【東京駅周辺徘徊その3】からつづく
東京駅の駅舎と言えば、つい丸の内側の赤レンガキンキラ駅舎のことばかりになるが、八重洲側にも出入り口があるし、もちろん駅舎もある。
八重洲口は1929年に開業した。丸の内側の駅舎と違って、こちらの駅舎は何回も変転があって、戦後になってもずいぶん姿が変った。
ここでは1987年にわたしが撮った八重洲側の写真がいくつかあるので、それと現在とを比較してみよう。
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まずは八重洲側の駅前にある八重洲通りから見る、1987年の東京駅の八重洲側駅舎である。鉄道会館と言い、大丸デパートが入っていた。
八重洲通りの正面に、黒い壁のように立ちふさがっていた。反対側の丸の内側から見ると、増築までは6階建てだから、赤レンガ駅舎の上には見えなかったのだが、増築後は赤レンガ駅舎の上に横長に見えてスカイラインをみだしていいた。
上と同じ八重洲通から見る東京駅の2016年の姿である。
いまでは八重洲駅舎は3階建てになり、グランルーフと名付けられているのは、その上にテントのようなものが張りだしていてそれが大(グラン)屋根(ルーフ)なんだろうか。低くなった分の容積率はグラントウキョウノースタワーにでも移転したのだろう。
その向こうには建て直して高くなった丸ビルと新丸ビルが見える。
八重洲通りの両側の姿は、30年前とほとんど変わっていない。でも、近ごろこのあたりを再開発して、超高層ビルに建て替える計画案が、事業者から発表さているから、10年後には大きく変わっているだろう。
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次は、その鉄道会館の屋上から見る、1987年の八重洲通りの姿である。
次は上と同じ位置からの2015年の姿である。しかし、写真を撮ろうにも鉄道会館が消えたので、これはグーグルアースのお世話になって似たようなアングルを探したものである。
左右ともほとんど変わっていないことが分る。しかしそれも5年ほどのことだろう。
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次も同じく鉄道会館屋上から見る、1987年の八重洲通りである。
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次は八重洲側の八重洲ブックセンターから外堀通りを北に眺める1987年の東京駅八重洲口駅前広場と鉄道会館である。
鉄道会館の向こうに国際観光会館と鉄鋼ビルが見える。これらはいずれも1950年代早々に整備されて、東京駅の八重洲側をかたちづくったのだった。
上と同じアングルで、八重洲ブックセンターから北に眺める2016年の風景である。この30年で大きく変わったことが分る。
八重洲駅前広場と八重洲駅舎、その右向こうに大丸デパートが移転したグラントウキョウノースタワー(八重洲観光会館の跡)である。左端にグラントウキョウサウスタワーが見える。
これらは丸の内駅舎の一部容積移転も受けて、2007年に建った。右端に見えるのは、再開発されて超高層になった鉄鋼ビル。
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次は上とは逆に、外堀通りを北の呉服橋交差点から南へ見通した1987年の写真である。右に鉄鋼ビル、左に龍名館が見える。
左の外堀通りの東側は、手前の太陽神戸銀行と龍名館が建て替わっているが、その先はほとんど変化が見えない。
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面白いのは、東京駅の街区は大変化なのに、外堀通りから東の八重洲2丁目の裏路地あたりの街の、あまりにも変化のないことである。同じ東京駅周辺でも、こちらと丸の内側とのギャップの大きさが興味深い。1970年頃から10数年、大手町の勤め先からここに昼飯や夜呑みでやってきていたものだった。何本もの細い路地に小さな飲み屋が立ち並ぶ、なんとも懐かしい昔の風景が今もある。
(つづく)
●伊達のブログ・まちもり通信内関連参照ページ
・【東京駅周辺徘徊その4】八重洲側のビル群はこの30年で大変化
・【東京駅周辺徘徊その3】行幸道路やんごとなきお方が眺める景観・・・
・【東京駅周辺徘徊その2】ナントカランド東京駅丸の内駅舎の歴史・・・
・【東京駅周辺徘徊その1】丸の内と大手町は今やデブデカ超高層群・・・
◆東京駅周辺まち歩きガイド資料2017年5月版(伊達美徳制作ガイドブック)