昨日の「737地震津波火事原発3年目(8)」からのつづき
(現場を知らない年寄りの机上心配繰り言シリーズ)
●土地海面化事業が必要な時代が来た
津波で甚大な被災をした土地を、自然に返還するという論を勝手に思いついて、ここまで書いてきた。
そのような考えが、今の復興現場にあるのだろうか、それともないのだろうか、現に震災復興にかかかわっている知人たちに聞いてみた。
まず、災害被災低地をどう利用するかの議論は、現地ではまだまだ進んでいないのが現実だそうである。その理由は、こんなことらしい。
今は高台整備、漁港復旧、防潮堤整備などの検討と調整の作業がいっぱいになっていることから、跡地利用まで手が付かないこと。
それらの仕事も行政の縦割りでいろいろな事業が進んでいるので、総合的判断をしにくい現状であること
行政で用意している復興の事業メニューに、低地利用を進めるための手法がないこと。
そして被災者も行政もいまは住宅の再建での悩みがいっぱいあって、まだ跡地の低地利用のことを考える余裕がないこと。
その一方で、空き地となる低平地を自然に戻すとか農林地にしようとかの考えは、一部の地域の人たち、専門家、あるいは支援者などから、ひとつのアイデアとしては出ている。
しかし、実現手法の点、合意形成の点で進捗ははかばかしくないという。
復興は基本的に復興交付金事業の40事業メニューで進んでいる。
そのなかに広大な土地を自然て土地利用に近いと言えるメニューは「都市公園事業」くらいなものである。
公園事業には「都市林」というものもあるが、海にするというのはあるだろうか。
これまで海面埋め立て事業というのはあったが、その逆に土地海面化事業なんてのが必要な時代になったような気もする。
公共事業として自然環境を復興事業としてやるのは、どうもできそうもないらしいのだ。
そこには、日本の土地利用はいまも「経済の論理による開発の思想」で動いていることがある。
開発的な土地利用をやめて森林とか海などの自然に戻すとしたら、行政としては、それが市民の暮らしや産業の振興のために必要なことという「公共性」を求められる。しかし、その論理がまだ見いだせない段階では、行政が手を出せないという。
開発をしない土地不利用事業には税金を投じないということである。
とにかく、事業手法がないからやれないのではなくて、こういう考えはありなのか、無しなのか、そこのところから考えてはどうか。
今の東北地方には、先進的な役人、優秀な研究者、有能なプランナーたちがおおぜい結集しているのだから、ぜひとも今のうちに何とかして、人間の土地から自然の土地への転換(還元)について論理、制度、手法を構築してもらいたいと思う。
明治三陸津波(1896年)の教訓は、昭和三陸津波(1933年)で生かされずに多くの死者をだし、その2度の教訓も生かされずに平成三陸津波(2011年)にはさらに多くの死者を出した。
それを繰り返さないなら、津波甚大被災土地を永久に使えないようにするしかない。それがこの思いつきの原点である。
と同時に、人口減少時代における生活圏のコンパクト化の動きへの対応の、ひとつの方法でもある。(明日の記事につづく)
●参照→588『津波と村』海辺の民の宿命か
http://datey.blogspot.jp/2012/02/588.html
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