2013/03/27

745震災核災3年目(13)まちづくりの一環として中心街に復興公営住宅を建設することに期待する

「744震災核災3年目(12)」からのつづき
   (現場を知らない年寄りの机上心配繰り言シリーズ)

 実は発災直後の2011年3月20日に、わたしは自分のブログに「内陸母都市に疎開定住公共賃貸住宅を」と題して、次のようなことを書いた。

「これから、ぜひとも公共賃貸借住宅を災害疎開者のために建設してほしい。新たな住宅建設のための負担を、持家優遇政策で被災者に借金させてはならない。
 それも被災した地域の内陸にある母都市の中心部に、疎開者の元のコミュニティ集団に対する単位として建設するのだ。
 こうすることで、災害疎開者のコミュニティの継続と、空洞化する地方都市の再生とをセットにする震災復興都市計画、いや震災再生国土計画とするのである。
 繰り返すが、災害復興政策として持家建設やマンション購入ばかりを優遇する金融や税制を優先するのではなく」


 2013年3月6日の報道(NHK NEWS WEB)にはこう書いている。 
「政府がまとめた住宅再建の工程表によりますと、集中復興期間に当たる平成27年度までに、被災した住宅を自力で再建できない人のための災害公営住宅を、岩手県では計画の9割に当たる5100戸、宮城県では計画の7割に当たる1万1200戸を建設するとしています。
 一方、津波に加えて原発事故による影響を受けている福島県では2900戸を建設するなど、3県合わせて2万戸近くを建設するとしています。
 さらに、住宅の高台への集団移転事業などについて、ことし9月までに、岩手県では計画の6割の、宮城県では計画の7割の宅地の整備を進捗させるとしています。」


 つまり、2016年3月までとしても、これから3年間である。3年で3県に計2万戸も公営住宅を建てるというと、これは忙しい。
 もちろん必要なことは分かるし、わたしは賃貸借居住主義者だから、大賛成なのだが、どうも気になる。
 あまりに建設の速度が早すぎてしかも大量だから、わたしが期待するような公営住宅ができるのだろうか。

 公営住宅政策は長らく日陰者だったから、自治体に計画、建設、管理のノウハウはあるのだろうか。
 よい交通立地、よい生活環境、よい買い物や地域施設が整うのか、よいプラニングになるのか、よい景観になるのか、そしてよい管理体制が整うのだろうか。土地の手当てができるのだろうか。
 大急ぎでつくるから、とりあえず取得できた土地にとりあえず造る、なんてことになっているかもしれないと危惧する。
 あるいは公営住宅は公営住宅だけ、民間住宅は民間住宅だけ、商店街や公共施設はまたそれ独自に、それぞれの別個のゾーニングの範囲でのみ計画して建設するかもしれないと危惧する。これではまちづくりにならない。

 日本のこれまでのような経済政策としての「住宅政策」ではなく、これからは社会政策としての「居住政策」として、今後の模範となるような、公営住宅ができることを期待しているのだが、現場はどうなのだろうか。
 新たな都市づくりのひとつとして公営住宅建設をしてほしい。特に内陸部の被災しなかった中心市街の空洞化対策と連携して、その既成市街地の中に埋め込むように建設してほしいものだ。
 その方がインフラ整備の必要がないし、居住者の生活も便利で、高齢化時代に対応するとともに、コンパクトタウン形成になるからだ。
 あるいは被災地から集団移転する台地上の新市街地につくるとしても、ミックスコミュニティとすることや、戦後ニュータウンのような寝るだけの街にしないようにしたい。生業が成り立つ新たな街を作ってほしい。
 公営住宅はその街づくりのリーダーとなってほしい。

 賃貸の公営住宅の良いところは、計画的に良い環境住宅をつくり、一体的に管理してよい環境を維持できること、次世代へ円滑に継続することなどがあるのだから、それらに力を注ぎ込んでほしい。
 わたしは今、都心の公的賃借住宅に住んでいる。ここを積極的に選んだのは、上のようなことを期待しているからである。賃料を除けば、ほぼ満足している。

 とにかく、戸数消化主義が今は求められているようだが、場当たりの土地、場当たりの計画、場当たりの入居制度、場当たりの管理になって、結局は住みにくくて元の津波被災地に戻るってことにならぬように、頑張ってほしいものだ。

 関東大震災のあとで同潤会によって建設した共同住宅は、のちのちまでも都市住宅の模範であり続けた。
 東北地方の復興公営住宅も、地域における模範となる共同住宅となってほしい。(次につづく)

0 件のコメント: