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2023/03/10

1676【東京大空襲】1945年日本は現代ウクライナと同じに無差別空爆におののく日々

 3月10日と言えば、1945年のこの日夜半からUSA空軍による大空襲で東京は大炎上した。10万人以上で実数はわからない死者の巨大人災は、現在もウクライナで続く。
 もちろんこの年はその後に横浜も小田原も大阪も、日本中の各地が空爆にあって炎上した。今、ウクライナではミサイルが降ってくるように、日本各地で空から降る焼夷弾におののきながら暮らしていた。人間は78年経っても変わらないのか、忘れたのか。

東京大空襲空撮(1945)Wikipedediaより 

 わたしは岡山県中西部の空にめったに飛行機も見ないような小さな盆地にいたので、幸いにも空襲を経験しないで済んだ。
 だが父は国内で軍務についていて、その軍隊が移動中にこの大空襲直後の東京を通った。そして移動先の小田原で湘南海岸に上陸してく連合軍に備えて、本土決戦の準備の塹壕掘りで郊外の山中にいて、8月15日未明の小田原市街の空襲炎上を遠望した。

 戦中のUSA軍の空襲と言えば、建築家アントニン・レイモンドを思い出す。彼は日本空爆のコンサルタント建築家だったのだ。
 帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの助手として来日し、そのまま日本で建築家として独立して、1937年まで日本で仕事をして多くの名建築を生んだ。

 そしてUSAに戻ってからは、第2次世界大戦におけるUSA軍の日本空襲につき、日本の都市と建築をよく知る建築家として、効果的な空爆を行うための実物大の市街地模型の建設を指導した。
 木造家屋群を効果的に破壊炎上させる実験により、空爆エリアの周辺部から焼夷弾を投下して燃やし尽す空爆システムが開発された。
 これについてはわたしは既にこちらに書いているので参照されたい。https://datey.blogspot.com/2016/02/1171.html

 そういう日なので、今日の横浜都心徘徊は、思いついてそのレイモンド設計の不二家という菓子屋レストランの建物を横浜都心の伊勢佐木町商店街で眺めてきた。1938年竣工だから、彼の離日直前ころの作品である。
 彼の作品だからというわけではあるまいが、1945年5月29日の横浜大空襲からも焼け残った。そして終戦直後に横浜都心部一帯が占領軍(進駐軍と言った)に接収された時、この不二家の建物も接収され、「横浜赤十字クラブ」と呼ばれる進駐軍専用の娯楽厚生施設になった。
 レイモンドはここでもUSA軍に貢献した。不二家が返還されたのは1952年であった。

横浜伊勢佐木町不二家(1938)と防火建築帯(1950年代)の建築群


不二家建築の裏側

 では同じころにレイモンドが設計した、USA軍空爆実験のための「Japanese Villedge」のデザインはどうか。
 もちろん木造密集市街地であるのだろうが、妻壁が防火壁らしく立ち上っている棟もある。「後方にドイツ村」と書いてあるから、それはドイツ空爆のため煉瓦造だろうか。
 こうやって見るとさすがレーモンド設計だなあと、皮肉を言いたくなる。
 なんだか立派に見えるが空爆実験用だから、建てては燃やし、建ては破壊したのであろうが、もったいない。

 そういえば横浜の山手には、レイモンド設計の木造のエリスマン邸が建っている。今は観光施設になっているが、これを見ても不二家を見ても、その設計者が日本に巨大な災難をもたらした建築家と思う人はいないだろう。

エリスマン邸(1926)

 余談だが、アントニン・レイモンドが指導した空爆模型を作ったJapanVillageのことをWikipediaで読んでいたら、そのころやはり日本の街を炎上させる空爆方法として、コウモリ爆弾の研究があったという。
 コウモリに時限作動装置付き焼夷弾を抱かせて投下して、習性として屋根裏に飛び入る頃に発火炎上させる。家屋炎上はするが人命災害は少なくて済む利点があるとされたが、開発が遅れて実用に至らなかったという。なんだか風船爆弾を連想した。(20230310記)

2023/02/02

1668 【神宮外苑再開発問題】実質開園済都市公園に都市再開発法の異次元適用とその意図は?


●ようやく再開発事業開始へ

 東京の神宮神宮外苑地区再開発について、最近また世間が騒がしくなった。
 この再開発騒ぎの初めは2013年、オリンピックメイン会場となる国立競技場の建て替え事業であった。その主たる事業者はJSCであるが、これにいくつかの団体会館やら民間共同住宅やらが関連していた。なんだかんだとあったが、現在はいずれも計画通りに完成している。

 今回の騒ぎは、国立競技場騒ぎのあった土地の隣のまさに外苑そのもので、市街地再開発事業をやるということがテーマである。
 その再開発事業内容が、都市計画の変更環境アセスメントの行政手続きに乗ってきて、内容が世間に分かってきた。それと同時にその問題点の指摘が各方面から上がってきたのである。

 現段階で大きな騒ぎの主な点は二つあり、ひとつは再開発事業によって外苑名所のイチョウ並木が切り倒されるという話の流布であった。もう一つは超高層ビルが建つという、外苑の公園機能の縮小と景観変化への反対論である。

●樹林樹木保全問題と環境アセス

 イチョウ並木の問題は、更に他の樹林の保全問題へと話は広がり、これに並行してランドスケープアーキテクトの石川幹子さんが、専門家として自主的に植生調査を行って問題点を検証し、イコモスの委員会の立場で指摘をした。更に進めて事業者の作成したアセス評価書の植生に関する調査に誤りと虚偽があり、再審議をアセス審議会に提言したのであった。
  参照:イコモス緊急提言

 その指摘の内容については、わたしは専門家でないからコメントできないが、読んでみると虚偽であるとまで言われているのだが、それを作成した事業者側の専門家はどう対応するのか気になる。
 このアセス作業を行ったのは、形式上は再開発事業者だが、実質はアセスコンサルタントだろう。それは日建設計だろうか、そして植生調査担当者はなんというお方だろうか、専門家の矜持が問われているのだから答えてほしい。

 東京都アセス審議会は、よくある緑好き市民おばさんたちによる,感覚的反対一点張りではなくて、専門家から詳細な現場調査をもとにしたアピール、しかもイコモス委員会からとて、無視できなくなったのであろう。アセス審議を完了ではなく、継続審議するとしたのである。今月の審議会で、事業者はイコモスからの指摘へに対応する調査を提出せよとなったらしい。
 その背景には多様にして多数の一般市民からのアピールがあり、一部国会議員等の政治家も動いてきたからだろう。

 このイコモスの提言を作成した石川幹子さんは、かつて国立競技場の建設においてもその立体公園について問題を指摘したアピールを行ったことがあるが、都市計画審議会は完全に黙殺したのだった。
 あの時にもしもアセスが必要であったなら、今回のように事業者JSCは対応させられていただろうか。今回も都市計画審議会は、地区計画の変更を樹木問題には全く触れないで通してしまった。ふたつの審議会の違いが興味深い。

 さて、事業者はそのアセス評価書の記述を、石川幹子さんに「虚偽」だらけであるとばかりに指摘されているが、果たしてどう反論するのか興味津々である。当然に正しい評価書であるというだろうが、アセス審査会はどう扱うだろうか。

●非都市計画個人施行再開発事業

 今回は都市計画としての形式上は国立競技場建て替えの延長上だが、内容を見れば事実上は単に隣の土地の再開発である。なぜあの時にひとつの地区計画にして都市計画決定したのか分からない。あの時には、今よりもっと分らなかったのに、なぜ都市計画審議会は審議できたのか、それが分からない。
 参照:2013/12/07【五輪騒動】都市計画談議(その5)

 もしかして、オリンピック計画中のどさくさにまぎれて、こちらも合わせて都市計画決定すれば、あれこれ指摘されないで済むと考えたのかもしれない。この2013年の都市計画についての諸問題は、今になって初めて言うのではなく、わたしはあの時すでに書いている。
 参照:2013/12/03【五輪騒動】都市計画談議その1その9

 今回は宗教法人明治神宮を主たる事業者とする神宮球場と、独立行政法人JSCを主たる事業者とす秩父宮ラグビー場の、場所入れ替えによる建て替えである。そしてそれに隣の伊藤忠商事ビルもまき込んで、市街地再開発事業(都市再開発法に基づく法定事業をいう)に仕立てるとする。

 国立競技場の場合は隣の土地も取り込んでの公共用地だけによる建て替えだった。しかし今回は土地権利者が4者の複数である。神宮とJSCの土地建物の入れ替え建て替えと、伊藤忠ビル建て替えをひとつの事業として合わせ技で建設にする。
 実のところ、外部の者には建築物等の空間的な配置や形状は事業者の発表資料である程度分かるのだが、事業の進め方や内容は部外者にはまことに見えにくい。
 しかも、市街地再開発事業個人施行、非都市計画事業)という、ある種のブラックボックスの中で進むから、ますます見えにくい。

 秩父宮ラグビー場は国の機関JSCによる公共施設だから、この建て替え移転事業が市街地再開発事業の中で行うとしても、ブラックボックスでは困る。国民にいつも見えるように事業を進めてもらいたい。 

 一方、その他は民間事業者の施設だから外に見えなくても良いだろう、と言われても困る。伊藤忠ビルはともかくとしても、野球場などの神宮のスポーツ施設は、多様な人が利用するのだから、できるだけオープンに事業を進めてもらいたいものだ。
 そもそも神宮外苑の土地が戦後に明治神宮の所有になったのは、国有地であったのを特別に市価の半額で買い受けたのだから、半分公共的な土地である。であればこそ都市計画公園指定になっている。

 ラグビー場はPFIで建設するとて、すでにその民間事業者もコンペで鹿島グループに決定しているそうだ。その設計者の中に国立競技場審査員だった建築家の内藤廣さんがいるのが興味深い。
 このラグビー場の当初建設業者が鹿島だったから、そうなるだろうと言われていた通りだ。鹿島のPFIコンペ入札価額が他のコンペチタ―たちと比べて飛びぬけて安く、鹿島が意地で取ったとの噂である。

 ついでに言えば、国立競技場は大成建設だったが、これも最初からそうだった。まだきまらない次の大物は神宮球場だが、これも同様な理由で大林組になるだろうとの噂とて、日本の建設業界の伝統というか慣習というか、見事なものである。

●UR都市再生機構の登場

 さてそのラグビー場と市街地再開発事業との関係だが、あの地権者たちとは違ってちょっと特殊な立場になるらしい。
 それについては業界新聞記事で最近知ったのだが、市街地再開発事業について施行認可申請を、個人(4者共同)施行として、施行者は明治神宮、伊藤忠、UR都市機構だそうである。JSCの名が消えているのはなぜだろう。

 それに代わってURが登場する理由をよく分からないが推測すれば、JSCは再開発事業のためにURに土地信託をするのだろうか。いわゆる土地土地権利変換で敷地を決め、その敷地に建てるラグビー場は特定建築者制度でPFI事業者が建設するのだろう。これも推測である。

 とすれば、市街地再開発事業にJSCは全くノウハウがないので、こういうとき独立行政法人でありかつ市街地再開発事業のノウハウを持つURを起用したのであろう。UR起用で国立競技場の時のような大ドジをしない心構えなのだろう。そういえば、早い段階ではこの事業全体をUR施行としようとの検討もあったと、某筋から聞いたことがある。

 生き馬の目を抜く東京の民間不動産屋の手練手管に、ナイーブな国家機関のJSCが手玉に取られて、国民の財産であるところの現資産を損しないように、むしろ得をするように、うまく立ち回ってほしいものだ。
 その点でURを引き込んだのは良いことである。どれくらい頼りになるのか知らないが、。実は私は以前にURの起用について2019年ブログに書いたことがある。
 参照:五輪便乗再開発

●なぜ法定再開発か

 でも、なぜ市街地再開発事業に持ち込んだのか。
 普通の再開発事業の様に、権利者たちが敷地や建物を共同化する、なんてこと全くやっていないようである。それぞれの敷地別に容積率の移転はすでに地区計画で決めてあるから、それぞれ権利者間で土地を交換したりして、それぞれの敷地にそれぞれ建物を建てればよいではないか。
 それは当然ながら、市街地再開発事業にすることが事業者に大きなメリットがあるからだ。一般にそのメリットデメリットがいくつか言われるが、ここではデメリットはないようだ。

 だが、都市再開発法第3条にある市街地再開発事業発事業とするためにいくつか要件があるのだが、それにどうも抵触する可能性があるのだ。これは事業そのもののデメリットとは言えないが、事業者にはそれを前提とするにはリスクがあったはずだ。重要なことなので一応デメリットとして書いておく。

 その要件であるが、都市再開発法3条にこうある。「三 当該区域内に十分な公共施設がないこと、当該区域内の土地の利用が細分されていること等により、当該区域内の土地の利用状況が著しく不健全であること」。

 ところが外苑の現地をだれがどう見てもこれらに該当するとは見えない。道路公園などの公共施設は整っているし、権利者4者の土地はいずれも広くて細分化されいない。
 建っている現建物は、ラグビー場も野球場も耐震改良が済んでいるし、歴史的価値さえある。1980年建設の伊藤忠ビルはどうか知らないが、すでに高容積高層高度利用建築である。いずれも不健全土地利用とは言えない。
 土地利用状況が著しく不健全どころか著しく健全だから、都市再開発法の適用は不可能としか見えない。これを都知事が施行認可するには法解釈で通り抜けるしかないが、それはもう都市計画というよりも政治的な何かが必要であったかもしれない。

 不可能なように見えるところを可能なように見て、東京都知事の認可を受けるのは、かなりの難物であるだろう。ネットで見る限りは、港区から都への認可進達はすでにあったようだが、未だ都知事による施行認可は降りていないようだ。
 だか、ここまで来るには当然に根回しやら会議やらで、事前に認可可能との判断が出ているのが通常の行政手続きである。

 一般的に市街地再開発事業と言えば、その事業前も事業後もかなり複雑な土地建物であるが、ここでは拍子抜けするほど前後共に超簡単であるのが特徴だ。
 市街地再開発事業特有の複雑な権利変換手続きは、事実上は不要に等しいだろう。つまり市街地再開発事業とする意義が感じられない。流行語で言えば異次元再開発だな。

市街地再開発事業のメリット

 では市街地再開発事業とする事業者にとってのメリットは何か。
 ひとつは事業への一般会計補助金の交付があることだ。つまりただ貰いの税金からの支出を事業者は受け取ることができる。
 実のところは、わたしは現在の国や都が定める市街地再開発事業への一般会計補助要領を知らないので、不適用かも知れない。
 もしこの事業が補助要領に適合するならば、かなりに額の補助金が国と都から事業者に交付される。計算方法は簡単ではないが、前例的にはうまく行けば事業費の3分の1くらいになる。なお、JSCはもともとが国の税金を原資として成り立つ独立行政法人だから、補助対象とならない。

 ふたつめのメリットは、税制優遇である。市街地再開発事業によって土地や建物の権利関係が動いて建設されるが、これらの不動産取引にかかる租税が免除や減額される。
 あの立地であれだけ大きな土地が動き、あれだけ大きな建物を建てるとしたら、それにかかる取得税や固定資産税などは税額は巨額であるはずだ。これの税減免措置が市街地再開発事業適用の主目的かも知れない。

 とくに最大の地主であり最大の建築者である明治神宮には、大きなメリットがある。これがあることが再開発事業への動機になっているに違いない。
 もちろんそれは三井不動産とか再開発コンサルタントでもある(らしい)日建設計などの入れ知恵であろう。なお、JSCは免税団体だからこれは関係ない。

 メリットの第3は、事業区域内の敷地間で容積移転(正確は容積の適正配分)ができることである。これが事業者にとって最もメリットがありる。
 ただし、これは正確な言い方ではない。容積移転は市街地再開発事業によって可能になるのではなくて、その前提となる特定地区計画によるものである。だが、事業の前提であるからメリットとして挙げておこう。

 外苑地区市街地再開発事業区域は、大部分が都市計画公園地域内であるために、そこに他から容積率移転しても公園規制で超高層建築が不可能という特徴がある。
 そこで事業化の前提として公園指定を削除するという荒業の都市計画変更をしたのである。形式的にはともかくとしても、実態としては都市公園内に超高層地区を設定したのである。

 外苑地区市街地再開発事業区域が、イチョウ並木の東に沿って何も建築しない細長い尻尾を出しているのは、その部分の容積率をイチョウ並木の上空を飛ばして、公園指定削除した超高層地区に持ってくるためである。いわゆるゲリマンダーになっている。このような区域設定は、都市計画道路整備がある場合のほかは珍しい。

 公園指定を削除した範囲も、ゲリマンダー形態をしている。実のところ今回の事業の最大目的は公園指定解除であったらしい。そのために公園まちづくり制度を作り、都市計画変更し、市街地再開発事業の持ちこんだのであろう。ここまで持ち込むに10年以上かけての新解釈再開発戦略展開に、ほとほと呆れつつ感心する。

●事業者たる地権者たちの顔が見えない

 さて、事業が目に見えて動き出すようだが、この事業者のうちの宗教法人明治神宮は、最大権利者であり、できあがる施設の最大の持ち主、運営者となるはずである。つまりこの事業における社会的責任が最も重いはずだ。

 それなのに、この宗教法人はこの再開発事業に関して、全く姿も形も見えず声も聞こえない。明治神宮はこの再開発の影響を受けるのに、何をしているのかと心配してあげるという、まさに実情を知らない人もいる。明治神宮こそが、この再開発の主役なのである。影響を受けるのではなくて、与える側にいるのだ。
 その明治神宮ウェブサイトには、全く再開発のことを書いていない。何を考えているのだろうか。これは宗教活動ではないから良いのだとか、神様だからというわけでもあるまいに、どうしてだろうか。

 最も世間が問題にしているのは、法的にはクリアしたとしても事実上は公園内に超高層ビルを建てることであり、それは実質的に神宮の事業である。実はもう一つの問題となっている保全すべき樹林も、神宮の所有地である。それなのに当事者が全く知らぬ存ぜぬの体で、三井不動産に任せきりでよいものだろうか。

 わたしはもうひとりの権利者の態度にも不満がある。東京都心に作ると都市計画で決められていた広い公園が、この事業のために削除されたのだが、それには文科省が大きく加担したことである。そのあたりを関係者はどう思っているのだろうか。

 もしかして公園まちづくり制度に従っているから良いのだと思っているとすれば、都市計画公園廃止に寄与する制度に国が与してはいけない。それは法ではなくて東京都独自の制度に過ぎない。しかももしかしてこの外苑再開発事業のために作った制度であろうかと、わたしは疑っているのだ。参照:五輪便乗外苑再開発

●公園緑地に都市再開発法適用の荒業

 なんにしてもこの件で、元都市計画家のわたしが違和感と疑念を抱いている一番の点は、すでに整備され利用されてきた公園緑地を、都市再開発法を適用して公園施設の建て替えをすることである。
 それはこの方が立法時にも今も予測していなかったであろう。この意表を突く手法の案出は、この地区の最初の地区計画指定をした2013年よりも前のことのはずだ。同時にセットで公園まちづくり制度も案出したのだろう。そして10年以上かけて前代未聞の市街地再開発事業として、ここまで持ち込んだのである。

 その手法を案出した専門家は、多分、再開発プランナー資格を持つ都市計画家だろうが、それはどなただろうか。日建設計か都市計画設計研究所か三井不動産かに所属するお方か、あるいは東京都のインハウスプランナーだろうか。
 思いもつかなかったわたしは、その都市計画家に嫌悪と畏敬を抱くのである。そしてその手法を節税方法を選んだ地権者たちにも同じ思いである。
 立法から54年、都市再開発法は意外な方向に、大きく変貌変質したのである。

                      (2023/02/01記)

参照:国立競技場及び神宮外苑問題瓢論集(伊達美徳)https://datey.blogspot.com/p/866-httpdatey.html


2022/05/20

1621【東京お登り見物】11年ぶり東京六本木あたりから見下ろし風景は変わり映えしない

東京お登り風景 六本木―青山―新宿

●4年ぶりの六本木は亡き人に別れる会

 久し振りに東京の六本木に行った。日記を見たら2018年5月以来4年ぶり、そう言えば東京の都心方面に行ったのは2020年の2月以来2年ぶり、コロナだからとて避けて行かなかったのではなくて、行くべき用事や遊びの機会が次々と消滅する日々だったのだ。コロナのほうがわたしを避けていたらしい。

 そして2022年4月21日になり、六本木の国際文化会館にようやく行くべき会合が発生、恩人の建築家近藤正一さんの1周忌にお別れ会が開かれたのだ。さすがのコロナの奴も、わたしを避けなくなったらしい。コロナ流行が幾分か収まる気配ということ。

 多くの人が集まり、超久しぶりの知人たちにも出会ったが、マスクをしたままだから、わずかの人だけを誰であるか判別できたが、先方から挨拶されても誰だかわからない。それでも30年ぶりの人でも名乗られると途端にマスク下の顔もわかるのがおかしい。こちらも挨拶しないで失礼してしまった人も多いだろう。マスク風習が人々を疎遠にした。

 コロナ禍中だから飲食一切なしで時間限定、会場を出ても昼の日は高い。主催者側の昔仲間と話していたら、一緒に飲みたい人たちがもういなくなっている。おいて行かれたらしい、ちょっと僻む。

●東京お登り見物
 しょうがないので、せっかく久しぶりだから東京おのぼりさんをやった。文字通りのお登りで、高いところに登って来たのだ。とは書いたが、実は初めからここの近くにある森美術館に行くつもりではあった。

 近くに建つ超高層ビル「六本木森タワー」52階に登って地上の風景を眺めて来た。90年代から六本木には仕事でよく来ていたものだが、ここまで高く登るのは2011年以来11年ぶり、その間に見下ろす東京がどう変わっているか興味あった。
 だが、久し振りの東京眺めおろし印象は、なんだ、たいして変わっていないな、超高層ビルがばらばらと増えたようだが、総体としては変わらないものだなあ、ということだった。

 六本木ヒルズという巨大再開発事業で六本木森タワーは2003年に完成した。わたしはここの展望台に2006年と2011年に来ていることがPCにある写真で分った。それはなにかこのビルで会合があったついでだったような記憶がある。

 もちろん詳細に見比べるとめだつ建物が沢山出来ていて変化の激しい東京だが、高いところから眺める分には、ゴチャゴチャに多少凸凹が多くなった程度だ。
 東京と言えども眺望風景は20年たつもほとんど変わらないのだった。

1997年の六本木界隈空中写真 中央上に六本木交差点 google earth

2021年の六本木界隈空中写真 左下三角地帯に六本木ヒルズ巨大再開発 google earth

  16年前の2006年に撮った写真があるので、2022年同アングル写真と比べてみる。

六本木ヒルズ森タワー52階からの眺め 2006年
中央の高層群は開発途中の東京ミッドタウン

上とほぼ同じ方向の2022年の眺め 右に東京ミッドタウン

六本木ヒルズ森タワー52階から新宿方面の眺め 2006年
広い緑地は青山墓地、上の超高層群は新宿あたり

上とほぼ同じアングルの眺め 2022年

 数多くの超高層建築が出現してきて、東京のゴチャゴチャさは地表から上空へと広がってきた。

六本木森タワー52階から北西方パノラマ 2022年
右端の工事中超高層ビルは麻布台あたりの巨大再開発の一部

六本木森タワー52階から西方パノラマ 2022年

六本木森タワー52階からの足元近く麻布や広尾あたりの住宅街の眺め 2022年

ミッドタウンの足元あたりの市街地 2022年

●六本木あたり回顧譚
 
 わたしはスッカリ年取ったから関連する回顧譚を書いておくことにする。もちろん他人にはどうでもよいことだが、どんどん記憶が薄れる自覚があるので、それに対抗して覚えているうちに書き留めておく、それが年寄りだと分る歳になったらしい。

 思い出すとわたしは六本木の街ににはけっこう縁があった。六本木駅近くで森ビルが初めて市街地再開発事業として手掛けた「アークヒルズ」がある。計画中は赤坂六本木開発(略してARK)と言っていた。その中に建った「アーク森ビル」に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の大学院サテライト教室があり、非常勤講師(都市計画論)として数年間通っていたこともある。またそのビルには森ビル主催「ARK都市塾」なる企業の都市開発担当者を塾生とする社会人学校があり、それにも関係していて毎週通っていた。

 更にまた、地下鉄六本木駅の六本木交差点入り口があるあたりで、岐阜県の土地と民間店舗との共同開発ビル計画があり、県の依頼でコンサルタントをしていた。これは石原俊介先生からの話だった。都市局長から転身した梶原知事が東京に県の拠点を作りたいとのことだった。先生は県の顧問をされていたらしい。その官民共同ビルは完成して、今回の訪問で建っていることを確認した。文化の六本木にカブレて劇場なんか作ったけど、岐阜県はどうしているのかしら。

 それやこれやで六本木にはよく来ていたから、このあたりの開発を同時代的に見ていたので懐かしい。もっとも、夜遊びは知らない。
 総体的には森ビルがどんどんと街を蚕食、口の悪いものは森蛭の繁殖という。だが、なんでもない住宅地だった六本木を、東京のある種の文化都心として興したのは明らかに森ビルの連続再開発である。ついでながら森トラストを森虎と口さがないものは言う。そういえばわたしは故・森泰吉郎氏、故・森稔氏、森章氏たちに、もう忘れたがそれぞれ別に会って話したことがある。 

●超高建築の風景

 六本木交差点から四方を見ると、建て替わったビルも多いようだが、街のゴチャゴチャ感は変わらないままだった。麻布方面に建設中の胴太で巨大なビルが空を覆っているのが気になった。
 それは森ビルがやっている麻布台あたりでの巨大再開発のビルらしい。あんな広い市街地再開発事業は日本で一番の規模だろうが、よくまあ事業化したものだ。あのあたりは我善坊谷という谷底ゴチャゴチャ路地だったのが懐かしい。

 六本木駅近くの山下和正設計のピラミデビルも健在だったが、記憶の風景に六本木ヒルズの巨大な森タワーが重なっているのをはじめてみた。さすが力量ある二人の建築家作品の予期せぬ出会いが、都市の混迷と秩序のせめぎ合い風景となり、なかなかよろしい。

山下和正設計ピラミデと六本木森タワーの予期せぬ出会い風景 2022年

 かつては超高層ビルがその街のランドマークだったが、こうも増えて来ると街なかの雑多なペンシルビル群と変わりがなくなる。その中で六本木森タワーは六本木のランドマークとしての地位を築いているようだ。それにしてもそのでっぷりと太った形態はどうだ、外装デザインが浴衣をきているようで、まるで腹つきだした相撲取りに見える。

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●(参照)六本木や麻布あたりについてこれまでこんなことを書いている

2010/09/28 321【東京風景】六本木から神谷町へ徘徊https://datey.blogspot.com/2010/09/321.html

2013/07/08 805【東京路地徘徊】愛宕下路地は今や空き地だらけもうすぐ超高層ビルでも建つのか https://datey.blogspot.com/2013/07/805.html

2013/07/12 806【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・1】谷底に緑に覆われた家々がひっそりと立ち並ぶ東京の秘境か https://datey.blogspot.com/2013/07/806.html

2013/07/16 807【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・2】谷底の落合坂を行く(その1)https://datey.blogspot.com/2013/07/807.html

2013/07/19 809【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・3】谷底の落合坂を行く(その2)崖の上下の極端な出会いの風景 https://datey.blogspot.com/2013/07/809.html

2013/07/21 810【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・4】谷底の落合坂を行く(その3)南の路地とその上に見えるレトロ建築 https://datey.blogspot.com/2013/07/810.html

2013/07/25 812【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・5】谷底と丘上の交わらない二つの街の歴史 https://datey.blogspot.com/2013/07/812.html

2013/07/26 813【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・6】我善坊谷の住人たちー永井荷風をだました女 https://datey.blogspot.com/2013/07/813.html

2013/07/28 814【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・7】我善坊谷の未来を勝手に想像するhttps://datey.blogspot.com/2013/07/814.html

2013/09/07 832【東京路地徘徊】元麻布谷底街の路地上に狸の大入道が真昼に出てる https://datey.blogspot.com/2013/09/832.html

          (20220520記)    



2022/04/03

1614【大岡山花見2022報告】雨の中の満開桜の花見ってのもオツなものでした

 建築クラス同期仲間の例年の大岡山花見会の報告です。例年と書きましたが、2021年と2020年はコロナのせいで花見ではなくて、行きたいものそれぞれ勝手に花見したのでした。ですから今年は3年ぶりに花見会となりました。

大岡山正門を入って百年館を背にして本館方面を見る 左は瀧プラザ、右は図書館

 あいにくの雨もよいの天候でしたが、しっとりの濡れた満開の花々は今にも散ろうとしつつあり、それは情緒のある風景でした。
 春休みの雨の日曜日のキャンパスは静まりかえっており、わたしたち5人で花を占有する贅沢なひと時でした。本館前の花見広場の周りは、残念ながら立ち入り禁止の縄張りがありました。

本館前の桜の広場

 わたしたちの集合写真のシャッターを押してもらった守衛さんの話では、明日4月4日は入学式と卒業式で、広場も全面開放だそうです。学生たちの人数が多いので何回か何日かに分けて式を行うそうです。ならば明日も来ようか、いや明日も雨らしい、迷います。

酔っ払いのごときヨレヨレ桜は並行して若木を植えて交代時期が近い

本館正面だけが妙に白いので、壁面を最近に洗ったらしい

桜は幹も枝もヨレヨレでも花は立派に咲いている


写真撮るときだけマスクを外しました

呑川緑道

緑が丘の上にて

 これで2022年春の雨の大岡山花見風景はおしまいです。
 この後は大岡山商店街で、餃子とビールで久しぶりの飲み会を3時間ばかり、やっぱり飲み食いしながら話すのがいちばんいいなあ、次は紅葉狩りやりたいね、なんて言いながら散会しました。
 
 ついに今年も4月になりました。2019年春のコロナ以来、毎年春になるとつぶやいているこんな狂歌があります。ご存じ西行法師の本歌取りです。
   願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のコロナ
 今年の春もつぶやきつつも生きのびているありさまです。でも今年はコロナの上に戦争も勃発しましたから、夏か秋かに冗談でなく「死なむ」になるかもしれません。生まれたときの日本は十五年戦争の真っ最中、そして死ぬ時ももしかしたら・・・、嫌な時代の地球に出くわしたものです。 
(20220403記)



2022/02/13

1608【神宮外苑再開発長屋談義】東京都心部に都市公園ゼントリフィケイション時代が来たらしい

熊五郎:ご隠居、こんちわあ、生きてますね、はいこれ、一緒に飲みましょ。

ご隠居:おお、熊さん、まあおあがりよ、なになにワインかい、うれしいね、今どき一緒に飲んでくれるなんてこりゃ涙がこぼれるよ。

:全くね、こうもコロナ蟄居が続くと心が苦しくなる、これもコロナ病ですね、さあ、乾杯しましょ。

:うん、ありがとう、美味いねえ、ネットバーチャル談議ばかりやってると人間は頭が変になるね、こうやって飲みつつ話そうかね。


:もうコロナの話は飽きたから今日は違う話をしましょうよ。東京青山に明治神宮外苑って野球の神宮球場があるの知ってるでしょ。

:わたしは球場なんて見世物小屋のスポーツ嫌いだけど、それくらいは知ってる。

●明治神宮外苑で都市公園の大規模削除とは

:その神宮外苑全体と隣のラグビー場は都市計画公園なんですが、現在の野球場やラグビー場が古くなったので建て替えるために公園を大規模にやめて、ついでに超高層ビルも建ててるそうですよ。

:えッ、公園をやめるのかい、そりゃできないだろ、都市計画当局が許さないだろ。

:いやそれができるのですよ、つい先日のこと東京都都市計画がそれをOKしたのですよ、そして公園内の樹木が1000本も伐り倒されるんだそうです、石川幹子先生によるとね。

:そりゃ石川さんが激怒するだろうあ、まさか公園の中にビル建てるために公園やめるって、そりゃできないよ。できたとしても削減面積と同等以上の公園を近くに新設するのが常識、そうしないと住民が許さない。

:だから今日は昔の都市計画家のご隠居に聞きに来たんですよ、それでいいのかなって。

:ホントかい、ちょっとネットで調べるかな、ほーほー、そういうことか、公園削減都市計画変更案案を2月4日に東京都市計画審議会で承認してる、う~む、世の中が変わったなあ、もう昔の都市計画家はついていけない。

:ね、都市計画で樹木のことは書いてないけど、かなり広く公園面積を削除してるでしょ、だから木も伐るのかと。

:そうだねえ、昔も今も都市計画で決めた公園を減らすのは、よほどの理由じゃないとやらないものだが、神宮外苑のような広い公園にビル建てたいから一部の公園を減らしたなんて時代が変ったんだねえ、渋谷の宮下公園の有様と言い、フン、そうしたいなら公園でも道でも川でもつぶしてビル建てればいいでしょ、どんどんやりなさいよ、。

:おやおや、ご隠居は人間が丸くなったか、あ、違うか、もともとあの神宮外苑そのものを嫌いだから、どうでもいいのですね。

:うん、まあ、そんなところだな、見世物小屋だらけだし、あんな権威主義そのもの公園なんて、わたしは好かないね、あ、そうだ、樹木伐るならあの銀杏並木を伐りたおしてしまいなさいッ。


●秩父宮ラグビー場を公園から除外する仕掛け

:まあまあ、わたしの話も聞いてくださいよ。神宮外苑用地は全部が都市計画公園だけど、今回のビルを建てるあたりは外苑用地隣のラグビー場用地なんですよ。

:そこはたしか国有地だよね、国の機関のJSCが管理してるけどね、そこも都市計画公園指定してあるよ、おかしいね、結構広いけど、そこを公園から外したのかい。

:そうなんですよ、でそこに超高層ビルを建てるようですよ。そこでちょっと調べたんですよ、どうしてそんな芸当ができるのかね。

:ほお、熊さんも都市計画に興味持ってきたな、いいことだよ、で、分ったのかい。

、えへん、ご隠居に都市計画を教えますよ、それはね「公園まちづくり制度」ってのを東京都が作っていて、それに適合するなら公園を削ってもいいよとなるんですね。

:なんだよ、公園を削ってよいと堂々と行政が言うようでは、もう世も末だね、いや、こっちが時代遅れかな。

:でね、その制度適用の都市計画公園の条件は「未供用区域のままで50年以上未整備状態が続き、公園機能が発揮されていないし、建築制限等により市街地の更新が進まない」ところだって。

:ふうん、そうかい。都市計画だけ決めていつまでも事業実施しないでいる弊害を取り除こうという制度で、法律じゃないけど法の運用だね、そういう制度も必要だろうがね。

:外苑用地は公園として供用してるけど、ラグビー場は未供用区域だかららしいのです。でもね、それがどうもおかしい、現実は長期間ラグビー場であって、公園機能を十分に発揮しているし、市街地の更新が進んでない場所どころか、ラグビー場しか無いのだからもともと市街地でもないから、条件が合いませんよ。

:おお、そうだねえ、ラグビー場のところは、戦中までは女子学習院という学校だったけど、戦災で焼けて移転してその跡地にラグビー場を建てた。

:ラグビー場は外苑用地の公園内に建つ野球場と同じくスポーツ施設だから、公園に適する施設でしょ。今すぐ供用指定可能なのになぜ未供用だったのですか。

:そりゃ単に供用手続きを怠っていたからだろうね。

:あるいはラグビー場地主の文科省が、東京都の供用要請を拒否したのかもね。

:どっちにしても供用して当然だったところだが行政の不作為で未供用のままだった、そこをつかれて「まちづくり公園制度」を適用して、ラグビー場を公園から外してしまう都市計画提案がじもとから出てきて今回OKした、う~む、頭の良い奴がいたもんだねえ。この制度が無かったらできなかったね。

:ところがどうも気になるのは、この制度はこのラグビー場を公園から外すために、ここに宛てて作った制度のような気がするんですよ。

:なんだいそりゃ、。

:だってね公園まちづくり制度制定と、神宮外苑の最初の地区計画の都市計画決定とは同じ年にできているのです。つまりその時には既に今回の公園削除して再開発できるように仕組んでたような気がする。地区計画はその地区の権利者の提案ですが、提案の裏にはそんな取引があったのかもしれないと思わせます。

:う~む、ありうるかもね、違法じゃないけど裏口入学臭いね。でも事情通にでも聞かないと分らないね、それにしてもこれは国の機関のJSCが率先して公園を削除した、つまり政府が公園を減らしたんだよ、いっぽうの民間の明治神宮は減らしてないんだね、今どきはそういう世の中かい、まあ、わたしは世間から遅れてしまって、もうどーでもいいけどね

●過密でも市街地でもないのに市街地再開発事業とは

:またそう言う、しょうがないね、じゃあ次の質問ですよ。この再開発計画を発表したのは、三井不動産を代表として、JSC,明治神宮、伊藤忠の4者で、事業名称を(仮称)神宮外苑地区市街地再開発事業としているんですよ。これってどう思いますか。

:おお、それは都市再開発法によっる方法で事業を行うってことだね、ほお、公園を法定再開発するのは珍しいねえ、法が予想してないよ、そもそも再開発するほど過密じゃないのが公園だからね、すごいこと発明というかひねり出す奴がいるもんだ。

:そうでしょ、そこでどうして市街地再開発事業を行うのかを調べたら国交省のサイトに「市街地再開発事業の目的:都市再開発法に基づき、市街地内の老朽木造建築物が密集している地区等において、細分化された敷地の統合、不燃化された共同建築物の建築、公園、広場、街路等の公共施設の整備等を行うことにより、都市における土地の合理的かつ健全な高度利用都市機能の更新を図る」と書いてあります。でも、この外苑地区再開発ではこれらのどれひとつにも当てはまらない、だって既に整備されている優良なる環境ですよ。

:おうおう、修復や建て替えは必要かもしれないが、いまさら市街地再開発事業事業なんて大げさにして大改造する必要はないな。都市再開発法の適用条件に合うのかなあ、都知事から認可されるのかなあ。再開発やるなら外苑前交差点北東の建て混んだ三角地こそとりこむべきなのにわざわざ除外して、やりやすいところだけやるとは筋が悪い。

:そうでしょ、それぞれ大きな土地を持っているのだから、それそれが建て直せばいいでしょ。なぜ市街地再開発事業って共同事業にするのでしょうか、いろいろ面倒な手続きがあるんでしょ、何かメリットあるんですか。

:この事業手法でやると国や都から補助金をもらえたり、不動産開発にかかわるいろいろな税の減免措置もあり、一般に行政的支援など受けられるメリットがある。

:みな大企業だしJSCは国の機関ですよ、補助金や税逃れ目当てに市街地再開発事業にするんですかねえ、みみっちい。

:いやまあ、その辺はまた別の意図もあるのかもしれないね、わからんなあ。


●実は国有地を民間に売り渡す事業であるとは

:あそうだ、ラグビー場と神宮球場を土地を入れ替えて建て替えるから、それに法的な裏付けある事業制度が必要なのかも。

:おお、そうかい、民有地と国有地の交換分合があるんだね、そのへんで法定再開発とする公的担保が求められるのかなあ、わからんなあ。

:ラグビー場の土地と明治神宮の土地を等価交換するのでしょうね。

:あ、そうだ、その入れ替えで国有地の一部をを神宮外苑に売り渡すのだねえ、そうかそうか、そういうことか、国民の財産だから、がっぽりと高く売って儲けてほしいものだね。

:なにを言ってるんですか、交換するって言ってますよ、国有地で儲けるなんてどうしてですか?

:いいかい、よくお聞きよ、今度の都市計画変更で今のラグビー場の土地は、公園から除外されて土地利用規制が緩和され容積率も上昇したから、土地価格も大きく上昇したはずだよ。そうでなくてももともと神宮球場の土地よりもラグビー場の地価は路線価で2倍半くらい高い、今回の都市計画変更でそれがもっと差がつくはずだよ。

:計画図を見ると、交換移転後のラグビー場用地の広さは、現在とあまり変わらないようですねど、いいのですか。

:計画図のように野球場とラグビー場の同じ面積で交換すると、地価が高いラグビー場が損することになる、だからラグビー場は土地価額で損しないように差額を金銭で受け取るね、つまり国有地の一部を明治神宮に売却することになるんだね。

:あ、そうか、もしも等価の土地面積で交換すると、ラグビー場用地が広くなりすぎて、野球場のほうは土地が狭くなって困りますね、なるほど。

:その差額で受け取る金、つまり土地の一部売却金をラグビ-場建設費にあてるのだろうね、だから国民としてはここで国有地を種にがっぽりと儲けてほしいというのだよ。

:こりゃいいね、つまり再開発利益を納税者の国民にしっかり還元してほしい、ハハ。

:でね、ここで市街地再開発事業がでてくるのだけど、事業の施行者は三井不動産という民間会社だよ、つまり国有地の売買の手続きをやるのは国じゃなくて、不動産屋なんだね。

:おお、JSCは手練れの不動産屋に手玉に取られる心配があるなあ、う~む、この前の国立競技場建設のときには少なくとも60億円を国民に損させた大ドジをやったけど、またドジやって大赤字を出すかな。

:まあ、市街地再開発事業は法定事業として、それなりに公正に事業が進む担保があるという面では、適切な事業手法選択と言えるかもしれないね。でもねえ、それは通常の売買じゃなくて権利変換という複雑な特殊な手法でやるのがこの事業の特徴だから、JSCはちゃんと理解できるのかなあ。考えようによっては、国有地売買手続きを市街地再開発事業というブラックボックスに入れて国民の目から見えなくしてしまう恐れもあるな。

:JSCは今回の仕事は、ラグビー場の建設事業だけじゃなくて、国有地の移転にともなう不動産事業もあるから、都市再開発法をしっかり勉強してほしいですね。

●神宮外苑再開発は猥雑な門前町づくり

:おい、熊さんや、ワインでいい気持ちになってきたぞ、もっと飲ませろ。

:なんだか目がすわってきたな、このあたりで本音を聞くかな、それにしても、ご隠居はこの神宮外苑地区の再開発の過程と結果の姿をどう見ますか。

:うん、もうどうでもいいよ。あんな明治王権国家丸出し戦争駆動装置の残影景観なんて、公園削除の毒を食らったからもう皿まで食らえばいいよ、並木も林も伐り倒して超高層ビルでも見世物小屋でも林立させて丸の内と日比谷に対抗するってどうだい、明治神宮は内苑だけに森があれば、外苑はもうどうでもいいよ。

:おや、酔っぱらいのたわごとかな、本気ですかい。

:そもそもだな、競技場やラグビー場も含めて、当初から神宮外苑ってのは神社の縁日の賑わいの場なんだな、昔はどこの神社でもお祭りの日は、境内に屋台や小屋掛けがたくさん登場して香具師が啖呵バイやってたり、怪しげな見世物があったり、駄菓子やおもちゃの店が並び、露店茶店が出て来たものだよ。参道の前の門前町には土産屋や宿屋があったりして、神社の外回りは本来は猥雑なもんだよ。

:そうそう、今でもその雰囲気は浅草にはありますけど、外苑ではないですよ。

:だからね、その屋台やサーカス小屋が一年中あるようになっちまったのが野球場や競技場やラグビー場だよ、現実としてはあの絵画館もそのひとつだね。

:サーカスや見世物じゃないでしょスポーツ施設ですよ、あ、そうか、今じゃあスポーツ競技場は見世物小屋ですか、そういえばそうだなあ。

:それが運動体育の施設であるのはどうしてかというと、近代日本が富国強兵国家として壮健なる青壮年を育てるのがここでの目的だったのだよ、元が練兵場という軍事施設だったしね、象徴的な事件は1943年の神宮競技場での学徒出陣壮行会だよ、外苑はそれを引きずってるいるんだな。

:大勢集まる参拝客ならぬ見物客には、昔の門前町のように土産物屋や宿屋もいる、だから再開発でホテルやら商業施設を建てる、つまり日本の歴史文化的には正しい方向なのですか、本当かなあ、でも公園がそれでいいのですか。

:公園と言ったってあそこは民間施設だよ、たまたま宗教法人だけど、野球場やテニス場の賃貸業やってるれっきとした民間業者だよ、布教活動じゃないから収益事業として税金も納めてる、後楽園と同じだよ。

:じゃあ、経営的にここらで再開発しなけりゃ困るって事情でもあるのかしら。

:そうだなあ、明治神宮にも伊藤忠にも三井不動産にもなにか事情があるんでしょ、ここで無理矢理公園再開発やらないとコロナで破産するとか、、ね。

:でもラグビー場は国の機関のJSC経営だから、民間事業者とは違うでしょ、普通に建て直せばいいでしょ。

:うん、そうなんだけどね、ここを取り込んで外苑と一緒に広く市街地再開発事業にすれば、不動産事業としてうまいことできるとの民間知恵者がいたんだろ、で、神社の縁日の日常化計画に持ち込んだね、あ、知ったかぶりで言ってるけど、もちろん実情ぜんぜん知らないよ、わたしは単に面白がって妄想してるだけだよ。そろそろ酔っぱらってきたな。

:でも、ご隠居、都市計画公園を減らす計画なんてことが、これを前例にこれから次々と起きてきますよ、いいんですか。

:もう眠いけど、今後の都市計画のためにいろいろ言いたいことあるし、都市公園についてもいろいろ思うことある、暇つぶしにしゃべるかね、もっとワインを飲ませろよ。

:意外に酒癖悪いね、じゃあ焼酎をどうぞ、では聞きましょうかね。

:では、さてさて、公園にもゼントリフィケイションの時代が来た、、フワア、スヤスヤ、ZZZ、、。

(2022/02/14記)


●もっと神宮外苑都市計画駄文を読みたいお方は下記参照


●もっとオリンピック嫌い駄文読みたいお方はこちらをどうぞ
 【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発・2020五輪運動会騒動瓢論集

2021/03/24

1524【大岡山花見2021】老桜の花が新珍クマ建築を迎えて新たなキャンパス景観にブーイング

●本館前広場の老桜樹に新入生桜

 例年のように大岡山の東京工大キャンパスの桜見物に行ってきた。
 去年も今年も大学キャンパスは花見客お断りであるが、そこを何食わぬ顔で花見散歩してきたのだ。毎年同期生たちとともに花見を楽しんでいたのに、去年も今年も単独行である、つまらない。
 コロナが来ようと花はいつものように咲くから、花の報告は定点写真だけにする。



定番の本館前広場、3月23日はロープで囲って立ち入り禁止

3月26日は卒業式、大勢のフォーマルな服装の男女たちいっぱい、慶賀!
本館前の桜の広場、右方は図書館

本館を背にして


花やか


70年講堂前から桜の広場 白い新建築のことは後述

本館車寄せから花を見る


スロープ


スロープ下から70年講堂


唯一見かけた花見宴会 心字池ほとり


昔々このあたりに如月寮ありき 向こうに緑が丘に登る呑川の橋


緑が丘の上 昔々ここは全部が向岳寮だった
大きな建物は建築土木関係、左の小さい建物は新学生寮


呑川緑道の桜はまだ7分咲きくらい


緑が丘に登る呑川沿いの花の坂道 

 だが今年は、桜につていは大きな変化が生じつつあったのは、老いさらばえた桜の木の更新を始めていたことだった。一部は切り倒して植え替え、更に今の桜樹木の列の隣に、わたしが学生であった60数年前のような細い桜の樹を、もう一列植えている。
 これら桜の新入生たちが咲くころ、老樹列を切り倒すのだろう。桜の成長は早いから、2,3年もすれば花が盛んに咲くし、既に咲いている進入生桜もいた。

本館前の老樹の列の外にもう一列の新入生桜


こちら側にももう一列の新桜


引退老樹の後に植えた細い新入生桜はしっかりと開花中


1960年のキャンパス (森猛氏提供画像)


現在のキャンパス図

 近年の毎年の花見レポートは以下の通り。

●クマ建築が入り口真正面に出現

 さて桜も変わりつつあるが、今年のキャンパスに大変貌があったので特筆しておく。
 大岡山の校門を入って右に百年館があるが、左にそれと向かい合って(昔々テニスコートがあったところ)新しい建築ができていた。
 「Hisao & Hiroko Taki Plaza」という名称の国際交流拠点らしい。設計した建築家は隈研吾で、例の国立競技場(ヘタ)の設計者である。ぐるなび創業者の滝久雄氏の寄付によるので、この名称らしい(長いので「瀧プラザ」と書く)。

 去年までは校門を入ると桜の向こうに本館の塔が見えていたが、この新建築により桜は見えなくなり、わずかに党の頭だけを見えるようになった。
 この建築の詳しいことは知らないが、なんだその見た目がヘンなのである。

校門から正面に瀧プラザ、その上に本館の塔の頭


2017年の校門を入った所からの景観
 
左から瀧プラザ、図書館、百年館

 校門側から見る立面を低くおさええて、3階建ての屋上までを緩い勾配屋根にしている。その屋根には隈さんお得意の板張り簀の子を階段状に取り付けて段々畑というか棚田にしてある。低木も植えるらしいが、その上に登れるのだろうか、単に格好だけだろうか。
 つまり瀧プラザの百年館側の姿は、篠原一男の前衛的幾何学的立面と対峙するのを避け、身を低くしかも棚田に区切って、逃げを打ったらしい。ふむ、それも方法か、でも、あちこち全体にこなれの悪い姿。


百年館館を背にして見る瀧プラザ


前衛篠原対後衛隈対決?


瀧プラザ俯瞰 本館前桜の広場との位置関係 段々畑に登れるのか

 では残りの3面はどうしたか。これが驚くというか、酷いというか、笑えるというか、その詰まらなさと下手さと通俗さをつきまぜた姿は、なんとも言いようがない。町場の工務店の大工仕事か、いや、これはいわゆるアートかな?。

本館前桜広場から見る瀧プラザの姿 あれまあ裏かよ

図書館前あたりから見る瀧プラザ 屋根の簀の子がヘン


近づいて見る こなれの悪さよ


中に入って見ると棚田下がホワイエ 右から地下図書館へ

 3面とも裏路地に面しているのではない、桜の咲きほこる本館前の広場に面しているのだから、ひどい。もちろん隈さんはこれが良い、いや、これで良いとデザインなさったのだろう。わからん。

 対面する裏返しカマボコ百年館やチーズケーキ図書館との対峙を避けたとしても、そこまで卑屈に逃げなくてもよろしいでしょ、下手とはいえあの巨大大競技場設計の著名建築家なんだから。いや、谷口門下東工大閥建築群に東大閥から鈍刀一太刀か。

 特に坂下の運動場や学食あるいは緑が丘方面トンネルから登ってくる道路の正面に、まともに面してアイストップになっているのだが、それをみて苦笑してしまった。なんとかならなかったものか、計画設計時に学内での景観チェック体制はなかったのか。


坂道のアイストップランドマーク

 できるだけ早く周りに樹木を植えて隠してほしい。百年館の前衛幾何学的立面が樹木の葉張りによって和らいで見えるが、こちらは葉張りの中に隠してほしい。


左から図書館、百年館(木の陰)、キャンパス外のビル、瀧プラザ

 クマ建築悪口がけっこう長くて、ヒマつぶしになった。なお、大岡山キャンパスの建築については、こんなことを書いているのでご参照を。
    東京工大プロフェッサーアーキテクトたち競作名建築群

(20210323記)