2013/03/14

732震災核災3年目(4)災害危険区域にショピングセンターができてもよいのか

  昨日の「731地震津波火事原発3年目(3)」からのつづき
     (現場を知らない年寄りの机上心配繰り言シリーズ)

●災害危険区域にショピングセンターができてもよいのか
 またこんな問題もある。災害危険区域から「防災集団移転事業制度」によって津波の来ない地域に集団移転する場合は、跡地を自治体が買い取る。
 しかし、全員が強制的に移転させられるのではない。なかには移転を待ちきれなくて、破損した住宅を改修したり、新築した人がいて住み続ける、あるいはどうしても住み続けたいと居座るとなると、法的には問題あるが例外的に危険区域にも住宅は存在し続けることになる。

 となると危険区域には、住宅でない施設、まばらな住宅、公有地となった住宅跡地とが、まだら模様になるのだろう。
 そのような公有地をどう使うのか。公共施設を建てるには、広くもない住宅跡地では使い勝手が悪いだろうし、そもそも危険区域に公共施設を建てることを、市民が許さないだろう。
 

 大きな商業施設が空き地になった災害危険区域に進出してくるのは、歓迎されるだろうか。そうなると、移転先の新住宅地につくるであろう商業施設が劣勢になって閉店、買い物のために毎日もと住んでいた街までやってくることになるのか。
 大規模商業施設を災害危険区域に建てることは、法的には問題ないらしいが、そのような不特定の集客施設を、災害危険区域内に設けることは理にかなっているのだろうか。
 おおぜいがショッピングセンターに買い物にやってきているときに、津波が来ないという保証はない。
 では、学校はつくってもよいのか。たとえば小中学校をつくろうとすると、これはもう市民が許さないだろう。なのに商業施設はよいのか。
 どうも、ヘンである。

 大型ショピングセンターは、災害危険区域を選んで進出することはない、なんてことはあるまい。あの類の施設は、土地は借りて安価な建築で、2年も営業すれば元を取るのだから、絶好の進出機会だろう。なにしろ危険区域だから土地代は安価にきまっている。
 買い物が便利となると、危険だったことを忘れて、平地に次第に人々が住むようになるかもしれない。それはもちろん災害危険区域では違反行為である。
 だが、法による指定は、法によって解除することもできる。かつて1933年の大津波の跡で居住禁止にした地域に、やはり戻ってきて住みついて、このたびの災害に会った人は多いはずだ。

 実は「災害危険区域」の指定は、防災集団移転事業とセットになっていることに、基本的な課題がありそうである。防災集団移転事業で移転すると、手厚い公的補助制度があるが、それには災害危険区域からの移転である必要がある。
 とにかく津波被災地から移転したい、それには補助金が入る事業を行うのがよろしい。となると防災集団移転事業だ、そのためには災害危険区域を指定した、いまは移転先のことで一生懸命で、移転跡の災害危険区域をどうするのか、そこまだまだ頭が回らない、どうもこのようなことであるらしい。

 現場を知らないものの勝手な推測だが、本末が転倒しているような気もする
 と書いて、怒られないように付け加えておくが、早期に災害危険区域指定をした自治体は、津波跡地の乱開発を防ぐための、とりあえずの政策意図であったことは確かであろう。(明日の記事につづく)

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