昨日の「735地震津波火事原発3年目(6)」からのつづき
(現場を知らない年寄りの机上心配繰り言シリーズ)
●自然から借りていた土地を返す時期が来た
これまで人口増加と経済成長の20世紀では、住家も産業施設も増えるから、土地が必要だとばかりに、山を削り海を埋めてそれらのために土地をつくってきた。そしてかなりの範囲で無計画に街を拡大してきた。
だが、いまになって思うと、どうも土地を使いすぎたようだ。中心街から人が減って空き地空き家がいっぱいで来ている、郊外住宅地でも同じだし、郊外胃に移転した企業も撤退している。
現にしだいに街が空洞化しているし、更にこれから日本の人口が減少傾向は1世紀くらいは続くようだ。自然から人間が収奪してきた広大な土地が余る時代が来ている。
そこで話が災害危険区域に戻るが、そこになにか住宅以外の利用にしようと一生懸命に使わなくても、空き地のままでもよい時代が来たと、わたしは思う。
災害危険区域全部を使わないと言っているのではなくて、どこもかしこも使う必要はない、ところによってはまったく使わなくすることもあるだろうと思うのだ。
土地を使わなくなるとどうなるか。使わない土地は、荒れ地になってそのうちに砂漠になる、きちんと維持管理しないと災害を招くと、言われることがある。
そんなことはない。日本の気候では、土地を放っておくとどんどんと草が生えてくる。初めは、例えば黄色の花が一面に咲くセイタカアワダチソウのような荒れ地好みの草が一面に生えてくる。これは大変だと思う人もいるが、実は次々と植生は交替して行って、落葉樹が生えて林になり、常緑樹が生えて森になって行く。これを自然遷移という。
現に今、山間地では過疎化が進み、放棄された田畑や人家などの跡地がどんどんと緑に覆われて、森に還りつつあるのは、日本中に見られることだ。
日本の気候はそういう温暖なのだ。これなら維持管理費もかからない。
それではもったいないとするなら、用材になる樹種を植林するのもいいだろう。
現在の日本の山々の生産林としての植林地は、土地が急峻だったり、利用する地域から遠隔地だったりして、木材利用のためにはコストがかかる。これが海岸部の平地林ならば、植林、保育、伐採、運搬などにコストが低廉になるだろう。
もちろん生産林ばかりではなく、保養林にもなる多様な植生の森をつくるのもよい。
バイオマスエネルギー原料にもなるだろう。市街地に近いとレクリエーションの場にもなるだろう。そしてなにより、海辺に近いのだから津波の防砂林、防潮林になる。
津波被災地で、いまだに津波に乗ってきた海水が居座ったままの地域も多いそうだ。
そこはこれから埋め立てしてまた陸地に戻す計画だろう。その土は山を削るのだろう。高台をつくるときに発生する残土をもっていくのだろうか。
どこもかしこもそうしなくても、昔そうであったように、海に戻すという方法はどうだろうか。そのまま海にしておけば、自然干潟になってそれなりに有用であるような気がする。
あるいは、積極的に浚渫して、漁港をつくる、養殖漁業海域にする、海浜レクリエーションの場にするなどの考えはどううだろうか。
要するに人口増加時代の人間が自然から借りて使っていた土地を、このたびの地震津波という自然からの手荒な返還催促に従って、もとに還すのである。
どうも20世紀に無理な借財をしすぎたかもしれないし、そろそろ不要になったから、このへんでお返しするのである。
そう考えてはも差し支えない地域だってあるように思うのである。机上の寝言と言われればそれまでだが。
でも、現地ではどうなんだろうかと、そちらに詳しい人に聞いてみた。(明日の記事につづく)
2 件のコメント:
はじめまして奈良部と申します。
この記事を読んで胸が熱くなりました。
自分と同じような考えを持つ人が他にもいると知ったからです。
自分も土地を自然や他の生き物に返すべきと考えています。少し違うのは、人間が「借りた」のではなく、「奪った」という認識くらいです。
50年後には約8,000万人になる見込みの日本人口
今の2/3以下の土地で十分暮らしていけるはずなのです。
土地を返す運動が全国で広がるといいですね☆
奈良部さま
コメントいただきありがとうございます。もう開発時代じゃないのに、災害復興に事寄せて、あとで維持管理で苦しむとわかっているのにもかかわらず、開発を進めるのは困ったものです。大災害が何か思想を変えるかと思ったのですが、変わりませんでした。がっかり。
(伊達美徳より)
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