が面白かったので、値段のこともあるが、積極的に今回も相部屋を選んだ。
面白かったとは、プライバシーゼロの状態で1週間いたら、他の入院患者のプライバシーがほとんど全部見えて、このような人たちがいるのだなあと、ずいぶん人生経験をしたことであった。
看護師はもちろん、家族や見舞い人が来てあれこれ話していることが、筒抜けで聞こえてしまうのだから仕方がないのだが、その人の病気も生活もわかってしまう。
小説家に入院経験がある人が多いのは、こういうところでネタを仕入れていたのだろうと思ったのであった。
今回は2晩づつだったが、糖尿病らしい若者、尿が出なくて苦しむらしい中年男、血圧測定マニアらしい老人が、耳に入った。
こちらの目の手術のことや、飯が不味いとクレームつけているのも聞こえていたに違いない。
そんなことは面白がっていればよいのだが、ある真夜中に急患が隣に入ってきて、明かりを煌々とつけて、どたどたがやがや、すっかり目を覚まされてしまったのには、さすがに面白がってはいられなかった。
でも、いくら部屋代が安いといっても、本当にこんなにもプライバシーがなくてよいのだろうか。
参照→白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1
666白内障手術決行譚(その4)当て外れやっぱり眼鏡が要る
http://datey.blogspot.com/2012/09/666.html
665白内障手術決行譚(その3)ボケたら脳みそも取り替える時代が
http://datey.blogspot.com/2012/09/665.html
663白内障手術決行譚(その2)若返った右目で見る風景の軽薄さ
http://datey.blogspot.jp/2012/09/663.html
662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事
http://datey.blogspot.jp/2012/09/662.html
白内障治療で、右目と左目を間に5日おいて、2泊3日の入院を2度やった。
これまでの入院経験は1度だけ、鎌倉で30年ほども前(1週間ほど足を引っ張ってただ寝ているだけ)だった。だからこれで3度の入院経験となる。
このたびの入院にあたって、「入院誓約書」なるものを出させられた。
入院するに当たっては病院の規則を守り、身元引受人はきちんと責任を果たしますので、入院治療をお願いします、てなものである。30年前の入院では、こんなものを出した覚えがない。
この誓約書は、なんだか一方的な感じがするのである。
病院だろうと商店だろうと、民法上の契約行為だから、これほど高額でありしかも身体にメスを入れる重要な取引なのだから、患者と病院の双方がハンコを押した契約書を作るのが当たり前のような気がする。
それが、患者側だけが誓約書をだすというのは、片務契約である。それなら病院側も、患者に対して、責任もって治療いたしますという誓約書を出してもらいたいものである。
これっておかしい考えなのだろうか。
もう一つの書類は「手術または検査説明書・同意書」である。一枚の紙の上半分に治療方法等の説明書と医師と看護師のサイン、下半分がその説明を受けて納得したので手術をしてほしいという同意書で患者と家族のサインである。
まあ、これは医師と患者の両方がサインしているから、それなりに納得できる。
●アメニティセットなるタオル等リース
もう一つサインして出した書類は「アメニティセット申込書兼同意書」である。これは病院宛ではなくて、入院中につかうパジャマ・タオル・歯磨きセットなどのリース会社に出すのである。
これらを患者が各自持ち込んではいけない、リース会社から借りなければならないというのである。外部からの黴菌の入ってくるのを防ぐためらしい。でもねえ、かばんも靴も肌着も上着、ノート、デジタル録音機など持ち込んでるんですがねえ。
同意書と書いてあるが、何も同意するべき文章は書いてなくて、要するにリースの申込書である。
こちらから申し込んでいるのに、リース会社側の請書がないのである。この書類は不備である。
病室にはこのリースらしいタオルが2本、バスタオル2本、歯磨きセットがおいてあった。2回とも使ったのはタオル1本と歯磨きセットだけだった。これは別請求なので保険対象ではないらしい。
手術の日は750円、そのほかの日は480円、6日間の合計で3420円。リース料としてはけっこう高い。
手術の日が高いのは、手術用のパジャマと紙パンツを使ったからだろうが、請求書には明細がない。
同意書といい請求書といい、病院並みの一方的な感じである。
どうも解せないのは、パジャマや手術着は入院の必需品なのに、保険がきかないことである。だったら布団は枕はどうなってるんだろうか、ベッドはどうなんだよ。
食事だって保険がきかないってのもわからない。不味いから要らないといったのに、無理に食べさせられたのだぞ、どうしてくれる。
●実はマニュアル的でない看護
左右の目が違うだけでまったく同じ治療の入院を、2週連続して行ったが、入院した部屋は別の階であった。
ひとつビルの中だから棟はわかれていないのだが、右目が2階病棟、左目が4階病棟と名付けられているのは、昔の病院の習慣がそのままなのであろう。
ところが、どうやらその病棟ごとに看護の仕方が違うらしいのである。
2回目の左目入院の最初には看護師からいろいろと聞かれて、4ページものアンケート記入をさせられたが、最初の右目のときはそんなものはなかった。
手術室に入る前に、右目の時はパジャマもパンツも病院のものに着替えさせられたが、左目の時は上だけ着替えて下半身はそのままままでよいとのことだった。
手術室前の氏名と手術場所の点呼も、右目では2回、左目では1回だった。
ほかにも血圧を測りに来る回数とか、薬の服用や点眼の指導とか、いろいろ異なることがあって、困るほどのことではないが、それが面白かった。
病院というところは完全にマニュアル化しているのかと思ったら、意外にそうではなくて、病棟ごとに看護方法に差があるのだった。同じ病院で書類まで違いがあるのが面白い。
●相部屋の病室はプライバシーゼロ
入院の部屋は部屋代がいらない6人部屋に入った。カーテン一枚で仕切る2m角ほどのの仕切りである。
当然のことながら音は筒抜け、看護師がいるときはカーテン半分あけているから視覚的にも見え見えであるが、それを承知で入ったから仕方がない。
ここに1か月もいるとなると我慢できにくいが、たかが2泊3日だからかまわない。実は30年ほど前の入院も6人部屋であった。このときの経験が面白かったので、値段のこともあるが、積極的に今回も相部屋を選んだ。
面白かったとは、プライバシーゼロの状態で1週間いたら、他の入院患者のプライバシーがほとんど全部見えて、このような人たちがいるのだなあと、ずいぶん人生経験をしたことであった。
看護師はもちろん、家族や見舞い人が来てあれこれ話していることが、筒抜けで聞こえてしまうのだから仕方がないのだが、その人の病気も生活もわかってしまう。
小説家に入院経験がある人が多いのは、こういうところでネタを仕入れていたのだろうと思ったのであった。
今回は2晩づつだったが、糖尿病らしい若者、尿が出なくて苦しむらしい中年男、血圧測定マニアらしい老人が、耳に入った。
こちらの目の手術のことや、飯が不味いとクレームつけているのも聞こえていたに違いない。
そんなことは面白がっていればよいのだが、ある真夜中に急患が隣に入ってきて、明かりを煌々とつけて、どたどたがやがや、すっかり目を覚まされてしまったのには、さすがに面白がってはいられなかった。
でも、いくら部屋代が安いといっても、本当にこんなにもプライバシーがなくてよいのだろうか。
参照→白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1
666白内障手術決行譚(その4)当て外れやっぱり眼鏡が要る
http://datey.blogspot.com/2012/09/666.html
665白内障手術決行譚(その3)ボケたら脳みそも取り替える時代が
http://datey.blogspot.com/2012/09/665.html
663白内障手術決行譚(その2)若返った右目で見る風景の軽薄さ
http://datey.blogspot.jp/2012/09/663.html
662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事
http://datey.blogspot.jp/2012/09/662.html
2012/09/18
666白内障手術決行譚(その4)当て外れやっぱり伊達の眼鏡が要るとはなあ
両目が白内障と診断されて、エイヤッと両目ともプラスチックに取り替えたら、よく見えるけど、なんだか世の中がしらけているように見えるのが、ヘンだ。
これまでも遠近乱眼鏡をかけて、それなりにちゃんと世の中が見えてたのだが、目玉ののレンズにいろいろと75年分の垢がたまって見えにくかったらしい。
日常生活で見えにくいとは特に思っていなかったが、その一方で、夏場の強烈なまぶしさには困っていた。その目玉の垢に光が乱反射するからだと医師に言われたのが、手術踏ん切り動機であった。
さて目玉の垢がなくなった分だけ、以前と比べて世の中が明るく見えるのだが、これって以前のちょっと暗いほうが現実であるように思えるのが、癪な今の世である。
当て外れは、これまで取り揃えていた遠視、近視、乱視が、手術で全部消滅すると思っていたら、やっぱり乱視は若干あるし、本を読むには眼鏡がいるし、当てが外れた。
ちょっと前から、寝ころんで本を読むとどうもうまく焦点が合わない、眼鏡を取り替えるかなあと思っている矢先に白内障診断である。
それなら眼鏡代金を手術代金にすれば、死ぬまで裸眼で本を読める、うん、これは名案と思ったのがバカであった。
でもまあ、まぶしくなくなったことと、裸眼でも視力は1.2で、1mほどからむこうははっきり見えるので、ヨカッタヨカッタと思うことにする。
その昔々のこと、視力は2.0、駅の隣のホームに掲げてある列車時刻表が読めたものである。
医師が言うには、まだ目の中が落ち着いていないので、これから見え方が変わるらしい。さてどうなるか、楽しみである。
めったに病院にいくことがなくて、保険料を支払うばかりの赤字だったが、これで少しは取り戻せただろうか。約5万円支払ったから、50万円の治療費であった。
白内障手術は日帰りでもできるらしいが、わたしのかかった病院では2泊3日の入院制であった。30年も前だったかに、右足故障で1週間入院して以来の入院であった。
入院でいちばん困ったのは、食事の不味さだった。以前の入院ではうまいうまいと食ったのだが、今回の病院は文字通り閉口した。特に米飯がまずい。
初めの右目の2泊3日は我慢して食ったが、2回目の左目の時は、素泊まり入院にしてくれと頼んだが、ダメだという。やってきた料理担当栄養士の話では、保険医療費の都合で、これ以上高い米を買えないのだそうだ。実は私はこのころ、新潟中越のコメ産地に震災復興ボランティアで通っていたので、日本で一番うまい飯を食っていたのだ。
それではこちらも対抗するぞと、売店から握り飯やサンドイッチを買って食った。途中で思いついて、米飯をパンに替えてもらったら、これは食えた。
目玉が3つあったら、次の手術は別の病院でやったところだぞ。
裸眼でよく見えるのも不幸である。鏡に映る自分の顔のシワシミソバカスホクロ無精ヒゲ、老け具合がよく見えすぎる、これまでは気にしていなかったのに……、お化粧でもするか……とほほ。
参照→白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1
665白内障手術決行譚(その3)ボケたら脳みそも取り替える時代が来るかも
http://datey.blogspot.com/2012/09/665.html
663白内障手術決行譚(その2)若返った右目で見る風景の軽薄なことよ
http://datey.blogspot.jp/2012/09/663.html
662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事月間が始まる
http://datey.blogspot.jp/2012/09/662.html
これまでも遠近乱眼鏡をかけて、それなりにちゃんと世の中が見えてたのだが、目玉ののレンズにいろいろと75年分の垢がたまって見えにくかったらしい。
日常生活で見えにくいとは特に思っていなかったが、その一方で、夏場の強烈なまぶしさには困っていた。その目玉の垢に光が乱反射するからだと医師に言われたのが、手術踏ん切り動機であった。
さて目玉の垢がなくなった分だけ、以前と比べて世の中が明るく見えるのだが、これって以前のちょっと暗いほうが現実であるように思えるのが、癪な今の世である。
当て外れは、これまで取り揃えていた遠視、近視、乱視が、手術で全部消滅すると思っていたら、やっぱり乱視は若干あるし、本を読むには眼鏡がいるし、当てが外れた。
ちょっと前から、寝ころんで本を読むとどうもうまく焦点が合わない、眼鏡を取り替えるかなあと思っている矢先に白内障診断である。
それなら眼鏡代金を手術代金にすれば、死ぬまで裸眼で本を読める、うん、これは名案と思ったのがバカであった。
でもまあ、まぶしくなくなったことと、裸眼でも視力は1.2で、1mほどからむこうははっきり見えるので、ヨカッタヨカッタと思うことにする。
その昔々のこと、視力は2.0、駅の隣のホームに掲げてある列車時刻表が読めたものである。
医師が言うには、まだ目の中が落ち着いていないので、これから見え方が変わるらしい。さてどうなるか、楽しみである。
めったに病院にいくことがなくて、保険料を支払うばかりの赤字だったが、これで少しは取り戻せただろうか。約5万円支払ったから、50万円の治療費であった。
白内障手術は日帰りでもできるらしいが、わたしのかかった病院では2泊3日の入院制であった。30年も前だったかに、右足故障で1週間入院して以来の入院であった。
入院でいちばん困ったのは、食事の不味さだった。以前の入院ではうまいうまいと食ったのだが、今回の病院は文字通り閉口した。特に米飯がまずい。
初めの右目の2泊3日は我慢して食ったが、2回目の左目の時は、素泊まり入院にしてくれと頼んだが、ダメだという。やってきた料理担当栄養士の話では、保険医療費の都合で、これ以上高い米を買えないのだそうだ。実は私はこのころ、新潟中越のコメ産地に震災復興ボランティアで通っていたので、日本で一番うまい飯を食っていたのだ。
それではこちらも対抗するぞと、売店から握り飯やサンドイッチを買って食った。途中で思いついて、米飯をパンに替えてもらったら、これは食えた。
目玉が3つあったら、次の手術は別の病院でやったところだぞ。
裸眼でよく見えるのも不幸である。鏡に映る自分の顔のシワシミソバカスホクロ無精ヒゲ、老け具合がよく見えすぎる、これまでは気にしていなかったのに……、お化粧でもするか……とほほ。
参照→白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1
665白内障手術決行譚(その3)ボケたら脳みそも取り替える時代が来るかも
http://datey.blogspot.com/2012/09/665.html
663白内障手術決行譚(その2)若返った右目で見る風景の軽薄なことよ
http://datey.blogspot.jp/2012/09/663.html
662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事月間が始まる
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2012/09/16
665白内障手術決行譚(その3)そのうちボケたら脳味噌取り換えもできるようになるだろうなあ
熊五郎 ちわー、ご隠居、お見舞いにきました~、なんでも噂では、お顔のあたりの大手術とかで入院したとききましたが、ぶったたいても死にそうにないご隠居が、いったいどうしました。
隠居 おや熊さんかい、よくおいでだね、ぶったたいても死なないは余計だが、心配してくれてありがとうよ。実はな、白内障の治療で、両目にプラスチックレンズを入れたんだよ。
熊 てーと何ですかい、ご隠居の大手術ってのはメン玉の取替えってことでしたか。あっしゃーまたてっきり顔の成形手術でもやって若い娘にモテようなんて気でも起こしたのかと思っておりやした。 そんでもって整形手術に失敗して…なんて。
隠 いやいや手術は大成功、よく見えるようになったよ。
熊 そういえば、白内障てーと、あっしの母親もその昔に同じ手術をやって、てーそーよく見えるようになったって喚いていたような…。
隠 喚くほどのことでもないが、眼鏡無しで見る世の中の色が明るくなった上に、妙にはっきり見えるんだよ。医者は、白内障になる前の若いころはそう見えていたというのだね。で、よく見える目で見たら熊さん、お前はやっぱりイケメンじゃなかったんだなあ。
熊 大きなお世話ですよ、ご隠居こそ自分の顔を鏡で見てビックリでしょ、、。
隠 アッ、そうなんだよ、わたしはこんなに年寄り顔であったかと、がっくりしてるんだよ。熊さんの言うように整形手術もしてもらおうかな。それともお化粧でもしようか。
熊 けっ、気持ち悪い。でも手術代が高いんでしょ。
隠 ああ、わたしは後期高齢者保険で一割負担だがね、それでも片目2泊3日入院で23350円だったね。ところが後期高齢者の保健だと、暦の1か月の医療費が44000円を超えると、越えた分を保険で払ってくれるんだな、だから両目で47000円のところが44000円だな。同じ月内ならほかの病院でのほかの病気の治療費と合わせて44000円までなんだそうだ。
熊 そりゃいいや、だったら、今月中にほかの医者にもどんどんかかって、あれもこれも治したらどうですかい。ご隠居はほかにどこか悪いところありやせんか。
隠 悪いところ治すって急に言われてもねえ、歯を直すかなあ、。
熊、ありますよ、口が悪い、人相が悪い。
隠 そりゃお前のことだろ。ま、なんにしても若いころの目に生まれ変わったのだから、これからは頭も若く切り替えようと思うのだよ。
熊 こうやって目ン球取り替えできる様に、そのうちに脳みその取り換えもできる様になりますよ。ご隠居は間にあわないだろうけど、あっしはそのうちにやりましょう。
隠 そうだよねえ、人体も部品取替え可能になるかもねえ、ぼけたら頭の交換、骨折したら足や腕を一本そっくり取替えってことになるもねえ。
熊 あ、そうだ、ほれ、アソコもできますね。

隠 何を考えてるんだか、、。ほれ、この写真、入院して点滴しているわたしの雄姿をご覧よ、昔から他人を見舞いに行くと、こうやって歩いてる人がいるのをみて、この姿にあこがれていたんだよ、ついにかなったね。
熊 こんなもんにあこがれてどうするんです、しょうがないねえ。
隠 ところで目の手術の様子を聞きたいだろ、一部始終を教えてあげるからこちらにおあがり。メスがね、眼の球にだね、グサーッと入って来たと思ったら……。
熊 サイナラーッ
参照→白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1
663白内障手術決行譚(その2)若返った右目で見る風景の軽薄なことよ
http://datey.blogspot.jp/2012/09/663.html
662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事月間が始まる
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隠居 おや熊さんかい、よくおいでだね、ぶったたいても死なないは余計だが、心配してくれてありがとうよ。実はな、白内障の治療で、両目にプラスチックレンズを入れたんだよ。
熊 てーと何ですかい、ご隠居の大手術ってのはメン玉の取替えってことでしたか。あっしゃーまたてっきり顔の成形手術でもやって若い娘にモテようなんて気でも起こしたのかと思っておりやした。 そんでもって整形手術に失敗して…なんて。
隠 いやいや手術は大成功、よく見えるようになったよ。
熊 そういえば、白内障てーと、あっしの母親もその昔に同じ手術をやって、てーそーよく見えるようになったって喚いていたような…。
隠 喚くほどのことでもないが、眼鏡無しで見る世の中の色が明るくなった上に、妙にはっきり見えるんだよ。医者は、白内障になる前の若いころはそう見えていたというのだね。で、よく見える目で見たら熊さん、お前はやっぱりイケメンじゃなかったんだなあ。
熊 大きなお世話ですよ、ご隠居こそ自分の顔を鏡で見てビックリでしょ、、。
隠 アッ、そうなんだよ、わたしはこんなに年寄り顔であったかと、がっくりしてるんだよ。熊さんの言うように整形手術もしてもらおうかな。それともお化粧でもしようか。
熊 けっ、気持ち悪い。でも手術代が高いんでしょ。
隠 ああ、わたしは後期高齢者保険で一割負担だがね、それでも片目2泊3日入院で23350円だったね。ところが後期高齢者の保健だと、暦の1か月の医療費が44000円を超えると、越えた分を保険で払ってくれるんだな、だから両目で47000円のところが44000円だな。同じ月内ならほかの病院でのほかの病気の治療費と合わせて44000円までなんだそうだ。
熊 そりゃいいや、だったら、今月中にほかの医者にもどんどんかかって、あれもこれも治したらどうですかい。ご隠居はほかにどこか悪いところありやせんか。
隠 悪いところ治すって急に言われてもねえ、歯を直すかなあ、。
熊、ありますよ、口が悪い、人相が悪い。
隠 そりゃお前のことだろ。ま、なんにしても若いころの目に生まれ変わったのだから、これからは頭も若く切り替えようと思うのだよ。
熊 こうやって目ン球取り替えできる様に、そのうちに脳みその取り換えもできる様になりますよ。ご隠居は間にあわないだろうけど、あっしはそのうちにやりましょう。
隠 そうだよねえ、人体も部品取替え可能になるかもねえ、ぼけたら頭の交換、骨折したら足や腕を一本そっくり取替えってことになるもねえ。
熊 あ、そうだ、ほれ、アソコもできますね。
隠 何を考えてるんだか、、。ほれ、この写真、入院して点滴しているわたしの雄姿をご覧よ、昔から他人を見舞いに行くと、こうやって歩いてる人がいるのをみて、この姿にあこがれていたんだよ、ついにかなったね。
熊 こんなもんにあこがれてどうするんです、しょうがないねえ。
隠 ところで目の手術の様子を聞きたいだろ、一部始終を教えてあげるからこちらにおあがり。メスがね、眼の球にだね、グサーッと入って来たと思ったら……。
熊 サイナラーッ
参照→白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1
663白内障手術決行譚(その2)若返った右目で見る風景の軽薄なことよ
http://datey.blogspot.jp/2012/09/663.html
662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事月間が始まる
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