2024/04/10

1810【変わる都市景観】緑の日常景観を目隠しして登場したあまりにも平凡な高層建築

 わたしが住むのは地上20mの空中陋屋である。その居間のガラス戸の先に公園があり、300mほど向こうには山手丘陵地の樹林が左右に広がる。この斜面の緑に3方を囲い込まれた景観が、この都心部市街地の特徴である。

 もう一つの特徴は、その山手の緑の50mほど手前にある川の上を、首都高速道路の高架橋が横に長く景観を上下に切っていることである。景観上は誠に邪魔な代物であるばかりか、それなりに騒音が聞こえるし、たぶん排ガスもこちらに来ているだろう。
 この高架道路は、飛鳥田・田村時代に六大事業と称したひとつである。これについては2019年にこのブログに【都市プランナー田村明の呪い】と題して書いている。

空中陋屋から見る緑と切断する高架道路 2023年12月

 その景観の中に、わが陋屋から150mほどのところに、新しい高層建築の工事が去年から始まって次第に建ちあがっていた。建設騒音は交通騒音とは異質で、かなり甲高い。鉄骨が次第に高く組みあがっていく風景は、こどもがレゴのようで面白かった。

 何種類もの鉄骨が毎日のように運び込まれてきて、歩道に建てたクレーン車がそれを吊り上げる。それを空中で待ち受ける鳶職が伸長に受け取って組み立てていく。これを何回も何日もかけてやる。あの限られた広さと高さの中だから、かなり緻密なる計画と段取りがあらかじめきめられているにちがいない。その空中の職人と鉄骨とクレーンの動きを飽きもせず眺めていたら、これは巨大な精密機械のように見えてきた。
 このあたりのことをすでにこのブログの2023年11月に【空中陋屋景観】と題して書き込んでいる。

 しかし一方では、あの向こうの山手の緑を目隠ししてしまうこの新高層ビルは、それに見合うだけのどんな格好良い建築として出現してくれるのだろうかとの楽しみと、いやいや不格好なものを毎日眺めさせられるかもしれぬとの不安、それらがないまぜの日々であった。

2024年4月初め被り物で顔を隠した高層ビルが出現

 なにしろのわが空中陋屋から日々の目に入る景観の中の重要な位置を占めるのだから、気にせずにおれない。工事用の囲いテントが外れるのを毎日待っていた。
 さて、4月初旬、桜の開花とともに工事用の囲いの幕が外れた。え、なんだあ、つまらない建築だね~、ふ~ん、道路に面する表は単純な横長連窓、裏面の3方は全部が壁、ふむ、手抜き設計であるぞ.

 いやいや、これは都市的環境に対応したデザインであると言えるのは、山手の緑の景観と日照をすっぱりとあきらめ、高速道路に明確の背を向けたことである。つまり、首都高高架道路が24時間振りまく騒音と排ガスに面する側を、真っ黒な壁にしてしまったのだ。これこそが手抜き設計ではないと、この建築の主張するところだろうが、住宅ではないからできる芸当だ。

 それはこの並びに立ち並ぶいくつもの高層共同住宅(いわゆる“名ばかり”マンション)が、騒音と排気ガスにめげずに日照を求めて高速道路側にバルコニーを設けているのとは対照的である。
 それに関連して、つい最近になりこの近くに、この高速道路に背を向けた共同住宅ビルが建った。日照を犠牲にしても騒音を避けたらしい(その記事はこちら)。


遂に姿を現したがこれはまあなんという平凡な姿!

 話を元に戻すが、しかしだねえ、こちらに見えるファサードデザインは、もうちょっとは芸があってもよさそうなのになあ、そうか、元受け工事屋さんの設計施工らしいからなあ、できるだけ合理的に単純に安く建てたかったのかねえ、あ、いや、もしかして、こちらからは公園の木の陰で見えない下半身には、なにか芸があるのかもしれない。

 前々から街なかで建設現場を見るたびに思うのだが、鉄骨高層建築は鉄骨だけ立ち上がった時が一番美しい。そこに外装仕上げ材料があれこれとくっついてくるにつれて、どんどん美しさを減じていく。
 木造住宅も木組みが立ちあがった時が最も美しい。その点ではコンクリート建築は、コンクリート構造だけではどうももっさりしていてつまらない。
 
 これでわが陋屋からの山手の緑の景観はふさがれてしまった。横浜都心部の重要な緑景観なんだけど、都市デザインで有名な横浜市のチェックはなかったのだろうなあ、しょうがないかなあ、まあ、このビルの更に向こうの、うちから250mほど先にある首都高速高架を、これが目隠しと防音壁になってくれるから、それをもってよしとするしかない。これで田村明の呪いがちょっと弱まるというものだ。

 それにしても、この建築の用途は、普通のオフィスビルではなくて、何か特定の研修のための施設であるらしい。それなら、もう少しそれらしい格好をつけてはいかがかな。
 いやいや、下手な建築家に下手な格好つけられては、それを日々眺めさせられるこちらはむしろ困るから、この簡単至極平凡な飽きが来ない姿をもって良しとしよう、めでたしめでたし。

(20240410記)

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202311【空中陋屋景観】、201909【田村明の呪い

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2024/04/08

1809【今年も人生最後の花見】願はくは花の下にて春死なむそのキャンパスの満開のころ

 今年も人生最後の花見に母校キャンパスを訪ねてきた。毎年毎年、最期いや最後の花見をしてきたのだが、今年でもう最後だな、と言いつつ毎年来ている。今年こそ最後だな。
 ホホウ咲いておるな、今年も、おおけなげなことよ、これほどに身を横たえるほどに老いさらばえても、これほどに腰が曲っても、これほどに瘤瘤の身となっても、これほどに衰えたる姿でも、春が来れば幹にも枝にも樹冠にも、花をつける。その健気さよ。

本館前にはもう立つことも難しく横に横にと何本も杖つきながらそれでも咲く老い木


老い木の花のもとにはキャンパスの主の若人たちが満開

老いさらばえてしまえど幹にも小さな花を咲かせるけなげさよ



 この老い木の姿はすごい。能・西行櫻のように、花の精の白髪老人が現れて、西行の歌を謡っても不思議ではない。

 花見んと群れつつ人のくるのみぞ あたら櫻のとがにはありける 

 さすがに老い木の老いのすごさを見かねたか、若木が登場して老木の列の外に立ち並んでおり、今やそれなりの花を咲かせているのがうれしい。
 あと数年でこれら老い木群は退場して、若木の列が今よりも一回り広く大きな花のドームをつくるだろう。それを私が見ることはない。花の下に埋める死体になりたい。
あと何年かしたら老い木の列は消え、その外に立ち並び待つ若木に替わるだろう

 さて、ではここからはようやく本命桜花の登場である。
 今年も桜花ドームはあるのかと、老いさらばえたるわが身を杖にすがって伸ばし見上げれば、おお、これはすごい、ドーム健在である。花は空一面をおおうのであった。
 その老友桜の姿に、わが身のよれよれをを恥ずかしがるばかり。いや、ヨレヨレぶりは我が身よりも桜の方がはるかに勝っているのだが、現役としての咲きぶりにはコテンパンに負けてしまった。
今年も咲いてくれたか、よしよし

おお、狂気のごとく咲くとは、このことか、

おいおい、これは咲きすぎだろ、大丈夫か、その老いの身で、こんなに花咲かせて、

まさかこれを最後のひと花として咲かせたのではあるまいなが

 これが今年の花である。ドーム下から見上げるとすごいものだが、外から全体を見ると、老い木の曲がりや暴れが気になる。今や老々介護ならぬまさに老々花見である。
 今年の花は、どこか狂気をはらんで咲き誇る気配だ。なんだか危ない気がしてくる。これを最後に一花、いや最期のひと花咲かせてやった、なんて老い木のひそかなつぶやきが聞こえたような。いや、こちらの僻みのせいか。

花のもとには老い木にふさわしい花見客もちらほらといる

今年も人生最後の花見やってきた老い木にふさわしい同期の仲間
この中の一人は忙しく仕事をしている現役の建築家であるのが嬉しい

 ここは今、新卒学生を送り新入学生を迎えたばかりの若い人たちのキャンパス、彼ら彼女らを大きく包み抱えこんで咲き誇る花のドームは、彼らのキャンパスライフの記憶に刻み込まれているはずだ。
 ところが、わたしたち60余年も昔の老いたる卒業生には、そんな春の花の記憶は全くないのである。下の写真はそのころのキャンパスの姿だが、若木が立ち並ぶばかりであった。それでもちらほらと咲いていた記憶もあるにはあるが、印象はごくごく薄い。
1950年代のキャンパス風景

現在のキャンパス風景(google earth)

 こうして今年も何回目かの人生最後の花見を決行したのであった、だが、これまでと大きく違ったのは、広いキャンパスのいつものコースの半分しか回れなかったことだ。そう、足腰が追い付かないのだ。
 そしてまた、花見につきものの、そのつきものつきの花見弁当を楽しんだのは一人だけ、そして商店街のいつもの店での花見反省会もできなったことも、大きな変化である。桜の老い木よりも、こちらが先に消えると自覚させられた。何しろ八十路半ばを越えたのだものなあ。来年の大岡山老々花見は、はたしてあるだろうか、賭けるか。

 ここで格好つけて世阿弥のごとく「老い木の花」を語りたいが、非才の身にできぬものは仕方ない。せめて本歌取り狂歌を。

願はくは花の下にて春死なむそのキャンパスの満開のころ

(20240408記)

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2024/04/04

1808【三島・湧水の街と観光と】富士の白雪が解けて流れて湧き出る街に生活と湧水の景観を見に

●ノーエ節の街へ

♩富士の白雪ゃノーエ~、富士の白雪ゃノーエ~、富士のサイサイ、白雪ゃ朝日でとける~、ソリャとけて流れてノーエ~、とけて流れてノーエ~、とけてサイサイ、流れて三島にそそぐ♩

 これは民謡の「三島ノーエ節」の出だしであり、幕末の野毛節の元歌であるらしい。この続きに三島女郎衆が出てくるのだが、まあ、鉄砲が出てくる野毛節よりは平和でよろしい。
 コロナ明けの春の初旅は、駿河の三島に行ってきた。あいにくの天候で富士は見えなかったが、その白雪が解けて地中を流れ下って湧き出す水の流れる街を見てきた。

●源兵衛川を歩く

 源兵衛川がその代表的景観であるらしい。そして観光の目玉であるらしい。わたしは観光的な場所には興味はないが、いくつかの生活と川のとりあい景観をのせる。

源兵衛川はの駅前の楽寿園の湧水を水源とする自然景観の流れ
川の中の遊歩道へ導入部 幽谷景観だが背景に高層建築があるように実は街の中


源兵衛川の修景された景観 暮らしと水の接点の井戸手押しポンプ

生活と水と接する仕掛けの橋、階段、石垣、かつての洗濯場等の修景的景観

源兵衛川下流部の水と生活とが背を向けあう原風景的景観 
無理矢理に通す
水路内を観光遊歩道が川を汚す行為を防ぐか

●蓮沼川を歩く

 三島の街の中には湧水の流れがいくつかあるので、少し見てきた。蓮沼川はいかにも街中の川らしい表情である。かつては家々に水を引き込んでいたかもしれない。あるいは家々の前に洗濯場があったかもしれないと、偲ばせる。観光の景観ではない。
生活景としての蓮沼川 源兵衛川と同水源で並行する流れだが全く異なる景観


蓮沼川には私設の橋が多く架かる 金沢の鞍月用水を思い出させる
 
蓮沼川の堰

●御殿川を歩く
 
 さらに、源兵衛川とは湧水源を異にする御殿川の上流部も見てきた。まさに街の中を流れる川で、生活景観の川であるようだ。

御殿川の水流、このビルは湧水の流れに囲まれる

白滝公園の御殿川の中の建物

御殿川と街並み景観 このありふれた修景が好もしい

●水の街の都市再開発

 もう一つ三島の街の水環境に関して重要な場所も通りすがりに見た。それは三島駅南口東街区再開発事業地区である。これが三島の湧水の水脈を断ち切るおそれがあると、市民の再開発反対運動に直面したことは、かなり前に聞いていた。いかにも水環境の街三島らしい再開発反対運動である。

 地元の知人の話では、富士からの水はポーラスな地下溶岩を透過して流れ下るのである。かつて駅の北側に大工場が建ったころに、あるいは新幹線ができたころ、三島の街の湧水が枯れたことがあったそうだ。それらの地下構造物を地中の溶岩を掘って作ったために、水流を遮断したのであった。再開発ビルも同じ恐れがあるということで反対運動になった。

 経緯は知らないが、ネット資料によると昨年2023年末に事業認可から権利変換認可までも進んだそうから、再開発工事にGOサインが出たことになる。その水流対策は再開発建築が地下水脈を切断しないように、地下の溶岩に建築基礎をのせるという。それよりも下の地中には建設をしないから溶岩内を流れる水を遮断しないということらしい。現地で外まわりから見きた現場の様子は、既存建築群を撤去中だったから工事に着手していた。これからは現地と周辺の湧水モニターが常に監視するのだろう。

●水の街とノーエ節と

 実はもう30年も前になるだろうか、三島の街を訪れて富士の湧水の様子を見たことがある。あまりに昔で記憶が薄れているが、三島グラウンドワークなる活動団体の案内であった。かつてどこの街でもそうであったように、三島でも湧水豊かに流れる水路はドブ川だったが、この団体が三島の水環境の再生活動を始めたころであった。

 その後はどうなっているか見たかった。グラウンドワークの活動は成功しているようで、美しい水環境の街として三島は有名になっている。そこで久しぶりに見たかったのは、特に水環境再生と都市生活そして街なか観光がどのように折り合っているのかであった。結果的には、眼で見ただけではよくわからなかった。

 なるほど三島は川の街として環境再生してるようであったが、そもそも水の姿は千差万別で空中、地表、地中を動き回り、動植物の体内を通り抜けて、産業や生活にあらゆる場面に登場し、眼で見てすべてがわかるようなものではない。富士山から三島に流れて駿河湾にそそぎ、また蒸発して富士の高嶺に戻り、また解けて流れ下り、、、。

 そうだ、これは冒頭に書いたノーエ節である。「♪富士の白雪やノーエ・・・娘島田は情けで解ける・・・解けて流れてノーエ・・・♩」というように、これがエンドレスの歌であるのは、水循環を意味していたのであったか、そんな意義深さをひそめる歌であったとは、、、さすがに水の街三島である。

 わたしが訪れた川の水と生活が融和する景観の街は、内外に多くあった。日本での印象的な街は、滋賀県高島市の新旭町飛騨古川町、福岡県柳川市などがある。外国ではベネチアは別格だが、印象に残っているのはアムステルダムトレヴィゾである。
 
トレヴィーゾ 街の風景 1995年

トレヴィーゾ 橋の広場 1995年

 三島の街なかを歩いているときに「農兵節資料室」と看板を掲げる店舗に出くわした。のうへいせつ?、アッ、そうか、おお、富士の白雪の~えのあのノーエ節は、実は農兵節と書くのであったか。店を覗きこんだら、なんとまあゴミ屋敷だった。あの有名なノーエ節の資料をたぶん私的に蒐集公開していらした川口洋服店の店主氏は、どこにどうされたのだろうか。
 ということで、エンドレス民謡ノーエ節に倣って、冒頭のその歌の話に戻った。(20240404記)

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2024/04/01

1807【四月バカの日】戦場と戦争準備の記事の日々エイプリルフール毎日であれかし

 2024年4月1日東京新聞、見開き全部が4月バカ記事ばかり。もちろんのこと広告の腰痛薬も、飲む目薬も、オーディオ高価買取も、男の悩みズバリも、み~んなエイプリルフール!(だよね)。


 更に下に載せた同日の別面の記事、沖縄ではもうすぐ戦争になるから準備を始めたというのだ!、これももちろんエイプリルフール記事であろう、これこそ四月バカであろうなあ。


 日本が戦争する気になっていることは、エイプリルがまだ来ない数日前のこんな新聞記事にも表れているから、もう確実に本当のことであろう。いやだいやだ。
 安倍政権のころから特にそうなのだが、じわじわと戦争やりたい気分が日本国政府には高まってきている気配であったが、ここまで来ているのである。いやだいやだ。


 わたしはギリギリ戦争当時を身体的に知る年齢である。戦争によって少年時に最も身に応えたことは、日常的に食べるものが少なくて、いつも腹を空かせていたことだった。食い物の恨みは一生続くものだ。たぶんそのころの親たちは、自分が食べる分の食事を、その子たちに食べさせていたのだと、大人になってからようやくわかったのであった。

 幸いにもわたしの子等にそれを体験させないできたが、どうやら孫(わたしには孫はいないが)の世代の親子たちには、またもやありそうな気配だ。すでに外国では現実にウクライナやパレスチナあるいはミャンマーで起きているから、日本にそれがやってくるのは確実だろう。

 もう年とってよれよれになって何もできないわたしは、この現実から早く立ち去るしかない。そう、「あの世」と言う絶対的に安全にして、いつでも行くことができる避難先を用意しているのだ。

戦場と戦争準備の記事の日々エイプリルフール毎日であれかし

(20240401記)

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2024/03/25

1806【ミーハー推し】巨人大鵬卵焼き/阪神柏戸ライスカレー/ラーメン大谷尊富士

 見世物スポーツ嫌のわたしは、新聞のスポーツ欄を飛ばし読みする。そもそもTVそのものをを見ないから、スポーツ番組放送も見ない。
 ところが時々、新聞スポーツ欄から社会面記事へはみ出してくるスポーツ関係ニュースがあるので、そこで知るスポーツニュースがある。それにはちょっと興味を持つ。最近立て続けに2件あった。

 ひとつはUSAプロ野球に「大谷ショーヘー」とかいう活躍する日本人プレーヤーが居るそうだ。この人の専属通訳がギャンブルで大損して、雇い主の大谷のカネを盗んで穴埋めしたとの事件。
 その金額がなんとまあ数億円の巨額、そんな金を大谷は持っているのかあ、わたしはそれ以上にこの事件内容に興味ないが、本場野球でアジア人が活躍して大金を稼いでいるんだなあ。

 ところでそのギャンブル通訳の名が「水原」という。なに?野球で水原だって?、何かが引っ掛かった。そうだ、昔々の1950年代のことだったかなあ、日本プロ野球に「水原茂」という監督がいたなあ、あれは巨人チームだったかしら、なんか常勝の神様みたいな評判だったなあ。何の関係もないがふっと記憶の底から出てきた。

 もう一つのスポーツ欄から社会面にはみ出し記事は、日本の大相撲つまりプロ相撲トーナメント戦での珍事である。なんでも初めてそのトーナメントに参加した新人力士が、なみいるベテランたちを倒しまくって、初登場で初優勝してしまったというのである。そんなことは110年前にあっただけの奇跡的な事件だそうだ。その力士は「尊富士」(たけるふじ)とて、何とも尊大な名である。

 そしてこれについても思い出したことがある。プロ相撲で新人の大活躍と言えば、わたしの記憶には「大鵬」(たいほう)という力士の印象が深い。1950年代の末ごろのある日の午後、学生食堂で遅い昼飯を食いながらなにげなく見ていたTV画面に、まさに新人であった大鵬が映っていた。バタ臭い顔とすらりとした体形に外国人かと思った。外国人力士は全くいない頃であった。

 相撲取組放送を見ていたら、大鵬が相手のふんどしを両腕で掴んで押して土俵際に追い詰めたとたん、両腕をサッと抜きとり相手との間合いを開け、両手をそろえて相手の胸をドーンと突いて倒した。おお、土俵際であんなことできるものかと驚いた。

 そのころは街頭TVなるものがあちこちにあり、わたしはちょうど夕方からの家庭教師アルバイトに出かける時で、自由が丘駅前のそれを時に見たものだが。特定の相撲取組についての記憶は大鵬登場のこれ一つしかないから、かなり印象深かったのだ。若乃花とか栃錦という力士がいたなあ。

 さてその後の大鵬はみるみる横綱へと駆け登ったが、尊富士もそうなるだろうか。あの頃の大鵬の評判は、「巨人・大鵬・卵焼き」と並べられる流行語となり、ミーちゃんハーちゃんが大好きなものの象徴だった。わたしは勝手に「阪神・柏戸・ライスカレー」とひねくれて言ったものだ。となると現代では「ラーメン・大谷・尊富士」なんて言うのだろうか。

(20240325記)

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2024/03/21

1805【震災ミニ訓練】能登の次は関東で大地震があるような気配で今日は断水訓練

●次は房総半島地震だろうなあ

 なんだか最近は関東あたりが震源の地震が多いような気がする。今日2024年3月21日、朝9時頃に地震があった。うちの横浜あたりは震度3だったが、埼玉県では震度5という結構なレベルで揺れたそうだ。

2024年3月21日9時過ぎの地震の震度分布図
 何しろ今年は北陸では元旦から大揺れだったが、そのあたりではそれよりもだいぶ前から子鯰が群発していたそうだ。関東でもこのところ群発しているから、能登のように今にドカンと親玉鯰が登場してくるに違いないと思う。

日本列島過去100日間の震央分布図

 上のここ100日間の日本列島東半分での震央の分布図を見ると、元旦に起きた能登半島大地震のあたりが特に目立っている。それに次いで南関東あたり特に房総半島がにぎやかであるのが、同じ半島として能登並みになる恐れがありそうだ。できればわたしが死んだ後で来てほしいものだ。大地震が来るよりも先に死のうと、ただいま競争状況にある、か。

●計らずも自宅でミニ被災訓練

 能登震災地ではいまだに水道が開通しないところが多いらしい。実は今日はわたし住まいでも、朝9時から上水道が停まっている。なんとなく能登の被災者気分をちょっぴり味わっている感じであった。災害ではなくて、住まいのある共同住宅ビルの上水道給水ポンプ取り換え工事だから、事前通知により昨夜汲み置きの水で十分間に合ったが、ミニ訓練にはなったかもしれない。

能登の震災地では苦境が続く 20230421東京新聞


断水通知チラシ 
文中に「※不足の事態が・・」とあるが、たしかに水不足事態ではある

 給水がないということは、下水に流せないということで、便所の利用が不便であった。使うたびにバスタブに溜めた水を洗面器に汲んで便所まで持って行き便器に流す。その間4mほどだが、途中でこぼさないようにするのに疲れた。そんな震災ミニ訓練していた朝に、本物地震に出くわしたのであった。

 キッチンには薬缶や鍋に汲み置いておいた。今までにまる1日中をこんなことをやった記憶がない。これが災害で長く続くと、それだけのために避難することになるだろう。人間は水がないと生きられない生物である。


●断水、停電、波、断食など

 ふと思ったのは、水が止まると「停水」でなく「断水」というのはなぜかということ。電力が止まると「停電」といい、「断電」と言わぬのは何故か。電波が止まると「断波」じゃなくて「停波」と言うような気がするなあ、ガスが止まると断か停かどっちだろうか?

 そうか、「断」は水のようにそれがないと、すぐに生きられなくなるものに使うのだろう。「停」は、電力のようにそれが無くてもとりあえずは生きられるものに使うのだろう。
「断食」はまさにそうだなあ、でも「断気」とは言わないなあ。

(20240321記)

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2024/03/18

1804【新幹線が伸びても】晩年の貴重な4年間をコロナに奪われて超高齢者は旅する力を失った

●懐かしい加賀と越前に新幹線

 北陸新幹線が東の金沢駅から西の敦賀駅まで延伸して営業することになったそうだ。なつかしいところだが、もう行けないなあ。
 北陸と言えば、1993年から10年余りを、仕事で福井・石川両県にはよく行ったものだ。その伝統的な街と伝統的な地場産業を結ぶ仕事であった。特に鯖江市河和田の越前漆器の里づくり(「うるしの里会館」プロジェクトマネージャー)では、10年のうちの2年ばかりは毎週通った。足の故障で杖を引いていた。そこにはわたしの都市・建築計画の最後の仕事の成果が見える。

「河和田うるしの里会館」2006(設計:サンワコン 担当:林、尾野)

 北陸新幹線がまだないそのころは、こちら東海道新幹線に新横浜から乗り、米原で北陸線に乗り換えたものだ。これからは長野・富山周りの北陸新幹線の方が早いのだろうが、心理的にはむしろ長旅の感じがする。太平洋側から日本海側へと日本列島脊梁山脈を横断というか潜り抜けるのは、まことに厄介な旅の感がある。

 下のルート図を見ると、小松駅から越前たけふ駅までの間には、在来線並みにずいぶん多くの駅があるように見える。長野と富山の間ではなんだかずいぶん大回りをしているのが奇妙である。敦賀から米原に接続しないで湖西を行くのもなんだか不合理に思える。どんな政治的我田引鉄事情があるのかしら、いや、土木技術で乗り越えられない地形的事情なんだろうなあ。

●超高齢者はコロナの4年で旅する力を奪われた

 コロナで謹慎期間中にあれやこれやあって、コロナが終わっても旅行なんぞに行けない身になってしまい、新幹線が通ろうと鉄道経営者が変わろうと、もう関係がないのだ。わたしだけではなくて、超高齢者は誰もかれもが4年間も謹慎していると、足腰が弱ってもう元に戻らない。さらにこの間に介護家庭となる者もかなり多いから、介護する側も旅行に行けなくなる。そういえばコロナ以前から新幹線にもう7年も乗っていないなあ。

 それなのにこのところ「北陸応援割」とか言って、北陸新幹線延伸開業と能登震災復興を合わせ技にして、税金をつぎ込んでの旅行支援で、観光金遣い推奨策が始まったらしい。
 だが、超高齢者にはそういうわけでもう関係がないのだ。これだけだはなく、コロナ期間中にでいろいろあったらしい旅行支援策を、わたしは何ひとつ恩恵にあずからなかった。いま、コロナが明けたが、こんども何ひとつ使うことはないだろう。

えッ、20000円もくれるのかあ、行きたいなあ、けど足腰が、介護が、

日曜日のご近所徘徊は横浜中華街、足の踏み場もない若者の人出

 他人のために納税するばかりの、バカに気前の良い耄碌爺に無理矢理にされてしまった。他人ためと言えば、わたしは医者知らずに過ごしているから、高い高い後期高齢者医療保険代も払うばかりで、保険金としてめったに戻ってこないのも、癪に障るものだ。このあたりで大病して一度に取り戻す策はないものかと、バカな思案をして悩む。

 とにかくコロナによって、超高齢者たちは足腰がまだ立つ人生晩期の貴重な4年間の行動を奪われて、コロナが終わってももう復帰できない。旅行も集まりも飲み会も再開できないから、仕方なくZOOMで遊んでいる。

 若い者に旅行支援だなんて遊びに助成金を出すのなら、その半分でよいから超高齢者にも何か屁理屈をつけて回してほしいものだ、うらめしや~。

(20240318記)

参照:伊達美徳の北陸に関する諸エッセイなど
まちもり瓢論「東海・北陸編」

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2024/03/16

1803【横浜寿町の変化】ドヤビル建て替え進化と一般共同住宅ビルの進入でドヤ街は変わるか

●横浜寿町ドヤ街のこと

 簡易宿泊所が多く集まる街「横浜寿町地区」は、横浜市中区寿町や松陰町などの都心部の一角を占める。ちょっと見ると安ホテルのような高層ビルが立ち並んでいて、普通の街に見える。

 だが、いわゆるドヤ街と隠語で言われるように、ホテルとは段違いに格が下がる超安価な宿屋ビルばかり立ち並ぶ地区である。その安宿に事実上は住み暮らす人々は約6千人、その約8割は生活保護対象の単身高齢男性たちである。その宿賃は標準的には1泊1700円だが、普通の宿屋と違うのは水光熱費は別支払いだ。

 この街がここに生まれたのは、いかにも横浜らしい戦後史を背負っている。かつては横浜港での働き手の若者たちの街であったが、そのまま老いて今は福祉対象の高齢者の街になっている。中層の古いドヤビルは次第に建て替えられて高層ドヤビルになりつつある。それは単に老朽化への対応ではなくて、居住者が高齢者に変化したことでの機能的変化への対応でもある。

 それにつれて街も次第に変化してきている。街路に面しては飲み屋も多いのだが、近年にになって特に増えたのは高齢者福祉関係施設である。これだけ多くの高齢者たちが集中的に住めば、介護関係施設が軒並みに登場するのは当然である。まさに高齢者しかも貧困層の街になっている。

 街の変化はドヤビルの高層建築への更新が顕著な一方で、別の方向も見られるようになってきた。それは一般住民対応とでもいおうか、いわゆる一般共同住宅ビルも登場するのが顕著にもなってきていることだ(参照ードヤ街のマンション)。それは区分所有型分譲共同住宅ビル(いわゆるマンションだが、わたしはこの誤用和製英語を使わない)、あるいは賃貸借共同住宅ビル(1棟の各住戸すべて賃貸借型住宅)である。ドヤばかりでない街に徐々に変わりつつある気配がある。

●ドヤ街に一般共同住宅ビル登場

 立地が横浜都心の一角であり交通も生活も便利だから、一般住宅需要があるということだろう。ドヤビルを立て直すにあたって、一般共同住宅に変化する傾向も見えてきた。寿町のまさに中心部である寿公園の斜め前の街区にあった3棟のドヤビルが、1棟の一般共同住宅に建て替えが進行中である。10階建て61戸とてたぶん分譲だろうがついにここまできたか。

左向こうが寿公園、手前右がドヤビル跡に建設中の一般共同住宅

 そしてつい最近、新しい賃貸借一般共同住宅が、寿町地区の南入り口の長者町通りに竣工した。その近くには新しい高層ドヤビルもあるのだが、明らかに姿が異なり、それがドヤ街地区の外観イメージを一般の街イメージへと変えていくことになるだろう。

長者町に防火建築帯ビル建て替え新築賃貸借共同住宅ビル 背後は首都高高架道路


 それが建つ以前のそこには、戦後横浜復興期の市街地建築である防火建築帯ビルが建っていた。3階建てで1階は店舗で上階は共同住宅であった。長者町通りにはこの種の防火建築帯ビルが軒並みに立ち並んでいたものだが、さすがに70年もたつと、ほとんどが建て替えられて、残るはもう10指にならぬくらいだ。

戦後復興期の防火建築帯ビルとして建っていた従前建築

 この新築賃貸借共同住宅ビルの敷地は、南側を底辺として北東と北西を2辺とする三角形である。そして出来上がった住戸のほとんどが北東と北西向きで、日当たりが実に悪いことだ。なぜ常識的な南向き住戸を避ける配置にしたのか。

左下赤枠が新賃貸借共同住宅ビルの敷地の位置 (上が北)

 それは敷地の南側には首都高速の上下2段2階建ての高架道路があるからだ。南面だから陰になるし、高架道路から騒音と排ガスが昼夜とも押し寄せて、相当にひどい環境である。もしもこの高架道路がなけば、そこには中村川が流れているから、こちらにこそ住戸が向くべきであったはずが、道路に乗っ取られてしまっているのだ。

 この環境では分譲住宅にしても売れないので、賃貸借住宅ビルにしたのであろう。この高架道路は寿街地区の南側を覆うように横たわるのだが、ドヤという底辺居住悪環境にはそれでも耐えうるものであったのかもしれない。いや、それだからこそドヤ街が成立しえたのかもしれない。

 ところが今や、都心部の住宅需要が伸長してして、このような悪環境でも需要と供給が成り立つ関係になってきたということだろうか。たしかに、ここより西部の高架道路沿いにいくつか新しい共同住宅ビルが建ってきている。さぞや、住みにくい住まいだろう。

 ところで、東京の日本橋のあたりの首都高速道路の高架を、地下に入れてしまう工事が進んでいるそうだ。それならば、その次は横浜のここ中村川上空の高架道路を、地下道路に改造するに違いない。そうすれば横浜都心部の居住環境は格段に回復する。おおいに期待をしている。(参照:横浜首都高地下化

(20240316記)

参 照
1690【横浜寿町の変化・1】横浜都心部の関外にある貧困ビジネス街はどう変わりつつあるか2023/06/10 https://datey.blogspot.com/2023/06/1690.html

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