初めにお断りしておくが、わたしは何も東北の復興に役立つ行動をしていない。あれから3年目になっても、ただ心配しているだけの「復興心配書斎派」にすぎない。
それでも、昨年の秋に小さなボランティア活動ついでに宮城県の被災地を見てきた。見れば、ますます心配が募るばかりである。聞いても募る。
https://sites.google.com/site/dandysworldg/tunami-nobiru
https://sites.google.com/site/dandysworldg/greatforestwall
震災復興に関しては、2004年に起きた中越大震災の復興おてつだいで、長岡市の山村にしばらく通ったことはある。その程度の机上の心配である。素人の杞憂かもしれない。
でも、言い訳がましく言うと、ほとんどの人たちが同じような心配をするだろうと思うから、今のうちにここにあれこれだらだらと書いておく。
今日はあの大災害から3度目の3月11日にである。あれから2回四季がまわったのに、どれほどの回復ができただろうか。分からないことばかり。
●東北3県での復興取組状況の差に驚いた
東北の太平洋岸側では、東日本大震災からの復興が進んでいるような、進んでいないような、地域差もあるような。
あまりにも広い地域だから、いろいろ事情があるだろうが、どうも気になる。
先日(2013年3月2日)の朝日新聞に、「見え始めた?仮設後 30自治体の再建状況」と題して、東北3県の居住環境復興の一覧表が載っている。
被害が大きかった茨城県がないのはどうしてだろうか。
北から南へと見ていて、ハッと気がついてショックだったのは、福島第一原発あたりの自治体は空白のまま、つまり復興はまったく手がついていないことである。
それはそうだろう、半永久的に消えない核の毒をばらまかれた土地が、簡単に復興できるわけがないが、お気の毒の極みである。
他の自治体だってそれほど進んではいないにしても、こうやって並べて比較するとこれがいつまで続くのか、核毒が抜けて復興ができるのだろうかと、つくづく疑問に思ってしまう。
3県の状況を比較して眺めていて、これもショックだったのは、岩手県の自治体では「災害危険区域」の指定をほとんどしていないことである。他の2県と大きな違いである。
宮城県ではほとんどすべての被災自治体で指定しているのに、この差はどうしてだろうか。自治体によって差があるのではなく、県全体がそうであるのはなぜなのだろうか。
岩手県ではできないなにかがあるのだろうか、それとも積極的に指定しない県の政策なのだろうか。基礎自治体と県との間は摩擦はないのだろうか。
岩手県の狭いリアス海岸の土地に災害危険区域を指定して、人が住まないところをつくるのは、地理的に現実的ではないのだろうか。
それともどこの自治体も大防潮堤をつくるので、災害危険区域は必要ないという政策判断なのだろうか。
しかし気仙沼や南三陸でも似たような地形だろうに、これほど違うのは県による政策選択に方向が違うのだろうか。それとも単に指定が遅れているのだろうか。
それにしても、福島の遅れは分かるが、3県でこれほど差があるのが不思議である。
ところで、福島の原発あたりこそ災害危険区域そのものだと思うのに、どうしてそうしないのか。もちろん制度が予想していないから、法的にその指定ができないってことはわかる。
だが、ここで言いたいのは、これほど災害危険区域の立派な資格を備えているのだから、それ相当の制度を適用してあたりまえだろうに、とおもうのである。
(明日の記事につづく)
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