2015/05/15

1089【尻餅散人横臥戯録5】寝たきり事件発生から2週間、立ったきり生活試行を開始

尻餅散人横臥戯録4】からつづき
 
●突発寝たきり事件2週間目で直立試行へ

 医師によれば全治3か月の第4腰椎圧迫骨折事件から、今日で2週間になった。
 ベッド便所往復の外は、平臥専門の寝たきり老人をやってきた。でも、寝たきり生活にホトホト飽きた。そろそろ脱するかと模索中である。
 平臥姿勢と直立姿勢になっていて動かなければ、ほとんど痛むようなことはない。ということは、ここらあたりで直立生活も加えて、立ったきり老人も交えてみることにしようと考えた。
 立ったきりはできても、中腰とか腰曲げをできない。要するにお行儀良い姿勢を、わたしの身体が要求するのだ。

 まず、PCをどうやるか。はじめは横臥して半開きノートPCを横に立ていた。でも目が疲れるし、打ちにくい。
 そのうちに思いついて、PCを床に置いてベッドに腹ばいで身を乗り出してキイボード打ちをやっていた。これは胸が痛いし、垂れる頭を支えて首が疲れる。
 直立できるようになって、ようやくPCをもとの机の上に戻した。だが、椅子に座ると痛い、腰を曲げると痛い。机上にスツールを乗せ、その上にPCを置くとちょうどよい高さになった。
 今、これはそうやって使っている。楽である。脚が疲れるけど、この2週間ほとんど歩かなかったので、リハビリテーションである。

 この直立PC打ち姿勢を、枕元食事ケータリングの家人に発見されてしまった。これで寝たきり上げ膳据え膳の快楽は廃絶、せっかく寝たきり飲食文化を起そうとしたのに、やむを得ない。
 だが、食卓の椅子に腰掛ける姿勢は、右の腰回りが痛くてかなわない。椅子を引いて、直立して食事することにした。毎度の食事が立ち食い、立食パーティだ。まあ、これもよし。
 
 残る問題は、平臥と直立の両姿勢の間の移行を、いかに円滑に進めるかということである。痛い腰をかばってのヨロヨロ立ち上がり動作は、他人には見せられない。だがこれも、次第に上手になりつつある。赤ん坊の立ち上がり時期と同じだ。
 そしてもうひとの問題は、座位の時に発生する右尻腰痛にどう対処するかである。まあ、そのうちに治るんでしょう。待つしかない。

 でも、全治3か月との宣告を受けている身だから、あまり早く治癒しては、医師に失礼だろうと思う。早くても2カ月くらいにしないとなあ、って言ってもまだ先は長いなあ。
 そしてまた、わたしにはこれは実に貴重な体験だから、あまり早く元の身体に戻っては、なんだかもったいないと、思わないでもない。
 ユルユルと行こうと思う。

●雑踏の中で座り込んでいた事件発端尻餅の日のこと

 寝たきり生活2週間、ヒマだからあれこれ考える。まあ、脳だけは活性化しているんだろう。
 この突発寝たきり事件の発端は、商店街モールで自転車から降りようとして転んで、派手に尻餅を搗いたことである。その搗き方は、スットーン、模範演技であった。
 搗いたとたんに、あ、こりゃしばらく動けそうにないぞ、ヘンに立ち上がる努力して不様な格好になるよりも、しばらく尻餅姿勢を保つことにした。
こんな様子の都心商店街の雑踏に小一時間も座り込んでいた
土曜日の午後、目の前に地下道出入口があり、人通りの多い都心の繁華街の道の真ん中に、転んでいる自転車とへたりこんだ老人がいては邪魔だろう。
 でも、さっとは位置を変えられない。尻を地に着けたままズルズルと、転んだ自転車を引きずり、近くの街路樹のもとに匍匐前進移動、幹に寄りかかって一息。
 さて、このまま動けないとなると、転んだ自転車を前にして、どうしたものかと思案する。

 そうやって小一時間もすわっていたろうか、この間、誰もわたしに注意を払ってくださった人はいない。
 ま、こちらも若干見栄を張って、苦痛の顔でない努力もしていたのだが、。
 それに、ここの商店街にはけっこう年寄りの酔っ払いが、真昼間からベンチに座り込んでいるからなあ。風体からしてわたしがそれのひとりと見えてもしょうがない、決して横浜の人情が冷たいわけじゃない、、、。 

 例外的にひとりだけ、一部始終を見て、こちらを注視してくださっている人がいた。商店街に直行する車道に車を止めて客待ちしていた、タクシーの運転手である。
 あのタクシーに乗ってうちに戻ろうかなあ、それとも救急車を呼ぶかなあ、それとも歩けるようになるかなあ、などと、うじうじと考えていたら、タクシーは客を拾って行ってしまった。
 
 しょうがないから立ってみようかと、膝を付けて四つ這いから、ヨッコラショと何とか立ちあがった。背中や脚が猛烈に痛い。
 今から考えると火事場の馬鹿力だった。とにかく自転車に乗って自宅まで200mをイテテイテテと漕いで帰り着いた。今ならとてもできない。
 そのあとは寝たきりである。

 その時は気が付かなかったが、世の中はその日から5連続の休日で、医院も休診であったのが、つらかった。大型連休を発明した人を恨んだ。
 救急車を自宅に呼んで病院に行くべきか、このまま連休あけまで寝たきりか、もしかしたら手遅れでこんごは寝たきりになるかもなど、悶々と寝たきり週間をやった。
 そして思ったのは、あのときの3つの選択肢のうち、救急車を呼ぶのが正解だったようだ。
 まあ、連休明けの病院で、手遅れ宣告がなかったのには、正直にホッとした。(つづく

参照

・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~

2015/05/13

1088【世界遺産登録騒ぎ】お隣から文句言われて屁理屈こねてる明治日本の産業革命世界遺産登録

 またぞろ世界遺産である。このへんには世界遺産を好きな人たちが多いらしい。
 こんどはお隣から文句を付けられて、屁理屈こねている。

 ニュースによるとこういうことらしい。http://www.asahi.com/articles/ASH5D56BKH5DUHBI01B.html
「韓国国会は12日の本会議で、日本政府が「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録を推進していることを糾弾する決議を可決、採択した。朝鮮半島出身者が強制労働をさせられた施設が含まれていると強調し、登録するかを最終決定する世界遺産委員会に慎重な対応を求めた。
 韓国側は、対象となる23資産のうち、高島炭坑など7資産で計5万7900人の朝鮮半島出身者が徴用されたとしている。決議は、日本政府が登録を進めることを「外交的な挑発行為」などと批判。韓国政府にも厳しく対応するよう求めた。」
 
 これに対して日本側は、こう言うのだそうである。
http://www.sankei.com/world/news/150511/wor1505110041-n1.html
「超党派の日韓・韓日議員連盟の合同幹事会が11日、ソウル市内で開かれた。日本側は「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録に韓国政府が反対していることについて、政治問題化しないよう韓国側に理解を求めた。日韓議連幹事長を務める自民党の河村建夫元官房長官が会議終了後に明らかにした。
 河村氏は会議で「徴用を否定しないが、(遺産の対象となる年代と)時期がずれている。日本が近代化を遂げた際の歴史的、文化的遺産だ」と韓国側に説明した。これに対し韓国側は「微妙な問題だ」とし、賛否について回答しなかったという。」

 この「(遺産の対象となる年代と)時期がずれている」とは、こういうことらしい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150508/k10010072911000.html
「これについて岸田外務大臣は「今回の遺産は、対象の年代が1850年代から1910年とされており、韓国が主張しているような朝鮮半島出身の旧民間人の徴用工の問題とは年代や歴史的な位置づけ、背景が異なる。あくまで産業遺産としての顕著な価値に着目したものだ」と述べ、韓国側の主張は当たらないという認識を示しました。」

 どうもよく分らない。
 今回の世界遺産登録に出した構成資産は、日本の近代化時代の産業遺産であるらしいが、当然のことに産業だから1910年に、ばたり突然に廃墟になった遺跡ではない。
 なかにはいまだに工場で活躍している施設も構成資産である。そして、近代の構築物だから、今生きている人にも記憶に生に存在しているものでもある。
 韓国会が言わなくても、日本人にだってけっこう悲惨な歴史の記憶があるはずだ。現に私だって、三井三池炭鉱の大災害や大争議は、同時進行に新聞で毎日見ていた記憶がある。

 それを1910年以前にできた施設だから、関係がないと言っては、歴史文化資産に失礼というものである。
 歴史とは、それら悲しいことも、嬉しいこともすべて包摂することでなりたつものだ。ある時点でとどまることはないのだ。
 1910年以前だからというところが、いかにもわざとらしい。韓国併合以前だから、文句は言わせないって、姑息極まる。
 これって、たぶん、隣国から文句が出たらそう答えるんだと打合せしつつ、1910年以後の資産を除外して登録手続きに出したのだろう。姑息である。
 
 朝鮮半島の人だろうが日本列島の人だろうが、近代日本の発足時の追いつけ追い越せと励んだときに、悲惨な労働環境で低賃金で働いた人々がいて、ようやくテイクオフできたという事実は否定できない。
 炭鉱労働が囚人の懲役の場であったことが、物語るところは深い。
  韓国会は、登録に反対するよりも、そのような強制徴用工の悲惨な歴史も、これらの文化遺産のコンセプトに込めるように働きかける方が、はるかに賢明であると、わたしは思う。

 端島炭鉱が軍艦島といわれて、ヘンに廃墟観光名所になっているが、あの超過密な孤島牢獄のような生活環境に暮らし、その地底や海底に働いた人々は、はたして幸せだったのか。どんな暮らしで、どんな労働だったのか。
 現場にいたことで負の思いをもつ人たちは、日本人でもいるはずだが、隣国からのように声をあげることはできない気分かもしれない。
 いまや世界遺産反対なんて言うと、国賊あつかいだもんなあ。
 美名だけが大手を振って、それが世界遺産の本質なんだろうか。だったらやめなさい。

 韓国会の抗議に真摯に応え、そのような事実も含めて、日本近代化の遺産の持つ正の価値も負の価値も包摂して、登録したければすればよろしい。
 だって、日本にはすでに原爆ドームがあるでしょ。あれだって、登録時は政治的な反対が太平洋の向うからあったのですよ。
 ビキニ環礁を世界遺産登録するときに、あの久保山さんが死んだ被曝事件をもとに、登録に抗議しなかった日本政府は、寛容なんだろうか、それとも単なる無知か、アメリカさんの言うことに反対不可能だったのか。
 
 三菱長崎造船所は、戦争中はたくさんの戦艦、兵器をつくった、いわば戦犯級の施設である。そのことに頬被りしてはなるまい。
 この幕府の長崎製鉄所の末裔が登録になるならば、これよりも先に起きた横須賀製鉄所の末裔であるところの、横須賀米軍基地をなぜ登録しないのか。
 歴史的価値ならば同等以上のはずだ。こちらには1871年にできた日本最初の船渠があるぞ。今回の登録にかかる三菱第3船渠の1905年より歴史は古いぞよ。
 だが、これこそまさに政治的に登録不可能な代物だ。まったく同じかそれ以上に貴重なコンセプトのうちにありながら、登録不可能な現実に眼をやることもなく、一方の登録に熱をあげるのも何かヘンである。
横須賀アメリカ軍基地内にある横須賀瀬鉄所時代の船渠 1998/04/04 DATEY
あの端島の廃墟を保全しようと考えているらしいが、やめてもらいたいものだ。廃墟になったことそのものに歴史的意味があるのだから。
 あのような人間が住む働くようなところでない環境に築いた人工の構築物が、いま、自然の揺り戻しで海に戻りつつあるのだから、そのまま自然の手に返してやればよい。
 廃墟が次第に自然に戻っていく姿、やがて消滅する過程をしっかりと見つめて、人間の営為とは何であったtかと思い考えることこそ、歴史文化遺産の価値である。
 廃墟に人工的な手を加えた途端に廃墟でなくなり、観光施設という物見遊山の見世物になってしまう。それは歴史と自然に対して、あまりに失礼千万である。
 レリホ~って歌が流行ってるんじゃン、ねッ。

 さて、近い将来、朝鮮半島あるいは中国大陸あるいは南アジア地域における戦争遺跡が、世界遺産登録の話題になる日が来るに違いない。
 文禄慶長の役、日中戦争、太平洋戦争について、歴史観をそれらの地域から問われることになるであろうことを、覚悟しておく必要がある。

裏長屋の世界遺産談義(2009.12)
再び唱える「福島第1原発を世界遺産にしよ(2013.4)

 

2015/05/10

1087【尻餅散人横臥戯録4】毎日朝夕寝転び飲食なのに身体はちゃんと出すべき所から出すべきものを出してくるのが不思議

1086【尻餅散人横臥戯録3】からの続き

●寝ころんで飲食するとクソダメ人間になるか

 尻餅搗いて第4腰椎圧迫骨折全治3か月の今日は9日目、まだ全行程の1割しかきていない。
 連続寝たきり食事である。椅子に座る姿勢が一番痛いからである。以前からのように1日2食だが、さすがに量は少ない。
 横臥姿勢で飲食するって、けっこう面白いような、アホらしいような。自分の手で口に運んでいるが、一口で入るように料理製作してもらう。
 寝ころんだ姿勢で食っても、以前のように椅子に座って食っていたように、口から排泄口まで体内運搬が、はたしてうまくいくのだろうか。

 だって、上の口から入れて、下の口から出すんだから、摂取食物類は万有引力というか重力に従って動いているはずだ。それが横になったままだと、重力は身体に横向きだよ。
 仰向けばかりだと背中に溜まるから、時々右や左に寝返っているけど、こうやっても下の口に向かう力が働らかないよなあ。
 現に初めの3日間は、便秘に困ったから、これは重力問題だと確信した。まさかと思うが、ナニが口に逆流してくるかも。

 寝たきりクソダメ人間になるのは嫌だから、芋虫が立ち木によじ登る如くに柱にすがって(人には見せられないヨロヨロ苦闘)、痛さをこらえて重力が体の上の口から下方向に働くように直立をする。
 しかし直立姿勢だと腰回りが痛くてたまらないから、すぐに横になる。これでは重力が体内流通運搬システムに効果をもたらすことは、全然なかったようだ。
 クソダメになってもしょうがないや、いや、便秘薬だ。

 そんなこんなで5日も寝転び飲食をやっていると、だんだんわかってきた。
 どうも体内には、上の口から下の口へと動くベルトコンベアが仕込んであるらしく、横になっていても出口に水もクソも届くらしい。
 そうか、わたしの体はうまくできているんだなあ、こういう時に備えて。

●寝転び飲食は平和の表徴かもしれない

 そうなると、考えた。これからはずっと、寝転んで飲み食いやろうかな。なにも腰掛けてやるべき理由はないような。
 そうですよ、飲み屋でも、みんな寝転び飲み会やればよいのだ。やったことないでしょ、これ、なかなか快適ですよ。やってみて初めて分った、いや、飲み会はまだだけど。
 
 人間はいつごろから、座ったあるいは立った姿勢で飲食するようになったのだろうか。楽な寝ころび姿勢を放棄したのはいつからだろうか。
 あ、違うかもなあ、大昔から人間は座ったり立ったりして食事していたのだろう。だって、食事中に他からの襲撃で、食い物を取られるとかあるだろう。食いながら逃げ出すとか、襲撃に備える姿勢としては、寝転んでいるのは圧倒的に不利だもんなあ。

 だからと言って、寝転び飲食が肉体的生理的に不可能ではないことを、わたしは今回発見したのである。
 立位座位飲食は防衛体勢が生んだ単なる習慣に過ぎない。寝転び飲食の方がむしろ快適なのである、便秘問題はあるにしても、。
 そうか、わかったぞ、今は食料を取り合いしなくてよい平和なわが街、わが地域だから、寝ころび飲み食いをできるのだな。
 寝転び飲食は平和の表現だ。これで地域から新たな文化を発信するのだ。寝転び飲食を地球上のどこでもできるように、国際貢献しよう。

 そうだ、どなたかがお好きらしい積極的平和主義の表現の為にも、寝転び飲食を広げよう。
 まずは、「寝転び飲食推進運動国民会議」を立ち上げるのだ。
 家庭では畳の食事室を復活して、今日は寝ころびスキ焼きだとか、学校給食は教室で寝転んで食う、ホテルバケットも寝転びタイプを売り出すとか、、そうだ、茶道も横千家を興す、とか。

 もうひとつ効用を思いついたぞ、日頃から寝転び飲食していると、本当に寝たきりになっても、食事に戸惑うことはないはずだ。
 そうだ!、寝転び飲食が、寝たきり老人が食べさせてもらう受動的寝転び飲食となっている現状を打破して、人間自らの手で摂取する能動的寝転び飲食文化、を確立しよう。
 あ、この際、寝転び文化そのものを目指して、「国際寝転ん党」(INP:international necoround's party)を結成しようかな。

 ああ、ヒマである。 つづく

参照・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~







 

2015/05/08

1086【尻餅散人横臥戯録3】ムリ検査証拠写真で医師の判決は有罪にして自宅禁固安静療養全治3か月の刑に処す

【尻餅老人横臥戯録3】からつづき

MRIって妙な機械に襲われてウンザリ

 人生初の寝たきり老人1週間、病院で昨日はX線では異常なし、今日はMRI検査である。さあ、丁と出るか半と出るか、じゃなくて吉か凶か。
病院前にて、ロシナンテ号に乗り槍を立てて、いざ出陣
昨日は予約なしの病院ランド入園だったから、目的の整形外科は大人気アトラクションらしく、予約入場希望者の婆さん爺さんの長蛇待ち行列、その後に回されて3時間待ち。

 今日は予約済みだから、希望アトラクションMRI検査室に直行すれども30分待ち。
 ヒマだからいいようなものだが、座って待つ姿勢がつらいのが問題。また今日も果報は長椅子に寝て待つのであった。
 ヒマなのはわたしだけで、車椅子押し付添いの息子は仕事を休んできてくれている。

 それにしてもMRIって、名前も“無理”なんて変だし、実物も妙な格好の遊具というか機械であった。
 仰臥しているこちらの鼻先5センチのところまで、全身に襲いかかり覆いかぶさってくる。この人間様を下に機械上位の体位のままに、約40分間も黙って対峙し続けるのだった。
 こりゃ、あの、どうも、犯されてるみたい。そうかムリヤリ体位だから、ムリ=MRIというのだな。
 閉所恐怖症のわたしは、パニックにっこそならかったが、かなりうんざり気分がきわまった。

 しかもヘンなことには、わたしは黙って寝転んでいるのに、上にいるMRI君は、妙にアナログ的な饒舌マンであった。
 トントントントン、ジーコジーコジーコ、ジャージャージャージャー、コンコンコン、、ときどき止まって考えこんでまた始める。いったい何やってるんだよ。ノコギリと金槌で、わたしの故障を修繕しているのか。
 さらに可笑しなことに、そのバックにドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」が聞こえるのである。う~む、この検査の後には、寝たきり老人の世界が新しく開けているのか。どうもこれはムリ技師の趣味の室内BGMらしい。


●ついに寝たきり老人に判決下る

 そうやって賑々しく犯されつつ作成したMRIの証拠写真により、医師の判決は、アア、有罪であった。
 罪名は「第4腰椎圧迫骨折」、収監はしないが、自宅禁固3か月安静ノ刑に処する。

 いやまったく、実に立派な名称の症状である。これなら連休をMLで仲間たちを騒がせたわたしも、まあまあ恥をかかないで済んだ。
 ホンの打撲傷です、なんて判決だったらどう言い訳けしようかと思っていたからだ。あ、勿論この恥かきの方が良かったのですが、。

 で、これがMRIによって作成された証拠写真である。今回の寝たきり老人事件の発生源である。
 背骨の途中で、なんだか潰れた風船みたいなの(椎間板というらしい)が顔を出している下の、白っぽいのが、圧迫骨折している第4腰椎だそうだ。
わたしの脊椎あたりのMRI画像
これはネットから拾った説明用模型

普通なら他の腰椎と同じ形だから、ここに異常があり、それが腰背中の痛みをもたらす。
 不幸中の幸いは、骨の損傷程度がひどいと入院手術だが、比較的軽くてその必要はない、安静にしていると3カ月くらいで自然治癒する、と、医師の御宣託である。
 その医師は、もしも私に孫娘がいたならこんなかもしれないなあ、って可愛い人。 

 即時入院コルセットはめて治療、そしてリハビリという刑をやってもいいけど、それも必要あるまいとのこと。薬もなし。
 まさか見放されたのではあるまいが、わたしの口と体の元気さをみて、積極的平和主義じゃなくて積極的治療の必要なしというところだろう。 
 まあ、違憲まではいかないが、違憲状態である、ってところかな、わたしも流行最先端だよ。

 ヤレヤレ、寝たきり老人やってりゃ自然治癒して、寝たきりを卒業できるんだあ、よかった、よかったあ。
 自然治癒と言えば、12年前に罹った「不治の病」と医師宣告の「大腿骨頭壊死症」を、わが念力で自然治癒した偉大な実体験実績を持っているわたしだから、えへん、自然治癒には自信があるんだよ。
 その件はこちらを参照・https://sites.google.com/site/machimorig0/handicapped
 さあ今度も念力だあ~。でも、どうやったっけかなあ。

 次は10日後に検査の約束をして、車椅子を息子に押してもらって帰宅。
 それにしてもだよ、尻餅から今日で7日目だが、わが芋虫身体には、いまだに曙光が見えないなあ。
 10日後は、病院往復100mを自力歩行したいものだ。
【尻餅散人横臥戯録4】へつづく

参照・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~

2015/05/07

1085【尻餅散人横臥戯録2】にわか寝たきり老人状態で待ちに待った病院であったが判決は明日に持ち越し

 【尻餅老人横臥戯録1】よりつづく

 あっちに寝返り打ってイテテテ、こっちに向いたらイテテテ、よいやく立ち上がってもイテテテ、寝たきり週間がようやく終わって、朝一番に病院へ。
 仕事を休んできてくれた息子に、近所の総合病院に車椅子で連れて行ってもらった。

 5月2日に自転車で転倒、派手に尻餅を搗いたら、腰に激痛、動けなくなった。
 なのに、世の中は6日まで5連休、医院も連休、しょうがないから人生初の寝たきり老人週間をやっていた。
 ちょっと動くとイテテイテテと、寝てるしかない。つらいけど、つまらない日々なので、寝ころんだままの姿勢であちこちにメール、今わたしはこんな有様ですと、誇大広告ぎみに宣伝。
 ブログにもface bakaにも書き込んで、じゃっかんお騒がせ気味の寝たきり老人週間であった。昔から、果報は寝て待てというのだが。

●果報は寝て待て、だが
息子がどこからか調達してきてくれた
古典的松葉杖で寝たきり週間の便所往復に活躍
でも寸法が短くて脇の下に届かないので
今日病院でアルミ製の松葉杖を借りたら快調
これが本日の唯一の収穫。

 いやまあ、それがその、なにしろ寝たきり老人初体験だし、もしかして脊椎損傷で、このまま本物の寝たきり老人になるかもなあ、とか、よくても3か月はギブスで固められる病院生活かも、とか、いやいやただの打撲で痛いだけだろ、とか、この大型連休はあれこれたっぷりと妄想に忙しかった。
 ただし、5日も寝てたのに、ぜんぜんよい方向にならない。

 そうやって今日は、5日間待ちに待った憧れの病院ランドである。開店と同時8時半に一番の入場客なのに、11時半にやっとミッキーマウスじゃなくて医師に出会えた。
 椅子に座る姿勢では痛いので、待ち時間の前半は待合室の長椅子に寝ころんで、後半は寝台ストレッチャーを出してもらって寝て、延々3時間の果報は寝て待て。
   
 で、果報はあったか。それがどうも、あったような無かったような。
 X線撮影で見る限りは骨に異常はないと医師はいう。そして明日またMRI検査することになった。
 このまま入院かと、不安の塊に期待のトッピングをまぶしつつ朝早くからやってきたのに、ふ~む、無罪釈放でも即時勾留でもなし、ホッとしていいのか、いや、病院ランドお泊り入院かもって期待を裏切られた気分も、、、、、。

●痛さと薬の関係は?

 2種の薬を買わせられた。一つは痛み止めと書いてあるが、もう一つは胃薬とある。
 怪我人になんで胃薬だよ、間違ってるでしょと薬屋に電話で言うと、痛み止め薬を飲むと胃病になるからだという。おい、怪我人を胃病人にしてどうする、それでも薬屋か、。

 痛くなったら服用せよという。だけどね、ベッドに寝ころんでるいつもは痛くないけど、動いて立ち上がると腰回りがずずっと痛いのだから、便所に行くために立ち上がったとたんに飲めばいいのかと聞けば、薬の効果発生は飲んで30分後だという。
 え、おい、それじゃあ、効いたころはとっくに用は終ってるよ。ってことは、便意があったらのんで、ちびりそうになるのを30分間我慢するのかい、え?、

 そもそも最大の痛さ問題は、背中と腰の継ぎ目くらいの真ん中に、動きの途中の不意打ち瞬間激痛である。この恐怖で動けないのだ。
 激痛発生、それ飲めって言われてもそんな余裕はないし、飲む余裕が出るころは激痛は去っている。いや、飲んで30分後に効いてきても手遅れだよ。あ、次の不意打ち激痛に備えるのか。

 5日間も初心者寝たきり老人やっていて、初めの2日間はどう動いていいかわからないから、ちょっと寝る姿勢を変えても、よろよろ立ち上がる時も、しょっちゅう激痛に見舞われたものだ。
 それはもう、聞くところの戦場最前線だった。どこから撃ってくるか分らない銃撃が、不意打ちに必ず背中に命中、ズキュ~ン、アイテテテ。

 しかし3日目くらいから、脚の曲げ方、寝返りの打ち方、立ちあがり用にすがりつく家具類の使い方など工夫して、こう動けば激痛の銃撃に見舞われない寝返り、この道なら銃撃を回避することができる立ちあがり方など、無痛動きコースを学習し、身辺環境を構築していったのだ。
 6日目の今ではベテラン寝たきり老人になっており、よほどへまをしない限り、激痛に出会うことはない。
 
 ということで、痛み止め薬は役に立たないぞ、なんて、ごちゃごちゃ言って薬屋を困らせる、いや、困らせられたのだった。ヒマだから電話が長くなった。
 へいぜい飲み薬に縁がないから、こういう時は興味津々である。
 結局は、医者に聞いてくれとのこと。おいおい、医薬分業で指導料をとっていながら、そりゃないでしょ。それでも薬屋か。

 明日のMRI検査(無理検査??)って、なにするんだろ。めったに医者に行かないから、こういうときは興味津々、病院ランドで大冒険している気分。
【尻餅散人横臥戯録3】へつづく) 

参照・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~

2015/05/05

1084【尻餅散人横臥戯録1】大型連休で医者がいないので、転んで動けなくなったわたしは大型寝たきり老人週間だよ

●尻餅搗いたら動けなくなっちまった

 世の中は連休が始まる5月2日の午後、商店街の路上で自転車から降りようとして、ついよろけて尻もちついたら、超腰イタタタタ、無理無理ヨロヨロ帰宅してベッドへ。
 そのまま連休は寝たきり老人週間になっちゃった。
 医院も連休で、近所の救急病院に電話したら、来ても医者がいないし、X線も動かないから診察できないと、つれない。
 休日診療電話相談にも聞いたが、救急車呼ぶしかないという。う~む。

 救急車呼ぶかとも考えたが、御大層すぎるし、遠くの病院に放り込まれても困るなあ。
 寝ている分には痛くないから、しょうがない、2日から6日までの大型連休は、大型寝たきり老人デイにすることにして、7日の朝まで我慢することにした。
 誰だよ、連休なんて、しかもなんでもない5月6日も休みなんて、迷惑なことを発明した奴は。

●ネット時代のありがたさ
 
 インタネット時代だから、ML仲間にさっそくに経験だとか助言を求めたら、親切にたくさん教えてくださった。感謝。
 とにかく救急車呼んで病院にいけというおかたが多くて、心にしみる。
 その助言にもかかわらす、上のような状況で、いまだにうちでネタキリ老人強行中。この先後悔するんだろうなあ。

 なかにおひとり、わたしと同じように尻もちついて歩けなくなった人がいて、脊椎圧迫骨折との診断にて、3か月のコルセット暮らしだったという。
 おお、これだな、、ふ~ん、骨折かあ、、、。
 グーグル検索で、あれ読むと頭でっかちにはなっても、腰の痛みはなおらない。ちょっとした下手な動きで電撃激痛が立て続けにやってくる。

 明後日、近所の病院で、この診断が出る可能性が高いなあ。
 どうです、賭けますか、ギックリ腰か脊椎圧迫骨折か、このままネタキリ老人か、復帰するか、さあどっちか、

 明日5月5日は生誕78周年記念日なれど、なんともなさけない。
 寝返りも立ち上がるのも、芋虫そのものである。あ、そういう小説があったな。
 横臥姿勢でキイボードうつのは疲れるなあ。ま、そのうちになれるだろう。
  (【尻餅散人横臥戯録2】へづく)

参照・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~

2015/05/01

1083【わたしの終活】父の家を売る:日本の空き家問題がひとつ解決したかも

●空き家が増えるのに新築住宅が増えるヘンな日本
 日本の空き家問題がなんだか深刻であるらしい。空き家法なんてできたりして。
 総務省のウェブページには、「2013年住宅・土地統計調査(速報集計)結果の要約」としてこう書いてある。
 http://www.stat.go.jp/data/jyutaku/2013/10_1.htm
・総住宅数は6063万戸と,5年前に比べ,305万戸(5.3%)増加
・空き家数は820万戸と,5年前に比べ,63万戸(8.3%)増加
・空き家率(総住宅数に占める割合)は,13.5%と0.4ポイント上昇し,過去最高
・別荘等の二次的住宅数は41万戸。二次的住宅を除く空き家率は12.8% 
 これを見ると、空き家が増えているのに、住宅の総戸数が増えているという、妙な状況である。更に人口が減少しているのだから、これはどうもヘンである。
●大借金を背負わないと家に住めない変な日本
 日本の住宅政策は、社会政策じゃなくて経済政策だから、なんでもいいから景気対策として新築工事しろ、そうすりゃ金が動くからってことである。
 公共住宅も賃貸住宅も促進政策はなくて、個人の持ち家ばかり優遇する政策だから、庶民は泣き泣き大借金を背負って家を手に入れなければならない。借金できない人はロクな家に住めない。

 どうも、何かがおかしい。
 住むって基本的人権の行使が、大借金をしなけりゃできないなんて、そういうことでいいのか。
 人口が減ってるってわかってても、持ち家優遇策が続くのは、いったいどういうことなんだろうか。

 空き家が増えすぎたので、今度は空き家を壊せという法律が、近ごろできたそうだ。
 なんだかおかしいよ、作れ造れと借金までさせておいて、今度は壊せ壊せとは、いったいどういうことか。
 はは~ん、壊せっていうのも景気対策なんだな、壊すことで金が動くからって、、マッタクモウ。

●いつのまにか空き家問題の渦中に
 さて、わたしは、その日本の空き家問題の渦中に、ながらくあったのだった。
 父から相続した家を20年も空き家の儘にしておいたら、いつのまにか日本の空き家問題の渦中に入っていたのだ。まあ、わたしも時代の先端を行っているってことだな。
 去年、売りに出したが、一向に売れないままに過ぎて行った。

 以前から処分しなければ、ご近所迷惑だと思いつつ、そのままになっていた。不動産屋に知り合いはないし、安心して処分するにはどうればよいのかと、たまには思案しているうちに20年も空き家にしていた。

 2014年春に、岡山市からの固定資産税請求書に同封して、岡山市空き家情報バンク制度の紹介がはいっていた。
 この制度を通じて、地元の不動産屋を紹介されて、3か月間の専属媒介契約をしたのが去年の夏のことだった。売却価格は、不動産屋の助言もあって、固定資産税評価額と同じにした。
 幾人かが見に来たらしいが、3か月間で成約なし、また3か月の契約をしたが、またもやなにもなし。
 ここまでのことは、ここに書いた。
1024・いま日本中で起きている空き家問題にわたしが直面とは、(2014/11/11)
http://datey.blogspot.jp/2014/11/1024.html 

●大値下げしたらやっと売れた空き家
 半年たっても売れないとは、ちょっと思案投げ首状態になった。
 このままでは息子の代まで持ち越すのかなあ、先が思いやられる。そうか、これが、いわゆる空き家問題なんだな。
 不動産屋が言うには、これがいわゆる「旗竿宅地」であることが、売れない理由だそうだ。

 敷地の場所が表通りから巾2mの路地の10mほど奥にあり、表通りから車を入れようにも、隅切りがないため角を曲がれなくて、入れないのが最大の難点だという。
 車を持つ人には住みにくいし、家を壊すにも直すにも、表通りから路地を手運搬しなければならないから、高くつくのだそうだ。
 その分、かなり安くしないと売るのは無理という。

 しょうがない、3度目の媒介契約では、それまでの半額にした。そして1カ月後、ついに買い手が登場して、めでたく売買成立となり、先日、手続きをすべて終えた。
 買主は個人だったが、不動産屋の話では、この方は空き家を買取って、修復して賃貸することを、既に何軒かやっているとのこと。この家もそうするとて、素人が買って住むのではないらしい。

●良い設計きちんと工事安い値段が売れた理由
 なぜ、その方はこれを買ったのか。買主と不動産業者の話を総合すると、価額と古家の質であったらしい
 古家の質については、わたしに買主がこう言った。
 「古家をいくつも見てきたが、50年もたつ家はたいていは傾いたり一部壊れてひどい状態なのに、この家は、外観はともかくとしても、屋根瓦もきれいだし、傾きもないし、床も普通の家よりも高い。内部は50年も経つとは思えないほどしっかりしている」

 まんざら素人でもない人が、既に買ってしまってから言うのだから、たしかだろう。
 わたしの設計は、住宅金融公庫仕様に忠実に従ったし、これを工事した人も真面目にやったのだろう。
 だからこそ、50年の古家でも、修復して賃貸することができるのだろう。よかったのである。いまどきのエコロジー風潮にも対応できる。

2015年4月の姿

2015年4月の姿
1966年建設当初の姿

2015年現在の平面図(1965年設計図面に南と西の広縁増築部分を加筆修正)
父母がこの家に移る前まで住んでいた高梁盆地にある神社境内(わたしの生家)
 価額については、修復に300万円くらいかかるようで、今回の土地代ならばそれに加えても、採算のあう住宅賃貸事業となる、ということらしい。
JR山陽線の駅から歩いて5分の立地だから、すぐ売れるだろうと、わたしは初めには思っていた。しかし地方都市では車社会なので、どうもそうはいかないらしい。
 でも、地方都市こそ高齢化が進むから、このような立地は、車を運転できなくなる高齢者向きと思うのだが、どうだろう。

岡山市空き家バンク制度を不動産業界は活用せよ
 こうして空き家問題として、長年にわたって迷惑をかけた隣の奥方にお詫びをして、帰途へ。
 帰途の大阪で途中下車、空き家問題に共に悩んだ弟たちと、20年忌の父に献杯して、問題脱出の祝杯をあげた。

 というわけで、岡山市の空き家バンク制度利用は、わたしにとって役に立った。
 不動産屋に聞いたら、この制度活用はまだそれほど進んではいないらしい。現に岡山市の空き家情報バンク登録物件紹介ページを見ても、登録数が少ない。
 岡山市も地元不動産業界も、この空き家バンク制度の活用策を積極的にやってほしいと思う。わたしには、こうして役に立ったのだから。

(2016年4月28日追記)
 岡山に遊びに行った弟がここを訪ねて、売却1年後の姿の写真を送ってくれた。リニューアルした家には、大学の美術系の先生が入居しているとか。 

黒くペンキ塗りかえただけでモダンに見えるのがオカシイ

元の形のままにペンキを塗り替えたらしい


庭は賃借入居者の趣味だろうか


2015/04/27

1082【京都卒研想い出徘徊】超久しぶりの京都で半世紀前に歴史的建築の研究調査をした寺院を訪ねて想い出徘徊

●突然思いついて京都に途中下車
 京都の古刹である法然院と大覚寺を観てきた。どちらも55年ぶりの再訪である。あの1960年の夏、どちらでも実測してプランどりなどしたが、観光客はだれ一人来なかった。
 今回はどちらもしっかりと賑やかだったのは、寺院側の事情か、観光客側の事情か、それとも何か観光政策によるものだろうか。多くの人が歴史的文化財に接することができる、よい時代になったものである。

 急用で岡山にいくことになり、日帰りの予定だったが、行きに京都駅に着いたとき、突然に思いついた。そうだ、帰りに途中下車して、久しぶりに京都見物して帰ろう。
 では、どこに行くか、いろいろ考えていて、そうだ、大学時代に卒業研究で調査して回った寺院等がいくつもあった。あれは1960年の夏だったから、55年前のことである。そこを観て来よう。
 もちろん、京都に55年ぶりに来たのではないが、ずっとそれらの寺院等のことを忘れていたのだ。

●大学卒業研究の調査に行った寺院へ
 さて、その寺院群の名前を全部は思い出せない。弟に電話して頼み、わたしのサイトにある卒業研究論文を開いて寺院群等の名前を教えてもらった。
 修学院離宮、円満院、勧修寺、妙法院、法然院、林休寺、大覚寺、実相院の8カ所であった。
「遺構による近世公家住宅の研究(大学卒業研究論文」1960
https://sites.google.com/site/dandysworldg/kinsei-kugejutaku

 帰りに京都に途中下車して駅前ホテルに投宿。翌朝、京都駅の観光案内所で、これらの場所を地図上で教えてもらった。さすがに観光都市の案内人は、全部をすらすらと教えてくれた。
 だが、それらは市街地の山裾に、ばらばら散らばっている。なにしろ突然の思いつきツアーだから、行動作戦をまったく立てていない。8カ所の目的地があるだけだ。

●先ずは京都駅ビルから京の街のスカイライン見物
 出発前に京都駅ビルの屋上に上がって、京都の町を展望する。ふむ、さすがよその街のように超高層ビルが、あちこちテンデに建っているということはないんだ。
 開発をする方向だと昔に聞いた、駅南の方も超高層ビルが見えないのは、これも京都だからなのか
 一番高いのは京都タワーだな、相変わらずだ。大きな三角屋根は、修理中の本願寺の建物にかかる素屋根だな。
駅ビル屋上から北を望む

南を望む

東を見る

北駅前広場スカイライン

●法然院を訪ねるも肝心の方丈は非公開
 さて出発するか、まずは、東山にある法然院に行ってみよう。最近、法然院について、エッセイを書いたから、再訪して見てきたい。
 そこから先はまた、法然院を観終わってから考えよう。
https://sites.google.com/site/matimorig2x/hounen-in
 法然院の朝は、観光客は少ない。林の中を茅葺の門に向かうアプローチは気持ちよい。寺男が一人で落ち葉を箒で寄せている風情がよろしい。茅葺門をくぐって前庭に入る。さて、肝心の方丈はどこにあるのか。
 ああ、前庭から先は非公開である。予想はしていたのだが、残念。55年前の方丈で半日を過ごした記憶にある庭の風景を確かめることもできなかった。もちろん襖絵の謎に迫ることもできない。
 いつの日か、来ることあるかもしれないと、辞する。



●慈照寺への道
 山裾道をゆるゆると北に辿れば、静かな住宅街が続く。
 とたんに突然の人、人、人が行く手に出現、そうか、ここがあの銀閣で有名な慈照寺か、さすがに観光名所。
 ここも大昔に来たことがある。入ろうかと思ったが、あまりの人出で、もういいや。近くにある八神社という変った名前の静かな神社でちょっと休憩。
 地図を広げて次をどこにしようか。大覚寺にするか。嵯峨野はここから西へと、京の街を横断することになる。

●嵯峨野の大覚寺で懐かしの宸殿を観る
 バスの1日乗車券を買って、2回乗り換えて延々と大覚寺に至る。
 門前で降りれば、法然院と違ってここはもう慈照寺並みの観光寺院である。500円の拝観料(売るほうが観というのがヘンである)を払う。
 わたしが観たいのは、55年前に実測した宸殿である。宸殿も公開しているのかと聞けば、宸殿のほかのもろもろも公開しているのでどうぞ、という。こちらは宸殿だけでよいのだ。

 大覚寺での一番の建築である宸殿は、檜皮葺きで堂々としている。
 元は京都御所にあった東福門院の御殿を移築したと伝わる。そう、あの時は、あちこちにある移築した京都御所遺構を訪ねて調査をしたのであった。
 広縁でゆったりと見回す。あのときは、だれも来ないで邪魔されずに実測したものだ。まだ観光寺院ではなかったのだろう。今は引きも切らずに観光客がまわってくる。
 縁から前庭に下りて正面の写真を撮りたいのだが、叱られそうなのでやめておく。あの時は室内にも入ることができたのだが、今はそれもできない。
大覚寺宸殿






宸殿正面(大覚寺発行パンフより)


1960年撮影の大覚寺宸殿正面

1960年作成の大覚寺宸殿平面図


●ただいまボケ防止に「社寺建築構造」を勉強中
 実は今、「社寺建築構造」という大学時代の教科書を、同期仲間と再読している最中である。ボケ防止のためと称して、老人の暇つぶしである。
 日本古来の神社や寺院の木造建築の作り方である。その本を持ってくればよかったなあと思い出しつつ、柱、梁、組物、天井、襖絵などを眺めたのであった。

 大覚寺を辞して、京都駅近くの妙法寺に行こうとバスに乗ったのだが、交通渋滞でノロノロ。四条烏丸あたりで四時前になり、もう拝観時間に間に合わないとて、下車。
 久しぶりに中京郵便局などレンガ建築を外から拝観、錦市場通りをうろうろして鯖寿司を買って、帰途に就いたのであった。
 突然思いつきセンチメンタル勉強お寺徘徊は、二か所だけでおわった。残り分を観る機会が訪れるだろうか。

壁一枚保存の元祖、裏に回ると全然違う形

壊してから完全コピー復元なので保存原理主義者には評判が悪いが、
な~に、東京駅だって三菱1号館だってそうだよ、これも街並みとして立派なものである


観光客で大賑わいの錦市場

100【各地の風景】京都の街並み本物偽物?2009
http://datey.blogspot.jp/2009/02/100_27.html
「京の名刹 法然院の謎ー建築と襖絵の出自を探る」2015
https://sites.google.com/site/matimorig2x/hounen-in
「遺構による近世公家住宅の研究(大学卒業研究論文1960)
https://sites.google.com/site/dandysworldg/kinsei-kugejutaku

2015/04/18

1081【言葉の酔時記】津波被災者は誰の何の「犠牲」になったのか?

 今朝の新聞(朝日東京版)の記事に、「津波犠牲 企業の責任は」との見出しがある。
 銀行屋上に避難したが、津波がそれよりも高かったので被災して、死者・行方不明者が出たので、銀行は責任をとれという訴訟の話である。
 この訴訟の判決はこの22日だというのが、このニュースである。

 わたしは訴訟内容については、いうべき能力をもちあわせていない。
 ここで言いたいのは、この新聞の見出しの「犠牲」である。
 「犠牲」というからには、その津波被災と「なにか」とバーターの関係にあったのだろう。つまり、その「なにか」への捧げものととして、「なにか」の利益のために、被災したということになる。

 朝日新聞は、判決の出る前に、企業の「犠牲」になったのだと、ここで報道しているのである。
 マスメディアがこれほど一方に加担して報道していいのか。あ、自民党みたいになっちゃったなあ。
 わたしは企業の肩を持つ気はさらさらないが、それでも報道が一方的すぎるよなあ。

 こう書いたが、実を言えば、これは単なる新聞屋の言葉遣いの間違いだろうと、わたしは思っている。
 近ごろ、死者のことをなんでもかんでも犠牲者という風潮がある。
 
 野原で落雷に遭って落命した事件でも、犠牲者と報道すれば、そこに避雷針を立てなかった行政体の犠牲者だということになり、税金で補償することになれば、納税者全員が犠牲者を生んだ犯人ということになる、、のだろうか。
 死者を忌み言葉にしてしまって、言い換えのつもりでうっかり犠牲者と言うとその死者の周りの生者まで巻き込むんだってことを、忘れてやしませんか、ってんだよ。

●参照http://datey.blogspot.jp/2013/02/722.html

2015/04/17

1080【世相戯評】テレビ番組屋さんからバラエティ番組の取材協力の問い合せあったけど、

 TVをほとんど見ないわたしに、TV番組をつくる人からメールで問い合わせが来た。わたしのブログのある記事を観てという。
 そのブログ記事は、麻布の我善坊谷の街筋にある、緑に覆われた廃墟に近い建物ばかりの写真を載せたものだ。http://datey.blogspot.jp/2013/07/806.html

 なんでも、変った建物を見つけて、住人にインタビューしてVTRをつくるのだそうだ。その種となる建物を探しているのだが、わたしが知っているなら、協力してほしいという。
 でも、そのブログ記事は、その場所を地図付きで書いているのだから、自分で訪ねて行けばよさそうなものを、なぜわたしに聞いてくるのだろうか。

 そこでTV屋さんに聞いた。そもそも、それはどういう目的なのか、そのブログ記事に書いたように東京の都市再開発について、問題提起するのか、と。
 あるいは、少子高齢化になって発生する空き家について、社会的な問題を提起をする番組なのか、と。

 そうしたら返事が来て、タレントが出てきてそんな変った家や人をVTRでみて、驚いてみせるだけで、なんの問題提起もないバラエティ番組だという。
 そういうTV番組ばかりだから、TVを観なくなったわたしが、そんなことに協力するわけがない。

 去年、TV屋さんと付き合ったのは、建築家の山口文象自邸をTV屋が撮影して、番組に使いたいということだった。
 TV屋による自邸の下見に半日付き合った。撮影までは付き合わなかったが、一日かかったらしい。
 その番組を観たが、たった2分ほどの番組で、たくさんの商業広告がでてきて、実質1分もあったのだろうか。これだからわたしはTVを見ないのだ。その録画DVDを送るとTV屋さんが言ってきたが、いらないので放っておいた。
http://datey.blogspot.jp/2014/04/917.html

 そしてなんと撮影した家の持ち主の山口さんへの謝礼が、たったの3万円だったそうだ。プライバシーに踏み込んで、1日半も付き合わせて、出演もしたのに、この掃除・片づけ代だけなのか、へ~、このほうがよほど変なことである。
 その番組のスポンサーは、なんとかという大手ハウジング業者だった。広告料をケチったのかな。