2020/07/17

1476【横浜コロナ風景その2⑥】伊勢佐木モールはコロナ前も後も街並みはあまり変化しないが商売は変幻自在に生きていくだろう

 【横浜コロナ風景その2⑤:馬車道】からつづく
横濱都心徘徊ルート図
●新型コロナウィルスは今

 横浜都心繁華街のコロナ風景観察シリーズは、赤煉瓦パーク→中華街→元町→馬車道とやってきて、今回は横浜でもっとも有名な伊勢佐木モールである。
 そのまえに、今のコロナ感染状況を書いておこう。去年暮れに東アジア大陸の一角から始まった感染の波は、半年のうちに地球規模のパンデミックとなり、世界史的大事件のさなかにいる。

 何事もチャイナのシーチンピンに追い越されたくないアメリカのトランプは、コロナ騒ぎの出足こそチャイナやヨーロッパ諸国に遅れをとったが、いまや死者13万人(対世界24%)、感染者343万人(対世界26%)を誇る世界最悪の地位を獲得している。その増加の勢いは衰えないどころか、日々勢いを増している。アメリカって怖ろしいね。
 これに次ぐのがブラジル、インドだが、実は統計上では出にくいアフリカ諸国がどうなっているのか、世界の専門家たちから心配されているらしい。地球の近未来が見えない。

 そして日本では、4月に感染ピークがあって全国を緊急事態発令の緊張下に陥れてきたが、6月半ばに落ち着いた感じとなり緊急事態を解除した。
 それで緊張がゆるんで遊びに出歩き宴会をやるやつが多くなり、7月になるとまた感染者が増加しつつある。特に東京新宿あたりの夜の繁華街が最も問題発生地域らしい。
 わたしが住む横浜も、東京からのもらい感染があるのだろうか、徐々に増加している。さて、また緊急事態発令を検討するべきだとの声も専門家から出ている。


 そんなところに、政府は産業界から、特に壊滅状態の観光業界からの要望を受けて、観光旅行に税金で助成をする「GoToTravel」なる施策を開始するという。そりゃ早すぎるだろう「ゴッツイ、トラブル」と揶揄されたり、地方の知事も医師会も反対や慎重論を言いだし、では一番危険な東京トラベルを除いてやろうとか、今や世間はすったもんだ最中である。
 コロナに感染して苦しむか、商売あがったりで貧乏に苦しむか、悩みは深い日々である。

●横浜最大の商店街・伊勢佐木モールとコロナ
コロナのない頃の伊勢佐木モール風景 2010年11月13日
そんな日々でも、横浜都心隠居のわたしは、ご近所徘徊を躊躇なくやっている。昨日は久しぶりに友人と一杯やった。
 今回レポートするする「伊勢佐木モー」ルに、近頃なんだか飲み屋それも安居酒屋がずいぶん増えたような気がするが、コロナと関係あるのだろうか。この2,3年のうちに、飲み屋に限らず安物屋がずいぶん店を出してきているから、コロナとは関係ないかもしれない。でもコロナがそれを促進するかもしれない。
コロナ緊急事態下の伊勢佐木モール 2020/04/14
同上 2020/04/26
コロナによる緊急事態下の伊勢佐木モールは、見たところコロナ前のか5割くらいの人出になっていた。中華街や元町のような人影が珍しいということは無かったのは、食料品、日用雑貨、衣料品などの日常必需品を売る店が多くあるからだろう。
 緊急事態中は、大きな間口の店ほど、あるいは全国チェーン店ほど、休業が多かったが日常必需品店舗は営業を続けた。
コロナ緊急事態解除後の伊勢佐木モール 2020/07//12
同上 居酒屋が隆盛 2020/07/17
飲食店も多くは休業していたが、緊急事態解除で少しずつ営業開始してきて、比例するように人出がコロナ前に戻ってきた。
 たくさんの安居酒屋も休業していたが、これらの営業再開がなんだかモールの景気づけに役立っている気配だった。そう思えるほどに、モールには居酒屋がおおい。

 それもこの5年くらいに増えたような気がする。居酒屋に限らず、物販店も大小の安物屋が増えてきたようだ。
 大きい店は、地下から5階まである激安売り物の「ドン・キホーテ」、その次が安物衣料の「ユニクロ」となんでも百円の「ダイソー」(文具類を買いに行く)が入る5階建ての店舗ビルである。これらが伊勢佐木モールで最大級の店舗であるのを、どう考えようか。

 大型店と言えば、伊勢佐木モールからあの堂々たる建物の「松坂屋デパート」が撤退したのが2008年だった。2012年に3階建てに改築(当時の記事を参照)されて、今は食品量販店や安物衣料などなどテナントビルになっている。
 モールの中ほどにある3階建ての大型総合量販店「ピアゴ」が、先日から閉店セールを始めた。店の名はいろいろ変ったようだが、ずいぶん昔からあった大型店で、3年ほど前に改築したばかりなのに、どうしてだろう。コロナと関係あるのだろうか。

 モールの中でコロナで休業したまま、いまだに営業再開しない大きなビルがある。それは中央競馬会の場外馬券売り場である。この建物は、元は松坂屋デパートの新館だったが、その撤退後にそっくりおそのまま改装して馬券売り場となっている。
 これもわたしには無縁なのでよくわからないが、それなりに街の賑わいとなり、商売繁盛に役立っていたのだろう。建築だけは風格のある姿であることが、往時のこの街の風格を見せているのだが、コロナでこれも失われるのだろうか。
かつて百貨店だった場外馬券売り場ビル
安物店といえば、モールのあちこちに古物屋が増えつつある。10年くらい前までは古物と言えば古書だったが、古書店は少なくなるなり、いまは古着も古道具も中古電気用品も何でもかんでも売買する「●●リサイクルショップ」と銘打った古物店があちこちに増える。
 環境問題対応と考えると時代の差先端を行く店だろうが、骨董品屋ではないから、どうも貧乏くささを免れない。コロナ貧乏社会が蔓延すれば、ますます安物屋が増えるだろう。

 緊急事態中に店内に意外に人が多かったのは、有隣堂書店本店であった。コロナ逼塞中に自宅で読む本を買うのだろうか。
 わたしはもう本さえも買い物しないのだが、書店は徘徊中の立ち眺めに立ち寄る店で、他に3軒の古書店がある。そういえば、古書店は更に2、3軒あったのが、いつの間にか消えた。5年ほど前に「ブックオフ」が進出してきたからだろうか。

 コロナ以前もその変化はよく見られたがシャッター通りになることは無くて、さすがに横浜一の繁華街であると思っていた。
 近頃は特に変化が多い。上に書いたように、安物店へ安居酒屋への流れが見える。昔々のことは知らないが、老舗はもうほとんどいないような気がする。 
 
●防火建築帯の街並み

 私は買い物をめったにしないから、コロナ以前の店の具合は、大きく目立つ店のほかは、あまり観察をしていない。
 この近所に住むようになって19年、あちこち都心徘徊を続けてきたが、このモールに来ていることが最も多いような気がする。でも目的は買い物ではない。
 そもそもわたしがこのモールを歩く当初の目的は、この商店街の主要な建築群を構成する「防火建築帯」の観察であった。かつてわたしも大阪で携わったことがある、戦後都市復興期のの建築である。
伊勢佐木モールの防火建築帯共同ビル 2020/07/16

同上
全国の都市で防火建築帯事業があったが、横浜の都心部は全国でもまれにみるほどに、関内関外にそれが多く建てられ、今もそれが伊勢佐木モールの中にも、その外にも生きて使われている。
 近頃は次第に建て替えられて主として高層共同住宅になっていくのだが、その変化を観察すると、都市の変化が目に見えて面白いのだ。
 
 その建築防火帯の多くは、隣近所の店が共同してビルにしたので、一階の外向きには小店舗が連続して並んで営業している。
 一般に日本の繁華街の商業建築は建て替えが著しいのだが、共同建築駄るために一店舗だけでの建て替えが不可能であり、共同の権利者たちが一致して建て替えなければならない。その再建のための話し合いが困難で、防火建築帯共同ビルが今も多く使われているのだが、中の店舗は時代の要請に応じて変化する。

●じわじわとフーゾク化の気配

 安物移行はまあ貧乏な私にはありがたいことだが、なんだか気になるのは風俗系への移行が、じわじわとやってきている感がある。モールから言えば裏通りに当たる曙町や福富町方面からのやってくるのだ。

 伊勢佐木モールの裏あたりの曙町や福富町は風俗店が多い。緊急事態中に通ってみると、ほとんど人が通っていなかったが、それは私の観察が昼間だからだろう。
 ソープランドなる店はさすがに休業のようだが、ほかの何するのか知らないが女性(あるいは男性かも)従業員と遊ぶらしい店は、灯りがついて客引きのお兄さんが立っているから、ほそぼそでも営業を続けていたようだ。

 この商売こそ濃厚接触しないと成り立たないだろう、と思うのは素人考えか。今コロナ感染激増で有名になった新宿のホストクラブってのは、ここにもあるのかしら。いまにここも新宿に負けないようになるのかもしれない。
 気になるのは、風俗系かどうかわたしは知らないが、それっぽい看板が目立つ「タイ古式マッサージ」店が、モール内外のあちこちにやたらに増えてくる。肩こり治しなら日本式があるだろうに、そういう店は一向にない。ここで何するのだろうか。
古書店の2階にもタイ古式マッサージ 2020/07/16
モール内とその近くにパチンコ屋が6軒もある。緊急事態になって5軒がすぐに休業した。関内駅に最も遠い1軒だけが数日間頑張っていたが、これも休業した。もしかして名前出すぞと当局から言われたのかもしれない。もちろん今は営業しているが、盛衰のほどを知らない。
 「ナムコ」のゲームセンターも同様だったが、近頃いつ見ても以前のようには若者がいないのは何故だろうか。
 休業が続くギャンブルの場外馬券売り場も風俗営業のひとつだろうが、横浜ではIRとかいって、埠頭にギャンブル場を誘致する構想があるから、これからどうなるのだろうか。

●地元型アジアン混合エスニック

 元町と比べると店も通る人たちも、明らかに庶民の町であり、ほとんど観光的要素はない横浜の街である。そしてアジア諸国、特にチャイナ系とコーリア系のの度合いが高い。
 わたしは、このモールを歩いていて、横浜が開国以来の国際都市であるという感覚を、アジアの国際都市なんだと体験的に知った。
 ここのアジアンエスニックは、外来観光客からの借り物ではなくて、この町に暮らすアジア系外国人たちである。相対化すれば日本人もエスニック、そうここに住むわたしもそのひとりなのである。
 それは外来観光客に頼る街がコロナで壊滅状態になったのと比べて、この街の強みであろう。
 
 コロナ後のいま、ほとんどの店は営業しているが、注意しながら歩くと、コロナ以来閉店したままのところも結構多い。関内駅から遠くなるほどそれが目立つ感がある。この長すぎる商店街は、垣生となる大型店を次々と失って、いまや短縮する時期に来たかもしれない。コロナがそれを促進する。

 これまでの観察から思うのは、伊勢佐木モールの街並み(戦後復興の防火建築帯建築群)は徐々に変化するとしても遅いだろうが、商売は時代に合わせて変幻自在に移り変わって、力強く生きてゆきそうな感じがする。
横浜都心部で唯一(多分)の戦前モダンデザイン建築「不二家」
さて次は「横浜橋商店街に行こう。
(つづく)

◆参照:「コロナ大戦争おろおろ日録

2020/07/06

1475【横浜コロナ風景その2⑤】横浜馬車道商店街の変化はコロナにあまり関係無さそうだが、、

 横浜コロナ風景その2④横浜元町からのつづき

 コロナ緊急事態で不要不急外出自粛要請される日々、それなのに横浜都心の繁華街を3日にあげす不要不急のご近所徘徊をしている。これはコロナ前からの日常そのままを続けているにすぎないのだが、コロナで街がどう変わるか新しい興味が加わった。
 そしてコロナ出現でにわかに人出が見えなくなった街を見て、単なる好奇心からの感想を書くこのシリーズは、これまで赤レンガパーク、中華街、元町とやってきたが、今度は「馬車道商店街」である。

 馬車道商店街のコロナ緊急事態最中の状況は、人出はかなり少ないのはたしかだが、中華街や元町のようにほとんど無人の街ではない。それなりに人がいる様子である。どうも印象としては、コロナ前と極端な違いがないような気がする。
 人通りがわずかなのに何故そう思うのか、自分でも不思議である。関内ホール前広場のベンチに座り込んで眺めながら、ちょっと考えた。
 その変らなさの原因は、歩道に緑が多いので、元町のように人通りの見通しがきかないせいなのかもしれない。また、ここは歩行者専用道路ではなくて、自動車の行き来がけっこうあるので、コロナ最中の商店街にも動きがあることによるかもしれない。

 そもそもコロナ前の馬車道は、人通りが多かった記憶が、わたしにはない。でもさびしかった記憶もない。中華街の喧騒はもちろんないし、元町のウィンドショッピング型の人出もない。
 もっとも、わたしは買い物や食い物にあまり関心がないので商店街の店の客になることはかなり稀である。馬車道商店街には、博物館と関内ホールとギャラリーと古本屋くらいしか用がない。店や人通りにあまり興味がないから、商店街としての記憶が薄いかもしれない。
32年前の馬車道風景 1988年11月23日
29年前の馬車道風景 1991年2月8日

27年前の馬車道風景 1993年5月11日

16年前の馬車道風景 2004年10月2日
 わたしはここの街並みを好きである。中華街や元町のような風景が一律になっているよりも、ここは品の良い多様さがある。それぞれ多様な一般の商業建築にすぐれたものはないが、要所に県立博物館、関内ホール、日動ビル、旧富士銀行などの公共施設や歴史的建築物があり、防火建築帯の共同ビルもあって、全体として街並みが一種の風格を見せている。
道路空間と建築セットバック空間とが、外部デザインとして、快く作りこまれているのもよい。よそから来ただれかを商店街に案内するとしたら、ここにしたいと思う。
コロナ緊急事態下の馬車道 2020年4月14日

同上 2020年5月17日

コロナ緊急事態解除直後の馬車道風景 2020年7月2日
同上 2020年7月2日


 ところで、コロナ前の馬車道では、街並みに大きな変化が起きようとしていたことを思い出した。横浜都心では関内と関外の主な通り沿いに、戦後復興期に計画的に建設した「防火建築帯」が数多くあり、これらが都心街並み景観形成に大きな影響を持っている。
 防火建築帯には単独ビルもあるが、複数の隣り合い連続する地権者たちによる3-4階建ての共同ビルが多い。それらは一階に表向きに小規模な店舗が並んでおり、全体は間口も広くて特徴的である。

 馬車道通りにも早川ビル、馬車道会館、商栄ビルなどの防火建築帯共同ビルがあり、連続する街並みを特徴づけている。
 「商栄ビル」は、馬車道通りに面して間口が一街区分あり、3・4階は共同住宅、1・2階に6店舗があり、街並み景観の特徴となっていた。3年ほど前からこれを建て替えすることになり、ながらく空き地そして工事仮囲いとなっいて、商店街の連続を断ち切っていた。この商店街の街の中心部であるだけに、これが街を寂れさせていた観があった。
60年ほど昔の商栄ビル(『BA』12より引用)

16年前の商栄ビル 2004年10月2日
 商栄ビルがなくなって塀ばかりでくつまらなく思いながらも、新しいビルでどんな商店街としての街並みが再出現するのか楽しみだった。
それがコロナ禍の真っ最中の今年になって完工したようだが、なんと4つの高層ビルに分かれている。共同ビルを解消したらしい。
 馬車道沿いの2棟の一階には馬車道に面して外向きに、処方箋薬局、小さなファッションブチック、またも処方箋薬局と3店舗が並んだ。こんなに薬屋が必要なのかと思う。6店が3店に減って商店街としては寂しくなった。
 だが、高層となって上層階にたくさんの共同住宅が乗ったから、それなりに商店街の客が増えたのかもしれない。
商栄ビルは4つに分割して建て替え、馬車道側の2棟 2020年4月14日
同上の2棟の馬車道側にセットバック歩道が出現 2020年5月17日
 関内ホール前ベンチから、コロナ緊急事態が終わったこの街のこの新ビルの前の人通りを眺めても、人出が特に戻ってきた雰囲気を感じない。改めて街にある店を眺めてみると、飲食店が結構多いのに気が付いた。まったくグルメじゃないからわからないが、居酒屋もあるが、なんだか老舗のような癖のある飲食店も多いようだ。そこが元町とは違うし、この後で行く軽薄な伊勢佐木モールとも違うようだ。

どうも、コロナというショックの視点からこの街をとらえにくい。コロナ前、コロナ中、コロナ後もあまり変わりない感じ(あくまで個人的な感じ)で、それはこの商店街の何を意味するのだろうか。
 このさき、そう遠くないうちに、早川ビルも馬車道会館も、商栄ビルのように建て替えられるだろうが、さてそれでどうなるだろうか興味がある。そう、コロナがこの街の不動産的変化にどう影響するのか、しないのか、興味がある。
防火建築帯のひとつである馬車道会館 2020年7月2日

 あ、そうだ、昔々、馬車道で奇妙な女性を見かけた記憶を書いておこう。それは1980年代半ば頃だったろうか、何かで通りかかった馬車道、あるビル前の小広場の椅子に頭も顔も衣装も真っ白づくめで、異様の厚化粧女が座っている。いや、頭髪は紫色だったかな、若くはなかった。
 その後にも2回だったか同様に見かけて、横浜という都会には不思議な人がいるもんだと思った。ずっとのちに通称浜のメリーなる数奇にして奇矯なる娼婦であったと知ったのは、五大路子が彼女をモデルにした演劇で話題となった1993年だった。
 その場所は、りそな銀行(当時は協和銀行だった)があるビル前の、セットバック歩道だったような気がする。あるいはアートビル前だったか。そう、馬車道が演劇舞台であった。
浜のメリーさんがいた記憶がある場所 1988年11月23日
さて次は伊勢佐木モールへ。   (つづく

追記2020/07/19
 最近になって、伊勢佐木モールでちょくちょく出会う不思議な格好の女性がいる。これが、なんだか浜のメリーさんが生まれ変わって出てきたかと思わせる雰囲気なのだ。
 大柄な女性(だろう)で、派手な色彩ではないが、短い丈のひだが多くあるスカート、襟周りにもヒラヒラが付いているブラウス、頭にはリボンと帽子が載っている。
 どうも女性の服装をうまく言えないが、まあ、コスプレである。それはまるで小学生が着飾って誕生会にでも行くようだ。モールをしゃなりしゃなりと流していく。
 顔を見れば、その皺の様子はけっこうな年齢の様だ。わたしが昔々に浜のメリーさんを見かけたときも、顔を見てエッと思ったものだった。
 

2020/07/01

1474【フェイクバカ狐乱夢2020年6月号】ああ、今月もコロナコロナで明け暮れ、もう飽きたなあ

6月1日【今朝の新聞から】
 例のアベノマスクどさくさの話だが、なんと悪名高い「インパール作戦」にたとえられているって、そりゃインパール作戦に気の毒だよな、牟田口廉也指令官が聞いたら、俺はそんなドジ小者じゃないっ、いっしょにするなって、大いに怒るだろうな。
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6月2日【コロナ対策巨額予算】
 出たとこ勝負大盤振る舞いなんでもやるぞ、コロナ後に残る大借金1000兆円!? 後は誰か知らないが次の世代にお任せしますのでよろしくね
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6月2日【アベノマスクがきたが子供用かも】
 郵便受けのダイレクトメールに交じる小さな透明封筒、宛て名が書いてないから、てっきりよくある懐中鼻紙(ポケットティッシュ)同封投げ込み広告類と思って捨てようとして、差出人が「厚労省医政局経済課マスク等物資対策班」と小さい字ながらものものしいのに気が付いた、あ、そうか、これがあの有名なアベノマスクかあ、とうとうわが家にもやってきたんだあ~。
 でも今わたしが着用の立体布マスクと比べてずいぶん小さいなあ、子供用を送ってきたんだな、開封しないで取り換えてもらうべきか、悩みつつつ街に出ると、商店街に「マスクポスト」なるものがあり、中を見ればいくつかの未開封アベノマスクが入っており、そうか、ここに持ってくればよかった。
 なお、横浜都心商店街では、どこもかしこも俄かマスク屋だらけ、マスクの値段は不織布50枚箱入りで4月半ばは3500円、いま6月初めには1600~1200円程度になっている。
 そこで一首。
  春過ぎて夏来にけらし白妙のアベノマスクも来にけらしたり
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6月3日【解除ばやり】
 福島では除染しないで避難解除、東京でも除染しないで宴会解除、日本総不感症列島

6月4日【強盗キャンペン】https://www.facebook.com/dateyf/videos/2993932234016078/?t=4
 どなたが命名なさるのでしょうか、その語感がなんとも凄い!、コロナショックから復興のためには、「強盗もいとわずにやりぬくぞ」とのお覚悟のほどが知れて、まことに恐れ入ります。で、「商店街」って英語がないの?

6月4日【横浜都心徘徊:新市庁舎】
 横浜市新市庁舎ちょっと眺め、なんだか白々しい建物だねえ、隣のアイランドタワーと並んで、槙流白塗り金属棺桶かよ、旧庁舎の村野流煉瓦館に対抗したんだな。ソフトウェア面でも白々しいのは入館チェックゲート、ゲーテッド市役所になっちゃった。でも、近隣住民としての楽しみは、どうやら下駄ばきビルらしく、近いうちに1,2階が商店街になるらしいこと、そして大岡川沿いに広い緑地があること。
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新市庁舎
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旧市庁舎
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3階から上はゲートの中に入った新市役所

6月8日【給付金受給申請書】
 本日の不要不急の外出予定は、こんなお手紙を出して、10万円給付申請することと、既に受領した現物給付の小さな布マスクを、街にある「マスクポスト」に寄付をしてくることです。どっちも元をただせば、わたしが納めた金を原資にしているのだから、給付じゃなくて還付だね。あ、この手紙も、あの「電通」に行くのかなあ、。アレっ、あて名が「給付金申請受付センター」じゃなくて、「給付金受付センター」だから、これは給付金の寄付を受付けるセンターらしい、さてどうしようか。
写真の説明はありません。

6月10日【徘徊途中で銭湯へ】
 横浜都心コロナ徘徊は、歩くのは暑いので、自転車徘徊に切り替え、銭湯に出くわして、ふと思いついて入る。たぶん20年ぶりくらいか、入浴料480円、風呂好きではないけど、暑いときにたまにはよいもの、いくつか銭湯の場所を知っているから、銭湯徘徊やってみるかなあ。今日はカメラ忘れたのでグーグルストリートから。

6月13日【荘直温伝という本】
 おお、生まれ故郷の町の地域史らしいな、「荘直温伝-忘却の町 高梁と松山庄家の九百年」書評、読んでみたいな。
画像に含まれている可能性があるもの:テキスト

6月14日【コロナ流行最先端】
 東京の新コロ流行最先端の店、「ホストクラブ」って、何するところなんですか?、行ってみたいな、「ホステスクラブ」ってのもあるんですか?

6月15日【流行のオンライン会議やってみたけど】
 いつもはメールの弟と、高齢者同士でZOOM談義を始めよう、何とかなるだろうと初挑戦、でも何にも見えず聞こえず、結局は電話で話して敗退、ZOOMのバカッ!
 その後に再挑戦して、あちらこちらいじっているうちに、突然つながって、音も顔も出たけど、なにがなにやら、とにかく操作方法の日本語(らしき言葉)がチンプンカンプンで、次回にも同じようにできると思えない、ズームのバカヤロ、日本語を勉強せい!

6月17日【陸上イージス取りやめ】
辺野古埋め立ても、イージスアショアも、同じ理由で停止できますね、河野さん!
画像に含まれている可能性があるもの:おおくま さとし

6月19日【緊急事態解除】
 「人間のほうは自粛要請解除で夜宴会や県外旅行らしいが、いっぽう、当然それに伴うはずの当方への自粛要請が来ないので、これまで以上に活動します」-新型コロナウィルスより

6月28日【新しい生活様式】
 夜11時ころから、窓の外で外国語の大きな話し声、延々と1時間以上たってもやまない。最近、これが1日おきぐらいにつづく。いつも同じ男の声だが、相手の声は聞こえない。道路か駐車場で電話しているらしい。昨夜は注意してやろうと窓から見下ろしたら、わかった。なんと隣に建つ共同住宅ビルが発生源だ。3階バルコニーに座り込んだ裸男が、PCにむかって話している。そうか、オンライン会議か、いや飲み会か。
「おーい、うるさいぞ、シーッ、シーッ」、イヤフォン着けているのか気が付いてくれない。何度もやるとこちらが近所迷惑マンになる。あきらめて引っ込んだ。多分、はじめは家の中でやっていたのを、家族から追い出され、バルコニースタジオになったのだな。名ばかり「マンション」なんんて気取っても、実は「うさぎ小屋」ビル、こんな「新しい生活様式」輩が増えてくるんだな。
 昨夜の新生活裸男は、以前よりは早くやめたから、気が付いてくれたのかもしれない。

6月28日【10万円給付が大幅遅れ】
 うちは最後でいいよ、だって、この元は税金で、納付が遅れると延滞税とるでしょ、だから当然、反対に給付が遅れると遅延加算金がつくんでしょ、給付金が増えて嬉しいな

6月29日【注文の多いコロナ社会】
 世間がコロナに感染してから、Take out(持って出ろ)、Pay pay(払え払え)、GO to(行ってしまえ)とかって、上から目線で命令する奴が多くなったなあ

6月29日【自転車徘徊不審尋問】
 いつものように自転車でご近所都心徘徊、もうすぐ帰宅の交差点で信号待ち、いつの間にやらひとりの警官が後ろから寄ってきて、
「恐縮ですが、ちょっとお邪魔します。自転車の防犯登録を見せてください」
「え、なんです?、そんなものどこかについてるかな、はて、登録したかなあ、どうぞご覧になって見つけてください」
 しげしげと自転車のあちこち見つつ、
「お名前を教えてください」
「え~っ、わたしは自転車盗の被疑者なんですかあ?」
「いや、そういうわけじゃないんですが、、」
「うーむ、そりゃちょっと、どうもねえ、いやだな」
もう一人警官がやってきた。なんだか面白くなってきた。通る人たちがジロジロ見る、マスクの効用が初めてあった。
「いつ頃お買いになったのですか」
「うーむ、もう10年も前だったような。あのね、なんで私に聞くの、何か自転車泥棒事件があったの、わたしが被疑者なの、ねえ、おしえて」
「いやいや、通常の防犯の仕事の一つです。では、ご協力ありがとうございました。お邪魔してすみませんでした」
「え、いいの、いやいや、まあ、ご苦労さん」
 つい先ほどパトカーとすれ違ったけど、指名手配犯人に似ていると見えたのかなあ、でも、つば広帽子に流行の白覆面で頭も顔も隠しているいるから、人相はわからいよなあ、じゃあ、いかにも自転車盗んで慌てて逃げる態度だったのかなあ、いやいや、年寄りだからできるだけゆっくり走ってるんだけどなあ、あ、若い男と思って捕まえたら意外にも超年寄りだったので、向こうが慌てたのかな。


2020/06/29

1473【横浜コロナ風景その2④】横浜元町も中華街や港観光街並みのコロナ風景だったが、、

 【横浜コロナ風景その2③】のつづき
横浜元真理商店街 左:コロナ緊急事態中、右:同解除後
横浜都心の繁華街をめぐって、コロナ禍の影響を観察するともなく眺めて、だらだらと感想を書くシリーズで、赤煉瓦パーク、中華街の次は「元町商店街」である。
 商店街のランキングがあるのかどうか知らないし、横浜元町商店街のことだって実のところよく知らないにしても、多分、横浜でもっとも有名であるような気がする。

 驚いたのは、コロナ緊急事態のただなか、このまちは真昼間に人っ子一人見えない風景であったことだ。
 港あたりの観光街はもちろん、中華街チャイナランドも観光専門の街だから、無人になって当然と思ったのだが、ここ元町も観光客でにぎわっていた街だったのかしら、だからこんなに無人なのかと、ちょと意外におもった。
コロナ禍で無人の横浜元町商店街 2020年4月21日
真昼の無人の元町をゆけば、街並み模型の中に入り込んだ気分である。無人の中華街では、アニメ映画に入り込んだ気分だった。この違いはもちろんそれらの風景の極端な違いからくる。
 中華街と元町とは対照的な風景で、中華街の姿かたちも色もとりどりで自由気ままに見える風景に対して、元町商店街は一定の枠内に秩序づけられており、窮屈な感覚をもたらす風景である。

 中華街では面にひろがりパースペクティブな視線を拒否するが、元町ではリニアーに伸びて透視を強要する。この対照的な風景感覚をもつ街が、川を隔てて隣り合わせにあることが面白い。両者は決してまじりあうことはない風景である。
 そんなことを強烈に感じたのは、真昼に無人の街となって、いわば街の裸身が出現したからである。人々が行き交うことで繁華街は街として成立するのに、その人々を拒否すると素っ裸になってしまう。それぞれの恥部を見たような気恥ずかしい風景だった。

 いま、中華街が自由気ままで、元町には秩序があると書いた。たしかに元町には建築。看板などについて、かなり厳しい規制を布いている。一定の枠にはめられると窮屈な風景をもたらす。
 一方、中華街にも街づくり規範を布いているが、その記述内容は元町ほどに厳しくない。だが、皮肉な言い方になるが、実際は元町よりも厳しいかもしれない。
 街づくり規範に具体的に記されていなくても、その基底には何しろチャイナランドという特異特別な異国風景を強要されているにちがいないからである。建築家ならば、中華街よりも元町のほうがデザインに自由さがあると思うだろう。

 元町が中華街と同様に観光客で成り立っているから、コロナ禍最中に無人の街なったと思ったのだが、なんだかそれは違うようだ。
 元町も休業店が多かったが、中華街ほどではなかった。その違いの元は、中華街がいわば中華料理一本やりであるのに比べて、元町には多様な店があるからだろう。中華街と違って、日常的な需要がそれなりにあるはずだ。
 いわゆる特色ある高級なファッション性の高い内容の店が多くを占めるが、特色ある工芸品や飲食店が仲通りにはある。居酒屋もある。
 
 コロナで流行文句となった「不要不急」の度合いから言えば、中華街へは年に一回行けばよいレベルに対して、元町は月に1回のレベルと言おうか、そのような違いを感ずる。
 物理的な位置は同じように市街地の中にあるが、中華街が日常世界から外れた独立的なレジャーランドであるのに対して、元町は日常の延長上の境界あたりに位置しているのだろう。そう、山手に続く住宅地のイメージを抱いている。
 こんなことは、街を徘徊するけれども買い物をほとんどしない私だけが知らないことで、実はだれもが知っていることだろう。
人が戻ってきた元町商店街 2020年6月20日
さて、コロナ緊急事態解除となって初めての休日、元町にも人々は戻ってきた。中華街にも戻ってきた。このときは外国人観光客はほぼゼロのはずだ。
 二つの街の歩く人々を見れば、ずいぶん違うことに気が付いた。中華街は若者中心のいかにも遊びに来た風、そう、ナントカランドの客である。これに対して元町を行き交う人たちは、大人中心の客層が中心で、ウィンドショッピングしつつ、なにかを買い求める様相である。
 その風景をうまく言えないが、コロナの闇がようやく開けようとする喜びの表現に、両者では大きな違いがあるようだ。

 話はコロナと関係ないほうに行く。前々から思っていることで、元町通りの西側にそって中村川があるのだが、せっかくのこの都市内水路空間が、街にまたく生きていないのが残念である。
 中村川の上空を首都高速道路が覆っていて、元町には騒音と排ガスが一日中降ってくる。川辺には高架を支えるコンクリ柱が不愛想に立ち並び、陽のささない水面は陰気に暗い。同じ横浜都心の川でも大岡川とは大違いで、単なる排水路である。
中華街と元町を分断する中村川と首都高の風景 2020年4月24日
中村川とその上空の首都高が、城塞の堀と石垣のように中華街からの攻撃に、身を守っている。つまり二つの繁華街を分断している。
 このところの観察で、どうもこの分断が両者によい効果をもたらしているような気がしてきた。
 たまたま隣りあわせだが、両者は月とスッポン水と油で、あまりに違いすぎる。川がと首都高がわざと隔てているようだ。そのほうが個性を際立たせて良いのかもしれない。

 ところで、東京では日本橋川上空の首都高を撤去するらしいので、横浜でも中村川と堀川上空についてもそうして欲しいものだ。中華街と元町を隔てるのは、中村川だけでよろしい。
 あの高架がなくなると、どんなにかすっきりした横浜都心風景が出現することだろうと夢想する。これについては別に詳しく書いている(都市プランナー田村明の呪い)。

 さて次は「馬車道商店街」に行こうか。
 (つづく

◆参照:「コロナ大戦争おろおろ日録

2020/06/25

1472【横浜コロナ風景その2③】横浜中華街がコロナショック最大の風景だった

 【横浜コロナ風景その2②】のつづき
コロナ禍緊急事態前、その最中、その解除後と、あちらこちら不要不急徘徊を続けている。その横浜都心徘徊で見るレポートシリーズ、今回は横浜中華街
 中心部の繁華街で商売に最も大きな影響があったのは、横浜中華街かもしれない。何しろ、あんなにたくさんの店があり、あんなにたくさんの人が、昼も夜も行き交っていたのが、店はほとんど休業し、街の道はほぼ無人になっていたのだから。
横浜中華街風景
左:コロナ緊急事態自粛中2020年4月21日 右:同解除最初の休日6月20日
ここは要するに中華料理に特化した食堂街であるが、同時に遠来の客を対象とする観光の街であることがはっきりと分かった。
 2004年に新地下鉄道「みなとみらい線」が、横浜駅から元町・中華街駅まで開通、東横線が乗り入れてきた。とたんに街に人が増えて混雑してきた。東京や北関東からの観光客がやってくるに違いない。

 店の競合も激しくなったらしく、派手派手の街並みに変化しきて、路上看板類が増え、そして声高の客呼び込みなど、観光地によく見る街に急激に変貌していったが、さすがに中華コンセプトは変わらなかった。
 変らないような努力がされているらしい。例えば、このまちでは共同住宅ビルを建てないようにしている。媽祖廟があるところに共同住宅ビルが建とうとして地元で買い取って、この廟を建てたという話も読んだことがある。

 ところが緊急事態発令、中華街はだれもいなくなった。いや、いないことはないのだがコロナ前の賑わいと比べると無人同然である。
 ほとんどの店が休業しているのは、客がいないからか、それとも店が開いてないから客がいないのか。中華料理店も自粛要請のメニューに入っていたのだろうか。いや、そんなはずはない。少ないが横丁には営業している店もある。
コロナ緊急事態下の中華街メインストリート 2020年4月21日
同上関帝廟通り
同上 路地

赤黄青で彩られて派手派手姿の街並みは、だれ雑踏の観光客がいてこそ生き生きと見えるものと知った。この特有の風景は、まさに作り物チャイナランドだ。人がいないと生きてこない。わたしが目で見た本物チャイナランドは、香港と上海だけだが。
 歩いていてアニメ映画に入り込んだ小人になった気分になる。営業する占い店から客引きの声がむなしく響くのが、かえって寂しい。土産物店も細々と営業、店先にマスクをならべているのが、侘しい。

 ここはコロナで緊急事態の移動自粛がかかると、とたんに人が行かなくなる街、行かなくても困らない町である。だから店のほうも当然のことのように、ほとんどが休業する。
 他の都心繁華街とはかなり異なるのは、ここがチャイナランドとでもいうべき年か2000万人を呼び込むレジャーランドであり、異郷演出の地であることだ。他の繁華街がどこかで地域の生活とつながっているのに対して、ここはそれがほとんどないらしい。

 ここの営業者や住人が、どの程度にチャイナ系であるか知らないが、かなりの高い割合だろう。
 それがチャイナ系であろうがなかろうが、ここではチャイナ系、現代シノワズリをもって商売の種としていることを、コロナが見せてくれた。それはそれで立派な戦略である。

 考えてみると、この街の特色である中華料理を食べるとなると、コロナ三密回避あるいは口頭飛沫防止には、かなり不利であると思う。
 あの大皿に盛る料理を回転テーブルを回しながら、みんなで次々に取り分けて、談笑する宴会形式は、人の口から感染して来るコロナにとっては絶好の機会を提供するだろうから、かなり怖い。

 わたしも大学山岳部同期会を、新橋の新橋亭という中華料理店で行うのが、毎年5月の定例になっていたのだが、さすがに今年はやめた。
 緊急事態自粛解除の新しい生活様式になったいま、あの大皿共食宴会様式は、どうなっているのだろうか。

 中華街では歩き食い(食べ歩き)が大いに流行っていて、歩き食い専門の食い物店もあちこちにある。大きな中華まんじゅうを、男女カップルがかじりあいながら歩く。
 日本流にいえばお行儀が悪いのだが、ここはチャイナランドだからそれが流儀であるらしい。いや、鎌倉では歩き食い自粛条例ができたらしいから、今や日本観光地どこでもの流行らしい。

 緊急事態自粛解除したら、この観光街でも歩く人たちは律義にマスク姿である。歩き食いはさぞ面倒だろうと思うが、マスクを外しながら歩き食い、またマスクをつけて歩く、また外して食っているのだ。お行儀の悪さが増した。
 コロナ感染は開放的な外気の空間では避けられるというから、どうやら歩き食いが本流になているかもしれない。中華街の道路全部が歩き食い空間になってり、食事風景が店内からこちらに展開あるいは移動するのだろうか。
 道がどこも狭いから、そのうちに二つの廟の広場も野外レストランになるかもしれない。 

 もうすぐこの街は元のようににぎわいそうだが、ここは野外さえも密な空間であり、店内では中華流宴会が続けば、感染クラスターが発生しやすいような気がする。外国人来街者が半分を占めるらしいことも心配である。そんなことのないように願うばかりだ。
緊急事態外出営業自粛要請解除直後の中華街 2020年6月20日

同上
つづく


2020/06/23

1471【横浜コロナ風景その2②】横浜赤煉瓦パークに不思議な新しい生活様式の空間秩序が出現

横浜コロナ風景その2①】のつづき
コロナ禍のなか、緊急事態前、その最中、その解除後と、世の中変り方を見たくて、不要不急徘徊してきている。
 ご近所の横浜都心繁華街の定点(線、面)観測をしてみて、コロナの影響が大きいのは、なんといっても観光客を主体とする街であった。それは当然に予想できるし、現実にそうであった。
 その影響は一時的なことなのか、それともコロナ後にどう持ち越されるのか、興味深い。繁華街の街並み変化に興味はあっても、その内容や人出にあまり関心のなかったわたしにも、いろいろと興味深いことである。

 このコロナ禍横浜都心徘徊レポートは、コロナの影響が大きかったところから書くことにする。といっても、これは研究ではなくて、老人が暇つぶしに不要不急徘徊して、人出や休業店舗の多さなどの、目に見える感想に過ぎない。
 
 非常事態宣言真っ最中に、人っ子一人いなくなったと見えたのは、横浜港周辺の観光の街であった。観光名所として一番有名なところは、たぶん赤レンガ倉庫のあたりだろうが、ここは見事に無人の街になっていた。
 それは赤レンガ倉庫とというショッピングセンターが休業しているからだろう。だが、この広い外の空間では、コロナは関係あるまいと思うのだが、なぜこうもがらんとしているのか。
2020年4月8日 横浜赤レンガ倉庫とその広場
ここは港の歴史的な雰囲気を生かした公園としての環境デザインがすばらしくて、わたしも好きな場所である。
 そこがこうもガランとしていて、わたしはこの空間を独り占めして、赤煉瓦倉庫の姿を詳細につくづくと観察し、公園にある地下遺構も、そうか、こうだったかとゆっくりと眺めて楽しむ。わたしにとっては、今はコロナ様様であった。
 
 そして緊急事態が解除された先週、その最初の土曜休日は、横浜都心各地繁華街は、すっかりコロナ前の人出が戻ってきていた。
 そして赤煉瓦パークは、不思議な風景になっていた。ほお、これが新しい生活様式による外部空間の使い方というものか、ほほお、なんだか笑える。

 ここ自由で多様な活動を予期して作った何もない広場に、まるで学校の儀式空間のような長椅子がお行儀よく並べてしつらえられている。
 座る人たちはだれもかれもがみんな海のほうを向くように、長椅子の両端にはなれて座るように指示されている。ソーシャル・ディスタンシング・パークって言うものかな。
 みんなお行儀よく座っている、これからどなたか独裁者でもやってきて演説会が始まるのだろうか。
緊急事態自粛解除直後
2020年4月20日 人が戻ってきた赤レンガ倉庫広場の風景
いつまでもこうではあるまいが、広場という自由な使い方の空間が、コロナによって見事に秩序立てられている風景が出現していた。
 もしかして、コロナ後には、このような空間秩序がどこもかしこも出現し、空間ばかりか社会全体にこのような秩序が出現するのっだろうかと、これが新しい生活様式か、心寒くなってきた。

 山下公園は、いまちょうど緑が燃え盛ろうとしていて、人々がコロナ前のようにもどってきていた。ここは赤煉瓦広場のような新しい生活の秩序はやってきていなくて、ほっとする。子供が走り回り、みんな生き生きとしている。ほっとする。
2020年6月20日 山下公園

山下公園風景 左:2020年4月8日  右:2020年6月20日
つづく

参照:コロナ大戦争おろおろ日録

2020/06/22

1470【横浜コロナ風景その2①】非常事態解除によって街はどう変わるか定点線面観測の不要不急外出の日々

 4月初めから続いていたコロナによる緊急事態の日々、政府があれこれと行動自粛を呼びかけて、市民は従順に従ってきた。特に商業や産業活動の打撃が大きい。
 へそ曲がりのわたしは、2日に一回は横浜都心部の繁華街やら観光街を徘徊している。わざと反抗しているのではなく(その気味もあるが、もちろんマスク防止手袋で武装)、コロナパンデミックという超珍しい大事件に遭遇して、それがどう私たちの生活に影響しているのか、好奇心で興味津々だから見届けたいだけのことである。何かの役に立てようようという気分はさらさらない。

 しかし、幸いにして自身の身辺も近所にも、コロナという病の人々はいない。だからと言って好奇心に任せて、まさか病院に出かけるわけにもいかない。
 コロナは人間にとりつくのだから、人間のいない所に出かけても観察にならない。せいぜい近所の繁華街の人出やら、営業店舗やらを観察するしかない。
 それでもコロナの影響の大きさに驚きつつ観察できている。人々が繁華街から消えた日々は特に驚いた。それはコロナ恐怖に対する人間の、従順な姿であった。これじゃあ細菌テロをやるやつが出るかもなあと、チラと思った。実は人が消えなかった繁華街もあるのだ。

 そして先週ようやくにして、政府は自粛解除を布告、学校も再開、諸店舗も営業再開とて、喜びと不安の錯綜する世の中になった。
 先週の土曜日は解除後最初の休日、さて横浜繁華街はいかがかと、一巡してきた。まるでコロナ前の賑わいの街になっていた。昼間の街がこうだから、夜の街の飲み屋街も復活だろう。
 なんとも人間は、政府が作り上げた操作される秩序にさえ、こうも従順なものか、コロナパンデミックに改めて不安な気が起きる。

 実のところ、コロナがいなくなったのではなくて、少なくなったから解除したに過ぎない。そこらあたりにうようよいるコロナは、これでまた復活できると、さぞかし喜んでいるだろう。
 わたしが見てから死にたいと思っているコロナ後の世界が、こうやって少しづつ見えてくるのかと、若干の期待と不安がある。街の風景が大きく変わるのか、ほとんど変わらないのか。

 わたしが横浜都心の空中陋屋に住むようになって18年、近所の街をコロナ以前から徘徊して観察してきた。商業や観光系の繁華街、都心住宅街、斜面地の住宅街など、それぞれ面白い姿を持っている。その変化が面白い。
 コロナ時代になって特に観察してきた横浜都心の街は、伊勢佐木モール・馬車道・元町・横浜橋の商店街、中華街・新港地区・山下公園の観光街、そして寿町簡易宿舎街という特殊住宅地区である。
 これらをぐるりと回ると約11キロ、歩いてちょうどよい運動だが、実は白状すれば年取って足が弱ってきたので自転車に転向である。昔山岳部員も老いたものだ。
 この典型的なコロナ下不要不急外出の繁華街定点定線定面観測について、順番に感想を記しておこう。

 非常事態で激変してきた街もあれば、自粛中もコロナ以前と変わらない繁華街もあった。もちろん住宅街は見たところは変わらない。
 このブログに非常事態による自粛行動さなかの「4月26日横浜コロナ風景その1」を書いたが、解除直後の「その2」を書いておく。
つづく

参照:コロナ大戦争おろおろ日録


2020/06/15

1469【コロナ世界探検】この手探りで行くコロナ暗闇現実世界の先にどんなディストピアが待つのか

 今や地球上の世界は、新型コロナウィルスによる大変革期到来の予感の時代である。
 私の体験した世界的な変革期の最新は、1989年から始まった冷戦の終結であった。その前は、1945年のアジア太平洋戦争の終結だった。
 どちらも世界戦争の終結がもたらす変革だった。

 さていま世界を席巻するコロナが終結後には、どんな変革世界が来るのか、それが自分に良いことなのか、悪いことなのか、さっぱり分からないが、何か大きく変わりそうだ。いや、変わらないのかもなあ。
 ただし、八十路を行くわたしには、コロナ後人生があるかどうか、それさえもわからない。ただ、好奇心としてコロナ後社会を見たいとは思う。

 探検家・作家の角幡唯介が、2020年6月12日の朝日新聞朝刊に「人間界を離れた54日 社会は殺伐として毎日が未知の現実」と題して寄稿している。
 今年1月中旬に氷の国グリーンランドに入り、3月19日から5月11日まで人っ子ひとりいない極北の氷の地を犬橇で探検したそうだ。

 角幡は妻からの衛星電話によって新型コロナウィルス蔓延を知り、探検出発前にはグリーンランドにも感染者が発生した。
 そして探検の旅にでたのだが、旅の間に彼が出て来た世界は、みるみる危険なる地に急変した。いっぽう、氷の探検世界には、コロナで最も危険な動物の人間がいない。角幡は実は地球上で一番安全な地を探検していることになった。

 角幡が出かける前にいた世界は、ある予定調和的に進行する安全な場所だった。そして探検する先は先が見えない未知の世界のはずだった。
 ところが新型コロナウィルスにより、人々がいる世界は明日がわからない未知の世界に踏み込み、角幡の探検は用意周到な計画に基づく、先がわかる世界にいるのだ。
 世界はひっくり返ったというのである。探検家としてはどうすればよいのか。

 そして旅を終えてディストピアに帰還した今、彼は浦島太郎になってしまったという。
 なんとも興味深いところに期せずして嵌まり込んだ探検家は、当然、次の探検先はこの未知なるコロナ世界であろう。
 極北の地がユートピアであったかどうかわからないが、このコロナ世界ディストピア探検記を、おおいに期待する。

 さてそのディストピア世界といえば、新型コロナウィルス発症が中国大陸に端を発し、ユーラシア大陸を西に移り、さらに大洋を超えてアメリカ大陸へと、そのコロナの版図は拡大の一方である。
 奇妙なことに、アメリカ国家はこのところチャイナ国との覇権争いに忙しいが、コロナでは出遅れたアメリカ国家だったが、その後の派遣奪取への勢いはものすごく、今やチャイナ国家など相手にしないコロナ大国家となった。他国を寄せ付けない勢いで感染者と死者を輩出し、コロナ覇権国のディストピアへ昇りつめたのである。いつ収まるのか、どう収めるのか。

 それに加えて最近になって、アメリカの一都市で起こった警官による黒人殺害事件がもとになり、人種差別問題への抗議デモが起きた。
 アメリカではよくあることだと思っていたら、各地の都市にも広がり、止む様子がない。1968年の公民権運動でキング牧師暗殺以来の規模という。
 更にアメリカ大陸を問わずヨーロッパ諸国にもデモが感染して、この世界のディストピア模様はさらに深刻になりつつある。それはコロナによる閉鎖社会のもたらす大きな副作用らしい。

 コロナ以前の人種問題は、ヨーロッパにおける大量の中東難民問題だった。最近、そのニュースを聞かないから、コロナの蔓延により難民の動きが止まり、一時収まっているのかも思っていたが、実はコロナが衛生環境の悪い難民キャンプを襲うのは避けられないらしい。それは南米諸国のコロナ感染者の急激な増大が、ファベーラを襲っていることと似ているようだ。
 それに加えて、コロナ発症に由来するアジア人種へ差別問題も顕在化してきているようで、なんとも面倒な世界になりつつあるらしい。

 アメリカ在住の歌人・大竹幾久子さんが最近こんな短歌を詠み、朝日新聞朝日歌壇に入選している。

  コロナ禍で退屈した人あまた
       射撃場に行き銃ぶっ放す  (2020年5月31日)

  アジア人はじめて銃買う人多し
       コロナの元とねらわれる故 (5月31日) 

  コロナ禍で必要不可欠(エッセンシャル)と認められし
       銃を買わんと列なす人々  (6月7日)

 かの地では、日常世界がなんとも居心地が悪いことになっているらしい。銃社会アメリカでの、銃の益々の普及とおもに、アジア人差別も進む。コロナ禍は肉体だけでなく、アメリカの人々の心をむしばみ、病的社会になりつつある。

 この未知の現実世界を角幡に探検してもらい、安全な極北の地からの純なる眼で、じっくりと見てもらいたいものだ。
 今や、探検は未知なる未開世界に向かうではなく、開発しすぎて未知なるウィルスを発掘して嵌まり込んだ未知なる現実のコロナディストピアに向かうしかないようだ。
 そこはかつて人々が信奉したグローバル教世界ではなく、コロナ鎖国群の国境を乗り越えつつ探検を続けるのだろうか。

 ところで日本は、角幡が興味を持つような探検すべきコロナディストピア世界がどう広がっており、これからどう広がるだろうか。
 世界の先進国の中では、低いコロナ感染率を維持しているし(もっとも致死率はアジア諸国の中ではフィリピンに次ぐ高率)、復興財政出動もまれにみる巨額公費投資が予算に組まれている。
 しかし、この3か月間の逼塞による経済と生活の打撃は、どう回復するのか、だれにもわかっていないうえに、わかっていることは次の感染波が必ず来るといわれる。

 だれもかれもが未知の現実の暗闇のなかを、手探りで未来へと歩く状態が続く。しゃべると感染するとてマスクのうちに沈黙し、まるで歌舞伎のだんまりだ。
 コロナ後の世界があるならば、それを見てから死にたいが、底無しの長期ディストピアが続くか、それともまるでコロナなんてなかったような世界が回復するのだろうか。
 今、書けることはこれくらいなものだ。われながら稚拙だが、わからないことをわからぬと書いておくしかできない。

参照:コロナ大戦争おろおろ日録