昨年秋に東北被災地に、小さなボランティア活動に行った。仙石線にのって被災地を訪ね、東松島の惨状を見てこのようなことを書いた。
「地震津波被災地を見て思う」
https://sites.google.com/site/dandysworldg/tunami-nobiru
その記事の初めにこの写真を載せた。2012年11月11日に、仙石線東名駅近くの陸橋から南東方向に向いて、東松島市野蒜洲崎方面を撮っている。
向こうに海のように見えるのは、実は2011年3月11日の津波から、いまだに居座っている海水である。
ここから惨状をくみとって調べていろいろと書い たのだった。
ところが最近、ウェブサーフィンをしていたら、なんと、この写真の景色の真ん中の向こうのほうから、こちらにカメラを向けて写真を撮ったY.Oharaという人がいた。その写真ページには「許諾不要で自由に複製/再配布/二次利用/改変 OKの自由なライセンスです」と書いてあるので、コピーして拝借する。
これはY.Oharaさんが2013年1月19日に撮ったパノラマ写真の一部を拡大した。中央あたりに陸橋が見えるが、そこからこちらを向いて撮ったのが、上のわたしの写真である。
Y.Oharaさんのパノラマ写真の全景は下図である。上の拡大写真の陸橋があるあたりは、赤い矢印に下である。
わたしが撮った写真の中央上あたりの水上に建物がみえるが、それがY.Oharaさんの写真の中央にある黒い建物である。次の画像に、google earthの空中写真(2012/4/12)で撮影位置を示す。
この赤色矢印の位置から撮ったのがわたしの写真、黄色○印がY.Oharaさんが撮った位置(推測)である。
これを見ると、この区域は2011年3月11日の津波来襲から今に至るまで、ほとんど海水が引いていないことがわかる。
そして下図は、津波前の2004年の空中写真である。
一面に田畑があり、それに連なる集落がある。
もしも津波前にY.Oharaさんがパノラマ写真を撮っていたなら、今は海面となっているところは田畑がひろがり、そのの向こうに家屋が立ち並ぶ街並みが写っていたはずである。
そして、わたしも震災前に陸橋の上から撮っていたなら、海水ではなくて田畑の風景であったはずである。
さらに詳しくは、Y.Oharaさんのパノラマ写真ページでどうぞ。
http://gigapan.com/gigapans/121827/
このページは「助けあいジャパン|情報レンジャー」サイトにある。
http://tasukeairanger.heteml.jp/wp/
(追記)
今日のニュースで、今度はピロティ建築礼賛だそうである。
1995年の阪神淡路震災で、ピロティ建築が軒並みに崩壊、以後ピロ
ところが津波ではピロティ建築が効果的とか。津波が股下を抜けて行く。
あちら建てればこちらが建たず、なかなか世の中うまくいかないも
http://www3.nhk.or.jp/news/
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