2013/03/30

748震災核災3年目(15) これほどの分散型復興でコンパクトシティ時代に逆行する理由を知りたい

「747震災核災3年目(14)」からのつづき
   (現場を知らない年寄りの机上心配繰り言シリーズ)

 ここに南三陸町の地図がある。「南三陸町土地利用構想図」(2013年2月13日公表)とあり、これは南三陸町のウェブサイトに掲載されている震災復興計画図のひとつである。
 志津川湾の周りにいくつもの黄色の丸があり、矢印がつないでいる。これは実線黄色丸は被災した集落や街で、点線黄色丸は新しくつくる集落や街であり、矢印は移転する元と先を結んでいるらしい。

●南三陸町土地利用計画図

 移転先の点線黄色丸の数を数えたら30か所ある。ということは、これから30か所に大小のニュータウンを造成して、三陸町の被災移住民たちが集団で大移動するのである。
 いや、すごいことである。移動住民が何人になるのかわからないが、町の作った復興計画書を見ると被災者総数は町民の55%、9800人弱だから、その全部ではないにしても、大変な人数である。それが30か所で起きるのである。
 町民にとって津波、避難につづく巨大イベントである。

 人口が1万8千人もいない小さな町で、どうしてこれほどたくさんのニュータウンをつくる分散型復興計画にする必要があるのだろうか。
 図面を見ると、リアス式海岸の小さな入り江ごとにある集落それぞれにニュータウンをつくるからだと読むことができる。
 つまり津波で壊滅した集落を社会をそのまま近くに再現するという、復旧優先であるようだ。このあたりの人たちは、それほどにも、いわゆる「絆」につながれた暮らしをしてきていて、これからもそれを求めているのだろうか。それは世代に関係なくそうなのだろうか。

 おおぜいが集まるニュータウンならまだしも、少人数のニューヴィレッジならば、人口減少の波をかぶって、早晩消えざるを得ないようにも思う。
 そう、人間自身が起こす人口減少という津波が、いま日本列島を襲っている最中なのである。
 南三陸町の人口はこれまで減少に減少を重ねてきていて、被災直前は17666人、その55.2%も被災してしまった。被災後もこの町に、その集落に住み続ける人たちは、どれくらいの数だろうか。
 災害が人口減少のスピードを早めるのは、わたしは中越震災復興の現地で見聞きした。

 南三陸町だけが人口が減らない、ということはありえない。復興計画にはこれからも減少していくが、2021年の町人口総数を14555人に見込んでいる。そこには政策的な意図も入っている。
 しかし、国立社会保障・人口問題研究所が2013年3月に発表した日本の各市町村の将来推計人口のうち、南三陸町の2020年の値は14448人で高齢化率35.3%、そして2030年には12385人で41.3%になる。

 これから超高齢化して減少する町の人口が、ばらばらと散らばって暮らすのは、どういうことになるだろうか。
 自然の豊かさを享受する生活と言えば聞こえはよいが、20年後に高齢人口が35.9%(町復興計画)になると、そうはいかないことが起きてくることは目に見えている。
 これほどに分散型となる生活圏を復興という名目で作り上げても、南三陸町は大丈夫なのだろうか。

 どうせ移動して新しい街、集落、家にすむのだから、これほど分散しなくて、ある程度に集まる方が、これからの生活のためにはよいだろうとおもう。
 そう思うのは、現地事情を全く知らないものの言い分であることは承知している。地域共同体の緊密さ、三陸漁業のありかたなど、まったく知らない。
 なにかそれらの地元固有の文化や産業のありようが、この分散型復興計画が出てくる所以なのだろう。それを知りたいのである。

 海岸近くの多くの場所で、しかも短期間に同時に、これほどの大土木工事を進めても、海には影響がないものだろうか。
 先般、三陸町の人から聞いたのだが、南三陸町の母なる志津川湾は、養殖漁業が発達していて、一年中なにかが水揚げされていたが、近年はそれゆえにかなり汚れていた。
 ところが先般の津波が、海底にたまっていたヘドロを沖に持ち去ってくれて、この海は若返って生産力が復活したそうだ。

 これだけ一度にニュータウン工事をすると、その湾のまわりの土木造成による土砂が流れ込むように思うが、大丈夫なのだろうか。
 せっかく復活した海が汚れるかもしれないと、わたしは遠くから机上でよけいな心配をするのである。
 どこか3、4か所くらいに、まとまることはできないのだろうか。そのほうが土砂流出対策もしやすいだろう。

 そしてまた、分散型よりもまとまりのある生活圏を構成するほうが、なにかと便利なはずである。コンパクトシティ、コンパクトタウンがこれからはあるべきまちづくりの方向だとされている時代に、せっかくそれを実行することができるチャンスなのに、これほども逆行するには何か特別の理由があるに違いない。
 もちろん、各小さな入り江ごとに分散する生活を否定するものではないが、それには覚悟が要るし、お金も要りそうだ。(つづく

●地震津波原発日誌コラム一覧

0 件のコメント: